日曜は市場で朝飯

10月22日(日)には、気仙沼市魚市場で地域最大の物産展〈気仙沼市産業まつり〉が開催されます。また、5回目となる〈市場で朝めし。〉も同時におこなわれます。

◎気仙沼市産業まつり

産業まつり

「気仙沼市産業まつり」は今年で33回目。昨年に続き「水揚げ日本一!気仙沼メカジキ鍋」では、気仙沼産メカジキを使用した鍋を先着1000名にお振舞い。さらに地場産品などが当たる大抽選会なども開催されます。

期日:10月22日(日)
時間:午前9時~15時
会場:気仙沼市魚市場

◎市場で朝めし。

市場で朝めし

このイベントは今年で5回目。第1回目は〈気仙沼つばき会〉が企画して〈さんま寄席〉の日2013年9月29日に開催されました。今年も、炭火焼きさんま、すり身汁、ご飯のセットが提供されます。

期日:10月22日(日)
時間:午前8時~13時
前売券はポスター記載の市内各所にて

◎朝めしセット
炭火焼きさんま+さんますり身汁+新米ご飯(南三陸米ひとめぼれ)
前売券 600円(当日券700円)
・旬のお刺身、飲み物、お酒、オリジナルグッズも販売

以上ふたつの会場はこんな感じです。(クリックで拡大)

会場図

このイベントは例年、大勢のお客様でにぎわいます。ご都合のつく方は是非おでかけください。
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森山良子のえん旅

本日はテレビ番組のご紹介です。著名な歌手やタレントなどが東北を応援し、その魅力を再発見するNHK BSプレミアムの「きらり!えん旅」。10月24日(火)は、歌手の森山良子さんが気仙沼を訪れます。

えん旅

番組ホームページより(クリックでジャンプ)


◎ぶらり!えん旅~森山良子 宮城・気仙沼市へ
NHK BSプレミアム
10月24日(火) 午後11:00〜11:30
再放送 2017年10月31日(火) 午前6:00〜

番組紹介文を引用します。

気仙沼市は震災で亡くなった方、行方不明者合わせて1,356人に上り、町を支える水産業も大きな被害を受けました。森山良子さんが訪ねたのは9月中旬。気仙沼ならではの珍味「もうかの星」に舌鼓(皆さん、何だと思いますか)。被災した昭和のクラシックカー復活に気仙沼復興の願いを重ね合わせる男たち。子育てしながら働ける場所を作り上げた女性たち。旅の最後に森山さんはコンサートを開きヒット曲を熱唱しエールを送りました。(引用は以上)

昭和のクラシックカー復活というのは、〈ミゼット〉のようです。子育てしながら女性が働ける場所というのは、気仙沼市落合の〈廿一(にじゅういち)〉地区にあるNPO法人ピースジャムでしょう。近くのツリーハウス〈MERRY〉も紹介されるようです。

来週火曜日10月24日の午後11時から。是非ご視聴ください。

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恵比寿像が持つ魚

10月14日の読売新聞夕刊に、気仙沼の神明崎にあった恵比寿(えびす)像再建に関する記事が掲載されていました。別記事〈LENS被災地発〉と共にご紹介。

えびす像

読売新聞10月14日夕刊より


記事内容は、9月27日のブログで紹介した三陸新報記事と同様でしたが、2代目の恵比寿像の復活年月に違いがありました。初代の恵比寿像は1932年(昭和7)に建立されるも1943年には太平洋戦争の弾丸用に供出されました。ここまでは2紙とも同じ内容。しかし、2代目の復活を読売新聞では1989年(昭和64あるいは平成元年)としているのに対し、9月23日の三陸新報は1988年(昭和63)12月に建立としています。

像の完成日と儀式挙行日の違いでしょうか。いずれにしても、恵比寿像の沿革として明確にして欲しいところです。いつもの〈気仙沼文化史年表〉には記述がありませんでした。

もうひとつ、おやっと思ったことがありました。三陸新報記事にあった、建立委員会委員長 臼井賢志さんの「3代目にはカツオを持たせたい」との話が読売記事にはありませんでした。〈委員会は初代、2代目の姿を踏襲して復元する考えだ〉と。以前と同じように鯛を持たせる方針となればうれしいのですが。

前のブログには書きませんでしたが、恵比寿像にカツオを持たせるという考えには賛成できません。神像や仏像などには衣から持ち物にいたるまで、守らなければならない〈約束事〉があります。もしカツオを持たせたら、恵比寿に似て非なるものになるのではとのおそれを感じるべきでしょう。

ウィキペディアの〈えびす信仰〉記述のトップには神明崎の2代目恵比寿像の写真が掲載されています。代表的な恵比寿像ということでしょうか。もし3代目にカツオを持たせたいという意見が多くあれば、魚町出身で漁労文化、民俗に詳しい東北大学教授川島秀一さんに相談してみてはいかがでしょう。強く反対すると想像しています。駅前におく観光シンボル像とは違いますよと。

9月27日ブログ「恵比寿像復活計画」

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第二の故郷気仙沼

土曜日10月14日に母が亡くなり、きのう16日は仙台にての葬儀でした。そんなことでブログもお休みに。

母は満94歳でした。戒名のなかの「柏」の文字は生まれ故郷である新潟の柏崎、「仙」には気仙沼、そして震災後に兄のそばで暮らした仙台の意味が込められているのでしょう。

母は、私が生まれる少し前からですから60年ほどのあいだ気仙沼で暮らしたことになります。まさに第二の故郷。生前には魚町のご近所の方々をはじめ多くの方々からご厚誼を賜りました。心からお礼を申し上げます。

気仙沼を訪れてのご報告、御礼もままならず、この場を借りてのお知らせとさせていただきます。

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武山櫻子ライオン

本日は久しぶりに同級生の話題。10月5日の三陸新報の記事を紹介します。

10:5ライオンズ
三陸新報10月5日記事の一部イメージ

気仙沼ライオンズクラブが、新気仙沼市立病院に大型テレビを寄贈してくださいました。同クラブは昨年、創立55周年を迎えましたが、その記念事業の一環としての寄贈とのこと。ありがとうございました。テレビは1階の待合室「うみねこモール」に置かれ、外来がスタートする11月2日から見ることができるそうです。

私が驚いたのは、気仙沼ライオンズクラブの会長として〈武山櫻子〉さんの名が記されていたこと。武山美加(みゆき)さん(3年9組)です。〈櫻子〉(おうし)は、書家としての雅号。写真の左端が武山会長、そして順に幹事の後藤かおるさん、会員の斉藤英敏さんです。

気仙沼ライオンズクラブの結成55周年記念事業のひとつが、「目で見る気仙沼の歴史」の復刻版発行でした。それを伝える新聞記事ではクラブの会長は佐藤悟さんとなっていました。武山さんの会長就任は今年になってからのことなのでしょう。

美加さん/櫻子さんは、小さなころから賢さと華やかさをもっていました。クラブの会長という役目は大変なこととは思いますが適役でしょう。ライオンズクラブでは会員の名に〈ライオン〉を付して呼ぶといいます。(私は会員ではありませんが、ちょっとその真似をして)武山櫻子ライオンのさらなる活躍を期待しております。とすなおに結ぼうと思っていたのですが、今週末のブログとしては少し物足りない。ということでサービスカットを一枚。


三陸新報2004年1月18日掲載記事より

この2004年の三陸新報記事は4年前のブログでも紹介しました。美加さんの肩にそっと手をそえているのはお父様の光夫さん。書家としての雅号は〈櫻光〉(おうこう)です。櫻子さんが引き継いでいる書道グループ〈苑書会〉は櫻光先生が1946年に始めていますので昨年で創立70年。南町にあった書道教室に通った同級生も多いことでしょう。

きのうのブログは、長峯英雄と純一。そして本日は、武山櫻光と櫻子。今週は、期せずして父と子の物語が続くこととなりました。どうぞ、よい週末をお迎えください。

2013年8月26日ブログ「美加さんの幼き日」

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長峯教授の話〜2

きのうに続き、10月1日の気仙沼高校関東同窓会による文化講演会についてです。講師は関西学院大学副学長の長峯純一さん。本日は、長峯さんの研究テーマと気仙沼との関わりについて紹介します。

まずはじめに、話の中に出てきた経済学者のお名前を記しておきます。ポール・サミュエルソン、ジェームズ・ブキャナン、マンサー・オルソン、デニス・ミュラー、ウォーレス・オーツなど。私にはよくわかりませんが、経済学に詳しい方が見れば、小さなころから地理が好きだった若者が経済学の面白さにひかれ、〈公共財〉や〈公共選択〉といった専門分野に入り込み、〈地方分権〉を論ずるに至る道筋がわかるのでしょう。

公共財に関する話のなかでは、〈流域〉という言葉がキーワードになっていました。長峯さんは10年前の約2年間、アメリカのメリーランド大学に留学しました。同大学には上にも掲げたミュラーやオーツなど、公共選択論や地方分権の先達もおりましたから、絶好の研究環境だったことでしょう。

長峯さんは、この留学時にワシントンDC東部にあるチェサピーク湾の汚染とその復元計画〈チェサピーク・プログラム〉を詳しく知ることとなります。アメリカとカナダにまたがる五大湖がひとつの河でつながっており、その汚染が問題になっていた/いるといった話もあったように思います。

そして長峯さんはこのアメリカで、気仙沼と自らの研究テーマとの関係、重なりというものに気付くのです。気高関東同窓会の案内に記された長峯さんの講演テーマを引用します。

