上場インタビュー

東京は朝から雨なのですが、午前10時すぎには都心での開花が発表されました。満開は7〜10日後とのこと。

さて、本日もきのうに続いて〈ほぼ日〉さんのジャスダック新規上場についてです。上場に関しての糸井さんのインタビューは、テレビ東京のワールドビジネスサテライト(WBS)でも放送されていますが、気仙沼ではネットされていません。そこで今日は、東京証券取引所スタジオからの株式情報ネットTV〈Stock Voice〉での糸井さんインタビュー映像を紹介します。約13分間です。


〈Stock Voice〉3月16日公開動画

糸井さんは東証でのセレモニーを終えて、東証内のスタジオに入ったのでしょう。ネクタイをしめています。ある種の正装でしょうか(笑)。このインタビューを見て感じたことをちょっとだけ。利益や成長についてです。

上場、つまり株式を公開しているわけですから、株主からは一定レベルの利益や成長を求められるのが普通の話。でも、ほぼ日は通常の株式会社とはちょっと違った志向をもつ企業です。映像では10分ぐらい過ぎたところで、そこをどう考えているかをたずねられました。糸井さんはつぎのように答えました。

〈自然な成長を僕らは否定しているわけじゃないんですけど……。金もうけだけがうまい人っていうの、友達になりたくないんですよね、あんまり。友達になって欲しい会社なんです。チカラがないとやっぱり何の役にも立たなくなっちゃうから、自然に成長して、少しずつ付いてゆく体力とか筋力みたいなものとか、それを使っていきたいというのが……。ま、一見、反成長みたいに聞こえるかもしれませんが。成長は否定していません。〉(発言引用は以上)

発言中の〈友達になって欲しい会社なんです〉というのは、〈ほぼ日は、友達になって欲しいと思われたい会社なんです。そういう会社になりたいんです〉という意味に私は受け取りました。

逆にとらえれば、お金をもうけるためだけの人よりは、友達になって欲しいと思うような人に株主になって欲しい。だって、そんなに大きな成長を目的にしている会社ではありませんから。といったところでしょうか。

なお、上場当日3月16日の東証での様子は、下記の〈ほぼ日ニュース〉がくわしく伝えています。東証の〈あの鐘を鳴らす〉セレモニーなども。上場を実現するまでには相当に大変な努力と苦労があったと思います。それだけに糸井さんはじめメンバーの方々のうれしさと喜びが伝わってくるような気がいたしました。こちらもご覧いただければと。

ほぼ日ニュース/3月18日
3月20日ブログ記事「ほぼ日さんの上場」
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ほぼ日さんの上場

皆様すでにご存じのように、糸井重里さんが社長をつとめる〈株式会社ほぼ日〉が、3月16日に東証JASDAQ市場に新規上場しました。本日は、気仙沼の人が知っておいたほうがよさそうな、ほぼ日上場の基本情報をまとめます。

まず、JASDAQ(ジャスダック)ですが、東京証券取引所(東証)が運営する株式市場です。東証には一部、二部の市場もありますが、ジャスダックは以前の〈店頭登録〉と同様に新興企業向けといってよいでしょう。東証一部はもっとも上場基準が厳しく、いわゆる〈一部上場企業〉との呼称は一流企業の証ともいわれます。

法人としての〈ほぼ日〉の歴史は、1979(昭和54)年に糸井さんが個人事務所を設立したことに始まります。同社コーポレートサイトに記された沿革から主要項目と気仙沼関連事項を抜粋してみましょう。

1979年(有)東京糸井重里事務所設立
1998年『ほぼ日刊イトイ新聞』 創刊
2001年「ほぼ日手帳」販売開始
2002年(株)東京糸井重里事務所に組織変更
2011年 気仙沼のほぼ日開設(11月)
2013年 株式会社気仙沼ニッティング設立(6月)
2016年 株式会社ほぼ日に社名変更(12月)
2017年 東京証券取引所JASDAQ市場に上場(3月16日)

なお、本年2017年2月1日には佐藤卓さんがデザインした〈ほぼ日〉のロゴマークが発表されています。詳しくはこの記事で。

なぜ〈ほぼ日〉が上場したのか。その疑問に対しては、東洋経済のインタビュー記事がわかりやすいと思います。糸井さんにつぐ第2位の大株主としてのお嬢さん池田(糸井)あんださんにも触れるなど、踏み込んだ内容となっています。

東洋経済オンライン3月16日配信記事

上場日の3月16日には、糸井社長の記者会見があり、各紙がその内容を伝えていますが、〈fashionsnap.com〉の3月16日配信記事には、震災に触れてつぎの記述がありました。

〈 約10年かけて上場への準備を重ねてきた糸井社長は、「これまでの“トレーニング”の歴史が認められたことに喜びを感じている」とコメント。2011年3月に発生した東日本大震災が社会性を強く意識する大きなきっかけになったといい、「社会的な存在であることがとても重要なんだと意識した。歴史や社会から『あってよかった会社』と思われたい」と意欲を示した〉(引用は以上)

気仙沼の皆様をはじめ、ほぼ日の支社ともいうべき〈気仙沼のほぼ日〉をよく知る人はとても共感できる言葉でしょう。そして3月17日の読売新聞朝刊には、糸井さんと気仙沼の関わりについて、さらに詳しい記事が掲載されていました。その紹介はあらためて。

糸井重里さんはじめ、ほぼ日関係者の皆様にあらためてお祝いを申し上げます。ジャスダック上場、おめでとうございました。

日本経済新聞 3月16日配信記事
日本経済新聞 3月4日配信記事

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謹賀新年2017

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。ゆっくりとお正月を過ごし、本日が仕事はじめです。

元日は、初日の出をながめに多摩川へ。自宅から坂を下って10分もすれば川辺に出るのですが、まさにはじめての初日の出。まぶしいばかりの金色の耀きに神々しいものを感じました。日の出を見てから、帰り道にあるお不動さんに初詣。

あいにくバッテリーがきれて初日の出の写真は撮れませんでした。その代わりといってはなんですが、2日の夕方に二子玉川の駅からながめた夕陽の写真を。実に素晴らしい色でした。ホームの向こうは多摩川。そのまた遠く中央部にあるマンションの右側の陰影が冨士山です。

日の入り

そして本日4日。仕事場の最寄り駅についたとき、近くの神社への初詣を思いつきました。代々木八幡。かなり長い行列ができていましたが、途中でひきかえすわけにもいかず、列に加わりました。参道の両側には近隣小学校児童の書がたくさんかざられています。「希望の朝」「新春の光」。私が書き初めをするとしたらなんと書くだろう。ちょっと長いけれど「青春の光と影」でしょうか(初笑)。

本年も元気に楽しく過ごすことができればなによりです。どうぞ、みなさまにとりましてもより良い年となりますように。

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美しい十代のころ

作家 小林信彦さんの週刊文春での連載「本音を申せば」は私の大好きなエッセイ。11月17日号「60年代ポップ少年の嘘」と題する一文は特に面白かった。

私たち気中20回生は、1951年4月〜52年3月生まれです。現在は64〜65歳。若い人からたまに、〈ビートルズ世代〉ですねと言われることがありますが、それはちょっと違います。その辺の感じを小林さんがうまく書いていたのです。

ポップ少年の嘘
週刊文春11月17日号「本音を申せば」の一部イメージ

小林信彦さんと親交のあったハッピーエンド大瀧詠一さん(1948年生まれ)や、作家の亀和田武さん(同1949年)の発言を紹介しながら、「60年代ポップ少年の嘘」について記した部分を以下に引用します。

〈(前略)大瀧さんはよく言っていた。
「ビートルズをリアルタイムで聞いていたという奴は嘘つきです。舟木一夫を聞いていたのがせいぜいですよ」
 それは何かというと、ビートルズを持ち出す同世代者への批判だった。
「そうでしょう」
 日本テレビで仕事をしていたぼくは、そういう〈世代〉というのがよくわかった。まったく同感といってよかった。

 亀和田武さんの「60年代ポップ少年」(小学館)にも同じような台詞がある。
 ビートルズの登場によって耳触りのよいアメリカとイギリスのポップは一夜にして“懐メロ”と化した。三十代の半ばになって、「ねえ、カメちゃん。あのころはビートルズをよく聴いたよな。オレたち、やっぱりビートルズ世代なんだよね」
 というまったくの歴史の捏造を口にする友人に対して、亀和田さんは「オマエが休み時間に毎日、楽しそうに歌っていたのは、三田明の『美しい十代』と、舟木一夫の『高校三年生』じゃないか」
 とひそかに言いかえす。
 この記述は亀和田さんがよくくりかえしていた言葉だが、大瀧さんの苦笑とぴったり一致する。(後略)〉(引用は以上)

