鮎貝家煙雲館庭園

11月18日(土)の三陸新報に、きれいな紅葉の庭園写真が掲載されていました。気仙沼の松岩地区(松崎片浜)にある「煙雲館(えんうんかん)庭園」が国の名勝に指定されるというのです。

煙雲館
三陸新報11月18日記事より


この話題は、同日に毎日新聞も配信していました。その記事を一部引用します。

「 国の文化審議会は17日、気仙沼市松崎片浜の「煙雲館(えんうんかん)庭園」を国の名勝に指定するよう文部科学相に答申した。
 煙雲館は仙台藩上級家臣、鮎貝氏の旧居館。気仙沼湾を望む小高い丘に建つ。庭園は江戸時代前期の寛文年間(1661〜73年)、仙台藩茶道頭を務めた石州流二代目、清水動閑(どうかん)により造られたとされる。池の周囲に園路が配置された池泉回遊式庭園で、大きな築山を囲む池泉、背景の樹木などで構成される。気仙沼湾の大島、岩井崎を借景とし、雄大な景観をつくり出している。東日本大震災では、津波が近くまで迫ったが、ぎりぎりで被災を免れた。」(引用は以上)

鮎貝家が、明治時代の国文学者で歌人の落合直文(なおぶみ)の生家であることは皆さんご存知のとおりです。落合直文の元の名は鮎貝盛光。国学者落合直亮の養子となり姓が変わりました。13歳ごろのことと思います。また、その弟で古代朝鮮の歴史や民俗の研究でも知られた歌人 鮎貝房之進(槐園(かいえん))も忘れてはいけないでしょう。二男が落合直文、三男が鮎貝房之進、長男の鮎貝盛徳は初代気仙沼町長で、2代目の松岩町長もつとめています。

三陸新報や毎日新聞の記事では、鮎貝氏を仙台藩上級家臣としています。これは、仙台藩(伊達氏)御一家筆頭のこと。直文らの父親である鮎貝太郎平盛房は、戊辰戦争において新政府軍との戦いにも参加しました。気仙沼市史には、「安政年間に洋式軍隊の調練をした大隊長で、戊辰の役でも活躍した」との記述があります。その後、松岩村の初代村長もつとめたようです。鮎貝家については、別の機会にまとめることにいたしましょう。

煙雲館は、気仙沼小学校時代の遠足で見学に行ったはず。しかし、情けないことに〈なんか庭を見たような〉記憶しか残っていないのです。今となれば、そのお庭などを是非とも拝見したいと思っているのですが、なかなかその機会が得られません。

煙雲館は、11月18日から26日(日)まで一般公開されています。入場は無料です。どうぞ皆様、江戸時代から300年以上の歴史をもつお庭などを是非この機会に。


なお、一般公開日以外の見学は事前に連絡が必要です。問合せ先などを以下に。

◎煙雲館
所在地:気仙沼市松崎片浜197
問合せ:電話0226-22-1318
館主 :鮎貝文子さん
時間 :9:00~16:00
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公立病院歴史写真

11月7日のブログで市立病院の歴史を記した後に、気仙沼市史を調べてみたところ、第4巻「近代 現代編」に公立病院開設の経緯が記されていました。本日はその内容を含め、公立病院の歴史に関する写真2点を紹介します。

まずは気仙沼市史の記述を要約します。明治13年5月に県立宮城病院の気仙沼分院として開設されたのが公立/市立病院の歴史の始まりです。病院は、藩政期に大肝入(おおきもいり)家であった八日町熊太家(跡地は現在の気仙沼郵便局付近)を借用しました(この肝入をつとめていたという〈熊太〉という家名はなんと読むのかはわかりませんが、松岩の古谷館(こやだて)八幡神社ゆかりの熊谷氏に連なる一族と思います)。明治19年12月、熊太家から旧小学校校舎(現在の市役所付近でしょう)へ、そして明治31年に、南町(以前の宮城バス案内所付近)に移転します。この場所は、新沼(にいぬま)家が無償で土地を使用させたとのことです。この南町時代の公立気仙沼病院の写真が市史に掲載されていました。

南町病院

気仙沼市史 第4巻「近代 現代編」より

この後、市史での公立病院関係の記述は、別項での田中への移転に関してのものとなり、南町から河原田への移転に関する経緯や河原田時代の写真掲載はありません。また、田中への移転年月を市史では、昭和38年7月としていました。これについて、先日の三陸新報記事は昭和39年5月、「気仙沼文化史年表」でも昭和39年5月1日としています。いずれも「病院百年史」を出典とした年月ですから、市史の記述が誤りでしょう。

河原田に気仙沼町外七ケ村組合病院として移転したのは、「気仙沼文化史年表」によれば昭和7年11月20日。この移転への経緯は、「目で見る気仙沼の歴史」(気仙沼ライオンズクラブ発行)に記されています。

見出しは〈前の公立病院〉です。菅野青顔さんが書いたと思われる説明文には、こうした独特の言い回しがあります。地元感があふれているところはご愛嬌といったところ。今となっては〈前の前の公立病院〉です。説明文を引用します。

「新沼家の土地にあった病院が大正の火事で焼けたので、現在の宮城バス案内所のところに新築した。 ところが、ここも昭和の大火で焼け、八日町の元小学校舎の仮病院にうつった。 その後、昭和7年、今の電々局のところに建てたのがこの病院。 気小の土をけずって公立の土地を造成した。ここにはハモニカ長屋があった。」引用は以上です。河原田にあった公立病院の写真を紹介します。

公立病院

「目で見る気仙沼の歴史」より


これは新築当時の写真でしょうかね。右方向が河原田の小さな交差点になります。私の記憶で言えば、大鍋屋別館を背にして撮った写真。さすがに外観の記憶はあまりありません。かなり古くなった木造というイメージだったのですが。なお〈大正の火事〉とあるのは、大正4年3月30日の大火でしょう。当時、新月村の村長が宮城県庁に〈ケセンヌマ カジマルヤケ〉(気仙沼 火事丸焼け)と電報を送ったほどの大火でした。また〈昭和の大火〉は、昭和4年2月23日の大火。これらについては次のブログで紹介しています。

2016年10月14日ブログ「大正の気仙沼大火」
2014年9月15日ブログ「昭和の気仙沼大火」

「目で見る気仙沼の歴史」の写真を紹介するつもりが、気仙沼市史に関連記述を見つけたために長くなってしまいました。〈熊太家〉〈新沼家〉、そして今となっては〈宮城バス案内所〉などについても説明が必要かもしれないのですが、それはまた別の機会に。なお、以上の公立/市立病院移転の沿革を整理しておきます。今週はこれにて。

◎明治13年5月
県立宮城病院気仙沼分局として気仙沼町八日町熊太家に開設
◎明治19年12月
熊太家から旧小学校校舎に移転
◎明治31年
南町(以前の宮城バス案内所付近)に移転
◎昭和7年11月20日
気仙沼町笹が陣(河原田)に移転
◎昭和39年5月1日
気仙沼市田中に移転し、全面開業
◎平成29年11月2日
新気仙沼市立病院外来診療開始

11月6日ブログ「市立病院診療開始」
11月7日ブログ「公立病院の歴史」

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共徳丸の「廃船」

雑誌「芸術新潮」9月号の頁をめくっていて「おっ」と目が止まりました。共徳丸か。

不染鉄
雑誌「芸術新潮」2017年9月号より

結論から申しあげれば違いました。〈幻の画家〉とも呼ばれた不染鉄(ふせん・てつ)の『廃船』という作品とのこと。

不染は明治24年に東京の浄土宗の寺の子として生まれました。紹介されている作品を見ると、日本画というカテゴリーを越えた自由な作風と画境を感じます。不染は23歳のときに伊豆大島にわたり、3年ほど漁師をするなどして暮らしました。生涯にわたって海や漁村を描いたそうです。84歳で亡くなっています。

紹介した作品『廃船』は78歳の頃の作品。雑誌の2頁見開きで見ると相当に大きな絵を想像しましたが、横幅は約1m。

気仙沼の鹿折(ししおり)地区にうちあげられた第18共徳丸が解体されたのはいつだったか。このブログ内を検索してみると、2013年10月28日に三陸新報の記事を紹介していました。第18共徳丸の解体作業が27日で終了したとの内容。〈崩れた擁壁の跡などが、そこに重量330トンの大型船があったことを物語るのみとなった〉。

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三陸新報2013年10月28日記事の一部イメージ(クリックでブログにジャンプ)

