霞が関ビルの50年

4月12日の読売新聞朝刊での見開き広告(全30段二連版)には迫力と同時に懐かしさを感じました。キャッチは〈誰かの挑戦を、空は待っていた。〉。〈2018年4月12日、霞が関ビルディングは竣工50年を迎えます〉という、三井不動産の企業広告です。朝日新聞でも同内容の広告を掲載していました。

霞ヶ関ビル
読売新聞4月12日朝刊掲載広告


この写真は竣工式のものでしょうね。みなビルをあおぎ見ています(3人ほどをのぞき/笑)。懐かしさを感じたのは、私ができたばかりの霞が関ビルを見に行ったことを思い出したからなのです。

霞が関ビルは、日本初の超高層ビルとして1968年4月12日に竣工しました。地上147m、36階建て。この年の夏、気仙沼高校2年生だった私は東京で働き始めていた兄をたずねて遊びに行きました。どこへ行きたいと問われてリクエストしたひとつができたばかりの霞が関ビルでした。兄が地下鉄の駅はどこで降りるのが便利かなと迷っていたことをおぼえています。たぶん〈霞ヶ関〉と〈虎ノ門〉のどちらが近いのかと考えていたのでしょう。

その日は晴天でした。ビルの一番上をながめると、白い雲がゆっくりと流れていた(ような気がする)のです。そして兄に〈すごいね。なんかビルが倒れてくるみたいだ〉と。なんたって、日本一の超高層ビルですからね。念のため記しておくと、現時点での日本一の超高層ビルは〈あべのハルカス〉。地上300m、60階建て。高さで言えば霞が関ビルの約2倍です。

三井不動産の広告を見て、そのときに感じた印象というか感激を思い出したわけですが、50年経ったいま、霞が関ビルの下から空を見上げたときに、あの16歳のときと同じ若い感激を得られるかどうか。ちょっと自信がありません。首を曲げすぎるとめまいがして、こっちが倒れてしまうかもしれません(笑)。
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「洗濯船」の年賀状

きょう、仕事場に着いてポストを見ると、新宿ゴールデン街〈洗濯船〉吉成由貴子さんからのはがきが届いていました。

はがき

〈新春のお慶びを申し上げます〉そして〈戊戌旧暦元旦〉と記してあります。旧暦の年賀状なのですね。さすがに奥ゆかしい。今年は2月16日が旧正月。戊戌(つちのえ いぬ)は今年の干支。

〈洗濯船〉さんは、裕美君をはじめ多くの同級生がお客さんだったこともあって、震災後には気仙沼支援の募金箱を置いてくれるなど大変お世話になっております。私が訪れたときに吉成さんにご挨拶したこともあり、季節の折々にこうしてはがきをいただくのです。〈デパートの地下に砂吐く浅蜊かな〉。なんというか、とてもいい。

今朝は、俳人の金子兜太さんが20日に亡くなったとの報に接しました。98歳。ニュースで紹介されていた一句を紹介します。

〈 梅咲いて庭中に青鮫が来ている 〉

俳句の世界も広く深い。そんなことを感じながらきょうの仕事を始めたところです。

ぐるなび「洗濯船」

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台湾地震の義援金

2月8日のブログ「台湾地震お見舞い」で、2月6日に台湾東部沖で発生した地震について記しましたが、気仙沼市では、被災者支援に向けての義援金受付を始めました。2月13日の三陸新報が伝えています。

募金箱

三陸新報2月13日記事


記事によれば、台湾は東日本大震災後、気仙沼に対して救援物資や義援金、公共施設の再建費用を贈るなどして支援を続けてくれており、市では感謝の気持ちも込めて義援金を募ることにしたそうです。

期間は3月7日まで。募金箱はつぎの8カ所に設置されます。市役所正面玄関、市民福祉センター「やすらぎ」、唐桑、本吉両総合支所の保健福祉課、階上、大島両出張所、市立病院、本吉病院。問合せは市社会福祉課社会福祉係(電話22-6600 内線432)です。

義援金をと思ってもどこにしたらいいのかという方も多いと思います。参考になればと紹介いたしました。

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胃ガン内視鏡検査

毎年、世田谷区国民健康保険の健康診断を受けています。いつもは3月に受けていたのですが今年はちょっと早く受けました。そして先週末は内視鏡での胃ガン健診(胃カメラ)でした。世田谷区の胃ガン検診メニューに内視鏡が加わったのは昨年10月からのことで、それまでは通常のバリウムを飲んでのX線検査です。そのため、ここ6〜7年ほどは、健診とは別に胃は2年ごと、大腸は2〜3年ごとに内視鏡健診を受けていました。

内視鏡

はじめての経鼻内視鏡体験。。鼻に部分麻酔をきかせてから5mmほどの太さの器具を挿入していくわけですが、はじめにちょっと違和感があるほかは、経口と同じ。まあなんというかどうということもありません。脇に置かれたディスプレーで自分の食道から胃にいたる映像をながめるのは、ちょっと奇妙な体験ですね。

健診そのものは10分ほど。特に異状はありませんでしたが、ピロリ菌に関する検査を勧められたので血液を採取しました。費用は視鏡健診が1500円。とても安い。ピロリ抗体検査も国保適用(3割負担)で670円でした。自治体によっての制度や費用の違いがあると思いますが参考まで。

こうした個人的な健康診断の様子を紹介したのは、同級生の皆さんにも健診をきちんと受けて欲しいと思うからです。周囲でも、60歳を過ぎたころからガンも含めて病気になる人が増えている印象があります。加齢による病気のリスクは避けられませんが、定期的に検診を受けていれば早期発見の可能性を高めることができるでしょう。

健康診断で異状なしといわれた人が数カ月後に病気で亡くなったなどというのは笑い話でしかありません。最近知ったのは、アメリカで宝くじに当たって何億ドルも手にした男性が、それまで貧しくて受けることができなかった人間ドックによって不治の病が見つかったという皮肉な話。ことわざ〈禍福はあざなえる縄のごとし〉のまさに典型例ではありますが、健診を受けない理由としてあげるのは愚の骨頂です。

今年度の健康診断をまだ受けていない方は早めの受診を。どうぞよろしく。

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昭和の仙台駅風景

ツイッターで、「昭和スポット巡り」さん @syowaspotmeguri をフォローしているのですが、本日の午前10時頃にこんな写真が投稿されました。


仙台駅


昭和30年代の仙台駅。 栞(しおり)に掲載された写真とのこと。私は高校まで気仙沼で暮らし、浪人時代の2年間を仙台で過ごしましたが、この写真を見るととても懐かしい思いがします。ウィキペディアで調べてみると、この駅舎は1949年(昭和24年)に竣工しています。1972年(昭和47年)まで使用されました。この最後の年は私が20歳のころですので、仙台で浪人中のころはこの駅舎だったことになります。新幹線が開業したのは、1982年(昭和57年)のこと。

大きな建物の中央に改札口があり、右側の低い屋根のところが降車口でしょう。基本的な構造は以前の気仙沼駅と同じです。駅舎に向かって右側には、小さな商店が並んでいました。その中に一軒の模型屋があり、鉄道模型のキットや部品を扱っていたのです。中学生か高校生の頃に仙台に行く機会があれば必ず立ち寄って、工作用のギアなどを買っておりました。手前に市電もうつっていますが、私が知っている車両とは色が違うような気がします。このなつかしい市電も1976年(昭和51年)4月1日に廃止されました。

私自身がとてもなつかしく、そして多くの同級生が暮らしている仙台の〈昭和風景〉ということで紹介いたしました。

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新年のカレンダー

あっという間に新しい年となりました。本日1月4日が仕事はじめです。まずは仕事場のカレンダーを新しいものに。

新年カレンダー

このカレンダーは大学同期でいまは母校の環境デザイン学科教授もつとめている友人が毎年贈ってくれるもの。教会堂をたくさん手がけている建築家なので、各国の教会などのスケッチが配されています。幅15cmほどの小さな暦ですが、その小品的な味わいがとても気に入っています。

こうして、新年のカレンダーに記された〈2018〉年や〈1〉月という数字を見ると、やはり心にすがすがしいものを感じます。そして、今年が平安なよい年でありますようにと願わずにはいられません。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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2年7組記念写真

今年もあと一週間という感じですね。今月はじめには、菊田裕美君(3年1組)から首都圏同年会〈けせもい会〉の案内メールも届きました。新年1月27日に憲二君の店〈まかない㐂いち〉にて。

