淑子さんから

先日、3年11組の佐藤淑子さんからメールをもらいました。その内容と、ブログ紹介了解の返信メールを紹介します。

●10月29日のメール

「楽しかった還暦祝いから一転、恐ろしい津波に襲われるとは思いもよらないことでした。私自身はプラザホテル近くの高台に住んでいるので、家は無事でした。職場で車は流されましたが、助けてくれる人がいて、木の板をフェンスに渡してもらい、水に濡れはしましたが同僚と逃げて助かりました。

被災した同級生は大変でした。同年生の温かい心づかいには言葉では言い尽くせないほど大変感謝しています。小山隆市君も被災した身でありながら皆のために尽力してくれて感謝しています。

今日、気仙沼復興商店街のホームページがあることを知り、そこであなたの投稿を見てこちらにたどり着きました。まだ4月の分しか読んでいませんが、じっくり見たいと思います。まずは感謝の気持ちを伝えたいと思いメールしました。

気中20、けせもい会の皆さまにも宜しくおっしゃって下さい。
本当にありがとうございました 」

●10月30日のメール

「還暦祝いが終わったばかりとはいえ、こんなに御支援いただいて、東京の方々には本当に感謝感謝の気持ちでいっぱいです。

ブログを昨夜全部拝見しました。どなたかも書いていたけど、あなたの記憶力にはビックリです。昔のことを興味深く読みました。私は何も覚えていない人なので、うらやましいです。でも、私も3月生まれで小学校の1年8組で同級生だったのは記憶してるんですよ。高宮富士子先生でしたね。

けせもい会のことは同じ11組だった及川喜世隆君からいろいろと聞いてましたし、写真もいっぱい送ってもらいホームページで紹介するなどしていました。
11組では、ミッチ(児玉(藤田)道子)もお兄さんお義姉さんを亡くされて、本当に悲しいことです。私は陸前高田の市役所付近に住んでいた叔父を亡くしました。別の伯母も震災が原因で一時危篤に陥りました。

まだまだ、地震津波には注意して生活しなければなりませんが、もう二度とこのようなことのないことを祈るばかりです 」


メールは以上です。これまでと同様に、個人情報を省くなど一部修正を加えてあります。
淑子さんは、武山美加(櫻子/おうし)さん(3年9組)が主宰する書道塾「苑書会」で書道をしているらしく、メールにはそのHP作成の話なども書かれていました。美加さんの南郷の教室は津波でやられ、毎日賞受賞作品をはじめ彼女の多数の作品が流されてしまったようです。5月に四反田で教室を再開したそうです。

淑子さん、ありがとうございました。いろんなホームページに掲載された還暦祝いやけせもい会、華の会などの写真もすごく楽しめました。でもブログでの紹介はやめました。個人情報満載なもんで(笑)。
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妻の名は“つや”

一昨日27日のブログで紹介した気仙沼高校同級生の大島・宮古屋 熊谷雅裕君からメールをもらいました。要旨を紹介します。

「初メールです。先日やっとパソコンがネットにつながりました。この気中20のブログも今日初めて読ませてもらいました。みなさんに感謝です。

震災以降、大島と気仙沼を何度も行き来して、東京の仕事を5月で辞め、6月から仕事の引き継ぎをして、7月11日に母親と仮設住宅に入居しました。7月30日には妻も合流して四畳半二間に3人仲良く暮らしております。

大島の船着き場一帯は全滅で、うちも住居店倉庫は目の前の海にすべてが流され、残ったのは土台だけでした。今はその土台も満潮時には水の中です。早く岸壁を直してもらわないと店は作れません。震災後の国政が停滞した期間の分、工事が遅れています。と、ここまで書いてこのフォームに書けなくなりました。また後日に」

「7月30日に合流した妻」とは“つや”さん。雅裕君がいうところによれば、“明治の女”みたいな名だとのこと。私は震災1カ月前の還暦祝い前日の飲み会と、7月23日の新橋の会で会いました。本当に素敵な女性で、同級生みんなが雅裕君をうらやましがっていました(笑)。ふたりは数年前に結婚、東京・三鷹での暮らしも落ち着きはじめていたでしょうに、この震災です。

“あなたが大島に帰るというなら私も一緒に。だって夫婦ですもの”。というのは私の勝手な想像というか妄想ですが、そんなきっぷの良さを感じさせる女性です。なかなかできることじゃありませんよ。先日の取材記事で知りましたが、運転免許をとってから大島に行ったとのことです。

新潟出身のつやさんにとって大島は慣れない土地です。そしてまた、四畳半二間だという仮設住宅。正直、大変だと思う。気仙沼はもうかなり寒くなっているしね。どうぞ、あまり急がずに時間をかけて、大島そして気仙沼の土地と人に慣れてください。

つやさん、雅裕。また気仙沼で飲もう。

10月27日ブログ「宮古屋の雅裕君」

気仙沼大島/宮古屋のマップ(〒988-0611気仙沼市田尻209 Tel 0226-28-2015)


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ほぼ日in気仙沼

糸井重里さん。数多くの魅力的な広告コピーをものしてきたコピーライターとしても知られていますが、1999年からはインターネット上で「ほぼ日刊イトイ新聞」(ほぼ日=ほぼにち)を創刊し、多くの読者、ファンを獲得しています。

その糸井さんが気仙沼をなにくれとなく支援してくれているのをご存じでしょうか。
震災後のツイッターでのメッセージ(ツイート)で、糸井さんと気仙沼との関わりを追ってみました。

震災後当初、糸井さんは義援金の金額などについての考えを述べるなど、ご自身にできることがなにかといろいろと考え、発信しています。そして5月には宮城県山元町でのボランティア活動「スコップ団」に参加するなど、被災の現場を体験します。そうした活動のなかで、ボランティアグループや支援活動をおこなう多くの人との出会いがあったようです。

たとえば支援団体「ふんばろう東日本支援プロジェクト」代表 西條剛央さん。そして、「セキュリテ被災地応援ファンド」をミュージックセキュリティーズ(株)とたちあげたNPO法人ファイブブリッジの山田康人さん。

