鹿折復興地図更新

8月1日に発行された〈けせんぬま復興ニュース〉第121号に、気仙沼市鹿折(ししおり)地区の〈まちづくりマップ〉更新との記事が掲載されていました。

市民の皆さんは各戸配布のニュースでご覧になっていると思いますが、市外の皆様向けに、気仙沼市の公式サイト掲載のマップを紹介します。まずは、復興ニュースの記事を引用します。

「気仙沼市は、復興後の街のイメージを持っていただき、早期のにぎわい創出を図るため、土地区画整理事業で整備を進めている鹿折地区、魚町・南町地区、南気仙沼地区とその周辺について、公民館などの公共施設や商業施設の再建予定を示したまちづくりマッフを作成しています。今回は、けせんぬま復興ニュース2016年6月15日号で掲載した鹿折地区について、2017年6月末時点に更新しましたのでご紹介します。」

マップはこんな感じ。

鹿折マップ
けせんぬま復興ニュース第121号より

2016年6月15日号の掲載内容から更新された内容はつぎのとおりです。

○かもめ通り商店街の出店状況
○県道沿いの店舗の新設状況
○水産加工施設等集積地内の工場の新設状況
○復興祈念公園
○完成した公共施設(市営鹿折南住宅・市民福祉センター)の写真。
○建設予定の公共施設(認定こども園)の完成イメージ図

空撮写真などで鹿折地区の状況を見ることがあるのですが、その全貌がなかなかわかりにくかった。今回のマップは復興状況を理解するにあたってのひとつの手がかりとなりそうです。しかし、鹿折で生まれ育ち、いまはその地を離れている人たちがこの〈まちづくりマップ〉を見るとき、いったいどんな気持ちがするのでしょうか。ちょっと想像がつきません。

けせんぬま復興ニュース第121号(PDFファイル)
2016年8月17日ブログ「鹿折の復興MAP」
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焼き場に立つ少年

きょう8月15日は終戦の日。先週から今週にかけては、新聞やテレビでも太平洋戦争をとりあげる番組や記事が多く見られます。本日紹介するのもそのひとつ。8月9日に朝日新聞が配信した記事の写真です。よく知られている「焼き場に立つ少年」。


朝日新聞8月9日配信記事より

記事を引用します。〈原爆投下後の長崎で、亡くなった幼子を背負う「焼き場に立つ少年」。撮影した米国の従軍カメラマン、故ジョー・オダネルさんの妻が夫の生涯をたどり、長崎原爆の日の9日に著書が出版された。「投下した側」でありながら、投下は過ちと訴え続けた足跡を写真と共に追っている〉(引用は以上)

この写真が掲載されたずいぶん前の新聞記事のスクラップは私ももっていて、見るたびになんともいえないせつない気持ちをおぼえるのです。30年以上も前のことですが、気仙沼に帰省したときに、この写真のことを父と話したことがあります。父は、少年の姿勢がまさに帝国陸軍兵士を思わせると語っていました。息子がこの写真にいだく気持ちを聞いて、うれしそうというかホッとしような表情をうかべていました。

父は招集されて中国大陸での戦争を経験しています。私に細かな戦争のことを話すことはほとんどありませんでしたが、関係書籍を購入して読んでいたことを覚えています。自分が戦った戦争というか作戦がどういうものだったのかを知りたかったのでしょう。同級生 佐々木徹君(3年1組)のお父さんも、同じく中国戦線で戦ったことがあるのですが、あるとき二人で書籍の付録資料の地図を広げ、それぞれの転進の道程を追っていたことを思い出します。父が、在家得度を受けるために曹洞宗の大本山 永平寺に一週間滞在したときも佐々木さんと一緒でした。中国大陸で同じ経験をし、同じ風景を見てきたという思いがあったのでしょう。

父は仏像をたくさん集めていて、元気なころはその前で朝晩に読経しておりました。ダイアリーに知人の命日と戒名/法名が記してあり、その日に亡くなった方の菩提(ぼだい)をとむらっていたのです。その父も9年前に亡くなったのですが、仏像の整理をしていた私は、厚紙に貼った新聞の切り抜きが仏像の後側にたてかけてあるのに気付きました。それが「焼き場に立つ少年」でした。

この写真を見るたびに、袈裟(けさ)を胸に、数珠を手に経をあげる父の姿を思い出します。最後はつぎのように声を発したはずです。

〈 じょうらい、きょうしゅをふじゅす、あつむるところの功徳(くどく)は、○○霊位にえこうし、ほうちをしょうごんせんことを 〉

終戦/敗戦から72年が経ちました。

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映画「自虐の詩」

当日のご紹介になってしまいましたが、本日8月14日午後に、気仙沼出身者必見の映画がテレビ東京で放送されます。「自虐の詩(じぎゃくのうた)です。奇跡のどん底ラブストーリー!

自虐の詩

映画.COM/自虐の詩より(クリックでサイトにジャンプ)

◎自虐の詩
◎8月14日(月)午後1:35〜15:40
◎テレビ東京

気仙沼がなにかとお世話になっている堤幸彦監督の作品。原作は、業田良家(ごうだ よしいえ)さんが「週刊宝石」で連載していた4コマ漫画です。

なぜ必見かというと、中谷美紀さん演ずる薄幸のヒロイン森田幸江(さちえ)の出身地が気仙沼という設定で、映画にも気仙沼ロケで収録された多くのシーンが登場するのです。お神明さん(五十鈴神社)、八日町の廣野新聞店、入沢、浜見山、旧 月立(つきだて)小学校……など。

2007年10月に公開された映画ですから、そこにうつる気仙沼は震災前の風景です。なんてわかったふうなことを書いていますが、私もまだ見ていないのです。DVDも発売されて、テレビでの放映も一度あったように記憶しているのですが、見逃していました。今日の放送を楽しみにしています。録画予約完了しました。

テレビ東京なので東京ローカル。気仙沼での放送がないのが残念です。

2016年4月6日ブログ「堤幸彦気仙沼大使」


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真海さんの「復帰」

まずは本日8月11日のテレビ番組情報から。午後9:54からのテレビ朝日系列「報道ステーション」で、6月下旬に営業を再開した気仙沼市唐桑の民宿〈つなかん〉が特集されます。是非ご覧ください。気仙沼では、東日本放送です。

ここからが本題。事前に知ることができず、皆さんにお知らせすることができませんでしたが、8月7日の「報道ステーション」には、気仙沼出身の谷真海さん(旧姓 佐藤)の姿がありました。松岡修造さんの「いこうぜ2020」コーナーです。

はじめは、真海さんがアテネ、北京、ロンドンとパラリンピック3大会に出場したことが紹介されます。そして、2020年東京招致のプレゼンターを務めたことなども。私は、真海さんがこの最終プレゼンで語った〈私にとって大切なのは…… 私が持っているものであって、 私が失ったものではないということを学びました〉という言葉が強く印象に残っています。番組では紹介されませんでしたが、真海さんがスポーツの真の力としてあげたのはつぎの3つです。

新たな夢と笑顔を育む力。
希望をもたらす力。
人々を結びつける力。

その後、真海さんは結婚して息子をもつ母親となりました。そして、〈ママさんアスリート〉として復帰。生涯スポーツとしてずっと興味があったというトライアスロンでの東京パラリンピック出場を目指しているのです。競技種目は以前の走り幅跳びからトライアスロンへ転向。チャレンジしないと自分が生きている感じがせず、常に何かを目指していきたいと。

7月28日にはカナダのエドモントンで開催されたITU(国際トライアスロン連合)世界パラトライアスロンシリーズに出場。女子PTS4クラス(ITUのクラス基準で中度の障がいとされています)において、スイムでトップにたったあと、最後まで1位を守り優勝しました。番組で真海さんは、3年後に向けて、東京パラリンピックの会場を満員にしたいと抱負を語っていました。

チャレンジ 優勝

メダル 抱負

なお、調べていて知ったのですが、トライアスロンがパラリンピックの正式種目となったのは、2016年リオデジャネイロパラリンピックからとのことです。

この記事を書くにあたって参照した朝日新聞の配信記事の中に、もうすぐ1歳4カ月となる真海さんのお子さんの名前がありました。海杜(かいと)君です。海と杜(もり)。いいね。天旗/凧のカイト(kite)も連想させます。気仙沼だね。

