小田の浜の海開き

気仙沼大島の小田の浜海水浴場の〈海開き〉が明日7月22日(土)におこなわれます。7月20日の三陸新報には広告が掲載されていました。

7:20大島海開き

三陸新報7月20日掲載広告の一部イメージ

21日の三陸新報によれば、ミヤコーバスは、この海開きに合わせ7月22日から8月20日までの期間限定で、バス路線に「小田の浜海水浴場停留所」を設けます。またフェリー乗り場のある浦の浜からの直行便往復5便も特別運行するとのこと。

最後に、海開きを前にしての本日7月21日のテレビ番組情報を。BS-TBS「伊達な旅紀行~いいトコ!みやぎ」で大島が紹介されます。宮城県の観光地や食材・物産などの魅力を紹介する5分ほどのミニ番組。〈夏は親子で大島へ!〉と題し、〈緑の真珠〉気仙沼大島での夏休みにぴったりの体験を紹介するそうです。

◎7月21日(金)午後8:54〜9:00
◎BS-TBS「伊達な旅紀行~いいトコ!みやぎ」
◎#281「夏は親子で大島へ!」

広告に掲載されていた大島/浦の浜に向かう船の時刻表を見ていると、気仙沼小学校に通っていたころの夏休みを思い出します。浦の浜からは人があふれんばかりの満員バス。帰りはバスの到着まで時間があれば〈歩いでいぐべ〉と。けだるさを感じながら歩いているうちにバスに追い越されて。そんな記憶もなつかしい。

しかしなあ、いまだに〈小田の浜〉を〈こだのはま〉と読むのはなじめません。行政としての呼称は別として、私にとってはいつまでも〈おだのはま〉です。どうぞ皆様、今年の夏は気仙沼大島に是非おでかけください。

2012年7月25日ブログ 「こだのはま」?
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気仙沼市震災遺構

きのうのブログでは、気仙沼市の復興祈念公園について紹介しました。本日は、〈気仙沼市震災遺構〉についてです。気仙沼向洋高校の旧校舎保存に向けた工事が本年12月に始まるとの三陸新報の記事を紹介します。6月24日に掲載されたちょっと前の記事ですが、費用も含めた計画概要資料として紹介しておきます。

6:24向洋高校保存
三陸新報6月24日記事より

記事の一部を引用します。〈 震災遺構となる旧気仙沼向洋高校舎について、気仙沼市は12月に保存に向けた工事に着手する。見学デッキ設置などにかかる整備費は2億5千万円で、国の復興交付金などを充てる。校舎に併設する仮称・震災伝承館や岩井崎プロムナードセンターを含め、2019年3月の開館を目指す。
 旧校舎の保存範囲は、市が一般公開のアンケート結果などを受けて今年1月、当初計画の南校舎のみから北校舎、総合実習棟などを含めた全体保存に方針を転換。校舎と土地は4月24日に県から市に無償譲渡されており、9月の県建築審査会での審査・承認を経て12月に工事に着手する。(中略)

 仮称・震災伝承館と岩井崎プロムナードセンターは鉄骨平屋建て(建築面積1295㎡)。震災の記録と記憶を伝える展示室などを配置し、センターには映像シアターや体験・交流ホール、オープンキッチンなどを整備する。
 両施設の概算事業費は5億8500万円で、旧校舎の保存工事と合わせた全体整備費は約8億4千万円。校舎全体を解体した場合の相当額とほぼ同規模となった。全体の管理運営は市内の企業や団体による指定管理を予定している。〉(引用は以上)

この記事のなかにも、当初の方針を変更し保存範囲を拡大した経緯が記されていましたが、これについては、下記の2016年12月29日配信の河北新報配信記事をご覧ください。

陣山の復興祈念公園、そして旧気仙沼向洋高校舎の保存など周辺地区での震災伝承施設の計画が具体化してきました。鹿折地区に打ち上げられた第18共徳丸の保存をめぐって議論があったと同様に、被災の記憶をどのように伝承していくかについてはさまざまな意見があるでしょう。しかし、計画がここまで具体化したからには、これを最大限に活用して新しいまちづくりに役立つものにして欲しいと願っています。

河北新報2016年12月29日配信記事

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陣山を別の角度で

毎日新聞が7月5日に配信した記事に興味深い写真が紹介されていました。記事のテーマは、気仙沼市が陣山頂上に設ける復興祈念公園の基本計画をまとめたということ。6月23日にこのブログでも紹介した三陸新報の記事と同様ですが、毎日新聞の写真は三陸新報が紹介した気仙沼市提供の写真とは逆の方向から撮影されたものでした。ちょっとコントラストを調整して紹介します。

陣山写真
毎日新聞7月5日配信記事より(クリックで記事にジャンプ)

一部が崩れ落ちそうな陣山の感じと、係留された漁船の風景がとてもいい。少し説明を加えれば、陣山の下の道路左側にはホテル望洋があり、さらに下っていけば私の実家がありました。逆に坂を右側に下っていけば石橋の地蔵さんを左に見ながら鹿折地区に至ります。

私は、この角度からの写真をこれまで見たことがありませんでした。どこから撮ったのでしょうか。対岸の鹿折地区、たとえば吉田造船所付近から望遠レンズで撮ったのかなあ。あるいは海上、つまり船にのって撮影したのか。いずれにしてもかなり頑張って撮影していただいたなあと。

写真の紹介が本題でしたが、記事の一部を参考資料として以下に引用しておきます。

〈 気仙沼市は、東日本大震災の犠牲者を追悼する「復興祈念公園」の基本計画をまとめた。2019年度中の完成を目指す。
 公園の予定地となっているのは同市の陣山(標高約57m)。市は昨年3月、震災犠牲者への追悼と鎮魂の場として被災地域に囲まれ、津波浸水の恐れがないことなどを理由に陣山を選んだ。陣山からは、震災の津波で漁船の第18共徳丸が打ち上げられ、火災にも見舞われた鹿折地区や内湾地区などが一望できる。石巻市や南三陸町でも復興祈念公園の整備計画があるが、気仙沼市によると、津波浸水区域外に整備するのは県内では初めてという。
 公園の面積は約2.3haで、頂上付近に祈りの場(約750㎡)を整備し、モニュメントを設置する。高齢者や障害のある人に配慮し、祈りの場につながる歩道(260m)は緩やかな勾配となっている。総事業費は約4億3000万円で、うち約3億3000万円は復興交付金などを充てる。モニュメントの建設費は寄付を募る。市は今後、有識者や地域の代表者などでつくる検討委員会を設置し、祈りの場やモニュメントなどの詳細の検討を進める。〉(引用は以上)

この写真の下部、海に面するところには、一学年下の川島秀一さんの自宅がありました。震災の津波で被災し、秀一さんは鼎が浦高校の教師をつとめていたこともあるお母様を失いました。そしてさらに右側には、ふかひれ加工で知られる臼井弘君(3年4組)が代表をつとめる〈福寿水産〉があります。自宅や工場が被災しましたが、懸命の努力によって復興しています。

そんなこんな、いろんなことを思い起こさせる、ちょっと違った角度からの陣山の姿。毎日新聞さん、ありがとうございました。

6月23日ブログ「震災復興祈念公園」

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将棋で遊んだころ

公式戦最多となる29連勝記録を達成した中学3年生、藤井聡太四段によって将棋や棋士への注目が一気に高まりました。そのニュースを見ていて、将棋の駒で遊んでいた小学生のころを思い出しました。

当時、正式なルールでの将棋は〈本将棋〉と呼んでいました。私も一時期は兄とやりましたが、そんなに長続きはしなかった。近所の遊び友達とやったのは、はさみ将棋、まわり将棋、将棋くずしが多かったのではないでしょうか。

〈はさみ将棋〉は、歩の駒だけをお互い横一列にならべて始めます。歩は前後左右に動かすことができて、相手の歩をはさめばそれをとることができます。〈まわり将棋〉は、将棋盤の外周を使うすごろくのようなもの。サイコロの代わりに金将を使います。細かなことを忘れていたので調べてみたら4枚使っていたのですね。表が出た駒の数だけ歩を進めるのが基本のようですが、いろんなローカルルールがあったらしい。〈将棋くずし〉は、将棋の駒を使った〈ジェンガ〉のような遊び。箱を使って将棋台盤の中央に駒の山をつくります。そして順番に、指で駒を盤の外に滑らせていくのです。山が崩れたりカチッと音が出たりすると負けというゲーム。

以上は、ちゃんとした将棋の駒を使うゲームですが、違う駒を使う将棋がありました。〈軍事将棋〉です。軍人将棋とか行軍将棋ともいうらしい。ゲーム用品のネットサイトの画像を紹介します。

軍事将棋
木村娯楽堂サイトより(クリックでサイトにジャンプ)

