堤監督、ありがとう!

5月4日の記事に、堤幸彦さんについて書き、「堤監督なら、また気仙沼を舞台にした新しいドラマをつくってくれるはず。期待して待とう!」と結びました。5月4日ブログ記事

そうしたら、早速来てくれました。それもボランティアで。

5月29日の三陸新報に、堤監督の26日と27日の2日間の活動が次のように紹介されています。

「微力でも何かできることをしなければ」という思いで、10月公開予定の映画「はやぶさ」の撮影を終えた今月25日、スタッフ10人とともにマイクロバスで気仙沼に急行。内の脇の建築資材置き場など割り振れた場所の片づけや泥だしを行った。
「ほかのスタッフにも呼び掛けて、また復旧作業のお手伝いに来たい」と堤監督。「いつか復興した気仙沼で明るく笑える作品を撮れる日がくることを願っている」と縁(ゆかり)の地にエールを送った。(記事は以上)

堤さん写真 活動中の堤監督。5月29日付け三陸新報より

監督として、俳優やタレントさんと一緒に避難所を訪問しての激励じゃなくて、ボランティアだよ。泥出し。ホントかっこいいよ、堤監督。
堤さんのブログがあったのでのぞいてみたら、26日から28日にかけて気仙沼のことが書いてありました。

28日の内容から:「そうとうに体を使う2日間だったが、ご一緒させていただいた避難場所から作業現場と向き合っている被災者の方々のことを思えば「何言ってんの」である。現実の「失われた風景」の中で思うことはいろいろあるが、何よりも、大きな悲しみを抱えつつも毎日を生きている人々に何ができるのかを考える。
私(達)のできることは本当に小さいが、継続することが重要だ。撮影当時にお世話になった方々が元気でいらっしゃることが本当にうれしかった」

堤さん、素晴らしいです。本当にありがとうございました。

堤幸彦さんのブログはここ

スポンサーサイト

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

紫さんの奥原さん

以前このブログでも紹介した畠山美由紀さん、熊谷育美さんとともに、イラストレーターの奥原しんこさんが雑誌『SWITCH(スイッチ)』に登場しているとの記事が5月24日の三陸新報にありました。おっといけない、見落としていたな。

SWITCH誌は、新井敏記さんが1985年に創刊したインタビューを主軸とした雑誌。根強いファンを持っているいわゆる「カルチャー誌」です。

近くの図書館にも置いてあるのでさっそく行ってみましたが、最新6月号の特集は、「東京事変~ビューティフル・ディスカバリー」。目次を見ても、気仙沼どころか震災のかけらも感じられません。
そしてよく調べてみたら、ひと月前の5月号の特集が「2011.3.11-13 世界を変えた3日間、それぞれの記録」でした。残念ながら貸出中で読めず。ちょっと三陸新報さんの記事が遅かった。

奥原しんこさんは気仙沼出身で1973年生まれ。南町の紫さんの途中、金光教会が実家です。
奥原さんを知ったのはもう15~16年ぐらい前かな。当時、川崎に本社のある物流会社の社史の仕事をしていたのですが、その会社の社内報の表紙を彼女が担当していたのです。
私が気仙沼出身と知った担当者が教えてくれました。社内報の表紙はコラージュによるものですが、いまの作風とはちょっと違うかな。

南町で金光協会となると、そうです気仙沼中学の奥原先生。ずっと、その娘さんに違いないと思っていたのです。
そして2008年の春、上野の近く谷中の銭湯跡を利用したギャラリーで「眠る人」と題する個展が開催されたので行ってみました。
ご本人もいたので、奥原先生のことを聞いてみたところ、おじさんだとのこと。なるほど。

奥原さんはその頃も、週刊文春だったか新潮の連載小説の挿絵を担当するなど活躍していました。プリミティブなイメージと、なんというか“奇妙な味”があるのです。今や雑誌ほかいろんな分野で活躍する人気イラストレーター/アーチストです。

音楽だけでなく絵の世界でも、あの気仙沼の同じ風景をみて同じ空気をすって育った、優れたアーチストがいることを大変うれしく思います。

奥原しんこHPでの作品紹介はここから

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

三陸新報を読む

先日まで義母さんが身を寄せていたため、三陸新報を我が家に配送してもらい読んでおります。
私はこれまで、気仙沼の実家で読み終えた三陸新報を一週間分ぐらいまとめて送ってもらっておりました。

十年以上前からかな。3年前までは父の散歩ついで、そして震災前までは母が魚町の加幸前のポストに投函してくれてました。ですから結構、気仙沼事情に詳しいんです(笑)。いろいろ面白い連載もありましたからそのうち紹介しようと思っています。

同級生がたまに登場するんですよね。震災のほんの少し前には、新酒を味わう会の記事で澤井充君と吉越宏一君がうまそうに飲んでいる写真が紹介されていました。数ヶ月前には小山容子さんがカネシメイチ直伝のさんま寿司の作り方を解説しています。

3月11日以降の数週間は新聞配送が十分にできなかったためでしょうか、パソコンで無料で読むことができました。そのサービスは終了しましたが、4月からはデジタル版三陸新報として月1400円で読むことができるようになりました。

ためしにサイトをのぞいてみると「立ち読みする」機能がありました。
そのボタンを押すと、第1面の概要が見られます。拡大ほかの機能は使えないものの、見出しや広告などに「気仙沼の現在」を感じとることができます。

ちなみに昨日5月27日のトップ記事の見出しは「本当に“優先”なの~選考結果に不満の声、福祉事務所『厳正にしている』、憶測交じり疑心暗鬼」などの見出しがあります。仮設住宅の抽選についてでしょうね。なかなか大変だ。