なんか、ナウシカの物語に登場してもおかしくはないような。きょうは、〈山の日〉ということですが、谷と海と杜の日ということにしませんか(笑)。どうぞよろしく。

2013年9月10日ブログ「東京プレゼン全文」

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2つの大谷防潮堤

きのう8月9日の三陸新報に、気仙沼市大谷(おおや)地区の防潮堤に関する記事が掲載されていました。私は、〈4年ぶりに説明会〉との見出しに一瞬おどろきました。大谷海岸の防潮堤は12月着工ではなかったかと。しかしこれは早とちり。記事は〈大谷漁港〉の防潮堤で、気仙沼市が計画しているものについてでした。

大谷漁港防潮堤

三陸新報8月9日記事の一部イメージ

記事によれば、説明会は2013年11月以来、2度目とのこと。この大谷漁港の防潮堤は、県が大谷地内に建設した防潮堤に接続し、海抜9.8mの高さで、当初は漁港を囲うように整備する計画だったそうです。

これに対しての住民らの意見を受けて気仙沼市は8月7日に2案を提示しました。2案とも防潮堤の延長は350〜400m。県の防潮堤との接続場所付近の〈陸こう〉には津波の浮力で起き上がるフラップゲートを取り付けます。

双方の案で違う点は、JRが復旧予定のBRT専用道と防潮堤との関係です。交差部を立体交差にする案と、踏切による平面交差の2案が示されています。立体交差は安全面のメリットがあり、平面交差は兼用堤とするためにBRTからの景観が確保できるとのことです。説明会では、大きな反対意見はなかったものの、案を絞り込むまでには至らず再度説明会を開くことを了承し、関係者の意見を聞きながら計画を一本化していく方針が確認されました。

私はこの記事を読んで、JR大谷駅などを含む大谷海岸と大谷漁港の位置関係がよくわかりませんでした。地図で確認すると、大谷漁港は御伊勢浜海水浴場に連続して、その南西部にあるのですね。

主に県が主体となって進める大谷海岸防潮堤の計画が定まったことで、それに接続する市による大谷漁港防潮堤の協議が始まったということなのでしょう。〈大谷〉の防潮堤といわれると、それで分かったような気にもなりがちですが、注意しなければなと思いました。そういうことでの記事の紹介でした。

8月1日ブログ「大谷防潮堤着工へ」

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仮設住宅入居者数

8月5日(土)の三陸新報に、気仙沼市の仮設住宅の入居者数についての記事が掲載されていました。

仮設
三陸新報8月5日掲載記事

記事を要約して以下に紹介します。

気仙沼市の応急仮設住宅の入居者数は、8月1日現在で881人。住宅再建に伴って退去が加速しており、ピーク時の1割まで減った。残るのは、区画整理事業による宅地造成の遅れなどの事情がある人となっている。

8月1日現在で供与されているプレハブの仮設住宅団地は、市内と岩手県一関市に計83団地・3281戸。このうち、入居戸数は416戸で、417世帯・881人が暮らしている。入居戸数が最も多かったのは2012年1月で3360戸、入居者数は8288人だった。団地別にみると、入居者数は、集約化計画の拠点団地である気仙沼公園が87人(34戸)で最も多く、反松公園78人(33戸)、次いで五右衞門ヶ原運動場54人(25戸)、同野球場45人(21戸)など。

市は、供与期間が7年目となる本年度から「自宅の再建は決まっているが、工期の関係で仮設住宅を退去できない」など、特別な事情がある世帯のみ供与の延長を認める「特定延長」を導入。該当要件を満たした300世帯の入居を認めている。(記事の要約紹介は以上)

記事に〈集約化計画の拠点団地〉と記されていた気仙沼公園住宅は、気仙沼市笹が陣4番5号。つまり、気仙沼中学校校庭の下のところ、市民会館に隣接する場所といえばわかるでしょうか。なお、震災に対応して県が建設した応急仮設住宅には〈プレハブ型〉と〈民間賃貸住宅型〉の2種類があります。上記の記事は、プレハブ型の応急仮設住宅についてのものと思います。仮設住宅に関するデータは、さまざまな条件が交錯するので、ちょっとわかりにくいところがあります。

仮設住宅については、集約を進めることによって小中学校の校庭利用がなくなったとか、供与を終えた住宅の解体が進んでいるなど、復興の進展を伝えるニュースも多いのです。今回の記事の見出しにも〈ピーク時の1割まで減少〉とありました。

その一方で、細かな数字は別としても、いまだに417世帯881人の方々が応急仮設住宅で暮らしていることを知ると、なんていうのだろう、うまくいえないのですが、いろんな感情が。とりあえず〈去来する〉としておきましょう。

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週刊文春 大島紹介

「週刊文春」7月6日号は、下村博文 元文科相の闇献金疑惑から「尿の悩み」完全ガイドまで、まさに週刊誌らしい内容。そんな中に気仙沼大島の紹介記事がありましたので紹介します。暑苦しいなかにあっての一服の清涼剤として。

週刊新潮大島

「週刊文春」7月6日号より


これは〈ぶらりわが街 大人の散歩〉というシリーズ記事。小さく〈離島編〉との文字が記されていました。取材と文章は、小堀隆司さん。イラストは、いしい つとむ さんです。文章のなかに、島内ガイドの村上まき子さんの言葉が紹介されていましたので引用します。

〈大島というように、わりと大きな島だ。東北最大の有人島で、人口はおよそ二千六百人。豊かな自然と風景が自慢で「緑の真珠」と比喩されている。かつては漁業が盛んだったそうだが、六年前の津波により牡蠣や帆立など養殖筏が壊滅的な被害を受けた。「だから今は船乗りになる人がほとんどいないんです」と、島内ガイドの村上まき子さんが肩を落とす。「それこそ昭和40年代は島の人口も5500くらいいて、マグロ船に乗っている漁師がたくさんいた。この島は観光に訪れる人も多くて、震災前は宿が30軒ほどあったかな。今はそれも十数軒程度に数を減らしました。〉(引用は以上)

この後は、亀山からの眺望や、震災時の話が続きます。そして最後に、小田の浜を案内しながらの村上さんの言葉が紹介されます。

〈きれいでしょ。泳いだり、民泊したり、島の観光は海があってこそ。津波でたくさんの命が失われたけど、私たち、誰も海を恨んでいないんです。〉

週刊文春編集部の皆様、そして小堀隆司さん、ありがとうございました。


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花火の響きの記憶

5日(土)6日(日)の気仙沼みなとまつりでした。6日の夜は、まつりの最後を飾る花火大会。私はネットで写真や動画をみることしかできませんでしたが、雲があったものの無事上がったようでよかったです。同じ日、6日の読売新聞の一面コラム〈編集手帳〉も花火の話でした。

編集手帳2
読売新聞8月6日掲載「編集手帳」より


〈大学時代に友人を花火大会に誘ったら「行きたくない」といわれた。「爆弾を思い出すから」と〉。ここまで読んだときに、私の父の話をすぐに思い出しました。気仙沼の港まつりで、私や母が花火を見にでかけても、父は決して外に出ようとはしませんでした。そしていつのことだったか、〈戦地での大砲の音を思い出す〉と。これについては2013年8月のブログに、港まつりの記憶とともに書きました。そんなことで、花火大会の話を聞くと戦争のことを思い出すのです。

〈編集手帳〉の話題もそうした太平洋戦争や終戦にまつわる話かと思ったのですが、違いました。花火大会に誘われた人は、アフガニスタンからの留学生だったのです。その後の話は読んでいただくことにして、一節のみ引用します。

〈今夜も各地で花火が上がる。大輪をめでつつ、音や光を厭(いと)う人々の経験にも思いを致したい。〉(引用は以上)

今年のみなとまつりもおわってしまいましたね。運営関係者の皆様、参加者の皆様、ご苦労さまでした。そして、お疲れさまでした。

2013年8月12日ブログ「みなとまつり終了」

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気仙沼音頭の記憶

8月5日(土)6日(日)は、気仙沼みなとまつり。私のみなとまつりの記憶のバックで流れている音楽は、〈気仙沼音頭〉です。街頭パレードで婦人会の皆さんが踊ったり、トラックの荷台にしつらえた舞台の上で幼い子らも踊っていたはずです。7月8日の気仙沼高校関東同窓会の懇親会では〈気仙沼音頭〉で踊りの輪をつくりました。私はうまく踊れず、見よう見まねでしたがとても楽しく、機会があれば是非おぼえたいなと思いました。そんなことで本日は、2014年8月4日のブログ内容を転載します。