ルールは省略しますが、スパイは一番弱い駒なのですが大将にだけは勝つことができるなど、駒の勝敗が細かく定められています。審判が必要とか、かなり面倒なゲームでそんなに多く遊んだ記憶はありません。しかし、佐々木徹君(3年1組)の家の2階で何人かが集まって遊んだことが思い出されます。その記憶の中では、審判役が薄い紙に書かれた勝敗ルールの説明を読んでいるのですが、ルールがやたら難しくなにがなにやら。その解釈でもめています。当時の私たちに軍事将棋は難しく、将棋くずしあたりがお似合いだったようです(笑)。

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本日「かつおの日」

きょう7月17日は「かつおの日」。これは気仙沼市や気仙沼商工会議所、気仙沼漁業協同組合などでつくる「気仙沼市生鮮かつおプロモーション事業実行委員会」が制定したもので、〈海の日〉(7月第3月曜日)を〈気仙沼かつおの日〉として、生鮮カツオ水揚げ20年連続日本一の気仙沼をアピールしていきます。7月12日の三陸新報が、11日に気仙沼商工会議所で行われた、のぼりとポスターの商店街連合会への贈呈式の様子を報じていました。

かつおの日

三陸新報7月12日記事の一部イメージ

右から商店街連合会の菅原俊朗会長(菅原酒店)、二人目が実行委員長で商工会議所水産流通部会の阿部泰浩部会長(阿部長商店)、左端は、観光サービス業部会の鈴木淳平部会長(セントラルホテル松軒)でしょう。のぼりやポスターは、今月15日から8月20日までの「かつお月間」に、市内に掲げてもらうそうです。

この〈かつおの日〉については、〈カネシメイチ〉の代表 小山修司君(3年5組)が〈言い出しっぺ〉であることを5月のブログで書きました。上で紹介した記事には、カネシメイチでは独自に〈かつおの日〉のポスターを作製し、商店街などに掲示するとありました。この独自の動きが私としてはちょっと気になるところです。いずれにしても、修司君が声をあげ、やっとのことで実現のはこびとなったこの記念日がひろく知られるようになって欲しいと思っております。

余談ですが、当初は〈カツオの日〉と表記されていましたが、〈かつおの日〉とひらがな表記となっていますね。この2カ月の間に〈平仮名か片仮名か〉という議論があったのでしょう。そして結論は〈ひらがなにすっぺし〉と(笑)。

5月12日ブログ「カツオの日」制定

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上沢の藤田正敏君

三陸新報の〈どう向き合う〜地域課題〉という自治会長インタビュー連載記事。5月31日の回では小山謙一君(3年9組)が登場していましたが、7月12日(水)42回目にも同級生が登場していました。藤田正敏君(5組)です。気仙沼市上沢(かみさわ)1区自治会の会長をつとめています。

正敏君

三陸新報7月12日記事の一部イメージ

上沢1区というのは、面瀬(おもせ)地区にあります。行政区としては岩月宝ヶ沢(いわつきたからがさわ)と岩月星谷(ほしや)で世帯数は247。アパートが多く、住民の入れ替わりが多いのが特徴とのこと。地図を見てみると、面瀬小学校の南側ですね。見出しに〈“歌声喫茶”のように楽しく〉とありましたが、これは卓球センター施設を利用してカラオケを楽しむ会です。〈脳活クイズ〉などもおこなっているそうです。

この上沢1区、今は住宅地ですが、昔は農業集落だったそうです。そうしたことから、地域の子供たちに脱穀やみそ作りなどを体験させ、地域の産業や昔ながらの暮らしを学ばせています。正敏君はつぎのように語っています。「自分たちが暮らす地域が、どう変遷してきたのかを学び、次世代に語り継いでいくことは大事です。今後は、サロン活動に集まる年配者と子供たちとの交流も企画し、地名の由来なども学ばせたいですね」。こうした活動を通じて自治会の担い手が育ち、コミュニティ活動の持続に続けたいと。

中学のころ、正敏君の家は柏崎(かしざき)だったと思います。今はこうして、小さな頃に育った土地とは違う場所での世話役もつとめているのですね。記事によれば、自治会の催しへの参加者をどう増やすかなど課題もあるようですが、いろいろと工夫してまとめていってくれることでしょう。

正敏君、還暦祝いなど同年会での司会など、いつもお世話さまです。自治会のつとめもなかなか大変だとは思いますが、どうぞよろしく。記事にあった〈地名の由来〉というテーマはいいですね。是非に。なお、この記事を書くにあたって一番時間を要したのが〈上坂〉の読み方でした。〈かみさか〉か〈うえさか〉か。気仙沼市・本吉町合併協議会の平成20年文書でやっと確認することができました(笑)。


小山謙一君の記事はつぎのブログにて。

6月5日ブログ「謙ちゃんと謙さん」

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ミシュラン気仙沼

厳選した飲食店や宿泊施設を紹介する「ミシュランガイド」の宮城県版が7月14日に発売されます。それに先だって7月11日には掲載店舗名が発表されました。

ミシュラン宮城
クラブミシュラン公式サイトより(クリックでジャンプ)

この中に気仙沼市内の飲食店の名もありました。残念ながら〈星付き〉(県内では二つ星が1店、一つ星が11店)や、〈ビブグルマン〉(星は付かないがコストパフォーマンスの高い上質な料理を提供するお薦めの店/県内37店)はなかったものの、〈調査員お薦めの店〉として次の10店が紹介されています。(店名クリックで関係サイトにリンクします)

寿司処 一心(寿司)
すし処 鮨智(寿司)
新富寿し(寿司)
寿し処 大政(寿司)
中華そば まるき(ラーメン)
気仙沼 かもめ食堂(ラーメン)
福よし(居酒屋)
和醸酒 一杯屋 梟(ふくろう)(居酒屋)
旬の味 こうだい(居酒屋)
唐や(とうや)(日本料理)

旅館やホテルではつぎの6館が紹介されています。旅館とホテルの分類についてはいろんな声がありそうですが。

○旅館
気仙沼プラザホテル
サンマリン 気仙沼ホテル観洋
ホテル一景閣
旅館 明海荘(あけみそう)
○ホテル
セントラルホテル 松軒
ホテルパールシティ気仙沼

ミシュランガイドは、1900年にフランスで生まれました。アジア初の「ミシュランガイド東京2008」が出版されたときには、あそこが入っているのにあそこがないのはおかしいとか、掲載店の選択や評価に対してさまざまな反響があったことを思い出します。今回の気仙沼市内の掲載店についてもいろんな意見があることでしょう。

そんな中で私がうれしかったのは、同級生が関係するお店がふたつあったこと。〈一心〉と〈かもめ食堂〉です。〈一心〉は、ご主人 小野寺登さんの奥さんが同級生の実木枝さん(3年4組)。〈かもめ食堂〉は東京などで〈ちばき屋〉〈㐂いち〉なども営む千葉憲二君(同じく3年4組)が、2015年11月に故郷 気仙沼で復活開店させました。

実木枝さんも憲二君も気中3年4組というのは奇遇ですね。4組は飲食関係が強いのか(笑)。今回のミシュランガイド掲載について〈おめでとう〉という言葉はなんか違うような感じもしますが、多くのお店があるなかで選んでいただけたということは本当にありがたいことですね。こうしたことをきっかけにして、気仙沼のさまざまな店に沢山の人が足を運んでくれればと思っています。7月14日の発売を前にして取り急ぎのご報告です。

2016年11月25日ブログ「祝! 一心の37年」
2015年11月19日ブログ「かもめ食堂開店!」


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震災を詠む 2017

きのう7月11日で、東日本大震災から6年4カ月が経ちました。NHKニュースでは、南三陸町での警察による行方不明者の捜索の様子を配信していました。

1カ月ほど前のことになりますが、6月15日のNHK/Eテレ「ハートネット」は、〈震災を詠む2017〉の後編でした。録画予約を忘れてしまったのですが、妻が放送途中から録画しておいてくれました。

この番組は全国から寄せられた震災を詠んだ短歌を紹介するもので2014年から放送されています。4回目となる今年は福島県南相馬市での公開収録でした。初回から選者のひとりとして私達の一年先輩 生島博さんも参加しています。そのなかに気仙沼の方からの一首がありました。

短歌画面

捜索

浜辺には骨のかけらが帰りくる月命日の集中捜索

この歌を詠んだ後藤善之さんが会場から歌を詠んだ背景などを語ります。生島さんの表情にもいろんな思いが感じられました。

後藤さん

生島さん

私は後藤善之さんのお名前に見覚えがありました。三陸新報の連載「巨木巡行」(以前のタイトルは「巨樹巡行」)を書かれているかたではないでしょうか。毎回、気仙沼近辺の巨樹を紹介しながら、樹や花の話だけでなく地区にまつわる歴史などについても趣のある文章で語ります。後藤さんの名は、気仙沼高校同窓会名簿にもありました。気高15回生ですから私たちの7年先輩です。短歌、巨樹、気高のお三方が同じ方とは限りませんが、たぶんそうではないかと。

この〈震災を詠む2017〉後編では、後藤さんと同じく、〈行方不明者の痕跡につながる捜索活動を詠んだ短歌〉がもう一首紹介されました。

一片の爪でいいから見つけてと願ひ出受ける捜索の朝
(岩手県盛岡市 舘洞嗣雄さん)