そうか、もう4年たつのか。解体は9月9日に開始されました。約2カ月かけてその姿が小さくなっていったのでしょう。

〈廃船〉と題された不染鉄の絵を見て、様々な思いや記憶を喚起する圧倒的な存在感をはなっていた第14共徳丸のことを、久しぶりに思い出したのです。

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ヱビスビールの縁

気仙沼市魚町の神明崎の恵比寿像復活に関する続報です。まずは11月7日の三陸新報の記事から。

11:7恵比寿

三陸新報11月7日記事の一部イメージ


サッポロホールディングスさんが11月6日、気仙沼湾神明崎三代目恵比寿像建立委員会に支援金530万円を贈呈したとの記事です。

当日は、同社の代表取締役会長である上條努氏がわざわざ気仙沼を訪れて、建立委員会の臼井賢志委員長に支援金を手渡してくださいました。

サッポロホールディングスさんは、恵比寿ガーデンプレイスで開催しているビヤフェスティバル「恵比寿麦酒祭り」での生ビール売上金相当額を、東北をはじめとする復興支援の寄付などにあてています。今回の恵比寿像復活支援金約530万円もその一環で、委員会による建設費募金活動における第1号の寄付となりました。

また、同社のニュースリリースによれば、〈恵比寿像の2019年度内完成に向けて、全国の恵比寿像ならびにヱビスビールファンの皆様に広くご支援いただけるよう、再建に向けた機運を盛り上げる取り組みを実施する予定〉とのことです。これも楽しみですね。

11月9日には、毎日新聞が恵比寿像再建に向けての動きを紹介していました。この記事の中でも、「復興支援を続けているサッポロホールディングスも「ヱビスビール」を販売する縁で協力する」との紹介がありました。

毎日新聞11月9日配信記事

ヱビスビールがご縁となってのサッポロホールディングスさんのご支援に、心からお礼を申しあげます。ありがとうございました。

9月27日ブログ「恵比寿像復活計画」 (三陸新報記事紹介)
10月18日ブログ「恵比寿像が持つ魚」(読売新聞記事紹介)
10月30日ブログ「河北の恵比寿記事」(河北新報記事紹介)

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内湾商店街復活へ

11月11日(土)、気仙沼市の南町紫神社前商店街(村上力男会長)と魚町内湾商店会(菅原隆文会長)が、グランドオープンしました。まずは11月10日の三陸新報の記事をご紹介します。

記事
三陸新報11月10日記事(クリックで拡大)

南町紫神社前商店街は、仮設の「南町紫市場」で営業してきた店舗などを中心に、災害公営住宅に併設された共同店舗と周辺の個別店舗で組織されています。共同店舗は22店舗のうち今回は15店舗がオープンするとのことです。一方、魚町内湾商店会は、災害公営住宅の1階に入居する3店舗と周辺の個別店舗4軒で組織されています。

記事の下には、両商店街の広告が掲載されていました。こんな感じ。なつかしい店の名がならんでいます。

広告
三陸新報11月10日掲載広告(クリックで拡大)

記事にある南町の商店街の写真ですが、どの方向から撮ったものかちょっと迷います。右端に写っているのが猪苗代病院でしょうか。そうすると、中央部が以前はマンボ通りがあったところなのかなあ。自信がありません。魚町の商店会のほうは、〈角星〉が写っていたので、方向がわかりました。手前にうつりこんでいるのは防潮堤の建設現場です。これからスロープのような形状へと工事が進むわけですが、背後の商店群とどのような関係となっていくのか、ちょっとわかりません。広告中の案内地図を拡大しておきます。クリックで拡大します。

地図

開店をこれから迎える店舗もあり、商店街としてはこれからの賑わい復活に期待していることでしょう。内湾商店街の復活を目指す多くの人の尽力によって、グランドオープンの日を迎えられたことはなによりのことです。南町そして魚町の関係者の皆様、おめでとうございました。

2016年8月9日ブログ「内湾の復興MAP」

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民俗芸能の集い2

10月28日の三陸新報に「けせんぬま民俗芸能のつどい」の紹介記事が掲載されていました。
10-28 伝統芸能
三陸新報10月28日記事

◎けせんぬま民俗芸能のつどい
日時:11月12日(日)午後1時〜
会場:気仙沼市民会館
記事に記載はありませんでしたが、入場無料のはずです。

この催しは、文化庁の「文化遺産を活かした地域活性化事業」として昨年から実施されており、2回目となる今年はつぎの4つの保存会が出演します。参考情報としてネット情報のリンクもはりました。

塚沢(つかざわ)神楽/八瀬(やっせ)
宿(しゅく)打ち囃子獅子舞/唐桑
要害(ようがい)七福神/大島
岩井崎明戸(いわいさきあけと)虎舞/階上(はしかみ)

なお、コメンテーターは、昨年と同じく気仙沼市魚町出身の東北大学災害科学研究所 川島秀一教授(気中21回生)です。

念のために昨年の出演内容を記しておきます。塚沢神楽は今年も出演します。

浪板(なみいた)虎舞/鹿折
神止(かどまり)七福神舞/唐桑
美和(びわ)太鼓/大島
塚沢(つかざわ)神楽/八瀬(やっせ)
大石倉(おおいしくら)打ちばやし/赤岩
早稲谷(わせや)鹿踊/八瀬
鮪立(しびたち)大漁唄込/唐桑
廿一(にじゅういち)田植踊/落合


以上が本題。最後に雑談を。11月8日、気仙沼の地域FM局「ラヂオ気仙沼」のツイートに、この集いの紹介がありました。催事名は「けせんぬま民族芸能のつどい」。民俗ではなく〈民族〉となっていたことをとても愉快に思ったのです。念のため〈けせんぬま民俗芸能のつどいですね。民俗。〉とツイートしたのですが、後で、ちょっとしたミスをあげつらうめんどくさいおじさんと思われたのではないかと反省。あくまで、〈気仙沼民族のつどい〉の楽しい語感が気に入っただけなのです、とこの場を借りて弁明を。

どうぞ皆様、12日(日)の午後は市民会館へ。気仙沼民族大移動(笑)

2016年11月9日ブログ「民俗芸能のつどい」

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tag : 気仙沼 気仙沼中学 けせんぬま民俗芸能のつどい

講師は生島淳さん

一般社団法人 気仙沼サポートビューロー(KSB)主催の第6回KSB復興フォーラムが11月24日(金)に東京で開催されます。今回は、気仙沼出身のスポーツライター・スポーツジャーナリストである生島淳さんを講師にお迎えします。

スクリーンショット(2017-11-09 10.46.19)
KSBサイトより(画像クリックでサイトにジャンプ)

◎開催日時
 11月24日(金)
 19:00〜21:30(開場18:30)
(受付は18:50までにお願いします)
◎会場
 赤坂ダイニング ままや
 東京都港区赤坂2丁目13−23 トミヤビル2F
 電話: 03-3584-8822
◎会費:5,500円(食事・飲み物込み)
◎定員:30名(申込み先着順)
◎お申込み
下記のKSBサイト内の申込フォームにて、あるいは、お名前・ふりがな・メールアドレス・生島淳さんへのメッセージ(ひと言)を記載のうえ、下記のアドレスにメールにてお申し込みください。
KSBサイト
メール宛先:forum@ksn-b.com

〈復興フォーラム〉というと堅苦しい感じですが、定員30名の小さな飲食店でおこなわれる〈生島淳さんを囲む会〉のようなものです。前回は直木賞作家の熊谷達也さんが講師でしたが、とても和やかな雰囲気で楽しめました。

生島淳さんの経歴などはサイトにも掲載されているのでそちらをご覧いただき、ここでは淳さんの2人のお兄さんと1人のお姉さんについて紹介しておきましょう。

長男の生島博(ヒロシ)さんは説明不要でしょう。私達よりひとつ上の気中19回生。二男の隆さんはヒロシさんも所属する(株)生島企画室の代表で気中24回生。三男の淳さんは気中36回ですから、私達より16学年下ということになりますね。そして博さんと隆さんの間に生まれた長女が喜代美さんです。気中22回生で、私は気中時代にベルマークの整理をしてくれていた姿を記憶しています。淳さんは、震災の津波で亡くなった喜代美さんのことについて、2015年の第3回「気仙沼さんま寄席」の開催にあたって寄稿した文章のなかでも触れています。私はこの文章にとてもしみじみとしたものを感じました。是非お読みいただければと。

「気仙沼さんま寄席」生島淳さん寄稿文

開催案内のなかで生島さんは〈東京暮らしの時間が長くなってしまった人間の、気仙沼との「距離」について考えていきたいと思います〉と書いていました。11月24日は、同じ思いをもつ人たちの集いとなるのでしょう。会場でお待ちしております。

2011年11月29日ブログ「生島淳さんの本」

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「うを座」発表会

11月12日(日)に気仙沼の演劇塾「うを座」の発表会があるのでご紹介。まずは案内チラシから。

うを座

◎気仙沼演劇塾「うを座」発表会
11月12日(日)2回公演
午前の部11:00〜、午後の部2:00〜
(開場は開演30分前)
場所:気仙沼ホテル観洋 ベルサイユの間
料金:1000円(税込)
チケット取扱店:御誂京染たかはし、双葉保育園、めん八珍
問合せ:うを座/事務局070-2433-3431
うを座Facebook

