志ん彌さんの会

古今亭志ん彌さんからの落語会のご案内です。
志ん彌師匠には、これまでも気中20へのご支援を頂戴しておりますが、この12月5日の会でも入場料の一部は支援もあててくださるとのことです。

ご贔屓の皆様へ

『古今亭志ん彌の世界』その15のお知らせです。

時 12月5日(月)18時開場 18時半開演
ところ 埼玉会館小ホールJR京浜東北線 浦和駅西口下車 徒歩 7分
木戸銭 前売り3000円  当日3500円
問合せ 03-3927-6979   
k-shinya@ma.kitanet.ne.jp

番組 開口一番 林家 扇
   お楽しみ   三遊亭 時松
   かつぎや   古今亭志ん彌
    仲入り
   物まね    江戸家まねき猫
   寝床     古今亭志ん彌

ぜひともお出掛け下さいませ。なお入場料に一部は復興支援に充てさせていただきます(気仙沼中学校卒業の知人経由です)。また毎年のように宇宙船地球号(開発途上国の医療援助)にも充てさせていただきます。
宜しくお願いします。

志ん彌拝


ご案内は以上です。
志ん彌師匠、いつも本当にありがとうございます。

志ん彌師匠ホームページ
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テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

生島淳さんの本

生島淳さんの著書『気仙沼に消えた姉を追って』を一気に読み終えました。いや一気ではないな、何度も何度も胸にグッときてしまって。

淳さんは、すでにこのブログでも紹介していますが、スポーツ分野をはじめとするジャーナリスト、ノンフィクションライターとして高い評価を得ています。私たちの一学年先輩であるアナウンサー生島博さんの末弟でもあります。私たちの16学年下、気中36回生。
書名にある「姉」とは、この震災で亡くなった淳さんのお姉さん喜代美さんです。博さん、次兄の隆さん、淳さんの3兄弟は東京に出てきており、喜代美さんが気仙沼に残り、今年2月に亡くなったお母さんと同居していました。

本書は、お姉さんの思い出話だけがつづられた本ではありません。廻船問屋など気仙沼の漁業や水産業の歴史、大島の被災、高校生とその家族、そして余所(よそ)からやってきた祖父母、気仙沼で言うところの「旅の人」であった生島家の歴史が語られていきます。

18歳で気仙沼を離れてから25年。淳さんは、「そうすることで、自分と気仙沼との関係を、もう一度築き直せるかもしれない」と考えます。この本は、震災を契機にして、気仙沼と自分との心理的な距離を埋めていく過程のルポルタージュなのでしょう。

失われた大事な人や風景。それを取り戻すことはできないにしても、その記憶を文字として定着させることはできるのだな。このブログの「ベルマークの時代」で私が書いた、お姉さんの記憶の断片も引用されていました。

この気中20の仲間の多くが、気仙沼を離れてはや40年以上。そんな私たちがこの一冊を得ることができたことを、大変幸せに思いました。ひとりでも多くのみなさんに読んでいただければと。

 文藝春秋ホームページはここ

文藝春秋刊『気仙沼に消えた姉を追って』定価:1365円(税込)

7月13日ブログ「ベルマークの時代」
7月5日ブログ「街の人、旅の人」

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つきちゃんの店

11月26日が南町の復興屋台村「気仙沼横丁」のグランドオープンでした。ここに、以前は階上で五右衛門ラーメンを営んでいた大友(小野寺)つき子さん(3年9組)が「あたみ屋」を出店しています。佐藤淑子さん(11組)が、武山美加さんと一緒に店に行った様子をコメントで送ってくれました。ここに再録します。
それと26日のブログで紹介した内の脇保育所被災の話は、やはりちょっと違うみたいですね。一景島保育所と勘違いしているのではないかとことです。淑ちゃんのコメントをお読みください。

屋台村オープン

「 今日は屋台村のグランドオープンで9組の武山美加ちゃんと二人でつきちゃんの「あたみや」に行ってきました。 親娘3人で明るく頑張ってましたよ。 お客さんが次々入ってくるので、ゆっくりする事はできませんでしたが(^_-)-☆

内の脇保育所ですが、市民会館から幸町へ下る道路にあり、近くだけど、昔とはちょっと違うところだと思います。(昔を良く知らないので) あそこは高台なので被害には遭っていませんが気仙沼小学校に皆避難していました。

多分、小春ちゃんが所長をしていた一景島保育所と勘違いしているのではないでしょうか? 中央公民館へ避難していて本当に大変な目に遭いました。
今、一景島の子どもたちは内の脇や他の保育所に通っています。 所長として大変な事態に遭いながら子供たちを守った小春ちゃんを思うと涙が出ます。

小春ちゃんは今、内の脇保育所の所長として頑張っています。 私の孫も11月半ばまでお世話になりました。

最後になりましたが、ご支援してくださった方々には本当にありがとうございました_(_^_)_ 」

淑子さん、いつもありがとうございます。
林(奥玉)小春さん(3年2組)の話は私も聞きました。一景島と聞くだけで、津波のときの状況が目に浮かぶようです。本当に大変ななかで頑張ってくれたのですね。

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内ノ脇の子供達

11月22日のブログ「甘い記憶」を見た小畑(畠山)春一君が、斎藤恒四郎君がうつっているもう一枚の写真を送ってくれました。春一君は、同じ3年5組の小畑博美さんと結婚して、いまは仙台市泉区で暮らしています。

内の脇保育所卒園 (クリックで拡大)

内ノ脇(ないのわき)保育所の卒園写真ですね。最後列の左から二人目が恒四郎君でしょう。おお、左端は吉田憲樹君(3年11組)じゃないか。春一君本人はどこにいるんだろう。
彼のメールには、「引っ越しするたびに減ってしまった写真のうちの残った一枚です。恒四郎君は一番背が高かったので保育所の大将でした」とあります。たぶん、当時から剣道をやっていたのでしょう(笑)。

ネットで調べたら、気仙沼市立内ノ脇保育所はいまもありました。所在地が南が丘の市民会館の南側です。以前と同じなのでしょうか。そしてさらに調べると、被災地支援活動として紙芝居ライブをなさった方の9月の記事をみつけました。