まずはユーチューブでの気仙沼音頭から。


気仙沼音頭/三橋美智也(YouTube)

この音頭はいつ頃からあったんだろう、ということでちょっと調べてみました。

まず「気仙沼文化史年表」によれば、1967(昭和42)年9月に〈「気仙沼音頭」を市民から募集〉、しかし1968年4月には〈気仙沼音頭の応募作に該当者なく、山形大学教授浅野健二の指導で作詞〉となりました。レコードに添付されている歌詞には、〈浅野健二監修、気仙沼音頭制作委員会作詞〉と記されています。武田忠一郎作曲。

そして、1968年7月から全市あげて練習し、8月の第18回みなとまつりで発表したと気仙沼市史(第5巻)に記されておりました。私たちが高校2年のときか。そんなに古い話ではないのですね。

歌詞を下に記しておきましょう。

気仙沼音頭


ハアー
みなと気仙沼 一度はお出で
前に大島 岩井崎
(ドントナ ドント ドドント 輪になって踊れ サテ)
気仙沼音頭で 踊りゃんせ
(ホンによいとこ よいみなと)
(以下唄ばやし略)

ハアー
積んだ鰹は 万々両よ
あれは気仙沼 灯が見える

ハアー
安波亀山 花見の化粧
間(あい)のみなとが水かがみ

ハアー
土佐も熊野も 鹿島の灘も
超えて来たぞえ 気仙沼

ハアー
解いたともずな 情けでつなぐ
一夜泊まりが ふた泊まり

なお、上記の詞中にある「ともずな」は「ともづな」ではないかと思っておりましたら、市史ではやはり「ともづな」としてありました。しかし、市史は3番の歌詞を「花見化粧の亀山、安波」と誤記していますから、校正不足という点ではいい勝負です(笑)。

土曜日の夕方、帰宅途中の「自由が丘」で、駅前ロータリーから〈炭坑節〉が聞こえてきました。盆踊りだったようです。昼に聞いた気仙沼音頭と同じ歌声は三橋美智也さん。

夏はやっぱりチューブ、じゃなくてユーチューブで三橋美智也!ということで今週もよろしく。(再掲内容は以上)

音楽って不思議ですね。気仙沼音頭の冒頭の三味線の音を聴くだけで瞬時にタイムスリップします。気仙沼音頭は、1968(昭和43)年8月の第18回みなとまつりで発表されました。私が気仙沼高校2年生だったとき。もっと前のことと思っていたんだけどな。東京オリンピックの4年後ですね。そして来年2018年は〈気仙沼音頭50周年〉。〈はまらいんや踊り〉もよいけれど、三橋美智也さんの〈気仙沼音頭〉もどうぞよろしく。

気仙沼の皆様、今年のみなとまつりもどうぞ思いっきり楽しんでください。

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港まつり2017

本題の前にテレビ番組の再放送情報を。7月30日(日)に放送されたNHK総合『うまいッ!「肉厚!トロ~リ!フカヒレ~宮城県気仙沼市」』が再放送されます。30分番組ですが、冒頭の魚市場取材部分では「かねひで吉田商店」吉田久雄君(3年6組)の息子さん吉田健秀さんが登場します。また、あさひ鮨の新しい店での村上力男さんの元気な姿を見ることができてよかった。実木枝さんの〈寿司処 一心〉は店前のノボリだけで残念。ということで、皆さんも予約録画などしてご覧いただければと。

8月4日早朝(3日深夜)午前3:40〜4:10
NHK総合『うまいッ!』再放送
番組サイト

さて本題。今年の気仙沼みなとまつりは、今度の土日、8月5・6日に開催されます。第66回となるそうです。気仙沼の皆さんはすでにご承知のことですが、本日は気仙沼を離れて暮らしている皆様への情報提供。まずは今年のポスターから。

みなとまつりポスタ
みなとまつり公式サイトより

5日(土)と6日(日)の催事を紹介します。なお、時間表示はすべて予定です。公式サイトの時間表示には赤字で「予定」と、しつこいぐらいに記されています。以前に〈予定と違うじゃないか〉とのクレームがかなりあったのでしょうか(笑)。

◎8月5日(土)
(会場:田中前大通り)
● オープニングセレモニー
16:30〜17:10
● はまらいんや踊り
17:30〜20:00

◎8月6日(日)
昼の部
● 街頭パレード(三日町・八日町・南町地区)
出発式 11:00〜11:10
街頭パレード 11:15〜14:00
夕の部
● 打ちばやし大競演(港町臨港道路特設会場)
17:00〜20:30
● 海上うんづら(港町・内湾海上)
第1部:停止演技 17:30〜19:00
第2部:運航演技 19:15〜20:30
● 海上打ち上げ花火 (気仙沼湾内)
20:00〜20:30

公式サイトで、みなとまつりパンフレットの内容をみることができます。その中にある80近くにものぼる〈はまらいんや踊り〉参加団体の名をながめていると、まさに住民参加型のイベントとして定着したのだなあと。そして、みなとまつりは、市外からの観光客誘致というよりも、まずは地元の人が心から楽しむことのできるイベントとすることを優先することが、結果として外の人にも魅力的なものになるのではないか。そんなことを、今年のポスターをながめながら思っておりました。

第66回みなとまつり公式サイト
同サイト/スケジュールほか

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八瀬の「塚沢神楽」

7月29日の三陸新報に、気仙沼市八瀬(やっせ)地区の塚沢神楽(つかざわかぐら)が紹介されていました。塚沢神楽は、気仙沼市指定無形民俗文化財に登録されており、7月29日の八雲(やぐも)神社の宵祭りで奉納されたそうです。


塚沢神楽

三陸新報7月29日記事の一部イメージ

記事によれば、塚沢神楽は1884年に奥玉村(現・岩手県一関市)から伝わったそうです。1972年に保存会が設立されてからは、八雲神社の宵祭りで演技を披露しているとのことです。

記事に〈多くの地域住民らが集い、千年以上にわたって伝承されてきた郷土芸能を楽しんだ〉とあり、見出しにも〈千年伝承の郷土芸能〉と記されていたのをみて一瞬、この塚沢神楽が八瀬地区で千年にわたって伝承されてきたのかと思ってしまいました。もちろんこれは私の早とちりで、平安時代から続く神楽の伝承/伝統のことでしょう。気仙沼市のウェブサイト/市指定文化財/無形民俗文化財のページにつぎの記述がありました。

◎塚沢神楽

神楽は、元来、法印たちが神々の姿にふんして、神話の世界を演じたもので、明治以降、民衆にも浸透し各地で演じられるようになった。塚沢神楽は、東磐井(現・一関市東山町周辺)でおこり、宮城県北と岩手県内にかけて広まった南部神楽の流れをくむ。太鼓と手びら鉦の音にのせて舞手の唱える民謡調のせりふと舞い振りによって物語が進行するのが特徴。旧暦6月14日、八雲神社祭典に奉納している。(引用は以上)

この塚沢神楽の写真を見ていると、八瀬の人たちが大事に今日まで伝えてきただろうことが強く感じられます。気仙沼市早稲谷(わせや)の鹿踊(ししおどり)の記事を読んだときにも思ったのですが、こうした奉納の踊り、祈りの舞が静かに、しかし決して絶えることなく継承されていることに驚きを覚えます。そしてうれしく思います。こうした感覚は若いころにはあまりなかった。歳をとったということなのでしょうか。

2016年8月26日ブログ「早稲谷鹿踊の伝承」

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大谷防潮堤着工へ

7月27日(金)の三陸新報が、気仙沼市本吉町の大谷(おおや)海岸における防潮堤整備計画がまとまり、12月の着工を目指して進められることになったと伝えています。

7:27大谷兼用堤
三陸新報7月27日記事の一部イメージ

この大谷海岸防潮堤については、昨年8月3日のブログでつぎの記事を紹介しています。


三陸新報8月2日の記事の一部

つまり、〈兼用堤〉とは、防潮堤と国道を一体化して兼用するもの。27日の三陸新報の記事によれば、滝根川から西側のはまなす海洋館前の防潮堤は、景観配慮のため原型復旧とし、国道との兼用堤は海側の斜面の全面に段差をつけ、随所に階段を設けるとのことです。(宮城県の)気仙沼土木事務所は、2020年の完成を目指し12月に工事を発注したいとのことです。ここに至る経緯について、三陸新報の記事を引用しておきます。