演目は、「SNOWGOOSE(スノーグース)」と「虎斑猫の譜(とらねこのふ)」。いずれも脚本は壌晴彦さんで森一馬さんが演出します。

「スノーグース」を調べてみたのですが、ポール ギャリコ原作のお話でしょうか。もしそうだとすれば、灯台小屋に住む孤独な男と少女のひそやかな心の交流を描いた作品とのこと。チラシの絵を見ると、グースはガチョウというよりも雁(がん)かな。白雁。そして、絵にも描かれているヨットは物語の最後に登場するようです。渡り鳥であるスノーグースはどこに向かうのでしょうか。年をとるにつれ涙腺がゆるくなってきた私などは、劇のラストでたぶん泣くでしょう。あくまで原作にまちがいがなければですが。

「虎斑猫の譜」は、気仙沼大島に伝わる民話のようです。チラシに描かれているのは〈亀山〉でしょうか。〈譜(ふ)〉というからには、亀山に暮らしていた、とら猫一族の物語か。手元にある「気仙沼大島の民話・伝説」を調べてみましたが、猫の話を見つけることはできませんでした。北斎漫画を思わせる猫の踊りはどんな意味があるのでしょう。亀山のマツタケでも食べて〈おだっている〉のか(笑)。

この公演の主催はもちろん演劇塾うを座ですが、つぎの団体が協賛、助成くださっています。その名を記すとともに、心からお礼をもうしあげます。

協賛:仙台レインボーロータリークラブ、大阪リバーサイドロータリークラブ、大阪西ロータリークラブ
助成:公益社団法人「企業メセナ協議会」GBFund芸術・文化による災害復興支援ファンド

「うを座」(鈴木恒子座長)は、1998年に旗揚げして子供ミュージカル劇団として活動してきましたが、来年に劇団創立20周年を迎えるのを機に大人を加えた〈市民劇団〉として活動を始めています。その新しい〈うを座〉の舞台を、一人でも多くの皆様にご覧いただければと。どうぞよろしく。

昨年の発表会「泣いた青鬼」については、次のブログにて。

2016年10月24日ブログ「青鬼、なぜ泣くの」

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tag : 気仙沼 気仙沼中学 うを座

「公立病院」の歴史

きのうのブログで紹介した三陸新報11月2日の記事には、市立病院の沿革が掲載されていました。

病院沿革
三陸新報11月2日記事より

この沿革から主要事項を抜粋し、一部を補足して紹介します。

◎明治13年5月
宮城病院気仙沼分局として気仙沼町(現気仙沼市八日町)に開設
◎明治17年10月
宮城病院の廃止に伴い、本吉郡立気仙沼病院となる
◎昭和7年11月
気仙沼町笹が陣(河原田)に新築移転
◎昭和28年6月
1市5村(気仙沼市、唐桑村、大谷村、階上村、新月村、大島村)の組合病院となる
◎昭和30年4月
1市2町(気仙沼市、唐桑町、本吉町)の組合病院となる
◎昭和39年5月
気仙沼市田中に新築移転。公立気仙沼総合病院に改称する
◎平成18年3月
気仙沼市、唐桑町の合併で気仙沼市立病院となる
◎平成22年8月
市が新病院の基本構想・基本計画を策定
◎平成26年9月
新病院新築移転工事着手
◎平成29年4月
新病院完成
◎平成29年11月
新病院外来診療開始

昭和28年から昭和39年までに〈組合病院〉という言葉が登場します。気仙沼市単独の市立病院ではなく、あくまで1市5村や1市2町で構成する組合による病院経営だったということでしょう。しかし、昭和27年3月生まれの私は〈組合病院〉という呼称を聞いたことがありませんでした。

私達の世代にとっては小さな頃から〈公立病院〉です。さらに略して〈公立〉。〈どごさ行ぐの?〉と問われて、〈公立さ/公立病院へ〉みたいな(笑)。

その〈公立〉は、河原田(かわらだ)の今は(小さな頃に電話局と呼んでいた)NTTが建っている場所にありました。入口に向かう左付近には〈大鍋屋旅館〉の別館があったと思う。病院のちょっと奥に入ったところには、2階への階段ではなく、板張りのなだらかなスロープがあったように記憶しているのですが。

この河原田時代の公立病院の写真がないかと思い、「目で見る気仙沼の歴史」を開いてみたら、ちゃんと紹介されていました。これについてはあらためて紹介することにしましょう。本日は〈公立病院〉という名の懐かしさのみ記して、おしまいにします。

11月6日ブログ「市立病院診療開始」

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市立病院診療開始

新気仙沼市立病院の外来診療が11月2日に開始されました。地元の方々はすでにご承知のことですが、気仙沼を離れている方のために三陸新報の記事をご紹介。

市立病院

三陸新報11月2日記事の一部イメージ(クリックで拡大)


この記事の写真では駐車場の様子がわからないので、10月23日のブログで紹介した三陸新報の記事写真を再掲しておきましょう。

9:14市立病院空撮
三陸新報9月14日掲載記事(クリックで拡大)

市立病院の歴史は、明治13年5月に気仙沼町(現気仙沼市八日町)に開設された宮城病院気仙沼分局に始まるといいます。その気仙沼町は、周辺の村や町と合併して現在の気仙沼市となりました。その発展の歴史とともにあった市立病院の新たな歩みがいま始まったということでしょう。

多くの人の努力で、2年8カ月の工事を経て、この日を迎えられたことを皆さんと共に祝したいと思います。新病院の診療開始、おめでとうございました。

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写真集団「鼎」展

リアス・アーク美術館で開催中の「新!方舟祭」について、10月28日のブログで〈基本のキルト展〉を紹介しましたが、11月1日の三陸新報に、つぎの広告が掲載されていました。


鼎
三陸新報11月1日掲載広告


◎写真集団「鼎(かなえ)」第36回写真展
リアス・アーク美術館 圏域ギャラリー④
11月2日(木)〜5日(日)
9:30〜17:00(入館は16:30まで)

この写真展を紹介したのは、出品者のなかに気仙沼高校の同級生だった藤野茂康君の名前があったため。私は、ツイッターにときおり投稿される藤野君の写真をとても楽しみにしているのです。震災前の気仙沼の風景に加え、最近ではその後の様子なども。

藤野君は、鹿折中学出身でした。高校のときは魚町の我が家の前を自転車で駆け抜けていったのをおぼえています。地学部で天体観測などもやっていたはず。佐々木徹君(気中3年1組)などもメンバーだった地学部のいわば〈天体班〉です。

写真集団「鼎」の名は、三陸新報の紙面でよく目にします。佐々木徳朗さんのお名前などは特に多いように感じます。このブログでも紹介した覚えがあるなと思い、ブログ内検索をしてみたら、2015年12月7日の記事にその名がありました。

2015年12月7日ブログ「表参道での写真展」

東京の表参道で開催された写真展「震災をこえて…海と山とわたしの家族」についてです。佐々木さんの義父が撮影した大正末期から昭和初期までの家族写真のほか、佐々木さんをはじめ「鼎」のメンバーが震災後に撮影した家族写真など約100点が展示されました。私も足を運びましたが、2年前のことになるのですね。

そして、この記事を書いている途中で驚いたことがあります。11月2日の三陸新報に、「新!方舟祭」の最終展示や発表内容を伝える小さな記事があったのですが、そこには「鼎」の写真展などと並び、上記の表参道の写真展を企画してくれた青山学院大学総合文化政策学部黒石いずみ教授の研究室による映像作品上映会も記されていたのです。いやはや驚いた。

◎青山学院大学黒石研究室映像作品上映会
「気仙沼を支える想い」
11月3日(金)〜5日(日)
①午前11時②午後2時の2回上映

9月28日から様々な展示や発表がおこなわれてきた「新!方舟祭2017」も11月5日(日)で終了です。気中や気高の同級生ふたりが関係する展示会しかご紹介できませんでしたが、ほかにも多くの同級生の作品が発表されていたことでしょう。日々の忙しい暮らしのなかにあって、なにかしらの表現の時間が持てるというのは本当に素晴らしいことだなと感じております。お時間の都合がつく方はどうぞおでかけください。

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みなとでマルシェ

震災前には、気仙沼市港町で〈日曜朝市〉が開かれ、多くの市民に愛されていました(とはいえ、私は東京で暮らしているので一度も行ったことがないのですが)。そのにぎわいをとりもどそうと企画された〈気仙沼みなとでマルシェ。〉が11月4日(土)に、旧朝市広場隣を会場にして開催されます。



同イベント公式Facebookより


◎気仙沼みなとでマルシェ。
11月4日(土)午前7時〜午後1時
旧朝市広場隣(港町503-1付近)