「内の脇保育所も園舎が津波の被害にあい、今は高台にある乳児施設を園舎にしておられました。内の脇保育所の先生と子どもたちも津波と火事に囲まれ3日間ほとんどのまず食わずで過ごされたそうです。2日目には脱水症状を起こす子どもたちもたくさんいましたが、みんなで励ましあったそうです。3日目に自衛隊が助けにきて食べ物をこどもたちが口にするとみるみるうちに元気になり子どもの力ってすごいと思われたそうです」

南が丘にある保育所も津波で被災したのか。ちょっと信じがたいのですが。
春一君が送ってくれた写真にうつるまだ幼い同級生たち。その孫の世代にあたる小さな子供たちがあの震災を経験し、大津波と大火事の光景を見たのです。

追記:このブログ記事に淑子さんからコメントをもらっています。上記の内の脇保育所被災の話は、一景島保育所のことではないかとのことです。28日のブログにも書きましたのでご覧ください。(11月28日記)

11月22日ブログ「甘い記憶」

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義援金会計報告

事務局菊田裕美君から義援金についての会計報告がありました。支援会メンバーにはおって詳細を伝えますが、本ブログでも概略をお知らせします。菊田裕美君(3年1組)には、銀行マンの経験をいかしてもらい会計をお願いしております。

3月22日から開始した義援金募集ですが、11月22日までの義援金総額は131万3409円です。支援者数は同級生や知人など56名ですが、毎月など複数回のご支援をいただいている方がいらっしゃり延べ人数は83名となります。

支援者のお名前を記します。

(気仙沼中学校)鈴木徳一、板橋和夫、熊谷武敏、菊田裕美、小山達朗、秋山(斉藤)裕子、佐々木(金野)真紀、小田明紀、中井殖、岩淵勉、熊谷薫、斉藤恒四郎、田口(三浦)文男、及川誠、中野美幸、及川喜世隆、千葉正俊、赤崎(斉藤)栄子、児玉(藤田)道子、森(森田)恵子、山本(上田)裕子、清水利恵、斎藤謙一、千葉憲二、秋元(小原木)直義、木下(菊田)郁子、千葉和夫、渡辺まさえ、河野進、玉山司、藤村進、栗原(小野寺)幸恵、龍崎経子、並木(鈴木)美代子、笹野(内海)登記江、佐藤厚、小林(小野寺)幸恵、加藤公明、熊谷和徳、矢崎暢一
(大島中学校)熊谷雅裕(階上中学校)西城健也(津谷中学校)諸橋茂(鹿折中学校)田川耕三(唐桑中学校)鈴木修、村上教行、千葉健二
(知人・友人)洗濯船/吉成由貴子、古今亭志ん弥、ユコラ/宮本優子、伊豆の国市/鈴木貴子、菅原喜平治、ダンさん/渋谷健三、寺田恵子
(敬称略)

皆様方のご厚意にあらためて御礼申し上げます。
ありがとうございました。

義援金御振込口座

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新しい自然

昨23日の勤労感謝の日。17日のブログで紹介した慶應義塾大学SFC「オープン・リサーチ・フォーラム」が開催されていた六本木の東京ミッドタウンに出かけました。

1時からのセッション(シンポジウム)「〈新しい公共〉の可能性」には気仙沼の菅原茂市長も発表者のひとりとして出席。その発言には、国家予算の裏付けがないため市民に具体的な復興方針が示せないでいることの苦渋がにじみます。やっと成立した第三次補正予算によって、少しは進展があるといいのですが。

そのあとは原宿のドイツ車アウディのショールーム「Audi Forum Tokyo」へ。この2階で、篠山紀信さんが被災地を撮影した「ATOKATA」の小さな展覧会が開催されています。ネット情報によれば、この写真集の表紙となっているのは気仙沼市唐桑の鮪立(しびだち)の風景であるとのこと。

道路側エレベーターを使ったら、会場の入口とは逆から見ることになってしまいました。
いわゆる災害報道とは異なる不思議な風景写真。六本木でのセッションのテーマが「新しい公共」だったせいか、「新しい自然」という言葉が頭に浮かびました。
明日のブログのタイトルはこれだなと思いながら、入口のパネルに掲げられた篠山さんのメッセージを読みました。そのなかにつぎの言葉がありました。

「自然による新しい自然の創造。
それは神の悪戯でも凄惨な地獄でもなく、静謐で尊く、荘厳な光景であった。
僕は自然の力に畏怖し、畏敬をもって凝視するしかなかった」

自然による新しい自然の創造。そうだ。もうひとつの自然。
というか、これがまさに「自然」か。

「感じさせられる写真」というより「考えさせられる写真」でした。
大きく引き延ばされた写真をひとつひとつ見ていくうち、私は、5月に気仙沼へ帰ったときに歩いた鹿折地区の、あの奇妙な静けさを思い出していました。

写真集「ATOKATA」

写真展「ATOKATA」

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喪中欠礼の葉書

喪中欠礼のお知らせが届く季節です。

その中に小野寺久(ひさし)君からのハガキがありました。久君は鹿折中学出身で、気仙沼高校で一学年下でした。生徒会の関係で知り合ったのです。気高卒業後、現役で東京大学に入学しましたが、1年か2年でやめて京都大学医学部に入学し直しました。秀才です。
卒業後は英国の病院にいったのち京都大学に戻り助教授をつとめています。専門は、大腸癌とかそんなことだったと思います。

10月に恵比寿でおこなわれた「気仙沼を元気にする会」で久君に会いました。5~6年前に学会で京都から東京に来たときに飲んで以来の再会でした。

久君は、この震災でお母様のとみ子さんを失いました。3月30日にもらったメールでそのことを知ったのです。お父様は、鹿折地区のあの大津波と大火事のなか奇跡的に生還することができました。これらのことは、米ロサンゼルス・タイムズの記事としても紹介されました。久君は、“母親の遺影とその記事の写真でめぐりあうことになりました”とメールに書いています。

久君は現在、あの日野原重明さん(100歳)が理事長をつとめる聖路加(せいろか)国際病院の消化器センター長と外科部長という要職にあります。母親が病を得ても、平常時であれば最善の医療をほどこすことができたでしょうに。それだけに、久君も無念だったろうと。

3月のメールは、つぎのように結ばれていました。
「被災地はまだまだ塗炭の苦しみですが、希望を捨てずに励ましあう人々の姿に感動を覚えます。今後も、両親の教えどおり人のために最善を尽くすことに努力を重ねます。落ち着いたらゆっくり飲みましょう」