本日紹介するのは、ことしの新年会で気仙沼から参加してくれた斉藤みゆきさん(6組)から頂戴した写真です。まずは見てもらいましょうか。

中2亀山
気仙沼大島の亀山頂上展望台にて(クリックで拡大)

1965年。場所は気仙沼大島の頂上にあった展望台です。そこにうつっているのは気仙沼中学2年7組の同級生たち。季節は10月とか11月でしょうかね。

男子は前列からわたくし小田(8組)、河野(7組)、そして少しかくれていますが及川(6組)君。女子は名のみ紹介しましょう。前列左から、ひろ子(2組)恵久子(1組)、後列も左から登喜子(5組)みゆき(6組)しず子(9組)徳子(11組)美知子(5組)さん。

なぜこの写真の紹介が遅くなったかというと、私もこの写真ともう一枚の写真を持っており、2枚まとめて紹介しようと思っていたのです。しかし、その頂上レストハウスでお昼を食べているスナップ写真がみつからない。このままいくと一年たってしまうと思い本日の紹介といたしました。

この写真は誰が撮ったのだろう。それともセルフタイマーか。たぶんそうでしょうね。画面が右に寄っていたり、登喜子さんが少し下を向いていたり、誰かが撮っているとしたら、ちょっと違うショットになっているでしょう。

この写真を見ていると、ふざけて私の頭が首をいじっている河野君に、〈やめろよコーノ、いてえよ〉とか言いながら大袈裟にはしゃぐ私の心情が手にとるようにわかります。

いま考えてみると、この〈グループ交際〉メンバーはどのように選ばれたのだろうか。この写真をみて、〈知らなかった〉〈誘ってもらわなかった〉などという同級生がいるのではないかと心配になります(笑)。などと、いろんな思い出をつづっていけばきりがありません。これぐらいにしておきましょう。

気中2年7組の担任は、小松勝幸先生。体育担当で、ご実家は大島でした。2015年9月にお亡くなりになったことを、このブログでもお伝えしました。颯爽と歩く姿をなつかしく思い出します。2年7組。いいクラスでした。52年前の思い出写真です。

2015年9月24日ブログ「小松勝幸先生訃報」

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5組藤村進君訃報

先週末、菊田裕美君(1組)からのメールで、気中3年5組だった藤村進君の訃報を知りました。裕美君も5組同級生から教えてもらうまで知らなかったとのこと。その同級生に奥様から届いた喪中欠礼のはがきには、10月23日永眠と記されていたそうです。

進君とは何度か同じクラスになりました。昨年9月24日に気仙沼で開催された「あれから50年同年会」でも元気な顔を見せてくれたのですが。千葉県袖ヶ浦市在住でしたから、三陸新報など気仙沼での訃報広告はなかったと思います。そんなことで、皆様にもお知らせをと。

満66歳だったと思います。藤村進君のご冥福を心からお祈りいたします。

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第二の故郷気仙沼

土曜日10月14日に母が亡くなり、きのう16日は仙台にての葬儀でした。そんなことでブログもお休みに。

母は満94歳でした。戒名のなかの「柏」の文字は生まれ故郷である新潟の柏崎、「仙」には気仙沼、そして震災後に兄のそばで暮らした仙台の意味が込められているのでしょう。

母は、私が生まれる少し前からですから60年ほどのあいだ気仙沼で暮らしたことになります。まさに第二の故郷。生前には魚町のご近所の方々をはじめ多くの皆様からご厚誼を賜りました。心からお礼を申し上げます。

気仙沼を訪れてのご報告、御礼もままならず、この場を借りてのお知らせとさせていただきます。

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週刊新潮「歌津駅」

「週刊新潮」9月14日号の表紙をめくってすぐのページに、〈鉄路の行方(ゆくえ)〉そして〈JR気仙沼線〉の文字がありました。

新潮巻頭
「週刊新潮」9月14日号
より

うつっているのは、気仙沼市に隣接する南三陸町のJR気仙沼線「歌津(うたつ)駅」です。撮影は田中和義さん。記事を引用します。

◎鉄路の行方

野を越え、山を越え、谷を越え。全国を毛細血管のごとく繋ぎ、人、モノを運ぶ鉄路。しかしながら、震災や豪雨、高波により、分断され普通になってしまった区間が存在する。各自治体と鉄道会社の間で、復旧に向けての協議が進行中だ。鉄路はどこまでも続く、そうあってほしいとの想いを抱いて。

JR気仙沼線「歌津駅」
宮城県南三陸町

2011年3月に発生した東日本大震災の津波により、甚大な被害を受けた気仙沼線は、12年8月からバス高速輸送システム(BRT)による代行バスの運行を開始。鉄道復旧までの暫定策だったが、今後も継続運行する予定だ。途切れたホームがかろうじて往事に姿を偲ばせる。その右側にあった線路は草に覆われてしまい、震災からの歳月を感じさせる。(引用は以上)


JR気仙沼線は、気仙沼駅と石巻市の前谷地駅とを結ぶ鉄道路線です。しかし、震災によって気仙沼駅〜柳津(やないづ)駅間は鉄路が使えなくなり、現在は記事にもあったようにBRT(バス・ラピッド・トランジット )の運行となっています。歌津駅は、本吉駅と志津川駅の中間にある駅。私は下車したことがありませんでした。気仙沼線そのものの利用があまりなかったのです。

歌津町は2005年10月に志津川町と合併して南三陸町となりました。私が〈歌津〉の名を聞いて思い出すのは〈ウニ〉です。震災前の話ですが、気仙沼の〈横田屋本店〉のウニが歌津産と聞いていました。横田屋さんが使っているくらいだから良いウニが採れるのだろうなと。震災後はどうなっているか残念ながらわかりません。

週刊新潮記事の見出しは〈鉄路の行方〉。気仙沼では、JR東日本に対して鉄路復旧を求める市民活動がおこなわれています。しかし、その鉄路の行方はかなり不透明のように感じます。

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10/1調布のさんま

9月17日の「目黒のさんま祭」の帰りぎわに、同行の菊田裕美君(3年1組)から呼ばれました。テント下に行くと、目黒のさんま祭 気仙沼実行委員会の会長である松井敏郎さんが女性ふたりと談笑されていました。裕美君が、〈10月1日に調布で気仙沼のさんまを焼くんだって。気中20のブログで紹介させてもらおうよ〉と。お二方はその調布プロジェクトの方だったのです。まずは頂戴したチラシとイベント概要を紹介します。

調布のさんまチラシ

今年もやります!調布のさんま!
◎東北応援さんまプロジェクト
~東北と調布をつなぎ共に未来へ

期日:10月1日(日)
時間:10:00開始 15:00終了
会場:調布市市役所前庭
市役所へのアクセス
費用:一尾300円
料金:3回配布(1回1尾まで)
①9:00 ②11:00 ③13:00
主催:東北応援さんまプロジェクト実行委員会

(後援)調布市、調布市観光協会、公益財団法人調布市文化・コミュニティ振興財団、調布市社会福祉協議会、㈱調布清掃、気仙沼漁業協同組合、気仙沼市、㈱気仙沼フェニックス、小野寺商店、㈱平野本店
(協力)大分県カボス振興協議会

問い合わせ:
東北応援さんまプロジェクト実行委員会
sanma.chofu@gmail.com

〈気仙沼のさんま〉と強調されているわけではありませんが、後援団体に気仙沼漁業協同組合や気仙沼市の名が記されているので間違いありません。気仙沼関係では、このほか気仙沼フェニックス小野寺商店平野本店さんらも後援しています。

お近くの方やご都合の許す方は是非おでかけください。私はこの日、気仙沼出身の関西学院副学長 長峯純一教授の講演会と重なっていて、うかがうことができず残念です。

最後に目黒のさんま祭で、松井さんをはさんでの調布のお二方のスナップをご紹介します。松井さん、ちょっと緊張してる感じ(笑)。

調布のさんま

この調布でのさんまプロジェクトは、ネットでさかのぼってみると2014年から毎年おこなわれているのですね。関係者の皆様のご支援に心からお礼を申し上げます。10月1日も、どうぞよろしくお願いいたします。

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焼き場に立つ少年

きょう8月15日は終戦の日。先週から今週にかけては、新聞やテレビでも太平洋戦争をとりあげる番組や記事が多く見られます。本日紹介するのもそのひとつ。8月9日に朝日新聞が配信した記事の写真です。よく知られている「焼き場に立つ少年」。