この催事のきっかけは、2015年5月30日の第3回〈気仙沼さんま寄席〉の関連イベントとして翌日の31日に開催された〈みなとでマルシェ。〉です。主催は〈気仙沼つばき会〉さん。その後、これを定期的に開催しようということで、つばき会のメンバーや気仙沼観光コンベンション協会の関係者有志で実行委員会が組織され、新たな〈気仙沼 みなとでマルシェ。〉の第1回目が今年8月13日に開催されました。11月4日の開催は第2回目にあたります。

案内チラシを見ると、地元魚介焼き、炭火焼BBQ、気仙沼ホルモン、天然酵母パンのほか、タイマッサージやミニボーリングなどもあるようです。そのほか、小物や雑貨、地元産の旬のものがたくさんならびます。〈フィンランドサウナ〉とあるのは、〈気仙沼のほぼ日〉6周年の企画で気仙沼にやってきた移動式サウナ〈サウナトースター〉でしょうか。このサウナ、本日2日は唐桑の鮪立(しびたち)の民宿〈つなかん〉前で大活躍していました。その様子は〈ほぼ日〉の特設サイトのテキスト中継でも紹介されています。

この〈みなとでマルシェ。〉は、市民有志とボランティアの皆様によって運営されています。連休中の土曜日4日、皆さんもどうぞ港町の旧朝市広場隣におでかけくださいますように。

2015年5月29日ブログ「みなとでマルシェ」

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6周年/感謝の日

きょう11月1日、〈気仙沼のほぼ日〉さんが6周年を迎えられました。できてからちょうど6年が経ったのです。まずは、おめでとうございます。そしてそれよりもなによりも、これまで本当にありがとうございます。

◎「気仙沼のほぼ日」6周年

糸井重里さんが10月31日のツイッターでつぎのように語っていました。「11/01は、「気仙沼のほぼ日」ができて6周年の日。最初は1年とか2年でスカッとたたむと言ってたけど、まだまだ続くよ。今夜、ぼくも気仙沼に入ります」と。

〈気仙沼のほぼ日〉は2011年11月1日に、〈ほぼ日刊イトイ新聞〉の気仙沼支社的な活動としてスタートしました。当初は2年間ということだったと思います。「気仙沼のほぼ日」サイトの〈「気仙沼のほぼ日」とは?〉には、2011年10月末の糸井さん〈談〉として、つぎの内容が記されています。「(前略)つまり、2013年11月1日まで、2年間。そこまで続けて、理想的なことをいえば、自分たちが続けてきたものを「居抜き」の状態で残していきたい。できれば、「ありがとう」って言われるようなものをつくって、置いていきたい。そんなふうに考えています。」(引用は以上)

そして2013年の11月には、さらに2年間の活動延長を発表し、その期限2015年11月を過ぎても活動を継続してくれていたのです。

◎ほぼ日さんの善意

私は2015年10月30日のブログで、4周年を迎える〈気仙沼のほぼ日〉さんについてつぎのように書きました。今でも同じ気持ちを感じていますので、引用します。

「いまでは気仙沼にすっかりとなじんで、ある意味〈あってあたりまえ〉の存在となった〈気仙沼のほぼ日〉。その運営には当然のことながらお金が必要ですが、なにか収益を生む事業を直接てがけているわけではなく、〈ほぼ日〉さんの善意によって支えられているといってよいでしょう。これから気仙沼は、そのご支援を手がかりにしつつも、けっして甘えることなく、自立的な復興と新しい町づくりをめざしていかなければならないと感じております。」(自ブログ引用は以上)

2年前には〈ほぼ日さんの善意〉と書きましたが、今は〈株式会社ほぼ日〉となり、糸井代表をはじめとする経営陣は株主に対しての説明責任を負っています。〈気仙沼での活動は今後の収益に対してどれだけ寄与するのか〉との問いに答えなければなりません。直接的な問いかけはなくとも、経営者はいつでも答えられるように自問自答していることでしょう。それだけに、糸井代表取締役の〈まだまだ続くよ〉とのメッセージを非常に重く、とてもありがたいことと感じるのです。

◎ホカホカの6周年 テキスト中継

きのう31日、〈ほぼ日〉に新しいコンテンツができていました。

サウナ

ほぼ日/気仙沼のほぼ日 ホカホカの6周年サイトより(画像クリックでサイトにジャンプ)

移動式サウナが唐桑にやってきたり、いろんなことが計画されているようです。そんな10月31日から11月2日までの出来事が写真とテキストで中継されます。テーマがいいですね。〈ともだちになれてありがとう〉。気仙沼から、そして気仙沼へという二重の意味が込められているのでしょう。お互いにありがとうと思える関係が気仙沼という場を介して生まれているとすれば本当にうれしい。この中継は2日まで随時更新されていきますので、是非ご覧くださいますように。

最後にあらためて、糸井重里さんはじめ〈ほぼ日〉関係者の皆様の6年間にわたるご支援に気仙沼出身者のひとりとして心からお礼を申しあげます。ありがとうございました。まだまだ〈居抜き〉で去ることができない状況ということかもしれませんが、どうぞこれからもよろしくお願いいたします。

2015年10月30日ブログ「ほぼ日さんに感謝」
2017年10月27日ブログ「ほぼ日さんの種子」

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笹団子や粽の記憶

明日はもう11月。本日は、あわてながらの10月の話題です。下の写真は、10月14日に東京から仙台に向かう新幹線で手にとった車内誌「トランヴェール」10月号です。

笹団子

JR東日本「トランヴェール」2017年10月号表紙


表紙のリアルなイラストレーションは、越後名物の笹団子。4月10日のブログで私はつぎのように書きました。

〈柏崎から仙台に向かう高速道路のパーキングエリアでは、土産に笹団子を購入。私が小学生のころ、季節になると柏崎の祖母がたくさんの笹団子とチマキを送ってくれたことを思い出しました。祖母にとって、娘や孫が暮らす気仙沼はどんなにか遠い場所だったことでしょう〉

笹団子は今も新潟土産として駅などでも広く売られていますが、チマキ(粽)は見ないなあと思っていました。しかし、そのチマキに関する記述が「トランヴェール」のなかにあったのです。

〈昔の人にとって、笹団子は保存食ではなく、信仰食でした。水害や飢饉で越後の農民は満足に米を食べることができなかった。でも端午の節句は、正月やお盆と並ぶハレの日で、家族総出で作った三角粽(チマキ)や笹団子を食べていました〉(引用は以上)


 ちまき

写真にうつるチマキも、私の記憶と一致します。チマキには笹団子と違って小豆あんが入っているわけではありませんから、おやつという感じではありませんでしたね。現代の土産として残っていないのもそれが理由でしょう。

そんな記事を読んでいた車中で兄から母が逝ったとの知らせを受け取りました。東京から〈はやぶさ〉で1時間半。祖母が送ってくれた笹団子やチマキをまだ若かった母はどんな気持ちで味わったのだろうかなどと考えているうち、あっという間に仙台に着いたのです。

4月10日ブログ「柏崎市での一周忌」

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河北の恵比寿記事

気仙沼市魚町の神明神社(お神明さん/五十鈴神社)境内下にあった恵比寿像の復活については、これまで三陸新報と読売新聞の記事を紹介してきました。本日紹介するのは、10月27日(金)の河北新報配信記事。

河北記事

河北新報10月27日配信記事より(クリックで元記事にジャンプ)


記事内容は、先行2紙とほぼ同様ですが、初代の恵比寿像の写真が掲載されていたこと、そして2代目恵比寿像の建立年を1988年としていたことが注目点でしょう。10月18日のブログで書いたように、三陸新報は1988年12月、読売新聞は1989年と食い違っていたのです。

また、三陸新報記事で伝えられていた〈3代目の恵比寿像には鯛ではなく鰹を持たせる〉という話が河北記事にも登場していました。読売記事にはその話がなく、私はホッとしていたのですが。

〈計画によると、3代目は初代、2代目より15cm高い1m65cm。えびす様が釣る魚は2代目までのタイから、気仙沼市が水揚げ日本一を誇るカツオに変わる〉(引用は以上)

「3代目えびす像建立委員会」は、気仙沼商工会議所や漁業関係者らが中心となって構成されています。会長は、商工会議所名誉会頭の〈臼福〉臼井賢志さん。河北新報記事の最後に臼井会長の言葉が紹介されていました。

「かつて漁師が手を合わせて大漁と安全を祈願したおえびすさんの復活は、気仙沼市民みんなが待ち望んでいる」「復興の象徴でもあり、内湾地区の観光スポットとして話題になるだろう」

ここまで話が進んでいるのであれば、タイがカツオになってもしかたがありません。恵比寿さまとて、タイを釣るつもりがカツオがとれたということもあるでしょう(笑)。また、生鮮カツオ水揚げ20年連続日本一の気仙沼ですが、このところのカツオの不漁は、恵比寿頼みにならざるを得ないほどのものということなのだろうと。