残念ながら本文を読むことはできません。まあ、今日あたり届くでしょう。

4月1日からのバックナンバーも“立ち読み”できますから、一度のぞいてみてはいかがでしょう。

デジタル版三陸新報はここから
三陸新報のホームページはここ

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

オヤマさんのブログ

昨日の菊田裕美君の横浜イベント紹介記事を読んでいて、“横浜宮城県人会の加藤さん”って、なんかで見たおぼえがあるなと。調べてみたら、気仙沼出身の、東京・新宿でIT企業を経営するオヤマさんという女性のブログ「オヤマ日記飴」でした。

オヤマさんは、震災直後からツイッターやブログで気仙沼関連の情報を熱心に発信しています。そしてその内容を読むと、どうも私小田と同じく魚町出身らしい。衆院議員小野寺五典さんと同級生というから、我々同級生(59歳~60歳)より9学年下かな(年齢言及失礼)。

実家は魚町の海岸で屋号もわかったので、兄宅の母に聞いたら「お祖母さんとは書道で一緒(たぶん、魚町の消防屯所/とんしょでの逢仙先生の会)だったし、あがってお茶を飲んだりもした」とのこと。なんだ地元じゃん。魚町LOVE仲間か。

ブログをあらためて読んでみると、魚町の実家は流されてお母さんは娘である小山さん宅に身を寄せているとのことです。みんな同じ、どっかで聞いたような話で身につまされます。

オヤマさんのブログ「オヤマ日記飴」の関連記事はここ

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

横浜に浪板虎舞がやってくる

事務局の菊田です。
斉藤恒四郎君からの情報で、6月4・5日に横浜の山下公園で開催される「横浜セントラルタウンフェスティバル・ Y152」の「東日本大震災復興支援物産展」に「浪板虎舞」が出演するとのことです。

6月4日(土) 16時から山下公園にて
6月5日(日) 12時から横浜公園/14時から山下公園にて

会場では物産展のほか、飲食コーナーも併設され、気仙沼の大政寿司、新富寿し、すし処たに口、和禅の4店から5名の寿司職人がきて、ふかひれ寿司なども出すようです。
この4店舗はともに地震と津波で全壊し、現在は休業中だとのこと。

横浜宮城県人会による出展だそうで、気仙沼高校第16回生(昭和39年卒)で横浜宮城県人会副会長の加藤建夫さんが特設ブログで紹介しています。

横浜宮城県人会 : Y152特設ブログはここ
横浜セントラルタウンフェスティバル/プログラムはここから

都合がつくかたは是非おでかけください。

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

21日の写真レポート

5月21日の支援活動については、板橋君からの報告をすでに紹介していますが、現地連絡所をお願いしている小山隆市君の気仙沼ネットデリバリー「気仙沼トピックス」に当日の写真が掲載されています。
以前も書きましたが、隆ちゃんのトピックスは更新されると前の記事が読めなくなりますので、今のうちに是非。

4枚の写真がありますが、1枚目の左から支援会の板橋君、鈴木君、そして現地福寿水産の臼井弘君。3枚目の左は、澤井充君です。

板橋君の報告にもありましたが、隆市君の文章でも町のにおいについて書かれています。東京もずいぶん暑い日も増え、気仙沼での梅雨や夏の到来による状況の悪化が本当に心配です。

21日の支援活動写真は、ここから

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

路地の記憶

5月6日から8日まで気仙沼に帰ったときの話を何度かさせてもらいました。カネシメイチからホテル望洋までということになります。
このあたりで思い出すのは、店名でも屋号でもなく、単に業種名で呼ばれている家が並んでいたこと。小学生の頃の話です。

ホテル望洋(当時は望洋館という和風旅館)から少し下るとまずは「石屋」。同級生西条恵治君の家。さらに下って「馬車屋」(たしか小山さんだったかな。馬はおらずトラックなどを使った運送店です)。隣が「箱屋」。今では発砲スチロールになってますが、当時の魚輸送のパッケージは木の箱。まあ言ってみればリンゴ箱(これも古いけど)の魚版です。

さらに下って「ペンキ屋」さん「クルマ屋」(いすゞタクシー)さん「仕立て屋」さんと続きます。そして坂口の入口には「鼈甲(べっこう)屋」(ひとつ上の昆野富士男ちゃん、ひとつ下の隆男ちゃんち)。昔、亀の甲羅、鼈甲を扱っていたことからの呼称との説あり。その隣は「桶屋(おけや)」吉田さんち。
カネシメイチも「ぶっつや(仏屋)」とも呼ばれてたな。修ちゃんのお祖父さんかだれかが、仏師だったそうな(日本昔ばなし風)。

「ぶっつや」の向かいには、「なべっこや」(小山商店)がありました。「鍋屋」ということですね。我々の時代には駄菓子屋さんでした(一個50銭という値付けの飴とか。5円とか10円玉を握りしめ「かいす~」って言って店に入りました)が、鍋の修理をする「鋳掛屋/いかけや」さんだったことからの名前と聞いたことがあります。当時でも店の隣でなんか作業をしているのを見たかすかな記憶があります。

なべっこやに向かって右側は海岸へ通ずる細い路地で、途中右側には井戸がありました。私にとっては大変懐かしい風景です。かなり前に井戸はふさがれ、数年前に通ってみると井戸があったおもかげもなくなっていました。
そして震災後は、その路地がどこにあったかさえよくわかりません。

