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1964年の「教材園」

きのうのブログ「気仙沼図書館の桜」の続きです。現在の気仙沼図書館がある敷地は元々どんな場所だったかという話。とりあえずは「教材園」ということにしたわけですが、それを裏付ける写真がみつかりました。以前このブログで何度か紹介した昭和39(1964)年2月4日に撮影された気仙沼小学校グラウンドでの人文字「コクリツコウエン」の写真です。私が気小6年生の3学期のとき。

コクリツコウエン
1964年2月4日毎日新聞社撮影


写真の下部、左側にうつっているのが気仙沼中学校体育館。1959年9月落成ですから、できて4年半後の姿。そして右側がきのうのブログで紹介した「教材園」です。1960年9月にできたので、こちらは3年半後。

大きな花壇という印象はまちがっていなかったようです。しかし、この「コクリツコウエン」写真のことをすぐには思い出せなかった。

写真を見ているといろんなことを思い出します。プールの形状はもちろんのこと、周りの土手の芝というか草の感触までもがなつかしい。塩素のにおいもただよってきます。

教材園とグラウンドの境界部にあるのは桜でしょうか。まだ若いような感じもします。もしかすると、これと同じような桜の木が教材園の周辺に植えられていたのかもしれませんね。きのう紹介した現在の図書館脇の桜もそのときの桜かも。

2014年6月12日ブログ「人文字撮影年月日」

◎気小4年9組記念写真

話は変わります。プールの上部に2つの三角形のような屋根がうつっていますが、気仙沼小学校4年のときに、各クラスがこのあたりで記念写真を撮りました。2012年4月も紹介した私のクラス、気小4年9組の写真を再掲します。



1962年3月小野寺孝允先生撮影


2012年4月25日ブログ「昭和の子供 2」

写真の裏書きによれば昭和37年(1962年)3月に小野寺孝允(こういん)先生が撮ってくださいました。左端にうつるのは担任だった菅原暉子(てるこ)先生です。前列右から3人目、ジャンパーを着て両手を組んでいるのが私です。後で笑っているのが〈あさひ鮨〉佐々木徹君です。吉野信雄君もいれば〈熊長〉熊谷武敏君もと、名前をあげていくときりがありません。それくらいに懐かしい。

そしていま気づいたのですが、この写真を撮った場所は、東校舎脇ではなく、プールの土手のようですね。東校舎はあくまで背景だったようです。空撮写真でわかるように、プールと校舎の間は7〜8mほどの通路になっていましたね。

図書館の桜並木の話から始まった両日のブログ記事。59年前の同級生の笑顔を紹介してお開きといたします。良い週末をお迎えください。

◎新規感染者

きのう4月15日の気仙沼市内感染者発表は2名。60代女性会社員と80代無職女性です。
 
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tag : 教材園

気仙沼図書館の桜

東京の花見シーズはとっくにおえましたが、気仙沼の桜は先週末あたりが見頃だったようですね。今年の私は、ネットで気仙沼の桜画像をながめての〈花見〉です。

そんななかでの4月7日、気仙沼市公式観光サイト「気仙沼さ来てけらいんWEB」に、こんなツイッター投稿がありました。


気仙沼図書館そばの桜です。私たち気仙沼中学の卒業生にとって、とても懐かしい思いのする桜並木。私が気になったのは、〈少しやせたかな〉ということ。50数年前に気中に通っていたころはもっと勢いがあったような。もちろん満開前ということもあるのでしょうが。

魚町から気仙沼中学への通学は〈紫さん〉の坂をのぼります。のぼりきった先は気仙沼小学校。ちょっと左に折れて直進します。左は浜見山、右には屋体というか〈東控室〉や気小の東校舎、その先には気小プールです。その先を右にカーブしていくと、気仙沼中学が見えてきます。

現在の風景でいうと右に図書館、左に市民会館です。ここに新館としての「気仙沼市図書館」(市立図書館)が開館したのは、1969/昭和44年3月1日。旧館は、気仙沼小学校の正門側にありました。なお、現在の図書館が新気仙沼図書館としてオープンしたのは2018年3月31日のことです。

なお、気仙沼図書館の歴史についてはつぎのブログで詳しく紹介しております。ご参考まで。

2018年4月6日ブログ「気仙沼図書館略史」


◎図書館がある場所には何があったのか

以前の市立図書館が開館したときに私は15歳で気仙沼高校2年生。4月に3年生ですから、気中生時代にはいまの場所に図書館はなかったのです。それではあのあたりにはなにがあったのだろう。それが思い出せない。

気小時代に、中央校舎のグラウンドをはさんで反対側に、大きな花壇のようなものができたのは覚えているのです。そのときには気中の体育館がすでにありました。しらべてみると、体育館の落成は1959/昭和34年9月11日。もっと後のことかと思っていましたが、私が気小2年のとき。そうすると、花壇のようなものは気中体育館の隣地、つまりいまの図書館の場所あたりにあったことになりますね。

そして、『三十年のあゆみ』(気仙沼小学校父母教師会 1978年2月1日発行)に掲載されている年表のなかに「昭和35(1960)年9月1日「教材園(現市立図書館)を造成」との記述を見つけました。これですね。気小3年生のころ。

参考までに記しておくと、昭和48年9月6日に開校100周年記念事業の「岩石園」が完成しています。PTAの記念事業だったようです。第32代校長の佐藤信雄先生の寄稿文によれば、この「教材用岩石園」は昭和27年以前から全校児童が営々として積み上げた一円貯金(当初は1銭)によるものとのこと。写真も掲載されているのですが、場所はよくわかりませんでした。

なんか長くなってしまいましたが、私たちが気中に通ったとき、現在の図書館の場所には「教材園」があったということにしておきますかね。とりあえず。

◎気仙沼の桜で春気分

「気仙沼さ来てけらいんWEB」で紹介されている「気仙沼の桜で春気分」も是非ご覧ください。気仙沼の桜の名所がたくさん紹介されています。この記事の市民ライターは、薬局の〈和絵〉さん。和絵さんは記事中にもありましたが、気仙沼中学出身です。

このブログを書きながら、50数年前の気仙沼中学校体育館あたりの桜が咲く風景を思い出しています。ときは4月。新年度が始まり、私は新しいクラスメイトが待つ校舎に向かっています。桜の花がたくさん舞っており、左には河原田方面の風景が桜越しにみえたはずです。

◎新規コロナ感染者

きのう4月14日の気仙沼市感染者発表は1名。60代無職女性とのこと。13日は0人でした。
 

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tag : 気仙沼中学 気仙沼図書館

4/3 東孝さん訃報

総合格闘技の先駆者として広くしられる気仙沼出身の東孝(あずま・たかし)さんが4月3日に亡くなったとのことです。大道塾の発表では、末期胃がんとの診断があり闘病中だったといいます。ヤフーで配信された記事を紹介します。


東さんは1949年気仙沼生まれで鹿折(ししおり)小・中学校から気仙沼高校へ。気高では私たちの1年先輩です(気高21回生)。気高では柔道部に所属し、〈ぎっこ〉さんこと伊藤毅一先生の指導を受けています。

このブログで東さんをはじめて紹介したのは、2013年7月開催の気仙沼高校関東同窓会を報告した7月15日記事でした。まずはその時の写真から。前列左から3番目が東さん。後列右端に菊田裕美君(3年1組)がうつっていますが、このたびの訃報も裕美君が教えてくれました。

東さん

写真にそえた説明記事をつぎに。〈懇親会はいつものように和気あいあいとした雰囲気で進行。私たち気中20回生/気高22回生のテーブルには一年上の先輩も同席していました。そのひとりは、日本を代表する空手・武道家である東孝さん。7月9日のブログで紹介した水道橋博士の記事では〈実戦空手の雄「大道塾」の創始者〉として紹介されていましたね。せっかくの機会なので東さんを囲んで記念写真。〉

そして、このブログでの紹介を東さんにメールで伝えたところ、丁寧な返信をいただきました。その内容を紹介したブログを以下に再掲します。

◎東孝さんのメール

2013年7月19日ブログ再掲

7月13日の気仙沼高校関東同窓会でご一緒した一学年先輩の東孝(あずま・たかし)さんに、ブログでの写真紹介を連絡したところ、ていねいな返信メールを頂戴しました。



東孝さん(大道塾ホームページより)


まずは、東さんの略歴をウィキペディアなどで簡単にまとめておきましょう。気仙沼高校を卒業後、陸上自衛隊を経て、早稲田大学第二文学部に入学。在学中1971年に極真会館に入門し空手道に取り組み、早稲田大学極真空手部を創設、初代主将となりました。極真会館が主催する選手権大会の主要戦績はつぎの通り。

1974年 第6回全日本大会準優勝
1975年 第1回世界大会 6位
1977年 第9回全日本大会優勝
1979年 第2回世界大会4位

要するに〈極真のチャンピオン〉だったわけです。そして1981年には「大道塾」を設立、代表師範・塾長として現在にいたります。その東さんのメールを、了解を得ましたので以下に紹介します。なお、東さんは鹿折小・中出身です。

「 いやー、楽しかったね、同窓会! こんなに取りあげてもらって気が引けるね。でもいろんな先輩方と会えて叱咤激励されたり、様々な後輩を見ては刺激をもらったよ。

私はかなり“変わっていた”部類で (笑)、はたからは、好き勝手に山あり谷ありの人生を送ってきた血の気が多い人間のように見えるかもしれないが、根は気が小さいから「やっとみんなと同じようにああいう席に顔を出せるようになったな~」とチョッとホッとしているんだよね (爆)。

高校卒業時には「竜馬が行く」の坂本龍馬に憧れて“革命の志士”たらんと家を飛び出したは良いけれど、上京した頃には70年安保は終息していて(今になると、運が良かったんだろうね)、人生の目標を見失ったようなもので、しばらくはボーとしていたんだ。けれど、幸いにも“武道”という“天命”を見つけることができたから、最近は「何とか平仄(ひょうそく)はあってきたかな?」と思っている次第。

とは言っても、現在は空手家ではなく「空道(くうどう)」(よく“手”抜きと言われる(笑)という総合武道を主宰し、「第二のオリンピック」と言われる「World Games」に、Demo種目ではあるが参加できることになり、今月27日から南米・コロンビアで行われる「World Games 2013 Cali」大会に行ってきます。

トランポリンやバドミントン、女子重量挙げ、テコンドーなども「World Games」を通じてオリンピック種目となっているので、「空道」も将来のオリンピック種目化は夢ではない!と、64歳にして10周(30周?)遅れくらいで「疾風怒濤の時代(strum und drang era)」を走ってるドンカメ(笑)。「何とかの冷や水」でゴールまで息が続くか?が心配な今日この頃 (爆)。

気が向いたなら大道塾のホームページを覗いてみてチョ。さらにまた気が向いたなら、大会等を見に来てもらい「空道のオリンピック競技化」へのご支援、ご声援のほどを。」


東さんのメールは以上です。なお、文中の(爆)は(爆笑)の略。念のため(笑)。それと〈平仄があう〉とは、〈物事の筋道があってくる〉という意味でしょう。大道塾のホームページ中の塾長コラムを読むとわかるのですが、東さんはこうした漢語的な表現や故事ことわざをよく使います。コラムのなかには2011年3月に書かれた「東日本大震災に想う」という一文もありますのでぜひお読みください。

「大道塾」公式ホームページ

最後に、メール内容のブログ紹介を了承していただいたときの文面を紹介しておきます。

〈俺のはみ出し人生が何の役に立つかは知らないが、ま、「虚仮(こけ)の一念」というか「人間到る所に青山あり」の気でやれば、いつかは何とかなるというように見てもらえれば、一興かと。笑 〉

東孝さんのますますの活躍を期待しています。
ありがとうございました。押忍!