山田さんは宮城県庁に勤め、気仙沼在住時にはコヤマ菓子店小山隆市君(3年6組)の長男裕隆さんらと「気楽会」を立ち上げて気仙沼ホルモンのPR活動を行うなど、根っからの気仙沼好きだそうです。「セキュリテ被災地応援ファンド」に、斉吉さん、アンカーコーヒーさん、石渡商店さんなど気仙沼の会社が多く参加しているのはこうしたご縁があったのですね。

そして7月9日、「ほぼ日」で山田さんと西條さん、糸井さんとで話しているなかで、「ほぼ日気仙沼支社」の構想が生まれました。翌日10日の西城さんのツイートでは「糸井重里さんの“天才”をまざまざと目の当たりにしました。こんなに知的な興奮、快感を味わえたのは震災後初めてかもしれない。いやあ凄かった」と。
糸井さんのツイートはこうです。「ほんとうになってから発表するべきかもしれないけれど、「ほぼ日」の気仙沼支社をつくろうと思ってる。今日、西條さんと話しているうちに、イメージが見えてきたんです。ちゃんと事業にするようにしなきゃいけない。あれこれ考えていると眠れなくなっちゃう」

私も糸井さんのツイートで「ほぼ日気仙沼支社」の文字を目にしたときは驚きました。いったいどうなってるんだって。
この段階では糸井さん個人の構想ですが、実現にあたっては「ほぼ日」の組織としての計画にしなければなりません。翌週の定例ミーティングで構想を話されたスタッフの皆さんは驚いたでしょう。なんで気仙沼なの、とかね。

いま、その支社開設に向けた準備が着々と進んでいます。場所は田中前のコヤマの近くみたいですよ。糸井さんはこれまでも3回ほど気仙沼を訪れていると思いますが、今月末にはまた気仙沼訪問予定。11月1日には事務所開きとか。

そして最後にビッグニュース。
糸井さんのツイートや、「ほぼ日」トップページ「今日のダーリン」の内容を総合すると、糸井重里さん作詞、矢野顕子さん作曲の歌が11月1日に発表されるようです。

「気仙沼においでよ」

なんかこのタイトルを聞いただけでしびれますね。あの矢野顕子さんがどのように歌うんだろうか。矢野さんは小さいころ青森で育ちましたから、東北人の感情、ニュアンスを絶妙におりこんで歌ってくれるのかな。糸井さんがひところ普及につとめていた「けろ」を使っていえば「気仙沼に来てけろ」的な(笑)。

糸井さん、本当に本当にありがとうございます。これからも、私たちが愛してやまない気仙沼をよろしくお願いします。

「ほぼ日刊イトイ新聞」トップページ (毎日更新され以前の内容は見られません)

「ほぼ日」東北の仕事論 気仙沼・斉吉商店篇

「ほぼ日」西條剛央さんの、すんごいアイディア

「セキュリテ被災地応援ファンド」

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宮古屋の雅裕君

24日、大島中学出身で気仙沼高校同級生だった熊谷雅裕君と電話で話しました。
雅裕君の実家は、大島・浦の浜「宮古屋」ですが、この震災の津波ですべて流されてしまいました。雅裕君は震災後、お母様のお世話、そして宮古屋復興のために大島に帰りました。7月末からは大島中学の仮設住宅で雅裕君夫妻とお母様の3人で暮らしています。

先日、以前のガソリンスタンドの場所にたてた仮設プレハブ事務所の電話がやっとつながったといいます。震災から7カ月後の復旧です。いまは300軒近くのお客様にプロパンガスを届けたり、灯油や20リットル単位でのガソリン販売を行っているとのこと。
また、雅裕君は「大島でも10メートルを超す防潮堤の話なんかが出でるけんとも、俺だぢに牢獄のなかで暮らせつうのかね」となかばあきれて話します。そして「おふくろの取材記事がのった雑誌をおぐったがら、読んでみて」と。

一昨日、その雑誌『環』が届きました。母上熊谷すん子さんの話が3頁にもわたって紹介されています。少し長くなりますが、抜粋して紹介します。

「我が家は汽船発着所のそばで、「宮古屋」を営んでいました。米穀や薬品、燃料、お土産の店舗兼住宅です。もともとは、亡くなった主人の父が食料営団大島第一配給所として任せられたお店でした。それを私たち夫婦が継ぎ、主人と長男が亡くなってからは私と長男の妻、社員とで切り盛りしてきました。

最初の80日間は親戚の家にお世話になりました。次は、二次避難所となった旅館で40日あまり、10世帯で共同生活をしておりました。そして抽選に当たったので、大島中学校の仮設住宅に入居しました。長男の妻は私をクルマに乗せて助けてくれまし、自身も助かりましたが、その後の心労が重なったんでしょう。体調を崩して北海道函館の実家に帰り、入院してしまいました。

島内にある私の実家も流されました。母屋も離れも倉庫も、もろともです。住んでいた94歳の兄嫁は行方不明。その近くには92歳になる私の姉が暮らしていたんですが、3日目につぶれた家の中から遺体で見つかりました。

この8月、東京に住む次男夫婦が帰ってきて、事業を継いでくれています。海岸近くの店舗はなくなりましたが、プロパンガスの配達やガソリンスタンドなどの燃料部門は復活させたんです。次男の妻は、大島で暮らすには必要だからと、急いで車の免許を取ってから引っ越してきたのです」(藤原書店刊 学芸総合誌季刊『環』2011年秋号より)

取材は9月だったようです。その翌日には、震災後はじめての句会が予定されていました。
「ここまで立ち直ることができたのは、たくさんの方の物心両面の支援のおかげだと実感しています。あの日あのときのショックを振り返れば、こうしておしゃべりしたり、句会に出たりする日が来るとは思っていませんでした」
そして明日のために詠んだという、つぎの句を紹介しています。

「命得ればこそ 老鶯の谷渡り」

老鴬(ろうおう)とは、夏に鳴く鶯のことだそうです。春には人里近くで鳴く鶯が、夏の山中ではまだ鳴いている。新しい巣をつくっているのです。目をとじて耳をすませば、大島のあのきれいな風景とうぐいすの声が聞こえてくるかもしれません。

7月26日の関連ブログ「恒四郎のプレハブ」

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マンボラーメン

「マンボ」と聞いて、すぐに南町のあの店を思い浮かべるひとは間違いなく気仙沼人。そのマンボは津波でやられましたが、気仙沼復興商店街「南町紫市場」への出店を準備中とのことです。