それもこれも、私の記憶のなかにのみある、魚町の風景となりました。

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

ブログ開始1カ月

このブログ「気中20+PLUS」を始めたのが先月4月20日。なにせはじめての経験で、よくわからないままにスタートし、はや1カ月が経ちました。少しは慣れてきて、先日からブログ設定条件をいじったりしています。

たとえば1画面の記事数をこれまでの5から10に変更しました。あわせて左の「最近の記事」掲載数も10記事に。たまにまとめて読む人にはそのほうが親切かなと思っての変更です。

それと、ブログサービスが公式サポートしている「Twitter(ツイッター)」と「Facebook(フェイスブック)/いいね!」のソーシャルボタンも設置。それぞれの交流サービス利用者がこのボタンを使うと、そのフォロワーなどの仲間と簡単にサイトを共有できます。……とのことですが、実際のところは私にもよくわかりません(苦笑)。

この際、mixi(ミクシイ)のボタンも付けちゃいましょうかと調子にのっていじってみましたが、公式サポートされていないこともありうまくいきませんでした。
ちょっと画面がうるさくなったような気もするし。まずはしばらく様子を見ることにします。

このブログは、支援メンバーとの情報共有を目的としてはじめました。しかし実際には小田の気仙沼思い出語りも多く、どうなんだろうかと自分でも思いつつ書いている今日このごろです。
画面の設定内容などの変更がいろいろあるかと思いますが、“またやってるな”と、笑ってお許しいただければ幸いです。

今しばらくのおつきあいをよろしくお願いいたします。

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

5月21日支援活動報告

5月21日、鈴木徳一君、板橋和夫君ふたりが、気仙沼に支援物資を運びました。板橋君からの報告が入りましたので、紹介します。

「5月21日(土)。早朝7時頃に気仙沼に着き、鹿折側から市内に入りました。鹿折の風景は、前回3月25日に見た景色と変わりなく、片付けがまったくされていないことに驚かされました。
魚町、南町、三日町は倒壊した建物は別として道路については瓦礫がかたづけられています。魚市場方面には、満潮時なのか地盤沈下のせいかわかりませんが水が地上に上がっており、行くことができませんでした。

その後、8時頃に古町の貝塚商店に行き、皆さんから預かった様々な支援品をわたしました。
手伝いにきてくれた人は、澤井充君、臼井弘君、長谷川好美君、斎藤みゆきさん、昆野牧恵さん、武山美加さん、荒木容子さん、萩原実木枝さん、坂本紀代子さん、中沢智代子さんたちです。それと鹿折から千尋君も来てくれました。みんな大変喜んでくれて、皆さんによろしく伝えてくださいとのことでした。
気仙沼の同級生たちに代わり、御礼申し上げます。

5月22日(日)。気仙沼港にてサルベージ船による壊滅船の撤去作業が行われるとのことです。町には悪臭がただよっています。斎藤みゆきさんは、冷凍物のイカやサンマが倉庫から流されて民家のなかにも入り込むなどして腐敗し悪臭のもとになっていると話していました。
弘ちゃんも「観音寺にメカジキが上がっていたりするよ。自宅前の岸壁の海底も10数メートルえぐられた。今までにない菌が出てきたり、新しい病気が発生しないか心配だ」と話していました。
千葉恵子さんとも会いました。自宅を流され瓦礫どころか住居の基礎しか残っていないとのこと。また、自宅の前方を走っていた気仙沼線の線路が川を越えて自宅の後方にあるが、どのように移動したのか本当に不思議だと語っていました。

みんな中学のころと変わらない口調で淡々と話してくれるのですが、その内容にはただただ驚くばかりです。」

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

気持ちが伝わればと

今日21日、鈴木徳一君、板橋和夫君が気仙沼に到着しているころかもしれません。
支援物資の配布にあたっては、ご支援いただいた皆さんのお名前を記したペーパーも同時にわたします。

モノそのものも大事ですが、そこに託した私たちの気持ちが少しでも伝わってくれればなと思っています。

まずはご報告まで。

5月21日配布ビラ

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

フカヒレの臼井弘君

さて、私小田が気仙沼に帰ったときの話の続き。
5月7日、魚町の実家前に立っていたら、坂をのぼってきた軽トラックが目の前で止まりました。あらっ、臼井弘君(3年4組)じゃないの。

臼井君は、福寿水産(株)の代表。気仙沼の特産品であるふかひれの加工販売をてがけ、全国の中華食材問屋に卸しています。魚町の自宅と工場を津波で失い、ホテル望洋に避難していました。

聞けば、いまはお金を払ってホテル望洋の部屋を借り、事務所スペースと家族の暮らしの場にしているとのこと。「やっぱさ、とにかく仕事はじめないとなっ」
息子さん(たしか29歳とかいってた)が一年前から気仙沼に戻り、この仕事を手伝っています。「景気のいいときより、こんな大変なときから始めるほうがいがったかもな」。さすが弘ちゃん、言うよねえ。

臼井君は2月の還暦祝い会のシャネルズ/ラッツ&スターの一員でした。顔を黒く塗りキンキラペラペラのジャケットを着て歌ってましたね。そんなステージLOVEな弘君ですが、初舞台は1959年10月19日。気仙沼小学校2年生の学芸会です。主役浦島太郎(厳密にいうと、玉手箱を開けてしまってお爺さんになってしまう前までの太郎)を演じました。乙姫様は森(旧姓森田)恵子さん(2組)。森田はお姫様だったんだ。