◎気仙沼で育まれた経済学者への道
-公共財としての森川海そして流域

私は、高校まで気仙沼で育ち、その後、経済学(財政学・公共選択論)の研究者を志すことになった。当初、気仙沼と自分の専門・研究とは関係ないことと思っていたが、ある時、それが大いに関係することに気が付いた。気仙沼では「森は海の恋人」運動に始まる森・川・海をつなぐ活動が注目されるようになっていたが、それが研究テーマとしてきた「公共財」や公共選択の格好の対象になりうるということである。そもそも私が経済学の中で公共財に関心を抱いたのは、むしろ気仙沼で育ったからではないかとさえ感じるようになった。私の中で、経済学と気仙沼をつなぐキーワードは「流域」、つまり森川海である。今回、私の現在までの生い立ちを振り返りながら、なぜ気仙沼と経済学、そして流域というテーマがつながったのかを説明してみたい。さらに東日本大震災からの復興を考える上で、流域という視点の重要性にも言及を試みたい。(引用は以上)

長峯さんは話のなかで、畠山重篤さんを古くから知り、その植樹活動にも参加していたと語っています。それを聞いて私はなるほどと思いました。畠山重篤さんはクリスチャンです。日本バプテスト気仙沼教会に属す教会員のひとりとして、昨年2016年の愛耕幼稚園創立100 周年にあたっての記念講演もおこなっています。重篤さんの入信時期はわかりません。しかし、唐桑の地へのキリスト教伝道を積極的におこなったのは、純一さんのお父様である長峯英雄牧師なのです。気仙沼市史第7巻「民俗 宗教」の日本バプテスト気仙沼教会における長峯牧師の業績が列挙されるなかに「年間主題の設定および唐桑伝道再開(昭和38年)」との記述がありました。このあたりの経緯は、昨年の畠山重篤さんの記念講演で話されたかもしれません。

長峯純一さんは、自らの研究テーマのひとつである〈流域マネジメント〉の話のなかで兵庫県の武庫川をはじめとしていくつかの事例を紹介してくれました。2004年には宮城県に対して大川流域計画を提案したものの、行政の壁は厚かったようです。防災や水資源そして環境といった問題を〈流域〉全体として最適化しようという考え方は、複数の自治体を横断するテーマとなります。それだけに、自治体の縦割り行政の弊害を感じることも多いのでしょう。長峯さんは気仙沼市震災復興会議の委員もつとめていますが、そこでも同様の経験をしていると思います。

話が長くなりましたね。この辺にしておきます。本日のテーマは、長峯さんの講演内容をお伝えすることではありません。昭和35年(1960年)4月に長野県の松本バプテスト教会から長峯英雄牧師が気仙沼教会に着任することがなければ、〈森は海の恋人〉の活動をはじめとする気仙沼における環境保護活動は、その様相を変えていたのではないか。そうした私の勝手な想像をお伝えできればと思ったのです。

森の片隅に植えられる一本の苗木とその成長。さらに、森に始まる源流が流域を潤しつつ周囲の流れを集めて海に至り、さらに多くの生命を育むイメージ。そして、プロテスタントの牧師 長峯英雄の思いが息子純一に受け継がれていくイメージ。そのふたつが私の頭のなかで重なり合ったのです。

講演会には気仙沼高校の在校生3名が招かれていました。参加を希望した鹿折と大谷からの女子2名と古町からの男子1名です。日帰りとのことでしたが、上京に伴う費用は関東同窓会が母校に毎年おくっている寄付金でまかなわれたとのことです。同窓生の母校を思う気持ちのこもったお金がこうして生かされたことを大変うれしく思いました。その多くの人の献金が、山に植えられた一本の苗木と同じように感じられたのです。

最後に写真を一枚紹介します。上述した気仙沼市史のなかにあった日本バプテスト気仙沼教会の〈三日町時代の礼拝堂〉です。

礼拝堂
気仙沼市史第7巻「民俗 宗教」p622 掲載写真

うつっているのは長峯英雄牧師でしょう。この写真を見ていると、先日の講演会での長峯純一さんの姿が重なってくるのは私だけではないでしょう。というか、私だけかもしれません(笑)。

10月11日ブログ「長峯教授の話〜1」

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長峯教授の話〜1

本日は、10月1日の気仙沼高校関東同窓会による文化講演会についてです。講師は関西学院大学副学長の長峯純一さん。気高28回生(気中26回)です。関東同窓会がこうした形で講演会を開くのは初めてのことですが、会場には沢山の方が集まっていてなによりのことでした。長峯さんはこんな感じで話を始めました。



この写真は、気仙沼を元気にする会の実行委員長などもつとめる熊田利英子さんのブログから許しを得て拝借しました。そして本日紹介したかったのは、つぎの写真です。これも利英子さん撮影。三日町の日本バプテスト気仙沼教会です。長峯さんのお父さんが牧師をつとめていました。教会の裏側が愛耕幼稚園です。長峯さんが指をさしているのが幼稚園の入口ということでしょう。長峯さんの手元にも当時の写真がなく、気仙沼の友達に連絡してこの写真を送ってもらったとのこと。私が気仙沼高校に通っていたときは毎日この前を通っていました。礼拝を伝える掲示板には純一さんのお父様である長峯英雄牧師の名も記されていたはずです。



この写真を見て本当になつかしい思いがいたしました。バプテスト教会が愛耕幼稚園とともに大堀町からこの三日町に移転したのは、昭和31年(1956)11月18日のことです。昭和54年(1979)年に現在の反松に移転するまでの約22年間は、ここ三日町にあったのです。殖君(3年8組)の実家である中井茶舗の向かい側ですかね。なお、教会の右隣にうつる店については長峯教授からも説明がありました。ピーナッツ煎餅でおなじみの〈小山大〉さんです。

こうした愛耕幼稚園の話は、あくまで講演の導入として話された長峯さんの生い立ちのなかで紹介されたもの。この後は、なぜ経済学者への道に進んだのかという話になっていくのですが、それについては明日にでも。

講演会のあとは、会場を居酒屋に移しての懇親会。とても楽しい会となりました。気仙沼中学の同級生(気中26回生)らが〈長峯クン〉を囲んでの写真です。

2695.jpg

その後また場所をかえて2次会を。その終了後にみんなで



午前10時にはじまった講演会でしたが、懇親会や2次会がおわってみれば夕方でした。長峯さん、長い時間ありがとうございました。またこの会を企画・運営してくださった同窓会関係者の方々にもお礼を申し上げます。おかげさまで有意義で楽しい時間を過ごすことができました。


愛耕幼稚園や気仙沼バプテスト教会の歴史については、以下のブログで紹介しております。

2016年10月5日ブログ「愛耕幼稚園百周年」
2016年10月7日ブログ「気仙沼バプテスト」

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週刊新潮「歌津駅」

「週刊新潮」9月14日号の表紙をめくってすぐのページに、〈鉄路の行方(ゆくえ)〉そして〈JR気仙沼線〉の文字がありました。

新潮巻頭
「週刊新潮」9月14日号
より

うつっているのは、気仙沼市に隣接する南三陸町のJR気仙沼線「歌津(うたつ)駅」です。撮影は田中和義さん。記事を引用します。

◎鉄路の行方

野を越え、山を越え、谷を越え。全国を毛細血管のごとく繋ぎ、人、モノを運ぶ鉄路。しかしながら、震災や豪雨、高波により、分断され普通になってしまった区間が存在する。各自治体と鉄道会社の間で、復旧に向けての協議が進行中だ。鉄路はどこまでも続く、そうあってほしいとの想いを抱いて。

JR気仙沼線「歌津駅」
宮城県南三陸町

2011年3月に発生した東日本大震災の津波により、甚大な被害を受けた気仙沼線は、12年8月からバス高速輸送システム(BRT)による代行バスの運行を開始。鉄道復旧までの暫定策だったが、今後も継続運行する予定だ。途切れたホームがかろうじて往事に姿を偲ばせる。その右側にあった線路は草に覆われてしまい、震災からの歳月を感じさせる。(引用は以上)


JR気仙沼線は、気仙沼駅と石巻市の前谷地駅とを結ぶ鉄道路線です。しかし、震災によって気仙沼駅〜柳津(やないづ)駅間は鉄路が使えなくなり、現在は記事にもあったようにBRT(バス・ラピッド・トランジット )の運行となっています。歌津駅は、本吉駅と志津川駅の中間にある駅。私は下車したことがありませんでした。気仙沼線そのものの利用があまりなかったのです。

歌津町は2005年10月に志津川町と合併して南三陸町となりました。私が〈歌津〉の名を聞いて思い出すのは〈ウニ〉です。震災前の話ですが、気仙沼の〈横田屋本店〉のウニが歌津産と聞いていました。横田屋さんが使っているくらいだから良いウニが採れるのだろうなと。震災後はどうなっているか残念ながらわかりません。

週刊新潮記事の見出しは〈鉄路の行方〉。気仙沼では、JR東日本に対して鉄路復旧を求める市民活動がおこなわれています。しかし、その鉄路の行方はかなり不透明のように感じます。

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唐桑の海と祈りと

今週はテレビ番組紹介から。あした10月10日朝のNHK BSプレミアムで、気仙沼市の唐桑が紹介されます。

漁師の海

番組サイトより(クリックでサイトにジャンプ)