南町出身の妻によれば、マンボといえばラーメンなんだそうですね。
そして今、「がんばろう気仙沼」というグループが、「マンボラーメン復活プロジェクト」を展開しています。一口1000円で、10月25日現在ですでに229口の支援が集まっているとのことです。1口でお店復活後にラーメン1杯がサービスされます。

マンボラーメン復活プロジェクト

「がんばろう気仙沼」は気仙沼出身の菊田智さんという方が発起人となってたちあげた有志ボランティアグループです。その活動のひとつが、震災写真の収集と提供。気仙沼被災者の罹災証明のサポートを主目的として、気仙沼市の詳細な地区にマッピングした写真を市民に無償提供しています。

10月22日の東京・恵比寿「気仙沼を元気にする会」でも、そのメンバーが熱心に写真撮影をおこなっていました。私たち気中20メンバーもホヤボーヤが描かれたカードを渡されて写真を撮ってもらいました。そのカットも含め、当日の写真がつぎのサイトに沢山紹介されています。

「がんばろう気仙沼」撮影の“気仙沼を元気にする会”

「がんばろう気仙沼」の膨大な震災写真ストックはつぎのホームページサイトから見ることができます。

「がんばろう気仙沼」による震災写真ストック

このサイトに収録されている写真を見ていると、その質と量に圧倒されます。
そして、震災直後に感じていたあのなんともいえない感覚がよみがえってくるのです。

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真知子さんから

22日の恵比寿「気仙沼を元気にする会」の会場で、気中20回生やけせもい会のみんなで歓談していると、ひとりの女性がやってきました。

「佐々木金物店の真知子の娘です」そして続けて「震災のときに、同級生のみんなには本当に助けてもらい、そのことのお礼を伝えてきて欲しいと言われました」というのです。「会場のどこかにみんなが必ずいるはずだからと」

それで思い出しました。9月中旬にツイッターで「気中20のブログのことを話しておきました!母は魚町の佐々木金物店です」との娘さんからのメッセージを受け取っていたのです。

鈴木(佐々木)真知子さんは3年4組。このクラスがまた結束が固いんだ。松本英人君らの細かな支援については、気仙沼の鮨店“一心”の小野寺(萩原)実木枝さんからも聞いておりました。また、真知子さんは震災時に骨折をしてヘリコプターで病院に搬送されたそうなのですが、その際に松本君が仙台に住む大竹(及川)純子さんに頼んで見舞いにいってもらうなどの連携プレーもあったようです。

それと、気中20支援会結成のきっかけとなった3月25日の支援物資トラック輸送。これには、気中20回の鈴木徳一君、小山達朗君、千葉憲二君、板橋和夫君に加え、津谷中学出身のけせもい会メンバー諸橋茂君も同行してくれました。諸橋君は、防衛大卒の陸上自衛隊OBですから、非常時の支援活動ではこれ以上の助っ人もいないでしょう。諸橋君が、都合で22日の恵比寿会場に来られなかったのは残念でした。

3月25日支援物資輸送レポート

真知子さんの感謝の言葉。それは、こうした皆さん全員にあてられたものだと思います。
真知子さん、あなたのメッセージを娘さんが確かに届けてくれましたよ。
ありがとうございました。

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22日恵比寿報告

10月22日(土)の東京・恵比寿にての「気仙沼を元気にする会」。当初の定員250名を超える300名以上の参加者で大盛況でした。

気中20からは、斉藤恒四郎、田口(三浦)文男、熊谷薫、岩淵勉、千葉正俊、板橋和夫、児玉(藤田)道子、小田明紀。そしてけせもい会として、唐桑中から鈴木修、千葉健二、村上教行、階上中から西条健也、津谷中から佐藤幸則の皆さんが参加してくれました。正俊君、小田は愛妻同伴。気仙沼からは市議会議長の臼井真人君も来賓として参加しました。

菅原市長やサンマ祭りでお世話になっている目黒区長からの挨拶のあとに参加団体の紹介です。気中20支援会は、会長の鈴木徳一君が所要で参加できず代理で小田より一言。気中20とはいうものの、他中学校も含めた同年生グループ“けせもい会”をベースにした会であること、そしてその趣旨をブログ名の「プラス」に込めたことなどを簡単にお話しいたしました。

会場では、ツイッターやブログなどで名前だけを知っている人達とはじめて顔を合わせたり、先輩や後輩と久しぶりに会ったりと、元気があふれた和やかな雰囲気でした。こうした集まりを持てて本当に良かったなと実感しました。
実行委員会をはじめ、この会の関係者の皆様に心からお礼申し上げます。ありがとうございました。

会った人、聞いた話などは、またあらためて紹介することにして、今日は当日の写真を何枚か紹介しましょう。東京からの応援の気持が少しでも伝わればと思います。

元気1
左:気中20&けせもい会メンバー 右:参加支援団体として一言挨拶
RIMG0354.jpg RIMG0358.jpg
左:立食で歓談、右端は菅原市長 右:左から斉藤、千葉健二、岩淵、小田、熊谷君
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左:左から鈴木、田口、千葉正俊君  右:斉藤、正俊、熊谷、岩淵君
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左:板橋君と臼井真人君 右:実行委員長の小山利英子さん(9学年下の鼎高30回生)

小山隆市君の息子さんのブログにも写真が多数アップされていました。私たちも写っているので紹介します。

ブログ「またたび」

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恵比寿へGO!