7月15日ブログ「気高同窓会の報告」


再掲内容は以上です。

享年71。まだまだ若いし、いろいろとこれからだったろうにと。

東孝さんのご冥福を心からお祈りいたします。
 

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tag : 東孝

乙姫窟と龍宮伝説

きのうのブログでは映画「気仙沼伝説」を紹介しましたが、本日は気仙沼の「龍宮伝説」を紹介しましょう。4月8日の三陸新報に、気仙沼大島の「乙姫窟」遊歩道が復旧したとの記事が掲載されていました。


乙姫窟

三陸新報4月8日記事の一部イメージ


乙姫窟は「おとひめいわや」と読みます。気仙沼大島の南端にある龍舞崎(たつまいざき)にあります(とはいっても私は行ったことがありません)。

乙姫窟には遊歩道がありましたが、東日本大震災による倒木の影響で封鎖されていたそうです。それがこのほど復旧し、通れるようになりました。写真を見ると、乙姫窟の間近に行けるようです。

記事に、〈乙姫様が流れ着いたという伝説が残る名称〉との記述がありました。

その伝説については気仙沼の〈龍宮伝説〉として記したことがあります。本日はその主要部を再掲します。


◎気仙沼の龍宮伝説

2014年11月21日ブログ再掲

11月15日に、気仙沼の大島架橋本体工事の着工式が行われ、市民から公募した架橋の名も発表されました。

架橋名称は「気仙沼大島大橋」です。ちょっと言いにくい感じがしますが、親しみやすい愛称も設けられました。「鶴亀大橋」。これはなかなかいいと思う。橋が設置される本土側の〈鶴ヶ浦〉と大島の〈亀山〉からのネーミング。鶴と亀。実にめでたい。

大島と本土を結ぶ県道大島浪板線の愛称は〈気仙沼大島龍宮海道〉となりました。そして、トンネルは鹿折側が〈浦島〉、大島側が〈乙姫〉です。〈浦島〉はもちろん地域名でもあるわけですが、大島側の〈乙姫〉とふたつ合わせて、大島の〈龍宮伝説〉を踏まえたネーミングだと思います。


竜宮海道
宮城県発行の大島架橋事業情報紙「大島かけはし」より


大島の南端にある龍舞崎(たつまいざき)には、乙姫窟(おとひめいわや)があります。この場所には、浦島に住む漁師が嵐のなかで助けたお姫様を乙姫と信じて仲良く暮らしたとか、乙姫様が流れ着いた、あるいは浦島太郎が乙姫と逢瀬(おうせ)を楽しんだなどという伝説があるのです。また、龍舞崎の向かいにある黒崎島には龍神様がまつられているそうです。そして、亀が浦島太郎を乗せてきたと伝えられる亀島もあるとのことなのですが、詳しいことはわかりませんでした。

また、ネットのウィキペディアの〈龍宮〉の項目でも〈(気仙沼には)山神様と龍宮様が争いをして、龍宮様が勝った話が漁師に伝承されている。山神がオクズ(気仙沼でタツノオトシゴの意)を観た事がなく、勝てなかった。この話は、海資源の豊かさと優位性を語ったものとされる〉との記述がありました。

なお、JR大船渡線の愛称〈ドラゴンレール〉は、龍宮伝説とは関係なく、線形が龍の形に似ていることから名づけられたとのこと。それにくらべて今回の大島架橋の愛称は、気仙沼の伝奇・伝説をうまく利用した、なかなかのネーミングだなと感心しました。

鶴亀大橋は、平成30年度中の完成を目指しています。気仙沼市民、特に大島住民にとって悲願とまで言われたこの橋が無事に完成することを願っております。

(再掲内容は以上)

三陸新報の記事によれば、今回の遊歩道復旧は、宮城県が環境省の自然環境整備交付金を使い、昨年3月から整備したそうです。総事業費は2970万円です。

朝ドラ「おかえりモネ」の放送開始後は龍舞崎への来訪客も増加することでしょう。これを機会に、乙姫さまや浦島太郎が登場する気仙沼の龍宮伝説も広く知られてほしいと思っております。

◎新規コロナ感染者

4月12日発表の気仙沼市新規感染者は1名でした。80代無職女性。既感染者との接触歴ありとのことです。
 

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tag : 気仙沼大島 乙姫窟

気仙沼伝説上映会

4月17日(土)と18日(日)に、気仙沼市唐桑町の旧小原木(こはらぎ)中学校グラウンドで、ドライブインシアターが開催されるそうです。4月6日の三陸新報が伝えていました。

上映会

三陸新報4月6日記事の一部イメージ


この催事は、住民らによる「海上のメリークリスマス実行委員会」と「小原木地区ふるさと活性化委員会」が、気仙沼市東日本大震災10年復興記念事業の一環で企画したもの。なお、「海上のメリークリスマス」の実行委員長をつとめる三上忠文君は、気仙沼高校のときの同級生です。気高フェンシング部で活躍していました。唐桑ユースホステルを営みながら唐桑町観光協会の会長もつとめています。

さて、今度の土日曜日に上映されるのは、今春5月17日放送開始のNHK朝ドラ「おかえりモネ」に出演する清原果耶さんと鈴木京香さんが主演した映画です。概要を紹介しておきます。

・4月17日(土)
「気仙沼伝説」鈴木京香さん主演
・4月18日(日)
「宇宙でいちばんあかるい屋根」清原果耶さん主演

会場:旧小原木中学校グラウンド
開場:午後5時30分 上映開始:午後7時上映開始
料金等:観覧は無料・各日60台限定
チケット:4月10日午前10時から小原木公民館で配布
問い合わせ:同公民館まで(0226-34-3261)まで

私が注目したのは鈴木京香さん主演の「気仙沼伝説」です。この小林政広監督の作品は、2006年の「気仙沼映画祭」で上映されたものの、一般公開はされていません。小林監督は、この作品の制作で初めて気仙沼を訪れてその魅力にはまり、翌年には市内唐桑の古い家を購入、そこを拠点に『ワカラナイ』(2009)や『春との旅』(2010)をつくったそうです。

こうした本作の背景などついては、2020年9月15日のブログ〈京香「気仙沼伝説」〉で紹介しました。以下に再掲します。


◎京香「気仙沼伝説」

2020年9月15日ブログ再掲

きのう9月14日のブログでNHK連続テレビ小説「おかえりモネ」でモネの祖母を演じる竹下景子さんのコメント「気仙沼は大切な場所です。母のような人がいるところ」について記しました。本日はモネの母親役、鈴木京香さんについてです。


鈴木京香

NHK_PRサイトより


◎小林政広監督『気仙沼伝説』

京香さんが宮城県仙台市出身であることは皆さんご存じのとおりですが、気仙沼とのご縁もありました。小林政広監督の映画『気仙沼伝説』で主演しているのです。

この『気仙沼伝説』は、東北の全県で一本ずつ映画を制作しようという「ええじゃないか、ニッポン!」シリーズの宮城編として企画、制作されました。そして、2006年の「気仙沼映画祭」で上映されたものの、残念ながら一般公開に至っておりません。

この映画のストーリーですが、鈴木京香さんが地元の考古学ファン、杉本哲太さんが幼馴染の考古学者を演じ、隠れキリシタンの残した財宝を巡るラブコメディとのことです。おふたりのほか、小林監督が〈豪華キャスト〉と語る、倍賞美津子、國村隼、岸部一徳、香川照之といった皆さんのお名前がならんでいます。

なお、この映画のタイトルバック曲は、水越けいこさんが歌う「海潮音」(みしおね)です。


◎2012年/大阪での上映

2012年3月3日の大阪のシネ・ヌーヴォの東北映画特集で、本作が上映されたときにおこなわれた小林監督のミニトーク内容がネットにありました。

パラパラ映画手帖No898 『気仙沼伝説』

これによれば、〈2005年9月末から撮影に入り、約1か月半かけて気仙沼、仙台でロケ撮影、2006年に完成。春の気仙沼映画祭で、監督の全作品特集上映が実現し、市民会館で3回ほど上映後、資金問題からずっとお蔵入りしていた〉とのこと。

また、〈この作品で初めて気仙沼を訪れた監督は、ちょうど戻り鰹や秋刀魚の季節で、すっかり土地の魅力にはまり、翌年、気仙沼市内の唐桑に古い家を買って、そこを拠点に『ワカラナイ』(2009)『春との旅』(2010)をつくった〉とも。


◎2017年/小林監督の言葉

小林監督はご自身の会社「モンキータウンプロダクション」サイト中の2017年2月26日付けの記事〈『気仙沼伝説』について〉で、この作品について語っています。

小林監督 『気仙沼伝説』について

この中に次の言葉がありました。

(いろいろな経緯を経て) 〈こうして、ボクは『気仙沼伝説』を監督しました。予算の縛りがあるものの、撮影は順調に進みました。気仙沼の人たちの全面協力があったからです。〉そして〈この映画には、東日本震災前の気仙沼が、あますことなく活写されています〉とも。

私が驚いたのは、小林監督が、〈本作のフィルムのありかもわからない〉と書いていたことです。その言葉を引用しておきます。

〈今現在、フイルムの在り処も判らないことに強い憤りを感じています。何せ、スタッフのほとんどは、この映画を観てないのですから!スタッフだけに限らず、キャストも同様です。〉

キャスト(出演者)も同様に見ていないということは、鈴木京香さんも完成した「気仙沼伝説」を見ていないのでしょう。


◎2017年/仙台での上映

しかし、このフィルムのありかについては心配無用だったようです。小林監督が上記の文を記した9か月後、2017年11月に、仙台市の仙台桜井薬局セントラルホールでの「カナザワ映画祭」で「気仙沼伝説」が上映されました。同時に小林政広監督のトークショーもおこなわれています。

2006年の気仙沼映画祭で上映されたとはいえ、15年前の鈴木京香さんの姿とともに、「気仙沼伝説」にうつる震災前の気仙沼を今また見てみたい思う気仙沼の人も多いことでしょう。しかしフィルムがあっても、著作権や上映権など、商業映画には様々な権利が関係します。それだけに、そう簡単なことではないと思います。

しかし2017年には仙台での上映も実現していることですし、鈴木京香さんがモネのお母さんを演ずることをきっかけに、なんとか再度の気仙沼での上映を実現できるといいですね。

なお、気仙沼の唐桑で撮影された小林政広監督の映画『ギリギリの女たち』(2012年公開)については、つぎのブログで紹介しました。このなかでは「気仙沼伝説」について、慶長遣欧使節船「サンファン・バウティスタ」にまつわる伝説の宝物を探す女性(鈴木京香)の活躍と、ちょっと訳ありの中年男女の恋物語と紹介していました。

さらにこのブログでは、本作を〈いわば「幻の作品」〉と書いたのですが、これまでの上映の経緯を知ると、むしろ〈伝説的な作品〉と呼んだほうがよいのかもしれません。

2012年7月26日ブログ「ギリギリの女たち」
 
(再掲内容は以上)

どのような経緯で今回の上映企画が実現したのかわかりませんが、小林政広監督の縁(ゆかり)ある唐桑での上映は、ある意味での〈里帰り上映会〉かもしれません。チケットは4月10日午前10時から小原木公民館で配布されたはずです。各日60台限定ですので、すでに定員に達しているかもしれませんね。(本日12日お昼に公民館に電話確認したところ、「気仙沼伝説」上映の17日分はすでに受付終了、18日の「宇宙でいちばんあかるい屋根」上映分が若干残っており、本日のみ受付しているとのことです)

伝説的映画「気仙沼伝説」を体験できるまたとない機会かと。是非お楽しみください。

◎新規コロナ感染者

4月9日と10日はいずれも0人でした。しかし4月11日は4名。10代男性学生、40代男性公務員、70代無職男性、70代無職女性です。40代男性公務員は、気仙沼市から唐桑総合支所の産業・建設課職員と発表されています。
 

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tag : 鈴木京香 気仙沼伝説

児童生徒数見込み

一昨日のブログでは、大島中学校が鹿折中学校と統合することになったとお伝えしました。本日の話はその関連ニュースということになるのでしょう。4月7日の三陸新報に2021年度の小中学校の児童・生徒の見込み数が紹介されていました。


記事

三陸新報4月7日記事の一部イメージ


気仙沼市の小学校新入児童は392人で前年度より21人増加。最多は松岩小の66人、次いで面瀬小の51人。一方、中井、大島、月立、小泉はいずれも一桁台です。

中学校入学生徒は437人で昨年度より6人減少。最多は気仙沼中の58人で昨年度よりも26人増加したそうです。最小は、きのうお伝えしたように来春に鹿折中と統合することになった大島中の11人です。この大島中学1年生は来年4月には鹿折中学の2年生になります。

◎2021年度児童・生徒数見込数

記事に掲載されている見込み数表はつぎのとおりです。


小学校
数表はすべて三陸新報4月7日掲載記事より

中学


数表のなかで注目すべきは月立(つきだて)小学校の新入学児童2名という数字でしょう。昨年4月にも三陸新報に2020年度児童・生徒数見込の記事が掲載されました。その記事のなかに、市内唯一の小規模特認校である月立小学校は全校児童が2019年度より3人減の25人で、全学年が複式学級となるとの記述があったのです。私はこのブログで、〈これは1年から6年までを合わせての複式学級1クラスになるということなのでしょうか〉と書いたのですが、たぶんそうなのでしょうね。

2020年4月23日ブログ「児童生徒数見込み(2020年度)」

このブログにも書きましたが、月立小は当初、2018年度に新城小学校への統合が計画されていました。しかし、地元の反対などもありその実施は延期されています。

統合に関する説明会などで、統合に反対する立場から〈小規模校の良さもある〉との意見があることは承知していますが、その良さ/メリットがデメリットに比してどれだけ大きなものなのか。

気仙沼市における教育環境をどのように整備していくかということは、地域にとってとても大きなテーマ。私は出身者のひとりにすぎませんが、その真剣な議論を先延ばしにすることのないようにと願っております。

4月7日ブログ「大島中学統合決定」
 
 

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大島中学統合決定

気仙沼市教育委員会は、来年4月に大島中学と鹿折中学を統合することを決定したそうです。両校は今年4月の統合をめざしていましたが、新型コロナの影響で話し合いが進まず一年延長されていました。3月31日の三陸新報は一面トップ記事として伝えています。