◎プレミアムカフェ選
ハイビジョン特集 漁師の海・海辺の祈り
NHK BSプレミアム
10月10日(火)午前9:00〜10:45(105分)
(再放送)
10月11日(水)午前0:30〜2:15

〜18もの港がある宮城県唐桑の漁師たちに長期密着、海に生きる男たちの哀歓を描く〜


この番組の初回放送は2005年です。震災後2011年12月11日には、「NHKアーカイブス/震災9か月 気仙沼・唐桑の海で生きる」の中でも再放送されています。

前半は、小鯖港や鮪立港。息子と一緒に海へと出た男性の漁の様子を紹介します。後半は、宿浦港。春の祭りに備えて小船作りが始まりました。大漁を祈願する「竜宮船」。3月の祭りでは、飾りつけられた小船が海に浮かべられます。

連休明けの平日朝ですので、予約録画がよろしいかと。

2012年12月7日のNHK BSプレミアム「新日本風土記〜東北の冬」でも、〈海を越える祈り〉というテーマで唐桑が登場しました。今年3月3日に再放送されたのですが、鮪立の港で以前は漁労長だったいう方が海に向かって手を合わせる姿が心に残りました。その内容については、3月9日のブログで紹介しました。盛屋水産/つなかん「第一信盛丸」の海難事故があったのはその2週間後3月23日のことでした。

3月9日ブログ「唐桑の人達の祈り」

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6thサンマフェス

きのうのブログでは、10月7日(土)の「横浜新港・さんま祭り」を紹介しましたが、本日10月6日の三陸新報には、大分県臼杵(うすき)市で7日に開催される「臼杵のさんま祭」が紹介されていました。臼杵市と気仙沼市は、目黒のさんま祭を通じて交流があり、2014年には災害援助協定を締結しています。目黒のさんま祭の気仙沼実行委員会から松井敏郎会長はじめ6名が参加し、サンマ800尾、すり身汁200杯を各100円で提供とのこと。

そして気仙沼では、7日・8日の2日間、6回目となる「気仙沼サンマフェスティバル」が開催されます。音楽ライブイベントですが、両日とも各2000尾の焼サンマが無料でふるまわれます。なんとか生さんまを確保できたとのこと。

エリアマップ
会場マップ(公式サイトより)(クリックで拡大)

この会場マップは素晴らしいですね。どなたが描いたかわかりませんが、とてもいい。そしてこの会場、今年は「波路上瀬向(はじかみせむかい)」のJFみやぎ わかめ流通センター横となりました。気仙沼市が震災遺構としての保存・公開を計画している「気仙沼向洋高等学校旧校舎」の裏側です。出演アーチストやBRT階上(はしかみ)駅からのシャトルバス運行など詳細については、公式サイトをご覧ください。

会場アクセス地図

このサンマフェスティバルの第1回目は、震災の翌年2012年10月にお魚いちばで開催されました。地元の人たちが中心となって実行委員会を組織し、個人の資金負担をベースに開催していたようです。そして一昨年からは協賛金のお願いもしながら開催を続けてきました。ウィキペディアに記された今年6回目までの開催内容を見ると、関係者の皆さんの努力に本当に頭がさがります。そして今年も多くの個人、団体、企業の皆さんのご後援や協賛を得て開催にこぎつけました。この協賛のお願いについても公式サイトにて。

サンマフェスティバルは、単なる音楽フェスではなく「地元に根ざした楽しいお祭り」を目指しているそうです。ちょっと天候が心配ではありますが、多くの人が集まって楽しいお祭りになることを願っております。

気仙沼サンマフェスティバル公式サイト
ウィキペディア/気仙沼サンマフェスティバル

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横浜のさんま祭り

本日はイベントの紹介。10月7日(土)に横浜で「横浜新港・さんま祭り」が開催されます。

◎横浜新港・さんま祭り/概要

■ 開催日時:平成29年10月7日(土) 午前11時〜午後4時
(さんまがなくなり次第終了)
■ 開催場所:「ナビオス横浜」前特設会場
(横浜ワールドポーターズの馬車道ゲートの道路を挟んだ向かい側)
■ 主 催:株式会社横浜インポートマート、気仙沼市
■ 協 力:愛と勇気とさんま実行委員会

■ 開催内容:

①気仙沼産の焼さんま(1500尾)、さんまのつみれ汁(500杯)(募金していただいた方に提供。募金は株式会社横浜インポートマートの意向により、気仙沼市に寄付いただく予定とのことです)

②気仙沼市観光キャラクター「海の子ホヤぼーや」による「気仙沼PORT」および物産品のPR(「気仙沼PORT」のほか、横浜ワールドポーターズ2階インフォメーション前特設会場において、気仙沼の物産品販売を行います)

以上が開催概要です。会場に隣接する横浜ワールドポーターズの2階デッキストリートには、昨年7月から、気仙沼関連商品の販売ブース「気仙沼PORT」が出店しています。これは、横浜ワールドポーターズを運営する(株)横浜インポートマートと気仙沼市の連携協力協定によるもの。今回の催事も同社と気仙沼市との共催です。

また、詳細は略しますが、10月6日(金)から15日(日)まで、横浜ワールトポーターズ内の飲食店 3店舗と、市内飲食店 7店舗で、気仙沼の食材を活用したメニューを提供いただく「気仙沼食材フェア」も実施されます。

これらの横浜でのイベント、ご都合のつく方は是非お立ち寄りくださいますように。会場への案内図を以下に示しておきます。「ナビオス横浜」の場所がわかりにくいかもしれません。「横浜ワールドポーターズ」の馬車道ゲートの道路を挟んだ向かい側です。案内図は、クリックで拡大します。

ワールドポーターズ1

ワールドポーターズ2

これまでの気仙沼PORT関連ブログを以下に。

3月3日ブログ「横浜で気仙沼催事」
2016年7月25日ブログ「祝!気仙沼PORT」

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育美さん無事出産

きのうのブログは、数え7歳の子供の成長を祈願するお話でした。本日は、生まれたての赤ちゃんの話題。すでにご存じの方が多いと思いますが、9月29日(金)、シンガーソングライター熊谷育美さんの赤ちゃんが無事に誕生しました。元気な女の子とのことです。育美さんがフェイスブックに写真を投稿しています。

育美さん投稿

熊谷育美さんのFACEBOOK投稿より(画像クリックでジャンプ)


投稿メッセージを引用します。

9月29日。

元気な女の子を出産しました。

産声を聴きながら小さな命を抱きしめた瞬間、これまで経験したことのない感情が込み上げてきました。

家族が増えた喜びと、同時に母親になるということの責任をしみじみと感じています。

これからは夫と娘と家族3人。
たくさんの愛情を注ぎ、支え合いながら、私たちなりの家族物語を築いていけたらと思います。

母としてもまだスタートしたばかりの未熟者です。母親として、人間として、成長できるよう、子どもと一緒に歩んでいきたいと思います。
どうか今後とも変わらない応援とご指導をよろしくお願いいたします。

出産までサポートしてくださった皆さま、そしていつも多大なエールを送ってくださる皆さま、本当にありがとうございました。

母親3日目 熊谷育美


引用は以上です。お腹に赤ちゃんがいるとの話はご本人の話としても公開されていましたが、〈ご懐妊おめでとう!〉というのもはばかられ、無事出産のしらせを待っていたところです。

育美さん、本当におめでとうございます。多くの人が喜んでいることでしょう。育児は大変なことも多いとは思いますが、じきに慣れることでしょう。存分に素敵な家族の時をお過ごしください。

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羽田神社お山がけ

気仙沼にある羽田(はた)神社の伝統行事「お山がけ」が今月おこなわれます。9月28日の三陸新報にはつぎの広告が掲載されていました。

9:28お山がけ
三陸新報9月28日掲載広告

この〈お山がけ〉については、このブログでも紹介してきました。7歳になる男児が、甘えを断ち切るために祖父や親戚など、父親以外の大人と一緒に羽田山を登るもので、約400年の歴史があるといわれます。2000年12月には国の重要無形民俗文化財に指定されました。

この広告を紹介しようと思ったのは、そこに示された内容が伝統にのっとったものであるなとあらためて感じたからです。

まずは旧暦8月15日と16日におこなわれるということ。旧暦ですから、現在の暦でいつになるかは年によって変わります。そして祈願の場が、男子は〈奥の院〉ですが、女子は〈拝殿〉でという形になっていること。男子のためにおこなわれるという基本が守られているようです。

10月4日(水)午前9時30分からは水梨小学校児童による羽田神楽(はたかぐら)が奉納されます。水梨小学校(児童20人)は2018年4月に松岩小学校への統合が計画されていますが、保護者らの反対の声も強く再延期やむなしという状況になっています。先日も紹介した月立小(児童30人)の鹿折小への統合と同じような壁に直面しているのです。

水梨小には〈羽田神楽〉、月立小には〈早稲谷鹿踊(わせやししおどり)〉と、それぞれが地域に長く伝わる民俗行事の継承に熱心にとりくんできました。以前にみた新聞記事のなかに、小学校の統合によってそれが途絶えてしまうのではないかという懸念の声があったように記憶しています。もちろん、市の教育委員会は統合先の小学校でも継続して伝承に取り組むと答えていたはずです。

子供の健康な成長を願って続いてきたこの〈お山がけ〉ですが、現代では少子化という大きな時代の波の中でおこなわれるのだなあと実感します。そして同時に、400年ものあいだ伝承されていることの価値やありがたさも思い知らされるのです。