〈震災を詠む〉を通じて、これらの短歌を知っていたせいか、きのう7月11日の行方不明者捜索のニュースが、いつもと違って感じられたのです。

NHK公式サイト/震災を詠む2017 後編
NHKニュース7月11日配信「震災から6年4カ月」

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気高同窓会の報告

7月8日(土)は、気仙沼高校関東同窓会でした。会場はルポール麹町(麹町会館)。総会は午前11:30からで、気仙沼向洋高校と合同での懇親会がお昼すぎから3時ごろまでおこなわれました。司会は気仙沼出身のフリーアナウンサー佐藤千晶さんでした。

詳細は略しますが、来賓として出席された赤川副市長からの復興状況報告への参加者の反応をみていると、東京近辺に暮らしていると、気仙沼に関する情報を案外しらないのだなあと感じました。実家などがあって親や兄弟が気仙沼に暮らしていれば、いろいろと状況を知る機会もあるのでしょうが、そうしたことがないとなかなかね。それだけに同郷の方々が集まる同窓会の存在価値があるのでしょう。

懇親会では恒例の各校校歌・応援歌の斉唱がありました。その様子だけ順に紹介しておきます。まずは気仙沼向洋高校、私達の世代ですと気仙沼水産高校と呼んだほうがわかりやすいかも。

向洋

つぎに旧 鼎が浦高校。2005年に旧 気仙沼高校と統合しました。

鼎

続いて旧 気仙沼高校。つまり統合前。

気高

最後に統合後の気仙沼高校。まだ参加者が少ないので、小山淳校長はじめ関係者も登壇。

新気高

懇親会では、気仙沼市の副市長、市議会副議長、気高同窓会会長(本部)をはじめ、多くの来賓も出席していましたが、その中に気仙沼高校の同級生 西村明男君がいました。気高仙台同窓会の会長としての出席です。気高3年6組(理科系)で同級でした。大学では建築を学んで現在は(株)佐藤総合計画の取締役です。

今回の懇親会では、〈気仙沼音頭〉をみんなで踊りました。私も袢纏を借りて踊りの輪に入ったのですが、踊り方があまりわからず見よう見まね。しかし、気仙沼音頭を聞くと、懐かしい時間が戻ってくるようでとてもよかった。それと、ホヤぼーや登場の時間もあり、みんなと写真をとったり大変な人気でした。懇親会の報告はこれくらいにしておきます。

懇親会をおえて、私たちはほかの〈けせもい会〉メンバーの待つ新橋の居酒屋〈松竹梅〉へ。仙台から小山達朗君(気中3年9組)が参加してくれました。いつもありがとう。写真を紹介しておきましょう。

新橋

土曜日の東京は33度を超える暑さでしたが、麹町そして新橋と楽しい時間を過ごすことができました。同窓会の関係者の皆様には準備や当日の運営で大変お世話になりました。お礼を申し上げます。ありがとうございました。

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小規模多機能自治

7月2日の三陸新報に、気仙沼市が主催する「アクティブコミュニティ大学」第2期受講生募集の広告が掲載されていました。50代から60代の皆さんの知識や経験を地域活動に活かしたい方を募集しています。全国各地で導入されている「小規模多機能自治」の手法などを学びながら、地域において積極的に活躍する人材を育むとのこと。応募の締切が本日7月10日ということで、あわててのご紹介。8日(土)の気仙沼高校関東同窓会については、明日にでも。

アクティブ大学7:2
三陸新報7月2日掲載広告(クリックで市のサイトにジャンプ)

私は、「小規模多機能自治」という言葉を知りませんでした。調べてみると、小学校区域ぐらいの範囲で、自治体行政だけでなく地域住民が主体的に進める地域づくりといったことのようです。東北学院大学さんの企画・運営で、今回が第2期となります。1期での一定の成果が確認されての2期目の募集であると思います。詳細は市のホームページをご覧いただきますが、概要を紹介しておきます。

◎受講生の募集概要
・募集対象:50代から60代の市内在住の方
・開催日程:平成29年7月から平成30年3月の月1~2回(全11回)午後3時間程度
・会場:市内公共施設等
・募集人数:30名程度
・参加費:無料

プログラムテーマはつぎのとおりです。

○開校式
講演「アクティブなコミュニティってなんだろう」~10年先の自分と家族と社会のために、地域づくりを進化する~ 講師:川北秀人氏
○自分が活動するコミュニティを考える
○地域の現状を学ぶ
○地域を調査する
○地域コミュニティの先進地視察を行う
○活動テーマを定める
○活動計画を決める
○閉校式

申込の方法などについては、下記の気仙沼市ホームページをご覧ください。

気仙沼市HP/アクティブコミュニティ大学 受講生募集

・募集期間:6月15日(木)から7月10日(月)まで
・主催:気仙沼市震災復興・企画部地域づくり推進課
 電話番号:0226-22-6600 内線336
 Fax 番号:0226-24-1226
 E-mail:chiiki@kesennuma.miyagi.jp
・企画・運営:東北学院大学

〈アクティブコミュニティ〉とか〈小規模多機能自治〉とか、なかなかに難しい言葉がならんでいます。いまひとつ内容がわからないところもあるのですが、それがどのようなことなのかを学んでみるのもよいのではないでしょうか。まずは取り急ぎ。

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内湾施設イメージ

6月28日の三陸新報に、気仙沼の内湾地区で市が整備する施設の完成イメージが紹介されていました。年度内の完成を目指すとのことです。

内湾施設記事
三陸新報6月28日記事の一部イメージ

上記記事の左側にはつぎのイメージ図も掲載されていました。

施設イメージ図

これは、旧エースポートの場所に建設されるもので、仮称〈南町海岸公共・公益施設〉とされています。記事を少し引用します。

〈 整備は、東日本大震災で被災した観光物産センター(エースポート)、勤労青少年ホームの災害復旧事業などとして実施。市は復旧に当たり、内湾地区復興まちづくり協議会での話し合いや周辺に整備される県の防潮堤(海抜5.1m)の景観などを踏まえ、両施設を合築して再建することにし、これまで設計作業を進めてきた。防潮堤の背後地(旧市営駐車場跡地)に建築される南町海岸公共・公益施設は、1階が鉄骨鉄筋コンクリート造り、2階〜3階が鉄骨造りで、延べ床面積は約2400平方米。
 研修スペースには、まちづくりの人材育成として市が力を入れる「気仙沼まち大学」事業の拠点となるスクエア・シップ(現在は海の市2階)が入居。震災後、市内で活動するNPOなどの活動拠点に位置付けるほか、会議スペースなどとして広く市民に貸し出す。
 貸店舗は、コミュニティFM「ラヂオ気仙沼」のサテライトスタジオ、起業を目指す人などに短期間貸し出す「チャレンジショップ」としての利活用を計画している。建設工事費は13億9400万円で、国の復興交付金などを充てる。
 まちづくり会社「気仙沼地域開発」が旧エースポート付近に建築する商業施設(鉄筋造り3階建て)には飲食店など5店舗がテナントとして入居。7月中の着工、来春のオープンを予定している。〉(引用は以上)

この記事のポイントは、市の事業としておこなう公共・公益施設についてでした。いまは〈海の市〉の2階にあるスクエア・シップが入居するのはなかなかよいのではないでしょうか。「ラヂオ気仙沼」のサテライトスタジオの計画もおもしろい。その一方で気になったのが、「気仙沼地域開発」による商業施設についてです。記事では飲食店など5店舗がテナントとして入居としています。これは、昨年8月時点でのまちづくりマップでは仮称〈ウォーターフロント施設〉とされていたところ。

このブログでも4月や5月に〈あさひ鮨〉や割烹〈世界〉の再開店を紹介しました。これら〈南町紫神社前商店街〉としてのエリアと、〈内湾スロー村〉の飲食・物販・屋台村などのエリアが連続することによって、新しい南町のにぎわいが再興されるのでしょう。昨年9月に、〈内湾スロー村〉テナント募集に対しての応募が少ないという報道を目にしていただけにその後どうなったかとちょっと心配しているところです。

2016年8月9日ブログ「内湾の復興MAP」
2016年9月2日ブログ「スロー村途中経過」

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港町の元気ラジオ

7月1日(土)にコミュティFM「ラヂオ気仙沼」が開局し、当日は朝から夕方まで特別番組が生放送されました。私もネットで「ListenRadio(リスラジ)」を利用して聞いておりました。臨時災害FM局「けせんぬまさいがいエフエム」のときとはうってかわって、英語での周波数告知や、番組の合間に挿入される同局のジングルを聞いていると、J-WAVEやTOKYO FMを聞いていると勘違いしそうです(というとちょっと言い過ぎか/笑)。