〈防潮堤整備計画を巡っては、2011年7月に初めて案が示されたが、砂浜が失われることから地元振興会などが反対。2014年9月に住民有志による「大谷里海づくり検討委員会」が発足し、住民意見をまとめながら行政と議論を深め、前回の説明会(昨年7月)で大筋合意していた。〉(引用は以上)

きのう7月31日のブログでは、Yahoo!ニュースの防潮堤特集記事を紹介しました。その記事でも地域住民の意向の反映という課題が指摘されています。この大谷地区の防潮堤/兼用堤は、行政(主として県)と住民との対話や折衝の大きな成果事例といってよいでしょう。と、文字で書くのはたやすいのですが、それぞれの当事者は本当に大変だったと思います。なんとか双方の合意点をみつけて着地した関係者の皆様に心からの敬意を表したく、記事を紹介いたしました。本当にご苦労さまでした。


当ブログでは何度か大谷の防潮堤に関する経緯を紹介してきました。つぎのリンクをご覧いただければと。

2015年9月3日「大谷の兼用堤要望」
2016年8月1日「大谷防潮堤見直し」
2016年8月3日「大谷防潮堤の続報」

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ヤフー防潮堤特集

気仙沼市大谷地区の防潮堤に関する記事を紹介しようと思っていたのですが、7月28日(金)にYahoo!ニュースが、防潮堤に関する特集を配信していたのでまずはこちらを。タイトルは〈巨大防潮堤で「海が見えない」 防災か日々の暮らしか〉。

ヤフー
「Yahoo!ニュース 特集」7月28日配信記事より(クリックで記事にジャンプ)

この記事は、他のメディアからの転載ではなく、ヤフーの独自取材によるもので、筆者は笹島康仁(ささじま・やすひと)さん。高知新聞記者を経て、2017年2月からフリーで活動されているとのことです。

詳しい内容は、記事をお読みいただきますが、静岡県松崎町、気仙沼市、茨城県大洗町の3カ所。気仙沼では、気中21回生の川島秀一さんが取材に応じています。プロフィールで、東北大学災害科学国際研究所の川島秀一教授は〈長年、全国の漁村で住民らの話を聞き集めてきた。気仙沼の歴史にも詳しい。東日本大震災では自らも被災。津波で母を亡くし、自宅と貴重な史料も失った〉と。

川島さんは、気仙沼漁港の高さ約6メートルの防潮堤に設けられたアクリル版の小窓を初めてみたとき、「力が抜けました。海と生きてきた人たちをばかにしていると思いました」と振り返り、つぎのように続けています。

「あまりにも生活感がない。巨大な防潮堤は『海は危険なもの』とみなし、地域から遮断する発想です。『あんなに巨大なものは要らない』と多くの人が思っているのに次々と工事が進んでしまう」(引用は以上)

ここまで率直な川島さんの言葉が紹介されるのは案外めずらしいことかもしれません。川島さんは、これまでの調査、研究を踏まえていろいろと話し、最後に「地域に生きる人々を信頼しないケースがあまりに多い。それが復興を遅らせています」と。

巨大防潮堤の問題については、大震災から6年以上たって、それを取り上げるメディアも少なくなってきたことを残念に感じていました。それだけに、ヤフーニュースの多くの人が目にするトピック記事として紹介されたことに驚いたのです。皆様にも記事本文を是非お読みいただければと。

5月3日ブログ「内湾の防潮堤工事」

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うつヌケと気仙沼

30万部をこえるベストセラーとして話題になっている田中圭一さんの「うつヌケ」という漫画本を読みました。副題は〈うつトンネルを抜けた人たち〉。うつ病になり快復したことがある田中さんが、同じ経験をした人達の話をきいてまとめた〈うつ脱出体験記〉です。このなかに小説家 熊谷達也さんの話が出てくると聞いたのです。

その話のポイントを紹介します。熊谷達也さんは冒頭で、〈ボクが「うつ」だったのか……自信はないんです〉と語ります。大学を出て埼玉の中学校で教職についた熊谷さんは、仕事好きで人一倍はたらいたそうです。ただ、生徒の素行問題などの対応にも追われました。その後、気仙沼中学校に赴任。埼玉とは一転して多くの生徒に慕われ、楽しい日々であると同時に仕事量はさらに増加します。そして、ここで知り合った同僚の女性と結婚。それをきっかけに、のどかな田舎の中学校に異動しますが、翌年の冬休み明けの朝、ふとんから起きられなくなり学校を休みます。〈転勤で気が抜けて30年分の疲れが出たんでしょうね〉。

うつヌケ1

1カ月間休んで、これからどうしようかと悩んだそうですが、奥様が教師をやめちゃえばと提案します。熊谷さんが考えてもみなかった選択肢でした。学校に辞表を出したとき、未来が一気に開かれるような開放感を味わったといいます。

その後、他の仕事をやりつつ、その合間に書いた小説『ウエンカイムの爪』で作家デビュー。2004年には『邂逅の森』で直木賞を受賞します。そして東日本大震災。ここから目をそむけないでしっかりと現実を見つめよう……そんな思いから被災地を舞台にした「仙河海シリーズ」に取りかかります。しかし〈いったい、ボクはなんのために書いている? 誰がこの作品を待っているというんだ〉という思いにもかられるのです。そして最終頁。

うつヌケ2

そうか、誰のためでもない、ここで待っている人のために書いていこう。そう思うと気が楽になったといいます。

『うつヌケ』では、熊谷達也さんがなんのために書いているのかと悩んだのが震災から5年後のこととしています。これは私の聞いた話とは少し違っています。昨年9月のKSB復興フォーラムでのご本人の話では、震災直後からしばらくは、小説はもちろん新聞も読めなかったと。実際の話と漫画本の内容の細部の違いはあるかもしれません。しかし、気仙沼でかつての教え子や友人と接するうちに、気持ちが楽になっていったということを知ると、私も救われるような気がいたしました。

この本には熊谷達也さんや本人も含め、17人の方の体験が紹介されています。ミュージシャンの大槻ケンヂさんや、哲学研究者として著書も多い内田樹(うちだ たつる)さんも登場します。それぞれの話がとても興味深く、この本がベストセラーになっているのもうなづけます。書店にいったときにでものぞいてみてください。131頁からの第17話〈熊谷達也の場合〉です。



2016年9月5日ブログ「熊谷達也先生の話」
4月5日ブログ「白いカンバス」

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内湾施設の地鎮祭

7月23日(日)の三陸新報に気仙沼の内湾地区南町海岸に建設される「(仮称)ウォーターフロント商業施設」に関する記事が掲載されていました。気仙沼地域開発(株)(菅原昭彦社長)が「(仮称)内湾スロー村」構想の一環として旧エースポート跡地に建設するもので、7月28日に地鎮祭が行われるとのことです。

地鎮祭

三陸新報7月23日記事の一部イメージ

記事によれば施設内には、スローフードを象徴する展示、料理体験コーナーで構成されるミュージアム、海と山のスローフードメニューを取り入れたレストラン、カフェ、物販などが入居します。3階建てで、内湾防潮堤に覆いかぶせるようにして、防潮堤の圧迫感を軽減。海側には斜面緑地を整備し、デッキテラスで建物と結ばれます。

ちょっとわかりにくいと思いますので、昨年の7月1日ブログで紹介した気仙沼地域開発(株)の商業施設計画に掲載されているイメージ図を再掲しておきましょう。

各施設

以前の市営駐車場跡地に公共施設が建設され、その隣地である旧エースポート跡地に民間施設としてのウォーターフロント施設が建つわけです。そして、〈スロー村〉構想の全体像はつぎのような感じ。まちづくり協議会で検討されているグランドデザイン(2015年3月時点)とのことです。

表紙

実施計画とのずれがあると思いますが、どのようなまちづくりが構想されているかはご理解いただけるでしょう。来年のゴールデンウィーク前のオープンを目指しているとのことです。いろいろと課題も多いとは思いますが、なんとか地鎮祭を行えるまでになりましたね。私も無事にオープンの日を迎えられることを願っております。