三陸新報記事の紹介ブログでも記しましたが、今回の3代目恵比寿像の建立計画は、「ヱビスビール」のご縁でサッポロホールディングスさんのご支援を得ています。重ねての御礼を申し上げます。なお、9月27日のブログでは三陸新報の記載をそのまま引用し「サッポロビールホールディングス」と誤記してしまいました。正しくは、サッポロビール(株)を事業会社のひとつとする持株会社「サッポロホールディングス」さんです。大変失礼いたしました。

9月27日ブログ「恵比寿像復活計画」(三陸新報記事紹介)
10月18日ブログ「恵比寿像が持つ魚」(読売新聞記事紹介)

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ほぼ日さんの種子

〈漁師カレンダー〉に続き、〈気仙沼つばき会〉関連の話題です。

10月22日(日)は、気仙沼市魚市場で〈気仙沼市産業まつり〉と〈市場で朝めし。〉が同時開催されました。台風が接近し雨のなかの開催となりましたが、朝早くから多くの人が訪れ大盛況だったようです。コヤマ菓子店の小山裕隆さんのブログに沢山の写真が掲載されていました。裕隆さんらの〈気楽会〉も実行委員会の主要メンバーです。荒木容子さん(3年10組)らしき人がうつっている写真もありました。目黒のさんま祭と同じく、さんまのつみれ汁担当だったのでしょう。画像をクリックするとサイトにジャンプします。

市場であさめし

裕隆さん10月23日ブログより

〈市場で朝めし。〉は、2013年9月29日にはじめて開催されました。第2回〈気仙沼さんま寄席〉の関連催事として〈気仙沼つばき会〉の皆さんらによって企画されたと思います。各地からさんま寄席のためにわざわざ訪れてくれる方々を気仙沼らしい催しで迎えたいということだったでしょう。

しかし、どれだけ多くの人が集まってくれるのだろうかと、関係者の皆さんは不安だったようです。〈ほぼ日〉の糸井重里さんもその当事者のひとり。しかし、その心配は杞憂でした。とても多くの人が集まってくれたのです。

そして今年は5回目。つばき会のメンバーのひとり〈斉吉商店〉斉藤和枝さんが会場の様子を伝えるツイートに対して、糸井さんはつぎのように返信しています。〈この催し、完全に根っこを生やしてますね!最初の回の不安と期待を、いまもよく思い出すもんな。人混みに、ぼくらは泣かされてしまったっけ〉〈地元が考えて、地元の力を集めた「市場で朝めし」だもんねー。まだまだ育つよね! 〉。

〈ほぼ日〉さんが蒔いた種子を、気仙沼の人たちがしっかりと育ててくれていることを心からうれしく感じたのだと思います。自分たちはあくまで〈種を蒔く人〉だと。この初回〈市場で朝めし。〉については、つぎのブログでも書きました。

2013年9月30日ブログ「さんま寄席大盛況」

「市場で朝めし。」実行委員会の皆様、そしてこの催事の種子を蒔いてくれた糸井さんはじめ〈ほぼ日〉の皆様にお礼を申しあげます。ありがとうございました。

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「基本のキルト展」

10月25日の三陸新報にこんな広告が掲載されていました。

キルト展
三陸新報10月25日掲載広告

◎基本のキルト展
リアス・アーク美術館 圏域ギャラリー
10月26日(木)〜29日(日)
9:30〜17:00

キルトスタジオ「フウ」を主宰する臼井房恵さんは、私達の一年上の気中19回生。震災前は魚町の私の実家近くで教室を開いていましたが、震災の津波で被災。長期にわたって収集してきた資料や布などの材料もそのほとんどを流失したと聞きました。

そして出品者名のトップに、のんちゃん/臼井典子さん(3年1組)の名がありました。うを座やフェンシングなどの活動のお手伝いをしているのを知っていましたが、キルトもやっているのか。典子さんのご主人は、臼井真人君(2組)の弟さんですから、魚町のご近所として小さい頃からよく知っています。キルトスタジオ「フウ」の名を見たら、そんなこんなを思い出し、広告紹介とあいなりました。6年たって、こうしてキルト展をみんなで開くまでになっているのだなと。

「方舟祭」はリアス・アーク美術館が、芸術活動の発表の機会を広く提供しようと2003年から続けている文化祭です。昨年から一部の仕組みを変更し「新!方舟祭」としてリニューアルしたそうです。今年の会期は9月28日から11月5日(日)まで。

同美術館の方舟祭のサイトを見ていたら、美術館内のレストラン「夢の舎」の期間限定メニュー〈方舟弁当〉が目にとまりました。



これは、ノアの方舟にならって次代に継承したい弁当のおかずを取りそろえたのでしょう(笑)。数量限定ということですが、880円でこの内容はなかなかではないかと。キルト展のついでに是非。あるいは、お弁当のついでにキルト展も是非。ということで、どうぞよろしく。

2015年5月28日ブログ「のんちゃんとの話」

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「漁師カレンダー」

震災後、第4回目となる〈気仙沼漁師カレンダー〉2018年版の販売が10月5日に開始されました。



つばき会/漁師カレンダー販売サイトより(クリックでジャンプ)


今年の写真を担当したのは、竹沢(たけざわ)うるま さん。私はこれまで存知あげなかったのですが、ネット上で作品を拝見するとすばらしい写真をたくさん発表されています。

ネット情報を総合すると、竹沢さんは同志社大学法学部在学中、ダイビング部に所属しましたが、そこで沖縄の海に魅せられて写真をはじめました。写真作家名の〈うるま〉は、沖縄の方言でサンゴの島のこと。そして卒業後、ダイビング雑誌「ダイビングワールド」の撮影スタッフを経て独立。130カ国以上を訪れて、その土地と人を撮り続けています。

漁師カレンダーの写真家の選択にはいつも驚かされ、感心してきましたが、今回も同様です。竹沢うるまの起用について、これまでの作品や経歴をふまえていえば、〈ナショナルジオグラフィック〉の流儀で気仙沼の漁師の世界を写し撮ったという感じでしょうか。

漁師カレンダーを企画/プロデュースしているのは、〈気仙沼つばき会〉さんです。10月21日の三陸新報には、来年1月のカレンダー部分を開きながらの高橋和江会長の写真と共にその発売が紹介されていました。

記事によれば、竹沢うるまさんは昨年11月と今年2月に気仙沼を訪れ、小舟で沖に向かう漁師、防舷材(三陸新報の記事では防弦材となっていましたが誤植でしょう)を扱う乗組員、機関室で働く漁師、ワカメのボイル作業に精を出す沿岸漁業者などを撮影したそうです。また、気仙沼物産と一緒にお歳暮として贈ったり、震災後の支援へのお礼用に購入する人も多いと。

これまで撮影を担当された写真家の方々は、2014年版/藤井保さん、2016年版/浅田政志さん、2017年版/川島小鳥さんと、まさにそうそうたる方々。そして今回2018年版が竹沢うるまさんです。サイトに紹介されたカレンダー表紙/カバー写真やデザインを見てもかなり期待できます。各月写真が楽しみですね。

2013年11月に第1回目の漁師カレンダー2014年版が、藤井保さんの写真、サン・アドさんのデザインであることを知ったときには本当に驚きました。2015年は休止しましたが、その後に継続して4回目2018年版の発行を実現したということは本当にすごいこと。ご購入くださった皆様のおかげであることはもちろんのことですが、つばき会をはじめとする関係者の皆様のご努力には本当に敬服します。今年は3700部作成とのことですが、作成部数の設定をはじめ、今後の継続を見越した計画の立案にあたってはいろんな議論や葛藤があったことでしょう。

このカレンダー、ネットから注文できますが、気仙沼市内では海の市2階の気仙沼観光コンベンション協会などでも販売しています。販売価格は税別1500円(税別)ですが、上記記事によれば、企業などへの卸売として10部以上のまとめ購入は1部1200円。名入れは1320円から。問合せは気仙沼つばき会事務局の千葉万里子さん(電話070-5628-9438)まで。

どうぞよろしく。

2013年11月8日ブログ「漁師のカレンダー」

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KSS42&岡本優子

10月14日にツイッターを見ていたら、岡本優子さんのインスタグラム投稿が目にとまりました。〈気仙沼の人たちの会にお呼びいただき、演奏させていただきました〉とのコメントと、後にうっすらとうつる人たちからただよう雰囲気で、〈KSS42〉の集まりとすぐにわかりました(笑)。

岡本優子1
岡本優子INSTAGRAM10月14日投稿(クリックでジャンプ)

〈KSS42〉は〈昭和42年中学卒気仙沼・仙台三陸会〉。私たち気仙沼中学20回生をはじめ、仙台や三陸地域の同年会です。10月14日に仙台のダイニングバー〈ジャズ・ビレバン〉で、岡本優子さんのライブを含む秋季懇親会が開かれたのです。