その日、7月1日の読売新聞夕刊には、〈港町の元気ラジオ〉との見出しで開局を伝える写真コラム記事が掲載されていました。

ラヂオ気仙沼
読売新聞7月1日夕刊より

記事を引用します。〈 宮城県気仙沼市に新しいコミュニティーFM「ラヂオ気仙沼」が開局し、1日から本格放送が始まった。物資や道路など生活に必要な情報を伝えた「けせんぬまさいがいエフエム」が前身。復興へ一定の役割を果たしたが、今後は気仙沼の更なる活性化のため、地域の様々なテーマなどを伝えるコミュニティー局となる。市内全域で聞けるようアンテナも1本から3本に。愛称は魚の町にちなみ「ぎょっとエフエム」。社長の昆野龍紀(59)は「新鮮で『ぎょっ』と面白い情報を届けたい」と意気込む。(稲垣政則) 〉

このコラム記事は〈LENS 被災地発〉というシリーズ記事で、これまでも何度も気仙沼のことをとりあげてくれました。いつもありがとうございます。

東京では1日の夕刊でしたが、気仙沼/宮城県内版では2日の紙面に掲載されたのでしょうか。このコラムは東京だけではないかとも思ってのご報告です。

なお、このブログでこれまで紹介した〈LENS 被災地発〉記事はつぎのふたつです。

2016年12月5日ブログ「お魚タクシー現る」
2017年5月31日ブログ「気仙沼天旗まつり」

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マニマニ徳子さん

7月2日(日)の三陸新報〈復興へ一歩 いらっしゃいませ〉に気仙沼中学の同級生が登場していました。

7:2徳子さん
三陸新報7月2日記事より

菅原徳子(とくこ)さん(3年11組)が経営する〈アトリエ マニマニ〉。以前、〈サロン ド マニマニ〉という名を聞いておりましたが、そのなかのアトリエということなのでしょう。徳子さんは、布が大好きで、海外などの旅行先で購入した布が相当な量になっていたそうです。そんななか、東京で服飾デザインやパタンナーの経験がある中山薫さんと知り合ったことをきっかけに1年ほど前に〈マニマニ〉をスタートさせました。スカートやブラウス、コートなどをオーダーで制作するほか、〈HAMAシャツ〉と呼ぶ気仙沼版アロハシャツも手がけているとのこと。

徳子さんとは何度も同じクラスになりました。とても面倒見がよくて、気中2年生のとき、私が学校市長(生徒会長)選挙の候補者になった際にも親身になって応援してくれたことが今でも強く印象に残っています。いまもこうして活躍していることを大変うれしく感じました。以前にこのブログで書きましたが、ご主人の孝市君も同級生(11組)です。

記事の末尾に、気仙沼みなとまつりの〈はまらいんや踊り〉への出場メンバーを募集していると記してありました。参加者には〈HAMAシャツ〉をプレゼントとのこと。関心がある方は是非お問合せください。

アトリエ マニマニ
日曜・木曜定休
気仙沼市松川前49の2
090-2792-1896

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相馬でさんま寄席

2012年に始まり、これまで気仙沼で3度開催されてきた〈さんま寄席〉が今年は9月17日に福島県相馬市でおこなわれます。〈相馬で気仙沼さんま寄席〉です。そのチケット販売が6月29日から始まりましたのでご紹介します。

相馬寄席
ほぼ日「相馬で気仙沼さんま寄席」サイトより(クリックでサイトにジャンプ)


さんま寄席開催の経緯などは、ほぼ日さんのサイトに詳しく記されていますので、こちらをご覧いただければと思います。そしてこのブログでは、サイトで震災後に〈ご縁があってつながった〉と記されている福島県相馬市について少し記しておきます。

ほぼ日の糸井重里さんは震災後、福島に関して自分のできることをしようと自問自答するなか、当時は東京大学大学院教授であった国際的な物理学者 早野龍五さんと知り合います。そして早野さんと語りあった内容をまとめ2014年9月に「知ろうとすること」として発刊しました。この本は、〈わからないことも多い〉として放射線の影響について誤った情報なども流布されるなかで、科学的にここまでは確かに言えるということをまとめたもので、大きな話題になりました。早野さんは今年3月に東京大学を退官されましたが、4月からは〈フェロー〉という立場で(株)ほぼ日と関わっています。

2015年11月には、糸井さんと早野さんらは、福島第一原子力発電所のなかを視察し、その様子をほぼ日の永田泰大さんがレポートしています。

ほぼ日/福島第一原子力発電所へ。

この文章の末尾に、永田さんが福島についてまとめたほかの記事も紹介されており、そのひとつが相馬市の立谷市長のインタビューです。是非お読みいただければと。

ほぼ日/相馬市 立谷秀清市長インタビュー

こうして糸井さんをはじめとする〈ほぼ日〉さんと福島との関わりをおさらいしてみると、気仙沼に対するご支援も同じような熱意と善意によって支えられているのだなあとあらためて感じます。それにしても、相馬で〈気仙沼さんま寄席〉とは。まさにグッドアイデアです。

相馬でのさんま寄席には、気仙沼からも大勢の応援団がかけつけるようです。さんま焼きや朝市、気仙沼産品の販売などもおこなわれます。立川志の輔師匠の高座はもちろんのことですが、周辺催事などでも気仙沼と相馬両市の皆さんが親しく交流し、より良い関係づくりのきっかけになればと願っております。

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GQの御手洗さん

本日は、雑誌「GQ JAPAN」4月号に紹介された気仙沼ニッティングさんの記事を紹介します。ずいぶん日が経ってしまったので、ブログで書くのはまあいいかと思っておりましたが、金曜日にカンブリア宮殿の放送について書いた流れでのご紹介です。

GQ4月号は「若者のすべて」というテーマを掲げての2017年発夏ファッション特集でした。その中のコラム記事で、中野香織さんが、〈ミレニアルズマインド〜インフルエンサーから社会貢献まで〉と題し、ファッションにおけるミレニアル世代の新しい動きについて書いていました。〈ミレニアルズ〉とは、1980 年代から 2000 年初めまでに生まれた若者世代のことです。

GQ4月号
「GQ」誌2017年4月号の記事イメージ

中野さんは、〈アナログ・ルネサンス〉という小見出しで、〈カンタータ〉の松島神さんを紹介したあとに、つぎのように続けます。

〈さらに、社会に貢献しながらビジネスを成功させているミレニアル世代の起業家も少なくありません。東日本大震災の東北の復興のため、「気仙沼ニッティング」を立ち上げた御手洗瑞子さん。気仙沼の編み手さんが編み上げる、孫の代まで着てもらえそうな1着15万円超えのセーターは大人気を博し、ビジネスも順調に回っています。顔が見える編み手さんと買い手とのあたたかなコミュニケーションが続くということも、「ファンを増やす」秘訣と教えられます。〉(引用は以上)

ページの右上には、気仙沼ニッティングの編み手さんと商品が紹介されています。

gqニッティング

〈ミレニアルズの社会貢献〉という見出しでのキャプションを引用しておきます。〈東日本大震災で多くの人が職をなくした、宮城県気仙沼の復興のため、1985年生まれの御手洗瑞子さんが立ち上げた気仙沼ニッティング。港町の地域特性を生かし、漁網の扱いに慣れた、漁師の妻が編む手編みのニットはオーダーメイドで作られ注文が殺到した。写真はバーニーズ ニューヨークとのコラボモデル〉(引用は以上)

中野香織さんは、プロフィールにエッセイスト/服飾歴史家と記されているように、『モードの方程式』をはじめファッション/服飾の歴史に関する知見をベースとした多くの著作をもつ方です。単なる短期的な流行の紹介ではなく、ファッションの長期的なトレンド/潮流を踏まえてのコラムは、ファッションがまさにカルチャーであることを強く感じさせます。

その中野香織さんがカンブリア宮殿での村上龍さんに続いて、気仙沼ニッティングを、そして御手洗瑞子さんをしっかりと紹介していることを知り、大変うれしく思ったのです。

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カンブリア宮殿!

はじめに〈業務連絡〉。7月8日(土)に開催される気仙沼高校関東同窓会の申込締切が本日6月30日となっております。このブログでも内容を紹介しておりますので、ご確認のうえ是非ご参加ください。

さて本題。気仙沼ニッティングが紹介されたテレビ番組「カンブリア宮殿」が、7月1日(土)にミヤギテレビで放送されます。東京では3月2日にテレビ東京で放送されましたが、宮城県内ではネットされておらず視聴できませんでした。

◎カンブリア宮殿
7月1日(木)午前10:30〜11:30
ミヤギテレビ(宮城県内)

2月のブログ内容を以下に再録します。


◎2月24日ブログ/カンブリア宮殿!

