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一景嶋神社の祭典

9月22日の三陸新報に、一景嶋(いっけいじま)神社祭典の案内広告が掲載されていました。

一景島祭典
三陸新報9月22日掲載広告


案内文によれば、一景嶋神社の例大祭は大震災後は9月第四土・日におこなっていたそうですが、昨年度からは震災前に戻し、9月27日におこなっているそうです。案内文に、〈お下がりいたします〉とあるのは、神輿(みこし)の渡御、巡行のことを指しているのでしょう。

一景嶋神社については、このブログでも何度か書いています。先日は、一景嶋神社/一景島公園にある気仙沼ライオンズクラブが設置した皆鶴姫伝説の案内板のことを紹介しました。

本日は、2016年11月11日のブログ「大正5年の一景島」で紹介した画像を再掲します。1997(平成9年)の「気仙沼かほく」に〈港の守護神〉との見出しで掲載された一景島神社の写真です。

記事内容も再掲しておきます。

〈大正5年に撮影した。気仙沼市弁天町にある現在のホテル一景閣付近から、当時は海と大島の景観が広がり、すぐ前には一景島が浮かんでいた。一景島には「弁天様」と親しまれる一景島神社がある。昔から「港の守護神」として信仰を集めてきた。一帯は昭和30年に埋め立てられ、現在の一景島公園になった。しかし、一景島神社とともに、左の岸から架かる橋「神橋」は公園内に現在も残されている。(気仙沼市弁天町・斉藤徹さん所蔵)〉(引用は以上)

2016年のブログでは、この写真の所蔵者であるホテル一景閣の斉藤徹さんのことについても記しております。

2016年11月11日ブログ「大正5年の一景島」

一景嶋神社の主祭神は市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)です。宮城県神社庁のサイトでは、〈市伎島姫命〉と表記しています。同サイトの由緒はつぎのとおり。「往古より弁財天を鎮座すと伝えられているが、不詳。慶長16年の大津波で社殿、縁記が流失。金華山小金山神社と同一の弁財天を奉るとも伝えられている。別名「魚取島」とも言われた。」

慶長16年に起こった慶長三陸地震による大津波は、ウィキペディアの記述では田老や大船渡で最高20m前後の高さであったとも。気仙沼地区での被害も相当なものだったでしょう。江戸時代、第2代将軍 徳川秀忠の時代です。伊達政宗は地震当時に44歳。

慶長16年の津波で社殿が流失したとの話は初めて知りました。そしてそれが、東日本大震災からちょうど400年前のことであることにも大変驚きました。慶長16年10月28日は、1611年12月2日とのことです。

ちょっと話が長くなりました。一景嶋神社の神輿については、明日のブログで記すことにいたします。
 
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テーマ : 気仙沼
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tag : 気仙沼 一景嶋神社 一京閣

紫神社の鳥居新設

9月9日におこなわれた気仙沼市浜見山の紫神社祭典については、9月5日のブログでご紹介しました。その記事で私は、神社の所在地を南町と書いてしまいましたが、浜見山なのですね。そういわれればそうです。

その紫神社の鳥居の鳥居の建て直しが計画されているとの記事が、9月21日の三陸新報に掲載されていましたのでご紹介します。

紫神社鳥居

三陸新報9月21日記事の一部イメージ


記事によれば、戦前に建てられたとみられるコンクリート製の鳥居は震災での被災後に年々ひびが目立つようになってきたそうです。そのため、「次に大きな地震があれば崩壊の恐れが」と、総代や氏子、世話人らで会合を開き、鳥居、擁壁などの新設・改修をおこなう境内整備事業を決めたそうです。来年の元日までに整備を終えたいとのこと。

記事のなかに、紫神社の菅原秀絃宮司のお名前がありました。気仙沼市新町の北野神社の宮司さんです。このブログでは以前、羽黒神社由緒の記事や、気仙沼市九条の気仙沼高校近くにある中納言神社再建の記事のなかで菅原宮司のお名前を紹介したことがあります。北野神社が宮司が常駐している本務神社だと思います。紫神社や羽黒神社は兼務神社ということではないでしょうか。

三陸新報の記事には、菅原宮司の「子どもたち参拝者の安全のため、年内には整備を終えたい。市民の皆さんにも寄進の協力をお願いしたい」との話もありました。寄進希望者は菅原宮司までご連絡ださい。記事掲載の電話番号を記しておきます。

北野神社(菅原宮司) 0226-22-0694

紫神社から見下ろしたところには、〈南町紫神社前商店街〉があります。その名に神社名をいただく商店街としても、南町のまちづくりを考えていくなかで、紫神社の整備は課題のひとつとしてあったことでしょう。順調に整備が進むことを願っております。

 

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tag : 気仙沼 紫神社

松圃虎舞の皆さん

9月16日におこなわれた「目黒のさんま祭」の話の続きです。

開会式がおわって、焼きサンマの提供がはじまったころ、会場脇に行くと気仙沼市唐桑の松圃(まつばたけ)虎舞メンバーが出番を待っていました。何時からですかとたずねたついでに写真撮影をお願いしたら快諾してもらえました。

松圃虎舞メンバー
松圃虎舞保存会と気仙沼市立中井小学校の皆さん(クリックで拡大)


松圃虎舞保存会と気仙沼市立中井小学校の皆さんです。左のほうに衆議院議員の片山さつきさんもうつっていますが、無理矢理はいりこんで来たわけではなく、近くを通りかかったのでこちらから声をかけました。

この写真を撮ったときには気づかなかったのですが、気仙沼に移住して気仙沼のまちづくり活動を展開している一般社団法人まるオフィスのメンバーがずいぶんうつっています。代表の加藤拓馬さんや根岸えまさんなどのメンバーがうつる復興庁のポスターは、7月10日のブログで紹介しました。まるオフィスの拠点は松圃にあり、虎舞保存会の活動に参加していることも知っていたのですが、目黒で皆さんに会えるとは思っていませんでした。驚いた。

私がうれしく思ったのは、気仙沼の外から移住してきてくれた人たちが、こうして地元の民俗芸能継承の力になってくれているということです。なかなかできないことでしょう。上の写真を見ればわかると思うのですが、なんていうんだろう、一体感というか仲がよさそう。

気仙沼市唐桑町松圃地区は、唐桑半島の南西部です。そして中井小学校は、半島の中央から少し東寄りにあります。唐桑町の小学校はいま、唐桑小学校と中井小学校のふたつで、中井小の学区は唐桑地区南部といってよいでしょう。

いま、気仙沼市は小中学校の統合計画を進めています。2018年度に計画されていた「小原木小→唐桑小」は統合を完了しましたが、「月立小→新城小」「水梨小→松岩小」は地元の反対などで統合が延期されました。

中井小は2021年度に唐桑小への統合が計画されています。2018年度の同小の児童見込み数は全校で64名。小原木小が統合された唐桑小は99名です。旧唐桑町地区の2校合計が163名ですね。

参考まで申し上げれば、わが母校の気仙沼小学校は243名です。3000人以上の時代を知っている身からすると〈すっかりちゃっこくなってしまって〉という印象。市内で児童数最多は松岩小の329名。ついで九条小の309名です。

2018年3月13日ブログ「小中校児童数見込」

話が小中学校統合問題にとんでしまいましたね。話を戻しましょう。今回の中井小学校の皆さんを(そしてたぶん保存会の皆さんも含めて)目黒区民まつり/目黒のさんま祭に招いてくださったのは目黒ユネスコ協会さんです。

同協会は2012年から毎年、地元民俗芸能の伝承に取り組んでいる気仙沼の小学校児童を招待してくださっています。私なりにまとめるとつぎのとおり。演技場所はさんま祭会場だったり区民ホールだったりといろいろです。雨天で変更を余儀なくされることもありました。

2012年:月立(つきだて)小/早稲谷鹿踊(わせやししおどり)、2013年:水梨小/羽田神楽、2014年:新城小/廿一(二十一)I田植踊り、2015年:月立小、2016年:馬篭小/馬篭(まごめ)ばやし、2017年:月立小、2018年:中井小/松圃虎舞

これらの小学校のうち、馬篭小は2017年に月立小は津谷小に統合されていますが、月立小と水梨小の統合は上述したように延期されています。今後、統合が進められても、各地区の伝統芸能の継承については各統合校で進めていくとの市教育委員会の方針も伝えられています。是非そうあってほしいと思っております。

さんま祭で撮影した写真にうつる松圃の皆さんの元気な笑顔をあらためてながめ、そんなことを考えておりました。

最後になりましたが、目黒ユネスコ協会さんの継続的なご支援に対し、心から御礼を申し上げます。今度ともどうぞよろしくお願いいたします。
 

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tag : 気仙沼 松圃虎舞 さんま祭

目黒さんま祭報告

9月16日(日)の目黒のさんま祭。前日に気仙沼で水揚げされた500尾のさんまが炭火で焼かれ、長い行列をつくって待ってくれた来場者にふるまわれました。

9時半からの開会式は、目黒区民まつり全体のものなので、ご来賓の方々の挨拶が続きます。それが終わってからはさんま祭関連の式次第。気仙沼メンバーによる〈どや節〉が披露された後に、目黒区長が殿様に扮しての献上式。

焼きサンマの提供が始まったのは10時15分ころでした。会場の中央には焼さんまなどの飲食用のテントが張られているのですが、その隣が開会式もおこなったイベントスペース。そこで、まずは気仙沼出身の日本舞踊家である花柳寿々菊さんの舞踊研究所の皆さんによる踊りが披露されました。東京と気仙沼に教室がありますが、今回も気仙沼から沢山の門下生らが上京してくれました。

社中踊り

子供踊り

続いては、私が楽しみにしていた気仙沼市唐桑の松圃(まつばたけ)虎舞です。保存会の皆さんによるうちばやしが披露された後に虎舞が登場。通常は長いハシゴにのぼるとのことですが、今回の会場ではかなわず。メンバーには市立中井小学校の児童や、気仙沼に移住してまちづくり活動に従事している皆さんも。この唐桑メンバーについては日をあらためてまた紹介しようと思います。

太鼓

虎舞

今年も気仙沼あさひ鮨の佐々木徹君(3年1組)が〈さんま姿寿し〉の販売で上京。早々と完売しましたが、ほかの物産の手伝いで忙しかったようです。それでも休憩時に気仙沼関係者が集まった喫茶スペースに来てくれました。ビールで乾杯。右下が徹君です。

喫茶スペース

会場に戻り、例年通りさんまのすり身汁のお手伝いで上京した荒木容子さん(10組)を呼んで皆さんと。左から3人目はさんま祭気仙沼実行委員会の松井敏郎会長です。かがんでいるのが私と妻(菅原市長と気小・気中の同級生)。