「人のために最善を尽くす」と書いても違和感がない。小野寺久はそんな男です。

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甘い記憶

昨21日、気仙沼では初雪が降ったそうです。

さて、11月15日に「昭和の子供たち」として小学4年生のときの写真を掲載しました。斎藤恒四郎君(3年6組)はあれをいたく気に入ったそうです。「30分見ていてもあきない。あれは野球でいえばホームラン」とか。
秋山(斉藤)裕子さんにも電話をかけてきたそうです。裕子さんはあの写真にうつっています。最後列の左から2番目。本人は「ヤンタ。オショシイゴド」あらいやですわ。恥ずかしいったらありゃしない(笑)。

そして11月18日。東新宿の台湾仏教慈済基金会への御礼を終えて帰るとき、恒四郎君から一枚の写真を渡されました。これです。

小6修学旅行2(クリックで拡大します)

小学6年生の仙台への修学旅行。伊達政宗公の銅像前で撮った写真です。最後方で一番背の高いのが恒四郎君。同じ場所で私のクラスもとりました。
ま、私にとっては普通の写真。でもな、恒四郎君がわざわざ持ってきてくれたからには、紹介しないわけにはいかないか。どうしよう。

翌11月19日、NHK-BSの「SONGSプレミアム」で、松田聖子さんを特集していました。いま聞く松田聖子もなかなかいいものですね。そのなかでも「Sweet Memories」を聞いてちょっぴりしんみり。
その一節。

失った夢だけが
美しく見えるのは何故かしら
過ぎ去った優しさも今は
甘い記憶 Sweet Memories

作詞:松本隆 作曲:大村雅朗


小学校6年生。楽しかったことばかりではないよ。
たくさん泣かせたこともあるけれど、泣いたこともあるさ。俺だって。

手渡された小さな一枚の写真。そこに隠されているのは、背は大きくともまだ幼かった恒四郎君の“甘い記憶”なのでしょう。

11月15日ブログ「昭和の子供たち」

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忘年会の季節

震災の1カ月前、2月12日。200人も集まった気中20回生還暦祝いの会。会場にはいり受付を済ましたら、同じホテル会場で行われる二次会冒頭での挨拶を頼まれました。了解。なんなりと。

一応は頭のなかで言うべきことを整理します。大切なのは短くすること。そしてまずは準備をしてくれた地元のみんなへのお礼。これはきちんと言わないとな。つぎには、いろいろと趣向をこらすであろう演し物の印象をちょっと語ろうか。やたらに受けたり、ふざけたりするやつがきっといるから、その名前を折り込むのも悪くないかも。そして最後は、ちょっと真面目に締めようか。

「本日は、こんなに多くの仲間と会えて本当にうれしいし、楽しい。でもね、酔っ払うまえにちょっとだけ。還暦を祝うことができた喜びを感じるだけでなく、還暦を迎えることなく亡くなった友達や、気仙沼を遠く離れていたり、さまざまな事情でここに来ることができなかった同級生たちへの思いをいたすことも大事かなと。それでは、彼らそして彼女らの分まで飲んで踊りましょう。以上です」みたいな感じか。

そして一次会をおえて本番の二次会。マイクのまえに立って話しはじめたのはいいんだけど、ここに来られなかった仲間に“思いをいたす”のをすっかり忘れてしまいました。すぐ言い忘れにきづいたけど後の祭り。一次会で飲み過ぎたか。オダア、オダズスギダガ(笑)。

そろそろ忘年会の日程などが話題になる季節ですね。震災直後は様々なイベントが中止になったり自粛傾向がみられました。その一方で最近は、同窓会やら同級会など、いわゆる「絆」を確認する集まりも増えているのだそうです。それもいいじゃないですか。気仙沼の酒「男山」や「両国」を飲んでくれればなおさらね。

10月22日の「気仙沼を元気にする会」の後、三陸新報に、会場の後方はまるで“同窓会気分”であったかのように述べる長文の投稿記事が掲載されました(「投稿」と書いてあるんだけど、なぜかシリーズなんだ)。そんな感じが一部になかったとはいいませんが、自分が回りに声をかけるなり、前に出てくればいいだけの話。

いいじゃないですか同窓会。裕美君、我々も遠慮なく、「気中20」プラス「けせもい会」かなんかの忘年会か新年会をやりましょう。
それぞれに、さまざまな、思いをいたしながら。ね。

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慈済基金会訪問

台湾仏教慈済(ツーチー)基金会による被災者支援活動については、以前このブログでもご紹介しました。それを見た斎藤恒四郎君から、気仙沼への支援のお礼を気中20支援会として伝えに行こうと提案がありました。

そしてきのう18日、東京・東新宿にある同基金会の日本分会(日本支部)にうかがいました。支援会メンバーは、会長の鈴木徳一君(3年3組)、恒四郎君(6組)、小田(8組)の3名。慈済基金会では陳量達さんと呉恵珍さんのおふたりが応対してくれました。

お持ちしたお礼の文はつぎの内容です。

私たちは、気仙沼中学校第20回生支援会と申します。東日本大震災で被災した同級生、同年生たちを支援する首都圏在住者のグループです。慈済基金会様が、この7月そして10月と、私たちの故郷である気仙沼の被災者の方々に見舞金を支給されたことを知り、ひとこと御礼を申し上げたくうかがいました。

このたびの大震災に際しては、多くのボランティアの方々が、気仙沼にてさまざまな支援活動を展開してくれています。また、海外からも貴会をはじめ多くの方々からご支援を頂戴しております。本当にありがたく思っております。そして、貴会の皆様の思いやりにあふれたご支援については、気仙沼の多くの方からも伝え聞いております。

私たちは、気仙沼の被災者の代表でもなければ代理でもありません。ただただ、皆様のご支援がありがたく、その気持ちをお伝えしたいと考えておりました。本日、その機会が得られましたことを大変うれしく思っております。
お持ちいたしました菓子は、私たちの同級生が気仙沼でつくっております「絆カステラ」と申します。わずかばかりですが、皆さまで召し上がっていただければ幸いです。