ここに登場するビートルズの話と同じく、リアルタイムで〈ボブ・ディランをよく聴いていた〉という私たちと同じ世代の人の話はちょっと疑ったほうがよいでしょう。彼のレコードデビューは1962年3月とのことですから私がちょうど10歳のとき。私の感覚でいうと、〈吉田拓郎がボブ・ディランの影響を強く受けたことはよく知っている。要するに真似た〉といった程度。〈風に吹かれて〉もギターを弾きながらよく歌いましたが、ピーター・ポール&マリー(PPM)がカバーしてのヒット曲を歌うという感じではなかったか。

なお、引用文中にある三田明『美しい十代』と、舟木一夫『高校三年生』はいずれも1963年の発売。この2曲はリアルタイムで知り、歌ったおぼえがあります。とすると私たちは、〈ビートルズ世代〉というよりも〈ロッテ歌のアルバム世代〉なのかもしれません。


なお、気仙沼中学3年のときに、吉野信雄君(3年1組)と校内放送でビートルズの「イエスタデイ」を流しました。これについてはつぎの2つのブログにて。吉野君が〈嘘つき〉ということではありません。念のため。

2011年8月1日ブログ「イエスタデイ」
2014年12月22日ブログ「イエスタデイ再び」

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リオ・パラ閉会式

9月も本日でおしまいですが、18日(現地17日)のリオデジャネイロ・パラリンピック閉会式はご覧になりましたでしょうか。

私はNHKの中継を録画して見たのですが、東京スタジオのゲストとして気仙沼出身の佐藤真海(まみ)さんが出演していたのでびっくり。真海さんは、走り幅跳びでパラリンピックに3回出場し、東京大会招致にあたってはプレゼンターをつとめました。久しぶりのテレビ登場と思いますので、その映像スナップを。(クリックで拡大)

真海さん1 真海さん2

真海さんは2014年9月に結婚し、昨年4月に男の子のお母さんとなりました。番組での紹介は、〈アスリートの谷真海さん、旧姓佐藤真海さんです〉、画面での氏名表記は〈谷真海(旧姓 佐藤)〉となっていました。

閉会式では、2020東京大会への引き継ぎ式〈フラッグハンドオーバー セレモニー〉が行われました。コンセプトは〈POSITIVE SWITCH〉です。公式サイトには〈障がいがあることは、新しい可能性をもつことでもあるんだ。そう言える東京を目指して〉というサブコピーが記してありました。演出の佐々木宏さんは〈ひとつの障害がむしろ、新しい人生のポジティブな変革のきっかけになる。そんなテーマを、東京大会は打ち出していきたい〉と語っています。

東京PRのパフォーマンス冒頭、日本初の〈義足モデル〉と呼ばれるGIMICO(ギミコ)さんが、舌を出して登場したのには驚きました。かなり〈パンク〉です。真海さんが〈GIMICOとは友達なんです。クールに決めてびっくりした。かっこよかった〉と語っていました。

ギミコ
リオ2016パラリンピック/フラッグハンドオーバー セレモニーTokyo2020より

時代は変わったな、というか、時代を変えていく、というか。私は4年前のロンドン大会を前にしての〈パラリンピック選手写真展〉を思い出しました。地下鉄「表参道」駅コンコースでの展示には佐藤真海さんの写真もありました。10年前にはこのような写真展はなかったと思う。4年前ぐらいにやっと実現したという感じでしょう。そして、真海さんに対してもそうですが、写真にうつる女性に対して使われた代表的な言葉が〈凛(りん)として〉。障害があることを感じさせない毅然とした美しさがあるというような形容句です。

真海さん3
2012年8月31日ブログ「真海さんin表参道」より

その4年後、2016年には〈凜として〉どころか、舌を出しての登場です。演出的には冒険だったと思いますが、結果としては自然に受け入れられたように思います。4年間でのこの変化を考えると、4年後はどうなっているのでしょうか。というよりも2020年までには、私たちの意識や認識というものを大きく変えることができるように思ったのです。

〈ポジティブ・スイッチ〉という言葉。ネガティブ/後ろ向きになることなく、ポジティブ/前を向いて明るい未来を目指し、(ちょっとパンク風に言えば)俺じゃなくて、お前の胸のそのスイッチをいま押せっ!つう感じでしょうか。

NHK中継番組の最後で、真海さんはつぎのように語っていました。

〈「大切なものは失ったものではなくて、いま実際にあるもの。その力を最大限に引き出すことこそ大切なことだ」というメッセージをより多くの人に伝えられるのがパラリンピックであると思います〉

真海さんは、4年後の東京大会にトライアスロンで出場することを目指しています。

8月5日ブログ「イエスアイキャン」

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米山さんへの感謝

9月23日のブログで、羽田神社のお山がけを紹介しました。その記事を書く際に、私がお山がけにいったことがあるかどうか、仙台に暮らす母へ電話しました。記憶どおり、私はお山がけに行っていなかったのですが、故郷の柏崎にもお山がけと同じような風習があったと母が言うのです。

母は新潟県柏崎市で生まれ育ちました。柏崎市と気仙沼の柏崎(かしざき)の因縁は以前このブログにも書いております。

2015年4月16日ブログ「気仙沼と柏崎の縁」

柏崎には、有名な三階節(さんがいぶし)で〈米山(よねやま)さんから雲が出た〉と唄われる米山があります。その米山さんに11歳のときに登ると、頂上まで神様が連れて行ってくれるというので、自分も登ったと。そして、なんとか登りついたとき、かごの中に水をいれたコップが並べてあったので、急いでそれを飲みのどの乾きをいやしたそうです。しかし後で知ったところによれば、それは売り物の水。「20」という数字を覚えているので、20銭だったのだろうかと。

山に登るときには、青年団の人たちが綱(つな)で引っ張ってくれるなどいろいろお世話をしてくれたそうです。その一人は背中に大きな荷物を背負っていました。ほかの仲間から〈仏壇でもかついできたのか〉とからかわれていましたが、それは蓄音機でした。休憩するたびにゼンマイを巻いてレコードで音楽をかけてくれたそうです。

〈いい話だね〉と少しからかって電話をきった後に、ネットで調べてみましたら、つぎのようなことがわかりました。

柏崎には、数えで12歳になると〈初登り〉と称して米山にのぼる習俗があるのだそうです。登りきれば一人前の男の子。そして母の話にあった神様というのは、薬師如来でした。米山にまつられている薬師如来には12の菩薩がついており、その菩薩様が初登りの子の手を引いてくれるといいます。12菩薩と数えの12歳を重ね合わせているのでしょう。母が11歳の時といっていたのは満年齢だと思います。柏崎の〈初登り〉も本来は男児の通過儀礼のようですが、当時は女児も一緒に登ったようです。

〈羽田のお山がけ〉は、父親以外の大人がつきそいます。柏崎〈初登り〉はどうだったのでしょうか。とはいうものの、母は幼いころに父親を亡くしておりその顔も写真でしか知りません。ですから、そもそも一緒に登ることはできないのです。

本来は男児のみだけど女児の登山も許されたというユルい感じからすると、〈父親同行も可〉ということだったのではないか。もしそうだとすると、ほかの子供たちに付き添うお父さんたちを見て、母がどう感じたか。うらやましかったのではないか。頼もしい父親の代わりに青年団の人達の印象が強く胸に刻まれているのでは、などと妄想が止まりません(笑)。

数字の「20」の記憶など、本当は「10」かも知れずあてにはならないのですが、母の記憶は細かな話というかエピソードがよくできています。93歳。足腰がおぼつかないところはあるものの、頭はしっかりとしているようです。これも、数え12のときに登った米山さんに座す、薬師如来さんや12菩薩さんのおかげに違いありません。


最後になりましたが、柏崎市の海岸沿いから望む〈米山さん〉の写真を。

米山さん
http://www.panoramio.com/photo/32537177より拝借

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目黒区のさんま祭

9月4日(日)のテレビで、〈目黒のさんま祭〉のニュースをご覧になった方も多いでしょう。これを見て、目黒のさんま祭は終わってしまったと勘違いされる人もいらっしゃるのではないでしょうか。ご心配なく、目黒区のさんま祭は9月18日(日)に開催されます。

さんま祭

〈目黒のさんま祭〉がふたつあるわけで、ほんとわかりにくい。これは、JR「目黒」駅の西口側は目黒区、東側は品川区であるため。そして毎年はじめに行われるのが品川区側の〈さんま祭り〉。テレビでも季節の話題ということで各局が紹介するわけですが、2週間後にまた〈さんま祭〉のニュースを見て〈あれっ〉となってしまう。細かいことをいえば、目黒は〈祭〉、品川は〈祭り〉と、表記が少し違います。

ふたつの〈さんま祭〉の概要を紹介しておきましょう。

◎目黒区のさんま祭

「目黒区民まつり」(別称「目黒のSUNまつり」)のメインイベントが「目黒のさんま祭」です。気仙沼からのさんま5000尾の炭火焼きが無料でふるまわれます。区民まつりとしてはほかに「ふるさと物産展」「おまつり広場」「子ども広場」などのイベントも開催。