同級生

最後に、目黒区の青木区長と菅原市長とご一緒に。右から5人目が青木区長。その左は菅原市長の奥様です。すり身汁のお手伝いに。右から2人目は松井会長の奥様の恵美子さん。小さなころは私と魚町のご近所さんでした。

みんなで

以上取り急ぎ、当日のスナップということで。楽しい時間を過ごしたことが少しでも伝わったでしょうか。

さんま祭の関係者の皆さんにお礼を申し上げます。さまざまな準備と当日の運営は本当に大変だったことでしょう。ありがとうございました。
 

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tag : 気仙沼 目黒のさんま祭

ブッツヤの修司君

きのうの目黒のさんま祭では大変楽しい時間を過ごすことができました。ここ数年は雨の心配などをしながらの開催でしたが、今年は天気に恵まれての開催となりなによりでした。写真の紹介などはまたあらためて。

さて、三陸新報の連載「わが社の屋号」第4回目の勝倉漁業さんを14日に紹介しましたが、本日は9月5日掲載の第5回目を。(株)カネシメイチさんです。私たちの同級生である小山修司君(3年5組)が昨年まで社長をつとめていました。今は相談役となっています。

カネシメイチ2
三陸新報9月5日掲載記事


6代目にあたる修司君によれば、カネシメイチの創業は1834年(天保5年)とのこと。年表を見てみると、新選組局長の近藤勇が生まれた年ですから、ずいぶん昔の話です。初代の小山吉内さんは、魚町で魚の塩蔵加工やかつお節などの商売をしていたそうです。その頃にはすでに〈荷印〉としてカネシメイチを使っていたとされています。

仏師だった2代目の𠮷五郎さんの時代に、仏具屋に転業しました。その名残(なごり)から、その昔は「ブッツヤはん」の愛称で呼ばれることが多かったといいます。懐かしい呼び名ですね。〈ブッツヤ〉は仏屋でしょうかね。記事では、〈その昔〉としていますが、私が小中学校生徒だったときにでも、魚町の年配の人がごく普通に〈ブッツヤ〉の名を呼んでいたように思います。当時、その名が仏師からきていることを聞かされて驚きました。

カネシメイチはその後、海運業に回船問屋、焼ちくわ製造の水産加工を経て、5代目の亀吉さんが1964年(昭和39年)に近海のカツオ一本釣り船「第3亀洋丸」(39トン)を建造して漁船漁業に乗り出しました。修司君のお父さんです。問屋業で縁のあった三重県のカツオ船関係者からノウハウを学んだそうです。

小山亀吉さんは、その長身の姿や声を今でも思い出すことができます。気仙沼魚漁協組合長をはじめ気仙沼の水産関連団体の要職をつとめましたが、震災の年2011年1月12日に亡くなりました。その2か月後に気仙沼は大津波に襲われました。魚町で育った私たちにはとても懐かしいあのカネシメイチの建物も被災。修司君の奥さん容子さん(5組)は、屋根の上に避難したのですが、自宅が浮いたのが分かったそうです。そのことはつぎのブログで紹介しました。

2015年3月20日ブログ「あの日を語り継ぐ」

その魚町のカネシメイチさんも今は鹿折地区の錦町に移りました。臼井弘君(4組)の〈福寿水産〉などと共に気仙沼鹿折加工共同組合に属しています。以前も紹介しましたが、この組合のサイトで修司君の素敵な笑顔を見ることができますので是非に。

記事の写真にうつる〈焼ちくわ〉の商標がいいですね。ちくわの梱包の箱や包みに貼ったラベルでしょう。「第3亀洋丸」の写真も時代を感じさせます。建造は修司君が小学6年生ぐらいのことではないでしょうか。修司君がこれらのラベルや写真を見るとき、自分が継承し、そしてまた時代に継いだカネシメイチの歴史を感ぜずにはいられないでしょう。

気仙沼鹿折加工共同組合サイト/(株)カネシメイチ

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tag : 気仙沼 カネシメイチ 屋号

かくいち勝倉漁業

8月21日の三陸新報の連載「わが社の屋号」第4回目は勝倉漁業さんでした。所在地が〈弁天町〉となっていますが、震災前までは魚町の海岸通り、文字通り〈屋号通り〉に社屋がありました。津波で被災し、弁天町に新事務所を設けたのですね。


勝倉漁業
三陸新報8月21日記事


記事によれば、屋号の呼び名は〈かくいち〉。私にとって同社は〈勝倉さん〉であって、この〈かくいち〉はあまりなじみがありませんでした。創業は大正時代で、初代の勝倉和平さんが魚町に勝倉商店を設立、鮮魚仲買と回船問屋業を営んでいたそうです。

マグロ船による漁業経営に乗り出したのは1945年(昭和20年)のことだといいます。終戦の年。和平さんの長男、和太郎さんが2代目・和平を襲名したのを機に、木造カツオ船「第1勝栄丸」(しょうえいまる)(150トン)を建造しました。現在は会長をつとめる3代目の勝倉敏夫さん(77)は「2代目の父にはよく、『乗組員にうそを言ったり、だましたりしてはいけない』と言われた。乗組員が働きやすい環境を第一にという考えは、今も変わらない」と語っています。

現在の社長は4代目の勝倉宏明さん。4隻の勝栄丸船団で遠洋まぐろ延縄漁を展開しています。各船の活動の様子は、〈勝栄丸ブログ〉で詳しく紹介されています。同ブログでは、自社船団だけでなく、問屋としてお世話する漁船のことや気仙沼の漁業・水産業なとの動きが紹介されています。こちらも是非ご覧ください。

勝栄丸ブログ

勝倉さんの屋号「かくいち」をながめていて、魚町の漁業家で四角の中に文字を記した屋号をいくつか思い出しました。まずは菅原家「かくだい/角大」、それから畠山家「かくじゅう/角十」。佐々木徹君(3年1組)の家の左隣には「かくへい/角平」さんもあったなあ。

こうして思い出した3つの屋号で現在まで漁業を継続しているところはありません。私が高校生のころでしょうか、気仙沼の遠洋漁業経営がなかなか難しい時代になってきていて、漁業経営から撤退する会社が相次ぎました。今回の連載記事で紹介される屋号は、そうした難しい時代を生き抜いた屋号/会社ということになるのでしょう。

この三陸新報の連載「わが社の屋号」は、そうした気仙沼の漁業、水産業の歴史の一端を読者に興味深く知らせる良い企画であると感じています。

勝倉漁業(株)ホームページ
 

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tag : 気仙沼 勝倉漁業 勝栄丸

メカジキ突きん棒

テレビ朝日系列9月15日(土)午後6:30からの「ごはんジャパン」で気仙沼の突きん棒(つきんぼ/つきんぼう)によるメカジキ漁が紹介されます。宮城県内は東日本放送にて。前編が先週放送されたのですが、当日に放送を知り、ツイッターではお知らせしたもののブログでの紹介ができませんでした。


つきん棒
   番組サイトの紹介動画より


先週放送分の番組紹介を抜粋して引用します。


2週に渡って、宮城・気仙沼の“メカジキ”に注目!150キロ超の大物を狙って航海を続けるメカジキ漁の“匠”たちの5日間に密着する。

最高のメカジキを求めて現地を訪れるのは、焼き魚にこだわりを持ち、8年連続でミシュランの星を獲得している日本料理の“匠”、小林雄二さんと渡辺徹。小林さんがメカジキの風味を最大限に引き出すべく、和食の技を使って焼き上げる……!

2人が訪れたのは、気仙沼市(唐桑地区)の小鯖(こさば)漁港。そこで出会ったのが、メカジキの“突きん棒漁”の“匠”、佐々木夫一(ささき・ゆういち)さんだ。突きん棒漁とはメカジキを見つけたら舳先の突き台から、長さ5メートルのモリで仕留めるという、昔ながらの豪快な漁のことだ。

今回の航海は5日間。佐々木さんを含め、5人の乗組員と船で寝泊まりしながら、漁を続けるという。午前3時半、まだ真っ暗な太平洋へ船を出し佐々木さんたちが狙うのは、黒潮に乗って北上するメカジキ。夜が明けて海水の温度が上がるとメカジキは海面近くに上がってくるという。

午前8時、乗組員が配置につくが、初日は天候が悪く、早々に漁を終了。2日目の午前7時、見張りを始めると…背ビレのようなものが見えてきた!佐々木さんたちが狙うのは150キロを超える大物だというが、はたして大物メカジキを仕留めることができるのか…!?(引用は以上)


先週の放送では、なかなか大物をしとめることができませんでした。そしていよいよ150キロを超えるメカジキをしとめたかというところで、続きは来週となりました(笑)。

佐々木夫一さんの船は、第18一丸(かずまる)。佐々木さんは、唐桑を拠点とする社団法人まるオフィスをはじめ様々なまちづくり活動にも協力し、気仙沼の漁師の世界を多くの人に伝えてくれています。東京でのトークイベントにも登場したことがあるはずです。私はテレビ番組を通じて、佐々木さんの姿を何度か拝見しています。いつもざっくばらんな語り口で、漁業の面白さや素晴らしさとともに、危険と隣り合わせの仕事の厳しさを語っていました。

数年前の番組では、たしか唐桑地区でのまるオフィスが催したイベントだったと思うのですが、魚介類のバーベキューだったかを楽しく終えたあとの佐々木さんが強く印象に残りました。道具の始末などの後片付けがなってないと強くスタッフをしかったのです。面白い話などでその場をもりあげるのも上手そうな佐々木さんが見せた厳しい一面でした。それを見て、なかなかの方だなと感じました。

ネット配信記事のなかに2016年3月に66歳とありましたから現在は68か69歳でしょう。今でも仲間と沖に出てメカジキを追っています。その突きん棒漁の様子を今度の土曜日6時半からぜひご覧ください。
 

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「目黒のさんま祭」

気仙沼から送られる5000尾のさんまが焼かれる〈目黒のさんま祭〉が、9月16日(日)に開催されます。

さんま漁は、8月28日の気仙沼での初水揚げ後の数日間は好調だったものの、9月3日からは不調となっています。魚体も小さくなっているなど心配な状況で、さんま祭の関係者は気をもんでいるのではないかと。それはそれとして、本日はさんま祭スケジュールのご案内です。

チラシ

日時:9月16日(日)10:00〜15:30
会場:目黒区田道広場公園
主催:目黒区民まつり実行委員会

品川区側の目黒駅東口のさんま祭りは9月9日に行われました。これは宮古水揚げの(後で知ったのですが、宮古ではなく大船渡水揚げのさんまを宮古が提供した)さんま。そして9月16日(日)が正真正銘(笑)の目黒のさんま。「目黒区民まつり(目黒のSUNまつり)」のメインイベント「目黒のさんま祭」です。