2016年9月23日ブログ「羽田の「お山がけ」」

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小山勝弘社長WS

9月28日の三陸新報に興味深い記事が掲載されていました。アルインコ株式会社の小山勝弘社長が講師となってのワークショップ(WS)の紹介です。

9:28小山勝弘
三陸新報9月28日掲載記事より


この「企業経営と経済活性化」ワークショップは10月5日(木)午後6時から中央公民館にて。気仙沼市が主催します。アルインコ(株)は、東京証券取引所一部上場企業です。私は同社の社長が気仙沼出身とは知りませんでした。驚いた。

記事によれば、小山勝弘社長は気仙沼市唐桑町出身で、気仙沼水産高校(現・気仙沼向洋高校)、中央大学理工学部を卒業後、トーメン(現・豊田通商)に入社して国内外で発電事業などに携わり、その後アルインコに入社しています。余談になりますが、気仙沼市の菅原茂市長が東京水産大学卒業後に入社したのもトーメンです。オランダのロッテルダムに駐在していたはず。

ネットで調べてみると、グロービス経営大学院のサイトに小山社長のインタビューが紹介されていました。それによれば、小山さんはアルインコの創業オーナーの娘婿とのこと。2007年にアルインコに入社した後にグロービス経営大学院にて経営学修士(MBA)を取得。2009年5月にはアルインコの社長に就任しています。そして現在は社長業のかたわら、同大学院にて「リーダーシップ開発と倫理・価値観」の講座でMBA取得を目指す大学院生の指導もおこなっているのです。現在51歳。

インタビューによれば小山さんは、自分のビジネスにおける考え方の根底に、漁師の家系に生まれ育ったという生い立ちがあることに気づいたといいます。そして次のように語っています。〈親もいとこも漁師で船の仕事を幼いころから見聞きして育った。漁船員は組織の一員であり、時化(しけ)の時1人でも自分の役割を果たさないと船は沈んでしまう。生と死、組織観、人生観のはしりを幼い時に感じていて、それが自分の価値観、判断軸のベースを作ってきた。アメリカに行って、そのことに改めて気づくことができた〉と。

グロービス知見録/小山勝弘氏インタビュー

気仙沼でのワークショップでは、自社の経営状況や市場などを分析し、経営を前に進めるためのリーダーの役割を考えるとのこと。対象は経営者や起業家、その準備中の人で、定員は50人。希望者は9月28日午後5時までに、氏名、所属、役職を明記したEメールで下記に申込みとなっていました。

気仙沼市震災復興・企画課
kikaku@kesennuma.miyagi.jp

気仙沼出身で一部上場企業の社長というと、唐桑中学出身で気仙沼高校22回生の村上教行君(イオンモール(株)社長を経て現在は会長)がすぐに頭にうかびます。そして今回の小山勝弘さんも唐桑出身ですからたぶん唐桑小・中卒業でしょう。唐桑の風土にはこうした一流企業の経営者を生み出す、なにか秘密がかくされているのかもしれませんね(笑)。

なお、三陸新報のワークショップ紹介が9月28日で、参加申込みが同日午後5時でした。すでに受付が終了していますが、問合せは同課まで(電話22-6600内線316)。

アルインコ(株)サイト/代表挨拶

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tag : 気仙沼 小山勝弘 アルインコ 唐桑

準急むろねの記憶

9月25日のブログで、JR大船渡線と東北本線を経由した気仙沼〜仙台間の直通臨時快速列車の運行を紹介しました。この記事を書きながら思い出したのは、私が小学生や中学生だったころの〈準急むろね〉です。あれはいつ頃に始まりいつ頃まで運行していたのだろうか。私の記憶では早朝6時半ごろに気仙沼を出発して3時間かけて仙台に到着。そして夕方6時半頃に仙台を出て9時半頃に気仙沼着という感じなのですが。

まずはウィキペディアで調べてみると、〈スーパードラゴン〉に関する記述のなかに「むろね」情報がありました。

むろね号

ウィキペディアの画面一部イメージ(クリックでサイトにジャンプ)


このウィキペディア記載情報から、盛岡〜盛(さかり)間を東北本線・大船渡線経由で運行する準急列車「さかり」関係を省略して、「むろね」に関する記述を以下にまとめます。

1960年(昭和35年)
仙台駅 - 盛駅間を運行する準急列車として「むろね」運行開始。
1963年(昭和38年)
「むろね」2往復に増強。
1966年(昭和41年)
「むろね」急行列車に格上げ。
1970年(昭和45年)
「むろね」1往復増発。3往復に増強。
1972年(昭和47年)
運行形態を変更。「むろね」1往復を一ノ関発着とし、「からくわ」の愛称を与える。「むろね」2往復に減。
1982年(昭和57年)
東北新幹線開業に伴い、運行体系の見直し。「むろね」を快速列車に格下げ。
1988年(昭和63年)
「むろね」下り列車のみ三陸鉄道南リアス線釜石駅まで乗り入れ。
1993年(平成5年)
名称を「スーパードラゴン」に変更。
1997年(平成9年)
「スーパードラゴン」南リアス線釜石駅乗り入れを中止。
2007年(平成19年)3月18日
一部の「スーパードラゴン」が通過していた陸中門崎駅、陸中松川駅に全列車停車開始。これにより、「スーパードラゴン」の停車駅がおおむね統一される。
2010年(平成22年)12月4日
1日2往復から1往復になる。
2011年(平成23年)3月11日
東日本大震災により、大船渡線運休。4月1日に一ノ関駅 - 気仙沼駅間のみ運転再開。
2012年(平成24年)4月28日
上り列車のみ停車していた折壁駅に下り列車も停車。
2013年(平成25年)3月15日
3月16日のダイヤ改正により各駅停車化され(スーパードラゴンは)廃止。
(引用紹介は以上)

つまり、〈準急むろね〉は、1960年(昭和35年)から1966年(昭和41年)までの運行だったのですね。私たち気中20回生が、小学校3年から中学3年までという感じでしょう。私の小中の記憶と珍しく一致しています。高校の頃は〈急行むろね〉になっていたようです。

当時、〈むろね〉号に3時間のって到着する仙台は、まさに〈都会〉でした。小学校の頃でいえば、藤崎や三越、駅前の丸光といったデパートの玩具売り場の華やかさ。高校の頃でいえば〈気仙沼では売っていない参考書を買いにいく〉という名目で出かけた東一番丁の丸善や金港堂の書棚に並ぶ書籍の豊富さ。そこには、気仙沼では得られないものがあふれていました。そして帰りの午後6時半。むろね号が仙台駅を発車して間もなく、右側にキリンビールの工場の影が流れるころには、悲しさとは違うのでしょうが、ちょっとそれに近いさびしさというかなんというか、複雑な気持ちを覚えたのです。

以上、〈準急むろね〉で私の記憶を検索した結果をご報告しました(笑)。

9月25日ブログ「仙台への直通快速」

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市民会館のピアノ

9月17日の三陸新報に、気仙沼市民会館のピアノに関する記事が掲載されていました。

9:17スタインウェイ

三陸新報9月17日記事の一部イメージ

市内の子供たちに市民会館のグランドピアノ〈スタインウェイ〉に触れてもらおうという企画です。記事に記されているように気仙沼市民会館に備えられているグランドピアノは、佐賀県の「佐賀きづなプロジェクト」から寄贈されたものです。しかし私はこの記事をちょっと物足りなく感じました。このブログでも紹介した昨年4月の三陸新報〈記者席〉というコラム記事の記憶があったからです。

それによれば、同じく佐賀から送られたはまなすホールのスタインウェイは、コーラスグループの練習で週一回は使われていますが、市民会館のピアノは弾き込み不足のため音色が固くなっているとのことでした。今回の記事でも、そうした背景に少しだけでも触れて欲しいと思ったのです。生意気なものいいですが。

まずは無料体験会の概要をまとめておきましょう。

日時:11月23日午前10時〜午後4時
対象:18歳以下の市民
定員:20人(希望者多数の場合は抽選)
演奏:1人当たり10分間の自由演奏
問合せ:同館 22-6616まで
申込締切:10月31日
希望者はハガキに住所、氏名、年齢(学校と学年)、電話番号、希望する時間帯(第2候補まで)を記入して下記まで
気仙沼市民会館
〒988-0073 気仙沼市笹が陣4の2

金額のことを言うのは、はしたないことと思うのですが、昨年のブログに書いたように市民会館のスタインウェイは1台2000万円。震災後に佐賀県から気仙沼市に贈られたピアノの総額は9000万円以上にもなるのです。きちんと使って、きちんと調律して、佐賀県の皆様のご厚意にこたえることができればと。

今回の企画を成功させて、さらにみんなの知恵を集め、佐賀から贈られたピアノが本来の響きをとりもどすようにと願っております。

2016年4月22日ブログ「佐賀からのピアノ」

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恵比寿像復活計画

9月23日の三陸新報の記事を紹介します。

9:23恵比須像復活

三陸新報9月23日記事一部イメージ

気仙沼市魚町の神明崎、浮見堂の並びにあった恵比寿(えびす)像の復活計画が具体化しています。先日は浮見堂の再建の話を紹介したばかりでしたから、ちょっと驚きました。

記事によれば、初代の恵比寿像は1932年(昭和7)11月の「えびす講」に建立されました。しかし、1943年には太平洋戦争中の金属回収で政府に供出されてしまいました。その後、像の復元を求める人たちが、1988年(昭和63)12月に2代目を建立しました。しかし、その2代目恵比寿像も震災の津波で流出してしまいました。