朝日新聞8月9日配信記事より

記事を引用します。〈原爆投下後の長崎で、亡くなった幼子を背負う「焼き場に立つ少年」。撮影した米国の従軍カメラマン、故ジョー・オダネルさんの妻が夫の生涯をたどり、長崎原爆の日の9日に著書が出版された。「投下した側」でありながら、投下は過ちと訴え続けた足跡を写真と共に追っている〉(引用は以上)

この写真が掲載されたずいぶん前の新聞記事のスクラップは私ももっていて、見るたびになんともいえないせつない気持ちをおぼえるのです。30年以上も前のことですが、気仙沼に帰省したときに、この写真のことを父と話したことがあります。父は、少年の姿勢がまさに帝国陸軍兵士を思わせると語っていました。息子がこの写真にいだく気持ちを聞いて、うれしそうというかホッとしたような表情をうかべていたのです。

父は招集されて中国大陸での戦争を経験しています。私に細かな戦争のことを話すことはほとんどありませんでしたが、関係書籍を購入して読んでいたことを覚えています。自分が戦った戦争というか作戦がどういうものだったのかを知りたかったのでしょう。同級生 佐々木徹君(3年1組)のお父さんも、同じく中国戦線で戦ったことがあるのですが、あるとき二人で書籍の付録資料の地図を広げ、それぞれの転進の道程を追っていたことを思い出します。父が、在家得度を受けるために曹洞宗の大本山 永平寺に一週間滞在したときも佐々木さんと一緒でした。中国大陸で同じ経験をし、同じ風景を見てきたという思いがあったのでしょう。

父は仏像をたくさん集めていて、元気なころはその前で朝晩に読経しておりました。古いダイアリーに知人の命日と戒名/法名が記してあり、その日に亡くなった方の菩提(ぼだい)をとむらっていたのです。その父も9年前に亡くなったのですが、仏像の整理をしていた私は、厚紙に貼った新聞の切り抜きが仏像の後側にたてかけてあるのに気付きました。それが「焼き場に立つ少年」でした。

この写真を見るたびに、袈裟(けさ)を胸に、数珠を手に経をあげる父の姿を思い出します。最後はつぎのように声を発したはずです。

〈 じょうらい、きょうしゅをふじゅす、あつむるところの功徳(くどく)は、○○霊位にえこうし、ほうちをしょうごんせんことを 〉

終戦/敗戦から72年が経ちました。

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将棋で遊んだころ

公式戦最多となる29連勝記録を達成した中学3年生、藤井聡太四段によって将棋や棋士への注目が一気に高まりました。そのニュースを見ていて、将棋の駒で遊んでいた小学生のころを思い出しました。

当時、正式なルールでの将棋は〈本将棋〉と呼んでいました。私も一時期は兄とやりましたが、そんなに長続きはしなかった。近所の遊び友達とやったのは、はさみ将棋、まわり将棋、将棋くずしが多かったのではないでしょうか。

〈はさみ将棋〉は、歩の駒だけをお互い横一列にならべて始めます。歩は前後左右に動かすことができて、相手の歩をはさめばそれをとることができます。〈まわり将棋〉は、将棋盤の外周を使うすごろくのようなもの。サイコロの代わりに金将を使います。細かなことを忘れていたので調べてみたら4枚使っていたのですね。表が出た駒の数だけ歩を進めるのが基本のようですが、いろんなローカルルールがあったらしい。〈将棋くずし〉は、将棋の駒を使った〈ジェンガ〉のような遊び。箱を使って将棋台盤の中央に駒の山をつくります。そして順番に、指で駒を盤の外に滑らせていくのです。山が崩れたりカチッと音が出たりすると負けというゲーム。

以上は、ちゃんとした将棋の駒を使うゲームですが、違う駒を使う将棋がありました。〈軍事将棋〉です。軍人将棋とか行軍将棋ともいうらしい。ゲーム用品のネットサイトの画像を紹介します。

軍事将棋
木村娯楽堂サイトより(クリックでサイトにジャンプ)

ルールは省略しますが、スパイは一番弱い駒なのですが大将にだけは勝つことができるなど、駒の勝敗が細かく定められています。審判が必要とか、かなり面倒なゲームでそんなに多く遊んだ記憶はありません。しかし、佐々木徹君(3年1組)の家の2階で何人かが集まって遊んだことが思い出されます。その記憶の中では、審判役が薄い紙に書かれた勝敗ルールの説明を読んでいるのですが、ルールがやたら難しくなにがなにやら。その解釈でもめています。当時の私たちに軍事将棋は難しく、将棋くずしあたりがお似合いだったようです(笑)。

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65歳以上の恩恵

先週の火曜13日、町田市立国際版画美術館の「横尾忠則 HANGA JUNGLE」展に行ってきました。6月18日の終了を目前にして。雨模様でしたが思いきって行ってよかった。シルクスクリーンやリトグラフなど約250点の展示。圧巻でした。写真撮影可ということで、会場写真を一枚。

横尾

横尾忠則さんは、私が大きな影響を受けたアーチストのひとりです。私は27歳のときに会社をやめてインドやネパール方面130日の旅に出かけました。当時の若者のはやりでもあったのですが、いまあらためて考えてみると横尾さんの作品や著作などの感化を受けてのことだったと思います。

会場には作品集などでよく知るポスターなども多くありました。しかし、作品の大きさや顔料の発色などはやはり本物というか現物でしかわからないと実感。そしてなんと、この体験料金が400円。65歳以上は半額だったのです。

そういえば、世田谷美術館の「エリック・カール」展も、一般料金は1200円ですが、65歳以上は1000円でした。さらに世田谷区の区報についていた割引券を使って100円ぐらい安かったのではなかったか。なんかかなりお得な感じがしたものです。エリック・カールは「はらぺこあおむし」などで知られる絵本作家です。

横尾さんの展覧会の翌日の夜は、渋谷オーチャードホールのコンサートへ妻とふたりで。というとちょっと贅沢な感じもしますが、これは無料のご招待。東急グループが毎年開催している〈TOKYU MUSIC LIVE〉で、今年はジャズピアニスト国府弘子さんのプロデュースでした。招待の抽選にあたったのです。ゲストは、大友康平さん、渡辺美里さん、渡辺香津美さん。詳細は略しますが、本当に楽しいコンサートでした。

そんなこんな、先週は交通費をのぞけばあまりお金もかけず、楽しい時間、贅沢なときを過ごすことができました。定年による退職をはじめ、65歳を過ぎてのいろんなこともある年代、世代ではありますが、割引そのほかの恩恵にもあずかっておりますという話。映画も館によるでしょうが、通常1800円の料金が60歳以上のシニア割引だと1100円ですからね。こうした恩恵の片方で若者の足を引っ張っていないかということもちょっと気になりますが。

東京都では70歳になるとバスが無料になるシルバーパスがもらえるそうなのですが、これはもう少し先のことかと(笑)。

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大漁旗でソーラン

2月27日のブログで、気仙沼市立唐桑中学が、〈よさこいソーラン〉の法被(はっぴ)をつくるため、使わなくなった大漁旗を募集しているという話を紹介しました。その続報が6月3日の三陸新報に掲載されていました。ネットの配信記事の写真はカラーなのでこちらを紹介します。

唐桑中法被

三陸新報6月3日配信記事より

唐桑中学の〈よさこいソーラン〉は、統合した旧 小原木(こはらぎ)中が30年近く踊ってきたものを引き継ぎました。しかし、法被が約40着しかなく3年生しか着用できなかったのです。そこで、全校生徒が着ることができるようにと、使用しなくなった大漁旗を募集しました。

全校生徒が着用するために不足していたのは約90着だったそうですが、5月の連休前までに集まった大漁旗はなんと約300枚。そして今、9月の運動会に向けての準備を進めているということです。写真にうつっているのは、崎浜大漁唄い込み保存会の婦人部の方々です。ほかにも自治会や個人の協力の申し出があるそうですが、唐桑中ではさらに協力者を募っているとのことです。

この大漁旗を利用した法被を着ての〈よさこいソーラン〉はとてもいいですね。地域の皆さんの協力で法被を縫うというのもなかなかです。それにしても、集まった大漁旗が900枚というのもすごい。ある種の〈大漁〉かと(笑)。唐桑御殿の押し入れにはまだまだ沢山の大漁旗が眠っているのではないでしょうか。

バトンの代わりに大漁旗を使う唐桑中学のリレーは昨年のブログでも紹介しました。そして今年は全校生徒が大漁旗の法被を着て〈よさこいソーラン〉を踊ります。9月の運動会は、いつも以上に盛り上がることでしょう。