会場は〈田道広場公園〉。JR目黒駅の西口を出て、400mほど坂を下っていくと目黒川にぶつかります。橋を渡る手前を右折して300mぐらいいくと田道広場公園です。目黒駅の改札を出て左側が西口です。

地図


今年も気仙沼から大勢のお手伝いの人達が上京します。参加者がお金を支払って参加するボランティアです。今年もふるさと物産展の手伝いで荒木容子さん(3年10組)、あさひ鮨の佐々木徹君(1組)も参加予定。会うのを楽しみにしています。

どうぞ皆様もおでかけください。会場でお会いしましょう。
 

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うを座20周年公演

気仙沼演劇塾「うを座」が今年で20周年を迎えます。これを記念しての公演「海のあしおと」が9月16日に行われますのでご紹介します。


うを座

気仙沼演劇塾うを座Facebook より


気仙沼演劇塾 うを座 20周年記念
「海のあしおと」

◎日時:9月16日(日)
 午前の部 11:00~
 午後の部 15:00~
 (開場は30分前)
◎会場:ゲストハウスアーバン マリア・チャペル
  気仙沼市陣山1-125
◎チケット:
  前売 1500円 当日1800円(いずれも税込)
◎取扱店:
  浜の家(東新城)、CORVO(南町)、京染たかはし(神山)
◎お問い合わせ先/うを座事務局 070-2433-3431


「海のあしおと」については、9月5日の三陸新報「論説」でも、〈20周年公演を見よう!〉との見出しで紹介していました。単なる〈紹介〉ではなく〈応援〉といってよいでしょう。この論説記事によれば、気仙沼演劇塾うを座が誕生したのは1998年4月。初稽古が、市総合市民福祉センター「やすらぎ」(当時)で行われました。小学2年生から高校3年までの60人が集まったのです。

座長は気仙沼小劇場という劇団の代表だった鈴木恒子さん。鈴木さんは以前から気仙沼に住む子供たちの劇団を立ち上げる構想を抱いていたそうです。スポーツ少年団があるように、芝居を一緒に楽しむ“文化少年団”があってもいいんじゃないかと。

そして1999年。劇団四季出身の俳優・壌晴彦さんの演出・脚本で、旗揚げ公演「海のおくりもの〜竜宮伝説 ’36」を市民会館大ホールで上演。3回公演のいずれも超満員となりました。

今回の公演「海のあしおと」は、これまでの作品の中から、歌やダンス、語りやセリフを再構成しての20周年特別バージョンとのこと。これまでの作品とは、1999年「海のおくりもの」、2000年「夢つむぎの詩」、2002年「鳥の物語」2008年「宇宙の祈り」です。

うを座の塾生は震災後にだいぶ減って現在は4人となりましたが、大人も加わっての〈市民劇団〉としての活動を始めています。今回の公演に出演するのは、小学3年生・5年生2人、高校1年生4人、うを座OB・OG12人(19~36歳)です。

私は一度だけ「うを座」公演を見たことがあります。お盆の帰省時に市民会館で。1999年の「海のおくりもの」でしょうね。〈のんちゃん〉こと臼井典子さん(3年1組)が受付のお手伝いをしていました。あれから19年か。

20年間の活動の継続は本当に素晴らしいこと。いろんなご苦労もあったことでしょう。代表の鈴木恒子さんや壌晴彦さんをはじめ、うを座関係者の方々に敬意を表するとともに御礼を。

9月16日、陣山での「うを座」20周年記念公演にどうぞおでかけくださいますように。


なお、会場マリア・チャペルの駐車可能台数は限られているそうなのでご注意ください。本郷アーバンさんからの連絡バスがつぎの時刻に発車しますのでご利用ください。終演後も本郷アーバンさんまで運行するそうです。

午前の部 ①10:10発 ②10:45発
午後の部 ①14:10発 ②14:45発

最近2年間の公演についてはつぎのブログで。

2016年10月24日ブログ「青鬼、なぜ泣くの」
2017年11月8日ブログ「うを座」発表会
 

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マンボの岩本さん

気仙沼出身の漫画家 村上茂雄さんの〈3.11 気仙沼紫市場物語〉は全6話を目標に2013年12月から始まりこれまで5話が公開されていました。そして、8月3日、残っていた〈喫茶マンボ〉店主 岩本秀之さんの話がサイトにアップされました。

  マンボ
3.11 気仙沼紫市場物語/喫茶マンボ 店主 岩本秀之さんの冒頭イメージ


作中に登場する〈マンボ通りのマンボ〉はもちろんですが、秀之さんが子供のころに自分の庭のように駆け回ったという〈丸光デパート〉もいまではとても懐かしい。秀之さんと村上さんは幼稚園時代からの友達だそうです。

村上茂雄さんの実家は南町の気仙沼〈あさひ鮨〉です。気中39回生。早稲田大学を卒業して漫画家の道を歩みました。代表作「花寿司の幸」は、実家である「みなと鮨」の看板娘だった幸が鮨職人として成長する物語です。自らの経験や実感が物語の背景にあるのでしょう。

アマゾン/「花寿司の幸」Kindle版

村上さんはサイトで、〈これからも、震災の記録として、頑張っている店主さんたちへのエールとして、この漫画を描きたしていこうと思っています〉と記していましたが、まずは当初の目標とした6話が完結しました。多忙ななかでの制作で大変だったと思います。第2期の展開は、(復興のスピードに合わせて)どうぞゆっくりと。ありがとうございました。

全6話のリンクを下記に。どうぞご覧ください。なお、シリーズナンバーと投稿順は異なっています。

1.「交流空間・フリーダム」千葉秀宣さん
2.「アッシュヘッド オノトラ」小野寺一雄さん
3.「とんかつ勝子」小野寺耕さん
4.「喫茶マンボ」岩本秀之さん
5.「居酒屋まるきん」鈴木光浩さん
6.「本間屋酒店」浅野恵一さん

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谷真海さんの苦渋

北海道の地震に関する報道を見ていると、東日本大震災のとき、母と地震直後に電話で話した後で連絡がとれなくなり、ひどく心配したことを思い出します。現地の被害がこれ以上広がらないように願っています。

さて、ちょっと前のことになりますが、8月23日の読売新聞に気仙沼出身のパラリンピアン谷真海さん(旧姓佐藤)のインタビュー記事が掲載されていました。地域面の記事なので宮城県版では掲載されたかどうかはわかりません。


真海さん記事

読売新聞8月23日記事より


〈ふるさと〉というシリーズ記事。気仙沼小学校では水泳部、気仙沼中学校では陸上部に属し練習に励んだことなどが記されていますが、記事の最後の部分では今のつらい心境について語っています。真海さんは、東京パラリンピックにトライアスロンで出場を目指していますが、目標としていた種目が実施されないことが8月6日に決定したのです。

〈東京大会では、トライアスロンの出場を目指していますが、今月、私が目標にする種目が外れることが決まりました。戦わずして道が閉ざされることはショックですが、救済措置で出場できることを願っています。可能性がある限り諦めません。今は9月の世界選手権に向けて頑張ります。〉(引用は以上)

このパラリンピックの実施種目について報道内容を総合して補足しておきます。

8月6日、国際パラリンピック委員会(IPC)が、2020年の東京パラリンピックで実施される22競技のうち、未決定だったトライアスロンの8種目を発表しました。しかしその種目のなかに、真海さんが出場を目指していた「女子立位PTS4(運動機能障害)」はありませんでした。国際トライアスロン連合(ITU)は、男女各6カテゴリーの実施を求めてきましたが、種目数を制限したいIPCとの調整が難航し、種目決定が引き延ばされていたそうです。

日本トライアスロン連合(JTU)などは、より障害の軽いPTS5との統合を目指すそうです。これが読売の記事で真美さんが〈救済措置〉と呼んでいたことだと思います。しかし、その見通しは不透明です。

6月18日のブログで紹介した読売新聞5月24日の記事で〈「PTS4」が東京大会で行われるかどうかは未定で、他クラスと統合される可能性もある〉との記述を目にして、ちょっと心配はしていたのです。

産経ニュースの8月19日配信記事では、論説委員・別府育郎さんの「あまりに残酷で理不尽 東京パラ 谷真海の不出場はこのままでいいのか」との記事を配信していました。

そのなかで別府さんは〈(女子の)中度障害のPTS4は除外されたが、男子は実施される。取捨選択は、競技人口が考慮されたのだという。自身でコントロールできない障害の程度によって戦わずして門戸を閉ざされるのは、あまりに理不尽ではないか〉と。同感。

真海さんは、9月12日からオーストラリアのゴールドコーストで開催されるパラトライアスロン世界選手権に出場するそうです。とてもつらい状況にあると思いますが、日々の厳しいトレーニングで培った力を出し切り、連覇を果たして欲しい。

最後に読売新聞インタビュー記事の結びを紹介しておきます。なんか泣けてきます。

〈ふるさとは自分を育ててくれた大切な場所。秋には3歳の息子を連れて、気仙沼の美しい海が見える安波山に登る予定です。〉

2017年9月22日「世界女王/谷真海」
2018年6月18日「谷真海さんの近況」
 

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紫神社祭典ご案内

9月4日の三陸新報に気仙沼市南町/紫神社祭典の案内広告が掲載されていました。

紫神社
三陸新報9月4日掲載広告


紫神社〈紫さん〉は、南町から気仙沼小学校にのぼる坂道の左側にあります。その坂の名も〈紫さん〉。私たちが中学のころでも帰りに寄って遊んで帰るなどした場所なのでとても懐かしい。震災時には、集会所が避難所となっていました。

紫神社の社殿というか社屋自体は簡素なもので、宮司の常駐もありませんが、しっかりとした歴史をもつ神社です。宮城県神社庁の「神社検索」サイトでは、この神社の由緒をつぎのように記しています。以前もブログに書きましたが、気仙沼の柏崎(かしざき)だけでなく、紫神社も新潟県の柏崎と縁があることがこの由緒からわかります。