なんでそんな細かなことを憶えてるかというと、私は子供たちに捕まって泣いている亀さん役だったんです。記念写真がちゃんと日付とともにアルバムに貼られています。

そんなこんなの思い出の写真も流されてしまったんだろうな。
あらためて記念写真を見てみると、すごいよ。タイやヒラメの絵を頭につけた女性陣の活きのよさったら。
今度このブログで紹介しましょう。さしつかえなければね。

福寿水産のホームページはここです
以前の固定電話は通じませんが、臼井弘君の携帯電話090-7337-5101です。ブログ掲載了解済み。

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

88歳の別れ

仙台の兄のところに身を寄せている母が昨日18日、義姉さんの車で気仙沼へ。世話になった知人・友人にきちんと話しもせず仙台に移ったことが気になっていたらしく、日帰りでの挨拶回りです。

避難所や気仙沼中学校校庭に建てられた仮説住宅をはじめ11カ所を車で巡ってきたそうです。そのなかに太田の吉野さんの名もありました。マギー審司さんのお祖母さんで、今回の地震で亡くなりました。
吉野さんについては今でも鮮やかに思い出すことができる印象的なひとこまがあります。

3年前の6月、亡くなった私の父の火葬の式のなか、鈴の音とともに御詠歌が聞こえてきました。吉野さんの詠唱に母が声を重ねていきます。南町の青龍寺で一緒に御詠歌を習っていたのです。外からの小鳥のさえずりがさらに重なり、しみじみとした時が流れます。こうして父を送ることができて本当によかったと感じました。
魚町の仏壇脇にはいまも吉野さんの般若心経の写経が置いてあります。歌も書も何でもよくできる方だったそうです。
そんな信心深い吉野さんの命さえ、こんどの震災が突然うばっていったのです。

さて、母がたずねた避難所のひとつ紫会館では、モンゴルの馬頭琴の演奏会があったそうです。2本の弦が奏でる音楽はすばらしく、アンコールで演奏された「故郷」には思わず涙したとのこと。わすれがたきふるさと。

私の還暦祝い会のときに実家がないとさびしいだろうからと、なんとか一人暮らしを続けていた母でしたが、こんなことがきっかけで気仙沼を離れることになろうとは考えてもみませんでした。
3月までは、ときどきかける電話で「変わりない?」と母に聞くと、いつも「変わりない」と。こだまでしょうか(笑)。

今年88歳になった母のそんな平凡な日常が、いまや夢のようです。

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

お礼申し上げます

今週20日、予定どおり鈴木徳一君(3年3組)と板橋和夫君(9組)が、トラックで気仙沼に向かいます。21日には、皆さんからお送りいただいたり義援金で購入した支援物資を、同級生のみんなに手渡すことができます。

さまざまなご支援を頂戴した方々に重ねてお礼申し上げます。皆さまのお名前は現地でもお知らせいたします。本当にありがとうございました。

●支援者の方々

(気仙沼中学校)鈴木徳一、板橋和夫、熊谷武敏、菊田裕美、小山達朗、秋山(斉藤)裕子、佐々木(金野)真紀、小田明紀、中井殖、岩淵勉、熊谷薫、斉藤恒四郎、田口(三浦)文男、及川誠、中野美幸、及川喜世隆、千葉正俊、赤崎(斉藤)栄子、児玉(藤田)道子、森(森田)恵子、山本(上田)裕子、清水利恵、斎藤謙一、千葉憲二、秋元(小原木)直義、木下(菊田)郁子、千葉和夫、渡辺まさえ、河野進、玉山司、藤村進、栗原(小野寺)幸恵、龍崎経子、並木(鈴木)美代子、笹野(内海)登記江、佐藤厚、小林(小野寺)幸恵、加藤公明、熊谷和徳
(大島中学校)熊谷雅裕(階上中学校)西城健也(津谷中学校)諸橋茂(鹿折中学校)田川耕三(唐桑中学校)鈴木修、村上教行、千葉健二
(知人・友人)洗濯船/吉成由貴子、古今亭志ん弥、ユコラ/宮本優子、伊豆の国市/鈴木貴子、菅原喜平治

(2011年5月18日現在 順不同・敬称略)

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

もうひとりの畠山さん

昨日届いた14日付三陸新報に、畠山美由紀さんが母校の松岩小学校の避難所を訪れてライブを行ったとの記事。
畠山さんは、気仙沼出身のシンガーソングライター。以前はインディーズ系のミュージシャンで知る人ぞ知るといった感じでしたが、今や独自の世界をもつメジャーなシンガーへと成長しました。5月4日の記事で熊谷育美さんのことを書いたとき、畠山さんも紹介しないといけないなと思っておりました。

畠山さんは、気仙沼復興応援プロジェクト「リアス気仙沼」のホームページのなかでも、メッセージとともに、アカペラで「ふるさと」を歌っています。
メッセージは、気仙沼の友人・知人に向けて語りかけたもので、一瞬“どごのこどばでしゃべたらいいんだべが”というとまどいを感じさせながら始まり、その微妙に残した気仙沼なまりが言葉の味わいを深くしています。
畠山さんは、東京と名古屋でおこなった「東日本大震災復興支援ライヴ~わが美しき故郷よ~」での寄金27万円を「リアス気仙沼」に募金するとのことです。

同級生で音楽といえば、吉田ミュージックセンターの“ぶっちゃん”こと吉田(岩淵)恵子さん(3年8組)。以前、彼女と電話で話したときに、畠山さんと熊谷さんを、親しく「ミユキちゃん、イクミちゃん」と呼んでいました。きっと、このふたりはピアノかなにかの教え子なのでしょう。