本当にありがとうございました。
厚く御礼申し上げます。


文面は以上です。

記念 歓談
左写真:前列左から陳さん、呉さん。後列左が恒四郎君、右が徳一君。
右写真:おふたりと歓談する小田



持参した「絆カステラ」は小山隆市君(6組)コヤマ菓子店のもの。陳さんらは固辞されたのですが、なんとか受け取ってもらえました。ほんの6本、ささやかですが、私たちのほんの気持ちですからと。

陳さんと呉さんからは、気仙沼での活動の様子をうかがいました。7月の支援のときは宿もとれず、なんとか大島に宿をみつけて宿泊したとのことです。また、菅原茂市長ともお会いし感謝の言葉をいただきましたと、そのときの写真を掲載した機関誌を見せていただきました。現地訪問が終了したいまでも、罹災証明書を送ってもらい市役所の確認が得られれば11月中は見舞金の支給をおこなっているといいます。

おだやかなおふたりの話をお聞きして、直接お礼を申し上げることができてよかったなと思いました。そして、少しホッとしたのです。

10月17日ブログ「台湾からの支援」

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南町 復興屋台村

今日18日の朝、フジテレビ系列の小倉智昭さん「とくダネ!」で気仙沼をとりあげていました。9時半ごろからの気象予報士“あまたつ”こと天達武史さんの「旬学旅行」コーナーです。
はじめは魚市場。戻りがつおが揚がっています。そして南町へ。あさひ鮨さんなどがある夢通り。半壊状態の家屋がまだ撤去されずに残っています。
夜は11月12日(土)にプレオープンした復興屋台村「気仙沼横丁」へ。場所は、エースポートの「お魚いちば」寄りの市営駐車場だったところです。柏崎(かしざき)の手前っていうのかな。日本の漁業用冷蔵庫発祥の地として記念碑があったところ。

赤い提灯が印象的な入口を通ってお店を回ります。気仙沼ホルモンとワインの店「狼煙(のろし)」、まぐろ料理「大漁丸」、寿司「たに口」などを紹介。戻りがつおのにぎりが本当においしそうです。いまが旬だもんね。スタジオでも戻り鰹をいただき、中野三奈子アナウンサーも“こんなに美味しいかつおは初めてです”などと。

この復興屋台村「気仙沼横丁」は、11月26日(土)にグランドオープンします。そしてこれを記念して、「ファームエイド宮城in気仙沼横丁祭り」も開催されます。経済産業省が推進する「応援たびプロジェクト」で、関東圏からの「第1回 気仙沼応援たび」ツアーがこの屋台村も訪問します。魚市場では、復興フォーラム『未来への提言』も開催とのことです。

それにしても、気仙沼の戻りがつおは今、本当にうまい。東京ではちょっと高いけど(笑)。

復興屋台村「気仙沼横丁」ホームページ

グランドオープンのポスター

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23日は六本木へ

震災後、さまざまな大学が現地気仙沼での支援や研究・提言活動をおこなっています。慶應義塾大学の環境情報学部と総合政策学部もそのひとつです。

両学部は湘南藤沢キャンパスにあることから「SFC」と総称されています。このSFCは、早くから教員・学生合わせて約100名による「気仙沼復興プロジェクト」を始動しました。これは、環境情報学部3年の清水健佑さんが気仙沼出身で、彼の実家や父親が経営する八葉水産が多大な被害を受けたこともきっかけとなっているとのこと。

そして11月22・23日、東京ミッドタウンで「第16回SFCオープン・リサーチ・フォーラム」(ORF)が開催されます。多くのセッション(シンポジウム)や展示が予定されており、「気仙沼復興プロジェクト」も出展します。
23日(水・祝)には、気仙沼の菅原茂市長も参加する「『新しい公共』の可能性」や、気仙沼復興プロジェクトが参加する「震災復興のシンカに挑むSFC生」といったセッションも予定されています。

・『新しい公共』の可能性    (13:00~14:30)プレミアセッションP12
・ 震災復興のシンカに挑むSFC生(15:30~17:00)プレミアセッションP13

・会場:地下鉄「六本木」下車
「東京ミッドタウン」ホール&カンファレンス(B1Fホール入口にて受付を済ませて入場)

SFCオープン・リサーチ・フォーラムのサイト

23日の勤労感謝の日は、銀座・数寄屋橋か六本木・東京ミッドタウンということで。よろしく(笑)。
8月3日のブログでは、SFCの気仙沼現地調査報告書も紹介しています。こちらもぜひに。

8月3日ブログ「気仙沼調査報告」

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15日の銀座報告

15日、気仙沼アンテナショップ「銀座いきなり市場」の「気仙沼の食と観光・物産キャンペーン」オープニングイベントに行ってきました。会場にはすでに気中20支援会事務局の菊田裕美君が来ていました。仕事の途中で寄ったとのこと。ひろみくん、あんだ、しごと、だいじょぶすか。

午後1時半、菅原茂市長や小野寺五典衆院議員などからの挨拶のあと、大谷地区に伝わる大漁唄い込みが披露されました。10人ほどがならび、櫂(かい)を地面の板にうちつけながら、女性方の踊りとともに歌います。大漁唄い込みのあとは“どや節”です。私は、目黒のさんま祭でこれを聴いてしびれました。銀座のどや節もなかなかのものです。

そして恵比寿様に扮した女性も踊ります。1986年のNHKテレビ「ぐるっと海道3万キロ」シリーズ「父さんがケセン語~南三陸ことばの旅」でも紹介されていた唐桑の七福神かなにかの伝承踊りを思い出しました。
大谷の人たちは、この銀座での披露のまえのお昼頃、大手町のサンケイビル前でも歌い踊ったとのこと。本日16日(水)12時半からは目黒区役所でも歌う予定です。

イベントを見てから用事をすませ、3時近くにふたたび会場へ。ふかひれスープをごちそうになりながら、三陸わかめとピーナッツせんべいを購入しました。

お店では沢山の人が買い物をしています。その人たちの顔を見ていると、気仙沼のどこかで会ったような、見たような。そんな気がしてくるのが不思議です。

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菅原市長の挨拶などの後、大谷の人達の大漁唄い込み

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恵比寿さまが鯛を釣り上げました

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大勢の人が声援をおくっていました。ホヤぼーやの隣は、たしか「炭ぼー」とか言ってたな

「東日本復興応援プロジェクトfrom銀座」ニュース

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昭和の子供たち

先日、千葉和夫君(3年11組)が、小学4年生のときのクラス写真を送ってくれました。見た瞬間、「おんなじだ」と思いました。クラスは違うのですが、私も同じような写真を持っているのです。当時の8クラスがそれぞれ記念に撮ったのでしょう。