3:31

三陸新報3月31日記事の一部イメージ

記事では3月29日に開催された懇談会の様子を紹介しています。説明会や懇談会は2018年からこれまで7回にわたり実施してきたとのこと。そして8回目となる今回は、PTAや住民など約50人が参加。菅原市長も出席しました。そして、前回に引き続き統合への反対意見はなく、市教育委員会としては保護者や住民の合意を得たと判断したそうです。


◎大島地区懇談会の経過

今回の決定にいたるまでの経過を少し追ってみましょう。まずは昨年12月3日の懇談会から。

・ 2020年12月3日懇談会

昨年12月5日の三陸新報では、12月3日に大島中学校で開催された市教育委員会による懇談会の様子を紹介していました。保護者や地域住民など約40人が出席。統合に理解を示す声があがった一方、地域から学校がなくなることへの懸念を示す反対の声も出ていたそうです。

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三陸新報2020年12月5日記事の一部イメージ


・ 1月12日懇談会

大島地区の住民約30人が参加して開かれた1月12日の地域懇談会では、〈統合に関して住民の中でも、子を持つ保護者と、持たない住民との間で意見が分かれる場面があった〉とも。

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三陸新報1月14日記事の一部イメージ


・ 3月12日懇談会

そして本年3月12日にも懇談会が。3月14日の三陸新報ではつぎのように伝えています。

3:15大島中統合
三陸新報3月14日記事の一部イメージ


この懇談会には大島地区住民約30人が出席しました。住民側からは反対意見は出ず、「統合はやむを得ない。統合の準備の時間が大切」「生徒が少なく、今の状況では学校機能が維持できない。一日でも早く、子供たちが移れるように環境を整えてあげてほしい」など、早期統合を求める意見が相次いだとのこと。これを受けて、冒頭に紹介した3月29日の市長をまじえての最終合意確認のための懇談会を開催することとなったのです。

◎今後の課題

3月29日という年度末ぎりぎりの懇談会開催と統合計画合意とりつけでした。年度中に計画通りの統合決定をできなければ、再度の統合時期延長ということもありえたのではないかと。いま決めなければまた一年の議論をくりかえす必要があります。決定が遅くなれば、準備の期間がそれだけ短くなるのです。

市教委は、遅くとも5月までに統合準備会を立ち上げて、校名や校歌、通学方法などを検討・決定していくとしています。準備会は、保護者や住民の代表、両校の校長、教頭など20人以上で構成するとのこと。

小中学校の統合計画の実行は各地区住民の心情にも大きくかかわ、とてもデリケートな課題です。三陸新報でも、〈大島中と鹿折中の統合〉と両校並列での書き方になっていますが、具体的にいえば、大島に中学校がなくなり、地区の生徒は鹿折中学に通うことになる計画で。大島の皆さんにとっては、まさに〈苦渋の決断〉だったでしょう。大島地区の皆さんにとっては、大島小学校と鹿折小学校の統合も目前の課題です。

この小中学校の統合は、各学校(特に統合「される」側の学校)在校生/保護者だけの問題だけではなく、その地域/学区の将来に大きくかかわるテーマ。さらに言うならば、気仙沼市全体の教育環境整備という観点から議論されるべき問題です。

ブログでこの統合問題をあつかうたびに感じていることがあります。市の教育委員会による統合計画、正式には「気仙沼市義務教育環境整備計画」関連情報の公開が不十分ではないかと。私の探し方が悪いのかもしれませんが、当初の計画内容と実行や延期などの経過に関する正式な情報がどこにあるのかわからない。

デリケートな問題であることはわかりますが、まずは前提となる計画内容や関連情報を共有することから始める必要があるのではないかと。

ちょっと長くなりましたが、私自身の情報整理ということもあり、三陸新報さんの紙面画像をお借りして経過をまとめました。どうぞよろしく。

◎新規コロナ感染者

4月6日、気仙沼市での新規感染者5名が発表されています。10歳未満男性未就学児、30代男性会社員、60代自営業女性、60代無職男性、80代無職女性です。
また、菅原市長は6日、歓送迎会の自粛を要請中だった3月26日に市職員6人が送別会を開き、いずれも濃厚接触者になったと発表しました。TVニュース映像はヤフーでも配信されました。詳しくは河北新報4月7日配信記事をご覧ください。
 

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東京消防庁の皆様

きのうのブログで、猪瀬直樹さんの『救出』文庫版を紹介しましたが、本日も気仙沼中央公民館関連のお話を。まずは3月10日の三陸新報の4・5面見開き記事をご覧ください。同紙の記者が撮影した写真と当時の状況を記す記事で構成されています。

見開き

三陸新報3月10日記事より


右上の写真は、気仙沼魚市場屋上から記者が捉えた〈黒い波〉。説明文のなかに〈避難者のざわめきが悲鳴に変わっていった。「気仙沼が終わった」と思った。〉とありました。

本日紹介するのは、左下に掲載されている記事。元一景島保育所の所長をつとめ、震災時には園児をつれて中央公民館に避難した林(奥玉)小春さん(3年2組)のインタビュー記事です。

小春さん

三陸新報3月10日記事より


震災時、一景島保育所には71人の子どもたちがいたそうです。0歳児から4歳児はお昼寝、小学校入学を控えた5歳児は部屋で活動をしていました。

文中には一緒に避難した保護者の言葉も紹介されています。小春さんは〈私たちはそれだけ追い込まれていたし、地獄を見た〉と。

0歳児に飲ませるミルクなどもちろんありません。誰かが公民館の冷蔵庫のなかにあったコーヒー用のガムシロップを見つけて持ってきてくれました。すすで真っ黒になった指にガムシロップをつけてその子の口に運びました。くわえた指をなかなか離してくれません。〈あの吸い付く力は、今でも忘れられない〉とも。

その0歳児も今では10歳です。

右下の記事は、震災当時は気仙沼消防署指揮隊長をつとめていた佐藤誠悦さんの記事。あの日は非番だったそうですが、本吉町の自宅から気仙沼消防署に車で向かいます。そして鹿折の大火災現場へ。午後8時半ごろだったと。安波山中の貯水池からポンプ車11台をつないで夜通し放水を続けたそうです。そして翌朝、駆け付けてくれた東京消防庁の大部隊に現場を引き継ぎます。

消防本部に翌朝午前10時過ぎに戻った佐藤さんは、奥様が行方不明になっていることを知ります。〈職務を続け、帰らぬ人となった妻と再会できたのは、震災から6日後だった〉。言葉もありません。

小春さんと小野寺さんの記事の両方に、〈東京消防庁〉の名が登場していることに驚きました。皆さんすでにご承知のように、猪瀬副知事や東京消防庁/防災部長の決断と指示によって東京消防庁のヘリコプターが空から、そして消防車の大部隊が陸路で気仙沼に向かっていたのです。

東京消防庁の皆さま、本当にありがとうございました。皆さまのご支援とご尽力によって気仙沼の多くの命が救われました。震災から10年経った今、あらためて心から御礼を申し上げます。

◎新規コロナ感染者

4月5日、県から気仙沼市での新規感染者2名が発表されています。20代女性会社員と80代無職男性です。市内での感染者累計は106人とのことです。

4月5日ブログ 文庫「救出」の対談
 

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文庫「救出」の対談

猪瀬直樹さんの著書『救出 3.11気仙沼公民館に取り残された446人』の文庫版が本年2月5日に発刊されたことは3月10日のブログでもお伝えしました。同書は、東日本大震災で中央公民館に避難した一景島保育所の園児71人を含む446人が救出されるまでを記したノンフィクションです。

文庫版には、単行本にはなかった猪瀬直樹さんと田原総一朗さんの対談が収録されていることは知っておりました。対談でお二人がどんなことを語っているのだろうか。文庫本も買わないといけないなと思っていたら、猪瀬さんがご自身の〈note〉で公開してくれました。

猪瀬さんのnote

私はツイートでつぎのように紹介しました。



この対談で語られる震災時の救出までのあらましはつぎのようなことです。ツイート内容などを補足しております。一部に文字化けもありますが、理解に支障ありません。

2011年3月11日。気仙沼市中央公民館に避難していた障害児童施設マザーズホームの園長・内海直子さんは、ロンドンにいる息子さんに携帯電話からメールを送信します。「公民館の屋根 げんき」。その後に「火の海 ダメかも がんばる」と。そのメールを見た息子さん内海直仁さんは、救助を求めるメッセージをツイッターに投稿します。

「障害児童施設の園長である私の母が子供たち10数人と一緒に避難先の気仙沼中央公民館の3階にまだ取り残されています。外は津波で浸水し地上からは近寄れない模様。空から救助が可能であれば子ども達だけでも助けてあげられませんか」

この投稿を読んだ小企業を営む鈴木修一さんという方が、東京都副知事の猪瀬さんにあててさらにツイートします。そして大量の情報のなかからこのツイートを選びとった猪瀬さんは、都の防災部長と相談して気仙沼に向けてのヘリコプターを明け方すぐにとばすことを決断するのです。

この対談のタイトルは〈「446人のオーケストラ」が奇跡を起こした〉です。猪瀬さんは対談のなかで、〈あの日の出来事を知れば知るほど、そこにいたそれぞれの皆さんがいかに知恵を出し合っていたかが見えてきたのです。情報を掴んで救出のきっかけをつくったのは僕だけれど、そんなことよりも、公民館に取り残されていた皆さんがどれだけ工夫して助け合ったかということを重点的に書きたかった〉と語っています。

私はこの言葉を読んで、2015年2月に東京・神保町の東京堂書店のトークイベントで、猪瀬さんが〈いま考えると、書名は「救出」ではなく「脱出」にすべきだったかもしれない〉と語っていたことを思い出しました。つぎのブログで紹介しています。

2015年2月20日ブログ「皆つながっている」

〈446人のオーケストラ〉。そのなかの一人が、一景島保育所の所長だった林(奥玉)小春さん(3年2組)です。オーケストラにたとえて言えば、小春さんは笛を吹いたり指揮棒を振っていたのでしょう。

対談内容の一部がテキスト変換のためか文字化けしていますが、大きな問題ではありません。猪瀬さんの『救出』で描き出そうとしたことのエッセンスをこの対談で知ることができます。是非多くのひとにお読みいただきたく。

小学館文庫『救出』もよろしく。



◎新規コロナ感染者

4月2日の感染者発表は2名で50代男性会社員と20代女性会社員です。また県は、不特定の方への感染拡大の恐れがあると判断し、市内田中前の居酒屋「尾形」の店名を公表しました。同店従業員と滞在者の感染が確認されているとのことです。この日の2名と同店滞在の関係はないようです。
4月3日は7名で、このうちの3名の滞在場所が飲食店と建設業事務所であることも発表されました。社名や店名は非公表です。20代女性会社員3名(うち2名が飲食店滞在)、30代男性会社員、30代男性会社役員、70代男性会社員(建設業事務所滞在)、70代無職女性です。
4月4日は3名で、いずれも居酒屋「尾形」の滞在者。県は同店で7名の陽性が確認されたことからクラスターとして認識をしていると同日発表しています。
 

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育美 in SWITCH

3月15日のブログ「わが美しき故郷よ」で、雑誌「SWITCH」(スイッチ)」2011年5月号に掲載された畠山美由紀さんの6頁にわたる記事を紹介しました。そのなかで、同号には熊谷育美さんのインタビュー記事も掲載されているので、日をあらためて紹介しますと。そして本日のご紹介です。

東日本大震災発生からわずか40日後に発行された同号の特集は「2011.3.11-13世界を変えた3日間、それぞれの記録」でした。

育美さんの6頁にわたる記事は、先日紹介した畠山美由紀さんのインタビュー記事と同じく〈言葉で綴る「3日間」、そしてその先〉というテーマでまとめられたもの。8人のアーチストのインタビューで構成されており、ほかの方々は笑福亭鶴瓶、小林武史、山口智子、細野晴臣、曽我部恵一、伊勢谷友介の6氏です。

以下に紹介する頁画像は、読んでもらうというよりも、「SWITCH」誌が2011年5月号でこれだけの頁をさいて育美さんの話、そして気仙沼の被災のことを取り上げてくれたことを知っていただきたく。写真は、育美さんのマネージャーである真田さんが撮影したとのことです。




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2011年3月11日に育美さんは、サンドウィッチマンさんの番組ロケにレポーター役で参加していました。そして地震と津波。高台にある自宅に避難することができました。その日、知人なども含めて13人が熊谷宅に泊まります。しかし、両親からは〈逃げた〉との連絡は受けてはいたものの合流できず。両親、つまり熊谷孝良君(3年3組)と奥さんに合流できたのは3月13日のことでした。

育美さんは、3月23日に香港でおこなわれる「香港アジアポップミュージックフェスティバル」に日本代表として出演する予定でした。そして3月15日に車で秋田に向かい、16日に飛行機で東京へ。しかし、被害の大きさが次第に明らかになるなどしており、出演を断念します。その決断までの育美さんの葛藤が率直に語られています。記事最後の言葉を引用します。