最後に。三陸新報の記事のなかに「ボサノバ調」っていう表現がありましたが、なんか好きになれないんだよね。あと、フォーク調とかロック調とか。ただの「ボサノバ」じゃだめですか。
「ボサノバ風」はありかな。ブラジルはイパネマ海岸にふくのがボサノバの風ということで。

「リアス気仙沼」ホームページはここ
畠山美由紀オフィシャルブログ

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

森は海の恋人

6日、気仙沼に向かう新幹線車中で週刊文春5月5・12日特大号を読んでいたら、連載「新・家の履歴書」に気仙沼市唐桑の畠山重篤(しげあつ)さんが登場していました。
記事によれば震災時、畠山さんは高台の自宅に孫たちを引き連れて駆け上がり、あやうく難を逃れました。その自宅は、唐桑村の村長だったお祖父さんが津波の歴史から学び、あえて海抜25メートル以上のところに別邸としてつくったものだそうです。

ご存知のように畠山さんは、「森は海の恋人」を合い言葉に植林活動を長年にわたって展開、その活動は教科書でも紹介されるなど、広く知られています。震災後も多くの新聞記事やテレビニュースで畠山さんのメッセージが紹介されています。

これまで畠山さんの著書を3冊ほど読みましたが、どれも大変興味深い内容でした。

ひさしぶりに『日本〈汽水〉紀行』を開いてみると、その口絵は “リアス式海岸が入り組む宮城県の気仙沼湾を対岸の大島からのぞむ” カラー写真。大島がその勢いを弱めてくれつつも、大津波はまさにこの写真に写し出された場所を襲ったのです。

文春新書『牡蠣礼賛』もおもしろかった。日本だけでなく海外も含めた牡蠣の話にあふれています。食通を自認する皆さん。牡蠣を語るなら、まずはこの本を読んでからにしてくれたまえ!なんてね。
友人に貸し出していま手元にないのですが、1960年にフランスのヒラガキ絶滅の危機を救ったのが石巻の種牡蠣であるとのエピソードも紹介されていました。フランスの主な牡蠣は石巻の牡蠣の子孫なのだそうです。そのときの功労者が、テレビ番組「料理の鉄人」の審査員 “おいしゅうございます” 岸朝子さんの父、宮城新昌氏。

『牡蠣礼賛』ほか畠山さんの著書はここを参照

話が石巻になっちゃいました。
震災でお母様、さらに養殖用のいかだ、船、作業場のほとんどを失った畠山さんですが、テレビや新聞を通じてのメッセージは、非常にポジティブですね。週刊文春の記事も次のことばでおわっています。

「昔から、津波のあとって漁場がよくなるんです。だから漁を再開すれば、きっと取り返しはつく。海は必ず応えてくれるものだから」

畠山さんの「水山養殖場」ホームページはここから 畠山さんのエッセイブログもこのなかにあります
NPO法人「 森は海の恋人」ホームページはここから

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

魚町の徹君

6日、魚町で容子さんと話している先に、佐々木徹君(3年1組)が見えました。徹君はご承知のとおりあさひ鮨の役員をつとめています。お姉さんがあさひ鮨の村上力男社長の奥さんです。4月22日のブログ記事で紹介した村上教行君は力男社長の甥にあたります(ちょっと話が細かくなったか)。

徹君の3階建自宅外観は車庫のシャッターが曲がってはいるものの、被害がないようにも思えたのですが、なかに入ってみると天井部が垂れ下がったり、ひどいありさまです。地デジ対応で買いかえた液晶テレビ2台やレコーダーもたいした使わないまま廃棄するなど、なんとか片付けたという2階の茶の間で話を聞きました。

南町のあさひ鮨本店の再開はめどがたたないもの、一関店、仙台店すでに再開、古川店は14日、仙台駅店は5月末頃に再開予定とのこと。震災当時、徹君は仙台店にいたそうですが、その揺れは相当なものだったそうです。魚町などはとにかく津波でやられている印象が強く、地震の揺れには思いがいたりませんでしたが、確かにニュース映像で仙台駅はかなりの被害があったことを思い出しました。

あさひ鮨のホームページはこちら

おっといけない。気仙沼のお寿司屋さんで忘れてはいけないのが「一心」。同級生の小野寺(萩原)実木枝さん(4組)のお店です。幸いにも河原田の店は無事で、すでに営業しています。実木枝さんは大川沿いに逃げ、ガス工場付近でなんとか難を逃れ、ホッとして後ろをみた瞬間、津波がものすごい勢いで。30秒遅かったらだめだったとのことです。


気仙沼の同級生の多くがなんとか無事でよかったとはいうものの、聞けばその生死はまさに紙一重。それだけに、命を失った同級生が惜しまれてなりません。

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

隆市君のトピックス

5月6日に気仙沼に到着し、まずは現地窓口をお願いしている小山隆市君をたずねて連絡所の貝塚商店さんへ。本人不在でしたが、駅前の「とらや」さんで仕事中とのことで足を運びました。

仲町の菓子店コヤマ、珈琲山荘、そして自宅も流された隆市君ですが、とらやさん、紅梅さん、若生餅店さんらと4店協力して活動しているとの話は聞いていました。4月にはこの4店で桜餅をつくったとの三陸新報の記事も読みました。この日もとらやさんの設備を借りての作業だったようです。