テレビ東京の人気番組「カンブリア宮殿」で〈気仙沼ニッティング〉が紹介されます。

カンブリア
番組サイトより

「カンブリア宮殿」は、小説家 村上龍さんのトーク番組。アシスタントは小池栄子さんです。今回のテーマは〈地方から奇跡のビジネス革命を起こした女性社長スペシャル〉ということで、気仙沼ニッティングの御手洗瑞子(みたらい・たまこ)社長と、大分にある糀屋本店の浅利妙峰社長が登場します。番組サイトから紹介文を以下に引用。

〈塩麹に、甘酒......いま盛り上がる"麹"ブーム、火付け役は、大分の小都市の一人の女性だった!そして、被災地・気仙沼で支援ではない復興プロジェクト。奇跡のニット会社を立ち上げたのは若き女性!地方から革命的なビジネスを起こした二人の女性社長にスポットを当てる。〉(引用は以上)

と紹介したものの、テレビ東京の番組は宮城県ではネットされておらず、気仙沼でご覧いただくことができません。残念!と思っていたら、番組サイトでは最新放送回を期間限定でまるごと配信しているとのこと。これで見ることができますね。

気仙沼ニッティングさんのツイートには、〈1時間番組の後半30分が気仙沼ニッティングです。とても丁寧にご取材いただきました。ぜひご覧いただけるとうれしいです!〉とありました。ぜひ多くの皆様にご覧いただければと。とても楽しみです。(再録内容は以上)

メディアで紹介されることの多い気仙沼ニッティングさんですが、このカンブリア宮殿はとても充実した内容となっています。今度の土曜の朝の放送。気仙沼の多くの方にもご覧いただければと。

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ラヂオ気仙沼始動

6月26日、〈けせんぬまさいがいエフエム〉の放送が終了したことは、27日のブログでも紹介しました。そして、その27日の三陸新報には、臨時災害FM局の業務を引き継いだ株式会社「ラヂオ気仙沼」がコミュニティFMを開局し、7月1日に放送を開始するとのトップ記事が掲載されていました。

ラジオ気仙沼始動1
三陸新報6月27日記事の一部イメージ

この記事には、事業費関係の新しい情報がありました。要約するとつぎのようなことです。NPO法人気仙沼まちづくりセンターは、昨年11月に株式会社ラヂオ気仙沼を設立してコミュニティFMへの移行準備を進めてきました。気仙沼市は国の復興交付金を活用した基盤整備として、総工事費約1億円をかけて市民の森に親局、唐桑の小原木公民館(旧小原木中学校)屋上と、本吉町津谷舘岡の消防救急デジタル無線基地局内に中継局をそれぞれ設置するなどコミュニティFMへの移行を支援してきました。そして今後5年間は、広報業務の一部委託などで事業を支えます。本年度の委託事業費は1400万円。

ラヂオ気仙沼は、放送の年間コストを約2400万円と見込んでいます。上記の市の委託事業と地元企業からのCM収入などで運営し、5年をめどに自立経営を目指すとのことです。

コスト2400万円から市の委託費1400万円を単純に差し引くと1000万円。これをCM収入などでクリアしていくのはなかなか大変なことでしょうが、魅力ある番組づくりによる自立経営の実現を願っております。

放送開始は7月1日(土)。周波数は変わらず77.5MHz(メガヘルツ)これまで同様に、ネットでも聞けると思います。私はこれまで〈Simul Radio〉(サイマルラジオ)を利用していたのですが、〈Listen Radio〉(リスラジ)のほうが安定しているようですね。スマホアプリもあります。

以上、気仙沼のコミュニティFM局始動のお知らせと応援メッセージということで。

〈Listen Radio〉(リスラジ)サイト
6月1日ブログ「ラヂオ気仙沼開局」

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つなかん営業再開

26日のブログでは、ホテル望洋の営業終了をお伝えしましたが本日は、民宿の営業再開について。3月23日から営業を休止していた唐桑の民宿〈つなかん〉さんが6月26日から営業を再開しました。〈つなかん〉公式サイトで菅野一代(いちよ)さんの名でお知らせが掲載されていました。6月22日付けです。

つなかん
〈つなかん〉公式サイトより(画像クリックでサイトにジャンプ)

6月25日の毎日新聞がこのニュースを伝えていました。記事の一部を引用します。

〈 「つなかん」は2013年10月、一代さんの夫和享さん(事故当時59歳)が社長を務める創業約100年のカキ養殖会社「盛屋水産」(同市唐桑町)が開業。一代さんの「唐桑に人を呼べるようなことを始めよう」との思いを込め、家族一丸となって再出発を図ったものだ。一代さんの明るい人柄と、唐桑産のカキ料理が人気を集め、国内や海外から延べ1000人以上が泊まりに訪れるなど順風が吹いていた。
 ところが今年3月、ワカメ漁に出た和享さんと長女早央里さん(同30歳)、義理の息子の大宮拓人さん(同24歳)が乗った漁船が転覆。早央里さんは死亡し、和享さんと拓人さんは行方不明となった。「うそでしょ。何でウチなの。うそであって」。一代さんの淡い期待は砕かれ、絶望の底に落とされた。一家の大黒柱を失ったつなかんは、休業に追い込まれた。(中略)
 そして、再開への決断を最終的に後押ししたのは、早央里さんの遺志だった。早央里さんは転覆事故の1カ月前、働いていた仙台市から実家に戻り、家業を手伝い始めたばかりだった。「早央里は、気仙沼とつなかんを盛り上げようとしていた。その遺志を、私が引き継いでいかなければ。やめるわけにはいかない」〉(引用は以上)

6月27日の河北新報もつなかん再開をとりあげていました。こちらの記事では末尾に連絡先の電話番号を記し、つなかんを応援しようという記者の気持ちがうかがえました。また、きょう28日には三陸新報も記事を掲載していました。

つなかん再開にあたっては、これまでのお客様をはじめ、多くの方々からの励ましとご支援があったようです。気仙沼のまちづくり活動などをおこなっている一般社団法人〈まるオフィス〉代表 加藤拓馬さんのブログ「遠東記」6月24日の記事にその詳細が記されています。是非お読みください。

加藤拓馬さんのブログ「遠東記」

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臨時災害FM終了

気仙沼の臨時災害FM局「けせんぬまさいがいエフエム」が、きのう6月26日で6年3カ月にわたる放送を終了しました。NHK東北がこれを伝えています。

災害FM NHK

NHK東北6月26日配信ニュース(クリックでサイトにジャンプ)


26日は午後3時から4時半まで閉局にあたっての特別番組が生放送されました。私もこれをいつものネット配信〈Simul Radio〉で聴こうと思っていたのですが、なぜかこの日は通信状況が悪くノイズばかり。その後、教えてもらった〈Listen Radio〉の配信で最後の10分ほどを聴くことができました。以前に勤務していた方々も含め、スタッフの皆さんが市民、リスナーの方々への感謝の言葉を述べていました。

今後の放送についてですが、このブログでも紹介したように、7月からコミュニティFM局「ラヂオ気仙沼」が始まります。6月25日の三陸新報につぎの広告が掲載されていました。

災害FM広告

三陸新報6月25日掲載広告より

NHKのニュースによれば、震災をきっかけにできた臨時災害FM局は女川町や山元町など宮城県内で11局にのぼったそうですが、気仙沼の放送終了ですべて消えることになったとのこと。あくまでも災害被害軽減のための〈臨時〉放送ですから、この6年で一定の役割をおえたということでしょう。

「けせんぬまさいがいエフエム」関係者の皆様、6年以上にわたる放送の継続、本当にご苦労さまでした。コミュニティFM「ラヂオ気仙沼」の開局が、気仙沼のまちづくりへの大きな力になることを心から願っております。どうぞよろしくお願いいたします。

なお、本日6月27日の三陸新報がトップ記事で、「7月1日 ラヂオ気仙沼始動」と伝えています。この記事はあらためて紹介することにします。

6月1日ブログ「ラヂオ気仙沼開局」

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ホテル望洋の終業

6月21日の三陸新報に、気仙沼のホテル望洋が、施設の老朽化は業績不振などを理由に、3月いっぱいで営業を終了したという記事が掲載されていました。

ホテル望洋終業

三陸新報6月21日の記事の一部イメージ

話には聞いていたのですが、詳しいことがわからずにおりました。3月で営業を終えていのですね。なお、三陸新報の見出しでは〈ホテル望洋館〉としていますが、これはなにか登録名とかそうした関係でしょうか。

ホテル望洋は、1967(昭和42)年に創業とのことですので、今年で50年。1989年には年商約7億円だったそうですが、年々売上げが減少していったそうです。震災後には復興・復旧関連の需要がありましたが工事の進展でそれも減り、3月での営業終了となったようです。

ホテル望洋さんには、震災時に母が大変お世話になりました。以前もブログに記しましたが、3月25日に兄が仙台の自宅に連れ帰るまでの2週間もお世話になったのです。ほかの避難所とは違い、なんといってもホテルですから部屋や布団などの心配はなく、本当にありがたかったといいます。

ホテルとして生まれ変わるまでは、旅館〈望洋館〉でした。その前は、料理店だったようで、「気仙沼市史」第4巻 近代 現代編に、明治期の料理店のひとつとしてその名が記されています。その記述は「気仙沼町誌」からの引用と思われます。22軒ほどの店名があげられているのですが、〈望洋館〉のほかに私が名を知っている料理店としては、松軒(南町)、古川屋(南町)、扇屋(南町)ぐらいです。松軒さんは現在ホテルとして場所をかえて営業しています。