本日22日は、午前11時から東京・恵比寿にて「気仙沼を元気にする会」。
18日に、会場へのアクセスをご案内しましたが、念のため以下に再掲します。

下車駅はJR山手線・恵比寿駅。改札は「東口」が便利です。
東口はホームからエスカレーターで上にあがります(恵比寿アトレ3階フロアと同じ)。
お店の案内には駅の改札は一カ所としてありますが、これは誤りで、ホームから下がる西口もありますのでご注意ください。
「東口」から動く歩道“スカイウォーク”で、ガーデンプレイスへ。
約400mほどあり、案内には5分とありますが、会場までは10分以上かかると思ったほうがよいでしょう。

会場は、恵比寿ビヤステーションの後方、40階建の恵比寿ガーデンプレイスタワーの地下2Fの地下レストラン街「味な小路」の中にあります。

 恵比寿マップ 地図はクリックで拡大

「銀座ライオン」恵比寿ガーデンプレイス店 電話5424-1271
 10:30開場、11:00開会

ユーストリームでの中継映像の視聴は昨日のブログをご覧ください。
まずはよろしく。

「気仙沼を元気にする会」ホームページ

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恵比寿テレビ

明日10月22日、東京・恵比寿にて「気仙沼を元気にする会」が開催されます。

当日の会の様子は、実行委員のみなさまのご努力によって、インターネットの動画共有サービス「USTREAM(ユーストリーム)」を通じて中継映像が配信されます。

当日、参加できない方々、たとえば気仙沼にいてもインターネット環境があれば、テレビ中継としてご覧いただけます。つまり、恵比寿テレビ。

USTREAM「気仙沼を元気にする会」

私もあまり詳しくはないのですが、当日の開催時間には下の画面に映像がうつるはず。
会は、10月22日(土)午前11時~午後2時までの3時間です。11時前には中継が始まるでしょう。


Video streaming by Ustream
22日のお昼ごろ、カメラに向かって笑いながらVサインを出す還暦近いはげの男。
それは私です(笑)。

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気楽会の種子

10月17日のNHKテレビ「ニュースウォッチ9」の特集「被災地を“見て感じる”ツアー」で気仙沼が紹介されました。見逃した方は、つぎの番組サイトでぜひどうぞ。

ニュースウォッチ9ピックアップ

この“ツアー”は、このブログで何度も紹介しているコヤマ菓子店・小山裕隆さんらのボランティア活動「こちら!気楽会 観光案内課」として行われたものです。気楽会は、3年前「仙台宮城デスティネーションキャンペーン」が行われた10月~12月日曜日、JR南気仙沼駅構内に案内所を設けて観光案内を行いました。その後も毎年継続して今回が4弾目となります。

この「気楽会 観光案内課」が、10月20日発売の新潮社「旅」創刊1000号の記念特別号(1300円)で紹介されています。
「わたしを元気にする63の旅」のひとつ「東北の旅 宮城県気仙沼市 何度でも通います。復興とともに わたしも元気をもらう旅」。

裕隆さんは、自身のブログでこの雑誌特集のことをこう書いています。
「被災して復活した商店も載ってる。コヤマ菓子店もぼくが満面の笑みで(笑)。ヴァンガードさん、磯屋水産さん、すがとよ酒店さん、齋藤茶補さん、藤田製函店さん、武山米店さん、アンカーコーヒーさんの記事も必見。雑誌自体読み応えある内容なので是非買ってチェックしてみてください」

新潮社「旅」

そして、「旅」誌でこの「観光案内課4」への参加者を募集し、NHKニュースで紹介された第1回を10月16日に実施。2回目が11月20日に予定されています。

これらに先だち9月25日には、試行版の半日ツアーが行われました。これには新潮社関係者に加え、コピーライターそしてネットで「ほぼ日刊イトイ新聞」(ほぼ日)を主宰する糸井重里さんも参加しています。その様子がつぎの「ほぼ日」の関連コーナーに紹介されています。題して「気仙沼さ、だいん!」

「ほぼ日」ただいま製作中「気仙沼さ、だいん!」

こうしてNHKニュース9や新潮社「旅」での紹介、糸井重里さんの関わりなど、注目が集まる気楽会の活動ですが、「気仙沼ホルモン」をはじめとするこれまでの様々な活動の歴史からくる重さと深さを感じます。
そしてその根っこには、裕隆さんの父上 “隆ちゃん”こと小山隆市君(3年6組)らが25~6年前に始めた「甚六鬼の海神様」や、仲町の七夕祭りなど多くの地域活動があります。

テレビニュースの画面をみながら、隆市君をはじめとする地元の気中20回生のまいた種が、つぎの世代のたしかな実になっていると強く感じたのです。

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どうすっぺ

妻の母が先週、義姉夫婦と一緒に震災後はじめて気仙沼に帰りました。二泊三日。すっかり変わってしまった気仙沼の風景にあらためて驚いたようですが、妹家族と会うなどして、ひさしぶりの気仙沼時間を過ごしました。
ただ、津波で2階半分ほどまで水があがり取り壊しを待っている南町の実家は見なかったというか、見せなかったとのこと。

南町の民家取り壊し作業はどうも止まっているみたいで、実家の1階には誰のものかわからない軽自動車が流れて入り込んでいたり、瓦礫状態のままなのです。夫と3人の子供と暮らした思い出が沢山つのるあの家の惨状をみたら、とても平静ではいられないでしょう。

義母はここ2年ほど、鹿折地区のケアハウスにお世話になっていました。日当たりもよく、南町の実家にひとりでいるときよりも元気になったようにも見えました。しかしこの3月、津波にあいました。
「2階の廊下で胸まで水につかったけんとも、てすりに“たっつがって”(すがりついて)助かったのっさ」。
ケアハウスはその後火事でもやられて再建の見込みはまだたっていません。

義母はいま、焼津の義姉宅に戻るまえの一週間ほどを東京のわが家で過ごしています。こうして何度か二人の娘のところを行き来しているのです。

気仙沼に帰る場所がない。それがどんなにつらいことか。私は「お母さん、気仙沼にいるときよりよっぽどいいじゃない。実の娘と一緒にいられるんだから」というのですが。

ちょっとしたときに義母さんの口からもれる「どうすっぺ」。どうしよう、どうしたらいいんだろう。懐かしささえおぼえるその言葉を聞いても、返す言葉がすぐには見つかりません。

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恵比寿への道

10月22日は東京・恵比寿で「気仙沼を元気にする会」が開催されます。
すでに250名を超える申込みがあるとも聞いており、盛況となることでしょう。

ガーデンプレイスははじめてという方のために、会場へのアクセスをご案内します。

下車駅はJR山手線・恵比寿駅で、改札は「東口」が便利です。
東口はホームからエスカレーターで上にあがります(恵比寿アトレ3階フロアと同じ)。
お店の案内には駅の改札は一カ所としてありますが、これは誤りで、ホームから下がる西口もありますのでご注意ください。
「東口」から動く歩道“スカイウォーク”で、ガーデンプレイスへ。
約400mほどあり、案内には5分とありますが、会場までは10分以上かかると思ったほうがよいでしょう。