〈 実際に震災直後に避難している時は、音楽のことなんて考えられなかった。それまで私は常に音楽がある生活を送ってきたけれど、その時は音楽を聴こうなんて思いもしなかったし、ましてや歌をうたおうなんて……。みんなでか細い声で語り合うことしかできない。その時は、音楽って無力だなって思っちゃったんですよね。

でももう少し時間が経てば、きっとまた必要になってくると思う。だから、今は曲を作りたいなって思っているんです。言葉は、まだ出てこないけれど。〉

記事の引用は以上です。

この2011年5月号の編集長は菅原豪さんです。菅原さんは、同年1月に副編集長から編集長になったと思います。10年経ったいま読み直してみても実に力の入った編集だなと。

そして「SWITCH」発行人/創刊編集長で、現在また編集長をつとめる新井敏記(あらいとしのり)さんは、2017年3月号の特集「ほぼ糸井重里」の取材で気仙沼を訪れているはずです。下記のブログで紹介しております。

新井敏記さん、菅原豪さんはじめ「SWITCH」の皆さまに御礼を。いろいろとありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

2017年2月21日ブログ「気仙沼in SWITCH」

◎新規コロナ感染者

きのう4月1日、気仙沼での新規感染者は8名でした。過去最多。内訳は未就学児、20代男性会社員、20代女性会社員3名、40代女性会社員、40代自営業女性(*)再掲、50代無職女性。*1名を除きすべて既感染者との接触歴ありとのことです。


 

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大谷海岸の道の駅

気仙沼市本吉町の道の駅「大谷海岸」が、3月28日にオープンしました。予定していたセレモニーは、県内の新型コロナ感染拡大を考慮して中止し、テープカットのみとしたそうです。オープン前日の三陸新報には概要を伝える記事の下につぎの協賛広告が掲載されていました。


大谷海岸

三陸新報3月27日掲載広告の一部イメージ


記事によれば、以前の道の駅「大谷海岸」は、1995年に開業しました。東日本大震災で大きな被害を受けたものの、1か月後には仮店舗での営業を再開したそうです。それから10年、3月28日に新たな施設でのグランドオープンを迎えることができたのです。

新たな道の駅「大谷海岸」はJR気仙沼線のバス高速輸送システム(BRT)の停留所も兼ね、目の前には大谷海岸、そして三陸道大谷海岸インターチェンジからはわずか1分という好立地となっています。市による総事業費は約15億円で復興交付金などを充てたそうです。

新施設のサインにも使われているマンボウは、被災前の施設内で飼育されていて、地域のシンボルとして住民や観光客に親しまれていました。新施設の観光情報コーナーのプロジェクションマッピングでは泳ぐ姿が映し出されているそうです。

3月28日のオープン日、菅原市長はつぎのようにツイートしていました。


◎防潮堤計画の見直し

大谷海岸地区で、宮城県が海抜9.8mの防潮堤を整備し、気仙沼市が背後地に「道の駅」をつくる復旧工事が始まったのは2018年1月20日のことでした。

宮城県が当初計画した防潮堤に対して住民は、砂浜が失われるとして反対し、その見直しを実現させました。防潮堤の位置を内陸に移し、国道との「兼用堤」とすることにしたのです。地元住民と行政当局とのねばり強い折衝の成果でした。つぎのブログで紹介しております。

2018年1月23日ブログ「大谷防潮堤の着工」

そして、迎えた3月28日の道の駅「大谷海岸」のオープンです。つぎのブログで、2019年10月時点での気仙沼市震災復興推進会議資料のなかに道の駅「大谷海岸」復旧整備事業の概要を紹介しました。

2020年9月10日ブログ 道の駅「大谷海岸」

ブログのなかで私はつぎのように書きました。〈大谷海岸は、高校や大学時代の帰省時に中井殖君(3年8組)とよく行きました。中井茶舗の配達用軽4輪にのせてもらって〉と。50年前の思い出です。

そのブログで紹介した道の駅「大谷海岸」の「コンセプト・スローガン」を再度紹介します。

いつでも帰れる場所 大谷海岸
〜砂浜を守る想いから始まるまちづくり〜

この「道の駅」や防潮堤の計画には多くの方のご協力とご尽力があったことでしょう。地元の方々をはじめ、行政、JR東日本さんなど関係者の皆さまに敬意を表するとともに、このたびの道の駅「大谷海岸」オープンのお祝いを申し上げます。おめでとうございました。

◎新規コロナ感染者

きのう3月31日、気仙沼での新規感染者3名が発表されました。30代・40代・60代のいずれも自営業/男性とのこと。
 

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tag : 道の駅「大谷海岸」防潮堤

大島の記憶Ⅰ 発刊

気仙沼・大島みらい創り協議会(堺健会長)による民俗誌「大島の記憶ーⅠ」が発刊されたと2月27日の三陸新報が伝えていました。

大島の記憶

三陸新報2月27日記事の一部イメージ


記事によれば、同誌には昭和初期からのエピソードとともに、大島の歴史、文化が紹介されているとのこと。編集には、島内在住の堺さんのほか、気仙沼市文化財保護審議会委員長の山内繁さん、神奈川大学大学院歴史民俗資料学研究科の小野寺佑紀さん、合同会社野杜海(のどか)代表の小山晴幸さんの4人が関わり、寄稿しているそうです。

同誌名「大島の記憶」にはローマ数字「Ⅰ」が付されていました。記事によれば、今後シリーズ化して発行する予定とのこと。

この記事を見て、堺さんが事務局をつとめる「気仙沼・大島漁村文化研究会」(水上忠夫会長)による『はやわかり気仙沼・大島漁村誌』を入手したことを思い出しました。A5判184頁。たしか新聞記事に電話番号が記されていたので堺さんに連絡して振込先などを教えてもらったような記憶があります。同誌には残念なことに発行年月日の記載がないのですが、表紙には「2012年トヨタ財団東日本復興支援事業」との記載があるので8年ほど前のことでしょう。


大島漁村誌

『はやわかり気仙沼・大島漁村誌』表紙


◎小野寺佑紀さん

神奈川大学大学院の小野寺佑紀さんについては、昨年12月のブログで崎浜美和(びわ)会による文化講演会「崎浜ものがたり」の講師として紹介しております。3月2日の三陸新報では、気仙沼市立大島公民館による「大島郷土史講座」が2月27日に開かれ、小野寺佑紀さんが「気仙沼大島における災害伝承」をテーマに、参加者45名を前に講話したと伝えています。

私は、その小野寺佑紀さんが気仙沼大島の出身であることを東京新聞3月6日配信記事ではじめて知りました。震災のときに仙台の大学生だった小野寺さんは、2013年に中学校の教師として大島に戻ります。そして「これだけの出来事。次世代が知ることができるようにしなければ」と、島の仮設住宅に暮らす島民から聞き取りを始めたそうです。

そうした活動のなかで、以前から三陸地方の漁村を調査してきた神奈川大の研究所が、津波で浸水した大島の漁業協同組合の資料の復旧に取り組んでいることを知った小野寺さんは中学教師を辞め、2016年に神奈川大の大学院に進学して今にいたります。

こうして、大島出身の小野寺さんが故郷の歴史の調査とその伝承に取り組んでいること、大変うれしく思います。

◎宮本常一の大島訪問

三陸新報の記事のなかに興味深い記述がありました。同誌の編集に当たった人たちで〈大島を訪れた宮本常一の故郷を訪ねた〉と。私は以前、民俗学者の宮本常一(みやもとつねいち)さんが気仙沼を訪れたことがあるのではないかと思い調べたのですが、情報を見つけることができなかったのです。「大島の記憶ーⅠ」に宮本さんの気仙沼訪問について記されているとすれば、是非に読んでみたい。

しかし、「大島の記憶ーⅠ」(A4判68頁)は非売品で市内外の関係者に寄贈予定とのことで拝見できないのが残念。しかし、まずはこうした活動がおこなわれているということを皆さまにもお知らせしたく紹介させていただきました。

2020年12月24日ブログ「郷土の歴史を知る」

◎新規コロナ感染者

3月30日に気仙沼での新規感染者1名が発表されました既感染者との接触歴のある20代無職女性とのことです。
 

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URさんのPR記事

本日もUR都市機構さんに関するお話を。きのうのブログは、三陸新報の記事についてでしたが、本日紹介するのは週刊新潮3月4日号に掲載されたUR都市機構のPR記事です。南気仙沼地区の都市区画整理事業が紹介されていました。


新潮

週刊新潮3月4日掲載記事より


記事の内容は、末尾に記したUR都市機構HPでも読むことができますので、ここでは要旨の紹介にとどめます。

まずは宮城三菱自動車販売の千田満穂(みつほ)会長です。震災時の話が紹介されたあと、〈それから10年、83歳を迎えてますます精力的に仕事をこなす千田会長。現在は、自らが願う気仙沼の未来を描いた「夢のイラストマップ」を作成することを生きがいの一つにしている〉とのこと。

千田満穂さんについては、何度か紹介しておりますが、つぎのブログなどをご覧いただければと。

2015年3月24日ブログ「千田さん創業の時」

記事は、菅原茂気仙沼市長とUR都市機構の気仙沼復興支援事務所の佐光清伸所長の話に続きます。

そして、事業終了にあたっての気仙沼市建設部の佐々木守部長は、〈この10年一緒にやってきたURさんは、私にとっては戦友です〉とも。これは実感なのでしょうね。

記事は、震災復興・企画部の小野寺憲一部長のソフト面でのまちづくりについての話に続きます。(余談になりますが、3月20日の三陸新報記事によれば、小野寺部長は4月1日付けで保健福祉部長兼社会福祉事務所長に異動とのこと。小野寺さんとは2019年の気仙沼を元気にする会で親しくお話をする機会がありました)

そして記事はつぎのように結ばれます。

〈この春には、全長1344メートルの「気仙沼湾横断橋」を含む三陸沿岸道路の気仙沼港と唐桑半島を結ぶ区間が開通。今春の連続テレビ小説「おかえりモネ」の舞台になるなど、明るい話題も続々。10年の節目を迎え、気仙沼市の未来へ向けての日々が始まっている。〉(引用は以上)

この記事はあくまでUR都市機構さんの〈PR記事〉ではあるのですが、土地区画整理事業の意義と難しさを発注者である行政と事業受託者のふたつの立場から伝えてくれたような気がしています。

菅原市長は、文中のコメントで〈極めて複雑なパズルのような工事だったと思います〉とも。その難しいパズルをUR都市機構さんとともに市の関係部署の皆さんが一緒にといていったのでしょう。

記事には市の部長級の方々のお名前がありましたが、そのもとでの多くの職員の皆さんのご尽力に対しても御礼を。まだほかの地区の事業も残っておりますが、2地区の土地区画整理事業完了、ご苦労さまでした。

最後に記しておきますが、このブログは誰かから依頼されて書いた〈PR記事〉ではありません。〈オダ君、だれががら頼まれだのすか〉という声をどこからか聞こえてくるような気がしたもので。念のため。

UR都市機構HP 「変わる日本の「暮らし」と「まち」
 
 

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tag : UR都市機構 土地区画整理事業

UR都市機構さんへ

大震災後に、UR都市機構さんが気仙沼市から受託した災害公営住宅整備と2地区の土地区画整理の全事業が完了しました。3月25日に市から同機構に感謝状が贈られたと、3月27日の三陸新報が伝えています。


UR業務終了

三陸新報3月27日記事の一部イメージ


UR都市機構の正式名称は、独立行政法人都市再生機構。私たちの世代には、1955年に設立された「日本住宅公団」が前身という説明がわかりやすいでしょう。

記事によればUR都市機構は、災害公営住宅(5地区)1033戸の整備と、鹿折(ししおり)地区と南気仙沼地区の土地区画整理事業を請け負いました。災害公営住宅は2017年に気仙沼駅前住宅が完成したことで整備を終えています。

そして2013年から始まった土地区画整理事業については、2019年9月に鹿折地区(約42ha)の工事が完了。南気仙沼地区(約33ha)も2020年5月に工事が終わり、9月に竣工式が行われました。こうして市内の全事業が完了したため、今月末で東新城の気仙沼復興支援事務所を閉鎖されます。

3月25日に気仙沼市役所を訪れて気仙沼市長に業務の終了を報告したUR都市機構宮城震災復興支援本部の大石彰本部長は、〈生活動線を確保しながらの土地区画整理などはハードルが高かったが、地元の皆さんの理解と協力のおかげで、震災から10年以内で事業が完了できた〉などとあいさつしたとのこと。

これに対し菅原市長は、〈多くの困難と向き合いながら、本市の歴史に残る大事業を完了していただいた。市民を代表して心から感謝します〉と述べ、大石本部長に感謝状を手渡したそうです。

土地区画整理事業は、住民の私的財産権にも関わり、その進行はたやすいことではありません。市当局や事業受託法人などに対して事業進行の遅れや換地への不満が伝えられることはあっても、その苦労をねぎらわれることは少ないのではないかと。

