みなさまに感謝

いよいよ大晦日。今日の東京はよい天気です。

今年はまさに激動の一年でした。
いまあらためて気中20回生支援会の活動をふりかえり、たいしたことができなかったなと感じています。
先日、会長の鈴木徳一君、菊田博美君、斎藤恒四郎君らと今後の活動について話し合いました。そしてまずは会を継続し、今年2月の還暦祝いのように同級生のみんなと再会できる機会をつくりたいねなどと語りあいました。年があらたまりましたら、みんなと相談しようと思っております。


さて、当支援会に対しましては、同級生以外の多くの方々からも多大なご支援や激励をいただきました。ご厚情を賜りましたすべての皆様にこの場を借りて心から御礼申し上げます。

そして気仙沼の皆さん。ほんとうに大変な年でしたね。我々は力不足でまさに心ばかりのことしかできませんでした。ごめんなさい。
来年は復興に向けてのまさに本番。より良い年になるよう願っております。


どうぞみなさま、よい年をお迎えください。
ありがとうございました。
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テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
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復興計画コンペ

気仙沼市は、魚町と南町の復興アイデアを公募することにしたそうです。正式名は「気仙沼市魚町・南町内湾地区復興まちづくりコンペ」。

12月28日の地元関係者への説明と意見交換を経て定まった内容が、昨日29日の記者発表資料に記されていました。「趣旨」として次のように書いています。

「古くから〈屋号通り〉や〈昭和モダン〉と呼ばれる港町繁華街の雰囲気を伝える街並みが形成され,港町気仙沼の顔,中心市街地として港町文化を発信してきた魚町・南町内湾地区の復興再生に当たり、津波からの防災と減災を考慮しつつ、全国的に注目を集めるウオーターフロントのまちづくりに向け広くアイデアを募集し、より幅広い視点から検討するためコンペを開催するものです」

これに先だって25日の三陸新報は次のように伝えていました。
「県は湾奥に必要な堤防の高さをTP(東京湾平均海面)プラス6.2メートルと示しているが、地元には景観が失われるなどの理由で反対の声がある。堤防を造るなど津波対策を盛り込むことが条件となるが、どの場所に、どういった形で設けるか、または別の手法をとるかがポイントになりそうだ。まちづくりのコンセプト、避難計画などを盛り込む必要があるほか、国、県などの、どの事業、交付金を使って整備するかといった財源の裏付けも必要。現実的なアイデアを求める。企業や大学、個人など応募資格は問わない」

私がちょっと気になったのは「コンペ」という言葉。私にとっては日常語。企画コンペで勝って笑い、負けては泣く。その連続です。
「コンペティション(competition)/競争・競技」を略して「コンペ」。
コンペで勝てば、つまりは一等になれば仕事が発注されます。だからみんな一所懸命に知恵を絞ります。

気になったというのは、27日段階の記者発表資料の目的内容に、「コンペ(設計協議)」とあったからです。「協議」だったらコンペではないし。「競技」の間違いなのだろうか。そして27日の三陸新報記事の記事にあった菅原茂市長の「一等賞になったアイデアがそのまま採用されるわけではない。2位、3位の中にも良いアイデアがあるかもしれず、総合的に判断し、地元と話し合って決めたい」とのコメント。

そうした趣旨であるならば、「コンペ」ではなく、単なる「公募」としたほうがよかったのではと感じたのです。カタカナにしたいのなら「コンテスト」。お役所のカタカナ言葉に対してはこれまでも多くの批判がありました。広く意見を募りたいという趣旨であれば、なおさら誰もがわかる言葉を使いたい。
27日のNHKニュースでは「街づくり計画を全国から公募」として、「コンペ」という言葉は使っていませんね。賢明な選択です。 NHKニュースWeb(配信終了)

「コンペ」ってなんだべ。「モンペ」でねえのすか。

そんな声が出ないように細やかな配慮が求められているのではないでしょうか。って、またオダ君、キャスターになっちゃって。魚町のことになるとうるさいんだから。
ついでに提案。「まちづくりモンペ」ってどうよ。

なお、復興まちづくりコンペの応募要項はこちらから。全22頁のPDFファイル。大容量ですが関心のある方はご覧ください。

復興まちづくりコンペ応募要項

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一年前のこと

昨日で仕事を納めたところも多いようで、今朝の東京は電車もだいぶすいていました。

昨年は30日午前9時ごろの新幹線で東京をたち気仙沼に向かいました。たしか、一関で大船渡線に乗り換えようと思ったら、ダイヤ変更か勘違いで一時間待つこととなり、特急バスに変更したんだ。

年が明けての元日は、ホテル観洋の温泉に行きました。母と兄夫婦、私たち夫婦の5人。休憩室でもゆっくり。そして5時からは「えびす振舞」(えびすぶるまい)で菊田裕美君(3年1組)、澤井充(みつる)君(4組)らと飲みました。カウンターのなかに阿部和義君(8組)がいたのもこのときだったかな。私は店にマフラーを忘れてしまい、翌日、預かってくれていた澤井君のところにとりにいったんだ。澤井君の家をこのとき初めてたずねましたが、被災していまはもうありません。

東京に戻ったのは1月4日。魚町の実家から近いので鹿折唐桑駅から乗車しました。今の鹿折地区の惨状はみなさんご存じのとおりです。

当時、母が気仙沼でひとり暮らしていましたが、すでに仙台のケアハウスに入居を申し込み、部屋があくのを待っていました。2月の気中20回生の還暦祝い会までは、気仙沼でなんとか頑張って、その後は仙台へという母の考えでした。
ですから、正月に家族みんなが気仙沼に集まるのはこれで最後かもねと話してはいたのです。そして6月にケアハウスに入居することができました。被災者優先の枠があったようです。

すべて計画通りといえばその通りなのですが、大きくなにかが違っている。
あれが、気仙沼での最後のお正月だったのだなあと。いまあらためて思い出しています。

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信号機復旧映像

昨日、気仙沼の交通信号の話を書きましたが、 TBSがそのニュース映像をユーチューブで公開していました。

ニュースはこう伝えています。
「住民らが待ち望んでいた信号機が25日、ようやく復旧しました」「気仙沼市内の路上には、先週まで、警笛を鳴らす警察官の姿がありました。街の中心部では地盤のかさ上げ工事などもあり、信号機の復旧が大幅に遅れました」
そして最後は「気仙沼市内の信号機はおよそ7割しか復旧しておらず、住民が本当に安心して暮らせるようになるには、しばらく時間がかかりそうです」と結んでいます。

また、このニュース映像では茨城県警の皆様による交通整理が紹介されていました。
ご苦労さまでした。

(配信終了)

信号復旧もさることながら、私にとっては、南町のちょっとした風景がうつっているのがありがたい。南町の日山商店の角から七十七銀行やフヂノ薬局方向を撮った映像とか、マスヤ前から森田医院方向を望む風景、ナガサワもうつる大堀銀座交差点など。私にとっては〈最新の貴重な映像〉です。