クリックすると拡大します

みんな本当によい表情で笑っていますね。なにがそんなにうれしいのだろう(笑)。
撮影してくれたのは、私の記憶では小野寺考允(こういん)先生です。たぶん、シャッターを押すまえにみんなが笑っていないと、なにか面白いことを言うんでしょうね。「なんだ、おめだづ、はらへってんのが」とか。

東側の校舎のプール側のところで撮ったんだ。日当たりがいいからね。
右側にいるのが担任の西先生。同級生だった西芳久君(3年8組)のお母さんです。芳久君がずいぶん早くに亡くなったのは残念でした。写真を送ってくれた和夫君の実家は、古町の千葉写真館です。3列目右側の西先生の左の小野寺龍平君(3年8組)の左隣、めがねをかけているのが和夫君です。
いやあ、50年前のこの写真をながめていると、なんともいえない気持ちになりますね。半世紀前のモノクロームの世界。

『昭和のこども』は写真家土門拳さんの写真集のタイトルです。土門さんの有名な作品ということで雑誌に紹介されることがよくあります。その写真を見ると、いつもどこかに自分が写っているような錯覚におちいります。タカオちゃんもいるし、セイちゃんもいるし、と感じるのです。
和夫君が送ってくれた一枚の写真。ここに写っているのも、正真正銘の“昭和の子供たち”です。

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銀座でイベント

まえにも紹介した銀座の気仙沼アンテナショップ「銀座いきなり市場」で11月15・16日の両日、「気仙沼の食と観光・物産キャンペーン」のイベントが開催されます。

11月15日(火)13:30~15:00
11月16日(水)11:00~14:30
場所:銀座・TSビル1階「銀座いきなり市場」

試食会もあり、ふかひれスープ(200食)、カツオとメカジキの握り(200食)がふるまわれ、三陸産わかめの配布(600個)、そしてどんぐり細工や繭細工などの体験メニューも。15日のオープンセレモニーには菅原茂市長もお見えになるそうです。

このショップは、気仙沼のアンテナショップと紹介されることが多いのですが、正式名は「銀座いきなり市場」。そのほかにもビル名とかプロジェクト名がいろいろとあってまぎらわしいので、簡単に整理しておきましょう。
銀座TSビル1・2階の『東日本復興応援プラザ』で東急不動産さんが行っている一連の支援活動が「東日本復興応援プロジェクト from 銀座」です。そしてその応援プラザの1階に出店しているのが、気仙沼の「銀座いきなり市場」。事業主体は気仙沼商工会議所と気仙沼地域開発株式会社です。応援プラザの1階には、ほかに茨城県のアンテナショップも出店しています。
銀座TSビルのメインテナントは「モザイク銀座阪急」で、こちらに入って迷われた人も多いようです。モザイク銀座阪急の入口に向かって左ですのでお間違えなきように。

銀座TSビル地図

私も伊東屋で紙を買う用事があるので寄ってみようと思っています。

10月8日ブログ「銀座店オープン」

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ようこそ先輩

きょう12日、朝のNHKテレビ「課外授業 ようこそ先輩」で「笑顔のマジック 届けよう~マジシャン マギー審司」を放送していました。冒頭の10分ほどを見逃した。

マギー審司さんの母校は、気仙沼市立南小学校。津波で被災したため、現在は気仙沼小学校を“間借り”して授業をしています。
マギーさんの授業のテーマは「身の周りの人をマジックで笑顔にする」こと。子どもたちは、一人ひとりが誰をどんなふうに喜ばせたいかを考え、マジックの演出に工夫を凝らします。どうすっぺ。そして最後は、避難所や仮設住宅などで開く出張マジックショーを行いました。

いつの収録だったのでしょうか。紫会館の避難所の場面では、あさひ鮨の村上社長など見知った顔も見受けられました。
子供たちのマジックは、一本のひもにはさみを入れてカットしても、あら不思議、また元の一本の絆となりました。とか、何にも描いていなかった紙をたたんでから、また開けると、ありゃま、そこには「気仙沼復興商店街」の文字が! といったようなもの。

手つきはぎこちないのですが、見ている大人のなかには涙ぐむ人もいました。一生懸命な子供たちの気持ちがうれしいのでしょうね。

本日付の読売新聞オンライン版によれば、南小は津波で校舎1階が水没し、今は校庭が廃車置き場として使われています。市の教育委員会は、2012年4月に南小と気小を統合する案について、11月9日、10日に両校の付近住民を対象として説明会を開催しました。保護者らから「時期尚早だ」などと反対の声が続出。市教委は12月の市議会定例会に関連条例案を提案する方針ですが、このまま合意が得られなければ、統合を延期する可能性もあるとのこと。

NHK「ようこそ先輩」では、来春には統合の方向というニュアンスで語っていましたが、そう簡単な話ではなさそうです。

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文子さんの手紙

京都の和洋紙販売会社・柿本商事(株)が主催する第2回「恋文大賞」の手紙部門〈一般の部〉大賞に、気仙沼市の菅原文子(ふみこ)さんの手紙が選ばれました。
「恋文大賞」のテーマは、「今、思いっきりメッセージを伝えたいことは何ですか? そして、それを誰に伝えたいですか?」

文子さんの手紙は「あなたへ」。津波にのまれ、いまだ帰ってこないご主人、豊和さんにあてた8月21日付けの手紙です。ぜひお読みいただければと。

恋文大賞受賞の手紙「あなたへ」

文子さんは、鹿折のかもめ通りにあった「すがとよ酒店」の奥様です。店舗を津波で壊されましたが、4月には息子さんと太田に仮設店舗をオープンしました。
文子さんは書をよくし、「負げねぇぞ気仙沼」や「感謝」の文字をラベルにした日本酒は、10月17日のNHKテレビ「ニュースウォッチ9」の特集「被災地を“見て感じる”ツアー」でも紹介されました。
そのときの映像はすでに配信が終了していましたが、11月4日の同番組で「夫にあてた一通の手紙」と題し、文子さんとその手紙が紹介されていました。そして、文子さんが7月に豊和さんの死亡届を出したことをこのニュース映像で知りました。また、11月3日、京都での表彰式の日が、38回目の結婚記念日だったそうです。