ジャズピアニストの岡本優子さんは、私たちの一年先輩で〈岡本製氷〉代表である岡本寛さんの娘さんです。ボストンのバークリー音楽大学卒業後はニューヨークに活動拠点を移しましたが、3年ほど前に帰国して仙台を中心に演奏をおこなっています。今年3月、東京・目黒での復興支援コンサートでの演奏については、つぎのブログでも紹介しました。

3月6日ブログ「気仙沼アーチスト」

優子さんは上で紹介した写真に加え、翌日15日にもう一枚のカットを投稿していました。記念写真ということでしょう。右側手前にうつっているのは、東京から参加したイオンの村上教行君です。

岡本優子2
岡本優子INSTAGRAM10月14日投稿(クリックでジャンプ)

これら2枚の写真に添えられた優子さんのコメントがいいですね。〈気仙沼の皆様とのご縁、本当に有り難いです。優しさとあたたかさに感謝〉〈仙台にいても気仙沼を感じ ほっこり気分〉。私も写真をながめ、ほっこりとしております。岡本優子さん、ありがとうございました。

懇親会については、KSS42のサイトで詳しく紹介されています。こちらもご覧ください。

KSS42サイト/懇親会紹介頁
同サイト/ホームページ

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tag : 気仙沼 気仙沼中学 岡本優子 KSS42

新市立病院が落成

今は23日(月)の午前11時ですが、東京の渋谷近辺は風は強いものの青空です。気仙沼の台風の被害などが出ていないか心配しているところです。

きのう10月22日(日)には、新しい気仙沼市立病院の落成式典が予定どおりおこなわれました。新病院の落成までには様々なご苦労があったことと思います。関係者の皆様に敬意を表すとともにお祝いを申しあげます。

市内赤岩杉の下に完成した新病院については、4月のブログでもお伝えしました。その記事では、工事が完了した病院の外観や、駐車場などの工事が進む様子の空撮写真を紹介しました。本日は、それらの工事がほぼ終わった全体の姿を紹介させてもらいます。

9:14市立病院空撮
三陸新報9月14日掲載記事(クリックで拡大)

これは、三陸新報のシリーズコラム記事〈空から復興眺める〉の一枚。市内松崎柳沢の小野寺晶さんがモーターパラグライダーから今年7月撮影した写真です。このシリーズの写真はみな素晴らしい。

駐車場の広さやヘリポートが印象的です。3月3日の三陸新報によれば、当初は無料駐車場の収容台数は668台で計画されていましたが、これを730台に増やしたとのことです。車利用者の多さとその利便性を考慮したのでしょう。

なお、多くの市民が待ち望んだ新病院での外来診療は11月2日からとのことです。どうぞお出かけくださいますようにというとおこられちゃうか(笑)。

4月26日ブログ「新市立病院が完成」

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tag : 気仙沼 気仙沼中学 新市立病院

日曜は市場で朝飯

10月22日(日)には、気仙沼市魚市場で地域最大の物産展〈気仙沼市産業まつり〉が開催されます。また、5回目となる〈市場で朝めし。〉も同時におこなわれます。

◎気仙沼市産業まつり

産業まつり

「気仙沼市産業まつり」は今年で33回目。昨年に続き「水揚げ日本一!気仙沼メカジキ鍋」では、気仙沼産メカジキを使用した鍋を先着1000名にお振舞い。さらに地場産品などが当たる大抽選会なども開催されます。

期日:10月22日(日)
時間:午前9時~15時
会場:気仙沼市魚市場

◎市場で朝めし。

市場で朝めし

このイベントは今年で5回目。第1回目は〈気仙沼つばき会〉が企画して〈さんま寄席〉の日2013年9月29日に開催されました。今年も、炭火焼きさんま、すり身汁、ご飯のセットが提供されます。

期日:10月22日(日)
時間:午前8時~13時
前売券はポスター記載の市内各所にて

◎朝めしセット
炭火焼きさんま+さんますり身汁+新米ご飯(南三陸米ひとめぼれ)
前売券 600円(当日券700円)
・旬のお刺身、飲み物、お酒、オリジナルグッズも販売

以上ふたつの会場はこんな感じです。(クリックで拡大)

会場図

このイベントは例年、大勢のお客様でにぎわいます。ご都合のつく方は是非おでかけください。

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森山良子のえん旅

本日はテレビ番組のご紹介です。著名な歌手やタレントなどが東北を応援し、その魅力を再発見するNHK BSプレミアムの「きらり!えん旅」。10月24日(火)は、歌手の森山良子さんが気仙沼を訪れます。

えん旅

番組ホームページより(クリックでジャンプ)


◎ぶらり!えん旅~森山良子 宮城・気仙沼市へ
NHK BSプレミアム
10月24日(火) 午後11:00〜11:30
再放送 2017年10月31日(火) 午前6:00〜

番組紹介文を引用します。

気仙沼市は震災で亡くなった方、行方不明者合わせて1,356人に上り、町を支える水産業も大きな被害を受けました。森山良子さんが訪ねたのは9月中旬。気仙沼ならではの珍味「もうかの星」に舌鼓(皆さん、何だと思いますか)。被災した昭和のクラシックカー復活に気仙沼復興の願いを重ね合わせる男たち。子育てしながら働ける場所を作り上げた女性たち。旅の最後に森山さんはコンサートを開きヒット曲を熱唱しエールを送りました。(引用は以上)

昭和のクラシックカー復活というのは、〈ミゼット〉のようです。子育てしながら女性が働ける場所というのは、気仙沼市落合の〈廿一(にじゅういち)〉地区にあるNPO法人ピースジャムでしょう。近くのツリーハウス〈MERRY〉も紹介されるようです。

来週火曜日10月24日の午後11時から。是非ご視聴ください。

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恵比寿像が持つ魚

10月14日の読売新聞夕刊に、気仙沼の神明崎にあった恵比寿(えびす)像再建に関する記事が掲載されていました。別記事〈LENS被災地発〉と共にご紹介。

えびす像

読売新聞10月14日夕刊より


記事内容は、9月27日のブログで紹介した三陸新報記事と同様でしたが、2代目の恵比寿像の復活年月に違いがありました。初代の恵比寿像は1932年(昭和7)に建立されるも1943年には太平洋戦争の弾丸用に供出されました。ここまでは2紙とも同じ内容。しかし、2代目の復活を読売新聞では1989年(昭和64あるいは平成元年)としているのに対し、9月23日の三陸新報は1988年(昭和63)12月に建立としています。

像の完成日と儀式挙行日の違いでしょうか。いずれにしても、恵比寿像の沿革として明確にして欲しいところです。いつもの〈気仙沼文化史年表〉には記述がありませんでした。

もうひとつ、おやっと思ったことがありました。三陸新報記事にあった、建立委員会委員長 臼井賢志さんの「3代目にはカツオを持たせたい」との話が読売記事にはありませんでした。〈委員会は初代、2代目の姿を踏襲して復元する考えだ〉と。以前と同じように鯛を持たせる方針となればうれしいのですが。

前のブログには書きませんでしたが、恵比寿像にカツオを持たせるという考えには賛成できません。神像や仏像などには衣から持ち物にいたるまで、守らなければならない〈約束事〉があります。もしカツオを持たせたら、恵比寿に似て非なるものになるのではとのおそれを感じるべきでしょう。

ウィキペディアの〈えびす信仰〉記述のトップには神明崎の2代目恵比寿像の写真が掲載されています。代表的な恵比寿像ということでしょうか。もし3代目にカツオを持たせたいという意見が多くあれば、魚町出身で漁労文化、民俗に詳しい東北大学教授川島秀一さんに相談してみてはいかがでしょう。強く反対すると想像しています。駅前におく観光シンボル像とは違いますよと。

9月27日ブログ「恵比寿像復活計画」

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武山櫻子ライオン

本日は久しぶりに同級生の話題。10月5日の三陸新報の記事を紹介します。

10:5ライオンズ
三陸新報10月5日記事の一部イメージ

気仙沼ライオンズクラブが、新気仙沼市立病院に大型テレビを寄贈してくださいました。同クラブは昨年、創立55周年を迎えましたが、その記念事業の一環としての寄贈とのこと。ありがとうございました。テレビは1階の待合室「うみねこモール」に置かれ、外来がスタートする11月2日から見ることができるそうです。

私が驚いたのは、気仙沼ライオンズクラブの会長として〈武山櫻子〉さんの名が記されていたこと。武山美加(みゆき)さん(3年9組)です。〈櫻子〉(おうし)は、書家としての雅号。写真の左端が武山会長、そして順に幹事の後藤かおるさん、会員の斉藤英敏さんです。

気仙沼ライオンズクラブの結成55周年記念事業のひとつが、「目で見る気仙沼の歴史」の復刻版発行でした。それを伝える新聞記事ではクラブの会長は佐藤悟さんとなっていました。武山さんの会長就任は今年になってからのことなのでしょう。