当神社は慶長10年、越後、柏崎の人、斎藤四郎兵衛和泉盛方が計仙麻(ケセマ)陣ケ保(現気仙沼市笹ケ陣)に移り住むとき屋敷内に紫明神と観音を勧請せしが五代又衛門の時火災にて御堂を焼失し、正保年中、六代又四郎が鼎ケ浦(気仙沼湾)海辺高台に屋敷を移し建てるとき、敷内に観音を祀り柏崎観音とした、故に今もその所を柏崎山と云う、また紫明神は地続きの西風釜(ナライガマ)鐙坂(アブミザカ)に鎮め祀りて分家に別当を命じた、今も分家斎藤家の屋号を別当と云う。紫明神の「むらさき」は斎藤家の家紋、藤の花の紫より名付けたと云う。昭和23年御社地を別当斎藤家より寄進され宗教法人紫神社となり、近辺、南町、柏崎地区を氏子とし、毎年の例祭はカボチャ祭りのむらさきさんと賑わっている。(カボチャ祭り)カボチャ(南瓜)まつりの起こりは定かではないが、言い伝えによれば、むかしはまつり師といって、祭りの山車等を作る職人がいた。紫明神の祭りに、そのまつり師の作った人形が境内に並べられたと云う、ところが江戸時代末期か明治時代初期のことか、折角準備した人形が火災により焼失したので、付近の若者たちが方々の畑より南瓜を集め来て、南瓜を頭にした人形を作り、境内に並べ飾ったことが大勢の人々の喝采を浴びたと云う、その時の美談や時代を諷刺したもの色々で、以来、祭りが近づくと、各地区の若者たちが出しものを秘密裡に作成しその出来栄を競った。現在も氏子地域、南町、柏崎青年会によって受け継がれている。(引用は以上)

紫明神は西風釜(ならいがま/南町の旧称)の鐙坂(あぶみざか)にまつられたとあるのですが、鐙坂が現在の紫神社の場所かどうかはわかりません。柏崎と地続きのという記述がありますが、ちょっと距離がありますよね。紫明神の「むらさき」は斎藤家の家紋である藤の花の紫より名付けたという話は以前も紹介しました。かぼちゃ祭についての説明も面白い。言い伝えで、祭の山車(だし)などをつくる職人〈まつり師〉がつくった人形を境内に並べたのが発祥とか。また案内広告には、名物〈紫まんじゅう〉の販売もあると書かれています。これも懐かしい。限定600袋だそうです。

震災後にオープンした仮設商店街は「南町紫市場」でした。そして昨年に本設としてスタートした商店街が「南町紫神社前商店街」。いずれもこの「紫神社」とのご縁を意識して名付けられています。9月8日の前夜祭・宵祭りでは、南町の中心街にて弘前ねぷたまつり運行も行われます。

なお、紫神社の主祭神は「屋船豊受姫大神」。〈やぶね とようけ ひめのおおかみ〉と読み、家屋守護の神様のようです。どうぞ南町紫神社前商店街に寄りながら、お参りくださいますように。


2015年4月16日ブログ「気仙沼と柏崎の縁」

 

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鹿折の復興マップ

8月23日のブログで、魚町・南町地区まちづくりマップを紹介しましたが、本日は鹿折(ししおり)地区のマップを。市の「けせんぬま復興ニュース」8月15日号(No.146)に掲載された6月末時点の内容です。4月15日号で3月末時点のマップを掲載していましたので、3か月での更新です。(画像はクリックで拡大します)

鹿折マップ
鹿折地区まちづくりマップ(2018年6月末時点)


ニュース記事には、栄町(さかえちょう)公園が完成したことが記されていました。8月下旬ごろに開園予定です。市では今後、鹿折に1カ所、南気仙沼に3カ所、魚町・南町地区に4カ所の公園を整備予定です。また、水道事業所と(仮称)鹿折コミュニティセンタ ー(鹿折公民館) の写真を掲載したとのことですが、私のPC環境では写真が表示されません。4月15日号では問題ありませんでしたので、今号のPDF化における不具合でしょう。

なお、マップの左下に魚町神山に計画中の復興祈念公園の表示がありました。そしてその右側に3棟の建物が表示されていますが、右側の茶色の屋根が臼井弘君(3年4組)経営の福寿水産でしょう。この場所は魚町なのですが、こちらのマップにありましたのであえてのご紹介。

鹿折コミュニティセンターについては、8月31日の三陸新報に関連記事がありましたのでご紹介します。

鹿折コミュニティセンター

三陸新報8月31日記事の一部イメージ


記事によれば、昨年12月から中みなと町で工事が行われてきた鹿折コミュニティセンターは9月末に完成予定ということです。同センターは、大震災で被災した鹿折公民館の再建施設。総工費は約3億5600万円で、震災復興交付金を財源にしています。事務所、会議室、研修室のほか、調理実習室、図書コーナー、バドミントンコート2面分の広さの軽運動場も。太陽光発電設備と蓄電池を設置しており、災害時などの避難所としての機能も備えています。また、コミュニティセンターにしたことで、以前の公民館ではできなかった物販活動も可能になりました。市の教育委員会では、コミュニティ形成を図る拠点施設にしていきたいと話しています。供用開始予定は11月です。

立派な施設ができあがるようです。その近くには、かもめ通り商店街もありますし、鹿折の多くの皆さんに活用される施設となるようにと願っています。

気仙沼市公式サイト「けせんぬま復興ニュース」


 

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ハマグリクッキー

8月29日の三陸新報一面コラム「万有流転」にうれしい記述がありました。

万有流転
三陸新報8月29日「万有流転」の一部イメージ


冒頭を引用します。

〈 先日、仙台駅前のホテルに宿泊する機会があった。フロントで手続き後、「今月皆様に差し上げているハマグリクッキーです」と渡された。聞き覚えのある名前に、エレベーターの中で確認する◎気仙沼市田中前にある、コヤマ菓子店(小山裕隆店主)の「はまぐりもなかくっきー」だった。ホテルのサービスの品物として使われていることに、まず驚いた。シールが貼られ、岩井崎の塩と書かれているクッキー最中であり、ホテルで渡される品に選ばれていることを喜んだ 〉(引用は以上)

コヤマの小山(おやま)裕隆さんもうれしかったようで、昨日30日の自身のブログでとても嬉しいと語っています。どこのホテルかもわからないし、コヤマから直接におろしたりしている商品ではないとのこと。そのホテルの方がわざわざ買ってくださったことに、とても感謝していました。

裕隆さんは、このお菓子を宮城そして東北を代表するお菓子にすることが目標だといいます。父親の隆ちゃん/小山隆市君(3年6組)よりも夢や目標が大きいかも(笑)。

はまぐりもなかくっきーは、2年ほど前から仙台駅エスパル2階「おみやげ処いろといろ」でも販売しています。売れ行きもよいようでなによりです。どんな商品か知らない人もいるかもしれないので商品写真を。



ネットでも買えますよ。8個入り1300円(税96円)です。どうぞよろしく。

コヤマ/ショッピングサイト

コヤマのお菓子を選んでくださった仙台のホテルの皆さん、そして三陸新報「万有流転」筆者に、故 小山隆市君にかわり同級生として御礼を。ありがとうございました。

 

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加川広重さんの絵

8月19日に仙台の平野秀明君(3年3組)から、仙台メディアテークでの第21回加川広重 巨大水彩展「気仙沼」に行ってきたとのメールをいただきました。巨大画で描かれる、気仙沼の震災。8月16日から19日まで4日間のこの個展のことは知らずにおりました。最終日にかけつけた平野君が撮影した画像2枚が添付されていました。まずは1枚目



第18共徳丸を描いた巨大水彩画です。19日には、その絵の前で後藤優子さん(メゾソプラノ)と菅野静香さん(ピアノ)によるコラボレーションコンサートも開催されました。

2枚目は「雪に包まれる被災地」(2011年制作)です。これは気仙沼を直接的な題材にしたわけではないようですが、共徳丸らしきイメージをフレームの後ろと中に見いだすことができます。

20180819_02.jpg

宮城県在住の画家 加川広重さんは、1976年宮城県蔵王町生まれ。2001年に武蔵野美術大学油絵科を卒業し、2003年より「巨大水彩展」を開催しているそうです。これほど大きな画面を水彩で描くというのは驚きです。

平野君はイラストレーターとして活躍しています。絵を描いているだけに、いろいろと感じることがあったのではないでしょうか。メールには〈実物の絵には圧倒されました。「第18共徳丸」をこのような形で残していただきました〉と記してありました。なお、気仙沼の鹿折地区にうちあげられた第18共徳丸の解体が完了したのは、2013年10月のことです。

平野君、いつもありがとう。元気なようでなによりです。また会いましょう。

加川広重 公式サイト/巨大水彩作品

第18共徳丸とアーチストの関わりについては、つぎのふたつのブログに記したことがあります。影絵作家 藤城清治さんと、洋画家の野見山暁治(のみやまぎょうじ)さんのお二人についてです。お手すきのときにでも。

2014年3月7日ブログ「藤城清治さんの絵」
2014年11月26日ブログ「画家の野見山さん」

 

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気仙沼inノジュール

ちょっと前の話になりますが、雑誌「ノジュール」4月号に気仙沼に関する記事が紹介されていました。同誌は、JTBパブリッシング発行の〈50代からの旅と暮らし 発見マガジン〉。直販雑誌で店頭販売はありません。

いつも読んでいるわけではないのですが、図書館でぱらぱら見ていたら〈東京“昭和”探訪/あの頃の風景〉という大特集が目につき借りてきました。そして落ち着いてながめていたら大特集に続く特集〈地域初!ブランド食材 美食の旅〉の中につぎの4頁がありました。誌面イメージをご紹介します。



IMG_3338.jpg

最初の見開きでは、〈海の市〉の阿部長商店とリアスキッチン、そしてシャークミュージアムや氷の水族館が紹介されています。本文中には、阿部長商店が展開する〈マーメイドスタイル〉の一商品として〈亀洋丸のかつお〉をとりあげていました。〈亀洋丸で一本釣りした獲れたてのカツオを、船で急速冷凍。水揚げ後、サクなどの加工し、販売されている〉との説明。亀洋丸は、小山修司君(3年5組)のカネシメイチのカツオ船です。

つぎの見開き右頁は、鼎・斉吉さん。〈漁師さんをはじめ、たくさんの人に支えられている気仙沼の魚を、もっともっと広く知ってもらいたい〉との専務の斉藤和枝さんの言葉が紹介されています。そして左頁で紹介されているのは、唐桑の牡蠣。〈もまれ牡蠣〉を手がける畠山政則さんの言葉や〈復興かき小屋 唐桑番屋〉をとりあげています。取材日は2月18〜19日。〈文・堀内志保、写真:堀内孝〉との記載がありました。

誌名の「ノジュール」はたしか岩中のかたまり〈団塊(だんかい)〉のことで、団塊の世代をターゲットに創刊されたはず。そう思って誌面の記載を探してみると、目次の下につぎの説明がありました。

〈「ノジュール」とは、鉱物学の専門用語で硬くて丸い石球のこと。この中心にアンモナイトや三葉虫など“宝物”が入っていることがあります〉

なるほど。団塊のなかの宝物か。さすがに誌名の説明ですからきれいです。4月号のなかの気仙沼の記事は、「ノジュール」中の宝物だったかもしれませんね。編集部の皆様にお礼を申し上げます。