そんなことを思いながら。UR都市機構の関係者の皆さま、気仙沼での事業遂行、ご苦労さまでした。心から御礼を申し上げます。

なお、気仙沼では上記2地区のほかに、別の委託事業者により「魚町・南町」と「松崎片浜」での土地区画整理事業がおこなわれています。これらも無事の事業完了を願っております。

2019年10月1日ブログ「鹿折 区画整理竣工」
2020年9月28日ブログ「南気仙沼の竣工式」

◎新規コロナ感染者

土日にも気仙沼での新規感染者が発表されました。3月27日は30代男性公務員と70代自営業男性の2名。28日は60代男性団体職員と60代無職女性の2名です。27日の公務員については市の税務課職員であることが発表されています。23日/1名、24日/1名、25日/2名、27日/2名、28日/2名の感染者発表となっています。
 

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tag : UR都市機構 土地区画整理事業

独自ロゴ決定内容

NNHK連続テレビ小説、要するに朝ドラ「おかえりモネ」の宮城版ポスタービジュアルが発表されました。ツイッターの番組公式アカウントではつぎのように。


このポスター写真は、気仙沼大島の亀山での撮影ですね。奥に見えるのは小田の浜、左手前が田中浜(だと思うのですが)。

◎気仙沼プロジェクト独自ロゴマーク

ここからが本題。紹介したポスターの右上に大きく表示されているのは、番組の公式タイトルロゴですが、これとは別に、「おかえりモネ」気仙沼プロジェクトの独自ロゴマークのデザインが決定しました。3月5日に記者発表され、3月19日の三陸新報でも紹介されています。

気仙沼市の記者発表資料から引用します。まずは気仙沼のロゴマーク。

気仙沼

つぎに登米(とめ)のロゴマークです。これは原型デザインの採用決定後にバリエーションとして制作されたものでしょう。三陸新報の記事では紹介されていませんでしたので参考まで。

登米


この独自ロゴマークは、NHKの番組ロゴとは別に、気仙沼プロジェクトのシンボルとして観光誘客・物産振興・シティプロモーション・移住定住促進などの活動で長期的に活用していくそうです。NHKの番組公式ロゴマークは許諾を受けて商品などでの利用ができるものの、使用期間が限定されているはずです。

独自ロゴのデザイン原型案一般公募はこのブログでも紹介しました。

2020年12月16日ブログ 「モネ」の独自ロゴ

この公募に対して31案の応募があったそうです。採用されたロゴマークは、ドラマを象徴する「山・海・空」の色彩に、気象予報士を彷彿とさせる「太陽・雲・雨」を組み合わせたデザインとなっています。

このデザイン原型案で応募して選ばれ、デザイン制作業務委託契約者となったのは、凸版印刷の東日本事業本部(デザイン担当:LIVING BLUE 小林 静) さんです。

文字部分が閉じた図形のなかにあるので背景色をあまり気にすることがないため使いやすいロゴだと思います。気仙沼の海、登米の山による2種のモチーフ展開もうまくいきました。

あとはこれを上手に使っていくだけですね。なお、この独自ロゴマークは各種プロモーションでの利用を見込んでおり、商品上での使用など商用利用はできません。

デザイナーの小林さんはじめ関係者の皆さま、まずはご苦労さまでした。今後の展開など、よろしくお願いいたします。

◎新規コロナ感染者

きのう3月25日にも気仙沼市で2名の新型コロナ感染者が発表されました。40代男性自営業と10歳未満の未就学児です。いずれも既感染者との接触歴ありとのことです。県の発表によれば、23日と24日各1名と25日の1名は、同一施設(飲食店)滞在があり、接客時における施設の換気、マスク着用、手指消毒などの感染対策は適切に実施していたものの、休憩時におけるマスクの未着用があったとされています。
 

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tag : おかえりモネ

高齢者のフレイル

本日は「フレイル」についてです。この言葉の元々の意味は「虚弱」であるそうですが、健康用語としては「加齢に伴って運動機能や認知機能などが低下して健康障害を起こしやすくなった状態」みたいなこと。つまりは加齢による心と体の虚弱状態です。

3月24日の三陸新報に、「高齢者のフレイル予防へ」という見出しでの記事が掲載されていました。気仙沼市上(かみ)地区社会福祉協議会と関係団体との情報交換会が3月23日に開かれたと。

フレイル

三陸新報3月23日記事より


この記事を紹介したのは、気中20の同級生が写真にうつっていたからです。正面でマイクをもって話している男性。小山謙一君(3年9組)ですよね。拡大してみましょう。やはりそうです。間違いありません。

拡大

謙一君は、上地区社会福祉協議会の会長をつとめているのです。1月5日のブログでも紹介しました。

1月5日ブログ「小山謙一君の笑顔」

上地区というのは、本町、古町、福見町、新町、滝の入などでしょう。記事には、情報交換会が2回目で約40人が参加したとありました。活動内容も紹介されています。

たとえば、地区唯一のスーパーが閉店した後は、駅前コミュニティセンターに移動販売車が来ることになったのを機に、同センターで高齢者がお茶飲みで交流する「青空喫茶」(月1回)の実施をおこなっているそうです。そしてフレイル予防勉強会やボランティア団体の配食サービスにフレイル予防をPRする便りを添えるなどの取り組みも。

 閉店したスーパーは、「片浜屋」古町店ですね。2020年1月31日に閉店しました。駅前コミュニティセンターというのは、住所と地図を見ると古町の消防屯所のところ。以前の管福組事務所の向かい側かな。

昨今の新型コロナ感染予防のことなども考えながらの集会開催はいろいろと大変なことも多いと思います。しかし、家でじっとしていてもフレイルが心配。23日の会でもそんな話が出たことと思います。

謙一君、上地区フレイル予防の旗振り役は謙ちゃんにまがせっから、どうぞよろしく。

◎新規コロナ感染者

一昨日の1名に続き、きのう3月24日にも気仙沼市で1名の新型コロナ感染者が発表されました。40代男性会社員。既感染者との接触歴ありとのことです。
 

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tag : 小山謙一

令和時代の行幸啓

東日本大震災から10年の節目にあたり、天皇皇后両陛下は3月17日、赤坂御所と気仙沼市役所をオンラインで結び、被災者らと交流しました。毎日新聞のツイートを紹介します。


この日、オンラインで結んだ被災地は、宮城県の気仙沼市と山元町です。各メディアの報道内容を総合すると、気仙沼側の出席者は菅原市長、そして津波で夫と義父母を亡くした鹿折の「すがとよ酒店」菅原文子さん、控え震災の語り部活動をしている階上中学3年/清原理心(りこ)さん、津波で自宅やカキの養殖施設などを失いながらも養殖業を再開した気仙沼大島の「ヤマヨ水産」小松武さんです。

◎昭和の行幸啓

私はこのオンライン交流について事前には知りませんでした。気仙沼市からの記者発表などもなかったように思います。

現在の上皇上皇后が、天皇・皇后両陛下として気仙沼を訪問してくださったのは2014年7月23・24日のことでした。このときには3週間前に「天皇皇后両陛下の行幸啓(ぎょうこうけい)について」という記者発表がありました。

いまこの発表資料をあらためて見てみると、日程には岩井崎、階上小学校、魚市場、気仙沼市役所などの名がならんでいます。宿泊は気仙沼プラザホテルです。

YouTubeに、両陛下の気仙沼魚市場視察を伝えるテレビ朝日系列ANNニュース映像がありました。





7年前の映像。なんか菅原市長が若い(笑)。魚市場で説明役をつとめているのは当時の気仙沼漁協組合長であるカネダイ/佐藤亮輔さんです。この2014年の両陛下気仙沼訪問の姿は、平成時代における「行幸啓」のひとこまです。

そして2021年/令和3年。新型コロナという背景はあるものの、オンラインでのお見舞い、懇談というのはまさに令和の新しい時代を思わせます。コロナ対応ということは別にして、皇室活動における新しいコミュニケーション手段のひとつになることでしょう。

◎新規コロナ感染者

きのう3月23日、気仙沼市で1名の新型コロナ感染が発表されました。40代女性会社員とのこと。市内73例目となります。2月28日に1名の感染が発表されてから23日ぶりの感染者発表となりました。仙台市をはじめ宮城県内の感染拡大が伝えられるなか、気仙沼はなんとかこらえているなと思っておりましたが。どうぞ、引き続きの感染予防をどうぞよろしく。
 

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tag : 行幸啓 天皇皇后両陛下

トモダチ作戦の碑

3月9日の三陸新報につぎの広告が掲載されていました。

祈念碑
三陸新報3月9日掲載広告


東日本大震災で大きな被害を受けた気仙沼大島の復興をご支援いただいたすべての方々への御礼と感謝を込めた記念碑が3月7日に、大島の浦の浜緑地公園に設置されました。「萬謝(ばんしゃ)」とは、厚く感謝することだそうです。

そしてつぎは同日の三陸新報記事。

トモダチ作戦記事

三陸新報3月9日記事の一部イメージ


3月7日に大島の浦の浜/緑地公園でおこなわれた記念碑設置や植樹などの感謝イベントを伝える記事です。

このイベント「はなみづきプロジェクト」は。3月4日のブログでも紹介した気仙沼市の東日本大震災記念事業の補助金対象事業のひとつです。在日米軍による災害救助や復興支援の「トモダチ作戦」への感謝と友情の証として記念碑を設置し、はなみずきの植樹やパネルディスカッションの開催を計画していました。実施団体は、合同会社野杜海(のどか)。記事には市民有志で構成された「はなみずきプロジェクト運営委員会」(菊田玲子代表)とありました。

つまり、感謝の記念碑は、米軍による「トモダチ作戦」を強く意識してのものなのでしょう。記事によれば、島内関係者や気仙沼市の留守副市長など15名が参加したとのことです。市民有志の主催ということで、市が表にたっての催事ではありませんが、記念事業として補助し副市長が臨席することで行政の立場から感謝の意を表したということかと。


在日米海兵隊の3月10日のツイートでは、記念碑除幕式をつぎのように伝えています。


在日米海兵隊のサイトの3月12日記事によれば、ケーレブ・イームズ海兵隊少佐と米国大使館駐在武官のポール・バートック中佐です。

ケイレブ・イームズさんは、トモダチ作戦以来、大島と行き来するなどして島の子供らとの交流を続けていると三陸新報の記事にありました。〈大島にはたくさん思い出があり、できる限り長く交流を続けたい〉と。

エルドリッジ博士については少し説明が必要かもしれません。ロバート・D・エルドリッジさんは、東日本大震災のときに、米軍の「トモダチ作戦」立案に携わり、2015年5月までは在沖縄米海兵隊政務外交部次長をつとめていました。現在は米軍を離れていますが、その背景などは少し長くなりますので省略します。また、部隊を指揮したアンドリュー・マクマニス元大佐が、アメリカからオンラインで参加したと三陸新報記事にありました。

菅原市長は3月9日につぎのようにツイートしています。在日海兵隊幹部ら7名が参列予定であると。


3月9日には、東京・横田基地を拠点に活動する米空軍太平洋音楽隊「パシフィック・ブラス」が気仙沼の内湾商業施設「拓(ヒラケル)」のコミュニティホールで、演奏会を開催しています。金管五重奏で「花は咲く」など8曲を披露したとのこと。三陸新報は1週間後3月16日に伝えています。

10年前の震災直後、気仙沼大島における米海兵隊による救援・支援活動がどんなに心強いものであったか。そしてその後の交流活動も。

浦の浜に設置された記念碑は、大島の皆さんの感謝の気持ちを伝えるよい機会になったと思います。

大震災時の救援・支援活動にご尽力いただいた米海兵隊と関係者の皆さまに心からの感謝と御礼を。ありがとうございました。



 

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ふるさとクラファン

2月22日のブログで紹介した、気仙沼の〈さんりくみらい〉藤田純一さんらのクラウドファンディング〈ワカメで恩送り〉が、3月15日で終了しました。

当初の目標金額であった30万円を達成後、〈ネクストゴール〉100万円を目指した結果、88人の支援で77万1500円を達成。見事な成果といってよいでしょう。これにより、藤田さんらは、600人以上の子どもたちへの支援をおこなえるとのことです。どうぞよろしくお願いいたします。

本日ご紹介するのは、もうひとつのクラウドファンディングです。気仙沼市がおこなっています。

◎「楽天ふるさと納税」クラファン

気仙沼市は3月5日より、ふるさと納税ポータルサイト「楽天ふるさと納税」内でクラウドファンディング(CF)をおこなっています。これは、通常のふるさと納税とは異なり、より具体的な使用目的に対しての寄付とすることができるそうです。寄付者/納税者として、返礼品をいただいたりするのは、これまでのふるさと納税と同じということでしょう。