そして昨年9月に、震災の復興支援を続けてくださっているサッポロビールホールディングスが、「気仙沼の魚を学校給食に普及させる会」にタブレットを寄贈した際に、同会の臼井賢志さん(前気仙沼商工会議所会頭)が恵比寿像建設への支援を熱望したとのことです。このサッポロビールさんへの〈熱望〉は、そのときの新聞記事で知り、サッポロビールさんには人気ブランド「エビスビール」もあるし期待が持てるのではないかと感じておりました。そして今回、同社も〈えびすさん〉とのつながりに共感し、再建支援をおこなうことになったとのことです。

このたび、市民有志によって建立委員会も設立されました。委員長となった臼井賢志さんは、「これまでのえびすさんはタイを手にしていたが、次にできる3代目にはカツオを持たせたい。生鮮カツオ21年連続水揚日本一の気仙沼としては、カツオは外せない」と話しているそうです。

鯛ではなく鰹か。これにはいろんな意見があるとは思うのですが、お神明さんのシンボルのひとつでもあった恵比寿像復活はありがたい。

魚町で育った私が小学生だったころ、浮見堂は遊び場のひとつでした。しかし、記事の来歴を読むとその当時は恵比寿像がなかったのですね。説明文が書かれた金属板がはめ込まれた台座はあったと思います。そして、なんか恵比寿像もあったように思ったのですが。2代目の印象によって記憶が混乱しているのでしょう。

神明崎の復旧工事は2019年度内に終了予定で、恵比寿像はそれまでに完成させたいとのことです。サッポロビールさんのこのたびのご支援に、厚く御礼を申し上げます。

これまでもキリンビールさん、サントリーさんなどの気仙沼へのご支援にお礼を申し上げてきました。そしてそのたびにそれぞれのビールで乾杯してきたわけですが、本日はエビスビールで乾杯! 皆様もどうぞよろしく。

9月1日ブログ「浮見堂」の再建

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tag : 気仙沼 気中20 恵比須像 浮見堂 エビスビール

10/1調布のさんま

9月17日の「目黒のさんま祭」の帰りぎわに、同行の菊田裕美君(3年1組)から呼ばれました。テント下に行くと、目黒のさんま祭 気仙沼実行委員会の会長である松井敏郎さんが女性ふたりと談笑されていました。裕美君が、〈10月1日に調布で気仙沼のさんまを焼くんだって。気中20のブログで紹介させてもらおうよ〉と。お二方はその調布プロジェクトの方だったのです。まずは頂戴したチラシとイベント概要を紹介します。

調布のさんまチラシ

今年もやります!調布のさんま!
◎東北応援さんまプロジェクト
~東北と調布をつなぎ共に未来へ

期日:10月1日(日)
時間:10:00開始 15:00終了
会場:調布市市役所前庭
市役所へのアクセス
費用:一尾300円
料金:3回配布(1回1尾まで)
①9:00 ②11:00 ③13:00
主催:東北応援さんまプロジェクト実行委員会

(後援)調布市、調布市観光協会、公益財団法人調布市文化・コミュニティ振興財団、調布市社会福祉協議会、㈱調布清掃、気仙沼漁業協同組合、気仙沼市、㈱気仙沼フェニックス、小野寺商店、㈱平野本店
(協力)大分県カボス振興協議会

問い合わせ:
東北応援さんまプロジェクト実行委員会
sanma.chofu@gmail.com

〈気仙沼のさんま〉と強調されているわけではありませんが、後援団体に気仙沼漁業協同組合や気仙沼市の名が記されているので間違いありません。気仙沼関係では、このほか気仙沼フェニックス小野寺商店平野本店さんらも後援しています。

お近くの方やご都合の許す方は是非おでかけください。私はこの日、気仙沼出身の関西学院副学長 長峯純一教授の講演会と重なっていて、うかがうことができず残念です。

最後に目黒のさんま祭で、松井さんをはさんでの調布のお二方のスナップをご紹介します。松井さん、ちょっと緊張してる感じ(笑)。

調布のさんま

この調布でのさんまプロジェクトは、ネットでさかのぼってみると2014年から毎年おこなわれているのですね。関係者の皆様のご支援に心からお礼を申し上げます。10月1日も、どうぞよろしくお願いいたします。

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仙台への直通快速

JR大船渡線と東北本線を経由した気仙沼〜仙台間の直通臨時快速列車が運行されることになりました。9月14日の三陸新報が伝えています。

9:14仙台直行2
三陸新報9月14日記事の一部イメージ

記事によれば、これは10月と11月の期間限定での運行で、気仙沼市が気仙沼線のBRT(バス高速輸送システム)を受け入れる際にJRに要望してきたもの。運航日はつぎの通り。各日1往復、所要時間は約3時間、運賃は片道3020円です。途中乗降はできません。

◎10月:9(月・祝)10(火)17(火)18(水)
◎11月:3(金・祝)4(土)10(金)11(土)

◎上り:気仙沼08:12発〜仙台11:10着
◎下り:仙台18:09発〜気仙沼21:14着

運行日は平日が多いなという印象ですが、まずは一歩前進ということでしょうか。市によれば、JRからは今回の利用状況を見て今後の運行を検討するとの回答を得ているとのことです。一定の利用実績によって、さらに便利な運行ダイヤが実現できればなと思っております。

なお、大船渡線と東北新幹線を利用しての気仙沼〜仙台間の往復割引切符の10月から来年9月30日までの導入はすでに決定しています。往復大人7700円(子供3850円)で通常(9720円)より約20%の割引となります(9月20日の三陸新報/論説で、この運賃を片道としていたのは誤記だと思います)。ただし往路は気仙沼発に限ります。気仙沼と陸前高田、盛の各駅のみどりの窓口でのみ販売とのことです。

この記事で、あらためて気仙沼〜仙台間の所用時間や運賃を知りました。新幹線を使用しなければ、気仙沼と仙台の時間距離感は、私が気仙沼で暮らしていたころと大きくは変わっていないのだなあと感じました。

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tag : 気仙沼 気中20 大船渡線 JR

世界女王/谷真海

気仙沼出身の谷(佐藤)真海さんが、オランダのロッテルダムで開催されたパラトライアスロン世界選手権で初優勝を果たしました。

真海さん
サントリー公式サイト内「チャレンジ・アスリート 谷真海」より(クリックでサイトにジャンプ)

真海さんの優勝は、9月15日の日刊スポーツが記事にしてヤフーも配信していました。記事の見出しは〈 谷真海が日本人初V!結婚、出産「ド素人」から頂点 〉。なお、日刊スポーツの記事中にリンクされているゴール写真は昨年4月のアジア選手権のものです。

日刊スポーツ9月15日/ヤフー配信記事

同記事によれば真海さんは、女子PTS4クラスで、日本選手として初めて世界選手権の頂点に立ちました。この記事を読んで気になったことがありました。8月11日のブログで、7月にカナダのエドモントンで開催された世界パラトライアスロンシリーズでの優勝を紹介していたので、今回の〈初出場・初優勝〉との見出しに、アレッと思ったのです。優勝は2度目ではないのかと。

調べてみると、ITU(国際トライアスロン連合)の2017世界トライアスロンシリーズは8大会が開催され、今回のロッテルダムで行われた大会がグランドファイナル(最終戦)でした。シリーズでの成績によって最終戦への出場権が得られるのでしょう。サントリー公式サイト記事によれば真海さんは7月までの4戦を負けなしで終え、ポイントによる世界ランキングも2位で迎えた最終戦でした。

PTS4というクラスは、ITU基準のひとつです。「PTS」は肢体不自由で立位。数字は障がい程度をあらわし、2(重い)から5(軽い)まで4区分となっています。車椅子使用はPTHC、視覚障がい選手はPTVI。日刊スポーツの上記記事ではPTS4(運動機能障がい)としていましたが、昨年4月の関連記事では、PTS4(低度の下肢切断など)としていました。正確に説明しようとすると複雑になってしまいますね。最後に日刊スポーツ記事の結びを引用します。

〈2013年パラ陸上世界選手権の幅跳びで獲得した銅メダルを上回る金メダル。東京パラリンピックの実施種目は未定で、谷のPTS4が行われない可能性もあるが「私が決められることではないし、今は練習するしかない」と話す。「(転向から1年目で)順調な滑り出しができた。もっと強くなれると思うので、強くなってまた世界シリーズに戻ってきたい」と言い切った谷は「スポーツの力」を信じて泳ぎ、漕ぎ、走る。〉(引用は以上)

同記事によれば、真海さんは、今回の世界選手権大会で元世界女王のサリー・ピルビーム選手(オーストラリア)に32秒の差をつけての優勝です。2017年世界女王として谷真海さんのゴールにたくさんの拍手がおくられたことでしょう。

真海さん、世界選手権の制覇、本当におめでとうございました。気中同窓生はもちろんのこと、気仙沼の多くの人が喜んでいると思います。くれぐれも怪我や故障に気をつけて、さらなる活躍を。かげながら応援しています。

8月11日ブログ「真海さんの「復帰」」
本ブログ真海さん関連記事リスト

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長峯教授の講演会

10月1日(日)に、気仙沼高校関東同窓会が主催する文化講演会のご案内です。講師は気高28回生(気中26回)で関西学院大学副学長の長峯純一さんです。

文化講演会
関東同窓会サイから(画像クリックでサイトにジャンプ)