なお、最終頁には3年間にわたり編集長をつとめた田村知子さんが今号でノジュールを離れるとのお知らせがありました。最後の担当号で、気仙沼を紹介いただきありがとうございました。

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「川印」村田漁業

三陸新報の連載「わが社の屋号」、8月9日に第3回目が掲載されました。今回は魚町の村田漁業さんです。

川印2
三陸新報8月9日記事より


記事によれば同社は、明治41年(1908年)、初代・村田兵治郎さんが魚町でマグロを中心に扱う鮮魚仲買の「村田商店」として創業しました。屋号の「川印(かわじるし)」には、〈川のように絶えることなく流れ、いずれは大海に注ぐように--〉という、名付け親である兵治郎さんの創業者としての安定経営にかける思いが込められているとのこと。

今回の記事で私が注目したのは、3代目で現社長の村田健治さん(58)のつぎの言葉です。〈創業後、築地で同じ屋号を使っている四国の業者がありました。それがきっかけで商標登録しており、全国でうちでしか使えない屋号になっています〉。私はブランディングの仕事でネーミングやロゴに関わることも多いため、商標登録できるかどうかというチェックをよくおこないます。そんなことで、すぐに「カワジルシ」を調べてみました。

1976年9月に登録が完了していますね。1972年の出願ですから4年かかっています。今では早ければ半年ぐらいで登録できることもありますが、以前は結構待たされたのです。登録前に類似や同一がないかどうかを調べるのも、20数年前までは1件1類で2万円ほどかかりました。今でも弁理士さんに頼めば同様の費用がかかりますが、簡便な調査はパソコンでもおこなえるので便利になりました。

村田漁業さんの「川印」商標の登録指定商品区分は食用魚介類全般と海藻類です。参考までに記せば、これ以外の商品や役務(サービス)に「川印」商標を使用したり、新たに出願・登録することも可能なのです。村田漁業さんが、築地で同一商標の使用を知って商標登録をおこなったというのは賢明な判断だったでしょう。

これを機会に自分の会社の商標は大丈夫かと思った方は、次のサイトで簡易に調べてみてはいかがでしょうか。①「称呼」(しょうこ)の欄にカタカナで名称を入力 ②区分はとりあえずそのままの指定なしでok。

J-Platpat/特許情報プラットフォーム

ためしに「ホヤボーヤ」と入力して検索すると、類似も含めて3件と示されて、そのうち1件が気仙沼市の「海の子 ホヤぼーや」です。指定役務は第39類中の「観光業務及びこれに関する情報の提供」です。ほかに「ほやほや」という商標も示されましたが、指定商品・役務が異なるので問題となりません。もし同じであった場合に、「海の子」なしの「ホヤぼーや」と「ほやほや」が類似と判断されるかどうかは、微妙なところ。弁理士さんの判断をあおぐ必要があるでしょう。

ちょっと気になるのは、気仙沼市と関係のない菓子メーカーがたとえば「ホヤぼーや饅頭」という名のお菓子を販売したときに、商標権を理由にこれをやめさせることができるかどうかということ。菓子は第30類に属す商品で、この類で「海の子 ホヤぼーや」は登録されていません。あくまで推測ですが、ホヤぼーやのイラスト使用などはせずに、文字使用だけなら排除できないのではないかと。

ここまでにしておきますが、屋号は商標という資産でもありますが、登録などによってその権利を守ることが必要ということ。場合によっては知らないうちに他者の権利を侵害している可能性もあるのです。

話を戻します。村田漁業さん(というかやはりカワジルシさんというほうがしっくりきますが)の遠洋マグロはえ縄船はピーク時で10隻を所有していたそうです。〈大功丸〉でしたね。その後の2割減船や大震災もあって現在は2隻とのことですが、以前にはなかった最新の冷凍技術を生かしてお客様に美味しい船凍マグロをお届けしています。

私がなつかしく思い出すのは、魚町海岸通りのビルに建て直す前の建物。玄関のガラスには縦書きで〈村田漁業〉の名とともに〈川印〉が金色で記されていました。創業は1908年ですから今年で110周年。一世紀にもわたる歴史を知ると、屋号に込められた〈川のように絶えることなく流れ−−〉との思いがよりリアルに感じられてくるような気がするのです。

村田漁業(株)サイト
 
 

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向洋高校入校舎式

気仙沼向洋高校で8月24日(金)、新校舎への入校舎式がおこなわれました。市内波路上地区にあった旧校舎が震災の津波で被災し、市内九条の気仙沼高校第2グラウンドに建てられた仮設校舎に移転していましたが、7年半ぶりに旧校舎に近い階上地区に戻ることができました。

25日の三陸新報によれば、式典には全校生徒(約350人)をはじめ、来賓や用地提供者など400人以上が出席しました。席上、被災地支援として佐賀県の佐賀きずなプロジェクトから贈られたグランドピアノがお披露目されたとのことです。

この向洋高校の校舎復興については、25日の読売新聞都内版夕刊にも記事が掲載されていました。宮城県内版での掲載がどのようになっているかわからないのですが、とりあえずのご報告ということで。

向洋高校
読売新聞8月25日都内版夕刊記事の一部イメージ


三陸新報の記事にあった佐賀県からのピアノについてちょっと補足しておきましょう。佐賀県の佐賀きずなプロジェクトによる気仙沼へのグランドピアノ寄贈については、2016年4月のブログで記しました。その内容を要約して紹介します。

このピアノ支援の原資は、2011年10月から県内の全20市町で販売した「佐賀きずなプロジェクト/義援金付きプレミアム商品券」で、はじめから気仙沼の支援を目的としたものでした。そして2013年3月時点で義援金総額は、9233万円にものぼり、気仙沼市内の学校や公共施設に計24台のピアノが贈られました。その内容はつぎのとおりです。

◎2011年度
○グランドピアノ/11台
松岩小学校、松岩中学校、階上小学校、階上中学校、小泉小学校、鹿折中学校、大島中学校、面瀬中学校、新月中学校、葦の芽幼稚園、葦の芽星谷幼稚園
○アップライトピアノ/3台
落合小学校、中井小学校、気仙沼中学校

◎2012年度
○グランドピアノ(スタインウェイ)/2台
気仙沼市民会館、はまなすホール
○グランドピアノ/6台
東稜高校、本吉響高校、気仙沼西高校、気仙沼向洋高校※、気仙沼市立病院※、気仙沼中央公民館※
○アップライトピアノ/1台
愛耕幼稚園
○電子ピアノ/1台
気仙沼支援学校
○気仙沼市内の26の小中学校・幼稚園に楽器120点を寄贈

上記リスト中に※印のついている、気仙沼向洋高校、気仙沼市立病院、気仙沼中央公民館については義援金を積み立て、施設の再建後にピアノを購入するとされていました。今回の向洋高校への寄贈は支援の2012年事業として予定されていたものだったのですね。

三陸新報記事によれば、グランドピアノのお披露目では、同校産業経済科の渡邊凜ノ介さんがレディー・ガガの「Born This Way」(この道に生まれた)を演奏したそうです。

I'm on the right track, baby, I was born this way, hey

何度も繰り返されるこのガガの歌詞には、どのように生まれてこようと、これでいいのだ!といった赤塚不二夫的なものを感じますね。凜ノ介さんは、この選曲に〈震災によっていろんなことがあったけれど、それは変えることのできない運命的なもの。ネガティブにならずに前向きにやっていこうよ〉というメッセージを込めたのではないでしょうか。

向洋高校の皆さんにお祝いを申し上げるとともに、佐賀県の皆様には御礼を。おかげさまで向洋高校の新しい校舎に希望あふれる音楽が響いたようです。ありがとうございました。

2016年4月22日ブログ「佐賀からのピアノ」
2018年7月26日ブログ「向洋高校の新校舎」

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商業施設ムカエル

気仙沼市南町海岸に完成した内湾商業施設の名称が「迎(ムカエル)」に決まり、7月30日には看板が掲示されたと、8月1日の三陸新報が報じていました。

迎

三陸新報8月1日記事の一部イメージ


この内湾商業施設は、気仙沼地域開発(株)が建設を進めて今年6月に完成しました。施設内容についてはこのブログでも紹介してきました。今回の記事は、施設名称が決まったということ。まずは記事の名称に関する部分を引用します。

〈名称は、市内観光や地域交流拠点となることから、親しみやすいものを−−として、今年3月12日から同28日まで公募し、全国から38点が寄せられた。前回、内湾エリアのロゴマークを漢字1文字の「湾」と決めたことから、内湾一帯に統一感を持たせるために漢字1文字とすることにした。作品には「歓迎」た「迎賓館」などが目立ち、「迎」の1文字を取ってムカエルとした。ロゴはデザイナーの飯守格太郎さん(82)が監修し、愛称はウエルカムハウス。〉(引用は以上)

記事にある3月12日から同28日という16日間の募集については、3月19日のブログに記しました。私は多くの疑問を感じながらも、というかそれ故に名称およびロゴ案を「エースポート/ACEPORT」として応募しました。そして今回の決定名称を記事で知ったわけですが、多くの疑問を感じました。

見出しにも記事にも、名称は「迎(ムカエル)」とありましたが、「ムカエル(迎)」の間違いではないでしょうか。名称はあくまで「ムカエル」で、そのロゴが「迎」の文字をモチーフにしたデザインということではないかと。そうであれば、内湾エリア(これもその対象がよくわからないのですがスロー村などを含む全体エリアということでしょう)の名称(愛称)が「NAIWAN(ないわん)で、ロゴは「湾」の文字をモチーフにしていることと、一応は対応します。

しかし記事の内容をそのままにとれば、商業施設1階に入居しているテナントの住所表示が「迎(ムカエル)1F」あるいは「迎1F」になりはしないかと。同施設1階にはシャークスさんが入居していますが、同店内に置かれた気仙沼サンマフェスティバルの事務局の表記は「内湾商業施設ムカエル シャークス内」としてありました。「内湾商業施設ムカエル」。これまでの経緯を考えるとこれが自然な表記に思えます。
 
もうひとつ、愛称は「ウエルカムハウス」ということなのですが、名称と愛称の関係がよくわからないのです。それと名称は応募案のなかに採用作がなかったということのようですね。そして記事ではロゴ案公募の結果については触れておらず、「湾」のロゴをデザインした飯守格太郎さんが監修ということのみ。誰が/どこがデザインしたかについては書かれていませんでした。

今回の新しい商業施設は、気仙沼地域開発の計画では「ウォータフロント施設」と呼ばれていました。そして今後の完成が待たれているのがスローストリート/スローフードマーケットなどの施設です。これらのゾーンにも名称/愛称やロゴといったことが計画されているのでしょうか。湾や迎と同じようにスローのコンセプトを一文字でなどということになるのではないかと、ちょっと心配。