会場は、40階建の恵比寿ガーデンプレイスタワーの地下2Fの地下レストラン街「味な小路」の中にあります。

 恵比寿マップ 地図はクリックで拡大

「銀座ライオン」恵比寿ガーデンプレイス店 電話5424-1271
 10:30開場、11:00開会

待ち合わせは、東口改札周辺か、ガーデンプレイスのセンター広場(時計広場)あたりでしょうかね。

それでは22日、会場にて。

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台湾からの支援

台湾仏教慈済基金会による被災者支援活動をご存じでしょうか。
宮城、岩手、福島の3県で、今回の震災で全壊・大規模半壊・半壊となった世帯の世帯主を対象に、単身 3万円、2~3人 5万円、4人以上 7万円の見舞金支給のほか、支援物資配布や炊き出しをはじめとするボランティア活動を行っています。

気仙沼でも7月末に見舞金支給が実施されました。当日の市役所・ワンテンビル前は長蛇の列となったそうですが、台湾の関係者の方々の気配りがすごく、いわゆるお役所仕事とは逆の思いやりにあふれたものだったようです。
同基金会のサイトによれば、気仙沼での支給額は、10月9日現在で4億126万円にものぼります。

この台湾仏教慈済基金会は、仏教系の慈善団体で、1966年に「台湾のマザーテレサ」とも称される尼僧、釈 証厳(しゃく しょうごん)さんによって設立されました。初期には、5人の弟子とともにベビーシューズを作ったり、30人の主婦が毎日50銭の食費を削って貯金するなどして貧困者の救済を行っていたそうです。女性が主要メンバーとして活動することで知られ、現在は、日本をはじめ世界50カ国に支部が開設され、援助した国と地域は71を数えるとのこと。

なお、前回7月の見舞金を受け取っていない世帯への支給が、10月23日(日) 9:00~15:00に、ワンテン地域交流センターでおこなわれます。詳細はここから 気仙沼市からのお知らせ

慈済基金会をはじめ、今回の震災での台湾の方々の多くの支援には本当にありがたい気持ちでいっぱいです。一方で、日本と台湾の微妙な政治関係のせいか、日本からの感謝の気持ちの表現が充分になされていないことが気になっております。あらためて、台湾仏教慈済基金会、そして台湾からの支援関係者すべての皆様に厚く御礼申し上げます。

慈済基金会が支援金支給のときに配布したリーフレットに、設立者である釈 証厳さんのつぎの言葉が紹介されていました。

「一人が一つの愛を差し出せれば、危機をチャンスに、災いを幸いに転換することができます」

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太ももの傷の話

おとつい13日、佐々木徹君から電話をもらい、亡くなった3年5組担任の杉目(すぎのめ)先生のことをなんやかやと話しました。6日のブログに書きましたが、独身時代の杉目先生は徹くんちに下宿していたのです。

中学2年のころでしたでしょうか、私は徹君と一緒に杉目先生から英語を教わっていました。通っている中学の先生でしたから、あまり人にはいいませんでしたけど。そのころの思い出がいろいろありますが、そのひとつが「太ももの傷」の話。

私が4歳か5歳のころ陣山/田谷の第二保育所の崖からころげおちて、左大腿骨を骨折しました。紙飛行機をとばしていて、崖の途中にひっかかった紙飛行機をとろうとして滑ってしまったのです。菅原久良君(3年6組)が“アキちゃんが落っこちた”とみんなに知らせてくれました。その手術の傷が左太ももに。当時は10センチぐらいでしょうか、今は25センチほど。私も一応、かなり成長したからね(笑)。

そしてある日、その傷のことを杉目先生と話していたら、先生が「それはよかったね。傷がないよりあったほうがいいよ」というのです。続けて「自分に傷があると、傷をもったほかの人の気持ちがわかるからね」というのです。

どうです。どまんなか、直球でしょう。今どきのテレビドラマでは不自然ということで使わないような言葉です。でも、そんなまっすぐな言葉を投げてくる、それが杉目先生なのです。

英語はあまり身に付きませんでしたが、45年以上経ってもそんなことがいまでもなぜか忘れられません。

10月6日ブログ「杉目先生の口笛」

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高すぎる壁

気仙沼の復興計画で、県が6.2メートルの堤防を計画しているという話を9月27日に書きました。この堤防計画について、10月12日付の河北新報Web版が報じています。

この記事では、堤防の建設に反対している気仙沼市南町の「あさひ鮨」社長村上力男さんの声を紹介しています。先日、村上社長が県に陳情したことを聞いておりましたが、それを受けてこの記事になったようです。

いろんな意見があると思いますが、私は南町付近に高さ6.2メートルもの高い堤防を設けることには反対ですね。あくまで、そこにいま住んでいない者の意見ですが。
津波を完全に防ぐことはできないという前提で、逃げやすい町作りによって被害を少なくするということしかできないと思うのです。

それと私が不思議に思うのは、この県と東北地方整備局の計画の中身が私たち一般人にはわかりにくいということです。
市が進めてきて9月末にまとめた復興案とは別の流れで、この県と国の計画が報じられています。菅原市長も「市民の親水性を考えれば、譲れない部分。市長として問題提起する」と語っていますが、当然の反応でしょう。

この堤防計画については、これからも注意深く見守っていきたいと思います。
って、お前はニュースキャスターか(笑)。

10月12日配信の河北新報記事

9月27日ブログ記事「6.2Mの防潮堤?」

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新・かもめ食堂

今日、駅で目にした「東京ラーメンショー2011」のポスターの出店名のなかに、「気仙沼 新かもめ食堂」の名を発見。
早速ラーメンショーの公式ホームページをのぞいてみると、次の説明がありました。

「気仙沼出身の「ちばき屋」 店主・千葉憲二氏が、地元の復興をかけてプロデュース」

この「東京ラーメンショー2011」は、11月2日(水)から6日(日)まで、東京・駒沢オリンピック公園の中央広場で開催されます。

千葉憲二君(3年4組)は、これまで3度にわたって気仙沼での炊き出しを行ってきましたが、その際にも気仙沼での「新かもめ食堂」構想を語っています。現在、市役所など関係先と相談し、出店する場所も絞られてきているようです。ラーメンショーへの出店は、そのおひろめというか、プロモーションも兼ねているのでしょう。