2月27日ブログ「不要大漁旗募集中」
2016年9月14日ブログ「唐桑大漁旗リレー」

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柏崎市での一周忌

4月8日は母の故郷である新潟県柏崎市へ。叔母の一周忌でした。お寺での法要の後やお斎(おとき)でご住職といろいろとお話することができました。気仙沼で地震といえば、東日本大震災のことになるのでしょうが、柏崎では2007年(平成19年)7月16日の新潟県中越沖地震のこととなります。柏崎市でも震度6強だったといます。多くの寺院が被害を受け、単独での復興をあきらめたところもあるとのこと。本堂など建物が古かったり屋根が重いなどという事情もあるのでしょう。復興のための支援や補助を受けるにしても、一般企業の事業所などとは違う様々な困難があったようです。

話のなかで、気仙沼の葬式では火葬を葬儀の前におこなうと語ったところ、ご住職の奥様の故郷である秋田県能代市でもそうですとのこと。地域によっていろいろだと。父が亡くなったとき、柏崎からも叔母や叔父が最後のお別れにとわざわざ気仙沼に来てくれたのですが、すでにお骨になっているのを知って驚いていたことを思い出します。その叔母も昨年亡くなったわけですが、92歳の叔父夫婦が柏崎で元気に暮らしているのはなによりのことです。

柏崎に一泊し、帰りは兄の車に乗って仙台へ。94歳でさすがに足腰が弱くなり妹の一周忌には参加できなかった母に、息子(私)の元気な顔を見せにいきました。昨年秋、秋保温泉に私たち兄弟家族など一族郎党が集まってから半年ぶりの再会を喜んでくれました。

そして帰京。仙台から東京へは2時間もかかりません。きのう仙台に向かう車のなかで兄が、小学生だったころは気仙沼から柏崎までは12時間もかかったと懐かしく話していました。一ノ関で東北本線に、郡山で磐越西線、新津で信越本線。乗換時間もあるしねえ。

柏崎から仙台に向かう高速道路のパーキングエリアでは、土産に笹団子を購入。私が小学生のころ、季節になると柏崎の祖母がたくさんの笹団子とチマキを送ってくれたことを思い出しました。祖母にとって、娘や孫が暮らす気仙沼はどんなにか遠い場所だったことでしょう。


新潟県柏崎と気仙沼の柏崎(かしざき)さらには紫神社との関係についてはつぎのブログに記しております。

2015年4月16日ブログ「気仙沼と柏崎の縁」

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赤坂7丁目の散策

気仙沼ニッティングさんが、3月から毎月第1土曜日に、東京・青山通りの草月会館2階〈コーネルコーヒー〉に出張しています。4月1日(土)はその2回目。〈コーネルコーヒー〉の運営には、気仙沼のアンカーコーヒーなどを展開する〈マザーポートコーヒー〉も加わっていることは3月2日のブログで紹介しました。

コーネルコーヒー
気仙沼ニッティング公式Facebookより(クリックでジャンプ)

出張1回目となった3月4日、私ははじめてコーネルコーヒーを訪ねました。草月会館のある赤坂7丁目付近は、30数年前30歳ぐらいまでつとめていたオフィスがあった場所なのです。本日は、訪問の直後に〈忘れないうちに〉とつづっておいた印象記です。ちょっとというか、かなり長いのでとばし読みをお勧めします。


草月会館は地下鉄〈青山一丁目〉と〈赤坂見附〉の中間ですが、私は以前の通勤ルートにしたがって青山一丁目から。まずは駅のある新青山ビル〈青山ツイン〉の地下1階。飲食中心のフロアで、以前からの店が結構のこっています。ニュートーキョー運営の居酒屋〈庄屋〉もまだあった。料金が手頃で同僚やアルバイトの学生たちとよくいきました。物販フロアで津川雅彦さんが経営していた幼児向けの玩具店〈グランパパ〉がすでになくなっていることは知っておりました。

地上に出て赤坂御用地を左に見ながら青山通り沿いを歩きます。赤坂郵便局を過ぎたあたりのビルには監査法人の〈アーサーアンダーセン〉が入っていたのですが、いまは〈ユナイテッドアローズ〉の本部が。アーサーアンダーセンは紆余曲折の後、コンサルティング会社〈アクセンチュア〉として発展、このビルには収まりきれない規模になりました。

その先にあるカナダ大使館を過ぎると、大蔵大臣や総理大臣をつとめた〈ダルマさん〉高橋是清の邸宅跡〈高橋是清翁記念公園〉です。ここはほとんど変わっていません。通勤時に公園のなかを通っておりましたが、樹木の根っこが地上に露出している様子までもがそのままという印象。

そして草月会館の正面玄関から2階のコーネルコーヒーへ。気仙沼ニッティングさんは入口付近のスペースでお客様の採寸や試着などで接客中です。私はドリップコーヒーを。カウンターからはさきほどの是清公園の緑が見えます。つまり、以前にレストラン〈薔薇〉があったところが〈コーネルコーヒー〉になったのですね。

コーネルコーヒー1
是清公園からながめた草月会館/コーネルコーヒー

コーネルコーヒーからも見ることのできる石庭〈天国〉は今も変わることなくそこにありました。イサム・ノグチの傑作とされています。このイサム・ノグチの天国が、私にはいつもとてもさびしく感じられるのはなぜでしょう。

美味しいコーヒーをいただいたあと、気仙沼ニッティングのスタッフ遠藤さんにちょっとだけ声をおかけした後、青山通りに面したラウンジスペースへ。草月会館の案内を見ると〈談話室〉となっています。テイクアウトした飲み物をここで楽しむこともできるのでしょう。雰囲気は元のまま。

お次は、草月会館と是清公園の間を奥に入っての〈ドイツ文化会館〉OAG(オーアーゲー)ハウス。〈オアゲ〉と呼んでおりました。1階のレストランは以前のままにありましたが、料金がちょっと高くなったかもしれない。それでも草月会館のついでに寄るのもよろしいかと。オアゲのもっと奥の方に、餃子やレバニラをお昼に食べた中華〈珉珉(みんみん)〉があったはずですが、この日は確認できず。

ドイツ文化会館の隣が、私がつとめていたオフィスがあったマンション。その赤坂パークハウスは、三菱地所のマンション事業第1号として1970年に竣工した高級マンションらしいのですが、働いていたころの私はそんなこととはつゆしらず。今はビンテージというか、昔のまんまの姿に正直おどろきました。

当時、駐車場で島倉千代子さんをみかけることがありました。というのも、このパークハウスの向かいには日本コロムビアの本社ビルがあったのです。島倉さんはコロムビア所属でしたから、至近のマンションに住んでいたのでしょう。面する通り〈薬研(やげん)坂〉は、〈コロムビア通り〉とも呼ばれていました。

この通りで、気仙沼高校の同級生にばったり会ったことがあります。北(きた)君。岩手県の中学から気高に進学し、佐々木徹君(3年1組)の家に下宿していました。九州芸術工科大学で工業デザインを学び、コロムビアでは製品デザインを担当していたはずです。昼飯どきにばったり会ったときには驚いた。どうして君がこんなところにいるのかと。お互いに。そのコロムビアの場所にはいま高層ビルが建っています。そして向かって左方向の青山通り沿いのたしか〈東北新社〉があった場所にも同様の高層ビル。風景がすっかり変わってしまいました。

帰りは赤坂見附駅に向かいます。レトロな味わいがあった〈赤坂支所〉の建物は既になく、赤坂区民センターになってしまった。ま、古かったからねえ。大きな暖簾(のれん)が印象的だった和菓子の名店〈とらや〉赤坂本店は、建て替えのために休業中でした。その近くにあったイラストレーター安西水丸さんの実家だったビルは見当たりません。水丸さんも2014年に亡くなりましたね。思いついて、青山通りの向かいにある〈豊川稲荷〉さんへ。諸事の安寧を祈りました。

コーネルコーヒー/気仙沼ニッティング出張をきっかけとしての赤坂七丁目/草月会館訪問。30数年前の記憶を眼前の風景に重ね合わせながらの散策は、私にとってちょっとしたタイムトリップでした。もう一度訪れても、この不思議な感覚〈奇妙な味〉を感じることはできないでしょう。