日時:9月18日(日)
会場:目黒区田道広場公園
主催:目黒区民まつり実行委員会
目黒区公式イベントサイト

◎品川区のさんま祭り

こちらは、目黒駅東口の品川区側。いつもは岩手県宮古港からのさんまが提供されるのですが、今年は不漁のために北海道のさんまを宮古がとりよせて提供という形になりました。

日時:9月4日(日)すでに終了
会場:JR・地下鉄目黒駅東口「目黒駅前商店街」
主催:目黒駅前商店街振興組合青年部

18日の〈目黒のさんま祭〉には、気仙沼からも〈さんま焼き隊〉やすり身汁ほかの提供などの大勢のお手伝いの方々が上京します。スタッフの方々は3000円の参加費を自分ではらってのお手伝いです。本当にありがたい。

例年は、気仙沼物産ブースで〈あさひ鮨〉の佐々木徹君も〈さんま姿寿し〉の販売をするのですが、今年ははずせない所用があり不参加とのこと。残念ですが、9月24日は気仙沼での同年会がありますから、そこで会うことができるでしょう。

9月18日の目黒のさんま祭。是非おでかけください。

そういえば、明日9月8日(木)は、〈志の輔らくご in 気仙沼〉の開催日ですね。沢山の方が集まっての楽しい会になることでしょう。

2015年9月21日ブログ「目黒さんま祭報告」(2015)

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シン・ゴジラ危険

先週の水曜日、7月29日の公開直後から大評判の映画「シン・ゴジラ」を見てきました。総監督・脚本は「新世紀エヴァンゲリオン」などでも知られる庵野秀明(あんの ひであき)さんです。

「シン・ゴジラ」は、フルCGによるゴジラ映画。巨大不明生物の襲来にあたっての政府や官僚などの対応を描いた映画とだけ説明しておきましょう。詳しくは公式サイトにて。いくつかある予告編のひとつだけを紹介しておきます。1分32秒。



この映画は評判にたがわずとても面白かった。庵野さんや「エヴァンゲリオン」が大好きな人はさらにマニアックな批評や楽しみ方をしているようです。しかし本日お伝えしたいのはそのことではありません。気仙沼の人など、震災や津波の襲来を経験した人がこの映画をみるにあたっては注意が必要だということ。

直接に震災の津波を経験していない私でも、映画の前半で登場する街が破壊される様子や混乱しながら避難する人々のシーンではグッときました。その暴力性がリアルなのです。

そうしたシーンがあることへの注意喚起は、公開直後のネットではあまりなかったように思うのですが、先週あたりはいくつか目にしました。NHK在職中は〈NHK_PR1号〉としてツイッターを担当していた @aso_kamo (あそうかも/麻生鴨)さんの8月19日の投稿もそのひとつ。

「好きな人には怒られるかも知れないけれど「シン・ゴジラ」について、あえて1つだけ書いておきます。ニュースなどで津波や震災の映像を見ると気分が悪くなったり、息が苦しくなったりするような人、まだPTSDが治っていない人は、劇場では見ないほうがいいです。たぶん純粋には楽しめません。」

このほか、大阪大学教授で〈ニセ科学〉に詳しく、原発の放射能問題などでも積極的な発言している菊池誠さんも8月19日のツイートで〈シン・ゴジラは震災と原発事故のメタファーだから、見るのが辛い人たちもいると思うよ。それは事前に注意してもよかったような気がするな〉と書いています。

いま気仙沼に映画館はなく、たやすく〈シン・ゴジラ〉を見られる環境ではありません。しかし、出張のついでにひょいと入った映画館で不意をつかれといったことがないよう、一言ご注意を申し上げました。

私が見たのは、通常の2D版。しかしIMAX/4DXでなくてよかったよ。危ないところでした(笑)。

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佐々木善三弁護士

東京都知事だった桝添要一さんの政治資金使途疑惑で〈第三者的立場〉からの調査を担当した佐々木善三(ぜんぞう)弁護士。元は特捜部の検事で、リクルート事件や住専事件といった政界汚職などの大型事件を手がけてきました。その狙った獲物は逃さない執拗な仕事ぶりから「マムシの善三」という、まるで池波正太郎/鬼平犯科帳の登場人物みたいな異名で呼ばれたといいます。東京地検では特捜副部長もつとめました。ついでに言えば、元検事を意味する〈ヤメ検〉という言葉は下品ですね。〈◎◎あがり〉という言葉と同じく、あまり使いたくありません。

佐々木善三さん
デイリー新潮 6月24日配信記事より

その佐々木善三さんが、どうも気仙沼高校の卒業生らしい。そんなうわさ話を聞いたのは7月9日の気仙沼高校関東同窓会でした。〈聞いたことがないなあ。うそじゃないの〉というのが私の印象だったのですが、調べてみたらどうも本当のことのようです。

私が持っている気仙沼高校同窓会名簿(平成16年版)にその名がありました。気高第23回生(昭和46年3月卒)なので、私たちの一年後輩。職業欄には〈検事〉と記されていますので間違いないでしょう。

岩手県陸前高田市の出身ですから、たぶん〈汽車通(学)〉ですね。気高の後は中央大学法学部に進みました。陸前高田出身で気仙沼高校というと、俳優の村上弘明さんがいます。陸前高田市広田町の出身。私たちより5つ下の気高27回生で法政大学へ。

佐々木弁護士は、医療法人から5000万円を受領したとされる猪瀬直樹前都知事の弁護も担当しています。略式起訴で罰金50万円という結果は、佐々木弁護士の弁護能力によるとの見方もあったようです。震災時に気仙沼が大変お世話になった猪瀬直樹さんと佐々木弁護士の関係は奇縁を感じさせます。

さて、桝添都知事に関する調査報告で佐々木善三弁護士がくりかえす〈不適切ではあるが違法ではない〉という語り口にはなんというか〈違和感〉をおぼえました。しかし、高校の一年後輩ということを知ったいま感じるのは、むしろ〈親近感〉。というとちょっと言葉が過ぎるか。でも本当に驚きました。そのご報告ということで今週は失礼いたします。

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謙さんと徹子さん

7月11日(月)、〈徹子の部屋〉に渡辺謙さんが出演していたことをネットで知りました。事前に知ることができず、見逃したなと思っていたら、妻が気づいて録画しておいてくれました。約2分間の話なのですが、こんなことを謙さんが話してくれましたということを画面写真でご紹介します。

徹子さんが、あなたは気仙沼に店をもっているんですってと聞いて話が始まります。カフェ「K-port」(ケーポート)の話です。

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謙さんは、「K-port」にほとんど毎日ファクスを送っています。〈外国でもどこでも、できれば毎日手書きで送ろうと思っている〉と。写真は昨年6月のニューヨークでのもの。

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ファックスはK-portのカウンターに置いてあり、お店に来た人が見ることができます。

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最後のやりとりを紹介しておきましょう。謙さん「ま、言ってみれば、ちゃんと僕がつながってますから大丈夫だよというメッセージなんですよね」徹子さん「みんな心強いと思いますよ」

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渡辺謙さん、そして黒柳徹子さん、気仙沼のご紹介、ありがとうございました。

K-port/公式 Facebook

なお、ネットに放送画像が投稿されていました。あくまでご参考ということで。17:00から2分間です。

「徹子の部屋」youtube投稿

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今日は「UFOの日」

今朝、電車のなかでツイッター情報を見ていたら、国立公文書館が「今日(6/24)はUFOの日。1947年のこの日、米国で初めて空飛ぶ円盤が目撃されたことに由来するそうです」と教えてくれました。そうか今日だったか。この〈UFOの日〉については、2011年のブログで書き、その後に再掲もいたしました。私にとっては、なつかしい〈国際円盤デー〉。ということで2011年7月14日のブログを以下に再録します。


「 昨日のブログで気仙沼中学校の体育館にちょっと触れました。5月にその体育館の避難所をたずねたとき、昔と変わってないなと感じた一方、気中のグラウンドは仮設住宅がならび、風景が一変していました。今日は、その気中グラウンドにまつわるお話です。

中学2年生のときだと思いますが、空飛ぶ円盤がちょっとしたブームでした。何人も「見たことがある」というのです。「そんなばかな」という私に、UFO体験者の一人が「実は空飛ぶ円盤を研究する会があるんだ」と。オダも いぐが ? 。

半信半疑でしたが、4~5人でその研究会に行ってみました。気仙沼小学校の第2校舎を河原田方向に抜ける道の途中にその家はありました。そして20代なかごろの若い人(松下さんっていったかな)がいろいろとスライドや機関誌を見せてくれたのです。

そして研究会に2回くらい行った後の6月24日の夜、気仙沼中学校のグラウンドに研究会メンバー10人ぐらいが集まりました。その日は、「国際円盤デー」。1947年のこの日、アメリカの実業家ケネス・アーノルド氏が自家用機で飛行中に空飛ぶ円盤を発見したとされています。私たちはグラウンドの中央で手をつなぎ円陣を組みます。そして、みんなが心のなかで、こうつぶやくのです。