憲二君は、4月に話してくれた自分の計画の実現に向けて、着々と準備を進めてくれていました。なかなかできないことだと思います。また詳しい話を聞いて紹介しましょう。

ネットで調べていたら、つぎのニュースサイトで、「ラーメンバンク」の大崎裕史さんが、憲二君の還暦を祝った「ちばちゃん百年祭」を紹介していました。300人が集まったそうです。

サイトZAKZAK “ちばちゃん” 父の男気、母の優しさで40年

憲二君は、気中20回生だけでなく、ラーメン業界でも人気者のようです(笑)。

4月28日のブログ「ちばき屋 憲二君の炊き出し」

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銀座訪問の報告

10月7日にオープンした気仙沼の銀座アンテナショップ「銀座いきなり市場」。
小山達朗君(3年9組)と菊田裕美君(3年1組)から報告メールをいただきました。

まずは “タッチャン” 達朗君から。
「達朗です。銀座のアンテナショップに行きました。初日の7日に行きましたが場所が探せず8日にやっと行けました。春日利春君に会うことができず残念です。商工会議所の臼井会頭さんに会うことができました。皆さん頑張っていますね。アンテナショップで一人でも多く支援の輪が広がることができたらいいですね!」

次は支援会事務局 “ヒロミちゃん”(男性です。念のため)。
「10日、銀座のアンテナショップに行ってきました。この日は開店キャンペーンがあり、気仙沼から取り寄せた赤身のマグロで作ったマグロ丼を無料で食べることができました。

まぐろ

気仙沼のマグロは赤身ながら脂もあり、大変美味しくいただきました。ショップに「ごんぼだれ」という名前の菓子があったので買ってみました。ごぼうの味と故郷の言葉がマッチングしていました。
皆さん時間があったら、銀ブラを兼ね一度アンテナショップをのぞいてみてください」

報告は以上です。
ショップは、数寄屋橋交差点角のTSビル(旧・東芝ビル)の1階です。メインテナントはモザイク銀座阪急ですが、その角に向かって左側にショップがあります。外堀通りをはさんで「SONYビル」の向かい側といえばわかるでしょうか。

・銀座アンテナショップ「銀座いきなり市場」
TSビル(旧・東芝ビル)1階(東京都中央区銀座5-2-1)
東京メトロ丸ノ内線、日比谷線、銀座線 銀座駅C2、C3出口すぐ
JR有楽町駅下車 徒歩3分
午前11時~午後7時。月曜日定休です。


次のモザイク銀座阪急(TEL3575-2011)の地図を参考にしてください。この地図ではビルのイラストが左にずれていますが、実際は数寄屋橋交差点の角地にあります。

銀座地図

それでは、行ってらっしゃい(笑)。

10月8日のブログ「銀座店オープン」

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7カ月たちました

半年たったのがつい先日のように思うのですが、もう7カ月。
10月7日の記事にACの公共広告のことを書いて、“震災後の数カ月はACの広告ばかりだったのに、いまじゃ、それも遠い昔のこと”と感じました。
落ち着きを取り戻すということと、忘れ去るということは違うはずなのですが。
現実はきびしいね。

さて、10月22日(土)は「気仙沼を元気にする会」。気中20支援会も参加しております。まだ申込みを受け付けているそうなので、ぜひご参加ください。

元気にする会案内状20110920あ

◎気仙沼を元気にする会

日時:10月22日(土) 開会/午前11時 閉会/午後2時 (開場10時30分/乾杯:正午頃)
場所:銀座ライオン・恵比寿ガーデンプレイス店
会費:男性 5,000円 女性 4,000円 ブッフェ形式(立食・着席エリアあり)
申し込み:ホームページ内のお申し込みフォームにて

「気仙沼を元気にする会」ホームページ

お問い合わせ:気仙沼を元気にする会実行委員会事務局
E-mail: genki@ksn-b.com
FAX: 03-6233-6319 TEL: 03-6233-6310 テレパス(株)内


◎支援金口座のご案内
毎月11日には、支援金口座のご案内をいたしております。

支援金口座情報はここから 

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還暦祝い慰労会

10月8日の晩、気仙沼ホテル観洋にて、本年2月12日に行った還暦祝いの慰労会がありました。
翌9日の小山隆市君(3年6組)の気仙沼ネットデリバリーのブログにその報告がありましたので紹介します。


「 10月8日の晩、気仙沼中学校20回生還暦祝いの地元役員を中心とした慰労会が開かれました。2月の還暦祝いから一カ月後の東日本大震災。まさかまさかの展開、感慨深い慰労会でした。参加者は45名ほど、その三分の一が被災しています。

楽しかった還暦祝いの話も沢山出ましたが、やはり話題の中心は震災のことになったのは、仕方がありませんね。

ただ、皆さん嘆いてばかりではありませんでした。明日への一歩を、それぞれの形で着実に進んでいることを実感しました。たくましい還暦過ぎの仲間たち、うれしかったですね。

今回の慰労会で、一つの提案が出ました。来年、後厄祝い?を兼ねて、旅行をしようということでした。場所、日時はまったく決まっていませんが、とにかくもう一度学年全体で集まりたいということでした。

いいですね。さすがパワーあふれる気中20回生ですよ 」

慰労会

隆ちゃんからの報告は以上です。還暦祝いの委員、地元の皆さんには、昨年の物故祭、そして今年の還暦祝い、記念アルバム作成・配布をはじめ、大変お世話になりました。

本当にありがとうございました。
なんとかまた、みんなで集まることができる機会をつくりたいですね。
心からそう思っています。

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銀座店オープン

昨日10月7日、東京銀座の数寄屋橋に気仙沼産品のアンテナショップがオープンとのことで早速行ってみました。午前11時からのオープニングセレモニーを終えて、午後2時から開店です。
ショップは、銀座4丁目交差点から向かうと、数寄屋橋のTSビル(旧・東芝ビル)の1階。東京都中央区銀座5-2-1、モザイク銀座阪急の左側です。(午前11時~午後7時・月曜日定休)