資料として過去のブログ記事をリンクしておきます。

7月7日ブログ「内湾施設イメージ」
2016年7月1日ブログ「内湾の未来計画図」
2016年9月2日ブログ「スロー村途中経過」

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金指さんのご厚意

本日の話題は7月24日のブログ「滝田さんの地蔵尊」の続きです。「週刊新潮」3月10日号に、滝田栄さんと〈みちびき地蔵堂〉の名が登場しています。


金指さん

週刊新潮3月10日号より


著名人の趣味を紹介する〈マイオンリー〉という連載頁で紹介されているのは、東急不動産ホールディングスの代表取締役会長をつとめる金指潔(かなざし きよし)さんで、その趣味はコーラス。金指さんは、2008年に東急不動産の社長に就任し、2013年には持ち株会社化に伴い東急不動産ホールディングスの社長、2015年に同社会長となっています。

金指さんがコーラスを始めたのは10年前、東急不動産の副社長だったときでした。日本語の綺麗な叙情歌を歌いたいと思い、知人に声をかけて6人でスタート。団名は〈コーラス・ノワール〉です。〈荒城の月〉や〈埴生の宿〉などを歌うと聞いているお年寄りが涙してくれたり、手を握ったりしてくれる。これが感動的で病みつきになったといいます。今では団員も増えて18名です。このあとに気仙沼の話がありますので引用します。

〈最近は、各所に出番が増えてきました。気仙沼に『みちびき地蔵堂』というお堂があります。ここは震災後、俳優の滝田栄さんが彫った地蔵を納めるために建立された所。滝田さんから“絶滅危惧種”とお褒め(?)の言葉をいただいた我々は、そこで毎年行われる供養祭に招待され、コーラスを奉納しています。〉(引用は以上)

大震災があった2011年に、金指さんは東急不動産の社長をつとめていました。その年10月には銀座TSビルに気仙沼の「銀座いきなり市場」が開設されましたが、同ビルは東急不動産が所有するビルでした。そしてTSビルの跡地に建設された東急プラザ銀座のオープンにあたっては、4月1日から1カ月半にわたり「三陸・銀座 つながりスクエア」が設けられ、気仙沼産品も販売されました。こうした震災直後から現在に至るまでの東急不動産グループの気仙沼に対するご支援の背景に金指さんのご意向があるのでしょう。

その求心力やカリスマ性から東急不動産の〈ゴッドファーザー〉とも呼ばれたと聞く金指さんが、気仙沼でコーラスを奉納する姿はちょっと想像しにくい。それだけにとてもありがたい。ずいぶん前の記事ですが、滝田さんの地蔵菩薩像につながる話として本日紹介させていただきました。

金指潔さんはじめ東急不動産関係者の皆様のご厚意にあらためて御礼を申し上げます。いつも本当にありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

7月24日ブログ「滝田さんの地蔵尊」

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「19歳の本棚」

〈ほぼ日〉サイトで河野通和(こうの みちかず)さんが、6月22日から連載している〈19歳の本棚〉をお読みになっているでしょうか。河野さんは、雑誌「考える人」の休刊に伴い新潮社を退社されたあと〈ほぼ日〉の一員となりました。

私は、毎週楽しみにしていた河野さんのメールマガジンが「考える人」休刊でなくなりさびしく思っていました。そんなこともあって、この〈19歳の本棚〉の開始がとてもうれしかった。河野さんが、19歳の人たちに読んでほしい30冊の本を選び、土日をのぞく毎日1冊ずつを紹介しているのです。

そして、きのう7月24日に紹介された23冊目の本を見ておどろきました。そこには、畠山重篤さんの「森は海の恋人」がありました。

森は海の恋人
ほぼ日「19歳の本棚」7月24日更新頁一部イメージ(クリックでサイトにジャンプ)

河野さんは、重篤さんと〈森は海の恋人〉について、短くも的確に紹介されたあと、つぎのように結んでいます。

〈東北・気仙沼の海と森の現場から生まれた爽快で、画期的な1冊です。〉

河野通和さんにこうまで言ってもらえると、私までうれしい(笑)。同書はいま文春文庫に入っていて読みやすくなっています。未読の方がいらっしゃればこの機会に是非。

4月12日ブログ「考える人への御礼」


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滝田さんの地蔵尊

本日は4カ月も前の話になるのですが、「週刊現代」3月18日号の巻頭グラビアを紹介します。タイトルは〈俳優 滝田栄「仏師」として生きる〜大河ドラマ「徳川家康」の主人公はいま〉

左頁

見開き
画像は2点とも「週刊現代」3月18日号より

記事を要約するとつぎのようなこと。八ヶ岳の麓に自宅兼アトリエを構える滝田さんはいま66歳です。NHK大河ドラマ「徳川家康」で主役に抜擢されたのは32歳。そのときに演ずる人物像をつかむため、家康が幼少時を過ごした静岡市の臨済寺の門をたたいたことがあるそうです。仏像をはじめて彫ったのは43歳のとき。最愛のお母様を亡くしたことをきっかけに20cmくらいの観音菩薩像を彫りました。51歳のとき、舞台「レ・ミゼラブル」のジャンバルジャン役降板やテレビ番組「料理バンザイ」の打ち切りなどもあって転機を迎えます。そして2000年代以降は芸能活動を控え、仏像を彫る日々をおくっているのです。気仙沼に関する記事をつぎに引用します。

〈 高台に建つ「気仙沼みちびき地蔵堂」。安置された地蔵菩薩像は、東日本大震災で傷ついた人々の安寧を願い、滝田が制作したものだ。「座禅仲間が何人もいた気仙沼で何かできることを、と募金活動から始めました。今では近隣の方々が集う場になっている。よりよく生きようという気持ちが育ってきたことが、何よりうれしい」 〉(引用は以上)

この地蔵菩薩は、震災後4カ月で彫り上げたそうです。その後、多くの方々のご協力によって、気仙沼市立病院西側の後九条(うしろくじょう)地区に地蔵堂が完成しました。地蔵菩薩像が安置され、落慶法要が行われたのは2013年3月17日のことです。

私がこの地蔵菩薩像を拝見したのは、現在の東急プラザ銀座が建つ場所にあった銀座TSビルの2階でした。2011年10月7日から2012年8月まで、TSビル1階には気仙沼のアンテナショップとして親しまれた「銀座いきなり市場」があり、2階はイベントなどにも利用できるスペースとなっていました。ここに滝田さんが彫り上げた地蔵菩薩像が安置され、地蔵堂建立のための募金もおこなわれていたのです。俳優の余技とはとても思えぬ丁寧な仕事というかできばえに私はとても驚きました。

なお、「みちびき地蔵」という名は、奈良・薬師寺の村上大胤(たいいん)管主によって名づけられました。3月4日には。薬師寺さんが全国で開催している「まほろば塾」が、気仙沼市民会館でおこなわれています。

下記の滝田さん公式サイトには、週刊現代記事をはじめ、この3月の「まほろば塾」についての読売新聞記事も紹介されています。

見開き記事画像の右上にある写真は、年の瀬に滝田さんが気仙沼の人達と歓談する様子です。今年3月4日には震災の七回忌法要が催されたそうです。滝田さんと気仙沼の方々とのご縁が、こうした形で広がっていることを、とてもありがたく感じております。滝田さんをはじめ多くの関係者の皆様に心から御礼を申し上げます。

気仙沼みちびき地蔵HP
滝田栄/公式サイト

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小田の浜の海開き

気仙沼大島の小田の浜海水浴場の〈海開き〉が明日7月22日(土)におこなわれます。7月20日の三陸新報には広告が掲載されていました。

7:20大島海開き

三陸新報7月20日掲載広告の一部イメージ

21日の三陸新報によれば、ミヤコーバスは、この海開きに合わせ7月22日から8月20日までの期間限定で、バス路線に「小田の浜海水浴場停留所」を設けます。またフェリー乗り場のある浦の浜からの直行便往復5便も特別運行するとのこと。

最後に、海開きを前にしての本日7月21日のテレビ番組情報を。BS-TBS「伊達な旅紀行~いいトコ!みやぎ」で大島が紹介されます。宮城県の観光地や食材・物産などの魅力を紹介する5分ほどのミニ番組。〈夏は親子で大島へ!〉と題し、〈緑の真珠〉気仙沼大島での夏休みにぴったりの体験を紹介するそうです。

◎7月21日(金)午後8:54〜9:00
◎BS-TBS「伊達な旅紀行~いいトコ!みやぎ」
◎#281「夏は親子で大島へ!」

広告に掲載されていた大島/浦の浜に向かう船の時刻表を見ていると、気仙沼小学校に通っていたころの夏休みを思い出します。浦の浜からは人があふれんばかりの満員バス。帰りはバスの到着まで時間があれば〈歩いでいぐべ〉と。けだるさを感じながら歩いているうちにバスに追い越されて。そんな記憶もなつかしい。

しかしなあ、いまだに〈小田の浜〉を〈こだのはま〉と読むのはなじめません。行政としての呼称は別として、私にとってはいつまでも〈おだのはま〉です。どうぞ皆様、今年の夏は気仙沼大島に是非おでかけください。

2012年7月25日ブログ 「こだのはま」?