◎講演会
日 時:10月1日(日)AM10:00〜12:00
講 師:関西学院大学 副学長 長峯純一氏(気高28回生)
テーマ:気仙沼で育まれた経済学者への道
場 所:明治大学 駿河台キャンパス アカデミーコモン9F 309B教室
東京都千代田区神田駿河台1-1
JR・地下鉄「お茶の水」から3分、地下鉄「新お茶の水」から5分、「神保町」から6分。
参加費無料 どなたでもご参加になれます
参加申込みフォーム

◎懇親会(定員40名)
講演会後、長峯純一氏を囲んで懇親会を開催します。(12:30~15:00)
参加ご希望の方はお申し込みフォームへご入力ください。
会場:居酒屋かのう屋
(千代田区神田小川町3-20-1 日比ビルB1F TEL:03-3518-9666)
会費3,000円(飲み放題)

関西学院大学の教授で副学長もつとめていると聞くと、ちょっと堅苦しい感じがするかもしれません。しかし、私たち気中20回生の6年後輩と思えばちょっと印象も違うでしょう。気仙沼の菅原茂市長や私の妻も気中同級生です。さらに、お父様である長峯英雄さんは日本バプテスト気仙沼教会の牧師さんでした。同教会は愛耕幼稚園も経営していましたね。いまは反松にある教会や幼稚園ですが、昭和31年から53年までは三日町にありました。私たちの同級生でお世話になった人も多いのではないでしょうか。

気仙沼市史第7巻によれば、長峯英雄さんは昭和30年から61年まで気仙沼教会にいらっしゃいましたが、その間、昭和40年代後半からは尚絅(しょうけい)女学院や関東学院の経営にも関わっています。昭和54年には尚絅女学院の理事長に就任しました。

こうしたお父様の経歴をながめていると、その息子の純一さんが、プロテスタント/ミッション系大学である関西学院の教授そして副学長であるということもごく自然なことのように感じてくるのです。

なお、近畿地方の4大私立大学〈関関同立/かんかんどうりつ〉(関西、関西学院、同志社、立命館)のひとつである〈関西学院〉は〈かんせいがくいん〉。略称は関学(かんがく)です。〈かんさいがくいん〉と読んで笑われないよう、くれぐれもご注意を(笑)。

それでは、10月1日の講演会、そして懇親会でお会いしましょう。

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月立小児童の鹿踊

きのうのブログに続き、9月17日の〈目黒のさんま祭〉の報告です。本日は、気仙沼市立月立(つきだて)小学校の児童による「早稲谷鹿踊(わせやししおどり)」です。私が撮影した2分24秒の映像を紹介します。



早稲谷鹿踊については、昨年8月26日のブログでも書きました。宮城県指定無形民俗文化財に指定されており、地域の繁栄を願って厄災や疫病をはらうとともに、祖先の霊を供養するものです。毎年、旧暦6月24日の前後に早稲谷地区の甘酒地蔵尊祭典で奉納されます。

目黒のさんま祭では、2012年からNPO法人目黒ユネスコ協会さんが、伝統芸能の伝承に取り組んでいる気仙沼市内の小学校児童を毎年招待してくださっています。月立小学校は、2012年、2015年と招かれ、今度で3回目となります。9月16日の三陸新報が、さんま祭に向けて練習にはげむ様子を紹介していました。

9:16月立小鹿踊
三陸新報9月16日記事の一部イメージ

記事によれば、上京した児童は月立小5・6年生の8人とのこと。映像にもうつっていますが、踊りの最後に鹿のかぶりものをとって挨拶した子供らがとても可愛かった。無事におどりおえてホッとした様子がうかがえました。晴天で時間に余裕があれば、早稲谷鹿踊の由来なども紹介できたのでしょうが、いまにも本降りになりそうな天気では無理というものです。

月立小学校は、鹿折小学校の北西方向の八瀬(やっせ)地域にあります。児童数30名で、新城小学校(児童数236)との統合が計画されていますが、教育委員会と保護者らとの意見が対立しています。松岩小学校(児童数323)への統合を計画している水梨小(児童数20)も同じような状況。いずれも、すでに一年延期されての2018年4月の統合は極めて困難で、再延期される見通しとなっています。

そうした統合をめぐる事情は別として。月立小学校の児童の皆さんや関係者、そして早稲谷鹿踊保存会の皆様、ご苦労さまでした。そして、目黒ユネスコ協会の皆様の例年のご支援に対しても心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。

2016年8月26日ブログ「早稲谷鹿踊の伝承」

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tag : 気仙沼 気中20 早稲谷鹿踊 目黒のさんま祭 月立小学校

目黒さんま祭報告

9月17日(日)の〈目黒のさんま祭〉の様子を紹介します。台風の接近であいにくの雨天となりましたが、10時の開場前から長蛇の列ができていました。9時30分からは、さんま祭を含む〈目黒区民まつり〉全体の開会式。菅原気仙沼市長のご挨拶は例年通りですが、今回は気仙沼出身の小野寺五典防衛大臣も出席されました。菅原市長は〈今年は昨年水揚げされた新鮮なさんまの冷凍を解凍したものだが、今季にみなさんがこれ以上大きなサンマを食されることはないでしょう〉と語っていました。来賓の挨拶のあとは、気仙沼の皆さんによる〈どや節〉が披露されました。こんな感じ。

どや節

その後は、目黒の殿様に気仙沼のさんまや大分県臼杵市のカボスを贈る〈献上式〉。青木区長が〈さんまは気仙沼であがったものに臼杵(うすき)のカボスを添えて目黒で食べるにかぎるのお〜〉みたいなことを語るのがお約束です。

献上式

この後、来場者のみなさんへの焼きさんまの提供が始まりました。焼き台の列はこんな感じです。例年はこの焼き台の前に来場者が座って焼き上がりを待つのです。しかし今年は雨でしたので、それは省略。

焼き台

サンマのすりみ汁は毎年大人気ですが、今年もこんな感じの行列です。一杯100円。今年も同級生の荒木容子さん(3年10組)がお手伝いに上京してくれました。

すりみ汁

つぎは物産展。手前側が気仙沼物産のテントです。傘もささずに気仙沼の観光パンフレットなどを配っている方がいたのでご苦労様ですと声をかけましたら、気仙沼市役所の産業部観光課長の榊原さん。この4月に県から気仙沼市にいらっしゃったとのことです。

物産展

会場内の広場では、例年いろんなイベントが行われますが、今年は雨天のため、大幅にプログラムを変更したようです。私は、気仙沼市月立(つきだて)小学校の児童による「鹿踊り」(早稲谷鹿踊/わせやししおどり)を楽しみにしていたのですが、この雨では中止かなとも。しかし、そう思っているうちに引率の先生らしき方が先導して月立小の皆さんが入場してきました。雨が少し小降りになったときを見計らっての演技決行でしょう。この鹿踊りについては回をあらためて紹介しますが、まずは写真を2枚。

鹿踊り1

鹿踊り2

これが晴天であったらどんなにかよかっただろうとも思いましたが、雨のなか懸命に踊る児童たちの姿に趣を感じないでもありません。皆さん、本当にご苦労さまでした。とてもよかったよ。

今回のさんま祭には、気仙沼〈あさひ鮨〉の〈さんま姿寿し〉販売で、佐々木徹君(1組)も上京しました。人気商品で早くも完売。その後に休憩スペースでビールを飲みながらなんやかやと。そして会場に戻り、荒木容子さんにも声をかけて写真を撮りました。右から2人目が徹君、3人目が容子さん。右端、物産展で購入した気仙沼産品をぶらさげているのがわたくしであります。

5人で

さんま祭では、出身者も含め多くの〈気仙沼人〉と会えるのも魅力のひとつです。最後にそんな出会いの写真を一枚だけ。

鈴木さんら

右側は、唐桑の崎浜大漁唄込保存会の戸羽芳文さん。2012年7月の渋谷駅ハチ公前広場でのイベントではじめてお会いしました。そして左側は鮪立(しびたち)大漁唄込保存会の鈴木伸太郎さん。というよりも、唐桑鮪立の旧家〈古館〉(こだて)のご当主といったほうが早いでしょう。唐桑の(つまりは気仙沼の)鰹一本釣り漁法は、古館の先祖 鈴木勘右衛門が延宝3年(1675年)に紀州漁師から導入したといわれています。

ブログを書きながらこの写真をながめていて気付いたのですが、お二人がはおっているのは大漁旗を利用した法被(はっぴ)ですね。このブログでも、唐桑中学の〈よさこいソーラン〉の話で紹介しました。

おっといけない、また話が長くなってしまった。サンマ不漁の話に始まって、カツオも不漁だったという話でしめようと思ったのですが、うまくまとまりません(笑)。

さんまの水揚げや天候の不順もありましたが、いつもと変わらぬさんま祭関係者の皆様のご厚意、ご努力に心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。

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tag : 気仙沼 気中20 さんま祭

明治末の内湾風景

きのう17日に開催された〈目黒のさんま祭〉の話は明日にして、本日は9月15日のブログ「明治時代内湾風景」の続きです。前回は「明治時代の内湾風景」とされる写真の撮影時期を推測してみました。もう一度掲載しておきましょう。

内湾市外全景
「気仙沼 港まち恋人スクエア 散策ガイド」より(クリックで拡大)