この記事を書くにあたって、ネットで検索していましたら、この商業施設の設計を担当したと思われる会社のサイトに「内湾ムカエル」という表記を見つけました。「内湾ムカエル」。施設名ということではないのかもしれませんが、私しっくりと感じました。

ムカエルに「ウ/U/you」を加えて並びかえればウエルカム。そんなアイデアや想起の期待が提案者の念頭にあったのではないかなどとも思ってみたり。

様々な問題や課題を踏まえて決めたことでしょうからそれはそれとして、これから定めるものも含めて全体のネーミング構造と表現(ロゴの有無)などを階層として整理する必要があるのでしょう。名称/愛称(呼称と表記)・ロゴマーク・それらの対象(エリアなど)といったこと。そして、市民、利用者の理解を得やすくして親しまれ施設名とするためにも、その方針を新聞記事だけではなく、自社サイトでも示していただければと感じました。いつも細かなことですみません。

6月13日ブログ「内湾商業施設ロゴ」
6月14日ブログ「内湾商業施設完成」

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内湾の復興マップ

気仙沼市が復興に関する情報を伝える「けせんぬま復興ニュース」は月2回発行され、全戸配布のほか市の公式サイトでも見ることが可能です。本日は7月15日号に掲載されている魚町・南町地区まちづくりマップを紹介します。2018年6月末時点の内容とのこと。

内湾1
「けせんぬま復興ニュース」7月15日号(No.144)より(クリックで拡大します)


説明文を引用します。

■魚町・南町地区の概要

魚町地区には、事務所や酒屋、飲食店が、南町地区には多くの飲食店などが立地予定です。南町海岸には商業施設が完成し、7月から順次営業を開始しており、グランドオープンは11月頃となります。(仮称)南町海岸公共・公益施設は6月末時点で53パーセントの進ちょくで、7月中に屋根まで完了予定です。地区内の歴史的建造物は再建され、歴史文化を継承した内湾らしさのあるまちとなります。(引用は以上)

上記のマップを拡大してみましょう。

内湾2

このマップを見ていて気づいたのですが、震災後に建設された公営住宅にもいろいろと性格というか種類の違いがあるのですね。魚町入沢(いりさわ)については、「市営魚町入沢住宅(災害公営住宅)」との表示がありましたが、八日町2丁目、魚町2丁目、南町1丁目、南町2丁目については「共同化建物」との表示になっています。これは災害公営住宅のほか、各種店舗や事業所などが入居する複合的な建物になっています。これらの計画や建設にあたっては、復興に関わる法律や助成制度などを駆使し、さまざまな工夫がこらされているのでしょう。

前回のマップ更新は10月15日発行号での2017年9月末時点内容でした。今回は9か月ぶり。以前のブログでもマップを紹介したなと思って調べたら2年前のことでした。その当時とどのように違うのかと思って比較してみたのですが、ほとんど同じでした。まちづくりマップが大きく変わるようでも困るのでしょうが、ちょっと驚きました。マップで空白になっている部分に建物が建ち始めるのはこれからということでしょう。

「けせんぬま復興ニュース」の最新号8月15日号(No.146)では、鹿折地区のまちづくりマップが掲載されています。後日ご紹介します。

2016年8月9日ブログ「内湾の復興MAP」

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ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 まちづくりマップ

船乗りたちの戦争

本日はテレビ番組の紹介です。8月13日に放送されたNHKスペシャル「船乗りたちの戦争 」の再放送。軍に徴用された民間の漁船と漁師たちに関するドキュメントです。私は録画しておいてあとで見たのですが、最後に気仙沼の漁船の話が出てきて驚きました。下の画像は本放送予告動画からのスクリーンショット。気仙沼市唐桑の海岸だと思います。

船乗りたちの戦争

◎船乗りたちの戦争
~海に消えた6万人の命
NHK総合テレビ
8月22日(水)深夜25:00〜25:45
(23日午前1:00~1:45)
番組ホームページ

番組ホームページから案内文を引用します。

「我敵部隊見ユ」――広大な海域を舞台に行われた太平洋戦争。その最前線でアメリカ軍の襲来を見張る「哨戒」を担っていたのは、海軍に徴用された漁師たちであった。通称「黒潮部隊」。小さな漁船はアメリカ軍による凄まじい射撃に晒され、「敵ニ対シ突撃ヲ決行ス」と打電し消息を絶っていった。部隊の死者は2000人に及ぶとも言われるが、詳しいことは分かっていない。戦争遂行に不可欠な石油を運んでいたのも、民間の船員たちであった。戦局の悪化とともに、軍は「特攻精神」による輸送を決定。それは、船団のうち、何隻かが日本に戻れれば良いという、死を前提とした輸送作戦であった。武装の乏しい漁船や商船は、米潜水艦の格好の標的となり、およそ6万人が犠牲になったと言われている。今回、こうした船が、いつ、どこで沈められたのかを示すデータを入手し、被害の全体像を可視化することに成功した。先の戦争で海の男たちは、どのような現実に直面したのか、埋もれてきた事実を明らかにする。(引用は以上)

登場するのは鈴木敬介さん(86)です。放送の中では気仙沼としか紹介されませんが、気仙沼市唐桑町鮪立(しびたち)にお住まいの方だと思います。そのお父様は鈴木駿太郎さん。享年36。船長として乗っていた船は「海晃丸」(かいこうまる)です。

詳しくは番組をご覧いただきますが、あまり知られることのなかった太平洋戦争における徴用漁船について、こうしてNHKスペシャルで放送されることの意義は大きいでしょう。きょうの深夜、午前1時からの放送ですので、予約録画などして是非ご覧いただければと。徴用漁船に関する気仙沼市史の記述などはあらためて紹介することにいたします。
 

テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 唐桑 徴用漁船

気高 廣野武蔵先生

きょうの甲子園決勝は、金足農(秋田)と大阪桐蔭(北大阪)の対決です。吉田選手の連投による疲れが心配ですが、ここまできたからにはなんとかと。試合は午後2時から。

さて、きのうのブログ「気高 甲子園名勝負」の続きです。気仙沼高校の甲子園での熱戦の記録アルバム3冊を作成した故 廣野武蔵(ひろの ぶぞう)先生について、三陸新報では〈同校教諭で野球部長だった〉と説明していましたが、気高での先生の姿を知るものとしてはちょっと物足りない感じがありました。ということで本日はその補足を。きのうのブログ「気高 甲子園名勝負」の続きです。気仙沼高校の甲子園での熱戦の記録アルバム3冊を作成した故 廣野武蔵(ひろの ぶぞう)先生について、三陸新報では〈同校教諭で野球部長だった〉と説明していましたが、気高での先生の姿を知るものとしてはちょっと物足りない感じがありました。ということで本日はその補足を。

武蔵先生は、気仙沼高校の前身である旧制気仙沼中学の第1回生(昭和7年3月卒業)です。つまり気仙沼高校OBにとっては大先輩です。私が気高に通っていた時でも、その体格もあいまってなんというんだろう大物というか古参というか、そんな印象がありました。手元の気高卒業アルバムの職員集合写真から武蔵先生がうつっている部分を紹介します。

武蔵先生

(気高22回生)昭和44年度卒業記念アルバムより


右から、新沼正先生、廣野武蔵先生、及川亀市教頭、北村潮校長です。及川教頭が校長と武蔵先生にはさまれて、なんか肩身を狭くしているかのようです。この写真で廣野武蔵先生の風格がご想像いただけるでしょう。

武蔵先生の父親は広野貞助さん(3代目広野太兵衛)です。気仙沼市長もつとめた「麻屋」(現・アサヤ)社長 広野善兵衛さんのお兄様。貞助さんが長男、善兵衛さんが三男だと思います。

広野貞助さんは、当時の気仙沼を代表する経済人であると同時に、たいへんな文化人、趣味人でもありました。気仙沼市立図書館も、明治40年ごろ(気仙沼文化史年表では図書館80年史をもとに42年としています)に太兵衛氏寄贈の図書、雑誌をもとに気仙沼小学校旧校舎(市内八日町)におかれた児童図書館が発祥です。

広野貞助さんは、大正11年(1922年)に〈翠(みどり)会〉代表として記録映画「気仙沼港 実況」も制作しています。昭和52年には、この映画の写真を使って編集された『けせんぬま写真帖』が気仙沼商工会議所から発行されました。このブログでも何度か紹介しましたね。

こうした業績をふりかえると、武蔵先生にはこうした父親をもった息子としての苦労もあったのではないでしょうか。残された資料や記録類も多かったはずです。それは、先生の長男である純朗さんも同じかもしれませんね。私たちのいっこ先輩の気高21回生です。三陸新報の記事によれば、アルバムは〈自宅の書庫を整理していた際、同窓会資料などに混じっていたのを偶然発見〉したとのこと。アルバムは3冊ですが、ほかの同窓会資料をどうするか。まさに余計な心配ですが、私たちの世代ではよくある苦労といってよいでしょう。

廣野武蔵先生が残した3冊のアルバムは、気仙沼高校の56年前の甲子園における活躍を思い出させるとともに、武蔵先生をしのぶよいきっかけをつくってくれました。武蔵先生そして純朗さん、ありがとうございました。

武蔵先生の寄稿文をつぎのブログで紹介しております。お手すきのときにでも。

2013年4月16日ブログ「気仙沼港 実況」
2016年11月4日ブログ「「日の出凧」の起源」

なお、武蔵先生の苗字表記を廣野/広野いずれにするかについては、三陸新報の記事表記どおりにしました。これが正式でしょう。ただし、広野貞助(広野太兵衛)、広野善兵衛各氏については通例にしたがい広野としております。

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tag : 気仙沼 廣野武蔵 広野太兵衛

気高 甲子園名勝負

高校野球、夏の甲子園100回大会は今日が準決勝。やってくれました。金足農業と日大三高の戦いは2−1で金足農業の勝利。NHKラジオで中継を聴いていたのですが、11:50から12:20まではニュースや天気予報などで中継なし。勝利決定の瞬間を聴くことはできませんでしたが、本当によかった。明日は決勝戦。なんとか東北に初の優勝旗をと願っています。ということで本日のブログの話題は甲子園。気仙沼高校硬式野球部が甲子園に出場したときの話です。先月の話になるのですが、7月13日の三陸新報にその熱戦の記録をまとめたアルバムが見つかったという記事が掲載されていました。