ショップでは、気中20回生でこのアンテナショップ計画の気仙沼側受け皿である気仙沼商工会議所専務理事の春日敏春君(3年9組)や、気仙沼高校同年生で気仙沼市の総務部長をつとめている大和田一彦君にも再会しました。
エスカレーターで2階にあがると、三陸新報の震災関連の写真が展示してありました。リアルな写真に触れると、3月の思いが戻ってくるようです。

このショップは8月末までとのこと。皆さんの応援をよろしくお願いいたします。開店記念として8日から3日間、気仙沼の郷土料理「サンマつみれ汁」「ふかひれスープ」などを来店者に無料でふるまうそうです。

まずは取り急ぎ、速報ということで、

 RIMG0340-1.jpg 
このショップは、東急不動産さんのご好意で「東日本復興応援プラザ」企画の一環。
東急さん、ありがとうございました。


RIMG0337-1.jpg RIMG0338-1.jpg
左が大和田君、右が春日君

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帰りに寄った銀座のアップル・ストアのエントランス。ジョブズ追悼。合掌

9月26日の関連ブログ

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キマグレンの歌

昨日は、想像もしていなかった杉目先生の訃報に接し、なんで生前に会うなり電話するなりしなかったのかと、悔やむばかりでした。

でも今日は気持ちをきりかえて、杉目先生の口笛のように明るくいきます。音楽の話題です。

7月にACジャパンの公共広告の撮影が気仙沼小学校で行われたことを知り、放映時に紹介しようと思っていました。東北地域キャンペーンなので、東京では見ることができません。10月放映開始とのことですから、気仙沼のみんなはすでに見ているのでしょう。

まずはACのサイトから映像と音楽をどうぞ。ポスターも紹介されています。

ACの地域キャンペーンサイト

歌はキマグレンで、タイトルは「笑顔の花」。このキャンペーン広告のためのオリジナル曲だということです。

空に祈りを 風に歌を
声を乗せて 君に届けよう
この指とまれ みんな集まれ
手と手を鳴らせば 笑顔の花が咲く

映像で、気仙沼小学校校庭の先に見えるのが気仙沼中学校の体育館と校舎です。今、その後方には仮設住宅が建ち並び、多くの人が暮らしています。

だめだなあ。この映像と歌を見て聞いていても、私たちが中学のころの杉目先生を思い出してしまいます。

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杉目先生の口笛

目黒のさんま祭で再会した同じ魚町5区だった佐々木徹君(3年1組)との思い出のひとつが杉目(すぎのめ)先生です。気仙沼中学校の英語の先生で3年5組の担任でした。仙台の杉目豆腐店の息子さんで2浪して入学した早稲田大学を出てまもなくの若い先生です。

その杉目先生が徹君の家に下宿していたのです。2階の部屋の窓際にはスピーカー部が布(サランっていったかな)で張られた大きなラジオが左右に2台が置かれていました。その間にはレコードプレーヤー。先生はクラシックが好きで、レコードだけでなく当時始まっていたFMの実験放送なども聞いていました。LPレコードを大事そうにジャケットから引き出すしぐさや、ジャケット左上の黄色のタイトル部に装飾が施されていたことを覚えています。グラモフォン盤だったのでしょう。

その杉目先生は朝、徹君ちを出て学校に向かうとき、必ずといっていいほど口笛を吹くのです。ちょっと顔を上に向けてね。いろんな曲です。みんなとにかく“明るくて健康的な曲”。イメージとしては「ピクニック」。丘を越え行こうよ 口笛ふきつつ 空は澄み 青空 牧場をさして~~。

先生は結婚してから赤岩が住まいです。海から結構離れていたはずだから津波は大丈夫だったでしょう。ブログに書く前に確認と思い、先日から電話をしているのですがつながりません。それで徹君にメールで先生の消息をたずねました。

昨日の夜の徹君からの返信。
「 杉目先生の消息ですが、この震災時に亡くなったと思われます。私の親戚が、震災後のストレスで3月23日に亡くなり、葬祭場のアーバンに棺が置かれたときにお焼香に行きました。その時、杉目俊夫と記入された棺があり、驚いて蓋を開け、中を見たところ昔の面影がない痩せた男の方のご遺体がありました。後で聞いたところ以前より体調を悪くされていたとのことでした。
同姓同名の方がいるかもしれませんので、私も家族の方にお聞きしたいのですが、現在のところ確認がとれておりません。もっと早く教えるべきでした。ゴメンナサイ」 徹

驚きました。まだはっきりした話ではないとしても。なんとも言いようがありません。
ずいぶんとお世話になりました。たくさんの思い出があるのです。つもる話やお礼を言わなければならないのです。
いま思い出す杉目先生は、26~27歳。口笛を吹いています。

(以下、6日午後1時に追加)
さきほど、杉目豆腐店の電話番号を調べ、弟さんの奥様とお話しできました。
先生は、3月21日に亡くなりました。震災時、先生は入院していたそうですが、病院の停電などもあったようです。自宅は大規模半壊で住めず、無事だった先生の奥様は一時娘さんのところに避難し、9月ごろから自宅の場所にトレーラーハウスを設置し暮らしているとのことです。

杉目先生のご冥福を謹んでお祈りいたします。

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被災地修学旅行

気仙沼に、震災後初めてとなる修学旅行の高校生が来てくれたと、10月4日のNHKテレビニュースが伝えています。

NHKニュース映像 動画映像も見られます(動画配信終了)

気仙沼市を訪れたのは、大阪府立吹田高校の2年生およそ300人。先月復帰したフェリー船「海来」(これはたしか市民公募のネーミングで“みらい”と読みます)にのって海上から被災地を見たようです。気仙沼市には、毎年4000人余りの修学旅行生が訪れていましたが、震災後は今回が初めてだそうです。

陸前高田の松をめぐっての京都「五山送り火」の騒ぎ、そして最近は東京都が岩手のがれき受け入れを決めたことに対する反発とか、なにかいやな感じのすることが続いていたなかでのうれしいニュースでした。

父兄をはじめ周囲には様々な意見があったでしょうが、この修学旅行の実施を決断した関係者の皆さんにお礼申し上げます。

いわゆる被災地観光には賛否両論があるようですが、どんな形であっても被災現場を自分の目で実際に見てくれたほうが、復興に役立つような気がします。

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つるんぺ!