「CONNEL COFFEE by Mother Port Coffee」公式HP
3月2日ブログ「コーネルコーヒー」

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催事・テレビ情報

新しい週がまた始まりました。本日は目黒の桜まつりなどの催事とテレビ番組情報をお伝えします。

1:目黒の桜まつり     

目黒のさんま祭と同じ会場で毎年おこなわれる桜まつり。今年も気仙沼物産の販売ブースが設けられます。

◎目黒イーストエリア桜まつり
4月1日(土)2日(日)10:30〜19:00
田道広場公園・ふれあい橋
(目黒区目黒一丁目25番8号)
気仙沼物産展のほか、模擬店、お茶の野点、ゆるキャラと遊べる子供広場、ダンス、演奏、若手芸人・大道芸人のステージなど

会場は、JR目黒駅の西口(改札を出て左側)から、目黒通りか権之助坂を下ります。400mほどいくと目黒川にぶつかります。橋を渡る手前を右折して200mぐらいいくと田道広場公園です。駅から12〜13分という感じでしょうか。私も同級生を誘って1日のお昼ごろに行こうと思っております。皆様も是非。

2:NHK WORLD      

3月15日のブログで、気仙沼市唐桑の〈つなかん〉菅野一代さんと移住者らとの関わりを記録したNHK WORLDの番組を紹介しました。本日紹介するのは、『TOKYO FASHION EXPRESS』。震災から6年経った気仙沼で活躍する3人をとりあげます。NHK WORLDでの放送は3月27日ですが、BSでの国内再放送は下記日時となります。

2
NHK WORLD番組サイトより(クリックでジャンプ)

◎NHK BS1『TOKYO FASHION EXPRESS』
3月29日(水)27:00~27:30
(3月30日(木)3:00~3:30)

登場するのは、オイカワデニムの及川洋(ひろし)さん、ニット製品の梅村マルティナさん、藍染め〈オーシャンブルー〉の藤村さやかさんの3名です。早朝3時からの放送ですので、録画予約でどうぞ。

3:Kesennuma,Voices.6 上映会 

3月11日と23日にTBSのCS放送〈TBSチャンネル〉で〈Kesennuma,Voices.6〉が放送されました。この堤幸彦監督が被災地・気仙沼で生きる人々の〈声〉を伝えるオリジナル番組第6弾の上映会が気仙沼で行われます。妹夫婦を津波で亡くした生島ヒロシさんの長男と次男のふたりと気仙沼との関わりを追いながら、心の復興を伝え続ける2017年作品です。CS放送なので私もまだ視聴できておりません。気仙沼の方にご覧いただければと。

堤幸彦
番組サイトより(クリックでジャンプ)

◎Kesennuma,Voices.6 上映会
日時:4月9日(日)13:30〜 17:00〜
(各回約90分のイベントで、開場は上記時刻30分前)
会場:気仙沼プラザホテル2階コンベンションホール
各回上映後に、堤幸彦監督はじめ出演者の舞台挨拶も。
入場無料

4:マギー審司さんのマジック 

実は、3月30日(木)19:00からのBS朝日〈ザ・ドキュメンタリー/震災から6年「帰りたい」〉を紹介しようと思っておりました。震災後6年の現実に気仙沼市出身のマギー審司さんが迫るというテーマとのこと。しかし、番組サイトを確認してびっくり。番組内容が変更されて〈マリリンモンロー〉のドキュメントになっていました。マギーさんがモンローに。これもマジックでしょうか(笑)。

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上場インタビュー

東京は朝から雨なのですが、午前10時すぎには都心での開花が発表されました。満開は7〜10日後とのこと。

さて、本日もきのうに続いて〈ほぼ日〉さんのジャスダック新規上場についてです。上場に関しての糸井さんのインタビューは、テレビ東京のワールドビジネスサテライト(WBS)でも放送されていますが、気仙沼ではネットされていません。そこで今日は、東京証券取引所スタジオからの株式情報ネットTV〈Stock Voice〉での糸井さんインタビュー映像を紹介します。約13分間です。


〈Stock Voice〉3月16日公開動画

糸井さんは東証でのセレモニーを終えて、東証内のスタジオに入ったのでしょう。ネクタイをしめています。ある種の正装でしょうか(笑)。このインタビューを見て感じたことをちょっとだけ。利益や成長についてです。

上場、つまり株式を公開しているわけですから、株主からは一定レベルの利益や成長を求められるのが普通の話。でも、ほぼ日は通常の株式会社とはちょっと違った志向をもつ企業です。映像では10分ぐらい過ぎたところで、そこをどう考えているかをたずねられました。糸井さんはつぎのように答えました。

〈自然な成長を僕らは否定しているわけじゃないんですけど……。金もうけだけがうまい人っていうの、友達になりたくないんですよね、あんまり。友達になって欲しい会社なんです。チカラがないとやっぱり何の役にも立たなくなっちゃうから、自然に成長して、少しずつ付いてゆく体力とか筋力みたいなものとか、それを使っていきたいというのが……。ま、一見、反成長みたいに聞こえるかもしれませんが。成長は否定していません。〉(発言引用は以上)

発言中の〈友達になって欲しい会社なんです〉というのは、〈ほぼ日は、友達になって欲しいと思われたい会社なんです。そういう会社になりたいんです〉という意味に私は受け取りました。

逆にとらえれば、お金をもうけるためだけの人よりは、友達になって欲しいと思うような人に株主になって欲しい。だって、そんなに大きな成長を目的にしている会社ではありませんから。といったところでしょうか。

なお、上場当日3月16日の東証での様子は、下記の〈ほぼ日ニュース〉がくわしく伝えています。東証の〈あの鐘を鳴らす〉セレモニーなども。上場を実現するまでには相当に大変な努力と苦労があったと思います。それだけに糸井さんはじめメンバーの方々のうれしさと喜びが伝わってくるような気がいたしました。こちらもご覧いただければと。

ほぼ日ニュース/3月18日
3月20日ブログ記事「ほぼ日さんの上場」

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ほぼ日さんの上場

皆様すでにご存じのように、糸井重里さんが社長をつとめる〈株式会社ほぼ日〉が、3月16日に東証JASDAQ市場に新規上場しました。本日は、気仙沼の人が知っておいたほうがよさそうな、ほぼ日上場の基本情報をまとめます。

まず、JASDAQ(ジャスダック)ですが、東京証券取引所(東証)が運営する株式市場です。東証には一部、二部の市場もありますが、ジャスダックは以前の〈店頭登録〉と同様に新興企業向けといってよいでしょう。東証一部はもっとも上場基準が厳しく、いわゆる〈一部上場企業〉との呼称は一流企業の証ともいわれます。

法人としての〈ほぼ日〉の歴史は、1979(昭和54)年に糸井さんが個人事務所を設立したことに始まります。同社コーポレートサイトに記された沿革から主要項目と気仙沼関連事項を抜粋してみましょう。

1979年(有)東京糸井重里事務所設立
1998年『ほぼ日刊イトイ新聞』 創刊
2001年「ほぼ日手帳」販売開始
2002年(株)東京糸井重里事務所に組織変更
2011年 気仙沼のほぼ日開設(11月)
2013年 株式会社気仙沼ニッティング設立(6月)
2016年 株式会社ほぼ日に社名変更(12月)
2017年 東京証券取引所JASDAQ市場に上場(3月16日)

なお、本年2017年2月1日には佐藤卓さんがデザインした〈ほぼ日〉のロゴマークが発表されています。詳しくはこの記事で。

なぜ〈ほぼ日〉が上場したのか。その疑問に対しては、東洋経済のインタビュー記事がわかりやすいと思います。糸井さんにつぐ第2位の大株主としてのお嬢さん池田(糸井)あんださんにも触れるなど、踏み込んだ内容となっています。

東洋経済オンライン3月16日配信記事

上場日の3月16日には、糸井社長の記者会見があり、各紙がその内容を伝えていますが、〈fashionsnap.com〉の3月16日配信記事には、震災に触れてつぎの記述がありました。

〈 約10年かけて上場への準備を重ねてきた糸井社長は、「これまでの“トレーニング”の歴史が認められたことに喜びを感じている」とコメント。2011年3月に発生した東日本大震災が社会性を強く意識する大きなきっかけになったといい、「社会的な存在であることがとても重要なんだと意識した。歴史や社会から『あってよかった会社』と思われたい」と意欲を示した〉(引用は以上)

気仙沼の皆様をはじめ、ほぼ日の支社ともいうべき〈気仙沼のほぼ日〉をよく知る人はとても共感できる言葉でしょう。そして3月17日の読売新聞朝刊には、糸井さんと気仙沼の関わりについて、さらに詳しい記事が掲載されていました。その紹介はあらためて。