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佐々木徹君から

25日の日曜のお昼、佐々木徹君(3年1組)から電話をもらいました。徹君は同じ旧魚町5区の幼なじみです。
「南町紫市場が昨日オープンしたんでね。今お昼の休憩なんで電話してみたんだよ。おかげさんで昨日も閉店までお客さんも途切れることなく、いいスタートをきれました。本番はこれからだけどね」

51店舗からなる南町紫市場にもはあさひ鮨さんも出店しています。徹君は南町あさひ鮨の役員。義兄の村上力男社長は、紫市場を運営するNPO法人「気仙沼復興商店街」の理事長もつとめています。村上理事長の南町紫市場オープンまでの苦労は並大抵のものではなかったでしょう。

徹君が続けます。

「最近のニュースを伝えると、魚町や南町の主要交差点の信号の灯りがつきました。って、これがやっぱトップニュース(笑)。6~7カ所かな。そう、やっとだね。道路の信号がついたって喜んでるんだから、まいっちゃうけどさ。最近は交通量も増えていたんだよ。信号がないんで、ほかの県警の応援で交通整理をしてもらっていたのさ。たとえば坂口の交差点でも岐阜県警の若い警察官とかがね、寒いなかでマフラーを首にまいて頑張ってくれてたわけ。正直、大変だったと思うよ。ホントご苦労さんだった。でも、これであの人たちも帰れるかもね 」

「魚町や南町の復興計画はこれからだねえ。市では、町づくりのアイデアを募って来年の3月ごろまでには決めたいということのようだ。紫市場も2~3年として、問題はその後だよね。南町もあさひ鮨の通りの手前までは潮があがってくるわけだから、どうしたってかさ上げが必要。そうなると時間もかかるし、それができあがってから考えるのでは遅くなるしね。それと県の堤防計画のこともあるしさ。堤防は、陸前高田やほかの地域と気仙沼とは条件が違うと思うんだよね。我々からすると、とんでもない話だと思うんだけど」

紫市場の開店を祝い、交通信号の灯りに喜び、岐阜県警の若い警官の苦労をしのぶ。そして、巨大堤防の計画にあきれ、将来の本店計画に思いをはせる。佐々木徹君、還暦60歳。なかなかに忙しいようですが元気です(笑)。

徹ちゃん、またニュースを伝えてくださいね。ありがとう。

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Xmasの甘き香り

一昨日12月24日の気仙沼復興商店街「南町紫市場」のグランドオープン、そして続く昨25日も大盛況だったようです。よかったですね。ネット上の会場写真をみると、クリスマスということもあって、素敵な女性がサンタクロース姿でお手伝いをしています。ボランティアの方々もこのオープニングをいろいろと手伝ってくださったようです。いつも本当にありがとうございます。

田中前で店を再開した小山隆市君(3年6組)のコヤマ菓子店も、クリスマスケーキの予約数が昨年以上だったそうですよ。なによりのことです。

50年近く前、私たちが小学生のころ、クリスマスが近くなるとお菓子屋さんの店頭に大きなデコレーションケーキが飾られました。通学の朝、私の家は魚町でしたので、まずは「いもや」のケーキをながめます。そして、大堀銀座交差点角の玩具店「ナガサワ」のクリスマスの飾りに彩られたウィンドウを見たあと、南町紫神社前のいかせんべい「谷村」菓子店のケーキを採点します。

だいたいは、当時の気仙沼の大店(おおだな)「いもや」のデコレーションケーキの方が大きく華やかだったような記憶があります。でも、たまに「今年は谷村のほうがいい」こともあったようです。

「イモヤノヨリ、チョットチャッコイケント、コイヅノホウガイイ」

単なる大きさ高さの競争ではなく、ちょっと小さいけれど、谷村のケーキのほうに品の良さとかクオリティ感を感じることがあったのかもしれません。オダ君の成長のあかし。

小学校高学年か中学になると、母がケーキを焼いてくれるようになりました。「ピース」印のガスレンジ上置きタイプの天火(てんぴ/オーブンのことね)を使いました。
はじめはバタークリームです。私も平たいステンレスの口金からクリームを絞り出し、バラの飾りに挑戦しましたが、なんか開ききったハスみたいなバラになりました。
何年かたつと生クリームが登場。当時の気仙沼では、お店では生クリームを売っていませんでした。毎朝の配達をお願いしている牛乳屋さんに前もって頼んでおくのです。すると赤い字で「吉田牛乳店」と記されたいつもの瓶に入った生クリームが、イブの日に届くという段取りです。

それと、思い出すのはクリームかスポンジにたらすバニラエッセンス。まさにケーキのおいしさのエッセンスが詰まっていました。今でもあの小さなキャップをはずした瓶の香りをかぐだけで、かなり気持ちよくなれるはずです。甘く危険な香り(笑)。

マドレーヌに一滴たらし、紅茶にひたして食べてみましょうか。
きっと、失われた幼いころの記憶がよみがえってくるでしょう。

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Xmasソング

今日はクリスマスイブ。気仙沼の同級生たちになにかクリスマスソングをと考えているうちに、教会内の十字架がうつっていた映像を思い出しました。気仙沼出身の畠山美由紀さんの5枚目のCD「わが美しき故郷よ」のアルバムタイトル曲ライブ映像です。

場所は、キリスト品川教会グローリア・チャペル。ランブリング・レコードによる公式プロモーションビデオですので、心おきなく何度でもお聴きください。約4分間のクリスマスソングです。



「Fragile(フラジャイル)」と題するこのライブは、11月17日に畠山美由紀ソロ・デビュー10周年ライブとして行われたもの。Fragileとは「こわれやすい、はかない」といった意味のようです。

気仙沼のみなさんに東京から。
メリークリスマス。

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明日は紫市場

明日12月24日は、いよいよ気仙沼復興商店街「南町紫市場」のグランドオープンです。紫神社に避難していた南町の商店街の方々をはじめとする7棟全51店舗がやっとのことで再開します。

ネットの「気仙沼復興印刷隊」に、24・25日のチラシがアップされていましたので、そこから両日のイベント内容を紹介します。

24日(土)は10:00からオープニングセレモニーがあります。八幡太鼓によるオープニング太鼓や弁天連御輿渡御など。11:00に店舗が開店。1:30からは安田智彦バンドJAZZライブ。4:30からはゴスペルライブも予定されています。
25日(日)のステージは、11:00から気仙沼が生んだアイドル「SCK45」、11:30からは元気なダンスパフォーマー「躍力」&ジュニアダンサーズ、12:00からは気仙沼高校ダンス部、1:00からはフォークソングライブです。