「地球付近を航行中の空飛ぶ円盤がいましたら、地球人にそれとわかるようにコンタクトしてください」

これを1時間くらいやってたかな。一時は、雲のうしろでぼーっと光った月を「来たっ!」といって喜んだときもあったんだけど。結局、円盤は来てくれませんでした。

研究会の団体名は「CBA」。いまネットで調べてみるとCosmic Brotherhood Association(宇宙友好協会)の略称なんですね。まあ、なんというかある種伝説的な団体だったみたい。ここまで書いて、大震災のときにこそ宇宙人が円盤にのって飛来していたのではないかと思い、検索してみました。

やっぱりね。結構たくさん来てるようですよ(笑)。」(再録内容は以上)

冒頭で紹介した国立公文書館のツイートでは、つぎの画像を紹介しています。



説明には「画像は「弘賢随筆」中の挿絵。常陸国(現茨城県)沖を漂流していたあやしい船と、中にいた女性の絵だそうですが・・・」とあります。右上の文字というか図形がとても味わい深い。

CBA/宇宙友好協会の機関誌には、これに似た話がたくさん紹介されていました。縄文時代には宇宙人がたくさん来てましたから、その姿が土偶として残っているわけです。ピラミッドの作り方を教えてくれたのは誰か、それはもう説明不要でしょう。みたいな(笑)。

気仙沼中学のグラウンドで円陣を組んだ同級生は誰だったかな。さすがに半世紀も前のことなので忘れてしまいました。地球付近を航行中の宇宙人がいたら教えて欲しいと思う今日この頃です。どうぞ皆様、良い週末を。

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お笑い三人組の頃

読売新聞の「時代の証言者」シリーズは、およそ一カ月に一人をとりあげて、その時代と人生をつづった連載記事。5月10日で30回の連載を終了したのは落語家の4代目三遊亭金馬(金馬襲名前は小金馬)さんでした。なかなか面白い連載で、特に5月5日の記事と写真は、小学生だったころの記憶をよみがえらせてくれました。

三人組
読売新聞5月5日記事より

写真キャプションには、〈「お笑い三人組」のレギュラーたち(左から、猫八、楠トシエ、音羽美子、貞鳳、桜京美、小金馬、1960年頃)〉とありました。貞鳳は後に参議院議員にもなった講談師の一龍斎貞鳳さん。猫八は、動物の声帯模写を得意とした3代目江戸屋猫八さんです。息子さんの子猫/4代目猫八さんが今年3月に亡くなりましたね。

記事の冒頭に、「アハハ、ウフフ、ヘヘヘのホホホでアハハのハ~、僕らはお笑い三人組~」という歌詞が紹介されていました。NHKテレビの「お笑い三人組」のテーマ曲。エンディングに流れたそうです。

1956年11月から1966年3月まで10年間にわたって毎週火曜日午後8時半から9時までテレビ放送されたとのことです。私たちの小学校入学(1958年4月)前から中学2年生の頃までやっていったのか。その前の番組は「ジェスチャー」で、その後は「事件記者」。どっちも必ず見ていました。

1966年の番組終了の理由は諸説あるらしいのですが、〈国会でNHKの娯楽路線が批判され「夢であいましょう」「事件記者」などの人気番組とともに大なたが振るわれた……〉との話もあったらしい。

「夢であいましょう」も大好きな番組でした。4月30日から始まった黒柳徹子さんを中心にテレビの草創期を描く全7回のNHKドラマ「トットてれび」で当時の番組イメージが再現されていました。このドラマは私たちの世代には懐かしいイメージが満載。未見の方がいらっしゃればぜひに。

NHK土曜ドラマ「トットてれび」番組サイト

しかし不思議です。小学生のころに見たテレビ番組を思い出すたびに、テレビを前にした私たちの姿、そして頭の中がまざまざとよみがえってきます。テレビジョンはまさに〈魔法の箱〉なのかもしれません。

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市外局番0226

きのう5月3日の読売新聞1面コラム「編集手帳」がとてもよかった。連休中の都会から地方への帰省にまつわる話。

編集手帳
読売新聞5月3日「編集手帳」

国文学者の池田弥三郎さんが夫人と一緒に東北の旅館に泊まったときのこと。散歩に出るとき、番頭さんが〈じいさん、ばあさん、お出かけ〉。そして戻ったときには〈じいさん、ばあさん、お帰り〉と。

池田さんが問いただしたところ、〈じいさんばあさん〉は〈十三番さん〉だったというのです。記事は、〈お国なまり〉は魔法の言葉だろうと続けています。

最後に、小嵐九八郎(こあらし くはちろう)のつぎの歌が紹介されます。

ゼロイチ……を回せば 捨てし訛(なまり)いづ ふるさとすでに雪に鎖(と)ざされ

そうか、市外局番か。うまいなあ。現在の気仙沼は0226。これに続く局番が一ケタだった時代には02262でした。大学に進み上京してからは、10円玉を貯めておき、公衆電話から気仙沼に電話をかけました。〈変わりない?〉と聞くと、返事は決まって〈変わりないよ。そっちは?〉だったなあ。

小嵐九八郎は秋田県能代市の出身で1944年生まれ。新左翼運動に身を投じ、通算5年の服役経験を持つそうです。調べてみると能代市の市外局番はゼロイチハチゴー。

編集手帳はつぎのように結ばれています。

市外局番を回すだけで、遠い故郷の風景が浮かぶ。お国なまりはありがたきかな。

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目黒の花見ご案内

東京はずいぶん暖かくなりました。昨日、仕事場に近い代々木公園に自転車で出かけてみましたら桜は4〜5分咲き。それでも、平日にもかかわらず多くの人が花見を楽しんでいました。本日も暖かく、天気もよいので、さらに大勢の人が集まるでしょう。

さて、今年も目黒で〈桜まつり〉が行われます。さんま祭と同じ会場で、いつもどおり気仙沼物産ブースも設けられます。

桜まつり

◎第12回目黒イーストエリア・桜まつり
◎4月2日(土)・3日(日)
 10:00〜18:00(雨天決行)
◎田道広場公園
(目黒区目黒一丁目25番8号)

会場は〈田道広場公園〉。JR目黒駅の西口を出て、400mほど坂を下っていくと目黒川にぶつかります。橋を渡る手前を右折して300mぐらいいくと田道広場公園です。目黒駅の改札を出て左側が西口です。

地図

私たちは、4月2日(土)の昼に行くことにしました。ご一緒できる方があれば、どうぞ声をおかけください。JR目黒駅中央改札口に12時集合です。改札口周辺で〈気仙沼っぽい感じ〉を醸し出しておりますので、すぐわかるでしょう(笑)。

いつもですと、あさひ鮨の佐々木徹君が上京して〈さんま姿寿し〉の販売を行うのですが、今年はどうしても抜けられない会社行事があって来られないとのこと。残念ですが、ほかの物販で気仙沼気分を味わうことができるでしょう。今年は満開の花見見物ができそうで楽しみです。どうぞ皆様もお出かけください。

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昨年の智君の訃報

今週はじめ、〈3月11日からのヒカリ〉の公式サイトを見たら、サポーターページの協賛欄に〈KSS42〉(昭和42年中学卒気仙沼・仙台三陸会)のロゴが加わっていました。〈KSS42〉は、私たちが属す首都圏の〈けせもい会〉と同じ学年の仙台周辺地域同年会。昨年に引き続いての協賛です。

一カ月ほど前2月1日に、そのKSS42のホームページを見ておりました。そこに気中3年3組だった小山(村上)智君が昨年亡くなったようだが、詳細確認中との千葉正俊君(3組)からの情報がありました。菊田裕美君(1組)に知らせたところ、すぐ調べてくれて、昨年11月18日の三陸新報に訃報広告があり11月16日に逝去と教えてくれました。

小山智訃報
2015年11月18日付三陸新報掲載訃報広告

裕美君も私も見落としており、皆さんへのお知らせができませんでした。智君は病気療養中だったとのこと。訃報には、奥様や息子さんや娘さんの名がありました。お孫さんにも恵まれていたようです。

昨年の訃報をどのように伝えたらよいのだろうと思っておりました。KSS42ホームページを紹介するこの機会にあらためてお知らせするとともに、小山智君のご冥福をあらためてお祈りいたします。

昨2015年には、6月4日に斉藤三喜男君(3年7組)、8月13日に熊谷康雄君(1組)を失っています。9月21日には、私が気中2年のときに担任だった小松勝幸先生も。

震災では、同級生 及川保規君(5組)と鷺(庄司)良子さん(8組)のおふたりを失いました。3月11日には、気仙沼内湾にたちあがる3本のヒカリを見て、あるいは心に描いて、大事な人、親しかった人、お世話になった方々をしのぶことができればと。