なんか急に季節が夏から秋となってきました。昨日のテレビニュースでは、気仙沼の避難所でこたつで暖をとる人の映像を紹介していました。

それで私も季節の話題。ということで「つるんぺ」。

秋になると気仙沼小学校の校庭に赤とんぼがたくさん飛んでいました。そして2匹の赤とんぼがつながっているのを見つけると、「つるんぺだ、つるんぺだ」ってみんな笑ったものです。追いかけたりする子もいたりして。
つるんぺを見つけてわけもなく喜ぶ子供たち。いまは失われた懐かしき昭和の風景です。ってほどのこともないか。

中学ぐらいになると「“つるんぺ”は、単なるトンボの交尾」とわかったと思っていたら、違うんですね。さっき調べたら、先頭がオス後ろがメスの状態で2匹がただつながっているのは交尾状態ではないのだそうです。

トンボの交尾は、つぎの写真のような状態です。オスは腹部の前部に交尾器、先端に尾部付属器をもち、メスを見つけると首を確保して固定。メスは腹部をオスの交尾器まで伸ばし、交尾をおこなうのだそうです。

とんぼ

結構難しい格好をしながらハート型を形成するという演出が心にくい。仮装大賞なら満点でしょう(笑)。

秋の季節、気仙沼小学校のあの広い校庭が、それはそれは沢山の赤とんぼで埋めつくされることがありましたね。たしか夕方近く。気づくと校舎が夕焼けをバックにシルエットになっていて。なつかしい記憶です。

それにしても、「ペロンコ」とか「ツルンペ」とか、いったいどこからやってきた言葉なのでしょうか。実に不思議だ。

9月22日の「ペロンコ」の記事はここ

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愛の復興大作戦

先週9月27日に、震災の一カ月前2月12日に気仙沼で行われた気仙沼中学20回生還暦祝い会の記念アルバムが届きました。かろうじて残った撮影データと、各クラス担当から再度集めた写真をベースにやっと完成した記念誌です。7カ月前のことなのに、なにかずいぶん前のことのように感じながら写真をながめました。

翌日、送り状にあったわがクラス3年8組の還暦祝い実行委員でもある中里悦子さんに電話しました。アルバム送付のお礼や、なんの手伝いもできていないこと詫びたあと、なんやかや同級生の消息など。そのなかで、気仙沼でスポーツジム「K&B」を経営していた同級生 斎藤(広沢)高史君の携帯電話番号を教えてもらうことができました。

「愛の復興大作戦スペシャル」。みのもんたが司会する9月11日放映のこのテレビ東京の番組で、高史君夫婦がうつっているのを見て、その後どうしているかなと思っていたのです。

番組は、震災で店を失った9名の仮設集合店舗開設を支援するというものでした。その飲食店経営者のひとりが、高史君の奥さん喫茶店エスポアールの斎藤みき子さんだったのです。番組では、気仙沼・本吉広域防災センターという避難所にふたりだけ残る高史君夫妻の映像も紹介されていました。すぐに市のホームページで調べましたが、以前の収録映像だったらしく、すでに避難所ではありませんでした。

電話での高史君の話はこうです。
「気仙沼の赤岩五駄鱈の仮設住宅に入ることができた。自分はいま、仙台の近く利府町でジムの準備しており、なんとか11月には再開の予定。奥さんは、テレビで紹介された気仙沼屋台村仮仮店舗「はまらいん家」は10月で終了するものの、その後に本当の仮設店舗が始まりそこで営業できそうだ」

私が「頑張ってんな、すごいね」というと、「ダレ、食わねばねえがらな」。還暦祝いのアルバムは、「(中里)悦ちゃんが避難所までわざわざ持ってきてくれだでば」といいます。うれしかったと思うよ、高史も。わざわざ来てくれてさ。その気持ちがね。中里さんはじめクラスの関係者のみんな、いろんなお世話、本当にありがとう。

そして、そんなこんな、しばらく話していたら高史君が一言もらしました。「兄貴がだめだったからな」。本人や奥さんのことばかり考えていましたから、虚をつかれる思いでした。「3カ月たって見つかった」。

こうした話が多いのです。本人の無事を喜んでいると、その後に、あんちゃんがな、おんちゃんが、おばちゃんが、と続くのです。

いろんな思いのなかで再出発している斎藤高史、みき子夫妻の今後の活躍と発展を心から願っております。
そして、高史君のお兄様のご冥福を謹んでお祈りいたします。

7月12日ブログ「旧姓広沢君の記事」

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海と生きる

気仙沼市震災復興市民委員会は9月24日に12回目となる最後の委員会を開催し、復興のキャッチフレーズを選定しました。公募で寄せられた148案の中から、委員審査を通過した20案を対象に、委員や菅原茂市長、一般傍聴人ら44人が投票し「海と生きる」が11票で1位を獲得し決定とのことです。

「海と生きる」。いいじゃないですか。市民委員会の議論でも「海と共に生きる」をコンセプトにしていたようですので、その提案との整合性もありますし、「共に」を省いたことで、表現が強強くなりました。省いた「共に」の意味も充分に感じられます。キレがあって、コクもある(笑)。

ほかの案は、2位「蘇れリアスの輝き」、3位「ゴーヘイ!」のようですから、やはり「海と生きる」で決まりでしょう。「ゴーヘイ」はちょっと知らない人もいるかもしれません。「go ahead(ゴー・アヘッド/ゴアヘ)=前進」で船舶や荷役現場での用語ですね。

復興計画キャッチフレーズ20案

26日には、南町の気仙沼復興商店街の愛称も決まりました。「南町紫市場」です。
気仙沼復興商店街のホームページにはつぎのように記されています。
「NPO法人申請の際に団体名に入れられず泣く泣く諦めた「南町」と震災直後多くの人が避難した紫会館。紫会館の隣には地元の皆が慣れ親しんだ紫神社があり、みんなに「紫さん」と呼ばれています。この愛着ある2つを愛称に盛り込むことで、私たちの想いを表しました」

10月3日着工も決定したようで、本日10月1日が地鎮祭です。
無事の開設と多くのお店のご繁盛を心からお祈りしております。

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プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/64~65歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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