糸井重里さんはじめ、ほぼ日関係者の皆様にあらためてお祝いを申し上げます。ジャスダック上場、おめでとうございました。

日本経済新聞 3月16日配信記事
日本経済新聞 3月4日配信記事

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謹賀新年2017

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。ゆっくりとお正月を過ごし、本日が仕事はじめです。

元日は、初日の出をながめに多摩川へ。自宅から坂を下って10分もすれば川辺に出るのですが、まさにはじめての初日の出。まぶしいばかりの金色の耀きに神々しいものを感じました。日の出を見てから、帰り道にあるお不動さんに初詣。

あいにくバッテリーがきれて初日の出の写真は撮れませんでした。その代わりといってはなんですが、2日の夕方に二子玉川の駅からながめた夕陽の写真を。実に素晴らしい色でした。ホームの向こうは多摩川。そのまた遠く中央部にあるマンションの右側の陰影が冨士山です。

日の入り

そして本日4日。仕事場の最寄り駅についたとき、近くの神社への初詣を思いつきました。代々木八幡。かなり長い行列ができていましたが、途中でひきかえすわけにもいかず、列に加わりました。参道の両側には近隣小学校児童の書がたくさんかざられています。「希望の朝」「新春の光」。私が書き初めをするとしたらなんと書くだろう。ちょっと長いけれど「青春の光と影」でしょうか(初笑)。

本年も元気に楽しく過ごすことができればなによりです。どうぞ、みなさまにとりましてもより良い年となりますように。

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美しい十代のころ

作家 小林信彦さんの週刊文春での連載「本音を申せば」は私の大好きなエッセイ。11月17日号「60年代ポップ少年の嘘」と題する一文は特に面白かった。

私たち気中20回生は、1951年4月〜52年3月生まれです。現在は64〜65歳。若い人からたまに、〈ビートルズ世代〉ですねと言われることがありますが、それはちょっと違います。その辺の感じを小林さんがうまく書いていたのです。

ポップ少年の嘘
週刊文春11月17日号「本音を申せば」の一部イメージ

小林信彦さんと親交のあったハッピーエンド大瀧詠一さん(1948年生まれ)や、作家の亀和田武さん(同1949年)の発言を紹介しながら、「60年代ポップ少年の嘘」について記した部分を以下に引用します。

〈(前略)大瀧さんはよく言っていた。
「ビートルズをリアルタイムで聞いていたという奴は嘘つきです。舟木一夫を聞いていたのがせいぜいですよ」
 それは何かというと、ビートルズを持ち出す同世代者への批判だった。
「そうでしょう」
 日本テレビで仕事をしていたぼくは、そういう〈世代〉というのがよくわかった。まったく同感といってよかった。

 亀和田武さんの「60年代ポップ少年」(小学館)にも同じような台詞がある。
 ビートルズの登場によって耳触りのよいアメリカとイギリスのポップは一夜にして“懐メロ”と化した。三十代の半ばになって、「ねえ、カメちゃん。あのころはビートルズをよく聴いたよな。オレたち、やっぱりビートルズ世代なんだよね」
 というまったくの歴史の捏造を口にする友人に対して、亀和田さんは「オマエが休み時間に毎日、楽しそうに歌っていたのは、三田明の『美しい十代』と、舟木一夫の『高校三年生』じゃないか」
 とひそかに言いかえす。
 この記述は亀和田さんがよくくりかえしていた言葉だが、大瀧さんの苦笑とぴったり一致する。(後略)〉(引用は以上)

ここに登場するビートルズの話と同じく、リアルタイムで〈ボブ・ディランをよく聴いていた〉という私たちと同じ世代の人の話はちょっと疑ったほうがよいでしょう。彼のレコードデビューは1962年3月とのことですから私がちょうど10歳のとき。私の感覚でいうと、〈吉田拓郎がボブ・ディランの影響を強く受けたことはよく知っている。要するに真似た〉といった程度。〈風に吹かれて〉もギターを弾きながらよく歌いましたが、ピーター・ポール&マリー(PPM)がカバーしてのヒット曲を歌うという感じではなかったか。

なお、引用文中にある三田明『美しい十代』と、舟木一夫『高校三年生』はいずれも1963年の発売。この2曲はリアルタイムで知り、歌ったおぼえがあります。とすると私たちは、〈ビートルズ世代〉というよりも〈ロッテ歌のアルバム世代〉なのかもしれません。


なお、気仙沼中学3年のときに、吉野信雄君(3年1組)と校内放送でビートルズの「イエスタデイ」を流しました。これについてはつぎの2つのブログにて。吉野君が〈嘘つき〉ということではありません。念のため。

2011年8月1日ブログ「イエスタデイ」
2014年12月22日ブログ「イエスタデイ再び」

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リオ・パラ閉会式

9月も本日でおしまいですが、18日(現地17日)のリオデジャネイロ・パラリンピック閉会式はご覧になりましたでしょうか。

私はNHKの中継を録画して見たのですが、東京スタジオのゲストとして気仙沼出身の佐藤真海(まみ)さんが出演していたのでびっくり。真海さんは、走り幅跳びでパラリンピックに3回出場し、東京大会招致にあたってはプレゼンターをつとめました。久しぶりのテレビ登場と思いますので、その映像スナップを。(クリックで拡大)

真海さん1 真海さん2

真海さんは2014年9月に結婚し、昨年4月に男の子のお母さんとなりました。番組での紹介は、〈アスリートの谷真海さん、旧姓佐藤真海さんです〉、画面での氏名表記は〈谷真海(旧姓 佐藤)〉となっていました。

閉会式では、2020東京大会への引き継ぎ式〈フラッグハンドオーバー セレモニー〉が行われました。コンセプトは〈POSITIVE SWITCH〉です。公式サイトには〈障がいがあることは、新しい可能性をもつことでもあるんだ。そう言える東京を目指して〉というサブコピーが記してありました。演出の佐々木宏さんは〈ひとつの障害がむしろ、新しい人生のポジティブな変革のきっかけになる。そんなテーマを、東京大会は打ち出していきたい〉と語っています。

東京PRのパフォーマンス冒頭、日本初の〈義足モデル〉と呼ばれるGIMICO(ギミコ)さんが、舌を出して登場したのには驚きました。かなり〈パンク〉です。真海さんが〈GIMICOとは友達なんです。クールに決めてびっくりした。かっこよかった〉と語っていました。

ギミコ
リオ2016パラリンピック/フラッグハンドオーバー セレモニーTokyo2020より

時代は変わったな、というか、時代を変えていく、というか。私は4年前のロンドン大会を前にしての〈パラリンピック選手写真展〉を思い出しました。地下鉄「表参道」駅コンコースでの展示には佐藤真海さんの写真もありました。10年前にはこのような写真展はなかったと思う。4年前ぐらいにやっと実現したという感じでしょう。そして、真海さんに対してもそうですが、写真にうつる女性に対して使われた代表的な言葉が〈凛(りん)として〉。障害があることを感じさせない毅然とした美しさがあるというような形容句です。

真海さん3
2012年8月31日ブログ「真海さんin表参道」より

その4年後、2016年には〈凜として〉どころか、舌を出しての登場です。演出的には冒険だったと思いますが、結果としては自然に受け入れられたように思います。4年間でのこの変化を考えると、4年後はどうなっているのでしょうか。というよりも2020年までには、私たちの意識や認識というものを大きく変えることができるように思ったのです。

〈ポジティブ・スイッチ〉という言葉。ネガティブ/後ろ向きになることなく、ポジティブ/前を向いて明るい未来を目指し、(ちょっとパンク風に言えば)俺じゃなくて、お前の胸のそのスイッチをいま押せっ!つう感じでしょうか。

NHK中継番組の最後で、真海さんはつぎのように語っていました。

〈「大切なものは失ったものではなくて、いま実際にあるもの。その力を最大限に引き出すことこそ大切なことだ」というメッセージをより多くの人に伝えられるのがパラリンピックであると思います〉

真海さんは、4年後の東京大会にトライアスロンで出場することを目指しています。

8月5日ブログ「イエスアイキャン」

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米山さんへの感謝

9月23日のブログで、羽田神社のお山がけを紹介しました。その記事を書く際に、私がお山がけにいったことがあるかどうか、仙台に暮らす母へ電話しました。記憶どおり、私はお山がけに行っていなかったのですが、故郷の柏崎にもお山がけと同じような風習があったと母が言うのです。