KSS42ホームページ

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亀一君のお母さん

12月7日のブログで、仙台で弁護士として活躍している小松亀一(きいち)君(3年6組)のお母様が12月4日に亡くなられたことをお伝えしました。そして昨日24日、亀一君は自身のブログでそのことを伝えていました。その文章を読み、お母様が亀一君に注いでくれた愛情というものがしみじみと伝わってきました。是非みなさまにもお読みいただきたく紹介します。

亀一君ブログ
小松亀一君ブログの一部イメージ(画像クリックでブログにジャンプ)

亀一君のお母様なつ子さんは94歳でした。ブログでは、喪中欠礼の文章もあり、その中に次の記述がありました。

〈私事で恐縮ですが、母は、私と違って、大変気の強い女性で、生まれつき病弱で気の弱かった末っ子の私を心から案じ続け、幼少時から私に対して、厳しく叱咤激励を続けてくれました。 少しは「なにくそ根性」が身につき、64歳の今日まで、何とか人並みの生活を送ることが出来ているのは、幼少時から受けた母の叱咤激励のお陰と感謝しています〉

そして24日のブログ中のリンクをたどって読んでいくと、私の知っている亀一君の印象とは違った側面がつづられています。

亀一君はブログのなかで、とても優秀だった次姉と比較されての劣等意識や、虚弱な体質について書いているのですが、私が知る彼の印象とはずいぶん異なっており、正直おどろきました。本当かいなと。しかし、文章を何度か読んでいると、亀一君が自らの努力でそれらを克服していったのだなあと、あらためて感心させられました。亀一君はそうして、気仙沼小・中・高から東北大学に学び、現在は弁護士として活躍しています。そのかたわら、高校時代からのフラメンコギターやベンチプレスなどのパワーリフティングも熱心に続けていることは皆さんご存じのとおりです。

こうした成長を支えてくれたお母様を失った亀一君の悲しさ、さびしさはいかばかりかと。お母様のご冥福を心からお祈り申し上げます。

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Is Paris Burning

11月13日のブログで、加古隆さん作曲のNHK「映像の世紀」テーマ曲「パリは燃えているか」を紹介しました。そして翌日の朝、パリでのテロのニュースを知り、本当に驚きました。

「パリは燃えているか/Is Paris Burning ?」は、1966年に公開されたルネ・クレマン監督の映画タイトル。1944年のドイツ軍(ナチ)に対するフランスのレジスタンス蜂起からパリ解放までを描いています。加古さんは、「映像の世紀」のテーマ曲を構想したとき、〈戦争〉と、抑圧からの〈解放〉というふたつの主題を表現しようと考えたのではないでしょうか。曲名にこの映画のタイトルを引用したのは、その主題の象徴としてだと思うのです。

もうひとつ、戦争というテーマを扱った映画タイトルで思い出されるのは「西部戦線異状なし」。レマルクの原作による1930年公開のアメリカ映画です。こちらは第一次世界大戦におけるドイツとフランスの戦いです。有名なラストシーンについてウィキペディアの記述を引用します。

〈長雨の後の晴れた日、戦場は珍しく静かだった。ハーモニカの音が聞こえ、一羽の蝶が飛んできた。塹壕(ざんごう)からそっと手を出すポール。その瞬間、敵狙撃兵の弾丸がポールの若い命を吹き消した〉

この文中にある〈塹壕〉については、「映像の世紀」でも詳しく紹介されていました。

今日のブログでは、加古隆さんが作曲してくださった、旧・鼎が浦高校(現在は気仙沼高校に統合)のイメージ曲「咲き競う花の憧れ」を紹介しようと思っていたのですが、パリのテロのことを書きはじめ、予定を変更しました。そして今、あらためて加古さんの「パリは燃えているか」を聴いてみると、その主題は、〈戦争〉と〈鎮魂〉ではなかったかとも思えてくるのです。あるいはワンテーマでいえば〈悲しみ〉か。

いずれにしても、自分たちにとっての〈より良い社会〉を実現する手段が〈争い〉や〈戦争〉を生んでいるという現実に、なんともやりきれない思いがつのります。

YouTubeにアップされていた「映像の世紀」第2集「大量殺戮の完成〜塹壕の兵士たちは凄まじい兵器の出現を見た」のエンディング映像を最後に紹介します。加古さんの「パリは燃えているか」を聴きながらご覧いただければと。



この第2集は第一次世界大戦をテーマにしているのですが、その中で、当時の英国の海軍大臣で後の首相、ウィンストン・チャーチルの言葉を紹介しています。

「 戦争から、ひらめきと魔術的な美が遂に奪いとられてしまった。アレクサンダーやシーザーやナポレオンが、兵士達と危険をわかちあいながら、馬で戦場を駆け巡り、帝国の運命を決する、そんなことはもうなくなった。これからの英雄は、安全で静かで、物憂い事務室にいて、書記官たちに取り囲まれて座る。一方、何千という兵士たちが、電話一本で機械の力によって殺され、息の根を止められる。
 これから先に起こる戦争は、女性や子供や一般市民全体を殺すことになるだろう。やがてそれぞれの国々が、大規模で限界のない、一度発動されたら制御不可能となるような破壊のためのシステムを生み出すことになる。
 人類は、はじめて自分たちの息を絶滅させることができる道具を手にいれた。これこそが、人類の栄光と苦労のすべてが最後に到達した運命である」(音声引用は以上)

今回のパリのテロでの乱射に用いられたのは、AK-47といわれています。1949年にソ連が制式採用したカラシニコフ銃ですから、決してチャーチルが語るような大量殺戮の兵器ではないのですが、その簡便さゆえに、テロにおける有効な道具となりうるのでしょう。

新しい週がはじまりました。世の中ではいろんなことが起こるけれど、自分自身の体と精神をまずは健康に保ちたいと思っています。

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BST/血と汗と涙

今日の東京は、風が少しあるものの、気持ちの良い晴天です。さて、5月17日の日曜日、世田谷文学館で開催中の「植草甚一スクラップ・ブック」展に妻と行ってきました。

植草甚一さんは、映画や文学そしてモダンジャズなど、実に幅広い分野で活躍された評論家というか文筆家。私は気仙沼高校に通っていたころに読んでいた矢崎泰久さんの雑誌「話の特集」の連載「緑色ズックカバーのノートから」でその名を知りました。それ以来の植草ファン。

世田谷文学館では、2007年に「植草甚一 マイ・フェイヴァリット・シングス」が開催されています。楽しい展覧会でした。第2回ともいっていい今回の展覧会は、世田谷文学館に寄贈された植草さんの草稿やスクラップ・ブックなどを中心としたものです。

会場の撮影は禁止されていましたが、一番最後の展示コーナー〈三歩屋〉だけは許可されていました。〈三歩屋〉は、植草さんが生前に構想していた古書店のイメージを展示室内に再現したものです。その一部はこんな感じ。

植草甚一展

ステレオは植草さんのものではなく、あくまで時代イメージの演出であるとのこと。ジャズ・ベーシストであるチャールズ・ミンガスの〈直立猿人(ピテカントロプス・エレクトス)〉が目立つように置かれていたのは想像の範囲内でしたが、驚いたのは、〈Blood, Sweat & Tears(ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ)〉の同名アルバムがあったこと。「道化師」(チャールズ・ミンガス)ジャケットの左下です。

ここからはちょっと思い出話。高校まで暮らした気仙沼市魚町の実家には、妙に立派なモノラルのレコードプレーヤーはあったのですがステレオはありませんでした。それだけに、高校生のとき、南町の中華料理店〈新京〉のうしろにあった門馬亨君(3年11組)の家で聞かせてもらった〈バック・イン・ザ・U.S.S.R.〉の〈ステレオ感〉には本当に驚きました。「ザ・ビートルズ」(ホワイト・アルバム)の冒頭。このことは以前書きましたね。

その後、私は仙台で一浪生活。そして、3月の入試を終えたときに、仙台の名掛丁(なかけちょう)にあった小松電気2階で、〈オールトランジスタ〉のステレオアンプ組立キットを購入したのです。〈日本サウンド〉とかいうブランドで、たしか1万3千円。合格後、大学生の暮らしにはステレオ音響が欠かせないと思ったのでしょうか。しかし、結果は不合格で2浪生活へ。そこで勉学にいそしめばよいのですが、せっかく買ったことだしということでアンプを組み立て、〈CEC〉のプレーヤーと、安いヘッドフォンも手に入れます。そして、はじめて買ったLPレコードが〈Blood, Sweat & Tears〉でした。

ブラス・ロックの先駆けだったと思います。当時は〈シカゴ〉なども人気でしたが、私が選んだのは〈BST〉。2枚目として買ったのは、ビートルズの〈サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド〉です。

なんか話が長くなっていますが、ジャズなどでも〈前衛〉をこよなく愛した植草さんの展覧会で〈BST〉のアルバムを見るとは思わなかったということなのです。

あるいは、〈BST〉のアルバムジャケットを久しぶりに見て、私の19歳の頃の〈血と汗と涙〉に満ちた浪人生活を思い出しました、とか。これでなんとかつながったか。つながってないよねえ、たぶん(笑)。本日はこれにて。