クラファン
3月22日午前11時時点での特設ページ画面より


寄付金の使用目的ですが、簡単に言ってしまえば、市内階上の旧向洋高校/東日本大震災遺構・伝承館と、3月6日に開園した復興祈念公園の整備にあてられます。なお、気仙沼市復興祈念公園については、モニュメント「祈りの帆」建立のためのクラウドファンディングがおこなわれています。これは2019年4月28日に985人の支援で目標金額2000万円をこえる2982万円を達成しています。

今回のクラウドファンディングの詳細は「楽天ふるさと納税」気仙沼市特設ページをご覧いただきますが、概要のみ以下に記しておきます。

◎プロジェクト名称
・東日本大震災の記憶を残し、二度と同じ悲しみが起きないように後世へ伝え続けたい!
◎目標金額
・1000万円
◎内容
・東日本大震災遺構の保存(補修や劣化防止のための保護)、伝承活動の充実
・復興祈念公園の環境整備
◎受付期間
・2021年3月5日〜6月5日

このプロジェクトの返礼品は、寄付額2000円から10万8000円に応じて10品が用意されています。

ふるさと納税をお考えの方のひとつの選択肢としてご検討いただければと。どうぞよろしくお願いいたします。

「楽天ふるさと納税」クラウドファンディング
気仙沼市特設ページ

 

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案内板の右の奥に

2月25日の三陸新報を見ていて、私の目がある記事でとまりました。この記事です。


案内板

三陸新報2月25日記事の一部イメージ


見出しは「内湾・港町 観光案内板が復活」。しかし、私が着目したのは写真の右奥です。そこには2代目恵比寿像が。拡大してみましょう。


恵比寿像


大震災の津波で流失したお神明さん/浮見堂の2代目恵比寿像が近くの海中で発見されたのは2019年12月9日のこと。年が明けての20年1月13日には海から引き揚げられました。これを伝える1月15日の三陸新報には、「引き揚げられた2代目は今後、五十鈴神社で保管、公開する考え」とありました。

その後どうなったかなとは思っていたのですが、こんな形で現在のお姿を知ることになるとは。場所は、五十鈴神社の境内社である猪狩(いがり)神社の右側ですね。同神社は、気仙沼に海苔養殖と製塩を伝えた猪狩新兵衛さんをまつっています。市内八日町の横田屋さんの先祖にあたります。

猪狩神社の側に安置されたということを紹介する記事などを私が見落としていたのかもしれませんが、記事写真のなかに2代目恵比寿像を〈発見〉したときにはちょっと驚きました。まずはしっかりと落ちつく場所が用意されてよかったです。

◎観光案内板

記事内容も紹介しておきましょう。東日本大震災で被災した内湾エリアの案内板が災害復旧事業によって再設置されるとのこと。この案内板は2003年に内湾沿い、港町の17カ所に設置されたといいます。

災害復旧事業としておこなわれるためなのか、2003年設置が17カ所で、復旧復活も17カ所です。以前の「港町ブルース歌碑」の案内板は2月16日のブログでお伝えした歌碑復活計画などとも関係していますね。そのままでいけるのかどうか。関係者が検討していることでしょう。

2月16日ブログ「ブルース歌碑再建」

記事によれば新しい解説板では、気仙沼港で見られる各種漁船と漁法、水産業で栄えてきた歴史、自然景観をはじめ、冬の風物詩としてPRしている気嵐(けあらし)、新たに整備された内湾施設、大島大橋、気仙沼湾横断橋などを紹介するとのことです。

3月5日の三陸新報は「内湾エリアに観光案内の解説板」という論説記事を掲載していました。

その記事には、解説板のイラストを描いたのは、リアス・アーク美術館学芸員で現在は副館長もつとめる山内宏泰さんであることも紹介されています。解説文は、川島秀一さんや市役所で観光の仕事などに携わったあとに気仙沼図書館長もつとめた千田基嗣さんの手によるものと聞きました。

2003年に設置された解説板はさすがに古くはなったものの、内湾・港町エリアでの観光案内の役割を果たしてくれました。18年間ご苦労さまでした。新しい内湾を紹介する新案内板も楽しみにしております。どうぞよろしく。

2019年12月23日ブログ「恵比寿像みつかる」
2020年1月16日ブログ「恵比寿像引き揚げ」
 

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tag : 恵比寿像

菅原工業のW受賞

復興庁が2013年に設立した「新しい東北」官民連携推進協議会による「新しい東北」復興ビジネスコンテスト2020において、気仙沼市の菅原工業さんが、優秀賞と企業賞「仙台銀行じもと復興創生応援賞」のダブル受賞を果たしました。2月26日の三陸新報が伝えていました。


高橋工業受賞

三陸新報2月26日記事の一部イメージ


同社のインドネシアでのリサイクルアスファルトプラントの建設や、技能実習生の交流拠点などの立ち上げが高く評価されたそうです。選定結果の発表は昨年11月のことでしたが、表彰式が本年2月22日におこなわれました。これを受けての記事掲載でしょう。

復興庁の同コンテストサイトによれば、菅原工業さんの受賞事業名は、「地域の当たり前の日常を提供し、世界と繋がる地域と企業の未来の道つくり」です。同賞サイトから事業概要と受賞のポイントを紹介します。

●事業概要
・インドネシアからの技能実習生に活躍してもらうため、気仙沼市に料理店や祈祷所を設立、また、帰国後の就業場所としてインドネシアにリサイクルアスファルトプラントを建築。
・人手不足の課題を解決すると共に、地方企業が海外進出する際のビジネスモデル(プラント建設・実習生教育等)を構築。

●受賞のポイント
・インドネシア人技能研修生を自社の人材確保だけに留めず、帰国後の実習生の就労先としてのインドネシアにおけるビジネス展開につなげている点、及び、持続的受入れのための居心地良い場所づくり等、モデル的な取組が評価されました。
・実習生が地域に溶け込むことで、運営する料理店や、その他の地域産業への波及効果の創出も期待されます。

(引用は以上)

このビジネスコンテストは、2014年度からですので2020年度で第7回目となります。2019年度には、一般社団法人歓迎プロデュースさんが、「「漁師さん達への思いやりビジネスによる地域振興」で、やはり優秀賞と企業賞「アイリスオーヤマ賞」をダブル受賞しています。「鶴亀食堂」と銭湯「鶴亀の湯」の設置と、ほかの事業者らとの協働による「みしおね横丁」開業などですね。つぎのブログで紹介しました。

2019年11月25日ブログ「鶴亀」さんの受賞

そして、菅原工業の代表、菅原渉さんのインドネシアでの事業展開や、みしおね横丁でのインドネシア料理店「ワルーン・マハール」や祈祷所「アル・ラウダー」の設置などについては、下記のブログでも記しております。

こうした事業展開を紹介しながら、ご苦労も多いことだろうなと想像しておりました。それだけに、この受賞のニュースをとてもうれしく読みました。

菅原渉さんをはじめ高橋工業の皆さま、このたびの受賞、おめでとうございました。心からお祝いを申し上げます。

2019年9月5日ブログ 菅原渉さんの「志」

 

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tag : 高橋工業 復興庁

3.13のNHKテレビ

3月13日(土)のNHK総合テレビは、朝から日付が変わった深夜・早朝までに気仙沼関連の放送が4本もありました。放送後1週間、つまり3月20日(土)の同時刻まではNHKプラスで見ることができますので、まとめて紹介します。

①NHKニュース おはよう日本 NHKプラス

震災後10年ということで、〈被害もたらした海 その中はいま〉というテーマで気仙沼市唐桑/舞根湾からの中継でした。放送開始後13分なので、朝7:43から約 8分間です。

中継では、映像センター潜水取材班のカメラマン横山真也さんが、震災当時の舞根湾の被災状況などを伝えてくれました。その後は〈暮らし支えた海 どう変わったか〉ということで、水中の収録映像です。

生中継に戻ってからは、水山養殖場の畠山信さん(NPO法人森は海の恋人 副理事長)が横山さんの質問に答え、震災後の海の変化などを語っていました。

舞根湾


②50ボイス「東日本大震災10年の声」 NHKプラス

16:05からは、「50ボイス」で「東日本大震災10年の声」。過去に取材した被災地/気仙沼と石巻を再取材してくれました。

気仙沼の見知った方々がたくさん登場します。たとえば、第18一丸の佐々木さんや、写真家のかとうまさゆきさん、まるオフィスの加藤拓馬さん、SCK GIRLSのまりかさん、鶴亀食堂・鶴亀の湯では歓迎プロデュースの小野寺紀子さん、大島の民宿「大漁丸」のご夫妻などです。

50ボイス

この「50ボイス」では2012年9月25日に「気仙沼復興ボイス」と題して、気仙沼の復興を食で支える人たちの生の声を紹介してくれましたから、2度目の気仙沼特集でした。


③ありがとうを3.11に伝えよう委員会 NHKプラス

19:30から約75分間のこの番組は、〈東日本大震災で被災した人たちが、家族や友人、同僚など、お世話になった方々に、これまで言えなかった“ありがとう”の思いを伝え、この10年間をねぎらい合う番組〉です。

50ボイス


「ありがとうを3.11に伝えよう委員会」の委員長役は、気仙沼市役所の小野寺幸史さん。副委員長は南町紫神社商店街事務局の坂本正人さんと亀山精肉店の柴田静佳さん。そして、この番組のために気仙沼に来てくださったのは〈イノッチ〉こと井ノ原快彦さんと南野陽子さんです。

ありがとう

幸史さんは、震災後に気仙沼市役所の東京事務所へ赴任していましたからよく知っています。気仙沼に帰任してからも目黒のさんま祭りでは、ホタテアートや塩づくりのお世話などで上京してくれました。また、市の復興祈念公園の担当者でしたから、いろいろと忙しい毎日だったことでしょう。本当にご苦労さまでした。

この番組も、気仙沼の多くの人がたくさん登場します。どうぞご覧ください。


④今夜も生でさだまさし スペシャル NHKプラス

日付が変わった3月14日の午前0:05からの4時間番組。さだまさしさんがパーソナリティをつとめる、ラジオ深夜放送のようなテレビ番組〈今夜も生でさだまさし〉です。

テーマは「まだまだ皆でがんばらんば!」。気仙沼市民会館と東京NHKの101スタジオを結んでの生放送でした。

生さだ

市民会館の大ホールの観客は新型コロナ対応でわずか30人程度だったのですが、そのなかになんと気中同級生が。〈気仙沼さかなの駅〉内で平塚商店(鰹・鮪・鮮魚)を営む平塚一信君(3年1組)。奥様も一緒でした。仲がよくてなによりです。

さださんは、この2つのNHK番組のほかに気仙沼でのコンサートをこれまでに5回開催してくれているはずです。

2012年は〈魚町ッつぁもどっぺす!〉。2013年は〈さだまさし復興支援チャリティーコンサート IN 気仙沼〉。そして2014年、2015年、2017年は〈はまらいんや気仙沼〉コンサートでした。2014年の第1回目の実行委員長は気仙沼商会の高橋正樹さんです。以上のコンサートは2017年の9月をのぞきすべて3月開催です。

さだまさしさん、いつもありがとうございます。


◎NHKさんに〈ありがとう〉を

こうして4つの放送をふりかえって、実にすごいことだなとあらためて思いました。NHKの各番組でさまざま震災後10年の企画案があったと思いますが、そのなかから気仙沼を選んでくださったのです。

そして、ちょうど2カ月後の5月17日には朝ドラ「おかえりモネ」の放送が開始されます。

私が3.11を6日過ぎたいま、〈ありがとう〉を伝えたいのは日本放送協会さんです。NHKさん、この10年間、本当にありがとうございました。甘えるわけではありませんが、これからもわが気仙沼を、どうぞよろしくお願いいたします。
 

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「三陸道」実現の会

3月9日の三陸新報に小さな広告が掲載されていました。「三陸縦貫自動車道実現の会」による「解散のお知らせ」です。

解散のお知らせ
三陸新報3月9日掲載広告より


この広告によれば、同会は30年以上にわたり陳情や促進活動をおこなってきたそうです。そして、〈これまでの結実として、本年3月6日に仙台市から宮古市まで一本の高速道路としてつながりました。我が会、いや市町民全ての悲願が達成いたしました〉と。

そして〈初期の目的を達成した充実感と誇りを胸に思いをはせつつ〉同会を解散することを決意したそうです。(初期というのは所期のことと思います。念のため)

この万感の思いがこもる文章は、同会会長の藤村敏明さんによるものと思います。

3月13日の三陸新報では〈論説〉欄で、このことをとりあげていました。見出しは〈三陸道実現の会 地道な活動に敬意〉です。

論説

三陸新報3月13日記事の一部イメージ


この論説記事によれば、1996年8月には人力車で150kmの沿道を走破して、当時の東北地方建設局長に「三陸縦貫自動車道の早期実現」のメッセージを届けたこともあったそうです。

その後、気仙沼人力車木遣(きやり)会を中心に、日本拳法気仙沼道場、弁天連などスポーツ、イベント団体、建設業界など宮城・岩手沿線の25団体が三陸縦貫自動車道実現の会を組織し、地道な活動を繰り広げてきたそうです。