甲子園アルバム

三陸新報7月13日記事の一部イメージ


まずは記事から気高硬式野球部の甲子園での活躍を紹介しておきましょう。夏の甲子園、第44回大会。1962年8月ですから私が気仙沼小学校の5年生のときのことです。

〈気仙沼高校は春の選抜で優勝した強豪・作新学院と対戦。エース・熊谷猛郎投手(当時3年)の好投もおよばず、延長11回の接戦の末、1-2で敗れた。のちにプロ野球界で活躍する八木沢荘六投手を擁する作新学院は、この大会で頂点に立ち、春夏連覇を達成した。〉

以上が試合結果。優勝校となる作新学院に延長戦となるまでの熱戦を繰り広げての惜敗ということです。これだけでもすごいのですが、今でも私たちの記憶に残るのがつぎの話。記事の引用を続けます。

〈一方で、大会前に八木沢投手が赤痢にかかったことを理由に、高野連が2日目に予定されていた気仙沼との試合を、4日目に延期。気仙沼が延期を快諾した行為は、「気高、武士の情け」などとしてたたえられ、今なお関係者の間で語り草となっている。〉(引用は以上)

2015年7月6日の河北新報は、気仙沼高校と作新学院の対戦についてつぎのように記しています。〈互角の熱戦を繰り広げた。延長11回、1-2で惜敗したが、無名校が存在を全国に知らしめた。その後、作新学院は甲子園史上初の春夏連覇を成し遂げる。もし気仙沼が作新学院に勝っていたら、球史が変わっていただけに、気仙沼市民の胸は誇らしい気持ちで満たされた〉。

〈誇らしい気持ち〉。まさにそうだったと思います。三陸新報では、7月13日の記事に続き、8月14日の三陸新報1面コラム「万有流転」でもこのアルバムについて記しています。〈 春夏連覇を果たした作新学院との夏の甲子園での名勝負は、100回を迎えた高校野球史にしっかりと刻まれている〉とも。筆者は、〈 熱戦譜〉ともいうべきアルバムを見せてもらい、あらためて選手たちの偉業を実感したそうです。そして〈こんなエピソードも残っている〉とつぎの話を紹介しています。たぶん、アルバムのなかにあった新聞記事に掲載されていた話ではないかと。

〈今では当たり前になった試合終了後の応援席清掃。自分たちのごみを拾い、持ち帰ることをいち早く行ったのが56年前の気高。スタンドからは、選手たちへの激励と応援席を讃える拍手が鳴りやまなかったという〉(引用は以上)

このエピソードは知りませんでした。あるいは忘れていました。いい話です。応援席には〈三陸の王者〉と染め抜かれた応援幕もあったことでしょう。

この熱戦アルバム3冊を作成したのは、気仙沼高校教諭で野球部長だった故 廣野武蔵(ひろのぶぞう)先生です。廣野先生は77歳でお亡くなりになったのですが、長男の純朗さん(68)が自宅の書庫を整理していて見つけたそうです。純朗さんの希望もあり、このアルバムは甲子園の土を踏んだOB郷古良英さん(73)の手に渡り保管されているとのことです。

気高卒業生としては廣野武蔵先生の名が懐かしく、この記事を書き始めたのですがちょっと長くなりました。武蔵先生については回をあらため明日にでも。1962年(昭和37年)8月13日の名勝負。これからも語り継いでいくことができればと。


三陸新報の熊谷猛郎さんインタビュー記事や河北の記事については、つぎのブログに記しております。

2014年3月20日ブログ「甲子園の熊谷投手」
2015年7月9日ブログ「1962年夏・甲子園」

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tag : 気仙沼 気仙沼高校 作新学院 甲子園

「まるや」足利本店

三陸新報の連載「わが社の屋号」、8月2日掲載の第2回目は足利本店さんでした。

記事によれば、創業は1840年/天保11年で、足利弥蔵さんが出身地の気仙沼市南町で海産物の買い付けをなりわいとしたのが始まり。そして、屋号の呼び名「まるや」は弥蔵(やぞう)さんの頭文字にちなんだものだとのこと。

8月5日足利本店
三陸新報8月5日記事の一部イメージ


記事を読んでいて、ちょっと疑問を感じるところがありました。〈弥蔵さんは、釜の前(現在の旧エースポート付近)でマグロなどの買い付けを行う一方、魚を塩漬けにして保存させる、塩を作るため釜を造っていた〉という部分。〈釜ノ前〉といえばまずは魚町、〈エースポート付近〉であれば南町の旧称である〈西風釜(ならいがま)〉とするのが自然ではないかと。記事の冒頭に〈南町で海産物の買い付けを〉という記述があったこともあり、ちょっと混乱しました。

私が小さなころから知る足利本店は、記事の写真にうつっている南町の建物。気仙沼の魚問屋などの伝統を感じさせる趣がありました。その記憶があるものですから、現在の所在地が〈港町〉となっていることにちょっと驚きました。時代は変わる。

なお、エースポート前付近の住所表示は南町の前には魚町であったこともあるそうなので、いろいろと難しい。さらにいえば、旧エースポートの場所にできた新しい商業施設地区の住所表示はいま〈南町海岸〉となっています。いつ変更になったのかはよくわかりませんでした。住所表示の変遷は難しい。そして面白い。

記事には6代目で現在は会長をつとめる足利健一郎さん(75)の言葉が紹介されていました。また、記事写真の右上に5代目社長の足利金兵衛さんがうつっていますが、市史に気仙沼の漁業関連記述に〈初代 足利金兵衛〉さんが随所に登場することからみて、襲名しての何代目かの金兵衛さんだと思います。

現在の社長は足利宗洋さんです。7代目ということでしょうね。宗洋さんについては、7月23日更新の〈気仙沼のほぼ日/沼のハナヨメ。〉がとりあげていました。生鮮カツオ出荷の様子がサユミさんの絵によってとても上手に紹介されています。

「沼のハナヨメ。」第146話

サユミさんの絵のなかに、足利宗洋さんの趣味はDJと記されています。これも時代を感じさせますね。初代の弥蔵さんが7代目のDJぶりを見たらなんというでしょう。〈ばばば、なんとしたべ〉そして〈たんまげでしまっだでば〉でしょうか(笑)。

創業の年である天保11年(1840年)は、第12代将軍 徳川家慶(いえよし)の時代です。当時の気仙沼はどんな風景だったのでしょう。釜の前や西風釜の通りを行き来する人の姿、その言葉などを想像すると、とても愉快な気分になってくるのです。

株式会社足利本店 WEBサイト

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大人の休日倶楽部

8月2日に菊田裕美君(3年1組)からのメール。JR東日本「大人の休日倶楽部」の会員誌8月号に気仙沼が紹介されていたとのこと。画像が添付されていました。久住昌之が行く「みなとのグルメ」気仙沼漁港です。





これは久住昌之(くすみ まさゆき)さんの気仙沼訪問記です。久住さんは、漫画やエッセイのほか漫画原作者としても活躍しており、テレビドラマ化された『孤独のグルメ』もそのひとつ。このドラマにはたしか本人も少し登場していたのではないでしょうか。〈美学校〉出身でサブカルチャーの香りが持ち味です。

久住さんがまず訪れたのは、南町紫神社前商店街の郷土料理居酒屋「男子厨房 海の家」。カツオの刺身に感激します。「脂がのってる」とかそういうレベルでなく、味がとにかく最高だったと。それから〈トロメカジキ〉や〈アザラ〉〈マンボウの共煎り/ともいり〉なども。震災前は民宿をやっていたという店主の畠山仁義さんの話も紹介されています。

次の日の朝は、魚市場へ行きましたが、カツオやサメの水揚げがなかったそうです。残念でしたが、「海の市」に寄ってくれました。「さかなの駅」の写真も紹介されています。お昼は「お福」で気仙沼ホルモンを。そうした訪問先などが地図に示され、そこに久住さんによるご自身のイラストが描かれています。その吹き出しには「酒飲みにはタマラン街です !!」と。

久住さん、ありがとうございました。どうぞまた、気仙沼にお出かけください。

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気仙沼空襲の記憶

きょうは8月15日。敗戦/終戦の日。きのう8月14日と本日15日の三陸新報には、〈気仙沼空襲〉に関する小田濱夫さんという方の投稿が掲載されていました。

小田さん投稿

三陸新報8月14日記事の一部イメージ


私と同じ名字ですが縁戚ではありません。本日の投稿によれば以前は大島漁協職員だったことがある方です。

小田濱夫さんは冒頭で、中学1年生だった昭和20年8月のある日、八日町にあった七十七銀行気仙沼支店近くで米軍機の機銃掃射にあったと記しています。ただそのことは〈8月の何日だったろうか、また、路上に硝煙があがったのは錯覚ではなかったろうかと、長い間胸に秘めていた〉そうです。しかし、昨年8月15日の三陸新報で畠山巌さん(78)の「気仙沼空襲」と題する手記を読み愕然とします。空襲を受けた梶ケ浦での悲惨なできごとの全貌を初めて知ってその不明を恥じたというのです。

これを読んで、すぐにあの投稿のことだなとわかりました。私も畠山巌さんの文章を読んで、その内容に驚いたひとりです。昨年8月18日のブログでは投稿文を紹介し、8月9日と10日の気仙沼空襲のことを記しました。

2017年8月18日ブログ「投稿 気仙沼空襲」

このブログでは、気仙沼市史における気仙沼空襲の関連記述を一部引用し、畠山巌さんの投稿は画像として掲載しました。本日は、投稿中にある自宅裏の竹山での惨状に関する記述を引用します。8月9日午前10時ごろのことです。

「 叔母の夫・文二が上半身に無数の破片を受けて苦痛にあえいでおり、叔母は泣きながらけんめいに介抱を続けていたが、空襲下の山中では手を施す術もなく、悶絶のあげく息を引きとった。祖母は娘の主人の惨状を見て悲嘆にくれていたが、祖母自身右胸から背中に貫通する機銃掃射の弾を受けており、苦しそうに胸を押さえていた。
 さらに杉山では、分家の叔母が3歳の娘を抱いていたところ、破片が娘の頭を打ち砕き、そのまま叔母の腕に突き刺さり、娘は即死、叔母も耐え難い苦痛と闘いながら、出血多量で夕方に死んだ。
 そして、後に残された長女も頬に破片を受けて、痛ましい姿となっていた。父の叔母も破片が当たり亡くなった。死体は粗末なリンゴ箱や魚箱に入れられて、巡査の命令によりその夜のうちに慌ただしく埋められたという。」(引用は以上)

6歳だった畠山巌さん自身も右足を失いました。そして投稿文をつぎのように結んでいます。〈戦争さえなかったなら、私の足に破片が当たらなかったら良かったのに、と思わない日がこの72年の間、1日とてなかった。〉