近況などひさしぶりのお互いの話は略します。支援会については、気中同窓生の名簿づくりなどを通じメールアドレスがわかっている同級生には情報を流せるものの、ほかの人たちへの連絡がとりにくいとのことでした。せっかくのみんなからの支援品提供が、結果として情報と交通手段をもっている人に片寄ってしまっているのではないかと気にしていました。
でもね隆ちゃん、しかたがないよ。欲張ってもできないことがあるしさ。

隆市君らのネット販売「気仙沼ネットデリバリー」のなかの「気仙沼トピックス」は隆市君本人が書いていますが、本日5月13日付けの見出しは「疲れがたまって……」。
更新されると以前のトピックが読めなくなるかもしれませんが読んでくださいね。写真下の「もっと見る」をクリックするとほかの写真も見られます。
クール便使用商品を除くネット販売も再開したそうですので、注文もぜひに。

気仙沼ネットデリバリーはここから。ネット販売利用もよろしく。

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

魚町のカネシメイチ

気仙沼への帰省時の話。しばらく魚町の話が続きますがおつきあいください。

5月6日、魚町の小山修司君(3年5組)宅というかカネシメイチ前で、奥さん小山(斎藤)容子さん(5組/ありゃりゃ、修ちゃんと同じ組だったのね)と遭遇。
聞けば、倒壊した建物をついこの間撤去したばかりとのこと。カネシメイチの建物は気仙沼の魚問屋伝統の外観をもち大変印象的なものでしたが、裏の蔵などをのぞいて今や影も形もありません。
同じく造酒屋の長い伝統を感じさせていた容子さんの実家、清酒「両国」角星の魚町店舗も奥に流されるかたちで倒壊しています。

容子さんは屋根にのぼって、そして修司君は車にのったまま浮いて流されたあと、なんと泳いで隣の建物屋上の柵かなにかにつかまって、気仙沼でいうところの“たっつがって”なんとか助かったということです。

修ちゃんとは、3年ぐらい前、正月のおしめさんへの初詣のかえりに偶然会って、しばらく話しました。かつお一本釣り船(たしか「亀洋丸」)に最新型の冷凍機も搭載、「うちの鰹はへたな生よりうまいよ」と笑いながらも自信たっぷりに話してくれたことを思い出します。

修司・容子さん家族はいま、南ヶ丘近くに家を借りて住んでいるそうです。
事業再興を心から願っています。

なお、角星のオンラインショップものぞいてください。
「船尾灯」は売り切れとのことですが、「別格」ほかの商品をぜひに。ここから

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

熱気のかげり

2カ月が経ちました。

気仙沼市は今月10日、5月16日から私有地のがれき撤去を開始すると発表しました。ただ、公共施設、幹線道路周辺や雇用創出の観点から事業所集積地を最優先する方針とのことで、魚町や南町は後回しになりそうです。まあ、しかたがないこととは思いますが、こうした行政の動きを待てない人は、個別に重機を手配したりしているようです。

気仙沼市広報「私有地のがれき・損壊家屋の撤去について」はここをクリック

ボランティアの人達の手伝いもありますね。先日、南町の紫会館に避難している知り合いが「10人以上来てくれてめちゃくちゃになった店の片づけを手伝ってくれた」と語っていました。受け入れ体制の限界もあって、まだまだ足りないようですが、本当にありがたく頭が下がります。

一方、5月8日の朝日新聞朝刊に「ボランティア急減」の記事。

「気仙沼市ボランティアセンターも6日に、JR一ノ関駅へ迎えのバスを出した。4月27日には、対応しきれない数のボランティアが殺到することを懸念して対象を「県内の人」と絞り、連休中の新規登録の受け付けを中止していた。その方針を転換して6日から募集を再開したが、40人乗りのバスに乗ったのはたった2人だった」

これを紹介したのは、記事がいうところの「ボランティアの熱気のかげり」を責めようとしたからではありません。
むしろ、そこに、2カ月を経て忙しい仕事や暮らしの日常に戻りつつある自分たちの姿を見たような気がしたのです。

義援金口座はここから
現地連絡所はここから

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

27年前、三陸鉄道開業

1984年の4月1日、第3セクター方式での三陸鉄道南リアス線(盛~釜石)、北リアス線(宮古~久慈)が開業しました。これによって、三陸側の気仙沼から青森まで鉄道で一本につながりました。

同じ月の30日、私はこの三陸鉄道を使い北上しました。途中、JR釜石線で西に向かい遠野泊、翌日は釜石から宮古までJR、久慈までを三陸鉄道、そしてJRで青森まで。浅虫温泉泊。

三陸鉄道の車窓からみる三陸海岸のながめは本当にすばらしかった。田野畑では途中下車して木を上手に使った駅舎で一休みしました。たしか霧雨が降ってきたな。

震災で三陸鉄道沿線の田野畑や田老も大きな被害を受けました。駅舎が流され、レールもないような惨状を映像でみるかぎり、三陸鉄道の復旧は容易なことではないでしょう。長年、赤字経営が続いて厳しいところにとどめを刺された感じがします。

あれから27年。結構な年月が経ちました。三陸鉄道も私たち夫婦も。この三陸鉄道の旅、気仙沼での式をおえての新婚旅行だったのです。
式はお神明さん(おしめさん)五十鈴神社。魚町の氏子とはいえ、趣味がシブすぎます(笑)。当時でもおしめさんで式をあげる人はほとんどいませんでした。雅楽はソノシート利用で、巫女さん2名はアルバイト。