24日と25日は、五右衛門ヶ原運動場、鹿折中学校、主瀬中学校の3カ所の仮設住宅と会場を結ぶ無料送迎バスが運行されます。詳細は当日のチラシをご覧ください。

この仮設商店街は、はじめは9月には開店したいとの計画だったように思います。それが10月そして11月へと準備には多くの時間がかかり様々な苦労があったようです。それでもなんとか年内にオープンできて本当によかったですね。
店舗の皆様、そしてすべての関係者の皆様、明日の無事のオープンと今後の商売繁盛を心から願っております。まずは、おめでとうございました。

南町紫市場OPENチラシ

入居店舗一覧表

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魚町「福よし」

先週14日、ビッグコミックスピリッツの「美味しんぼ」に登場した畠山重篤さんの話を紹介しました。そして今週19日発売号の「美味しんぼ」では、魚町の「福よし」さんがとりあげられています。

「福よし」は炉の炭火で焼く魚が人気で、気仙沼だけでなく遠来のお客さんも多かったお店です。実家の近所でした。今回の一頁目にも「多くの人に愛された、日本一の焼き魚の名店!」と記してあります。主人公の山岡らが以前訪れたときの話は、単行本第86集第3話「わざわざ!? 焼き魚」に収録されているとのことです。



今回、山岡らは「福よし」のご主人である村上さんを自宅にたずね、津波の様子などを話してもらいます。そして村上さんが「息子に撮らせておいたビデオがあるので見てください」といって紹介した映像の絵をみて、私はアレッと思いました。なんか見たことがある。

5頁にわたって描かれた7カットの画面をすべて見てわかりました。以前このブログでも紹介した避難する私の母がうつったビデオ映像です。あれは福よしの息子さんが撮影したビデオだったんですね。

私も印象的だった女性の「え~え~。夢じゃないよねえ。ちょっとなにこれ。え~え~」という言葉も紹介されています。いまあらためてこのビデオ映像を見ましたが、本当にものすごいとしか言いようのない津波です。

9月10日ブログ「母の見た風景」 この中のVol.1の映像

「福よし」さんの店もこの津波で被害を受けました。店のなかはめちゃめちゃになっています。何十年も使いこみ蓄積した灰も全部流されてしまいました。しかし村上さんは語ります。「来年の春くらいにはここで始めよう」「絶対に再開するよ」

この取材はいつだったのでしょうか。「福よし」のあった場所は瓦礫が処理され、今はもうなにもありません。

1月4日発売の次号では、気仙沼港、石巻港の話です。

12月14日ブログ「畠山スピリッツ」

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世界の唐桑物語

12月8日発売の雑誌『世界』(岩波書店)1月号から、気仙沼市唐桑に関する5回にわたる新連載が始まりました。

「唐桑物語~海と生きる100年の知恵」。筆者は、瀬戸山玄(せとやま・ふかし)さんです。瀬戸山さんには、これまでも『唐桑・海と森の大工』(INAX出版)という唐桑関連の著書があります。

この連載を岩波書店のウェブサイトではつぎのように紹介しています。
「宮城県北端、三陸沿岸に小さく突き出た唐桑半島は、大小合わせて30近くの入り江をもつ。海と森に恵まれたこの地では、魚や鉄、船にかかわる生業(なりわい)がいくつも育まれていた。歴史を振り返りながら、時間とともに積み重ねられてきた一つ一つの技と記憶を、全5回にわたって、丁寧に紹介する」

連載の第1回目は「里海の木造船大工」ということで、宿浦の大原造船所の船大工である岩渕文雄棟梁の話です。

岩淵さんは、気仙沼・唐桑地区で最後の船大工といわれた方です。畠山重篤さんの三隻の木造和船「あずさ丸」も岩淵棟梁の手によるものであることは畠山さんの著書にも書かれています。
2004年にINAXギャラリーで開催された「唐桑・森と海の大工展」という展示会では岩渕さんを招いてのイベントも行われました。当時かなり話題になり、私もぜひ行こうと思いながらも見のがしてしまいました。瀬戸山さんの著書『唐桑・海と森の大工』は、同展の図録として発刊されたものです。この展示会は大変すぐれた内容なので、あらためて紹介します。

岩渕さんについては次回にかけて詳述されるようで、今号の前半では、海と森に恵まれたこの地の漁業史が語られます。内容は雑誌をお読みいただくことにいたしますが、なるほどと思った話をひとつだけ。

気仙沼湾には、鹿折川と大川が大量の真水と堆積物を山から運びこみ、かつては広い干潟(ひがた)があったそうです。そして地名「気仙沼」の「沼」はこの干潟にちなんだものだというのです。
「気仙沼」の語源は、アイヌ語の「けせもい」由来ほか諸説あるようで、「鼎が浦」が沼のように見えたためという説は私も聞いたことがあります。海がなんで沼なんだと思っておりましたが、「干潟」があったと聞いて納得できました。

この連載記事の今後にも期待したいと思うのですが、収録されている地図(164頁)には問題があるようです。「南三陸町」という地名記載があるので現時点での地図と思ってみると、「気仙沼町」「陸前高田町」「石巻町」「女川町」などと記してあります。たぶん時代が混乱しているのでしょう。筆者・編集者はすでに誤りに気づいているとは思いますが、念のため確認を求めておきましょう。

『世界』の唐桑物語。ぜひに。

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GLAYの気仙沼

GLAYの最新プロモーションビデオは気仙沼の映像です。

ロックグループGLAY(グレイ)のクリスマスアルバム「Hope and The Silver Sunrise」が12月14日に発売されました。5曲が収録されているのですが、最後の曲「君にあえたら」のプロモーションビデオ(PV)が震災後の気仙沼で撮影された映像で構成されています。まずはご覧ください。約7分間です。



作詞と作曲は、ギター担当のTAKURO(タクロウ)。以前、テレビのドキュメント番組で見たのですが、音楽に対する姿勢がちょっと真面目すぎるのではないかと感じるぐらいでした。GLAYのメンバーの多くは北海道・函館出身です。東北の被災についていろいろ考えたことが、このPVにつながっているのでしょう。ありがとうございます。

TERU(テル)のボーカルでは聴き取りにくいところがあるかもしれません(失礼)ので、後半の歌詞を紹介しましょう。当方で改行省略を行っております。

君にあえたら
作曲︰TAKURO
作詞︰TAKURO

(申し訳ありませんが前半略)


君にあえたら、君にあえたら 何もいらない もう何も…
君にあえたら、君にあえたら 何もいらない もう何も…

涙ひとつ見せず大きな悲しみ乗り越えたあの人に
『僕は夢がある』と旅立ち もう二度と帰らないあの人に
キツイ仕事それでも毎日毎日戦ってるあの人に
泣き止まない子供をあやしながら 空を見上げていたあの人に
安いウィスキー 煽りながら
深いため息ついてたあの人に
いつまでもいつまでも娘の帰りを待ってるあの人に
あなたを産んでくれた かけがえのない優しい笑顔のあの人に
あなたの誕生を誰よりも誰よりも
誰よりも喜んだあの人に