2014年1月17日ブログ「明日は門馬亨君の命日」

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佐藤幸則君が当選

4月26日は、統一地方選挙後半戦の投票日でした。私は区議会議員選挙と区長選挙の投票に行ってきました。そして千葉県市川市でも、市議会議員選挙の投票がありました。この市議選には気仙沼高校の同年生で〈けせもい会〉のメンバーである佐藤幸則(ゆきのり)君も立候補していたのです。そして、見事に2度目の当選を果たしました。画像は、市の選管が公開していた選挙公報。幸則君の〈7つの約束〉が掲げられています。

選挙公報
市川市選挙管理委員会/選挙公報より

幸則君は津谷中学の出身です。ことし1月31日に〈けせもい会〉の新年会で会ったときに、4月には選挙だと語っていました。このブログでの紹介をとも思ったですが、ネットを利用した応援の規則もよく知らないので躊躇(ちゅうちょ)し、力になることはできませんでした。幸則君、ごめんなさい。

市川市は、東京都江戸川区に隣接する東京のベッドタウンとしても発展してきました。人口は約47万人、議員定数は42。一方、気仙沼市は人口6万7千人、議員数は平成26年4月の選挙から定数削減をし、30人から24人になっています。

47万人が暮らす市川市の市議会議員として、佐藤幸則君が果たすべき責任は大変大きいと思いますが、しっかりと仕事をしてくれるでしょう。任期は4年です。

幸則君、当選おめでとうございました。

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千葉和夫君一周忌

きのう4月26日は、同級生 千葉和夫君(3年11組)の命日でした。前日の25日には、気仙沼から和夫君の兄夫婦も上京して、和夫君の一周忌と、和夫君より14年前に45歳で逝った奥さんを追善する法要を行いました。あらためて二人の戒名が並んで記された位牌をながめていると、生前に二人が入る墓苑を手当てした和夫君の気持ちはどんなだったろうかなどと、ちょっとしみじみしたものを感じました。

つぎの写真は、和夫君のブログに今も残る最後の写真「水路の春」。

水路の春
千葉和夫君のブログより(写真クリックでブログへ)

つぎの文が添えられています。
「今日は通院の日だったのでお茶ノ水の水路をチラリと眺めました。風は冷たくて春はもう少し先という天気でしたが、淡い色に染まった土手は何とも言えない風情が漂っていました」

通院していた病院はお茶の水の順天堂医院。この写真をとったのは3月7日ですが、その月末には中野富士見町にあるホスピス/緩和ケア病棟に入院しました。それから約1カ月。3月には、和夫君も〈余命〉ということを意識していたと思います。

昨年、東京の桜の季節は短かった。そんな中で私がみたのが、ホスピスの近くを流れる神田川の桜でした。病室の窓から見る桜の花は和夫君の脳裏にどのようにうつっただろうか。写真「水路の春」を見ていてそんなことを思っておりました。


和夫君のお兄さんと私は、妻同士が姉妹という関係です。そんなことでの皆様へのご報告とさせていただきます。いろいろとありがとうございました。

2014年4月30日ブログ「千葉和夫君の訃報」

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加瀬さんの思い出

加瀬邦彦さんが4月21日に亡くなったというニュースには驚きました。74歳だったそうです。報道でその死因を知ったとき、なにかせつない気持ちになりました。

加瀬さんといえば、ザ・ワイルドワンズ。そのデビュー曲『思い出の渚』は、私たちにとっての代表的な〈懐メロ〉です。YouTubeにあがっていたテレビ録画を紹介します。1987年頃の映像ということです。



『思い出の渚』は1966年11月の発売とのこと。私たちは中学3年生。当時の日本経済は〈いざなぎ景気〉といわれていました。気仙沼も遠洋漁業が好調で好景気にわいていたと思います。気仙沼中学校のブラスバンドが、PTAなどの寄付によってあっという間に結成されたのもこの年のことです。

紹介した映像に登場するメンバーを紹介しておきましょう。順番を無視しても、名前をあげれば、皆すぐに思い出すことでしょう。

加瀬邦彦(ギター)、鳥塚繁樹(ギター)、島英二(ベース)、植田芳暁(ドラムス)、渡辺茂樹(キーボード)。久しぶりに名前を見るだけでなつかしい。キーボードの渡辺茂樹さんは結成から2年後、1968年からの参加です。当時16歳。

加瀬さんは高校から大学まで慶應でしたから、ワイルドワンズの前は加山雄三さんの〈ランチャーズ〉の一員だったと思っていたのですが、調べて見たら違っていました。ただ加山さんとのつきあいは深く、ワイルドワンズ(野生児)の命名も〈若大将〉によるものです。加瀬さんはいわば加山さんの〈弟分〉でした。

波に向かって叫んでみても
もう帰らないあの夏の日

ひさしぶりにこの歌詞をつぶやけば、気仙沼で過ごした中学や高校生時代を思い出します。私たちの世代にとって、まさに〈懐かしのメロディー〉です。

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新日本風土記の桜

各地から桜開花の知らせが続いています。寒い季節を経て待ちに待った春の到来。そんななかの先日、録画しておいたNHK-BSプレミアムの〈新日本風土記〉を見ていて、週明けはこの番組のオープニング映像を紹介しようと思いつきました。私は、桜がとてもうまく使われているこの映像が大好きなのです。たとえばこんな感じ。満開の桜に〈日本人の〉、〈記憶〉、と文字が重なっていきます。そして〈一瞬の夢〉〈千年の美〉と続きます。

新日本風土記2
「新日本風土記」画面イメージ

番組の冒頭は、各週のテーマに合わせた松たか子さんのナレーション(これもなかなかいいんだ)と本編内容のダイジェスト映像。その後に番組のテーマ曲と共にオープニング映像が始まります。

テーマ曲は「あはがり」。奄美島唄の唄者(うたしゃ)朝崎郁恵(あさざき いくえ)さんのオリジナル曲です。朝崎さんは1935年生まれで奄美島唄の大ベテランとのことですが、これが素晴らしい。なんていったらいいんだろう、古くて深い記憶を呼び起こされるような感じがして、いつもグッとくるのです。YouTubeにフルバージョンがアップされていました。まずはお聴きください。



〈新日本風土記〉のオープニング映像では、人生を回想するようないくつかの場面が展開されるのですが、桜のイメージが効果的に使われています。たとえば、桜の花の向こうで、小学校に入学する子供の写真を撮るお父さん。そして満開の桜の老木に向かって山道を歩く老いた夫婦。その右側には墓石。といった具合。

映像は番組をみてもらうしかありませんね。毎週金曜午後9:00〜9:59。
4月3日(金)は〈上野〉です。これもよさそうだ。是非に。

グッとこなかったらどうするって。どこか体の具合が悪いんじゃないでしょうか。病院にいって健康診断をお願いしてください(笑)。


念のためYouTubeにあがっていた〈新日本風土記〉動画のリンクをはっておきましょう。〈あはがり〉は、1分20秒ぐらいから静かに始まりますが、冒頭に紹介した〈満開の桜クライマックス〉は3分30秒あたりです。
NHK〈新日本風土記〉鯖街道(YouTube)

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野見山さん再放送

今度の日曜日2月1日に昨年11月のブログで紹介したNHK「日曜美術館」での野見山暁治さん特集のアンコール再放送がありますので、ご案内します。

◎2月1日午前9:00〜10:00
◎NHK Eテレ「日曜美術館」
◎〈行き暮れてひとり~画家 野見山暁治のアトリエ日記〉

番組では、2011年6月に気仙沼の鹿折地区を訪れたときの映像も紹介されます。以下に、昨年11月26日のブログ内容を再録します。

◎画家の野見山さん

11月3日文化の日、7名の受章者に文化勲章が授与されました。そのうちの一人、洋画家の野見山暁治(のみやまぎょうじ)さんが気仙沼を訪れたことがあるのをご存じでしょうか。私は、今年3月に放送されたNHK「日曜美術館」の〈行き暮れてひとり~画家 野見山暁治のアトリエ日記〉で、野見山さんが気仙沼の鹿折地区に打ち上げられた第18共徳丸をスケッチする姿を見て驚きました。あの野見山さんが気仙沼に!