先日、五十鈴神社にお参りにいきましたが大きな被害はなかったようです。しかし、結婚式のあとに宴席を設けた南町の割烹「世界」は瓦礫のなかにありました。

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

静かな気仙沼

南町の妻実家の取り壊し前作業のため、6日に夫婦で気仙沼に行き、8日に私のみ帰京しました。新幹線利用です。

南町と魚町の私の印象は「妙な静けさ」でした。

南町あさひ鮨近くの通りに座って休んでいると、周辺にほとんど人がいないし、小鳥のさえずりが静寂感をさらに増しているような感じです。周辺の建物があらかた倒壊し、旧警察署裏山の薄く色づいた緑まで見通しがきくようになりました。風通しも良くなったような気がします。

畳ぎりぎりで浸水が止まってくれた魚町坂口の実家から外を見ても、道路の通行規制をしてくれている自衛官の後姿のほか、通行人をほとんど見かけません。坂を上って下って鹿折の方に行っても、打ち上げられた何隻もの船体を見上げている3人連れがいたぐらいで、あとはやはり山から妙に響く小鳥のさえずり。本当に不思議な光景でした。

震災から2カ月が過ぎようとしているのに、テレビや新聞がよくいうところの「復興のつちおと」が聞こえない。静かな気仙沼。これでいいのかって、いいわけないよ。だけど、瓦礫ばかりかその言葉の持っていき場所が自分には見つかりません。
まずはわずかなことでも自分にできることを続けたいと思います。1日1回はかならず気仙沼のことや人を思い出すとかね。

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

小山達朗君から

事務局の菊田です。連休中に気仙沼に行った小山達朗君(3年9組)から報告をもらいましたので紹介します。同じ9組だった大友(小野寺)つき子さんの避難も確認してくれました。ご苦労さまでした。

「いろいろとお世話さまです。今日から仕事が始まりました。明日も出勤です。現地から連絡をしましたが、さらに詳しい状況をご連絡します。
私は家内と二人で、仙台まで新幹線で行き、仙台から車を借りました。仙台からは、三陸自動車道の石巻経由で津谷から大谷海岸を抜けて気仙沼に向かい順調に往復とも移動できました。
同級生の大友つき子さんの無事を階上中学の避難所をたずねて確認することができました。最初、市役所の防災本部にいる小山謙一君に消息を聞きましたが、本部では避難者の名簿がなく判りませんでした。階上地区の6箇所の避難所をたずねるしか方法がないとのアドバイスで、避難所に直接車で行き受付の担当者に聞きました結果、PCで名簿を確認してもらい「無事避難」情報だけは確認ができたものです。
階上地区にあったつき子さんの店(五右衛門ラーメン)は建物も全く何もありませんでした。つき子さんは非常につらい心境で避難所で暮らしていると思います。
また、気仙沼のスーパー何箇所かで食料の買い物をしましたが、すべての品物は十分に販売されておりました。買い物の心配はまったくなくなりました。
滞在中は、実家敷地の泥の撤去作業や老母の世話と被災した親戚に会ったりと多忙でした。家の用事が多くて、同級生と会う時間はとれずに帰京したものです。以上、状況のみとりあえずご連絡します。」(5月6日)

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

案内はがきを発送

この気中20支援会は、首都圏在住の気中20回生によるグループですが、けせもい会メンバーをはじめメールアドレスがわかっている人以外には連絡をつけにくいのが実情です。
そこで、高校同窓会名簿ほかで住所が確認できた43名の同級生に対し、つぎのような案内はがきを5月3日に発送しました。(こうしたはがきも「DM/ダイレクトメール」っていうのかね(微笑)。
はがきol [更新済み] はがき内容はクリックすると拡大できます

首都圏以外の同級生や知り合いなど少しでも多くの人に、支援会の活動を知らせていただければと思います。ご協力、よろしくお願いいたします。

なお、私は本日6日から8日まで気仙沼に行ってきますので、ちょっとブログ休みます。

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

同級生からの報告紹介

この連休中に気仙沼に行った同級生からの報告が入っていますので、紹介します。

清水利恵君(3年2組)
4月29日、支援品を小山隆一君のところに届けてきました。市内の道路は一部瓦礫が撤去されていました。道路上は大丈夫みたいですが、地盤沈下のため、通行止めのところがありました。まだまだ、復旧までは時間がかかりそうですね。また気仙沼に行くときがあれば、連絡いたします。

佐々木(金野)真紀さん(3年6組)
5月1日の朝4時に出発し、渋滞もなく11時頃到着。早速貝塚商店に行き、頼まれていたトイレットペーパーとティッシュ、それとすこしだけ手造りしたバッグと老眼鏡を隆市君に渡しました。貝塚商店の中は本当に雑貨屋さんのようで、みなさんからの支援物資が見やすいように分別して置いてありました。
スーパーに買い物に行ったら5組の渡辺まさ子さんに声を掛けられ、「支援物資、本当に助かった」といわれました。皆さんに宜しくとの事です。
直接支援物資が届いた人の声が聞けて良かったなと思いました。微力ながらこれからも応援してゆきたいですね。


みなさん、ありがとうございました。
ほかにも気仙沼に行かれた方がいると思います。ぜひ様子をお知らせください。

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

5月20日に支援第3陣

これまで3月26日、4月9日と、現地への支援品輸送をおこなってきました。そして5月20日、第3陣として当会代表の鈴木徳一君(3年3組)らがトラックを利用して気仙沼に向かいます。
トラックで運ぶ支援物資は、板橋君(9組)のところに集約しています。気仙沼連絡所の古町貝塚商店への個別宅配も通常どおり受け付けていますが、20日のトラックに積載する分は下記までお願いします。

〒277-0042千葉県柏市逆井1-8-6-304
板橋和夫
電話04-7172-9840

支援品のニーズは、置かれた状況の違いなどによって様々ですので、現地の状況をあらためてお伝えしようと思います。
ご協力、よろしくお願いいたします。

義援金口座、現地連絡所情報は下記をクリックしてご覧ください。

義援金口座はここから
現地連絡所はここから

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

熊谷育美さんを知ってる?