そして伝えたい ありがとう 今伝えたい 僕も愛しています


GLAYの歌詞紹介は以上なのですが、曲名「君にあえたら」を見ると、私はどうしても大瀧詠一(おおたきえいいち)さんの作詞・作曲による「夢で逢えたら」を思い出してしまいます。シリアポールさんや吉田美奈子さんが歌っています。

詳細は略しますが、次の歌詞が5回リフレインされます。

夢で もし逢えたら 素敵なことね
あなたに逢えるまで 眠り続けたい

歌詞を読むだけであのメロディーがうかんできます。名曲です。たまりません。

12月9日ブログ「FNS歌謡祭」

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暖飯器の季節

気仙沼はずいぶん寒くなっているみたいですね。ヤフーの天気予報をみると今日19日の最高温度は3度、明20日は1度となっています。東京は、両日とも10度です。

私たちが気仙沼小学校に通っていたころ、教室の暖房はだるまストーブでした。燃料は薪(まき)です。冬が近くなると、校庭のはじっこに積み重ねられた薪を、みんなで各教室に運びます。薪は直径30センチぐらいに針金で束ねられていました。記憶があいまいですが、1階であれば校庭側に置けるけれど、2階は廊下側に重ねたのでしょう。

中学校にあがると石炭ストーブになりました。1年2年は普通の黒光りする石炭でしたが、3年になるとコークス。小さな穴が沢山あいていて軽石を重くしたような感じでした。手で持っても汚れがつかず、軽いのに高温になるという「高性能石炭燃料」です。

ストーブの記憶と重なっているのが「暖飯器(だんぱんき)」。簡単にいえば弁当あっため装置です。1メートルぐらいの高さの囲いの真ん中に炭の火鉢が置かれ、そのうえにスノコ状になった置き台が3段ぐらい重ねられています。その台に弁当箱を置いて暖めるというしかけです。蒸し器のでかいやつというイメージ。

朝、火鉢を廊下に出しておくと、用務員のおじさんが炭火を入れていきます。それを当番の子が暖飯器の下部にセット。休み時間にみんな急いで弁当をおさめます。ちょうどいい温度になる場所があるんだ。場所によっては熱くなりすぎます。

ずいぶん前のことになりますが、兄と暖飯器の思い出話をしたことがあります。

兄が言うには「納豆をいれてきたやつがいてさ。ものすごいんだ、匂いが」と。
そしてこんな話を続けました。
「弁当の中身が回りに見えないように、包んできた新聞紙で囲んで食べている生徒がいるんだよ。のぞいてみたら、ろくなおかずが入っていないのさ。なんかなあ、正直かわいそうな感じがしてさ。結構いたんだよ、そういう生徒が」

兄は私たちより4学年上の気中16回生です。
日本全体がまだまだ貧しい時代。納豆だけでなく、敗戦国日本の匂いがただよってくるような話です。

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続/石山修武さん

建築家・石山修武(おさむ)さんについて、12月7日の話の続きです。

石山さんはリアスアーク美術館の仕事で日本建築学会賞を受賞しましたが、その10年前1985年には「伊豆の長八美術館」で、吉田五十八(いそや)賞を受けています。そして、この仕事を終えたあと「縁あって気仙沼市に呼ばれていた。マア言ってみれば気仙沼市の食客だった」とご本人が書かれています。

食客とは、才能のある人物が有力者に客としてもてなしてもらい、必要に応じてその能力を彼らために活かす人、といった意味でしょうか。私の記憶では、当時、臼福の臼井賢志さん(現・気仙沼商工会議所会頭)などが、石山さんをよく招いてまちづくりの意見をいただいていたはずです。

気仙沼市内でのまちづくり構想はなかなか進展しなかったようですが、1988年には、唐桑の小鯖の旧かつおぶし工場を利用した町おこしイベント「唐桑臨海劇場」を開催します。「それは6年程続き、そして力尽きた」(本人記)

私自身はこの唐桑臨海劇場を一度も見たことはないのですが、デザイン雑誌『ポートフォリオ』1990年6・7月号に詳しく紹介されていました。今も切り抜きを持っています。その記事「大きな夢を見る海のそばのまちづくり:唐桑町」では、石山さんの「1992年のスペインのセビリア万博に唐桑としてなにか出展できないか」という構想も語られています。
その後の経緯はわからないのですが、10年ほど前だったでしょうか、気仙沼の高校生数名がスペインのセビリアだったかバルセロナに派遣されたという新聞記事をみて、あの石山構想の流れだなと勝手に想像しておりました。

『ポートフォリオ』誌の記事によれば、石山さんは気仙沼の出港岸壁での「海の道づくり」プロジェクトも計画しました。これは「セルフ・ビルド」、つまり行政に頼るのではなく、市民自身の力で500メートルほどの並木をつくり、その始まりと終わりにはシーフードレストラン街と魚センターを持つホテルをつくろうというものです。
1987年に描かれたイメージ図をみると、プラザホテル下に位置するレストラン街には大テントをかけて、台北の屋台街のようなアジアのにぎわいを演出しようとしています。震災後、その近くに屋台村ができていることを思うとい奇妙な思いがします。

また1988年の模型写真では、陣山というか米国山(べいこくさん)のあたりに大きな建築物が計画されています。私の実家だったところの裏山です。このときの経験が、震災後の「気仙沼陣山地蔵堂会所(鎮魂の御堂)」につながっているのでしょう。

少し長くなり過ぎました。続きはまたあらためて。

12月7日ブログ「追悼と鎮魂の祭」

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あざら Part2

昨日の「あざら」の件。いろいろな情報を頂戴しました。ありがとうございます。
ま、気仙沼の一般家庭でつくる材料としてはメヌケなんでしょうが、商品としてお客様にお出しするものとしては、吉次とか金目とかも。ということで。

ブログの中でも紹介したオヤマさんは、斉吉さんのあざらを「昨年、震災前に、伊勢丹で買いました。和枝ちゃんが、“東京の人にも食べてもらえるように”と工夫されているそうです」と教えてくれました

ほかの方のツイートでしびれた言葉は、白菜の古漬けの「すっかぐなったやづ」。酸っぱくなったやつ。またある人は「すっかぐなるちょっとまえのやづ」がうまいのだといいます。あざら、微妙っつうか、かなり難しいところ狙ってますね。

私たちの小さなころは、それぞれの家で漬物をつけていました。私の魚町の家にも裏のほうに樽が置いてありました。だから、春先の「すっかぐなったやづ」もありふれたものだったのでしょう。でも、今つくるとなると古漬けもなかなか大変ですね。

中学や高校のころ、学校がおわって帰宅すると、茶の間に近所の人、母の知人たちが集まって「ハナシッコカダリ」してました。話語り。五十鈴タクシーのおばあさん、鼈甲屋や徹ちゃんちのお母さん、三浦さん、小梨さん。いやあ目にうかびます。そして話の輪の真ん中には漬物の皿。