そうした歴史のなかにある〈ホテル望洋〉でしたが、その歩みをとめることになりました。これも時の流れということでしょうか。

魚町のご近所でもあった望洋館/ホテル望洋さん。いろいろお世話になりました。御礼を申し上げます。ありがとうございました。

2014年6月11日ブログ「ホテル望洋に感謝」

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震災復興祈念公園

本日は、〈復興祈念公園〉について。6月11日の三陸新報の記事を紹介します。気仙沼市が、内湾の陣山(じんやま)地区に整備する東日本大震災の復興祈念公園の基本計画がまとまったとのこと。

復興祈念公園6:11
三陸新報6月11日記事一部イメージ

内湾と鹿折地区を俯瞰(ふかん)できることなどを理由に、整備場所が陣山に決定されたのは2016年3月7日のことでした。これを紹介したブログを読み返してみると、2018年度中の完成を目指すとしていましたから、少し計画が遅くなったようです。記事によれば、陣山の頂上部付近を祈りの場(750平米)とし、慰霊碑、モニュメント、あずまやを配置するとのことなのですが、そうした計画内容よりも私の目を引いたのが陣山の空撮写真。拡大してみましょう。

陣山

この角度からの写真は見た記憶がありません。時計でいえば、午後1時あたりの裏側がホテル望洋です。2時あたりの裏というか下に私の実家がありました。魚町の通りから〈田谷の保育所〉と呼んでいた第2保育所へとのぼる小道をさらに進んで右側に折れると、この写真の中央部に行き着きます。小さなころはゴロゴロころがって遊んだ記憶がありますし、高校生のときは、エンヤ09RCエンジンを搭載したラジコン飛行機のグライドテストも試みました(失敗したけど/笑)。

行政区としての〈陣山〉は魚町の山寄り一帯から鹿折との境界までと結構広いのですが、写真でいえば右側のあたりが私にとっての陣山地区のイメージ。私が小さなころ、この写真にうつるあたりを〈米国山(べいこくさん)〉と呼んでいたことは以前のブログで紹介しました。しかし、歴史的にはこのあたりこそが〈陣山〉なのでしょうね。山の陣は戦陣の陣。昨年3月のニュースでは、この場所には戦国時代の城跡などもあり、市は文化財に関する調査も行っていく方針とのことでした。これについては、今後また続報があるでしょう。

最後に費用について記しておきます。記事によれば、この復興祈念公園の概算事業費は約4億3千万円。国の復興交付金に加え、市が9900万円を負担しますが、民間からの寄付を財源に充てることも検討するとのことです。

2016年3月9日ブログ「陣山から復興祈念」

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77年前の気小校庭

本日も戦時期に気仙沼から戦闘機を献納した話の続きです。一昨日のブログで「目で見る気仙沼の歴史」に掲載されていた〈気仙沼町民号〉の写真を紹介したのですが、その隣にこんな写真が掲載されていました。

昭和15年頃の気小校庭
「目で見る気仙沼の歴史」(気仙沼ライオンズクラブ発行)より(クリックで拡大)

昭和15年/1940年ころの気仙沼小学校校庭です。説明文には〈正面の小山が現在の気中体育館付近。西校舎附近は谷になっていた〉とあります。以前にもこの写真を見ていたのですが、気仙沼中学の校庭風景と誤解していたかもしれません。しかし驚きました。気中体育館や図書館の場所がこんな小山だったとは。この写真は運動会みたいですね。小山に観客が群がっています。たぶん職員室の上階にあった〈作法室〉から撮影したのでしょう。西校舎というのは、写真の右側です。

当時の児童数はどれくらいだったのか。気仙沼市教育委員会のサイトで気小の沿革を見ると、〈昭和15年4月 東校舎落成 児童数3003名〉とありました。翌16年4月には〈気仙沼国民学校〉と改称されています。そして昭和33年10月30日時点での児童数は3413名。私たちが気小1年生だったときです。

戦後のいわゆる〈ベビーブーム〉で気小の児童数が多かったことは容易に想像がつくのですが、それ以前の1940年でも3000人超えだったのですね。いやはや驚いた。当時の気仙沼は、街のにぎわいもかなりのものだったでしょう。気小校庭を見下ろす小山から児童に声援をおくる気仙沼の人達を想像してみてください。ちょっと愉快な気持ちになってくるのは私だけではないでしょう。

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気仙沼空襲の記録

きのう6月20日のブログでは、戦時期の気仙沼からの戦闘機献納について紹介しましたが、気仙沼市史を調べているなかで、終戦の年の〈気仙沼空襲〉に関する記述が眼に入りましたので紹介します。

気仙沼空襲
「気仙沼市史」第4巻 近代 現代編より

第15節「気仙沼空襲」のなかに、「東北各地を攻撃」という見出しで次の記述がありました。昭和20年/1945年7月14日のことです。

〈 気仙沼が初めて米軍機の空襲を受けたのは前述のとおり7月14日だが、当時国民学校の気仙沼小学校学校日誌には同日「午後1時ごろ敵機来襲し、西校舎の一部を機銃掃射せしも被害なし」とある。大島方面から飛来の1機が安波山上空で旋回して急降下するように同校わきの図書館や校舎へ約百発の機銃を撃ち込み、校庭から一直線に土けむりがあがったという。
 初め「町民献納号」が来た、と飛び出した児童たちは「敵機だ」の声に教室に逃げ込んだ。シイーンと静まり返ったところへ、反転したグラマン機の無差別掃射。校庭での体操授業がなく、一人の傷者もなかった。
 平成元年、同校の改築で旧校舎から数発の機銃弾が出てきた……。〉(引用は以上)

前年1月に気仙沼から献納された陸軍戦闘機「町民献納号」だと思ったら、アメリカ軍のグラマンだったというのです。市史によれば、空母「レキシントン」搭載の艦上戦闘機グラマンF6F(ヘルキャット)か、F4Fであったらしい。

このあと、同年8月9日と10日に、当時の鹿折村を中心に、気仙沼町一帯が本格的な空襲を受けるのです。

市史では、昭和59年1月に戦争体験を記録する会がまとめた戦争体験記「雲はかえらず」を引用して空襲被害を述べています。それによれば、8月9日、グラマン機は鹿折村営の松根油工場を目がけて機銃および小型爆弾で攻撃し、工場の工員5名、工場そばの民家で一家5名が死亡しました。当時、松根油は航空機燃料とされていました。そして同日、内湾に係留または上架中の監視船、漁船、油送船、貨物船10数隻が沈没または大破しました。翌10日には、グラマン6機が来襲し、気仙沼駅が爆弾や機銃での攻撃を受けます。大島の浦の浜では漁船1隻が撃沈されました。

「気仙沼図書館日誌」に当時の菅野青顔館長が空襲のことを記した内容も紹介されていました。この8月9・10日両日については、「気仙沼大爆撃。内の脇、駅前、鹿折村浜区に被害。町内大混乱におちいる。図書館にも機銃弾10発当り被害」と記述しています。

被害の詳細について市史は、「宮城県消防史」の記述を引用しています。〈昭和20年8月9日午後1時30分ごろ、太平洋戦争中アメリカ空母より発進したグラマン艦載機の攻撃は鹿折地区一帯と港町一帯におよび焼夷弾により火災発生。全焼129戸、半焼2戸、全壊14戸、半壊38戸となり、死者16名、傷者21名で、このうち警報団員1名が消火作業中直撃を受け殉職した。〉(引用は以上)

この空襲被害者数は、資料によって相違があるのですが、市史の空襲関係記述末尾に、〈気仙沼市調べ〉として、鹿折地区17名、気仙沼町2名の犠牲者氏名を掲載していました。鹿折八幡神社の〈招魂碑〉に刻まれた空襲殉没者名を資料としているようで、その一部写真も紹介されていました。市史内容の引用は以上です。少し長くなりましたが、資料的な意味もあるかと思いまして。

私たち気仙沼中学20回生が気仙沼小学校3年生のときは、現在の市民会館がある場所に建っていた第2校舎を使っていました。そしてその階段の踊り場に小さな穴があいており、それは〈戦争のときにグラマンから機銃掃射を受けたときの穴〉であると。気仙沼空襲については、それくらいの記憶、知識しかなかったのです。しかし今回、気仙沼空襲のことを調べてみると、鹿折地区の被害が大きく、それも焼夷弾による火災が激しかったことをあらためて知ることができました。

7月14日に飛来した飛行機。それを1年前に献納された「気仙沼町民」号と思い校庭に飛び出した気仙沼国民学校の児童たち。献納機どころか敵機と知り校舎に走ってもどるとき、いったいどんな気持ちだったのでしょう。その一カ月後8月15日は終戦の日/敗戦の日となるのです。

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気仙沼町民献納機

東京海洋大学准教授の勝川俊雄先生。水産資源管理の観点から日本の漁業のあり方について積極的に発言しており、その主張には私も共感するところが多いのです。2015年10月にはアンカーコーヒーで講演会も開催されるなど、気仙沼もなにかとお世話になっております。

