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静かな気仙沼

南町の妻実家の取り壊し前作業のため、6日に夫婦で気仙沼に行き、8日に私のみ帰京しました。新幹線利用です。

南町と魚町の私の印象は「妙な静けさ」でした。

南町あさひ鮨近くの通りに座って休んでいると、周辺にほとんど人がいないし、小鳥のさえずりが静寂感をさらに増しているような感じです。周辺の建物があらかた倒壊し、旧警察署裏山の薄く色づいた緑まで見通しがきくようになりました。風通しも良くなったような気がします。

畳ぎりぎりで浸水が止まってくれた魚町坂口の実家から外を見ても、道路の通行規制をしてくれている自衛官の後姿のほか、通行人をほとんど見かけません。坂を上って下って鹿折の方に行っても、打ち上げられた何隻もの船体を見上げている3人連れがいたぐらいで、あとはやはり山から妙に響く小鳥のさえずり。本当に不思議な光景でした。

震災から2カ月が過ぎようとしているのに、テレビや新聞がよくいうところの「復興のつちおと」が聞こえない。静かな気仙沼。これでいいのかって、いいわけないよ。だけど、瓦礫ばかりかその言葉の持っていき場所が自分には見つかりません。
まずはわずかなことでも自分にできることを続けたいと思います。1日1回はかならず気仙沼のことや人を思い出すとかね。
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テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

小山達朗君から

事務局の菊田です。連休中に気仙沼に行った小山達朗君(3年9組)から報告をもらいましたので紹介します。同じ9組だった大友(小野寺)つき子さんの避難も確認してくれました。ご苦労さまでした。

「いろいろとお世話さまです。今日から仕事が始まりました。明日も出勤です。現地から連絡をしましたが、さらに詳しい状況をご連絡します。
私は家内と二人で、仙台まで新幹線で行き、仙台から車を借りました。仙台からは、三陸自動車道の石巻経由で津谷から大谷海岸を抜けて気仙沼に向かい順調に往復とも移動できました。
同級生の大友つき子さんの無事を階上中学の避難所をたずねて確認することができました。最初、市役所の防災本部にいる小山謙一君に消息を聞きましたが、本部では避難者の名簿がなく判りませんでした。階上地区の6箇所の避難所をたずねるしか方法がないとのアドバイスで、避難所に直接車で行き受付の担当者に聞きました結果、PCで名簿を確認してもらい「無事避難」情報だけは確認ができたものです。
階上地区にあったつき子さんの店(五右衛門ラーメン)は建物も全く何もありませんでした。つき子さんは非常につらい心境で避難所で暮らしていると思います。
また、気仙沼のスーパー何箇所かで食料の買い物をしましたが、すべての品物は十分に販売されておりました。買い物の心配はまったくなくなりました。
滞在中は、実家敷地の泥の撤去作業や老母の世話と被災した親戚に会ったりと多忙でした。家の用事が多くて、同級生と会う時間はとれずに帰京したものです。以上、状況のみとりあえずご連絡します。」(5月6日)

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プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/68~69歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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