私が好きだった漬物は、大きめの大根を半月型に切ったもの。外側の皮が少し黄色くなってました。なんて言うんだろうか。カリカリっとしてホントうまいんだ。おばちゃんたちの話を聞きながらこれをいただきます。長茄子もよかったな。

あの気仙沼のなつかしい風景は「オヂャコノミ」。お茶飲み。
英国ではティータイムと呼ばれています(笑)。

12月15日ブログ「あざら」の件

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tag : あざら 気仙沼

「あざら」の件

昨日、『美味しんぼ』の話を書いていて、大島・宮古屋の熊谷雅裕君が電話で話していたことを思い出しました。「おふくろは『美味しんぼ』でも紹介されているんだ」。おふくろさんとは、熊谷すん子さん。たしか「あざら」の話。調べてみるとたしかにありました。第78巻「日本全県味巡り宮城編」(3)。ほや・あざら・ワカメの芽株。これだな。
5~6年前かなあ、すん子さんが雑誌であざらを紹介しているとの記事が三陸新報にのりました。雑誌は『栄養と料理』じゃなかったかな、図書館で借りて読んだことを覚えています。

ついでにほかのネット情報を調べてみると、「気仙沼を元気にする会」のお世話役でもあったオヤマさんの1999年9月13日のブログにこんなことが書いてありました。

「(前略)しかし、グルメ番組で取り上げられた「あざら」は、具にいいものを使っていて、地元民は、口をそろえて「そんなのアザラでねぇ~おん」と言った(とか、言わないとか)。

「美味しんぼ」にも「あざら」が取り上げられ、その中に「吉次を使う」とあるが、それはまったくもって論外だ、というのはイサヲさん。イサヲさんの母上は、やはり材料にこだわりを持つ一人だ。

基本的に、残り物で作る「あざら」は、白菜の古漬けが出来る春先と決まっている。それで私が帰る盆・正月の料理には出ないことが判明した。 」

まあね、やっぱメヌケのアラでねえと、ということなのでしょう。

気仙沼の斉吉商店さんの商品ラインナップに「あざら」が加わったことを知ったのは1~2年ほど前になるでしょうか。斉吉商店の専務、斉藤一枝さんのツイートによれば、今年は昨年よりも一カ月遅れになったものの今月16日(明日ですね)に室根で「あざら」用白菜の漬け込みを行うとのこと。室根の白菜はとってもよいのだそうです。斉吉さんのネット店をのぞいてみると、昨年のあざらは、男山の吟醸酒粕を使ってますね。魚は金目鯛と書いてありました。

気仙沼伝統の家庭料理が、東京・新宿「伊勢丹」の売り場にならぶ日も近いかな。
酒粕や麹など発酵ものは、いまとっても人気ですしね。多くの人に気仙沼の食文化を知ってもらう良いきっかけになって欲しいと思います。

あ、ごめんなさい。気仙沼以外の人には「あざら」がなにかわかりませんよね。
ウィキペディアにはこうありました。
「あざらは、バラメヌケ(メヌケ)のあらと白菜の古漬けを、酒粕と共にトロ火で煮込んだもの。宮城県の気仙沼地方の料理。元々は旧正月に各家庭の残り物を煮たところから始まったと言われる。また、春を迎えて白菜の処理に困った家庭で考案されたという説もある。現在、一般家庭ではほとんど作られていない。小料理屋で出される程度である。」

あざらin Wikipedia(笑)。

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tag : 気仙沼 あざら

畠山スピリッツ

NHKでの日曜月曜と連続しての畠山重篤さん登場のテレビ番組、いずれもよかったですね。ただ、畠山さんが少し体調をくずしているのが気になりました。さすがに疲労もたまっているのでしょうか。とにかく、お身体をお大事にと思います。「プロフェッショナル 仕事の流儀」の再放送は12月16日(金)午前0:15~1:03(木曜深夜)です。

さて、月曜12日発売のコミック誌「ビッグコミックスピリッツ」の人気連載『美味しんぼ(おいしんぼ)』にも畠山重篤さんが登場しているとネットで知り、今朝さっそく買ってきました。

ネット上にあった誌面画像 (@hiiragi1988)

第602話「被災地・めげない人々7」。
かつて取材した畠山さんの水山養殖場をふたたび訪ねるという設定です。前回取材の話は単行本第46集第2話「牡蠣の旬」に収録されているとのこと。
ホテル観洋を出発した車中で、山岡らは畠山重篤さんの母上、小雪さんが津波で亡くなったことを知らされます。そして、前回訪問時に小雪さんがつくってくれた美味しいホタテご飯を思いだします。
現場に到着後、畠山さんが山岡、ゆう子さんらを案内します。唐桑・舞根(もうね)の風景や被災の現場が大変ていねいに描かれています。

畠山さんは語ります。「海はぜんぜん壊れていないんですよ。牡蠣の餌のプランクトンも、もう十分にあるので、こじんまりと少しずつでも始めます。ただ、原発事故による放射能の影響が心配です」

話のなかでは、「森は海の恋人」の23年目の植樹祭が6月5日に行われることも紹介されていました。

舞根を出た山岡らはつぎに魚町の「福よし」へ向かいます。以前、日本一の焼き魚の店として紹介したのだそうです(86集3話)。案内する方が「福よしの村上健一さんはお元気です」と語りますが、はたして「福よし」の店はいま・・・・。
19日発売の次号にて(笑)。

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防潮堤もろもろ

10日のブログ「防潮堤のその後」に、“この問題、三陸新報をみていてもよくわかりません”と書いて帰宅し、届いていた三陸新報をみると「防潮堤整備などで質疑」という見出し。気仙沼市の震災復興計画・復興事業についての説明会が7日にスタートしたという記事でした。

約200人の出席者に、復興計画の概要や事業について説明がなされたあとに質疑。「県は高い防潮堤を整備する計画だが、景観面が心配だ」などの質問に対して、市当局は「安全保護のために作るという基本原則はあるが、その位置や防潮堤に代わる安全対策があるかなどを踏まえて進める。必ずしも全て海面沿いに高い防潮堤を整備するものではない。今後の整備にあたっては、安全を確保した上で、地元の意見を取り入れたまちづくりを進める」などと答えたとのことです。(以上、12月8日付三陸新報より)

昨日12日の朝、テレビのチャンネルを切り替えたら日本テレビ(気仙沼ではミヤギテレビ)「スッキリ!!」で「検証…被災地の今後」というテーマを扱っていました。途中からみたので、その前の被災地取材VTR紹介は見られませんでした。どうも防潮堤のことをとりあげていたらしく、スタジオの二人が次のように語ります。

