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画塾の広野先生

昨日の気仙沼温泉の話に「けせもいの湯」と書いたとき、「けせもい展」のことを思いだしました。
「けせもい展」は、気仙沼高校と鼎が浦高校の両美術部が年に一度開催していた美術展です。

42年前、高校3年生のときの「けせもい展」でこんなことがありました。
私が会場にいたときに、広野画塾の広野重雄先生が入口に見えました。そして順々に絵を見ていきます。そして私の10号の油絵のところで少し見入っています。そしてまた順に見て、私の20号の油絵でまたじっと見ています。名札をみたりして。

10号の絵はプラザホテルの下あたりから魚町の海岸に係留された3隻ぐらいの船と背景の問屋のならびを描いたもの。20号は、逆に魚町の通りから係留された2隻の船の間を描いたものです。いずれも写実というよりも少し抽象化した感じです。

会場奥に入ってきたときに、声をかけました。「画塾でお世話になったオダです」。
すると先生が「おお、いま絵を見て、はがきを書こうと思っていたんだ」というのです。「とてもいい」。
「美大にいくのか?」との問いに、「工学部にいくつもりです」。すると、広野先生が「後悔するかもな」。ひぇー、そこまで言ってくれるの。正直とってもうれしかった。

広野画塾には小学校のときから中学の中頃まで通いました。小学校低学年のときは多くの人が通っていましたが、中学のときには同級生はおらずひとりでした。そんなこともあって覚えてくれていたのです。
広野画塾では先生が童話を読んでくれて、生徒はそれをテーマに絵を描くのです。4年か5年生からは、ソニーのテープレコーダーを使っていました。先生は、ソニーは「テープコーダー」というんだとさかんに強調していました。先生がNHKラジオで紹介されたこともありましたね。

その後私は、工学部を志望しながら受からずに2浪しました。そしてその夏、方針を変更して美大に行くことにしたのです。絵ではなかったけどね。ま、正解でした。後悔せずにすみました(笑)。

人を育てるには、ほめるが一番。すぐ木にのぼる私など特にそうだったのでしょう。
今日はちょっと自慢話になってしまいました。すみません。
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テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/67~68歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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