美加さん/櫻子さんは、小さなころから賢さと華やかさをもっていました。クラブの会長という役目は大変なこととは思いますが適役でしょう。ライオンズクラブでは会員の名に〈ライオン〉を付して呼ぶといいます。(私は会員ではありませんが、ちょっとその真似をして)武山櫻子ライオンのさらなる活躍を期待しております。とすなおに結ぼうと思っていたのですが、今週末のブログとしては少し物足りない。ということでサービスカットを一枚。


三陸新報2004年1月18日掲載記事より

この2004年の三陸新報記事は4年前のブログでも紹介しました。美加さんの肩にそっと手をそえているのはお父様の光夫さん。書家としての雅号は〈櫻光〉(おうこう)です。櫻子さんが引き継いでいる書道グループ〈苑書会〉は櫻光先生が1946年に始めていますので昨年で創立70年。南町にあった書道教室に通った同級生も多いことでしょう。

きのうのブログは、長峯英雄と純一。そして本日は、武山櫻光と櫻子。今週は、期せずして父と子の物語が続くこととなりました。どうぞ、よい週末をお迎えください。

2013年8月26日ブログ「美加さんの幼き日」

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tag : 気仙沼 気中20 武山櫻子 武山櫻光 気仙沼ライオンズクラブ

長峯教授の話〜2

きのうに続き、10月1日の気仙沼高校関東同窓会による文化講演会についてです。講師は関西学院大学副学長の長峯純一さん。本日は、長峯さんの研究テーマと気仙沼との関わりについて紹介します。

まずはじめに、話の中に出てきた経済学者のお名前を記しておきます。ポール・サミュエルソン、ジェームズ・ブキャナン、マンサー・オルソン、デニス・ミュラー、ウォーレス・オーツなど。私にはよくわかりませんが、経済学に詳しい方が見れば、小さなころから地理が好きだった若者が経済学の面白さにひかれ、〈公共財〉や〈公共選択〉といった専門分野に入り込み、〈地方分権〉を論ずるに至る道筋がわかるのでしょう。

公共財に関する話のなかでは、〈流域〉という言葉がキーワードになっていました。長峯さんは10年前の約2年間、アメリカのメリーランド大学に留学しました。同大学には上にも掲げたミュラーやオーツなど、公共選択論や地方分権の先達もおりましたから、絶好の研究環境だったことでしょう。

長峯さんは、この留学時にワシントンDC東部にあるチェサピーク湾の汚染とその復元計画〈チェサピーク・プログラム〉を詳しく知ることとなります。アメリカとカナダにまたがる五大湖がひとつの河でつながっており、その汚染が問題になっていた/いるといった話もあったように思います。

そして長峯さんはこのアメリカで、気仙沼と自らの研究テーマとの関係、重なりというものに気付くのです。気高関東同窓会の案内に記された長峯さんの講演テーマを引用します。

◎気仙沼で育まれた経済学者への道
-公共財としての森川海そして流域

私は、高校まで気仙沼で育ち、その後、経済学(財政学・公共選択論)の研究者を志すことになった。当初、気仙沼と自分の専門・研究とは関係ないことと思っていたが、ある時、それが大いに関係することに気が付いた。気仙沼では「森は海の恋人」運動に始まる森・川・海をつなぐ活動が注目されるようになっていたが、それが研究テーマとしてきた「公共財」や公共選択の格好の対象になりうるということである。そもそも私が経済学の中で公共財に関心を抱いたのは、むしろ気仙沼で育ったからではないかとさえ感じるようになった。私の中で、経済学と気仙沼をつなぐキーワードは「流域」、つまり森川海である。今回、私の現在までの生い立ちを振り返りながら、なぜ気仙沼と経済学、そして流域というテーマがつながったのかを説明してみたい。さらに東日本大震災からの復興を考える上で、流域という視点の重要性にも言及を試みたい。(引用は以上)

長峯さんは話のなかで、畠山重篤さんを古くから知り、その植樹活動にも参加していたと語っています。それを聞いて私はなるほどと思いました。畠山重篤さんはクリスチャンです。日本バプテスト気仙沼教会に属す教会員のひとりとして、昨年2016年の愛耕幼稚園創立100 周年にあたっての記念講演もおこなっています。重篤さんの入信時期はわかりません。しかし、唐桑の地へのキリスト教伝道を積極的におこなったのは、純一さんのお父様である長峯英雄牧師なのです。気仙沼市史第7巻「民俗 宗教」の日本バプテスト気仙沼教会における長峯牧師の業績が列挙されるなかに「年間主題の設定および唐桑伝道再開(昭和38年)」との記述がありました。このあたりの経緯は、昨年の畠山重篤さんの記念講演で話されたかもしれません。

長峯純一さんは、自らの研究テーマのひとつである〈流域マネジメント〉の話のなかで兵庫県の武庫川をはじめとしていくつかの事例を紹介してくれました。2004年には宮城県に対して大川流域計画を提案したものの、行政の壁は厚かったようです。防災や水資源そして環境といった問題を〈流域〉全体として最適化しようという考え方は、複数の自治体を横断するテーマとなります。それだけに、自治体の縦割り行政の弊害を感じることも多いのでしょう。長峯さんは気仙沼市震災復興会議の委員もつとめていますが、そこでも同様の経験をしていると思います。

話が長くなりましたね。この辺にしておきます。本日のテーマは、長峯さんの講演内容をお伝えすることではありません。昭和35年(1960年)4月に長野県の松本バプテスト教会から長峯英雄牧師が気仙沼教会に着任することがなければ、〈森は海の恋人〉の活動をはじめとする気仙沼における環境保護活動は、その様相を変えていたのではないか。そうした私の勝手な想像をお伝えできればと思ったのです。

森の片隅に植えられる一本の苗木とその成長。さらに、森に始まる源流が流域を潤しつつ周囲の流れを集めて海に至り、さらに多くの生命を育むイメージ。そして、プロテスタントの牧師 長峯英雄の思いが息子純一に受け継がれていくイメージ。そのふたつが私の頭のなかで重なり合ったのです。

講演会には気仙沼高校の在校生3名が招かれていました。参加を希望した鹿折と大谷からの女子2名と古町からの男子1名です。日帰りとのことでしたが、上京に伴う費用は関東同窓会が母校に毎年おくっている寄付金でまかなわれたとのことです。同窓生の母校を思う気持ちのこもったお金がこうして生かされたことを大変うれしく思いました。その多くの人の献金が、山に植えられた一本の苗木と同じように感じられたのです。

最後に写真を一枚紹介します。上述した気仙沼市史のなかにあった日本バプテスト気仙沼教会の〈三日町時代の礼拝堂〉です。

礼拝堂
気仙沼市史第7巻「民俗 宗教」p622 掲載写真

うつっているのは長峯英雄牧師でしょう。この写真を見ていると、先日の講演会での長峯純一さんの姿が重なってくるのは私だけではないでしょう。というか、私だけかもしれません(笑)。

10月11日ブログ「長峯教授の話〜1」

テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 長峯純一 長峯英雄 バプテスト気仙沼教会

長峯教授の話〜1

本日は、10月1日の気仙沼高校関東同窓会による文化講演会についてです。講師は関西学院大学副学長の長峯純一さん。気高28回生(気中26回)です。関東同窓会がこうした形で講演会を開くのは初めてのことですが、会場には沢山の方が集まっていてなによりのことでした。長峯さんはこんな感じで話を始めました。



この写真は、気仙沼を元気にする会の実行委員長などもつとめる熊田利英子さんのブログから許しを得て拝借しました。そして本日紹介したかったのは、つぎの写真です。これも利英子さん撮影。三日町の日本バプテスト気仙沼教会です。長峯さんのお父さんが牧師をつとめていました。教会の裏側が愛耕幼稚園です。長峯さんが指をさしているのが幼稚園の入口ということでしょう。長峯さんの手元にも当時の写真がなく、気仙沼の友達に連絡してこの写真を送ってもらったとのこと。私が気仙沼高校に通っていたときは毎日この前を通っていました。礼拝を伝える掲示板には純一さんのお父様である長峯英雄牧師の名も記されていたはずです。



この写真を見て本当になつかしい思いがいたしました。バプテスト教会が愛耕幼稚園とともに大堀町からこの三日町に移転したのは、昭和31年(1956)11月18日のことです。昭和54年(1979)年に現在の反松に移転するまでの約22年間は、ここ三日町にあったのです。殖君(3年8組)の実家である中井茶舗の向かい側ですかね。なお、教会の右隣にうつる店については長峯教授からも説明がありました。ピーナッツ煎餅でおなじみの〈小山大〉さんです。

こうした愛耕幼稚園の話は、あくまで講演の導入として話された長峯さんの生い立ちのなかで紹介されたもの。この後は、なぜ経済学者への道に進んだのかという話になっていくのですが、それについては明日にでも。