いまあらためて読んでもとても重い印象を受けるのですが、小田さんは悲惨なだけではない別の側面についても記しています。投稿文の末尾で〈なお、ご自身は難関の薬大を出られて、薬剤師として人々を助ける仕事に携わられたことは、決してゆえなきことではなく、読む人にある種の安堵と勇気と感動を与えている〉と。

小田さんが長い間胸に秘めていた米軍機の機銃掃射を受けた記憶が畠山さんの一文によって解放され、右足を失いながらも薬剤師として人々を助ける仕事についたということに励まされたのでしょう。

本日の投稿では、当時は町役場の職員で歌人としても知られる三浦百郎さんの戦争体験記「雲はかえらず」への寄稿文によって、自分が八日町で体験したグラマンからの機銃掃射は決して錯覚ではなく、8月10日のことだったことを確認できたと記しています。

昨年の畠山巌さんの投稿、そして今年の小田濱夫さんの投稿。いずれも気仙沼空襲の体験を伝える貴重な投稿であると思いました。

終戦の日。この戦争でお亡くなりになった多くの方々のご冥福を心から祈ります。

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気仙沼仏教会23寺

お盆ということで、気仙沼に帰省している人も多いことでしょう。8月9日の三陸新報には、毎年恒例の市内寺院の広告が掲載されていました。

8月9日仏教会
三陸新報8月9日掲載広告


いつも同じ内容にも見えるこの広告ですが、昨年と違うところがあるのにお気づきでしょうか。それは「気仙沼仏教会」としての広告枠が登場したことです。合計23寺院と関連企業団体の名が連なっています。

この部分に私の目が止まったのは、昨年3月にこの「気仙沼仏教会」設立に関する三陸新報の記事をおぼえていたからです。3月24日付けのつぎの記事。

3:24仏教会
三陸新報2017年3月24日記事の一部イメージ


この記事によれば、震災後、市内の多くの寺院は避難者の受け入れやボランティア活動の拠点などとして役割を果たした一方で、非常時における寺院間の連携不足が浮き彫りになったといいます。そのため、各寺院から連携強化に向けて連合組織の設立を望む声があがっていたとのこと。こうした仏教会の設立は気仙沼・本吉地方では初めてのことです。記事には23寺の加入を予定とありました。冒頭に紹介したお盆の広告には23の寺院名がありましたので、計画通り。

昨年3月22日の設立総会では光明寺の千田雅寛住職が会長に選出されました。光明寺さんは大島浦の浜にある真言宗のお寺さんです。役員の方々を紹介しておきます。副会長:片山秀光(階上・地福寺)菊地秀道(寶鏡寺)、幹事:村上幸謙(浄福寺)片山康晴(唐桑・地福寺)、理事:鮎貝宗城(観音寺)駒林泰玄(法玄寺)高橋一世(浄念寺)、事務局長:工藤霊龍(青龍寺)、財務:鈴木貴博(浄勝寺)、庶務:平塚兼伸(仙翁寺)、敬称を略しましたが、以上のご住職です。

宗徒、檀家というか私たちの立場からいえば、世代が変わるなかでのお寺さんとのおつきあいや将来のお墓のことは大きな課題。一方では寺院の側も、そうした檀家の寺離れ傾向を受けて運営、経営には悩みも多いと聞きます。それだけに、地域における寺の新たな役割や価値を生み出す、気仙沼仏教会としての宗派の垣根を越えた活動に期待しております。

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tag : 気仙沼 気仙沼仏教会

34年ぶりの聖観音

8月9日におこなわれた気仙沼/観音寺の秘仏聖観世音菩薩像(しょうかんぜおんぼさつぞう)のご開帳について、8月11日の三陸新報が伝えていました。このご開帳は33年に1度とされていますが、東日本大震災の影響で一年遅れとなり、1984年以来34年ぶりになったとのこと。台風の接近もあるなか、ご開帳に先だって本堂で営まれた御開扉法要には約250人もが集まったそうです。

ご開帳8月11日
三陸新報8月11日記事の一部イメージ


ご開帳された観音像に関する記事の説明を引用します。

観音像は、千年以上前に源義経が皆鶴姫を供養するために作られたものと伝えられている。江戸時代には5代目の仙台藩主・伊達吉村の許しを得て建造のための寄付を行い、1723年に観音堂が建てられたという。観音像が安置されている厨子(ずし)は県の有形文化財に指定されている。(引用は以上)

この秘仏とされる聖観音が観音寺の本尊であるとの記載をみることがありますが、正しくは三陸新報の記事にあるように〈観音堂の本尊〉です。

記事には前回のご開帳にも訪れたという市内四反田に男乕正志さん(79歳)の話が紹介されています。「観音像はふくよかで良いお顔をしていて、再び見ることができてうれしい。なお一層の幸あれと願った」。34年ぶりですから、前回の参拝は45歳ぐらいのときだったのでしょう。なんというか、秘仏の印象とともに〈おかげさまで〉という気持ちが感じられるとてもいい言葉でした。男乕さんをはじめ多くの人が祈ったことでしょう。なお一層の幸あれと。

観音像・皆鶴姫 関連連載ブログ

①8月7日「観音寺 観音像開帳」
②8月8日「気仙沼 皆鶴姫伝説」
③8月9日「當山観世音略縁起」

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tag : 気仙沼 観音寺

県の対策案を拒否

このブログが皆鶴姫伝説を連日お伝えしているなか、魚町防潮堤が県のミスで22cm高く施工された問題で動きがありました。8月7日(火)に内湾地区復興まちづくり協議会の幹部が記者会見を開き、背後地のかさ上げで陸から見た防潮堤高を抑える県の対策案を受け入れず、再度造り直しを求める方針を示しました。7月14日のまちづくり協議会では結論を持ち越しましたが、その後の検討結果を会見で表明したことになります。8月8日の三陸新報はつぎのような記事を。

県の対応案拒否

三陸新報8月8日記事の一部イメージ


記者会見の内容については、河北新報8月8日配信記事をもとに紹介します。

再度造り直しを求める理由は、①県に対する不信感 ②かさ上げ工事に伴い市の土地区画整理事業が少なくても2週間遅れる ③区画整理事業内の土地と道路に最大75cmの段差ができる~など。協議会の菅原昭彦会長は「地権者の反対は根強く、(かさ上げ案を)認めることはできない。県の誠実な対応を待ちたい」と述べたそうです。

河北新報は、県の提案を拒んだ背景に、大震災の直後から続けてきた防潮堤高を巡る議論が無視されたことへの不満だけではなく、問題発覚後の村井嘉浩知事の姿勢などに住民が抱く強い不信感があるとみています。7日の記者会見で協議会が配ったA4判3ページの「魚町地区防潮堤工事施工ミスの県の対応に関する協議会としての見解」のうち2ページは村井知事や県への不満に割かれているそうです。その内容をつぎのように紹介しています。

村井知事が5月18日にあった協議会の会合で住民が選択した造り直しを覆し、「反対もあるがサイレントマジョリティー(声なき多数派)がいるのも事実」と述べた件や、知事会見でパネルを使って「22cm」の低さを強調した例を列挙したこと。昨年3月に職員が高さ表記の誤りに気付いていたことを県が7月2日に県議会に報告しながら、2日前にあった地元の説明会で伝えていなかったこと。それらは「事故を起こした責任のある加害者から損害を受けた住民に対しての発言、進め方として不適切」と知事の誠意を欠く対応を非難し、「県民と県との信頼関係を大きく損なう事案。深い失望感を覚えている」と結んでいるそうです。そして村井知事は「記者会見の内容については、あらためて菅原会長から話を伺った上で、県としての対応を考えたい」とコメントを出したとのこと。

記者会見には、菅原昭彦会長のほか、村上力男副会長、藤田淳逸運営会議委員が同席しました。村上さんは南町、そして藤田さんは魚町と、それぞれの地区をよく知るということでもあったでしょう。河北新報によれば、運営会議委員で魚町2区自治会の会長でもある藤田淳逸さんが「造り直しは内湾地区の総意だ」と強調したそうです。魚町住民だけの意向ではないということを伝えたかったのだと思います。

つぎのステップは県の反応。結論まではまだ時間がかかるのでしょうが、それも仕方なし。それもこれも5月18日の村井知事の発言と姿勢のせい。決して言い過ぎではないでしょう。

7月17日ブログ「結論は持ち越し」

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tag : 気仙沼 内湾まちづくり 防潮堤

當山観世音略縁起

台風13号が北上中で気仙沼への影響もこれから出てくるのではないでしょうか。くれぐれも警戒をお願いします。大事がないことを願っています。そして本日8月9日は長崎に原爆が投下された日。午前11時2分には、気仙沼の防災行政無線のサイレンも鳴らされたことでしょう。

さて本日も〈皆鶴姫伝説〉について。3日連続になってしまいましたが、そのほうが後になった時にわかりやすいだろうと。今日ご紹介するのは、気仙沼市史 第7巻 民俗・宗教編(平成6年2月刊)のなかの「義経と皆鶴姫伝説」記述です。このなかには、観音寺に所蔵されている寛政2年(1790)に作成された「當山観世音略縁起」の内容も紹介されています。資料として利用できるように、画像として掲載します。(画像はクリックで拡大します)


●気仙沼市史 第7巻 民俗・宗教編/
 民俗編 第6章「言語伝承」第5節「伝説」/
 義経と皆鶴姫伝説



①P370〜371

IMG_3303.jpg
②P372~373

IMG_3304.jpg
③P374~375

①の左下が、観音寺が所蔵している義経が使っていたと伝えられている笈(おい)です。②の右頁は、には皆鶴姫伝説が気仙沼だけでなくほかの地域にも伝えられていることなどが記されています。そして左頁が「當山観世音略縁起」(とうざんかんぜおんりゃくえんぎ)です。當は当の旧字体。當山/当山でこの山(寺)のといった意味でしょう。

第5節「伝説」の中にはつぎの6つの伝説が紹介されています。弘法伝説/尾形三郎伝説/羽田神社とお山がけ/義経と皆鶴姫伝説/寺社縁起/憑霊と伝説。なお、第6章の執筆者は、当時の市史編さん室で主任主事をつとめていた川島秀一さんです。


本日の内容はあくまで資料として掲載いたしました。内容について特に付け加えることもないのですが、②の右頁P372に『室根山大祭記』にも皆鶴姫が登場するとの記載がありました。室根山に紀州から熊野神が勧請されて1300年となる年に観音寺の観音像が33年ぶりにご開帳というのも何かのご縁。これも義経と皆鶴姫のなせる技かと。

これにて3回にわたった皆鶴姫伝説連載を終了します。

①8月7日ブログ「観音寺 観音像開帳」
②8月8日ブログ「気仙沼 皆鶴姫伝説」

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tag : 気仙沼 観音寺 皆鶴姫伝説

プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/66~67歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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