8カ月たちました。
毎月のこととなりましたが、義援金の口座情報をお知らせいたします。

義援金御振込口座

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魚町ロケット

本年7月に直木賞を受賞した池井戸潤さんの『下町ロケット』は、下町の中小企業の奮闘を描いた小説だとのこと。ご本人は「 “ 弱い立場の人間が頑張って誇りを取り戻していく” 小説にしたかった」と話しています。

私はまだ読んでいないのですが、このタイトルを見たとき、小学校のころにちょっとはやった「ロケット」遊びのことを思い出しました。

私たちのロケットの作り方はこうです。まず鉛筆用のアルミサック(キャップと呼んでいたかも)を用意します。小さいころは、鉛筆をきれいに削って、筆箱の中で芯が折れないようにサックを使っていましたね。短くなったときに使うクロームメッキのホルダーもあったな。
つぎに、学生服の襟につける白いセルロイドのカラーを細かく刻み、適量をサックに入れます。そして脱脂綿でふたをするように押さえて開口部を少しつぶします。これで完成。
このロケットを、木のきれっぱしかなんかを組み合わせてつくった台において、下からろうそくであぶるのです。すると小さな穴から煙が出てきたと思う間もなく、プシューッと飛んでいくのです。

このロケットを、私や佐々木徹君(3年1組)に教えてくれたのは、徹君の2軒となりに住んでいたマッコちゃんことオヤマ・マコトさん。4学年上でした。マッコちゃんちの1階が倉庫みたいになっており、ロケットもそこで飛ばしました。

でも私などがやってもなかなかまっすぐには飛んでくれません。とんでもない方向にいったり、へたをすると飛ばずに暴発です。でもマッコちゃんがやるとまっすぐに。すごい。
マッコちゃんにそのコツを教えてくれと言っても、「エヘヘヘ」と笑うばかりでこたえてくれません。アルミのつぶし方や穴の残し方に秘密があったのでしょう。

糸川英夫博士が23cmの「ペンシルロケット」発射実験に成功したのは1955年のことだといいます。私たちのペンシルサックロケットもその影響を受けてのことだったかもしれません。

半世紀前にそんなことをやっていたせいなのか、「ロケット」という言葉を聞くと、なにか懐かしい響きを感じてしまうのです。

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仮設の牧恵さん

10月31日のブログに、佐藤淑子さんからのメールを紹介しました。そのとき、淑子さんが中学3年は11組、小学1・2年生は8組と、いずれも昆野牧恵さんと同じことに気づきました。そしてすぐ電話をしてみたのです。

牧恵さんはいま、下八瀬の五右衛門ヶ原運動場にある仮設住宅に入居しています。

「あれなんだべ、ひさしぶりだごど」
お互いの近況報告のあと、淑子さんも1年8組だったねという私に牧恵さんがこたえます。
「んだよ。だがら、よっちゃんもわだしもみんなちゃっこがったんだよ。オダくんも」

当時の気仙沼小学校では、1年と2年は生まれ年順に1組から8組までありました。8組は早生まれの2月後半から3月生まれ。私や中井殖(しげる)君(3年8組)などは10日ぐらい生まれるのが遅れたならば1学年下となっていました。ですから1組の生徒に比べると、みんな“ちゃっこがった”(小さかった)。

それでも、小学3年生の2学期にはじめての学級委員が各クラスの投票で選ばれたとき、8組出身の生徒が一番多く選ばれたらしく、担任だった高宮富士子先生が大変喜ばれたと聞きました。


市のホームページでみると五右衛門ヶ原の仮設住宅は170戸。ここへの同年生の入居は牧恵さんだけのようです。近くに店はないそうですが、車を利用するので不便ではないとのこと。「だれ、ひとり分の買い物だもの」。そして、10月8日の還暦祝い慰労会に気中20支援会として、少しばかりまさに“寸志”を送ったことへの礼をいいます。
「ほんとにありがとね。みんなさ、よろしくいってけらい」

困っていることはないか、身体は大丈夫かと聞いても、牧恵さんは「大丈夫だよ」というばかりです。

10月10日ブログ「還暦祝い慰労会」

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祝バレンタイン

南町の「バレンタイン」が10月31日から営業を再開しました。
熊谷武敏君(3年4組)のお兄さん和幸さんのお店です。和幸さんというよりは、“熊長の兄貴”ですね。同級生には説明不要ですが、昔は熊長商店という鯛焼きやかき氷、食品を売っていたお店です。

バレンタインは、ジャズバーと紹介されることもあるようですが、バーかなあ? むしろカラオケ・ジャズ&ロックスナック的な。みたいな(笑)。2月の還暦祝いの前日もバレンタインにみんな集まって歌っておりました。あそこのカラオケは音の響きがよかった。たしかアンプもかなりいいのを使ってました。

5月に気仙沼に行き、藤野薬局のお母さんと娘さんをたずねて避難所の紫会館に寄ったとき、和幸さんにも会いました。
「だれ、すっかりやられでしまったもの」
さすがに元気がなさそうに見えました。津波で3階建ての店舗兼自宅の2階まで津波でやられましたからね。そういえば会館でお茶を出してくれたのは熊長のおばちゃんでした。

9月9日のNHKテレビ「明日へ 再起への記録『めげでられねっちゃ~気仙沼 南町・人情商店街の奮闘』」では、被災した店の様子やがれきから取り出した壊れたギターを弾く格好をする和幸さんが紹介されました。あの番組をみた多くの人からさまざまな支援があったと聞きます。そして、このたびの営業再開です。

11月12日(土)の午後7時からは、オープン記念ライブ。神戸市内のミュージシャン、矢谷トモヨシさんが、熊谷さんとの交流の中で作曲した「霧笛の町」を演奏するとのことです。ほかの出演は、50'バンド、フラワーフォークユニット、尾形和優さん。尾形さんは一年先輩の丸和の和優さんですね。もちろん和幸さんも演奏します。