この写真中央の五十鈴神社左側には遠間章次氏経営の缶詰工場がうつっていますが、「目で見る気仙沼の歴史」(1972年刊)の〈明治44年の気仙沼内湾〉という写真には、同じ缶詰工場がうつっていないことが不思議だったのです。その、「目で見る気仙沼の歴史」の写真頁を紹介します。

明治44年の内湾
「目で見る気仙沼の歴史」より(クリックで拡大)

説明文の最後につぎの記述があります。「この明治44年の港内写真を見ると、右手に郡立水産学校。手前に大堀下流(いまの漁協付近)が写っている」。

この大堀下流、つまり三日町や八日町を経て流れていた大堀の内湾への流出口が、冒頭の「明治時代の内湾風景」にはうつっていません。そして風景がかなり違います。これらの情報を総合して〈明治時代であれば明治末。大正はじめという可能性もありますが、その場合でも大正4年の大火以前でしょう〉と前回は書きました。

正直なところ、よくわかりませんね。「目で見る気仙沼の歴史」の写真の明治44年撮影という記載が誤りであることも考えられるのです。しかしそれ以前でも、郡立水産学校の落成が明治40年であることを考えるとさほど前のことではないでしょう。このふたつの写真の撮影時期の確定には新たな判断材料が必要かと思いますが、今や郷土史研究家でもある私(笑)にとってはとても面白いテーマです。

話は変わります。前回のブログ紹介ツイートに気仙沼の千田基嗣さんから返信をいただきました。

「この散策ガイドと、もともとの内湾の観光解説板は、私が観光課時代に担当して作製したもの。文章は、川島秀一現東北大学教授と私が分担して書いて、私がアンカーマン的に統一し、イラストは山内宏泰にお願いした。震災後は、五十鈴神社境内の、猪狩神社の解説板の一枚のみが残っています」

気仙沼市本吉図書館長もつとめた千田基嗣さんの、気仙沼市の観光課時代の仕事だったのですね。それと猪狩神社の解説板が震災後も残ったと。たしかに、猪狩神社はお神明さんの浮見堂近くの階段をのぼったところにあります。そう言われてみると、震災の年5月に気仙沼を訪れたときの五十鈴神社をおまいりしたときを思い出します。石柱などが倒れロープなどが張ってあったものの、同じ境内にある猪狩神社に大きな損傷はなかったように見えました。

そんないろんなことを考えると、明治時代の写真にうつる五十鈴神社/神明社/お神明さんの〈鎮守の森〉は、今でも大きく変化することなくそこにあります。とてもありがたく、これからもそこにあり続けて欲しいとあらためて感じました。

9月15日ブログ「明治時代内湾風景」

「目で見る気仙沼の歴史」については、つぎのブログにて。
2016年12月8日ブログ「気仙沼の歴史復刻」

テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 目で見る気仙沼の歴史

明治時代内湾風景

今週は新聞記事の紹介が続いたので、本日はちょっと趣向を変えましょう。〈明治時代の内湾風景〉です。

内湾市外全景
「気仙沼 港まち恋人スクエア 散策ガイド」より(クリックで拡大)

これは、気仙沼市観光受け入れ態勢整備推進協議会が12年前の2005年3月に制作した「気仙沼 港まち恋人スクエア 散策ガイド」に掲載されていた写真です。このガイドは、A2サイズの用紙両面に印刷して折りたたみ、A4判8頁に相当する内容となっています。なかなかの力作です。私がいつ入手したのかおぼえていないのですが、お盆の帰省時にもらったのでしょう。表紙部分はこんな感じです。

恋人スクエア

ガイド発行当時、内湾17カ所にイラスト付きの〈港まち恋人スクエア〉解説板が設置されていました。散策ガイドはその内容を再構成し、解説を詳しくしたものと思われます。イラストは、リアス・アーク美術館の山内宏泰さんによるものです。この解説板は、震災時の津波で被災し今はもうありません。

冒頭に紹介した写真は、ガイド中の⑨「内湾の歴史」部分に掲載されています。私はこの写真に見覚えがありました。2016年2月13日から3月21日まで東京の目黒区美術館で開催された「気仙沼と、東日本大震災の記憶 ―リアス・アーク美術館 東日本大震災の記録と津波の災害史」展で、ガラスケースの中に何点か置かれていた写真の一枚だと思います。初めて見る写真でした。静かできれいな内湾の原型イメージを見るような思いがしたものです。とてもいい写真。現在も、リアス・アーク美術館の常設展に展示されているのではないでしょうか。

写真下部には小さな文字でつぎのように記されています。「宮城懸氣仙沼港内及市街全景」。〈富田本店製〉の文字もありました。富田本店は絵葉書や地図なども発行していましたので、そのひとつでしょう。タイトルやシリーズ数字が2つあるところをみると、2枚の写真を合成しているのでしょうか。

ガイドのキャプションには〈明治時代の内湾風景〉とありました。明治のいつごろだろうかと興味がわいてきます。うつっている建物がヒントになりますね。右手の柏崎(かしざき)下の建物は本吉郡立水産学校(明治40年落成)。左手前に少し大きな船が停泊しているのは、三陸汽船の桟橋だと思います。

写真中央の神明神社の左側には遠間章次氏経営の缶詰工場がうつっています。これがちょっと気になるのです。「目で見る気仙沼の歴史」の〈明治44年の気仙沼内湾〉という写真(P91・92)には、遠間の缶詰工場はなく、以前の漁協前あたりには三日町や八日町を流れていた大堀の湾への流出口がうつっています。しかし、散策ガイドの写真には見当たりません。以上の情報を総合すると、明治時代であれば明治末。大正はじめという可能性もありますが、その場合でも大正4年の大火以前でしょう。

〈港まち恋人スクエア 散策ガイド〉からずいぶんと話がとんでしまいました。〈気仙沼の歴史散策〉ということでお許しいただければと。どうぞよい週末を。

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さんま水揚げ不調

気仙沼港をはじめ、今季のサンマ水揚げが思わしくないというのは、皆さんご存じのとおりです。きのう9月13日の三陸新報のトップ記事もこの話題でした。下は三陸新報ニュースサイトから。

さんま水揚げ


気仙沼魚市場への生鮮サンマの水揚げが、10日間途絶えているというのです。記事によれば、漁場が遠い上に漁獲が思わしくなく、現状では気仙沼に入るメリットが少ないためとみられるとのこと。「サンマ船が入ってくるのはいつなのか」。買い受け業者やイベントを控える関係者などから心配の声が出ているというのです。

今週末9月17日には、目黒区での〈目黒のさんま祭〉が。そして、福島県相馬市では、立川志の輔師匠をお迎えしての〈相馬で気仙沼さんま寄席〉も開催されます。いずれも気仙沼で水揚げされた新鮮なサンマが焼かれる予定です。

一週間前の品川区の〈目黒のさんま祭り〉は、いつもは岩手県宮古市からのサンマが焼かれるのですが、不漁のために北海道産のサンマが提供されたそうです。17日に向けて、気仙沼の関係者の方々の心労、ご苦労、いかばかりかと。

それはそれとして、9月17日(日)目黒区での〈目黒のさんま祭〉は、お昼12時にJR目黒駅改札にて待ち合わせという我々の段取り。台風など天候が心配なのですが、ご都合の許す方は是非お出かけくださいますように。どうぞよろしく。

7月4日ブログ「相馬でさんま寄席」
8月31日ブログ「ふたつのサンマ祭」

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気仙沼にエールを

本日は、内輪の話題。三陸新報に〈古里へメッセージ/出身者より激励投稿〉という不定期連載記事があるのですが、きのう9月12日に私の妻まゆみの投稿が掲載されました。はずかしながらのご紹介。

9/12激励メッセージ
三陸新報9月12日掲載記事

この投稿、気仙沼の同級生からお声がけをいただき、せっかくのお話ということで引き受けたようです。ちょっと長くなりますが、投稿記事を以下に転載します。

◎気仙沼の明るい底力にエール
気仙沼市南町出身 小田まゆみ(60)

 先日、法事で気仙沼に帰りました。新幹線に乗り込んで、四角いビルの中を抜け、緑の田園地帯が広がる頃、自分の中のネジが次第に緩んでくるのがわかります。大船渡線に乗り換えると、スイッチは切り替わります。
 風にそよぐ木々、川面に映る光、ピーッと鳴る汽笛、私の産土(うぶすな)気仙沼に到着する頃には、すっかり気仙沼モード。駅の改札を出ると、かすかに潮風を感じます。「ただいまー」帰ってきたよ。

◎震災と母達のこと
 震災で南町の実家は全壊、魚町の夫の実家も被災しましたが、一人暮らしの姑、施設に入居中の母は、二人とも避難し無事でした。姑はご近所の助けを借りて、高台の保育所に避難しました。座る場所もないほどの混みようでしたが、缶詰工場で働く中国の女性達がやさしくしてくれたそうです。その後は仙台の義兄宅に避難し、今は近くの施設で穏やかな晩年を過ごしています。
 実家の母は施設から中学校の体育館に避難していました。迎えにいった親戚によれば、その時、履く靴を持っていなかったそうです。靴もなく瓦礫の中をどうやって避難したのでしょう。「誰かにおんぶをされたかもしれない……」と言いますが、認知症の母には、震災時の細かい記憶はありません。
 母は避難所から親戚の家、東京の私の家に避難しました。そして、焼津の姉夫婦の家に落ち着き、震災から2年後、姉達と共に、元気に気仙沼に戻りました。姉達が静岡から迎えに来た時、母は夫と私、息子の手を一人ひとり握って「大変お世話になって……どうもありがとう」と丁寧にお礼を言いました。
 親からあらたまってお礼を言われるのは、照れくさいものですが、母が亡くなった今となっては、良い思い出です。震災の大混乱の中、高齢の母たちを優しく助けてくださった皆さま、本当にありがとうございました。