講演会のあとは、会場を居酒屋に移しての懇親会。とても楽しい会となりました。気仙沼中学の同級生(気中26回生)らが〈長峯クン〉を囲んでの写真です。

2695.jpg

その後また場所をかえて2次会を。その終了後にみんなで



午前10時にはじまった講演会でしたが、懇親会や2次会がおわってみれば夕方でした。長峯さん、長い時間ありがとうございました。またこの会を企画・運営してくださった同窓会関係者の方々にもお礼を申し上げます。おかげさまで有意義で楽しい時間を過ごすことができました。


愛耕幼稚園や気仙沼バプテスト教会の歴史については、以下のブログで紹介しております。

2016年10月5日ブログ「愛耕幼稚園百周年」
2016年10月7日ブログ「気仙沼バプテスト」

テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

唐桑の海と祈りと

今週はテレビ番組紹介から。あした10月10日朝のNHK BSプレミアムで、気仙沼市の唐桑が紹介されます。

漁師の海

番組サイトより(クリックでサイトにジャンプ)

◎プレミアムカフェ選
ハイビジョン特集 漁師の海・海辺の祈り
NHK BSプレミアム
10月10日(火)午前9:00〜10:45(105分)
(再放送)
10月11日(水)午前0:30〜2:15

〜18もの港がある宮城県唐桑の漁師たちに長期密着、海に生きる男たちの哀歓を描く〜


この番組の初回放送は2005年です。震災後2011年12月11日には、「NHKアーカイブス/震災9か月 気仙沼・唐桑の海で生きる」の中でも再放送されています。

前半は、小鯖港や鮪立港。息子と一緒に海へと出た男性の漁の様子を紹介します。後半は、宿浦港。春の祭りに備えて小船作りが始まりました。大漁を祈願する「竜宮船」。3月の祭りでは、飾りつけられた小船が海に浮かべられます。

連休明けの平日朝ですので、予約録画がよろしいかと。

2012年12月7日のNHK BSプレミアム「新日本風土記〜東北の冬」でも、〈海を越える祈り〉というテーマで唐桑が登場しました。今年3月3日に再放送されたのですが、鮪立の港で以前は漁労長だったいう方が海に向かって手を合わせる姿が心に残りました。その内容については、3月9日のブログで紹介しました。盛屋水産/つなかん「第一信盛丸」の海難事故があったのはその2週間後3月23日のことでした。

3月9日ブログ「唐桑の人達の祈り」

テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 唐桑

6thサンマフェス

きのうのブログでは、10月7日(土)の「横浜新港・さんま祭り」を紹介しましたが、本日10月6日の三陸新報には、大分県臼杵(うすき)市で7日に開催される「臼杵のさんま祭」が紹介されていました。臼杵市と気仙沼市は、目黒のさんま祭を通じて交流があり、2014年には災害援助協定を締結しています。目黒のさんま祭の気仙沼実行委員会から松井敏郎会長はじめ6名が参加し、サンマ800尾、すり身汁200杯を各100円で提供とのこと。

そして気仙沼では、7日・8日の2日間、6回目となる「気仙沼サンマフェスティバル」が開催されます。音楽ライブイベントですが、両日とも各2000尾の焼サンマが無料でふるまわれます。なんとか生さんまを確保できたとのこと。

エリアマップ
会場マップ(公式サイトより)(クリックで拡大)

この会場マップは素晴らしいですね。どなたが描いたかわかりませんが、とてもいい。そしてこの会場、今年は「波路上瀬向(はじかみせむかい)」のJFみやぎ わかめ流通センター横となりました。気仙沼市が震災遺構としての保存・公開を計画している「気仙沼向洋高等学校旧校舎」の裏側です。出演アーチストやBRT階上(はしかみ)駅からのシャトルバス運行など詳細については、公式サイトをご覧ください。

会場アクセス地図

このサンマフェスティバルの第1回目は、震災の翌年2012年10月にお魚いちばで開催されました。地元の人たちが中心となって実行委員会を組織し、個人の資金負担をベースに開催していたようです。そして一昨年からは協賛金のお願いもしながら開催を続けてきました。ウィキペディアに記された今年6回目までの開催内容を見ると、関係者の皆さんの努力に本当に頭がさがります。そして今年も多くの個人、団体、企業の皆さんのご後援や協賛を得て開催にこぎつけました。この協賛のお願いについても公式サイトにて。

サンマフェスティバルは、単なる音楽フェスではなく「地元に根ざした楽しいお祭り」を目指しているそうです。ちょっと天候が心配ではありますが、多くの人が集まって楽しいお祭りになることを願っております。

気仙沼サンマフェスティバル公式サイト
ウィキペディア/気仙沼サンマフェスティバル

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tag : 気仙沼 気中20 気仙沼サンマフェスティバル

横浜のさんま祭り

本日はイベントの紹介。10月7日(土)に横浜で「横浜新港・さんま祭り」が開催されます。

◎横浜新港・さんま祭り/概要

■ 開催日時:平成29年10月7日(土) 午前11時〜午後4時
(さんまがなくなり次第終了)
■ 開催場所:「ナビオス横浜」前特設会場
(横浜ワールドポーターズの馬車道ゲートの道路を挟んだ向かい側)
■ 主 催:株式会社横浜インポートマート、気仙沼市
■ 協 力:愛と勇気とさんま実行委員会

■ 開催内容:

①気仙沼産の焼さんま(1500尾)、さんまのつみれ汁(500杯)(募金していただいた方に提供。募金は株式会社横浜インポートマートの意向により、気仙沼市に寄付いただく予定とのことです)

②気仙沼市観光キャラクター「海の子ホヤぼーや」による「気仙沼PORT」および物産品のPR(「気仙沼PORT」のほか、横浜ワールドポーターズ2階インフォメーション前特設会場において、気仙沼の物産品販売を行います)

以上が開催概要です。会場に隣接する横浜ワールドポーターズの2階デッキストリートには、昨年7月から、気仙沼関連商品の販売ブース「気仙沼PORT」が出店しています。これは、横浜ワールドポーターズを運営する(株)横浜インポートマートと気仙沼市の連携協力協定によるもの。今回の催事も同社と気仙沼市との共催です。

また、詳細は略しますが、10月6日(金)から15日(日)まで、横浜ワールトポーターズ内の飲食店 3店舗と、市内飲食店 7店舗で、気仙沼の食材を活用したメニューを提供いただく「気仙沼食材フェア」も実施されます。

これらの横浜でのイベント、ご都合のつく方は是非お立ち寄りくださいますように。会場への案内図を以下に示しておきます。「ナビオス横浜」の場所がわかりにくいかもしれません。「横浜ワールドポーターズ」の馬車道ゲートの道路を挟んだ向かい側です。案内図は、クリックで拡大します。

ワールドポーターズ1

ワールドポーターズ2

これまでの気仙沼PORT関連ブログを以下に。

3月3日ブログ「横浜で気仙沼催事」
2016年7月25日ブログ「祝!気仙沼PORT」

テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 横浜インポートマート 横浜ワールドポーターズ

育美さん無事出産

きのうのブログは、数え7歳の子供の成長を祈願するお話でした。本日は、生まれたての赤ちゃんの話題。すでにご存じの方が多いと思いますが、9月29日(金)、シンガーソングライター熊谷育美さんの赤ちゃんが無事に誕生しました。元気な女の子とのことです。育美さんがフェイスブックに写真を投稿しています。

育美さん投稿

熊谷育美さんのFACEBOOK投稿より(画像クリックでジャンプ)


投稿メッセージを引用します。

9月29日。

元気な女の子を出産しました。

産声を聴きながら小さな命を抱きしめた瞬間、これまで経験したことのない感情が込み上げてきました。

家族が増えた喜びと、同時に母親になるということの責任をしみじみと感じています。

これからは夫と娘と家族3人。
たくさんの愛情を注ぎ、支え合いながら、私たちなりの家族物語を築いていけたらと思います。

母としてもまだスタートしたばかりの未熟者です。母親として、人間として、成長できるよう、子どもと一緒に歩んでいきたいと思います。
どうか今後とも変わらない応援とご指導をよろしくお願いいたします。

出産までサポートしてくださった皆さま、そしていつも多大なエールを送ってくださる皆さま、本当にありがとうございました。

母親3日目 熊谷育美


引用は以上です。お腹に赤ちゃんがいるとの話はご本人の話としても公開されていましたが、〈ご懐妊おめでとう!〉というのもはばかられ、無事出産のしらせを待っていたところです。

育美さん、本当におめでとうございます。多くの人が喜んでいることでしょう。育児は大変なことも多いとは思いますが、じきに慣れることでしょう。存分に素敵な家族の時をお過ごしください。

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tag : 気仙沼 熊谷育美 松岩中

プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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