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気仙沼市震災遺構

きのうのブログでは、気仙沼市の復興祈念公園について紹介しました。本日は、〈気仙沼市震災遺構〉についてです。気仙沼向洋高校の旧校舎保存に向けた工事が本年12月に始まるとの三陸新報の記事を紹介します。6月24日に掲載されたちょっと前の記事ですが、費用も含めた計画概要資料として紹介しておきます。

6:24向洋高校保存
三陸新報6月24日記事より

記事の一部を引用します。〈 震災遺構となる旧気仙沼向洋高校舎について、気仙沼市は12月に保存に向けた工事に着手する。見学デッキ設置などにかかる整備費は2億5千万円で、国の復興交付金などを充てる。校舎に併設する仮称・震災伝承館や岩井崎プロムナードセンターを含め、2019年3月の開館を目指す。
 旧校舎の保存範囲は、市が一般公開のアンケート結果などを受けて今年1月、当初計画の南校舎のみから北校舎、総合実習棟などを含めた全体保存に方針を転換。校舎と土地は4月24日に県から市に無償譲渡されており、9月の県建築審査会での審査・承認を経て12月に工事に着手する。(中略)

 仮称・震災伝承館と岩井崎プロムナードセンターは鉄骨平屋建て(建築面積1295㎡)。震災の記録と記憶を伝える展示室などを配置し、センターには映像シアターや体験・交流ホール、オープンキッチンなどを整備する。
 両施設の概算事業費は5億8500万円で、旧校舎の保存工事と合わせた全体整備費は約8億4千万円。校舎全体を解体した場合の相当額とほぼ同規模となった。全体の管理運営は市内の企業や団体による指定管理を予定している。〉(引用は以上)

この記事のなかにも、当初の方針を変更し保存範囲を拡大した経緯が記されていましたが、これについては、下記の2016年12月29日配信の河北新報配信記事をご覧ください。

陣山の復興祈念公園、そして旧気仙沼向洋高校舎の保存など周辺地区での震災伝承施設の計画が具体化してきました。鹿折地区に打ち上げられた第18共徳丸の保存をめぐって議論があったと同様に、被災の記憶をどのように伝承していくかについてはさまざまな意見があるでしょう。しかし、計画がここまで具体化したからには、これを最大限に活用して新しいまちづくりに役立つものにして欲しいと願っています。

河北新報2016年12月29日配信記事

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陣山を別の角度で

毎日新聞が7月5日に配信した記事に興味深い写真が紹介されていました。記事のテーマは、気仙沼市が陣山頂上に設ける復興祈念公園の基本計画をまとめたということ。6月23日にこのブログでも紹介した三陸新報の記事と同様ですが、毎日新聞の写真は三陸新報が紹介した気仙沼市提供の写真とは逆の方向から撮影されたものでした。ちょっとコントラストを調整して紹介します。

陣山写真
毎日新聞7月5日配信記事より(クリックで記事にジャンプ)

一部が崩れ落ちそうな陣山の感じと、係留された漁船の風景がとてもいい。少し説明を加えれば、陣山の下の道路左側にはホテル望洋があり、さらに下っていけば私の実家がありました。逆に坂を右側に下っていけば石橋の地蔵さんを左に見ながら鹿折地区に至ります。

私は、この角度からの写真をこれまで見たことがありませんでした。どこから撮ったのでしょうか。対岸の鹿折地区、たとえば吉田造船所付近から望遠レンズで撮ったのかなあ。あるいは海上、つまり船にのって撮影したのか。いずれにしてもかなり頑張って撮影していただいたなあと。

写真の紹介が本題でしたが、記事の一部を参考資料として以下に引用しておきます。

〈 気仙沼市は、東日本大震災の犠牲者を追悼する「復興祈念公園」の基本計画をまとめた。2019年度中の完成を目指す。
 公園の予定地となっているのは同市の陣山(標高約57m)。市は昨年3月、震災犠牲者への追悼と鎮魂の場として被災地域に囲まれ、津波浸水の恐れがないことなどを理由に陣山を選んだ。陣山からは、震災の津波で漁船の第18共徳丸が打ち上げられ、火災にも見舞われた鹿折地区や内湾地区などが一望できる。石巻市や南三陸町でも復興祈念公園の整備計画があるが、気仙沼市によると、津波浸水区域外に整備するのは県内では初めてという。
 公園の面積は約2.3haで、頂上付近に祈りの場(約750㎡)を整備し、モニュメントを設置する。高齢者や障害のある人に配慮し、祈りの場につながる歩道(260m)は緩やかな勾配となっている。総事業費は約4億3000万円で、うち約3億3000万円は復興交付金などを充てる。モニュメントの建設費は寄付を募る。市は今後、有識者や地域の代表者などでつくる検討委員会を設置し、祈りの場やモニュメントなどの詳細の検討を進める。〉(引用は以上)

この写真の下部、海に面するところには、一学年下の川島秀一さんの自宅がありました。震災の津波で被災し、秀一さんは鼎が浦高校の教師をつとめていたこともあるお母様を失いました。そしてさらに右側には、ふかひれ加工で知られる臼井弘君(3年4組)が代表をつとめる〈福寿水産〉があります。自宅や工場が被災しましたが、懸命の努力によって復興しています。

そんなこんな、いろんなことを思い起こさせる、ちょっと違った角度からの陣山の姿。毎日新聞さん、ありがとうございました。

6月23日ブログ「震災復興祈念公園」

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将棋で遊んだころ

公式戦最多となる29連勝記録を達成した中学3年生、藤井聡太四段によって将棋や棋士への注目が一気に高まりました。そのニュースを見ていて、将棋の駒で遊んでいた小学生のころを思い出しました。

当時、正式なルールでの将棋は〈本将棋〉と呼んでいました。私も一時期は兄とやりましたが、そんなに長続きはしなかった。近所の遊び友達とやったのは、はさみ将棋、まわり将棋、将棋くずしが多かったのではないでしょうか。

〈はさみ将棋〉は、歩の駒だけをお互い横一列にならべて始めます。歩は前後左右に動かすことができて、相手の歩をはさめばそれをとることができます。〈まわり将棋〉は、将棋盤の外周を使うすごろくのようなもの。サイコロの代わりに金将を使います。細かなことを忘れていたので調べてみたら4枚使っていたのですね。表が出た駒の数だけ歩を進めるのが基本のようですが、いろんなローカルルールがあったらしい。〈将棋くずし〉は、将棋の駒を使った〈ジェンガ〉のような遊び。箱を使って将棋台盤の中央に駒の山をつくります。そして順番に、指で駒を盤の外に滑らせていくのです。山が崩れたりカチッと音が出たりすると負けというゲーム。

以上は、ちゃんとした将棋の駒を使うゲームですが、違う駒を使う将棋がありました。〈軍事将棋〉です。軍人将棋とか行軍将棋ともいうらしい。ゲーム用品のネットサイトの画像を紹介します。

軍事将棋
木村娯楽堂サイトより(クリックでサイトにジャンプ)

ルールは省略しますが、スパイは一番弱い駒なのですが大将にだけは勝つことができるなど、駒の勝敗が細かく定められています。審判が必要とか、かなり面倒なゲームでそんなに多く遊んだ記憶はありません。しかし、佐々木徹君(3年1組)の家の2階で何人かが集まって遊んだことが思い出されます。その記憶の中では、審判役が薄い紙に書かれた勝敗ルールの説明を読んでいるのですが、ルールがやたら難しくなにがなにやら。その解釈でもめています。当時の私たちに軍事将棋は難しく、将棋くずしあたりがお似合いだったようです(笑)。