◎おでってのこと
 震災後、東京では、復興支援活動が始まっていました。解体予定の銀座TSビルに気仙沼のお店ができたというので、夫と出かけました。気仙沼出身の若い方々が中心となって「気仙沼コンシェルジュ」というボランティアグループがつくられており、早速、仲間にいれてもらいました。お客様と震災の話をしたり、気仙沼の商品を勧めたりしました。目黒のさんま祭、さくら祭、エコまつりなどにも出かけ、屋台で蟹ばっとうや、気仙沼ホルモン、みりん干しを焼いたりしました。気仙沼コンシェルジュは、気仙沼出身者のほかに、気仙沼ファンの若者達も加わり、200人を超す大きなグループになりました。平日は仕事をし、休みになると手弁当で「おでって」に駆けつける頼もしい若者たちが大勢いたことを紹介させていただきました。

◎未来が楽しみ
 震災後しばらく、魚売り場から三陸の魚が姿を消しましたが、今ではめかぶや生若布、殻付きほや、ムール貝など、以前は見かけなかった魚介類が並び、震災前より賑やかです。
 新商品も次々に届き、気仙沼の皆さんの頑張りが伝わってきます。やっぱり気仙沼には、豊かな海と明るい底力がある!きっと、さらに住み良い街になると信じています。(投稿内容は以上)

ホヤぼーやと一緒にうつっている写真は、2016年2月に東京・目黒のパーシモンホールで開催された東日本大震災復興支援コンサートでの物産展における〈おでって〉の合間のスナップです。

身内の話だけでもなんですので、こぼれ話をひとつ。写真にうつるホヤぼーやの中の人は、妻と気仙沼中学の同級生(気中26回生)だった関西学院大学総合政策学部教授 長峯純一さんのお嬢さんです。〈みなと気仙沼大使〉でもある長峯純一さんは気仙沼市震災復興会議委員もつとめていますが、これも行政レベルでのお手伝い〈おでって〉といってよいのかもしれません。長峯さんは、関西学院大学の副学長でもあります。

震災から6年半。妻にとってこの投稿記事は、震災時に実母や私の母を助けてくださった多くの(私たちが見知らぬ方々も含めての)皆様に感謝を伝えるよい機会になったと思います。私からも重ねてお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

テーマ : 東日本大震災支援活動
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tag : 気仙沼 気中20 気仙沼コンシェルジュ

内湾復興事業遅滞

きのうのブログでは、南気仙沼地区のまちづくり説明会について記しました。本日は、気仙沼市の内湾地区である魚町と南町の土地区画整理事業の遅れについてです。まずは9月9日の三陸新報の記事から。

内湾の復興遅れ
三陸新報9月9日記事の一部イメージ

気仙沼市が魚町・南町で進めている土地区画整理事業は、2018年度完了を予定していましたが、最大1年半遅れることがわかったということです。

記事によれば、完成予定時期が遅れるのは、魚町、南町両地区の宅地や事業所、店舗、駐車場、資材置き場などとして土地を利用する系21街区のほか、市道5路線。区域内の宅地完成は、来年度内を予定していたそうですが、1年遅れの2019年度に、道路や公園は来年度から1年半後上期(4月〜9月末)に見直されました。なお、旧エースポート周辺に計画されている商業施設や、市営駐車場跡に整備される観光・交流施設と勤労青少年ホームについては、すでに土地の引き渡しなどが済んでおり影響はありません。

遅れの理由ですが、市によれば、他事業との工程調整に加え、幹線道路の整備に伴う迂回路の交通処理調整、建物の移転を余儀なくされる地権者の移転先確保など補償に時間がかかったためとのことです。

土地区画整理事業は、換地などをはじめ土地の権利関係を法律に基づいて調整していく作業ですから、簡単な仕事ではありません。遅れは好ましいことではありませんが、誰かを責めてすむ話ではないでしょう。

本ブログを検索してみましたら、2014年10月13日に、内湾地区の土地区画整理事業の開始を紹介していました。事業費は99億5000万円です。地区内には93棟の建物があり、区画整理に伴う移転補償費は63億7000万円と記していました。

気仙沼市の南気仙沼地区、鹿折地区の土地区画整理事業は、独立行政法人都市再生機構(UR都市機構)に委託されています。魚町・南町はどうだったっけ。そう思って調べてみたら、共同企業体/ジョイントベンチャーでした。〈双葉・エイト日技・アジア航測・日測地 気仙沼市魚町・南町地区被災市街地復興土地区画整理事業 事業計画等推進業務 共同企業体 代表者 株式会社双葉 東北支社 支社長〉。

共同企業体であることでの業務進行の停滞がなければよいけれどなどと、余計な心配がちらっと頭をよぎるのです。といっても誰を責めているわけではないのです。それぞれの立場でみな一所懸命やっていることは承知のうえで。どうぞよろしくお願いいたします。

2014年10月13日ブログ「内湾復興事業開始」
9月11日ブログ「南気仙沼の説明会」

さらに関心があれば、気仙沼市の大震災調査特別委員会資料(平成26年9月12付)をご覧ください。(PDFファイル)
気仙沼市建設部都市計画課/業務委託契約資料

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南気仙沼の説明会

本日9月11日で、震災から6年と6カ月経ちました。

さて、9月7日のブログでも紹介した南気仙沼地区のまちづくり説明会が9月8日に気仙沼市民会館で開催されました。9月10日の三陸新報がその様子を伝えています。

まちづくり説明会

三陸新報9月10日記事の一部イメージ

当日は、住民や地区内の事業所、団体関係者ら約130人が参加。菅原茂市長や市当局、そして土地区画整理事業を受託して進めているUR都市機構から計画を説明したとのことです。

本日のブログでこの説明会を再度紹介したのは、説明会を主催した「南気仙沼復興の会」の会長として、吉田久雄君(3年6組)の名があったからです。同姓同名ということもあるので、臼井真人君(3年2組)に確認したところ間違いなし。

まちづくり団体「南気仙沼復興の会」は、今年4月に設立されました。サメ肉を扱う「カネヒデ吉田商店」を経営する久雄君は、市議会議員の経験もありますから、こうした地域住民団体の代表にはぴったりでしょう。三陸新報の記事の最後に、久雄君のコメントが紹介されていました。「住民の皆さんは地域の復興に関する情報に飢えている。地域の課題や将来像を、市と住民で共有したり、考えたりする機会を今後もつくっていきたい」と。

行政と市民/住民という立場や、住民それぞれの意見や考え方の違いなど、会の運営にはさまざまな課題があるでしょうが、そこに会の役割や存在価値があるのだと思います。いろいろと大変なことも多いでしょうが、期待に応えて頑張って欲しいと願っております。

9月7日ブログ「南気仙沼復興の会」

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詩人 梶原しげよ

8月31日の三陸新報に気仙沼市唐桑出身の詩人、梶原しげよさんに関する記事が掲載されていました。

8:31梶原しげよ
三陸新報8月31日記事の一部イメージ

唐桑の早馬(はやま)神社の敷地内に梶原しげよさんの功績を伝えるギャラリーが完成しました。早馬神社は、しげよさんの生家でもあるのです。同神社サイトによれば、32代宮司 梶原重義さんの妹、現在の33代梶原忠敏宮司 の叔母さんにあたります。

同サイト中の〈梶原しげよ〉紹介ページの内容を要約して紹介します。

しげよさんは、1920年に二男七女の末っ子として生まれました。唐桑尋常小学校、唐桑高等小学校を経て、気仙沼実科高等女学校(旧 鼎が浦高校、現 気仙沼高校)に入学し、短歌や詩を書き始めます。卒業後は、津山町柳津小学校や唐桑国民学校などで教壇にも立ちました。1953年には、フランス文学者の高村智(たかむらさとる/のちに東京都立大学教授)と結婚。1959年の第1詩集『生と死のうた』(書肆ユリイカ)に始まり2011年の第16詩集『ゆうぐれの野路』までを刊行。2011年11月に95歳でその生涯をおえています。

その作品は、フランスやイタリアをはじめとする海外各国でも翻訳され高い評価を得ました。早馬神社のサイトには多くの受賞歴が記されています。なお、唐桑小学校の校歌は、梶原しげよさんが作詞したものです。

最後に紹介ページの中にあった、しげよさんの若き日の写真を拝借し紹介します。気仙沼実科高等女学校時代の写真でしょうか。

梶原しげよ
早馬神社サイト/梶原しげよ紹介ページより

気仙沼市唐桑の地にてその感性を育んだ詩人 梶原しげよ。私はその名を知ってはいたものの、表現活動の詳細は知らずにおりました。このたび完成したギャラリーが、その足跡と功績を多くの人に知らせ、後代に伝えるよき場となることを願っております。

早馬神社サイト/梶原しげよ紹介ページ
サイト「詩人 梶原しげよ」第1〜第16詩集/作品選集

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tag : 気仙沼 気中20 梶原しげよ 早馬神社 唐桑

プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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