共徳丸

スケッチ

ある歳月

近影
以上、NHK「日曜美術館」放送画面より

野見山暁治さんは93歳。日曜美術館の言葉を借りれば〈75年にも及ぶ画業の中で身近な自然や風景を描きながらその本質を見極めようとする不思議な造形はいつも新鮮なエネルギーに満ち、多くの人々の心を捉えている〉アーチストです。

気仙沼をはじめ、東北の被災地に向かったのは2011年6月のこと。女川や福島も訪れたようです。そしてその心象は「ある歳月」という作品となりました。

アトリエに閉じこもり、評価の定まった画風のなかにおさまりかえるそんじょそこらの画家とは大違い。ジーンズをはいてキャンバスに向かう姿はとても93歳には見えません。そしてその言葉も、飄々(ひょうひょう)というか淡々と語っているようで、力を感じさせるものでした。

野見山さんはエッセイもお書きになり名文家として知られています。文芸評論家の福田和也さんは、週刊新潮の連載エッセイで〈正直なところ、私は野見山さんの絵よりも文章のほうが好き〉と書いていました。著書「四百字のデッサン」は日本エッセイスト・クラブ賞を受賞しています。福田さんによれば、野見山さんは、女性に実によくもてるとのこと。おふたりの夫人に先立たれていますが、周りにはいつも世話をしてくれる女性がいらっしゃるらしい。「どうして、そんなにもてるのですか?」と聞いたところ、「私が頼まなくても、女の人が勝手にお世話をしてくださるんです」と、淡々とおっしゃっていたそうです。

この話、本題には関係ないのですが、93歳にして野見山さんのこのエネルギー、我々もあやかることができればと(笑)。

再録内容は以上です。日曜の朝は少し朝寝坊という方には、予約録画をお勧めします。

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君が、ほほえめば

TBS系で放送される小田和正さんの「クリスマスの約束」を毎年楽しみにしています。録画しておいた12月25日深夜の放送を昨日見ました。これまで14年間の総集編といった内容で、新収録はオープニングの井上陽水「最後のニュース」とエンディングのチャールズ・チャップリン「スマイル」の2曲のみでした。

新収録が少なくて残念というところも確かにあるのですが、コーラスで聞かせてくれた「最後のニュース」も細野晴臣さんと小田さんの「スマイル」も、とてもよかった。ということで、今年最後のブログは「SMILE」に決定!



この曲は、チャールズ・チャップリンの映画「モダン・タイムス」(1936年)のテーマ曲としてチャップリン自身が作曲しました。タイトルと歌詞は1954年につくられたそうです。ナット・キング・コールが歌ったこの曲は今にいたるスタンダードナンバーとなっています。以下に、歌詞と和訳を。和訳はネットにいろいろあったのを参考にした総集編です(笑)。

Smile even though your heart it is aching
Smile、どんなに苦しくても
Smile even though it's breaking
Smile、どんなに辛くとも
When there are clouds in the sky
空に雲が立ち込めても
You'll get by
君ならきっと切り抜けられるから
If you smile through your fear and sorrow
笑顔さえあれば、不安も悲しみも乗り越えられる
Smile and maybe tomorrow
Smile、そうすれば明日は
You'll see the sun come shining through for you
きっと太陽が顔を出す、君のために
Light up your face with gladness
喜びに顔をほころばせて
Hide every trace of sadness
どんな悲しみの跡も見せずにいよう
Although a tear may be ever so near
もう少しで泣いてしまいそうな時

That's the time you must keep on trying
そんな時にこそ精一杯
Smile, what's the use in crying
Smile、泣いてばかりじゃダメだよ
You'll find that life is still worthwhile
生きていてよかったと思えるはず
If you'll just smile
君が、ほほえめば

(*くりかえし)

このブログ、明日からの年末年始は一休み。本年もご愛読いただき、ありがとうございました。皆様、どうぞ良い年をお迎えください。

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「大人の迷子たち」

ソチ五輪・フィギュアスケートの浅田真央選手やスキージャンプ女子個人ノーマルヒルで惜しくもメダルを逃した高梨沙羅選手について、このブログで書いたのは今年2月。コピーライター岩崎俊一さんの東急電鉄PR誌〈SALUS/サルース〉連載「大人の迷子たち」を紹介しながら書きました。〈不幸な体験は、ある日、財産に変わっている。〉というタイトルでした。そして最新号〈SALUS〉1月号の記事タイトルは〈昭和30年代を目撃した人間の責任。〉

岩崎さん記事

文章はつぎのように始まります。〈この連載が始まって丸5年になろうとしている。書籍化するための打合せをしていた時、尽力してくれた人に指摘されたことがある。「このシリーズの重要なテーマは、昭和ですね」〉

岩崎さんはそれまで、昭和というテーマを特別に意識することはなかったそうですが、鋭い指摘だと思ったそうです。そして次のように続けます。

〈(この連載を)書きながら、確かに僕は、少年時代にあたる昭和30年代と今の生活の、とんでもない落差に驚いていた。それはさながら、異なる世界に住むふたりの人間の、違う人生を見るようだった〉

岩崎さんは10年ほど前、東急沿線で、谷内六郎さんの週刊新潮の表紙絵を使ったポスター広告を手がけました。遺作1300枚の絵から選んだ作品に岩崎さんの言葉を添えて3年あまり続いたそうです。私はその広告をいつも感心してながめていました。絵はもちろんのこと、岩崎さんと知らずに読んでいた言葉もすばらしかった。

そして、その過去につくったポスター30点に新たな31点を加えた61枚が掲出される「昭和展」という展覧会が12月27日から来年1月5日(月)まで、西武池袋本店で開催されると記されていました。これは、かならずいかなくちゃ、と思っていたやさきでした。岩崎さんの訃報〈かねてより療養中のところ12月20日、満67歳にて永眠されました〉。

ことし10月、〈SALUS〉連載からの49話をまとめた『大人の迷子たち』(廣済堂出版)が刊行されたばかりでした。手元にある同書の目次。第2話は〈同窓会のあと、同級生のことが、少し好きになっていた〉。最後の49話は〈帰りたい故郷がある国の、幸福〉。あまり泣かせないでください、岩崎さん。

丸5年になるという連載最後の文章、第54回目はつぎのように結ばれています。〈昭和30年代と平成20年代の両方を知る人生。僕が書き残すべきことはとても多いと思っている〉

私も、もっともっと岩崎さんの文章が読みたかった。残念です。合掌

2月20日ブログ「財産に変わる経験」


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文化の日の歌番組

昨日の朝、新聞のテレビ欄をながめていたら、正午からのテレビ東京「歌いーな!」に畠山美由紀さんの名がありました。録画で視聴。

美由紀1

美由紀2
テレビ東京「歌いーな!」のテレビ画面(クリックで拡大)

歌った曲は「歌で逢いましょう」。昭和の名曲をカバーした畠山美由紀さんの新しいアルバム「歌で逢いましょう」に収録されているオリジナル曲です。バックコーラスの真城めぐみさんとのハーモニーも素晴らしく、私がこれまで聴いたなかで一番よかった。

この番組には小野リサさんも出演しており、「街の灯り」を歌いました。これもとてもよかった。オリジナル曲はTBS系ドラマ『時間ですよ』で堺正章さん(健ちゃん)が歌う劇中歌でした。1973年のシリーズ。

そばに誰かいないと
沈みそうなこの胸
まるで潮がひいたあとの
暗い海のように
(作詞:阿久悠 作曲:浜啓介)

この曲を小野リサさんがカバーしたわけですが、〈サウダージ〉というんでしょうか、ボサノバのもつ哀愁や郷愁、そしてせつなさがしみじみと伝わってきました。ほかの人の楽曲をただ歌うだけでなく、新たな魅力がつけ加わっている。小野リサさんは52歳。

もう一人の出演者、南佳孝さんには少々がっかり。歌ったのは自分の曲「モンロー・ウォーク」と「スローなブギにしてくれ (I want you)」の2曲。私の大好きな曲でしたが、南さんは高い音がつらそうだし、ブルースを感じさせたはずのところに演歌感がはいりこんでしまい、残念。こちらは64歳。

旬を迎えてこれからがさらに楽しみな美由紀さん42歳の歌声。若手だと思っていたらいつのまにか50歳をこえて新たな魅力が加わっていた小野リサさん。そして、さすがに歳を感じさせた南佳孝さん。いろんなことを思わせた文化の日の歌番組でした。




「歌で逢いましょう」公式YouTube試聴サイト


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「昭和のこども」展

きのう10月19日の読売新聞の書評欄に、なにかとても懐かしい気持ちにさせられる写真が紹介されていました。まるで自分が写っているような錯覚にとらわれます。

おしくらまんじゅう
「おしくらまんじゅう」東京・江東 1953年 土門拳

東京・江東で土門拳さんが撮影した〈おしくらまんじゅう〉です。新聞と同じ写真が下記の展覧会サイトにありましたので、上の画像はそちらを使いました。1953年の風景とのことなので私が生まれた年の翌年の風景。『写真家が捉えた昭和のこども』(クレヴィス刊)には昭和11〜51年、19人の写真家によって撮影された日本各地の子どものモノクローム写真が170点紹介されているそうです。

評者の平松洋子さんはこう書いています。
「写し出された姿に〈過去の自分〉を見出す。あの頃は、こんな強い目を、こんな味のある表情をしていたのだ。ただの郷愁ではない。いま平成を生きるわたしたち日本人の原動力が写真によって承認されている、そんな感情を覚えるから目が離せなくなる。」