きのう6月19日、その勝川さんが〈 釜石だったかな、三陸のどこかの町では、マグロが豊漁だった年に戦闘機を国に奉納したという話を聞いたことがある〉とのツイートを投稿していました。これを眼にした私はちょっと調べて、〈 「目で見る気仙沼の歴史」および「気仙沼文化史年表」によれば、昭和19(1944)年1月に、当時の気仙沼町民の献金により飛行機「気仙沼町民号」が献納されたそうです。マグロ豊漁との関係については記述がありませんでした〉と返信したのです。本日は、その後の〈調査内容〉報告です。

まずは「目で見る気仙沼の歴史」の掲載内容から。〈気仙沼町民号〉との見出しで、つぎの写真を紹介しています。

陸軍献納
「目で見る気仙沼の歴史」(気仙沼ライオンズクラブ発行)より

説明文には、〈昭和20年ごろ、気仙沼町民の献金によってできた飛行機〉とあります。そして、「気仙沼文化史年表」(荒木英夫 編)には〈昭和19(1944)年1月15日 飛行機「町民号」を献納(熊谷正志日記)〉との記述。年表巻末の引用文献に〈熊谷正志日記〉は「気仙沼市史 資料編」収録とありましたので、市史を調べてみるとつぎの関連記述が見つかりました。

昭和19年
1月15日 気小校に於いて飛行機町民号献納式
4月17日 気仙沼献納の三機へ命名式

1月15日の町民号はわかりましたが、4月17日の3機ということについてはよくわかりませんでした。ただ、気仙沼市史 第4巻「近代 現代」編(p513)に〈昭和19年4月 飛行機献納、1月の1機に続き3機となる〉という記述を見つけました。そして、念のためと思って調べた「けせんぬま写真帖」の本文最終頁につぎの記事がありました。

愛国報国
「けせんぬま写真帖」(気仙沼商工会議所 編集・発行)より

下の写真が、昭和19年1月15日に献納された「愛国第3091(気仙沼町民)」号です。写真下部に〈陸軍省〉の文字もありました。感謝状は、気仙沼町の清水大五郎町長から献金者のひとりに贈られたものでしょう。

上の写真ですが、説明文には〈千葉留三郎氏は戦時中、海軍兵であった。同じ海軍兵の北洋の船主仲間3人と組んで海軍に献納したのが上掲の「報国–317(宮城水産号)」であった〉とあります。

どうも「報国」号が海軍機、「愛国」号が陸軍機のようです。ネットで調べてみると、双方の調査リストがありました。報国317号については、昭和14年8月20日に「仙台市県庁内 海軍報国機建造資金献納実行委員会」から96式4号艦上戦闘機が献納されています。そして、愛国3091/機体名「気仙沼町民」は、上記報国号の5年後、昭和19年1月15日に気仙沼国民学校を献納式場として気仙沼町民より献納と記されています。機種は2式単座戦闘機。愛称は〈鍾馗(しょうき)〉です。

ちょっとだけ調べるつもりでしたが、深みにはまってしまいそうです。この辺にしておきましょう。陸海軍双方の献納機リストは下記のリンクから。

勝川さんのツイートをきっかけとして気仙沼町民献納機について調べてみました。釜石についてはわかりませんでしたが、気仙沼からの戦闘機献納はマグロ豊漁の年といった短期的な話ではないように思います。むしろ当時の気仙沼の経済的な豊かさ、つまり三陸や北洋の海がもたらしてくれた富の蓄積がいかに大きかったかということをあらためて感じたのです。勝川先生、こちらからの報告は以上です(笑)。


海軍報国号リスト
陸軍愛国号リスト

2014年6月27日ブログ「気仙沼の魚の未来」

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65歳以上の恩恵

先週の火曜13日、町田市立国際版画美術館の「横尾忠則 HANGA JUNGLE」展に行ってきました。6月18日の終了を目前にして。雨模様でしたが思いきって行ってよかった。シルクスクリーンやリトグラフなど約250点の展示。圧巻でした。写真撮影可ということで、会場写真を一枚。

横尾

横尾忠則さんは、私が大きな影響を受けたアーチストのひとりです。私は27歳のときに会社をやめてインドやネパール方面130日の旅に出かけました。当時の若者のはやりでもあったのですが、いまあらためて考えてみると横尾さんの作品や著作などの感化を受けてのことだったと思います。

会場には作品集などでよく知るポスターなども多くありました。しかし、作品の大きさや顔料の発色などはやはり本物というか現物でしかわからないと実感。そしてなんと、この体験料金が400円。65歳以上は半額だったのです。

そういえば、世田谷美術館の「エリック・カール」展も、一般料金は1200円ですが、65歳以上は1000円でした。さらに世田谷区の区報についていた割引券を使って100円ぐらい安かったのではなかったか。なんかかなりお得な感じがしたものです。エリック・カールは「はらぺこあおむし」などで知られる絵本作家です。

横尾さんの展覧会の翌日の夜は、渋谷オーチャードホールのコンサートへ妻とふたりで。というとちょっと贅沢な感じもしますが、これは無料のご招待。東急グループが毎年開催している〈TOKYU MUSIC LIVE〉で、今年はジャズピアニスト国府弘子さんのプロデュースでした。招待の抽選にあたったのです。ゲストは、大友康平さん、渡辺美里さん、渡辺香津美さん。詳細は略しますが、本当に楽しいコンサートでした。

そんなこんな、先週は交通費をのぞけばあまりお金もかけず、楽しい時間、贅沢なときを過ごすことができました。定年による退職をはじめ、65歳を過ぎてのいろんなこともある年代、世代ではありますが、割引そのほかの恩恵にもあずかっておりますという話。映画も館によるでしょうが、通常1800円の料金が60歳以上のシニア割引だと1100円ですからね。こうした恩恵の片方で若者の足を引っ張っていないかということもちょっと気になりますが。

東京都では70歳になるとバスが無料になるシルバーパスがもらえるそうなのですが、これはもう少し先のことかと(笑)。

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気仙坂の悦子さん

三陸新報の「古里へメッセージ」は、気仙沼や南三陸の出身者からの投稿シリーズ記事。先日は、村上茂雄さんの寄稿を紹介しました。そして6月13日、私たちの一年先輩、気中19回生 梶原悦子さんのメッセージが掲載されていました。

気仙坂

三陸新報6月13日掲載記事の一部イメージ

梶原さんは、東京・新宿ゴールデン街で飲食店〈気仙坂〉を営んでいます。東京在住の気仙沼出身者にとっては有名なお店です。梶原さんの実家は港町だったのですね。小学4年生のときのチリ地震津波のことも記しています。気仙沼湾の海の底が現れたのを家の2階から見ていたとのこと。

そのあとに続く文章を引用します。

〈 大震災後、多くの方がお店を訪ねてくださいました。東松島の避難所で母親と過ごした人、東京の子供のところに身を寄せている人、ボランティア活動をしている人たち、気仙沼市役所での支援、建築、土木に携わった人などです。
そして今も気仙沼を支援しているNPO人権センターホライゾンの片岡さん(仮設の氷川きよしと呼ばれているそうな。本当によく似ています)、仲間の小渡さん、カメラマンの初沢亜利さん、唐桑が大好きなはなちゃん、気仙沼、大船渡、陸前髙田の復興支援に参加している和田さん、皆さん何度も気仙沼を訪ねています。そして私と同じくゴールデン街でお店を経営している感王寺葉子さん、彼女はご主人の気仙沼での復興支援の仕事が縁でついこの間まで気仙沼で暮らしていました。(中略)大震災後、私は多くの人と縁を結びました。そしてこんなにも多くの善意の人たちがいるのだと驚きと感謝の気持ちで一杯です。
故郷を離れて50年近くたちました。何と長い月日が流れたことでしょう。でも私は東京の人ではなく気仙沼の人なのです。心はいつも故郷を向いています〉

紙面には限りがありお名前を記せる方はほんのわずか。悦子さんは、もっともっと沢山の人の名をあげて感謝の気持ちを表したかったと思います。その気持ちがとてもよくわかります。

文章のなかにあった初沢亜利さんは、〈3月11日からのヒカリ〉プロジェクトのポスター写真なども撮影してくれた写真家です。以前、菊田裕美君(3年1組)が、〈気仙坂〉でお会いして親しくお話しをしたと語っていたことを思い出しました。そんな気仙沼と縁ある人達との出会いがある店といってもよいでしょう。

たしか悦子さんには、昨年の気仙沼高校の関東同窓会でもご一緒しました。今年は7月8日。またお会いするのを楽しみにしています。


なお、〈気仙坂〉の詳細は、〈リアス気仙沼〉の下記記事に詳しく紹介されています。ぜひご覧ください。

リアス気仙沼/気仙坂紹介記事

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「水切り」の記憶

6月11日の日曜日、TOKIO出演の「ザ!鉄腕!DASH !!」(日本テレビ)を見ていたら、なつかしい遊びを紹介していました。〈ご当地PR課〉というシリーズで、愛知県岡崎市の御影石をPRしようという企画。〈超跳ねる水切り石づくり 世界記録88回を超えられるか!?〉