母は新潟県柏崎市で生まれ育ちました。柏崎市と気仙沼の柏崎(かしざき)の因縁は以前このブログにも書いております。

2015年4月16日ブログ「気仙沼と柏崎の縁」

柏崎には、有名な三階節(さんがいぶし)で〈米山(よねやま)さんから雲が出た〉と唄われる米山があります。その米山さんに11歳のときに登ると、頂上まで神様が連れて行ってくれるというので、自分も登ったと。そして、なんとか登りついたとき、かごの中に水をいれたコップが並べてあったので、急いでそれを飲みのどの乾きをいやしたそうです。しかし後で知ったところによれば、それは売り物の水。「20」という数字を覚えているので、20銭だったのだろうかと。

山に登るときには、青年団の人たちが綱(つな)で引っ張ってくれるなどいろいろお世話をしてくれたそうです。その一人は背中に大きな荷物を背負っていました。ほかの仲間から〈仏壇でもかついできたのか〉とからかわれていましたが、それは蓄音機でした。休憩するたびにゼンマイを巻いてレコードで音楽をかけてくれたそうです。

〈いい話だね〉と少しからかって電話をきった後に、ネットで調べてみましたら、つぎのようなことがわかりました。

柏崎には、数えで12歳になると〈初登り〉と称して米山にのぼる習俗があるのだそうです。登りきれば一人前の男の子。そして母の話にあった神様というのは、薬師如来でした。米山にまつられている薬師如来には12の菩薩がついており、その菩薩様が初登りの子の手を引いてくれるといいます。12菩薩と数えの12歳を重ね合わせているのでしょう。母が11歳の時といっていたのは満年齢だと思います。柏崎の〈初登り〉も本来は男児の通過儀礼のようですが、当時は女児も一緒に登ったようです。

〈羽田のお山がけ〉は、父親以外の大人がつきそいます。柏崎〈初登り〉はどうだったのでしょうか。とはいうものの、母は幼いころに父親を亡くしておりその顔も写真でしか知りません。ですから、そもそも一緒に登ることはできないのです。

本来は男児のみだけど女児の登山も許されたというユルい感じからすると、〈父親同行も可〉ということだったのではないか。もしそうだとすると、ほかの子供たちに付き添うお父さんたちを見て、母がどう感じたか。うらやましかったのではないか。頼もしい父親の代わりに青年団の人達の印象が強く胸に刻まれているのでは、などと妄想が止まりません(笑)。

数字の「20」の記憶など、本当は「10」かも知れずあてにはならないのですが、母の記憶は細かな話というかエピソードがよくできています。93歳。足腰がおぼつかないところはあるものの、頭はしっかりとしているようです。これも、数え12のときに登った米山さんに座す、薬師如来さんや12菩薩さんのおかげに違いありません。


最後になりましたが、柏崎市の海岸沿いから望む〈米山さん〉の写真を。

米山さん
http://www.panoramio.com/photo/32537177より拝借

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目黒区のさんま祭

9月4日(日)のテレビで、〈目黒のさんま祭〉のニュースをご覧になった方も多いでしょう。これを見て、目黒のさんま祭は終わってしまったと勘違いされる人もいらっしゃるのではないでしょうか。ご心配なく、目黒区のさんま祭は9月18日(日)に開催されます。

さんま祭

〈目黒のさんま祭〉がふたつあるわけで、ほんとわかりにくい。これは、JR「目黒」駅の西口側は目黒区、東側は品川区であるため。そして毎年はじめに行われるのが品川区側の〈さんま祭り〉。テレビでも季節の話題ということで各局が紹介するわけですが、2週間後にまた〈さんま祭〉のニュースを見て〈あれっ〉となってしまう。細かいことをいえば、目黒は〈祭〉、品川は〈祭り〉と、表記が少し違います。

ふたつの〈さんま祭〉の概要を紹介しておきましょう。

◎目黒区のさんま祭

「目黒区民まつり」(別称「目黒のSUNまつり」)のメインイベントが「目黒のさんま祭」です。気仙沼からのさんま5000尾の炭火焼きが無料でふるまわれます。区民まつりとしてはほかに「ふるさと物産展」「おまつり広場」「子ども広場」などのイベントも開催。

日時:9月18日(日)
会場:目黒区田道広場公園
主催:目黒区民まつり実行委員会
目黒区公式イベントサイト

◎品川区のさんま祭り

こちらは、目黒駅東口の品川区側。いつもは岩手県宮古港からのさんまが提供されるのですが、今年は不漁のために北海道のさんまを宮古がとりよせて提供という形になりました。

日時:9月4日(日)すでに終了
会場:JR・地下鉄目黒駅東口「目黒駅前商店街」
主催:目黒駅前商店街振興組合青年部

18日の〈目黒のさんま祭〉には、気仙沼からも〈さんま焼き隊〉やすり身汁ほかの提供などの大勢のお手伝いの方々が上京します。スタッフの方々は3000円の参加費を自分ではらってのお手伝いです。本当にありがたい。

例年は、気仙沼物産ブースで〈あさひ鮨〉の佐々木徹君も〈さんま姿寿し〉の販売をするのですが、今年ははずせない所用があり不参加とのこと。残念ですが、9月24日は気仙沼での同年会がありますから、そこで会うことができるでしょう。

9月18日の目黒のさんま祭。是非おでかけください。

そういえば、明日9月8日(木)は、〈志の輔らくご in 気仙沼〉の開催日ですね。沢山の方が集まっての楽しい会になることでしょう。

2015年9月21日ブログ「目黒さんま祭報告」(2015)

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シン・ゴジラ危険

先週の水曜日、7月29日の公開直後から大評判の映画「シン・ゴジラ」を見てきました。総監督・脚本は「新世紀エヴァンゲリオン」などでも知られる庵野秀明(あんの ひであき)さんです。

「シン・ゴジラ」は、フルCGによるゴジラ映画。巨大不明生物の襲来にあたっての政府や官僚などの対応を描いた映画とだけ説明しておきましょう。詳しくは公式サイトにて。いくつかある予告編のひとつだけを紹介しておきます。1分32秒。



この映画は評判にたがわずとても面白かった。庵野さんや「エヴァンゲリオン」が大好きな人はさらにマニアックな批評や楽しみ方をしているようです。しかし本日お伝えしたいのはそのことではありません。気仙沼の人など、震災や津波の襲来を経験した人がこの映画をみるにあたっては注意が必要だということ。

直接に震災の津波を経験していない私でも、映画の前半で登場する街が破壊される様子や混乱しながら避難する人々のシーンではグッときました。その暴力性がリアルなのです。

そうしたシーンがあることへの注意喚起は、公開直後のネットではあまりなかったように思うのですが、先週あたりはいくつか目にしました。NHK在職中は〈NHK_PR1号〉としてツイッターを担当していた @aso_kamo (あそうかも/麻生鴨)さんの8月19日の投稿もそのひとつ。

「好きな人には怒られるかも知れないけれど「シン・ゴジラ」について、あえて1つだけ書いておきます。ニュースなどで津波や震災の映像を見ると気分が悪くなったり、息が苦しくなったりするような人、まだPTSDが治っていない人は、劇場では見ないほうがいいです。たぶん純粋には楽しめません。」

このほか、大阪大学教授で〈ニセ科学〉に詳しく、原発の放射能問題などでも積極的な発言している菊池誠さんも8月19日のツイートで〈シン・ゴジラは震災と原発事故のメタファーだから、見るのが辛い人たちもいると思うよ。それは事前に注意してもよかったような気がするな〉と書いています。

いま気仙沼に映画館はなく、たやすく〈シン・ゴジラ〉を見られる環境ではありません。しかし、出張のついでにひょいと入った映画館で不意をつかれといったことがないよう、一言ご注意を申し上げました。

私が見たのは、通常の2D版。しかしIMAX/4DXでなくてよかったよ。危ないところでした(笑)。

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佐々木善三弁護士

東京都知事だった桝添要一さんの政治資金使途疑惑で〈第三者的立場〉からの調査を担当した佐々木善三(ぜんぞう)弁護士。元は特捜部の検事で、リクルート事件や住専事件といった政界汚職などの大型事件を手がけてきました。その狙った獲物は逃さない執拗な仕事ぶりから「マムシの善三」という、まるで池波正太郎/鬼平犯科帳の登場人物みたいな異名で呼ばれたといいます。東京地検では特捜副部長もつとめました。ついでに言えば、元検事を意味する〈ヤメ検〉という言葉は下品ですね。〈◎◎あがり〉という言葉と同じく、あまり使いたくありません。