勝谷誠彦さんは「高い防潮堤をつくっても大津波を防ぎきれるものではない。津波は高さよりもすさまじいエネルギーのほうが怖い」、テリー伊藤さんも「山に避難しやすいように幅の広い道路を整備することも大事」などと、いずれも高い防潮堤に依存することには疑問ありとの発言でした。

防潮堤はあくまで国と県の建設計画です。実際のところ、いつまでに市の方針を決めなければいけないのでしょうか。10月28日のテレビ朝日「モーニングバード」では、年内に市としての方針を県に示さなければならないと伝えていました。

東京でテレビや三陸新報をみては、
ナンダレカンダレカダッテガラニ。
ヒマタレダゴド。

なんやかやと語ってみたり。
ひまなんですね(笑)。

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同級生の店再開

12月10日土曜日、気仙沼の田中前2丁目12-3に「気仙沼さかなの駅」がオープンしました。佐藤淑子さん(3年11組)がさっそく行って、メールをくれました。

「10日は神山側沿いにできた「さかなの駅」のオープン。10分前の8時50分には花火が上がりました。平塚君のお店もあるので行ってきましたよ。仕事帰りの1時半ころだったのですが、駐車場も施設内もお客さんがいっぱい。平塚君も元気にマグロをさばいていました。
「魚が販売の台のここまであったのに売れて、午前中でなくなっちゃった。明日はどうしよう?」と嬉しい悲鳴をあげていました(^_-)-☆
11日の新聞には、平塚君の奥さん昭子さんの「9か月は長かったけど、こうして懐かしい顔にもあえてありがたい。一生懸命がんばらないと」と笑顔を見せていたとのコメントが紹介されていました。以上、報告でした 」

淑ちゃん、いつもありがとう。

三陸新報に「気仙沼さかなの駅」の広告がのっていました。平塚一信君(1組)の平塚商店(電話0226-24-1531)や、酒のサイシン、生鮮館やまひろなど、以前の水産物流通センターで営業していた店など9店が出店しています。社会貢献や地域活動の拠点としての「ボランティアステーション in 気仙沼」も設置されるようです。

「さかなの駅」NHKテレビニュース 映像も見られます。(配信終了)

9日の三陸新報には、斉藤(広沢)高史君(8組)の奥さん、みき子さんの店「喫茶 エスポアール」(電話0226-23-8666)が10日に営業再開するとの広告が出ていました。移転先は田谷11-1。気仙沼信用金庫南支店向かいです。いろいろ準備をしてやっと仮設店舗を開店することができましたね。高史君の仙台・利府でのジム再開はどうなったかな。あとで電話してみましょう。

10月3日ブログ「愛の復興大作戦」

平塚君、斉藤君。まずは開店、本当におめでとう。商売繁盛を祈ります。

どうぞ皆様、ぜひお立ち寄りください。
鰹・鮪・鮮魚は平塚商店。
喫茶・スパゲッティはエスポアール。

お待ちしております。

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防潮堤のその後

気仙沼の防潮堤問題はその後どうなっているのでしょうか。

11月下旬、テレビでまた気仙沼の防潮堤の件をとりあげていたようです。私は見られませんでしたが、ツイッターにこれを見た人の感想がいくつか流れていました。それを読んで意外な印象を受けました。

それらを要約すれば「気仙沼では一部の観光業の人たちが商売のことを考えて防潮堤に反対しているようだが、生命と商売を比べれば、命が大事に決まっているのではないか。防潮堤をつくるしかないでしょう。漁業関係者も賛成しているみたいだし」といった感じが多いのです。なにか、反対する人は命よりお金を選んでいるみたいな。

おいおいちょっと待ってくれよ。ちょっと違うんだよ。だって、お金を選ぶなら、巨大な防潮堤建設のための予算が大きい公共事業のほうがいいじゃない。気仙沼にどれだけお金がおちるかは別として。復興特需とか言ってさ。もう1メートル高くすっぺし(苦笑)。

オダクン、ナニソンナニオゴッテンノッサ。
いや別におこっているわけじゃないよ。いまはもう気仙沼市民ではないし。
でもね、自然の力はあまりにも大きく、そして人の命がなによりも大事だからこそ、防潮堤の高さに頼ってはいけないのではと。津波を甘くみずにきちんと逃げることを考えたい。そして高齢者や身体が不自由で逃げることができない人のことを考えたいと思うのです。

10月26日かな、気仙沼市震災復興市民委員会の勉強会で、防潮堤に関して県の担当者10数名と市長・副市長はじめ市役所の方々の意見交換がなされたそうです。さらにその後の動きを待ちたいと思います。

この問題、三陸新報をみていてもよくわかりません。市民の意見が様々であることは当然のこととして、市民にその代表として選ばれた市議会の姿がみえてこないのが残念です。

9月27日ブログ「6.2Mの防潮堤?」
10月14日ブログ「高すぎる壁」
11月2日ブログ「再び防潮堤の件」

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FNS歌謡祭

一昨日12月7日、テレビ番組「FNS歌謡祭」を見ました。東京ではフジテレビ。
午後7時から4時間をこえる生放送です。私は8時過ぎの「きよしのズンドコ節」あたりから。昨年はじめてこの番組をみて、結構楽しめました。紅白よりよっぽどいいやと。
本日はそのなかから、歌詞でつづる気中20ベストスリーのご紹介です。

まずは小林旭さんの「熱き心に」。私の大好きな大瀧詠一さんの曲です。作詞は阿久悠さん。鈴木雅之さんと歌います。

北国の旅の空 流れる雲 はるか
時に人恋しく
熱き心に 時よもどれ
なつかしい想い つれてもどれよ
ああ春には花咲く日が ああ夏には星降る日が

(やっぱしいいねえ。そしてさらに続きます)

ああ秋には色づく日が ああ冬には真白な日が

和田アキ子さんも良かった。たしか昨年は自分の曲の歌詞を間違ったんだよね。そのせいか緊張して歌います。曲は「あなたには希望の匂いがする」という歌詞が印象的な「あの鐘を鳴らすのはあなた」。作詞はこれも阿久悠さん。匇永英明さんと。

町は今 眠りの中
人はみな 悩みの中
町は今 砂漠の中
人はみな 孤独の中

これらの詞のあいだに「あの鐘を鳴らすのは あなた」と和田さんが歌います。

ラスト近くには、来日中のベン・E・キングさん。自身の詞と曲「Stand by Me」をAIさんらと。さすがにしぶくてとてもよかった。

I won't cry, I won't cry

No, I won't shed a tear

Just as long as you stand

stand by me


泣きはしない 泣きはしない

涙なんか流さない

君がいてくれさえすれば

君がそばに いてくれさえすれば


みんなに愛されてきた詞や曲はやはり心にしみてきますね。
FNS歌謡祭。よかったぞ。
一部、ハーモニーというか歌唱力に疑問のあるグループもいたけれど。許す(笑)。

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ハナちゃん

先週のある日、テレビを見ていたら鹿折地区の「気仙沼ほてい」や「ヤヨイ食品」の看板がうつりました。ひとりの女の子が「コの字岸壁」でボールをけっています。津波ですっかりやられた魚町海岸通りから入沢方向をながめた風景も。