石切り
「ザ!鉄腕!DASH !!」6月11日放送画面から

ちょっと平べったい石を海や川に投げて、ピョンピョン飛び跳ねるようにして遊ぶのが〈水切り〉です。〈石切り〉ともいうらしいのですが、気仙沼ではどう呼んでいたかなあ。テレビで〈水切り〉と呼んでいたので、そうだそうだと思ったのですが、ネットで〈石切り〉の名もあることを知り、ちょっとわからなくなりました。

気仙沼小学校から自宅に帰るときは、内湾の海岸通りを歩いていました。エースポートあたりからお神明さん方面に。海面に漁業用の電球が浮かんでいれば、みんなで石を投げて割って遊びました。集魚灯なのか大きな電球もあったりして、みんなで石を投げ合って。自分の石が命中してパカッと割れたときの満足感や優越感といったら、もう(笑)。

電球がなくても、水切り/石切りを楽しめます。岸にたくさんころがっていた石の中から5〜6センチのちょっと平べったいやつを選んで回転をつけながらサイドスロー。うまくいけば10回以上も飛び跳ねてから海にしずみました。番組によれば、毎年開催される〈全日本石投げ選手権大会〉(なんと開催県は宮城県)では18回が最高記録ですがギネス世界記録は88回とのこと。鉄腕!DASHでは、上の画像にうつる水切り名人のほか、元中日ドラゴンズ投手の山本昌さんも登場して36回の記録を出してくれました。

これは、ある種の〈昭和の遊び〉なのでしょうね。昭和30年代の内湾の岸付近には小石も沢山ありました。かなりいたんではいましたが、木造の桟橋がまだ残っていた時代です。何人かで家に帰る途中に〈水切りやっぺ〉とか言っていたのでしょう。鉄腕!DASHが、そんな小さなころの遊びを思い出させてくれました。

水切りで遊んだ当時の魚町海岸の写真をこのブログで紹介したことがありました。ひさしぶりに記事を読んでみると、〈岸壁沿いは未舗装だったので、石を拾って海に浮かぶ電球を割ったりできました〉と書いておりました。ついでに、同じ時代の魚町海岸で水を飲む少年の写真なども。ぜひご覧ください。

2013年11月22日ブログ「魚町のチンドン屋」
2013年11月15日ブログ「水を飲む昭和の子」

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最後は古里のため

無医地区になることが心配されていた気仙沼大島の診療所の後任医師に森田良平さんが決まったことは、このブログでも紹介しました。そして、森田先生による診療が6月1日に開始されました。その様子は新聞やテレビでも報じられましたが、本日は仙台放送(FNN系列)のニュースをご紹介します。

森田医師
仙台放送6月1日配信動画より(クリックで同局サイトへジャンプ)

仙台放送のニュース映像は以前、ユーチューブでも公開されていたので紹介しやすかったのですが、数カ月前からは、同局のサイト内でしか見られません。動画視聴は、上の画像をクリックして記事タイトル中の「最後はふるさとのために」の〈動画〉をさらにクリックしてください。

ニュース音声の後半を引用します。

〈 気仙沼市出身の森田医師。 2011年3月11日、あの日、関東の病院で勤務中だった。津波で姿を変えたふるさと。しかし、森田医師が気仙沼に訪れたのは、震災からおよそ1年たってからだった。森田医師は、「精神的に震災でやられた気仙沼を見るのも、少し怖かったというのもあった」、「自分の心理的なものもあって、来られなかった時の後悔の念があります」と語った。そして抱いた思い、「ふるさとの地域医療に貢献したい」。森田医師は、「自分が来たことで安心していただけるような、あそこに行けばなんとかしてくれるという安心感を持ってくれる病院にしたい」、「医師の人生の最後は、こちらで地元の方に役に立ちたい」などと語った。ふるさと・気仙沼のために。 離島での医療現場に飛び込んだ森田医師の言葉は、二度と後悔しないための「故郷への思い」にあふれていた。 家族は関東にいて、単身でやってきた森田医師。大島に住み、島の人と触れ合っていくと話していた。〉(引用は以上)

私が見たほかのテレビニュースによれば、森田医師が気仙沼に行く考えを家族に相談したところ、はじめは奥様やお嬢様が反対したそうです。しかし、自分の思いをくわしく話して最後は理解してくれたと。

〈二度と後悔しないための「故郷への思い」〉。こう文字にするとちょっときれいすぎるようにも感じます。森田良平さんが、気仙沼大島に行くことを決断するまでにはさまざまな葛藤があったはずです。そのなかには、〈気仙沼に帰って後悔するのではないか〉との思いもあったことでしょう。

仙台放送のニュースによって、森田良平医師の決断の背景にあった思いを知ることができました。それを皆様と共有したく紹介いたしました。

そういえば、ニュースのなかで「うれしくて、夕べ眠れませんでした。うれしくて、うれしくて」と語っていたのは、気高同級生雅裕君のお母様〈宮古屋〉熊谷すん子さんだと思います。患者さんとのことなので、妙な言い方になりますが、お元気そうでなによりです。

それにしても、映像で見る森田良平医師は、お父様の〈森田内科〉森田昭夫先生そっくりです。そうした医師としての森田家ファミリーストーリーは、3月のブログに記しました。おてすきのときにでも。

3月29日ブログ「森田家ストーリー」

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居酒屋「佐武」閉店

ちょっと前の話題となりますが、5月23日の三陸新報に、気仙沼の居酒屋の閉店を告げる広告が掲載されていました。

5:23sabu
三陸新報5月23日掲載広告

お店の名は〈佐武〉(さぶ)。広告には〈居酒屋〉ではなく〈酒食屋〉と記されていましたが、この呼称は不動の沢に移転してから使っていたものでしょう。震災前までは、南町〈マンボ通り〉にありました。たしか〈たくんつぁん〉(追記:「たもっつぁん」でした。たもつさんなんで)と呼ばれていたご主人は私たちの一年先輩、気中19回生。そんなこともあって、私も帰省のおりにはちょくちょく利用させてもらいました。気をつかわずにすむお店という感じでしょうか。もっともご主人の方もそれほどこちらに気をつかっていないかのような(笑)。

作家の熊谷達也さんも、気仙沼中学の教諭時代はこの店をよく使っていたはずです。〈仙河海〉シリーズ中の小説の中にも、店の名は少し変えてありますが登場します。その店主は文学好きで、なかなかの小説の読み手であると。これも佐武の主人をモデルにしての設定です。

ネットの情報では、不動の沢に移転して佐武が営業を再開したのは2011年6月14日です。ありゃま、ほぼ6年前のことか。広告のなかの〈諸般の事情により〉という記述がちょっと気になるところですが、年齢も66〜67歳になるわけですから、店を閉じても不思議ではないでしょう。

南町紫市場をはじめとする仮設商店街が閉じられたことにより、先月は閉店や再開店などの多くの広告が三陸新報に掲載されていました。そのなかにあった〈佐武〉の広告は、震災前の私の記憶を呼び起こす、ちょっと違う余韻を感じるものだったのです。

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宮城県民防災の日

きょう6月12日は、〈みやぎ県民防災の日〉とのこと。昭和53年(1978年)のこの日午後5時14分頃に〈宮城県沖地震〉がありました。金華山沖南部を震源とし、その大きさはマグニチュード7.4。宮城県公式サイトによれば死者27名。ブロック塀などの下敷きが18名という報道もありました。

6月10日(土)の三陸新報には、この〈県民防災の日〉の広告が掲載されていました。

防災の日6:10

三陸新報6月10日掲載広告より

この広告中の気仙沼市指定〈津波避難ビル〉を拡大して紹介します。このなかの、南郷、幸町、内の脇の市営住宅は、震災後にいわゆる〈災害公営住宅〉として建設されました。

津波避難ビル6:10

津波避難ビルの説明もありました。「津波が発生した際に住民や来訪者が、津波が到達する前に高台へ避難することが困難な沿岸地域などで、緊急的に避難する施設」とのこと。あくまで高台への避難ができなかった場合の2次的な避難施設です。まずはできるだけ早期に高台に避難することが基本動作。

説明分の下にあった注意事項も紹介します。
◎日頃から、避難経路を確かめておきましょう。 ◎津波注意報・警報が発表されたら、海から離れ、近くの高台などに避難し身を守りましょう。 ◎土砂災害や洪水等の災害想定区域についても「防災マップ」などで確認しておきましょう。

こうしてわざわざ紹介したのも、6月12日が〈宮城県沖地震〉の日ということをすっかり忘れていたからなのです。当時の私は26歳で、職場は東京・虎ノ門と神谷町の中間地点。その6月12日の夕方、私はどんな仕事をしていたのか。そしてどんなことを考えたり悩んだりしていたのだろうか。さすがに49年前の記憶、おぼろ月夜のごとし。文語調(笑)。

3月11日から3カ月ほどを過ぎての6月12日に、自らの身を守るための基本動作を確認することの大切さをあらためて感じています。命を失ったあとでは、知らなかった、聞いてなかったと言うこともできないでしょう。どうぞよろしく。

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プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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