料金は1ドリンク付きで2000円。要予約です。

バレンタイン:宮城県気仙沼市南町2丁目5-9
電話 0226-24-1093(携帯)090-5236-3497

再会したお店にカラオケはあるのでしょうか。
あるとしても音の具合が気になるところです(笑)。

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バカラの輝き

“たっちゃん” 達朗君からメールをもらいました。

「 3年9組の小山達朗です。
11月3日に恵比寿ガーデンプレイスのイルミネーションの点灯イベントが開催されました。今年は特別に、東日本大震災の復興の祈りを込めたベートーベン作曲「喜びの歌」の1000人での大合唱となりました。その中に、気仙沼市立小泉中学校の生徒さん42人がゲストとして招待されており、大観衆の前で元気な声でメッセージ(全国からの復興支援に感謝)を伝え、また、「アンリミテッド」の素晴らしい歌声を披露してくれました。

全校生徒42人が全員で大観衆の前で、しっかりとしたメッセージを伝える姿に、心が揺さぶられる感動を覚えました。小泉中学の生徒さんを招待したバカラ社の支援には感謝です。我々の知らない人々や企業の東北復興への支援が続いていることに、東北の出身者として感謝感謝の思いです。改めて日本人は素晴らしいと強く感じた次第です。

「自分もしっかりしなくちゃ」「がんばっぺ」と感じさせられたことをお伝えしたくメールさせていただきます。点灯式の写真を添付します 」

11.3恵比寿にて

メールは以上です。達朗君、ありがとう。

11月2日の三陸新報にも、この復興祈念イベントが紹介されていました。記事によれば、合唱曲「アンリミテッド/unlimited=限りない、無限の」には「自分たちの可能性を信じてがむしゃらに進もう」とのメッセージが込められており、仲間とともに震災を乗り越えよう---との思いを表現しようと選曲したといいます。

このイルミネーションイベントで点灯されたシャンデリアは、高級クリスタルガラスで知られる仏バカラ社のもので、高さ約5m、幅約3m、クリスタルパーツ総数8,472ピース、ライト総数250灯で世界最大級だとのことです。

多くの人の応援の声、そして華やかなシャンデリアの輝き。小泉中学のみんなはどんな思いを胸にして気仙沼に帰っていったことでしょう。

主催された恵比寿ガーデンプレイス、バカラパシフィック社ほか関係者の皆様、ありがとうございました。

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景子さんが来た

10月27日のブログに気仙沼・大島の宮古屋の熊谷雅裕君とお母さんのことを書きました。
そのお母さん 熊谷すん子さんが、明日11月6日(日)午後4時からのテレビ朝日系列の大正製薬HumanScienceスペシャル「風邪に負けないSP」で紹介されます。

番組情報をみると「竹下景子さんは初めての冬を迎える東北の被災地を訪問、風邪予防のための取り組みをリポート、そこには感動の再会がありました!」とあります。4年前の旅番組ですん子さんを知り、今回の番組で再会したとのことです。
雅裕君夫婦とお母さんが暮らす仮設住宅がうつるかもしれませんね。

番組は、風邪の予防と治療に関する情報をQ&A形式で解説したり、被災地における感染症予防の取り組みを紹介するとのことです。
なんかこのところ、のどが少しいたい私ですので、この番組で勉強したいと思います。
皆さんもぜひご覧ください。

みんなで、はやめのパブロン(笑)。

10月27日ブログ「宮古屋の雅裕君」

10月29日ブログ「妻の名は“つや”」

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憲二のラーメン

昨日11月3日、東京・駒沢オリンピック公園で開催されている「東京ラーメンショー2011」に行ってきました。10月13日のブログ「新・かもめ食堂」で紹介したように、千葉憲二君(3年4組)が、「気仙沼 新かもめ食堂」を出店しているのです。全国の有名店30店近くと36もの企業・団体が参加したこのイベントは、憲二君が理事長をつとめる日本ラーメン協会が共催しています。

会場はたくさんの人で大盛況。各店ブースには長い行列です。さっそく「新・かもめ食堂」をのぞいてみると、憲二君が顔を出してくれました。松本英人君も夫婦で来ていました。ラーメンを食べるのはあきらめていましたが、「うらさこ(裏さ来)」とのことで、ごちそうになりました。鯛干し、鱈干しををベースに鶏ガラを加えたという「潮(うしお)味」のラーメンは、とってもおいしかった。

エースポートの向かいにあった「かもめ食堂」は、憲二君のラーメンの原点とのこと。そして、憲二君はいま気仙沼・南町の復興屋台村気仙沼横丁での「新・かもめ食堂」出店を計画中です。
「ちばき屋」の出店ということではなく、なんとか昔のように「かもめのおばちゃん」たち自身が経営し、切り盛りする店にできないかということで、意欲ある人を求めているそうです。「ちばき屋」の千葉憲二が全面的にバックアップするわけですので、やる気と元気ある人にはとてもいい話だと思います。

希望者や関心のある方は左のメールフォーム利用、あるいはメールで次のアドレスまでご連絡ください。
odaa@air.linkclub.or.jp

また、本日4日夕方のテレビ朝日系列の情報番組「スーパーJチャンネル(4:53~7:00)で、「気仙沼人情ラーメン“故郷の味”で恩返し」と題し、憲二君やかもめ食堂の話が紹介されるそうです。2時間の中どこで放映されるかわかりませんが、録画なさってはいかがでしょうか。

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お店ブースの看板と憲二君のメッセージボード

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憲二君が顔を見せてくれました。 憲二君と松本英人君(左)小田(右)

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会場は、駒沢のオリンピック記念公園。すごい人出で賑わう

ラーメンショーは、6日(日)まで開催されています。

10月13日ブログ「新・かもめ食堂」

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北杜夫さん逝く

10月24日、作家の北杜夫さんが亡くなりました。
私に本を読む楽しみを教えてくれたのが北杜夫さんでした。

一番最初に読んだのがなんだったか。たぶん「どくとるマンボウ航海記」でしょうね。気仙沼高校一年生のころです。
北さんは人気作家でしたから、魚町の書店「白萩」や南町の「文信堂」の棚に何冊も並んでいました。それを一冊一冊読みおえて、今度は注文して1週間か10日ぐらいあとに届く本を楽しみに待ちました。高校当時、書店で手にはいる北杜夫さんの本たしか23冊をすべて読みました。

一人の作家の作品をいろいろ読んでいくと、おなじテーマというか材料がいろいろと書きわけられていることを知ります。愛読者だけがわかる創作の裏側。

たとえば、長編「楡家の人々」は北さんの父母、斎藤茂吉と輝子をはじめ、斎藤病院一族の話ですから、家族の背景を知っていれば、より楽しめるというわけです。高校のころは丁寧に読んでましたから、この長編を読みおえたときはなにか大きな達成感をおぼえました。