気仙沼文化史年表(荒木英夫著)を調べてみると、昭和63年(1988年)7月28日「宮城県三陸縦貫自動車道整備促進期成同盟会発足」との記述がありました。ここから数えると、33年です。広告のなかにあった30年以上にわたる活動というのはこうしたことも指しているのでしょう。

三陸新報/論説には、〈藤村会長は「これまで会を支えていただいた沿線住民の方々に感謝したい」と声を震わせたと〉とありました。

藤村会長をはじめ、これまでの活動を支えてきた方々に敬意を表します。ご苦労さまでした。そして、三陸道全線開通、おめでとうございます。
 

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わが美しき故郷よ

3月11日、気仙沼市復興祈念公園のモニュメント「祈りの帆(セイル)」点灯式がおこなわれました。私は東京でYouTubeライブ配信映像を見ておりましたが、畠山美由紀さんの歌が本当に素晴らしかった。

いまでも当日のアーカイブ映像を視聴することができるので、記事の最後に紹介します。

ライブ配信で、畠山美由紀さんの挨拶がおわり、歌唱場所となる四阿(あずまや)に移動する時間とライブ終了後の2度、畠山美由紀さんによる詩の朗読が流れました。これは2011年12月にリリースされた美由紀さんのアルバム「わが美しき故郷(こきょう)よ」に収録されている朗読です。

私がこの詩を知ったのは、畠山美由紀さんの公式ブログ「Monday Chronicle」でした。震災の直後3月25日に「故郷、気仙沼へ。詩を書きました。」とのタイトルで投稿しています。

◎雑誌「SWITCH」2011年5月号

そして1か月後、この詩は雑誌「SWITCH」(スイッチ)」2011年5月号(4/20発売)にも掲載されました。気仙沼出身のイラストレーター奥原しんこさんの絵とともに。

この5月号の特集は「2011.3.11-13世界を変えた3日間、それぞれの記録」。目次ページには〈けっして3月11日以前の世界に戻ることはない。もはや同じ思いで世界を見ることはできないし、生きていくことはない。世界を変えた3月11日からの表現者たちの心の動きを追った〉とありました。

本日は、その中から6頁にわたる畠山美由紀の記事を紹介させていただきます。まずは初めの4頁。「わが美しき故郷よ」クレジット表記は、詩:畠山美由紀 絵:奥原しんこ。


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本記事画像はすべて雑誌「SWITCH」2011年5月号より

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美由紀さんのアルバム「わが美しき故郷よ」がリリースされたのは2011年12月7日です。楽曲「我が美しき故郷よ」とともに、上記の詩の朗読も収録されました。

美由紀さんの朗読は、全国放送のアナウンサーがこの文章を読むのとはちがい、ちょっと気仙沼弁の読み方やがまじります。それが決してわざとらしくなく、それだけにしみじみと聞く人に伝わってきます。

◎美由紀さんインタビュー

「SWITCH」記事の続く2頁は美由紀さんのインタビューです。

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この記事によれば、2011年3月11日に美由紀さんは東京/下北沢のスタジオでマネージャーそしてギタリスト小池龍平さんと3人でリハーサルをしていたそうです。小池さんは点灯式でもギターの伴奏とともにきれいなハーモニーを聞かせてくれましたね。

美由紀さんは震災の日、鎌倉の自宅に帰ることはできず近くの友人宅に泊めてもらったそうです。夜のテレビ映像で気仙沼の火災映像を見て、〈もうだダメだ……〉という言葉が口から出たことだけを覚えているとのこと。

その後の詳細は略しますが、面瀬小学校の北方に暮らしていた美由紀さんの両親が自宅で無事と確認できたのは3月17日のことでした。

インタビュー頁の左下につぎの記述がありました。「前ページの詩は、地震後、故郷を思い、書き記したもので、絵は畠山と同世代の気仙沼出身のイラストレーター、奥原しんこが、畠山の詩を読み、その風景をともに感じながら描いたものである。」

なお、この畠山美由紀さんのページの前には熊谷育美さんの6頁にわたるインタビュー記事が掲載されています。日をあらためて紹介します。

◎点灯式ライブ映像

最後に3月11日の「祈りの帆」点灯式ライブ配信アーカイブ映像を紹介します。美由紀さんのライブ映像の一部はこんな感じ。内湾の向こうに見えるのが気仙沼湾横断橋「かなえおおはし」です。

画面

映像後半にある美由紀さんのライブは28分ごろから3曲で1曲目は「花は咲く」です。

この曲のあと、美由紀さんは陣山の祈念公園から内湾の風景をながめながらつぎのように語っていました。感きわまりつつ語る言葉に、私は(もらいなきしながら)歌が大丈夫かなとも。

(つぎの2曲は)〈まさにこの風景を頭に描いてつくりました。あの……。……。亡くなった皆さんに、私たち、なんとか毎日こうやってがんばってますから、どうぞ安らかでいてくださいって、言いたいです。いつか、まだ会いましょうねって〉

この美由紀さんの言葉の書き取りにあえて濁音を入れたところがありますが、気仙沼の人ならその語りのニュアンスをわかってくれることでしょう。そんなことも含めて、どうぞお聴きください。全体50分間のうちの28分ごろからが美由紀さんのライブです。



畠山美由紀さん、ありがとうございました。美由紀さんの言葉と歌、本当に心にしみました。


 

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tag : 畠山美由紀 気仙沼市復興祈念公園

祈念公園銘板報告

きのう3月11日で東日本大震災から10年。三陸新報の1面の見出しは「続く人口減少にコロナ禍」でした。読むというよりも当日の記事の全体イメージということで。

3:11三陸

三陸新報3月11日記事より


右下の表は宮城県2021年2月末発表の被害状況です。

被害状況


そして、6面と7面は見開きで気仙沼・本吉地方「復興へ歩んだ10年」の年表と写真。2011年3月「11日午後2時46分に三陸沖でマグニチュード9の地震が発生し、大津波が沿岸を襲う」で始まっています。

見開き

三陸新報3月11日記事より


そして年表の最後は、2021年3月「○三陸道の気仙沼湾横断橋を含む気仙沼港IC—唐桑半島IC間が供用を開始し、三陸道が全線開通○気仙沼市復興祈念公園が開園○気仙沼市と南三陸町で東日本大震災追悼式」。地元紙ならではなの資料性の高い年表だと思いました。ありがとうございます。

◎復興祈念公園開園

上記の三陸新報1面の左下には3月11日に開園した気仙沼市復興祈念公園の紹介記事がありました。きのうのモニュメント点灯式での畠山美由紀さんの歌はとてもよかった。これについては日をあらためて紹介させてもらいます。

きのうは、祈念公園を訪れた林(奥玉)小春さん(3年2組)が、寄付者銘板の写真を送ってくれました。本日は報告をかねてのご紹介。

まずは「気仙沼中学校第20回生支援会」の銘板掲載部分から。

銘板2

気中卒業生関係では、私たちのほかに9回生、37回生、41回生、51回生の皆さまです。つぎは「けせもい会」と仙台近辺の同年会「KSS42・気仙沼・仙台三陸会」の掲載内容。

銘板1

下のほうにある気仙沼サポートビューローは、東京で「気仙沼を元気にする会」などの実行委員会を主導してくれているグループです。

気中20支援会もけせもい会も鈴木徳一君(気中3年3組)が会長をつとめています。そして今回のクラウドファンディング参加にあたっては、同級生や同年生ばかりか支援者の皆さんからの支援金もあてました。この場をかりて皆さまに心から御礼を申し上げます。

◎週末テレビ番組情報

①3月13日(土)18:05〜18:44 NHK総合
50ボイス「東日本大震災10年の声」
過去に取材した被災地の方々を再取材。気仙沼と石巻の10年の声を届けるとのこと
番組サイト
②3月14日(土曜深夜)00:05〜04:00 NHK総合
今夜も生でさだまさし スペシャル
「まだまだ皆でがんばらんば!」
気仙沼市民会館と東京NHK101スタジオから豪華ゲストと共に拡大版でお届け!
番組サイト

どうぞご覧ください。

この3月は、新型コロナのこともあるし、11日に向けての話題というか情報が多くてなにか落ち着かない日が続いています。土日をはさんで少しずついつもの日常を取り戻していければなと思っております。どうぞ静かな週末をお過ごしください。
 

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tag : 東日本大震災 復興祈念公園

「鎮魂と追悼の日」

気仙沼市復興祈念公園は、本日3月11日午後1時に一般開園されます。そして午後6時から30分間は祈念公園内のモニュメント「祈りの帆(セイル)」点灯式がおこなわれます。点灯後には、気仙沼出身の畠山美由紀さんによる歌唱が予定されています。ギターは小池龍平さん。曲は「「わが美しき故郷よ」でしょう。

点灯式のライブ配信はつぎのサイトで。配信開始は午後5時50分です。





私たち気仙沼中学20回生は、同級生だった及川保則君(3年5組)と鷺(庄司)良子さん(3年8組)を失いました。また、多くの人が親族をはじめ大切な人を亡くしています。そうしたこともあって、復興祈念公園整備にあたってのクラウドファンディングにも参加し、公園内の寄付者銘板には「気仙沼中学校第20回生支援会」と記してあるはずです。

また、広く気仙沼出身者の首都圏同年会「けせもい会」としても同ファンドに参加しました。仙台近辺の気中20回生を含む同年会であるKSS42(昭和42年中学卒気仙沼・仙台三陸会)も同じく。

こうした多くの人の気持ちが込められた復興祈念公園、そしてモニュメント「祈りの帆(セイル)」です。

◎3月11日からのヒカリ

震災から1年後の2012年3月11日、気仙沼の陣山にあるアーバン マリアチャペルでは、「3月11日からのヒカリ」点灯式がおこなわれました。畠山美由紀さんのライブコンサートも。私は東京でインターネット配信の映像を見ておりました。

3月11日からのヒカリは、2012年から18年まで連続7回おこなわれ、私たちも気仙沼中学20回生支援会として毎回協賛させていただきました。

気仙沼の内湾〈鼎ヶ浦〉の3カ所から天に向けて3本の光を放射する3月11日からのヒカリは、気仙沼を離れて東京に暮らしている私にとって、本当に心にしみる催しでした。毎年おなじことを書いているのですが、自分の心のなかで点灯する3本の光です。

今年もこのプロジェクトの実行委員会代表をつとめた斉藤道有さんのお許しを得て、2017年版ポスター画像を再掲します。



「3月11日からのヒカリ」2027年版ポスター(写真撮影:斉藤道有さん)



◎渡辺謙さんや糸井重里さんらも気仙沼へ

きのうの菅原市長のツイートによれば、渡辺謙さんも気仙沼にいらっしゃるようです。千葉憲二君の「かもめ食堂」そばの謙さんのカフェ「K-port」は、木曜定休ですが本日3月11日は営業しているとのことです。

そして糸井重里さんも昨年と同じく気仙沼へ。今年は9日から「ほぼ日」の永田泰大さんと2021年版の気仙沼漁師カレンダーの写真家である幡野広志さんが福島を経由して気仙沼に向かっています。気仙沼で糸井さんと合流するとのこと。

旅の様子はTwitter #気仙沼311 で9日から随時掲載されています。どうぞご覧ください。

◎鎮魂と追悼の日

9年前のこの日のブログタイトルは「鎮魂と追悼の日」でした。きょうのブログも同じく。静かに一日を過ごします。
 

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tag : 気仙沼市復興祈念公園 3月11日からのヒカリ

猪瀬さんの『救出』

本日紹介するのは、毎日新聞3月3日記事です。見出しは「津波襲った気仙沼の保育所 徹底した避難訓練実り園児71人無事」。ヤフニュースで配信されたのでご覧になった方も多いことでしょう。

この記事のなかに一景島保育所の元所長として登場するのが気中20同級生の林(奥玉)小春さんです。2011年3月11日の地震後、小春さんらは、それまでに何度もくりかえしてきた避難訓練どおりに100mほど離れた気仙沼中央公民館に71人の園児とともに避難しました。

その後は皆さんご存じのとおり。大きな津波が中央公民館に押し寄せ、タンクから重油がもれて火がつき建物を取り囲みました。記事にあるように、中央公民館に避難した人は園児も含め近隣で働く人や住民など446人です。

2012年3月12日のブログでは、前日に放送されたテレビ番組内容に震災後の新聞報道などを加え、この〈奇跡的な救出劇〉をまとめています。タイトルは「猪瀬さんに感謝」。以下に再掲します。



◎猪瀬さんに感謝
2012年3月12日ブログ再掲


昨日は、「3月11日からのヒカリ」も無事に終了しなによりでした。関係者の皆さん、ご苦労さまでした。そしてありがとうございました。

私は、静かに一日を過ごそうと思いながらも、テレビの特集番組を見つつ、録画しつつ、チェックしつつといった、なにか慌ただしい一日でした。そんな中で強く印象に残ったひとつが、午後6時すぎからのテレビ朝日系列「つながろう!ニッポン 第4部〈レンズが震えた ! 311映像の証言〉」。