手帳で有名な高橋書店のテレビCM「ハナちゃんにまけるな。」でした。
渋谷駅にも大きなポスターが貼られていました。気仙沼小学校の校庭で気中体育館を背景にした女の子の胸には「KESENNUMA SHARKS」の文字。



高橋書店の報道資料からこの広告の背景を紹介します。

小学校6年生のハナちゃんは、小学生サッカーチーム「気仙沼シャークス」のキャプテン。高橋書店と彼女との出会いは、6 月に同社が被災地支援活動としてサポートした子ども向けサッカー教室です。そして同社が年末の広告で「日本に元気を届けたい」と考えていたときに頭に浮かんだのが、気仙沼で出会った一人の女の子、ハナちゃんの笑顔でした。

「キャッチフレーズは〈ハナちゃんにまけるな。〉けれどもハナちゃんは、特別な女の子ではありません。日本中には、同じように前を向いて毎日元気にがんばるたくさんの子どもたちや大人たちがいるはずです。この言葉には「そんなたくさんの“ハナちゃん”にまけない明るさと元気で、一緒に2012 年を盛り上げよう」というエールを込めています」

撮影では、ハナちゃんはもちろんのこと、ご家族、チームのコーチ、友だち、町のみなさんが本当にあたたかく協力してくれたとのこと。
「撮影が進むうちにすっかり打ち解けてしまい、別れる時には涙を浮かべる人も。美しい風景に囲まれる気仙沼は、暮らす人たちもみな優しく、いつか必ず再訪したいと強く思わされました」

インターネットの高橋書店特設サイトでもテレビCMが見られます。後日、スペシャルムービーとアルバムもアップされる予定です。

ハナちゃんにまけるな。
手帳は高橋(笑顔)。

高橋書店特設サイト

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追悼と鎮魂の祭

「気仙沼みなとまつり」についての関係者会議が開かれ、来年の開催を決定しました。今年は、安全面の問題や被災者感情に配慮して中止し、代替イベントとして追悼の思いを込めた「港・けせんぬま復活祭」が開催されました。菅原茂市長は来年のまつりを「復興1年目にふさわしいイベントにしたい」と語っています。


みなとまつりを最後に見たのは、いつのころだろうか。30年以上も前になるか。お盆休みの前ということもあって、この時期に気仙沼に帰ることがなかなかできませんでした。でも、来年のみなとまつりはなにか特別な感じがするし、気仙沼に帰ろうか、などと。

小さいころの祭といえば、「あんばはん」がありました。「あんばはん」とは気仙沼の安波山(あんばさん)のことですが、旧暦3月27日、安波大杉神社への参拝登山の日の呼び名でもあります。現在は5月5日が「ゴーゴーあんばはん」の日。私たちが小学生のときは学校も休みとなり、みんなで安波山にのぼったり、陣山で花見をしたものです。

10月27日の朝日新聞夕刊によれば、建築家石山修武(おさむ)さんが、来年5月5日に気仙沼の仲間と大がかりな安波山の植樹祭を計画しています。石山さんの構想は、気仙沼の漁港を見下ろす安波山に桜と藤の花を植えようというもの。
「毎年、災害が起きた春になると、日本を象徴する桜の花と、鎮魂をあらわす紫の藤の花が山を覆う。そうして大震災で起きたことが、忘れられずに伝わっていく」と石山さん。

石山修武研究室のネットサイトをのぞいてみると、「東北の計画」のなかに、「気仙沼陣山地蔵堂会所(鎮魂の御堂)」や「安波山お色直し荘厳計画」などのスケッチが紹介されていました。いま、銀座の気仙沼アンテナショップの2階に「鎮魂の御堂」の模型を展示しているようです。

石山修武さんと気仙沼の関わりは、たぶん1985年か86年からのことだと思います。そうした関係から、気仙沼のリアスアーク美術館は、石山さんが設計することになりました。この作品によって石山さんは1995年に日本建築学会賞を受賞。51歳のときです。
石山修武さんについては話が長くなります。またあらためて書きましょう。

来年の「みなとまつり」と「あんばはん」。追悼と鎮魂の祭です。


石山修武研究室「東北の計画」 後半に「鎮魂の御堂」スケッチなど

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畠山さんのTV

気仙沼市唐桑の畠山重篤(しげあつ)さんについては、このブログでも2度ほど紹介しています。カキの養殖家で、「森は海の恋人」運動の提唱者でもあります。この畠山重篤さんに関するテレビ放送が、12月11日(日)と12日(月)と連続しますのでご案内します。いずれもNHKテレビ。番組紹介文もNHKサイトからの引用です。

●NHKアーカイブス「震災9か月 気仙沼・唐桑の海で生きる」
12月11日(日)午後1:50~3:05(75分)

震災で大きな津波被害を受けた気仙沼市唐桑。「森は海の恋人」運動の提唱者でカキ養殖の畠山重篤さんをゲストに、新日本紀行などの記録映像を見ながら復興への思いを聞く。
震災で大きな津波被害を受けた宮城県気仙沼市唐桑。古くから漁業が盛んで美しいリアス式海岸が続く唐桑地区は良港に恵まれ、かつては遠洋漁業、今はカキ・ホタテ養殖で知られる。番組では震災から8か月になる現地に出向き、新日本紀行などの記録映像に残された唐桑の風景を見ながら復興への思いを聞く。

●プロフェッショナル 仕事の流儀
「それでも、海を信じている」カキ養殖・畠山重篤
12月12日(月) 午後10:00~10:48 (48分)
再放送は12月16日(金)午前0:15~1:03(木曜深夜)

畠山重篤(68歳)は、宮城・気仙沼でも特別な存在のカキ養殖のプロだ。かつて赤潮が頻発した気仙沼湾。畠山は森に木を植えることで、海をよみがえらせようと努力してきた。
今年、その豊穣(ほうじょう)の海が牙をむいた。東日本大震災の津波は、地区の9割の家をのみ込み、畠山は家族を失った。育てていたカキはほぼ全滅、育んできた海には、がれきや泥が降り積もった。
養殖の再開は、故郷を再生させることでもある。地区の仲間たちがぼう然とする中、畠山はいち早くカキ養殖を再開させることを決意。だがその直後、体調を崩してしまった。海に生きる人々の8か月にわたる格闘の日々を追う。