この写真集は、八王子市夢美術館で開催されている『写真家が捉えた昭和のこども』展の出品作品を収録したものです。下の写真は同展サイトに掲載されていた写真〈笑う子〉。以前に図書館でもらった案内チラシのメイン写真としても使われていました。これも上の写真と同じく1953年に土門拳さんが江東で撮影したもの。

笑う子
「笑う子」東京・江東 1953年 土門拳

下記の美術館サイトで、上記2点をはじめ13点の写真を見ることができます。きっとあなたがどこかに写っています。是非ご覧ください。

八王子市夢美術館公式サイト

本日午前11時からは16日に亡くなった3年8組の同級生 菊田雄三君の葬儀。私は参列できませんでしたが、線香一本をたむけ、冥福を祈りました。合掌

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山浦玄嗣氏の受賞

10日ほど前、東急線の駅で手にした東急「Bunkamura(文化村)」広報誌の裏表紙を見て驚きました。そこには、〈ケセン語〉で知られる大船渡の山浦玄嗣(やまうら・はるつぐ)さんの『ナツェラットの男』(ぷねうま舎 刊)が、2014年度「Bunkamuraドゥマゴ文学賞」を受賞したとのニュースが記されていたのです。知らなかった。

山浦さん
『Bunkamura magazine』2014年10月号裏表紙イメージ(一部)

山浦玄嗣さんについては、2011年にこのブログでも紹介しました。

2011年6月3日ブログ「ケセン語の山浦さん」

私は山浦さんを、28年前1986年2月放送のNHK「ぐるっと海道3万キロ」シリーズ「父さんがケセン語~南三陸ことばの旅」を見て知ったのです。受賞者プロフィールには次のように記されていました。

山浦玄嗣(やまうら はるつぐ)
1940年、東京市大森区山王生まれ。生後すぐ岩手県に移住し、大船渡市で育つ。医師・言語学者・詩人・物語作家。故郷の大船渡市、陸前高田市、住田町、釜石市唐丹町(旧気仙郡)一円に生きている言葉・ケセン語を探求する。掘り起こされたその東北の言語を土台として、新約聖書を原語ギリシャ語から翻訳した『ケセン語訳新約聖書四福音書』で知られる。2013年2月「バチカン有功十字勲章」受章。著書に、ケセン語研究が結実した『ケセン語入門』(1986)、故郷の歴史に材をとった物語『ヒタカミ黄金伝説』(1991)、福音書の新訳『ガリラヤのイェシュー──日本語訳新約聖書四福音書』(2011)などがある。(引用は以上)

少し補足すれば、山浦さんは東北大学医学部を卒業し、同大学で医学部助教授をつとめた後に故郷大船渡に戻りました。上記のNHKの番組では、大学での経験をいかし、〈ケセン語〉を話すときの頭脳の働きを断層写真で分析している様子も紹介されていたように思います。

東京・渋谷の東急百貨店に隣接する複合文化施設「Bunkamura」には、パリの老舗カフェ「ドゥマゴ」と提携したカフェ「ドゥマゴ パリ」があります。そして「Bunkamuraドゥマゴ文学賞」は、パリ「ドゥマゴ」の常連客だった作家らが自分たちの手で独創的な若い作家に贈るために創設した〈ドゥマゴ文学賞〉の精神を受け継いで1993年に設けられました。たった一人の選考委員はその年ごとに変わり、今回は詩人の伊藤比呂美(いとう ひろみ)さんです。

ドゥマゴ文学賞 受賞作品サイト

なお、気仙沼の人には説明不要ですが、〈ケセン語〉の言語圏である気仙地方は、岩手県の大船渡市や陸前高田市などの周辺地域です。明治期の気仙郡エリアで、その南方に宮城県気仙沼市があります。ですから気仙沼の言葉は〈ケセン語〉と共通する部分も多いのです。ウィキペディアの「ケセン語」の文例でも、そうでがんす(そうです)んだがす(意味は左と同じ)んだがすぺぇ?(そうでしょう?)おだづなよ!(調子のんなよ!または、ふざけるな!)など、気仙沼でもおなじみの言葉が紹介されています。

作品の内容は上記の受賞作品サイトで選評をお読みいただくことにしますが、伊藤比呂美さんはよくぞ山浦さんの著書を選んでくださいました。まさに快挙です。山浦さん、このたびの受賞、本当におめでとうございました。

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おかげでぎんなん

今日の東京は気持ちのよい秋晴れです。今朝の気仙沼港は、漁船の出港ラッシュだとか。そして、下の写真は銀杏(ぎんなん)。昨夕の酒のつまみです。

銀杏 九品仏

きのうの午後、妻が自転車で近くまで出かけたおりに、もしやと思って寄った九品仏(くほんぶつ)「浄真寺」の境内で拾ってきたもの。広い境内には銀杏(イチョウ)の木が沢山ありますが、台風であおられて相当量の実が落ちていたそうです。まさに予想的中。写真のイチョウは東京都の天然記念物に指定されていますが、その下にも沢山の銀杏の実。

ぎんなんはうまい。大好きです。また、九品仏浄真寺のぎんなんと思うと、さらに有り難みが増すような気がします。

〈台風〉も〈銀杏(ぎんなん)〉も秋の季語だそうです。

銀杏が落ちたる後の風の音 汀女


台風の被害は困りものですが、その風の余禄(よろく)にあずかることができました。本日も美味しくいただきます(笑)。

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冬の海 と 春の海

先日の日曜日、〈ほぼ日〉が表参道につくった〈店舗〉というか〈ギャラリー〉というか〈イベント会場〉というか、そんな「TOBICHI(とびち)」というスペースに、妻とでかけました。

9月20日から25日まで、〈気仙沼ニッティング〉の手編みセーターの展示販売会が行われているのです。編み手のひとりでもある妻の同級生から案内をいただきました。

地下鉄表参道駅で降り、多くのハイブランドショップのウィンドウをながめつつ根津美術館の交差点で左折、ちょっと歩けば右側に「TOBICHI」。

トビチ 入口から
会場 mm01.jpg

入口を入るとすぐに、10月発売予定の3rdモデル「リズム-A」が展示されています。細かな編み込みがなされているにもかかわらず軽い。本当に素晴らしい。その右側には、気仙沼の海の色をモチーフにした新色〈冬の海〉と〈春の海〉の2ndモデル「エチュード」。色出しに試行錯誤を重ねたとのことで、冬と春の2色のニュアンスの違いが素敵でした。そして「こどもエチュード」も並び、スペースの奥には1stモデル「MM01」が。オーダーメイドのカーディガンです。15万円を越える価格ですが、申込みが多く抽選による販売となっています。

3種とも編み物作家である三國万里子さんのデザイン。これを気仙沼の編み手の皆さんが編んでいくわけですね。ウェブサイトでは19人の編み手さんが紹介されています。

会場には、(株)気仙沼ニッティングの代表である御手洗瑞子(みたらい・たまこ)さんがいらっしゃいました。「リズム」をはさんでの妻との写真を撮ってもらい、恐縮。画像は省略します(笑)。

御手洗さんについては昨年3月のブログでも書きましたが、本日は今年5月に行われた「TEDxTokyo 2014」でのプレゼンテーションを紹介します。



御手洗さんは「皆さん、たまたま行った町をすごく好きになっちゃったことってありますか」と会場に問いかけます。そしてつぎのように続けます。

「私はあります。気仙沼っていう町なんです。気仙沼っていうのは、東京から4、5時間かかります。東北新幹線にのって一ノ関まで行って、そこから大船渡(おおふなと)線というローカル線で、ずーとこう山越え谷越え行くんです。ずいぶん遠くまで行くなぁという感じで。最後に長いトンネルを通るんです。トンネルを抜けると、パッと景色が開けて、こんな場所に出ます」

「これが気仙沼です」という言葉で紹介される映像が気仙沼の内湾。右方に、震災後に解体した我が家があった場所がはっきりとうつっています。まいったなあ。すっかり変わった魚町の風景ですが、やはりきれいだと感じてしまう自分の感情にちょっと困ってしまいました。

TEDxTokyoの映像は約10分間。お時間がないという方はこちらで。

御手洗さんと編み手の皆さんによる気仙沼ニッティングの活動が、気仙沼のより良い変化のきっかけになり、それがさらに大きく広がっていくことを願いながら、御手洗さんのTEDxでの結びの言葉を紹介します。私はこれを〈変えることができる!〉という意味に受け取りました。

You can make a difference.
どうもありがとうございました。

「TOBICHI」での展示販売会は25日(木)まで。好評のため既に売りきれた商品も多いようですが、是非おでかけいただき、気仙沼の海の色を感じていただければと。

気仙沼ニッティング公式サイト
ほぼ日「気仙沼ニッティング物語」
2013年3月22日ブログ「気仙沼ニット」

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プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/64~65歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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