私にとっての北杜夫ベストワン。それはやはり「幽霊」です。或る幼年と青春の物語。
2000年の秋に東京・世田谷文学館で開催された「北杜夫展」に行きました。入口には、「幽霊」の自筆原稿。私がいまでもおぼえている冒頭の文章です。そして気づきました。一カ所違っているのです。その原稿のあとに推敲したのでしょうね。それに気づいた俺って(笑)。なんかうれしかったです。

7月9日のブログにも引用したのですが、この「幽霊」の冒頭の一節をふたたび紹介。


 人はなぜ追憶を語るのだろうか。
 どの民族にも神話があるように、どの個人にも心の神話があるものだ。その神話は次第にうすれ、やがて時間の深みのなかに姿を失うように見える。一一だが、あのおぼろな昔に人の心にしのびこみ、そっと爪跡を残していった事柄を、人は知らず知らず、くる年もくる年も反芻しつづけているものらしい。そうした所作は死ぬまで続いてゆくことだろう。それにしても、人はそんな反芻をまったく無意識につづけながら、なぜかふっと目ざめることがある。わけもなく桑の葉に穴をあけている蚕が、自分の咀嚼するかすかな音に気づいて、不安げに首をもたげてみるようなものだ。そんなとき、蚕はどんな気持ちがするのだろうか。


本日は「気仙沼高校」「白萩」「文信堂」以外は気仙沼と関係のない話。ちょっと長く、固めになりました。文化の日ということでお許しを。

7月9日ブログ「追憶を語る理由」

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再び防潮堤の件

6.2mもの高い防潮堤計画については、9月27日と10月14日にこのブログにも書きました。これは、市によるものではなく宮城県と国の計画案です。そしていま気仙沼は、市としての計画案に対する方針決定を迫られています。

10月28日(金)の朝、午前9時頃だったかな、テレビ朝日の朝の情報番組「モーニングバード」で気仙沼の防潮堤のことをとりあげていました。オダクン、モットハヤグ シゴトサ イガイン(笑)。

まずは大島の東側で11.8m、西側でも7.6mの防潮堤が計画されていることを紹介。島をあげての反対の声をとりあげるのかと思っていたら、まずは「漁のためには10mでも防潮堤があったほうがいい。家はそれより高いところにつくれば、海も見えるし」との漁業関係者の賛成の声。そして次に反対意見の紹介。賛否両論があるとのことでしょう。

次は場面が変わって魚町の海岸通り。ここにも6.2メートルの防潮堤計画があると伝えます。海岸通りには2週間ほど前に、6.2メートルにあたる高さがわかるように、長い布が横断幕のように張られています。三陸新報でも取り上げていました。
「絶対反対ということではなく、実際の6.2メートルの壁がどんな高さなのかを実感して欲しくてこの布を張った」との関係者の声。それと、気仙沼は観光も大きな産業なので、景観をさまたげる高い壁は大きな障害との反対意見。

私が驚いたのは、気仙沼市として防潮堤についての方針をこの2カ月ほどの間に決定しなければならないということです。生命か産業か、気仙沼の人たちはいま難しい判断を迫られています、と現地レポートは結びます。

スタジオでコメンテーターが語ります。長島一茂さん「命か産業かといったらやはり命でしょう。命のためなら10mの防潮堤もしようがない」。藤巻幸夫さん「賛成とか反対とかいうだけでなく、発想をかえてみてはどうか。たとえば、壁にアートとか。瀬戸内の直島では、うんぬんかんぬん」。なんだかなあ~と思っていると、吉永みち子さんが「命を守る方法が高い防潮堤だけとは限らない。もっと知恵を出してみては」とやんわりと反対意見。赤江アナウンサーも気仙沼を知っているせいか、計画には疑問との印象。ちょっとホッとしました。

岩手県田老地区の堅固な防潮堤でも防げなかった大津波。私はその教訓から高すぎる防潮堤には反対です。なんとかもっと逃げやすいまちづくりができないものかと。あくまで今は東京で暮らす気仙沼出身者としてですが。

それと心配しているのが、なにか地元でこの計画案に対する賛否の議論が盛んになされているようには見えないことです。復興市民委員会が県の担当者からの説明を受けたりしたり議論してくれているみたいですが、市議会はどうなっているのだろうとか。

たしかに難しいテーマ。それだけに、限られた時間のなかで、もっともっと計画案をわかりやすく公開し、新聞もそれをみんなに知らせ、充分な議論がなされるように願っています。

堤防高概略図(県計画)

10月14日ブログ「高すぎる壁」

9月27日ブログ「6.2Mの防潮堤?」

10月12日配信の河北新報記事

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気仙沼のほぼ日

今日から11月。
10月28日に紹介した、糸井重里さんが主宰する「ほぼ日刊イトイ新聞」の気仙沼支社が、「気仙沼のほぼ日」として本日11月1日に気仙沼の田中前付近で開所するそうです。

ネットのツイート情報によれば、糸井さんはすでに29日と30日にも気仙沼を訪れています。奥様の樋口可南子さんも同行。そして本日も再び気仙沼に。

また本日1日は、ほぼ日のスタッフ(乗組員)の方々が、気仙沼のほか、東京のビッグサイトや大阪、箱根と各地に散っていることなどから、「テキスト中継祭り」のページを設けるとのことです。トップページから入ることができると思いますのでぜひご覧ください。「気仙沼のほぼ日」の活動計画なども紹介されるでしょう。

糸井さん作詞、矢野顕子さん作曲の「気仙沼においでよ」の発表もある(と思います)。私は本日、東京を離れるため夜にならないとネットを見ることができませんが、今から楽しみにしています。

「ほぼ日」トップページ

また、「気仙沼のほぼ日」の開所を記念してネット上の「ほぼ日ストア」で「ほぼ日手帳2012」などを購入した人を対象に福引きが行われます。2週間ごとにいれかわる賞品の第一回目は、斉吉商店の「金のさんま」や「アンカーコーヒー」のコーヒー豆と
オリジナルのマグカップのセットなどです。こちらもどうぞ。

ほぼ日商店街福引き

10月28日ブログ「ほぼ日in気仙沼」

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プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/64~65歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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