これまでも多くのメディアで紹介された畠山さんですが、2日連続でNHK登場というのはちょっとすごいのでは。今のうちに録画予約しておきましょう。

5月16日ブログ「森は海の恋人」
7月25日ブログ「牡蠣とヴィトン」

畠山重篤さんの著書はここ

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流行語大賞

今年の流行語大賞は、「なでしこジャパン」に決定したとのこと。
違和感を覚えたのは私だけでしょうか。なでしこが大賞になるなら「3.11」だろうがと。

この賞を少し調べてみました。
正式名称は「ユーキャン新語・流行語大賞」。1年の間に発生したさまざまな「ことば」のなかで、軽妙に世相を衝いた表現とニュアンスをもって、広く大衆の目・口・耳をにぎわせた新語・流行語を選ぶとともに、その「ことば」に深くかかわった人物・団体を毎年顕彰するもの、だそうです。なるほど、関係者に賞をあげる必要があるのね。

1984年に始まったということですから、もう30年近く続いています。1991年から大賞の選定が始まりました。私は、2009年の大賞「政権交代」あたりから「なんかな~」という印象。受賞者は鳩山由紀夫総理大臣。この賞の定義は別として、これが「流行語」なのだろうかという疑問です。

さて2011年のトップテンはつぎの言葉です。
「なでしこジャパン(大賞)」「3.11」「絆」「こだまでしょうか」「風評被害」「帰宅難民」「スマホ」「どじょう内閣」「どや顔」「なでしこジャパン」「ラブ注入」。
10語のうちの5語が震災関連です。そのために票がわれたのかと思いましたが、トップテンと大賞は選考委員会が選ぶのだそうです。選考委員は、姜尚中(東大教授)、俵万智(歌人)、鳥越俊太郎(ジャーナリスト)、室井滋(女優)、やくみつる(漫画家)さんなどです。

私が選考委員長だったらこうします。大賞は「3.11」。受賞者は「該当者なし」。そして選定理由に、震災関連5語の代表語としてと書きますね。頼まれてもいないけど。

たぶん主催者はイベントとしての表彰式に受賞者をよぶことにこだわっているのでしょう。やっぱ大賞受賞者が該当者なしじゃ、やばくね。みたいな(笑)。なお、トップテン中の「3.11」の受賞者は枝野幸男経済産業大臣、当時の内閣官房長官だそうです。

これではこの賞も長いことないな。それと、この大賞を疑問符なしで好意的に伝えるテレビもね。CMスポンサーとしての通信教育「ユーキャン」に配慮しているとしか思えません。

なお、清水寺で書かれる「今年の漢字」の発表は12月12日(月)だそうです。
絆でしょうか(笑)。

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南町復興商店街

南町の気仙沼復興商店街が12月24日にオープンします。
南町にはすでに屋台村がオープンしていますので、混乱しないように整理しておきましょう。

●復興屋台村「気仙沼横丁」
住所は、気仙沼市南町4丁目2-19。柏崎の手前、旧木下冷蔵があったり駐車場だったところです。11月26日にグランドオープン済み。

●気仙沼復興商店街
12月24日にオープン予定。略称は「南町紫市場」です。でも、この略称はなぜかあまり使われていませんね。南町の1丁目から2丁目にかけて7棟が建設され、51店舗の入居が予定されています。門馬亨君の新京や扇屋さんがあったあたりや自由亭近辺だと思います。すべて引き渡しも完了し、各店が内装作業に大忙しの様子。

入居する店舗を少し紹介しましょう。飲食では、あさひ鮨、喫茶マンボ、とんかつ勝子、○安(まるやす)など。物販では、新潟屋刃物店、花久、本間屋酒店、菓子舗サイトウなど。それと、オノトラやコマツなどの理容室も入居します。懐かしい名前がならびますね。
クリスマスイブの日。全店無事にオープンを迎えられますように。

店舗案内図もご覧ください。

(クリックで拡大します)

入居予定店舗一覧表

気仙沼復興商店街「南町紫市場」ホームページ
復興屋台村「気仙沼横丁」ホームページ

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地図の中の風景

昨日1日の夜、NHKテレビの「ブラタモリ」を久しぶりに見ました。途中からでしたが「荒川/柴又」の後編です。

映画「男はつらいよ」でも有名な帝釈天がある柴又。
タモリさんはいつものように古地図を手にして歩き回ります。江戸時代末期、帝釈天の回りはたんぼだったのだそうです。たんぼに水を引くための水路も今は細い道になっており、その両側に建物が連なっています。
そして番組の終わりごろ、CGによって、たんぼだったころの風景と現代の映像を交互に見せてくれました。江戸期と現代のイメージが重なりあいます。

たんぼだけしかない過去と、建物が密集する現在。その映像が、気仙沼の魚町海岸通りの風景と重なりました。屋号をつけた家屋が並んでいたついこの間の風景が今はもうありません。

20年ぐらい前のことを思いだしました。父が骨董屋さんか古道具屋さんで入手した気仙沼八日町近辺の古地図に、現在の森田医院、森田家が記されていました。それを森田先生の奥様(いまの森田潔先生のお母さん)に見せたところ、その時代の地図は持っておらず大変喜ばれたので進呈したとのこと。

地図のなかには、その時代の風景があります。
気仙沼が元気だったころの魚町や南町の町並みが記された地図。それを手にし、自分を育ててくれた気仙沼の街や人を思いだしながら歩ける日が来ることを、心から願っています。

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岡本優子さん

これまで、気仙沼出身のミュージシャンとして畠山美由紀さんや熊谷育美さんを紹介してきました。今日は、ジャズピアニストの岡本優子さん。
優子さんは1984年生まれ、私たちの一年先輩岡本寛さんの娘さんです。寛さんは、岡本製氷の代表ですが、気仙沼商工会議所副会頭、そして気仙沼市震災復興会議委員のひとりでもあります。

岡本優子さんはボストンにあるバークレー音楽院を卒業。ジャズが好きな人なら誰でも知っている有名なカレッジです。その後は、ニューヨークで演奏活動をおこなっています。

そして優子さんは11月4日に帰国し、3カ月ほど滞在の予定です。彼女のブログによれば、11月11日の南町・バレンタインの再開ライブにも招かれて演奏しました。「お客さんは、ほぼ還暦を迎えている人が中心」だったとのこと。店内の雰囲気が目に浮かびます(笑)。

また11月17日には、気仙沼小学校でも子供達のために演奏会を行っています。これは、気小に義援金約25万円を持参する前日に教頭先生から依頼があったのだそうです。義援金は、ニューヨークの小学校3校から被災地の小学校に直接届けてくれと頼まれたものに優子さんがウクライナでおこなったチャリティーライブなどで集まったお金やCDの売り上げの一部を合わせたものです。

震災が起きたあと、すぐ帰ると言った優子さんに、家族が伝えた言葉が印象に残りました。子供の気持ちも、親の気持ちも、両方よくわかります。

「そっちで頑張るあんたが今の岡本家の唯一の希望なんだから」


岡本優子さんのCDのタイトルにもなっているオリジナル曲「Sweet Home」がユーチューブにアップされていましたので是非お聞きください。ウクライナの国際ジャズフェスティバルでの演奏です。



岡本優子さんのブログ

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プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/64~65歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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