5月2日の還暦祝い会の記事で、撮影担当スタジオアートの熊谷孝良君(3年3組)からのメッセージを紹介しましたが、孝良君のお嬢さん熊谷育美さんがシンガーとして活躍中ですね。でも東京の同級生で案外知らない人もいるようなので紹介しておきます。

育美さんの作品「月恋歌」は、2010年の堤幸彦さん監督の映画「劇場版TRICK 霊能力者バトルロイヤル」の主題歌になりました。私はそれで彼女を知りました。還暦祝いのときに孝良君に「娘さんが活躍中だね」と私がいうと、さすがにうれしそうにしていましたよ。

育美さんのサイトをのぞいてみたら、その中で「がんばっぺし!気仙沼」という新しいサイトを始めていました。

熊谷育美オフィシャルサイトはここから

話はかわりますが、堤監督は、たぶん気仙沼びいきですね。間違いない。テレビ版のドラマ「TRICK」で仲間由紀恵と同じアパートに暮らすおばさんが話す言葉が気仙沼なまり。そして業田良家の原作漫画を彼の演出で映画化した2007年公開の劇場版「自虐の詩」では、主人公森田幸江とその父家康が気仙沼出身という設定。また同じ年のKinKi Kids 堂本光一主演のテレビドラマ「スシ王子!」でも気仙沼を舞台にした回がありました。ちょっと安っぽかったけどね。

堤監督なら、また気仙沼を舞台にした新しいドラマをつくってくれるはず。期待して待とう!

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

谷川さんの「言葉」

5月2日の朝日新聞夕刊掲載の谷川俊太郎さん「5月の詩」。


言葉


何もかも失って
言葉まで失ったが
言葉は壊れなかった
流されなかった
ひとりひとりの心の底で

言葉は発芽する
瓦礫の下の大地から
昔ながらの訛り
走り書きの文字
途切れがちな意味

言い古された言葉が
苦しみゆえに甦る
哀しみゆえに深まる
新たな意味へと
沈黙に裏打ちされて



毎月のはじめに掲載される谷川さんの「◯月の詩」。いつも楽しみにし読んでいますが、今月はとくに心にしみました。
新聞記事引用の著作権の扱いとかが気になりますが、朝日新聞5月2日付夕刊をぜひご覧くださいとのPRということで紹介させていただきました。

新聞ではルビがふられていましたが、ちょっと難しい漢字がありましたね。
「甦る」は「よみがえる」。「訛り」は「なまり」だそうです。「哀しみ」は「かなしみ」。わざわざ小田に言われなくてもわかってるって。だよね、失礼。

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

還暦祝い写真提供のお願い

おばんです。
気仙沼の小山隆市です。昨日のブログに還暦祝い会の記念アルバムやDVDのことが書かれていましたが、撮影を担当したスタジオアートの熊谷孝良君(3年3組)から次のお願いのメールが入りました。担当者には別途メールにても連絡をさしあげていますが、各クラスの方々、よろしくお願いいたします。

「お世話様です。そろそろアルバムの制作を進行したいと思います。スタジオアート撮影分のデータは救われました。しかし、各クラスごとの皆さんに撮影していただいたデータが流されてしまいました。すみません。もう一度データを集めることが可能であれば再提供をお願いできますでしょうか。各クラスの分を小山隆市さんのところへ届けていただければ助かります。15日頃までにいかがでしょうか」

以上、ご協力よろしくお願いいたします。一番助かるのはCDなどに保存記録して、私 小山の所までお送りいただく方法です。メールの添付写真でも大丈夫かとは思うのですが、写真カット数が多いとデータ量が大きくなり処理に不安が残ります。

写真データ送付先:
〒988-0077 気仙沼市古町1-3-11 貝塚方
小山隆市 宛

お問い合わせは、本ブログのメールフォームを通じても可能です。
よろしくお願いいたします。

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

還暦祝い

あっという間に5月になりました。
震災が3月11日。そのほんの1カ月前2月12日には私たち気仙沼中学校42年卒20回生の還暦祝い会がありましたね。200名近くが集まったあの会は本当に楽しかった。
同級生によるラッツ&スターやAKB48が登場したときには、本当に驚きました。みんな忙しいだろうに、よくぞここまで練習したものだと。舞台にかぶりつきでその熱演に声援を送りました。こっちの声もかれたりして。

東京に戻ってからネットで調べると、仙台で弁護士事務所を開いている小松亀一君(3年6組)のホームページにこの還暦祝いの様子が紹介されていました。しばらくはその写真をみて楽しかった会のことを思い出しておりました。
今日もそれらをながめましたが、なにかずいぶん以前のことのように感じられてなりません。複雑な感じ。この会でひさしぶりに会い言葉をかわした何人かの訃報も聞きましたしね。

会の様子を収録したアルバムやDVDも予定されていました。津波や火事でそれも難しいだろうなと思っていたら、大丈夫らしいとの話もちらほら。はっきりわかったらお知らせします。

それまでは、この亀一君のホームページをご覧ください。ここをクリック

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

最近の記事
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

最新コメント
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

カレンダー
04 | 2011/05 | 06
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
RSSリンクの表示