気仙沼大島での米軍の皆さんによる救援活動〈トモダチ作戦〉も大変印象深いものでした。そして〈ツイッターが救った気仙沼中央公民館の400人〉には、関係者の証言映像などもあり、あらためて驚かされました。

その〈奇跡的な救出劇〉を、昨日の番組内容に震災後の新聞報道などを加えてまとめてみました。

11日の地震後、気仙沼市潮見町の気仙沼市立中央公民館には近くの保育所に通う幼い子ら71人を含む約450人が避難しました。その後の津波で3階建ての公民館は2階天井付近まで水没して完全に孤立。そして気仙沼湾に流れ出た重油が燃えてその炎は海面のがれきに燃え移り、公民館を取り囲みます。おそろしい風景です。

死を覚悟した人も多かったといいます。そのひとり、市の心身障害児施設「マザーズホーム」の園長内海直子さんは11日の夕方に携帯電話で家族にメールを送ります。

「公民館の屋根 げんき」その後「火の海 ダメかも がんばる」

そのメールを読んだロンドンに住む長男のアクセサリーデザイナー直仁さんは、日本時間午後9時に投稿サイト「ツイッター」に救助を求めるメッセージを書き込みます。

「障害児童施設の園長である私の母が子供たち10数人と一緒に避難先の気仙沼中央公民館の3階にまだ取り残されています。外は津波で浸水し地上からは近寄れない模様。空から救助が可能であれば子ども達だけでも助けてあげられませんか」

そのメッセージがほかのツイッター利用者を介して作家であり東京都副知事でもある猪瀬直樹さんに伝わります。猪瀬さんはすぐに東京消防庁防災部長を呼び、救助に向かうよう指示します。そして、東京消防庁のヘリコプターが中央公民館上空にその姿を現したのは、12日午前9時40分のことでした。

途中から自衛隊のヘリも応援に加わり、この日は重病人と高齢者、子どもなど約50人を収容。残った約400人は2度目の夜を迎えました。そして13日午後1時に最後のヘリが現場を飛び立ちます。こうして、歩いて脱出した人も含め、446人全員が無事に生還を果たしたのです。

番組を見て、組織の力を活かすリーダーシップの大切さをあらためて知らされました。東京消防庁の方々には、鹿折地区での救助活動をはじめ、気仙沼支援に大変なご尽力をいただきました。猪瀬さん、そして東京消防庁はじめ関係者の皆様、本当にありがとうございました。心から御礼申し上げます。

最後になりましたが、100m離れた公民館に幼い子ら71人を率いて避難した一景島保育所の林(奥玉)小春所長は私たちの同級生。気中3年2組です。

小春ちゃん、本当に頑張りましたね。みんなで拍手。

再掲内容は以上です。つけくわえることはなにもありませんが、猪瀬直樹さんにはあらためて御礼を申し上げたく。本当にありがとうございました。

もし、内海直仁さんのツイートに猪瀬さんが対応してくれなければと、想像するだけでおそろしい。10年前の3月10日。中央公民館に避難した446人は翌日に死を覚悟する時がくることを知らずにいつものようにくらしていたのです。

猪瀬直樹さんの著書『救出 3.11気仙沼公民館に取り残された446人』は、本年2月5日に文庫版も発刊されました。単行本、文庫版のAmazon情報は以下に。文庫版の紹介文には〈災害救助の「永遠のケーススタディ」となるべき、奇跡の物語〉とありました。


 

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tag : 猪瀬直樹 東日本大震災

憲二君の炊き出し

3月8日の三陸新報に、気仙沼市の東日本大震災追悼式開催のお知らせが掲載されていました。

追悼式典
三陸新報3月8日掲載広告


昨年と同様に、座席を減らして間隔を大きくするなどしての開催です。
当日の式の様子はYouTubeでも配信されます。つぎのサイトが準備されています。




◎かもめ食堂500食無償提供

3月8日の三陸新報にはつぎの広告も掲載されていました。

かもめ食堂
三陸新報3月8日掲載広告


3月11日の午前11時から、気仙沼市港町の「かもめ食堂」で限定500食の〈かもめラーメン〉が無償提供されます。

「かもめ食堂」は、東京などでラーメン店の〈ちばき屋〉や〈まかない 㐂いち〉を営む千葉憲二君(3年4組)が、震災復興の一助になればと2015年11月19日に復活開店させました。

憲二君は、震災の年の4月9日など数度にわたって気仙沼で炊き出しをおこなってくれました。憲二君は当時、日本ラーメン協会の初代会長をつとめていたこともあり、炊き出しにあたっては著名ラーメン店の店主、経営者らも協力してくださいました。4月9日の炊き出しでは13店舗のご協力があったと当時のブログで記しています。

この時点でもすでに気仙沼に「かもめ食堂」(当時はまだ仮称)をオープンさせたいとの構想をもっていましたが、被災直後ということもあって土地の手当てなどいろいろと苦労があったようです。

そんな経緯のなかで生まれた〈かもめ食堂〉ですから、憲二君にとっての3月11日のラーメン無償提供は特別な意味をもっているのです。今年はとくに10年後の〈炊き出し〉ということかもしれません。

どうぞ3月11日には〈かもめ食堂〉で、一杯の〈心温まるラーメン〉を。是非に。

2011年4月28日ブログ「ちばき屋 憲二君の炊き出し」
 
 

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tag : 東日本大震災 かもめ食堂 千葉憲二

三陸自動車道全通

3月6日(土)、気仙沼湾横断橋が開通しました。これにより、仙台〜宮古間の「三陸自動車道(略称:三陸道)」が全線開通したことになります。まずは3月7日の三陸新報1面から。


8日1面
三陸新報3月7日記事より


開通当日6日の三陸新報では、4面5面を見開きで使った大きな記事を掲載していました。


3:6三陸

三陸新報3月6日記事の一部イメージ


3月6日に開通したのは、気仙沼港ICと唐桑半島IC間。気仙沼湾横断橋を含む7.3kmの区間です。

6日の記事によれば、気仙沼・本吉地方で三陸道の整備促進運動が盛んになったのは、1970年代とのこと。国鉄(現JR)気仙沼線全通の見通しが立ったことで、「今後は高速道路」との声が高まったそうです。

その記事に三陸道整備のあゆみとして1982年以降の年表が掲載されていました。これを見ると、震災前に「気仙沼」の文字があるのは2020年12月の「気仙沼市唐桑町「霧立トンネル」供用開始の記述のみ。

整備の動きが加速したのは皮肉なことに東日本大震災でした。2011年11月に三陸道は三陸北縦貫道路および八戸久慈自動車道と一括で復興道路「三陸沿岸道路」として全線が事業化されたのです。そして迎えた3月6日の三陸道全線開通。まさに半世紀にわたる悲願の道だったのです。

◎三陸道の名称整理

「三陸沿岸道路」と「三陸自動車道(三陸道)」などの名称のまぎらわしさについてはこのブログでも何度か書いたことがあります。三陸新報にわかりやすいマップがありましたので紹介させてもらいます。


マップ

三陸新報3月6日記事より


補足しておくと、「三陸自動車道」の正式名は「三陸縦貫自動車道」。そして「気仙沼道路」という名称もよく登場しますが、これは気仙沼中央IC〜 唐桑南IC間のこと。メディアによる用語の違いなどもあるためになにがなにやら。

マップ中にも記載がありますが、三陸沿岸道路(八戸〜仙台港北)としては2021年内に開通予定の普代村〜野田村間を除き2020年度内に開通予定とのこと。2020年度内ということは2021年3月末までということですね。

◎御礼とお祝いを

6日の開通式典の様子はYouTubeでの中継映像配信で見ておりました。この式典に参加されていた方々は、様々な立場での関係者代表ということだったと思います(それにしても挨拶にたった国会議員の多さには驚きましたが)。

私はそれぞれの挨拶のなかで紹介される、これまでにご尽力された方々のお名前を聞きながら、いろいろと感ずるものがありました。

コロナ禍で出席者を抑制しているとはいえ、式典はやはり一種の晴れやかさがあるでしょう。しかしこの式典会場に参列していない/できない数多くの人々がいます。なかには三陸道全通を願いながらもその完成の姿を見ることなくお亡くなりになった方もいるでしょう。

そうした、式典には参加していない多くの工事関係者の皆さま、そして半世紀にわたる三陸道整備の促進運動に関わってきた方々にも思いをいたしつつ。すべての関係者の方々に御礼とお祝いを申し上げます。ありがとうございました。そして、おめでとうございます。

2020年2月25日ブログ「開通式典のお祝い」
 
 

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tag : 気仙沼湾横断橋 三陸道

モーリーの「ペリー」

NHK大河ドラマ「晴天を衝け」を初回から見ています。今度の日曜日が4回目。まだなんかドラマのなかに入り込めませんが、ま、これからでしょう。

私が驚いたのは2回目からモーリー・ロバートソンさんが登場していたこと。なんと黒船を率いて浦賀に到着したペリー役です。本日はモーリーさんと気仙沼の関わりをご紹介します。

◎NHK BS1「TOMORROW」

このブログにモーリーさんは2度登場しています。1回目は、NHK BS1「TOMORROW」で、震災直後の気仙沼で肺炎患者が急増したということのレポートについて。

2014年7月29日ブログ「震災後の肺炎の謎」

このブログでは、モーリーさんをつぎのように紹介しました。

モーリー・ロバートソンさんは、ジャーナリスト、作家、ミュージシャン。1963年にアメリカ人の父と日本人の母との子としてニューヨークで生まれ、5歳で日本へ。日本語で受験した初のアメリカ人東大生となりましたが、1学期で中退してハーバード大学に入学し電子音楽を専攻するなど、ちょっと変わった経歴の持ち主。私もツイッターでフォローしているのですが、DJなどをやりつつ、政治から社会問題、音楽をはじめとするアートまで幅広いテーマをカバーする奇才です。

そのモーリーが今や大河ドラマに。すごいというか、かなり笑えます(ほめ言葉)。

◎モーリーさんとSCK GIRLS

2回目のブログ登場もNHK BS1「TOMORROW」。〈被災地アイドル 自分応援歌〉というタイトルで、気仙沼のアイドルグループ「SCKガールズ」を紹介してくれたのです。

2015年2月17日ブログ「気仙沼SCK GIRLS」

このブログ投稿の頃だったと思うのですが、モーリーさんは〈SCKと一緒に紅白歌合戦に出場するのが夢です〉とまでツイッターに書いていたはず。探してみたら、2015年2月のツイートが見つかりました。本気で応援してくれていたことがわかるでしょう。


モーリーさん。Thanks!大河ドラマ出演で、念願の紅白歌合戦が少し近づいてきましたね。

◎ここからが本題(笑)

前置きが長くなりすぎました。

3月8日(月)のNHK/Eテレ「沼にハマってきいてみた」で気仙沼のアイドルグループ「SCK GIRLS」が紹介されます。

◎沼にハマってきいてみた
3月8日(月)18:55〜
NHK/Eテレ 番組サイト

番組サイトでは放送内容をつぎのように紹介しています。「東北のパワーあふれるハマったさんを大特集!▽ゲストは宮城県気仙沼市出身のアイドル、アンジュルム・佐々木莉佳子▽かつて所属していたご当地アイドル「SCK GIRLS」の案内でリモート帰省!憧れの先輩と夢の対面にメンバーは」。

このほか、〈 “牛愛”が強すぎる高校生が育てた「ミラクル」な牛〉も紹介されるようです。なお、この番組名にも使われている〈沼にはまる〉とは、若者言葉で〈趣味などに熱中して、抜け出せなくなってしまっている状況〉。そんな状態の人を番組では〈ハマったさん〉と呼んでいます。

番組に登場する佐々木莉佳子(りかこ)さんはSCK GIRLSの後に、〈つんく〉さんがプロデュースを手がけたことでも知られるハロープロジェクト(ハロプロ)に所属。2014年10月からはハロプロのアイドルグループ「アンジュルム」に加入したのです。これはかなりすごいことかと。

68〜69歳となる気中20の同級生のなかには、ちょっと何言ってるかわかんないという方もいることでしょうが、こっちもよくわかんないんで番組をご覧ください。

なお、Eテレ「沼にハマってきいてみた」では、昨年7月27日放送でも気仙沼をとりあげてくれました。「ドット絵沼」というテーマで、畠山瑛護さんの「気仙沼クエスト」を紹介してくれたのです。「港まつり」バージョンだったかな。瑛護さんがリモート出演し、スタジオのサバンナ/高橋茂雄さんが「気仙沼クエスト」を楽しむ様子が中継されました。

つまり、同番組2度目の気仙沼登場です。番組がはまっているのはただの〈沼〉ではなく、〈気仙沼〉でしょう。おあとがよろしいようで。月曜夜、どうぞよろしく。
 

テーマ : 気仙沼
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tag : モーリー・ロバートソン アンジュルム 佐々木莉佳子

プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/69~70歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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