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本日「かつおの日」

きょう7月17日は「かつおの日」。これは気仙沼市や気仙沼商工会議所、気仙沼漁業協同組合などでつくる「気仙沼市生鮮かつおプロモーション事業実行委員会」が制定したもので、〈海の日〉(7月第3月曜日)を〈気仙沼かつおの日〉として、生鮮カツオ水揚げ20年連続日本一の気仙沼をアピールしていきます。7月12日の三陸新報が、11日に気仙沼商工会議所で行われた、のぼりとポスターの商店街連合会への贈呈式の様子を報じていました。

かつおの日

三陸新報7月12日記事の一部イメージ

右から商店街連合会の菅原俊朗会長(菅原酒店)、二人目が実行委員長で商工会議所水産流通部会の阿部泰浩部会長(阿部長商店)、左端は、観光サービス業部会の鈴木淳平部会長(セントラルホテル松軒)でしょう。のぼりやポスターは、今月15日から8月20日までの「かつお月間」に、市内に掲げてもらうそうです。

この〈かつおの日〉については、〈カネシメイチ〉の代表 小山修司君(3年5組)が〈言い出しっぺ〉であることを5月のブログで書きました。上で紹介した記事には、カネシメイチでは独自に〈かつおの日〉のポスターを作製し、商店街などに掲示するとありました。この独自の動きが私としてはちょっと気になるところです。いずれにしても、修司君が声をあげ、やっとのことで実現のはこびとなったこの記念日がひろく知られるようになって欲しいと思っております。

余談ですが、当初は〈カツオの日〉と表記されていましたが、〈かつおの日〉とひらがな表記となっていますね。この2カ月の間に〈平仮名か片仮名か〉という議論があったのでしょう。そして結論は〈ひらがなにすっぺし〉と(笑)。

5月12日ブログ「カツオの日」制定

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上沢の藤田正敏君

三陸新報の〈どう向き合う〜地域課題〉という自治会長インタビュー連載記事。5月31日の回では小山謙一君(3年9組)が登場していましたが、7月12日(水)42回目にも同級生が登場していました。藤田正敏君(5組)です。気仙沼市上沢(かみさわ)1区自治会の会長をつとめています。

正敏君

三陸新報7月12日記事の一部イメージ

上沢1区というのは、面瀬(おもせ)地区にあります。行政区としては岩月宝ヶ沢(いわつきたからがさわ)と岩月星谷(ほしや)で世帯数は247。アパートが多く、住民の入れ替わりが多いのが特徴とのこと。地図を見てみると、面瀬小学校の南側ですね。見出しに〈“歌声喫茶”のように楽しく〉とありましたが、これは卓球センター施設を利用してカラオケを楽しむ会です。〈脳活クイズ〉などもおこなっているそうです。

この上沢1区、今は住宅地ですが、昔は農業集落だったそうです。そうしたことから、地域の子供たちに脱穀やみそ作りなどを体験させ、地域の産業や昔ながらの暮らしを学ばせています。正敏君はつぎのように語っています。「自分たちが暮らす地域が、どう変遷してきたのかを学び、次世代に語り継いでいくことは大事です。今後は、サロン活動に集まる年配者と子供たちとの交流も企画し、地名の由来なども学ばせたいですね」。こうした活動を通じて自治会の担い手が育ち、コミュニティ活動の持続に続けたいと。

中学のころ、正敏君の家は柏崎(かしざき)だったと思います。今はこうして、小さな頃に育った土地とは違う場所での世話役もつとめているのですね。記事によれば、自治会の催しへの参加者をどう増やすかなど課題もあるようですが、いろいろと工夫してまとめていってくれることでしょう。

正敏君、還暦祝いなど同年会での司会など、いつもお世話さまです。自治会のつとめもなかなか大変だとは思いますが、どうぞよろしく。記事にあった〈地名の由来〉というテーマはいいですね。是非に。なお、この記事を書くにあたって一番時間を要したのが〈上沢〉の読み方でした。〈かみさわ〉か〈うえさわ〉か。気仙沼市・本吉町合併協議会の平成20年文書でやっと確認することができました(笑)。


小山謙一君の記事はつぎのブログにて。

6月5日ブログ「謙ちゃんと謙さん」

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ミシュラン気仙沼

厳選した飲食店や宿泊施設を紹介する「ミシュランガイド」の宮城県版が7月14日に発売されます。それに先だって7月11日には掲載店舗名が発表されました。

ミシュラン宮城
クラブミシュラン公式サイトより(クリックでジャンプ)

この中に気仙沼市内の飲食店の名もありました。残念ながら〈星付き〉(県内では二つ星が1店、一つ星が11店)や、〈ビブグルマン〉(星は付かないがコストパフォーマンスの高い上質な料理を提供するお薦めの店/県内37店)はなかったものの、〈調査員お薦めの店〉として次の10店が紹介されています。(店名クリックで関係サイトにリンクします)

寿司処 一心(寿司)
すし処 鮨智(寿司)
新富寿し(寿司)
寿し処 大政(寿司)
中華そば まるき(ラーメン)
気仙沼 かもめ食堂(ラーメン)
福よし(居酒屋)
和醸酒 一杯屋 梟(ふくろう)(居酒屋)
旬の味 こうだい(居酒屋)
唐や(とうや)(日本料理)

旅館やホテルではつぎの6館が紹介されています。旅館とホテルの分類についてはいろんな声がありそうですが。

○旅館
気仙沼プラザホテル
サンマリン 気仙沼ホテル観洋
ホテル一景閣
旅館 明海荘(あけみそう)
○ホテル
セントラルホテル 松軒
ホテルパールシティ気仙沼

ミシュランガイドは、1900年にフランスで生まれました。アジア初の「ミシュランガイド東京2008」が出版されたときには、あそこが入っているのにあそこがないのはおかしいとか、掲載店の選択や評価に対してさまざまな反響があったことを思い出します。今回の気仙沼市内の掲載店についてもいろんな意見があることでしょう。

そんな中で私がうれしかったのは、同級生が関係するお店がふたつあったこと。〈一心〉と〈かもめ食堂〉です。〈一心〉は、ご主人 小野寺登さんの奥さんが同級生の実木枝さん(3年4組)。〈かもめ食堂〉は東京などで〈ちばき屋〉〈㐂いち〉なども営む千葉憲二君(同じく3年4組)が、2015年11月に故郷 気仙沼で復活開店させました。

実木枝さんも憲二君も気中3年4組というのは奇遇ですね。4組は飲食関係が強いのか(笑)。今回のミシュランガイド掲載について〈おめでとう〉という言葉はなんか違うような感じもしますが、多くのお店があるなかで選んでいただけたということは本当にありがたいことですね。こうしたことをきっかけにして、気仙沼のさまざまな店に沢山の人が足を運んでくれればと思っています。7月14日の発売を前にして取り急ぎのご報告です。

2016年11月25日ブログ「祝! 一心の37年」
2015年11月19日ブログ「かもめ食堂開店!」


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震災を詠む 2017

きのう7月11日で、東日本大震災から6年4カ月が経ちました。NHKニュースでは、南三陸町での警察による行方不明者の捜索の様子を配信していました。

1カ月ほど前のことになりますが、6月15日のNHK/Eテレ「ハートネット」は、〈震災を詠む2017〉の後編でした。録画予約を忘れてしまったのですが、妻が放送途中から録画しておいてくれました。

この番組は全国から寄せられた震災を詠んだ短歌を紹介するもので2014年から放送されています。4回目となる今年は福島県南相馬市での公開収録でした。初回から選者のひとりとして私達の一年先輩 生島博さんも参加しています。そのなかに気仙沼の方からの一首がありました。

短歌画面

捜索

浜辺には骨のかけらが帰りくる月命日の集中捜索

この歌を詠んだ後藤善之さんが会場から歌を詠んだ背景などを語ります。生島さんの表情にもいろんな思いが感じられました。

後藤さん

生島さん

私は後藤善之さんのお名前に見覚えがありました。三陸新報の連載「巨木巡行」(以前のタイトルは「巨樹巡行」)を書かれているかたではないでしょうか。毎回、気仙沼近辺の巨樹を紹介しながら、樹や花の話だけでなく地区にまつわる歴史などについても趣のある文章で語ります。後藤さんの名は、気仙沼高校同窓会名簿にもありました。気高15回生ですから私たちの7年先輩です。短歌、巨樹、気高のお三方が同じ方とは限りませんが、たぶんそうではないかと。