佐々木善三さん
デイリー新潮 6月24日配信記事より

その佐々木善三さんが、どうも気仙沼高校の卒業生らしい。そんなうわさ話を聞いたのは7月9日の気仙沼高校関東同窓会でした。〈聞いたことがないなあ。うそじゃないの〉というのが私の印象だったのですが、調べてみたらどうも本当のことのようです。

私が持っている気仙沼高校同窓会名簿(平成16年版)にその名がありました。気高第23回生(昭和46年3月卒)なので、私たちの一年後輩。職業欄には〈検事〉と記されていますので間違いないでしょう。

岩手県陸前高田市の出身ですから、たぶん〈汽車通(学)〉ですね。気高の後は中央大学法学部に進みました。陸前高田出身で気仙沼高校というと、俳優の村上弘明さんがいます。陸前高田市広田町の出身。私たちより5つ下の気高27回生で法政大学へ。

佐々木弁護士は、医療法人から5000万円を受領したとされる猪瀬直樹前都知事の弁護も担当しています。略式起訴で罰金50万円という結果は、佐々木弁護士の弁護能力によるとの見方もあったようです。震災時に気仙沼が大変お世話になった猪瀬直樹さんと佐々木弁護士の関係は奇縁を感じさせます。

さて、桝添都知事に関する調査報告で佐々木善三弁護士がくりかえす〈不適切ではあるが違法ではない〉という語り口にはなんというか〈違和感〉をおぼえました。しかし、高校の一年後輩ということを知ったいま感じるのは、むしろ〈親近感〉。というとちょっと言葉が過ぎるか。でも本当に驚きました。そのご報告ということで今週は失礼いたします。

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謙さんと徹子さん

7月11日(月)、〈徹子の部屋〉に渡辺謙さんが出演していたことをネットで知りました。事前に知ることができず、見逃したなと思っていたら、妻が気づいて録画しておいてくれました。約2分間の話なのですが、こんなことを謙さんが話してくれましたということを画面写真でご紹介します。

徹子さんが、あなたは気仙沼に店をもっているんですってと聞いて話が始まります。カフェ「K-port」(ケーポート)の話です。

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謙さんは、「K-port」にほとんど毎日ファクスを送っています。〈外国でもどこでも、できれば毎日手書きで送ろうと思っている〉と。写真は昨年6月のニューヨークでのもの。

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ファックスはK-portのカウンターに置いてあり、お店に来た人が見ることができます。

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最後のやりとりを紹介しておきましょう。謙さん「ま、言ってみれば、ちゃんと僕がつながってますから大丈夫だよというメッセージなんですよね」徹子さん「みんな心強いと思いますよ」

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渡辺謙さん、そして黒柳徹子さん、気仙沼のご紹介、ありがとうございました。

K-port/公式 Facebook

なお、ネットに放送画像が投稿されていました。あくまでご参考ということで。17:00から2分間です。

「徹子の部屋」youtube投稿

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今日は「UFOの日」

今朝、電車のなかでツイッター情報を見ていたら、国立公文書館が「今日(6/24)はUFOの日。1947年のこの日、米国で初めて空飛ぶ円盤が目撃されたことに由来するそうです」と教えてくれました。そうか今日だったか。この〈UFOの日〉については、2011年のブログで書き、その後に再掲もいたしました。私にとっては、なつかしい〈国際円盤デー〉。ということで2011年7月14日のブログを以下に再録します。


「 昨日のブログで気仙沼中学校の体育館にちょっと触れました。5月にその体育館の避難所をたずねたとき、昔と変わってないなと感じた一方、気中のグラウンドは仮設住宅がならび、風景が一変していました。今日は、その気中グラウンドにまつわるお話です。

中学2年生のときだと思いますが、空飛ぶ円盤がちょっとしたブームでした。何人も「見たことがある」というのです。「そんなばかな」という私に、UFO体験者の一人が「実は空飛ぶ円盤を研究する会があるんだ」と。オダも いぐが ? 。

半信半疑でしたが、4~5人でその研究会に行ってみました。気仙沼小学校の第2校舎を河原田方向に抜ける道の途中にその家はありました。そして20代なかごろの若い人(松下さんっていったかな)がいろいろとスライドや機関誌を見せてくれたのです。

そして研究会に2回くらい行った後の6月24日の夜、気仙沼中学校のグラウンドに研究会メンバー10人ぐらいが集まりました。その日は、「国際円盤デー」。1947年のこの日、アメリカの実業家ケネス・アーノルド氏が自家用機で飛行中に空飛ぶ円盤を発見したとされています。私たちはグラウンドの中央で手をつなぎ円陣を組みます。そして、みんなが心のなかで、こうつぶやくのです。

「地球付近を航行中の空飛ぶ円盤がいましたら、地球人にそれとわかるようにコンタクトしてください」

これを1時間くらいやってたかな。一時は、雲のうしろでぼーっと光った月を「来たっ!」といって喜んだときもあったんだけど。結局、円盤は来てくれませんでした。

研究会の団体名は「CBA」。いまネットで調べてみるとCosmic Brotherhood Association(宇宙友好協会)の略称なんですね。まあ、なんというかある種伝説的な団体だったみたい。ここまで書いて、大震災のときにこそ宇宙人が円盤にのって飛来していたのではないかと思い、検索してみました。

やっぱりね。結構たくさん来てるようですよ(笑)。」(再録内容は以上)

冒頭で紹介した国立公文書館のツイートでは、つぎの画像を紹介しています。



説明には「画像は「弘賢随筆」中の挿絵。常陸国(現茨城県)沖を漂流していたあやしい船と、中にいた女性の絵だそうですが・・・」とあります。右上の文字というか図形がとても味わい深い。

CBA/宇宙友好協会の機関誌には、これに似た話がたくさん紹介されていました。縄文時代には宇宙人がたくさん来てましたから、その姿が土偶として残っているわけです。ピラミッドの作り方を教えてくれたのは誰か、それはもう説明不要でしょう。みたいな(笑)。

気仙沼中学のグラウンドで円陣を組んだ同級生は誰だったかな。さすがに半世紀も前のことなので忘れてしまいました。地球付近を航行中の宇宙人がいたら教えて欲しいと思う今日この頃です。どうぞ皆様、良い週末を。

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お笑い三人組の頃

読売新聞の「時代の証言者」シリーズは、およそ一カ月に一人をとりあげて、その時代と人生をつづった連載記事。5月10日で30回の連載を終了したのは落語家の4代目三遊亭金馬(金馬襲名前は小金馬)さんでした。なかなか面白い連載で、特に5月5日の記事と写真は、小学生だったころの記憶をよみがえらせてくれました。

三人組
読売新聞5月5日記事より

写真キャプションには、〈「お笑い三人組」のレギュラーたち(左から、猫八、楠トシエ、音羽美子、貞鳳、桜京美、小金馬、1960年頃)〉とありました。貞鳳は後に参議院議員にもなった講談師の一龍斎貞鳳さん。猫八は、動物の声帯模写を得意とした3代目江戸屋猫八さんです。息子さんの子猫/4代目猫八さんが今年3月に亡くなりましたね。

記事の冒頭に、「アハハ、ウフフ、ヘヘヘのホホホでアハハのハ~、僕らはお笑い三人組~」という歌詞が紹介されていました。NHKテレビの「お笑い三人組」のテーマ曲。エンディングに流れたそうです。

1956年11月から1966年3月まで10年間にわたって毎週火曜日午後8時半から9時までテレビ放送されたとのことです。私たちの小学校入学(1958年4月)前から中学2年生の頃までやっていったのか。その前の番組は「ジェスチャー」で、その後は「事件記者」。どっちも必ず見ていました。

1966年の番組終了の理由は諸説あるらしいのですが、〈国会でNHKの娯楽路線が批判され「夢であいましょう」「事件記者」などの人気番組とともに大なたが振るわれた……〉との話もあったらしい。

「夢であいましょう」も大好きな番組でした。4月30日から始まった黒柳徹子さんを中心にテレビの草創期を描く全7回のNHKドラマ「トットてれび」で当時の番組イメージが再現されていました。このドラマは私たちの世代には懐かしいイメージが満載。未見の方がいらっしゃればぜひに。

NHK土曜ドラマ「トットてれび」番組サイト

しかし不思議です。小学生のころに見たテレビ番組を思い出すたびに、テレビを前にした私たちの姿、そして頭の中がまざまざとよみがえってきます。テレビジョンはまさに〈魔法の箱〉なのかもしれません。

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プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/66~67歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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