この〈震災を詠む2017〉後編では、後藤さんと同じく、〈行方不明者の痕跡につながる捜索活動を詠んだ短歌〉がもう一首紹介されました。

一片の爪でいいから見つけてと願ひ出受ける捜索の朝
(岩手県盛岡市 舘洞嗣雄さん)

〈震災を詠む〉を通じて、これらの短歌を知っていたせいか、きのう7月11日の行方不明者捜索のニュースが、いつもと違って感じられたのです。

NHK公式サイト/震災を詠む2017 後編
NHKニュース7月11日配信「震災から6年4カ月」

テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

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気高同窓会の報告

7月8日(土)は、気仙沼高校関東同窓会でした。会場はルポール麹町(麹町会館)。総会は午前11:30からで、気仙沼向洋高校と合同での懇親会がお昼すぎから3時ごろまでおこなわれました。司会は気仙沼出身のフリーアナウンサー佐藤千晶さんでした。

詳細は略しますが、来賓として出席された赤川副市長からの復興状況報告への参加者の反応をみていると、東京近辺に暮らしていると、気仙沼に関する情報を案外しらないのだなあと感じました。実家などがあって親や兄弟が気仙沼に暮らしていれば、いろいろと状況を知る機会もあるのでしょうが、そうしたことがないとなかなかね。それだけに同郷の方々が集まる同窓会の存在価値があるのでしょう。

懇親会では恒例の各校校歌・応援歌の斉唱がありました。その様子だけ順に紹介しておきます。まずは気仙沼向洋高校、私達の世代ですと気仙沼水産高校と呼んだほうがわかりやすいかも。

向洋

つぎに旧 鼎が浦高校。2005年に旧 気仙沼高校と統合しました。

鼎

続いて旧 気仙沼高校。つまり統合前。

気高

最後に統合後の気仙沼高校。まだ参加者が少ないので、小山淳校長はじめ関係者も登壇。

新気高

懇親会では、気仙沼市の副市長、市議会副議長、気高同窓会会長(本部)をはじめ、多くの来賓も出席していましたが、その中に気仙沼高校の同級生 西村明男君がいました。気高仙台同窓会の会長としての出席です。気高3年6組(理科系)で同級でした。大学では建築を学んで現在は(株)佐藤総合計画の取締役です。

今回の懇親会では、〈気仙沼音頭〉をみんなで踊りました。私も袢纏を借りて踊りの輪に入ったのですが、踊り方があまりわからず見よう見まね。しかし、気仙沼音頭を聞くと、懐かしい時間が戻ってくるようでとてもよかった。それと、ホヤぼーや登場の時間もあり、みんなと写真をとったり大変な人気でした。懇親会の報告はこれくらいにしておきます。

懇親会をおえて、私たちはほかの〈けせもい会〉メンバーの待つ新橋の居酒屋〈松竹梅〉へ。仙台から小山達朗君(気中3年9組)が参加してくれました。いつもありがとう。写真を紹介しておきましょう。

新橋

土曜日の東京は33度を超える暑さでしたが、麹町そして新橋と楽しい時間を過ごすことができました。同窓会の関係者の皆様には準備や当日の運営で大変お世話になりました。お礼を申し上げます。ありがとうございました。

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tag : 気仙沼 気中20 気仙沼高校関東同窓会

小規模多機能自治

7月2日の三陸新報に、気仙沼市が主催する「アクティブコミュニティ大学」第2期受講生募集の広告が掲載されていました。50代から60代の皆さんの知識や経験を地域活動に活かしたい方を募集しています。全国各地で導入されている「小規模多機能自治」の手法などを学びながら、地域において積極的に活躍する人材を育むとのこと。応募の締切が本日7月10日ということで、あわててのご紹介。8日(土)の気仙沼高校関東同窓会については、明日にでも。

アクティブ大学7:2
三陸新報7月2日掲載広告(クリックで市のサイトにジャンプ)

私は、「小規模多機能自治」という言葉を知りませんでした。調べてみると、小学校区域ぐらいの範囲で、自治体行政だけでなく地域住民が主体的に進める地域づくりといったことのようです。東北学院大学さんの企画・運営で、今回が第2期となります。1期での一定の成果が確認されての2期目の募集であると思います。詳細は市のホームページをご覧いただきますが、概要を紹介しておきます。

◎受講生の募集概要
・募集対象:50代から60代の市内在住の方
・開催日程:平成29年7月から平成30年3月の月1~2回(全11回)午後3時間程度
・会場:市内公共施設等
・募集人数:30名程度
・参加費:無料

プログラムテーマはつぎのとおりです。

○開校式
講演「アクティブなコミュニティってなんだろう」~10年先の自分と家族と社会のために、地域づくりを進化する~ 講師:川北秀人氏
○自分が活動するコミュニティを考える
○地域の現状を学ぶ
○地域を調査する
○地域コミュニティの先進地視察を行う
○活動テーマを定める
○活動計画を決める
○閉校式

申込の方法などについては、下記の気仙沼市ホームページをご覧ください。

気仙沼市HP/アクティブコミュニティ大学 受講生募集

・募集期間:6月15日(木)から7月10日(月)まで
・主催:気仙沼市震災復興・企画部地域づくり推進課
 電話番号:0226-22-6600 内線336
 Fax 番号:0226-24-1226
 E-mail:chiiki@kesennuma.miyagi.jp
・企画・運営:東北学院大学

〈アクティブコミュニティ〉とか〈小規模多機能自治〉とか、なかなかに難しい言葉がならんでいます。いまひとつ内容がわからないところもあるのですが、それがどのようなことなのかを学んでみるのもよいのではないでしょうか。まずは取り急ぎ。

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内湾施設イメージ

6月28日の三陸新報に、気仙沼の内湾地区で市が整備する施設の完成イメージが紹介されていました。年度内の完成を目指すとのことです。

内湾施設記事
三陸新報6月28日記事の一部イメージ

上記記事の左側にはつぎのイメージ図も掲載されていました。

施設イメージ図

これは、旧エースポートの場所に建設されるもので、仮称〈南町海岸公共・公益施設〉とされています。記事を少し引用します。

〈 整備は、東日本大震災で被災した観光物産センター(エースポート)、勤労青少年ホームの災害復旧事業などとして実施。市は復旧に当たり、内湾地区復興まちづくり協議会での話し合いや周辺に整備される県の防潮堤(海抜5.1m)の景観などを踏まえ、両施設を合築して再建することにし、これまで設計作業を進めてきた。防潮堤の背後地(旧市営駐車場跡地)に建築される南町海岸公共・公益施設は、1階が鉄骨鉄筋コンクリート造り、2階〜3階が鉄骨造りで、延べ床面積は約2400平方米。
 研修スペースには、まちづくりの人材育成として市が力を入れる「気仙沼まち大学」事業の拠点となるスクエア・シップ(現在は海の市2階)が入居。震災後、市内で活動するNPOなどの活動拠点に位置付けるほか、会議スペースなどとして広く市民に貸し出す。
 貸店舗は、コミュニティFM「ラヂオ気仙沼」のサテライトスタジオ、起業を目指す人などに短期間貸し出す「チャレンジショップ」としての利活用を計画している。建設工事費は13億9400万円で、国の復興交付金などを充てる。
 まちづくり会社「気仙沼地域開発」が旧エースポート付近に建築する商業施設(鉄筋造り3階建て)には飲食店など5店舗がテナントとして入居。7月中の着工、来春のオープンを予定している。〉(引用は以上)

この記事のポイントは、市の事業としておこなう公共・公益施設についてでした。いまは〈海の市〉の2階にあるスクエア・シップが入居するのはなかなかよいのではないでしょうか。「ラヂオ気仙沼」のサテライトスタジオの計画もおもしろい。その一方で気になったのが、「気仙沼地域開発」による商業施設についてです。記事では飲食店など5店舗がテナントとして入居としています。これは、昨年8月時点でのまちづくりマップでは仮称〈ウォーターフロント施設〉とされていたところ。

このブログでも4月や5月に〈あさひ鮨〉や割烹〈世界〉の再開店を紹介しました。これら〈南町紫神社前商店街〉としてのエリアと、〈内湾スロー村〉の飲食・物販・屋台村などのエリアが連続することによって、新しい南町のにぎわいが再興されるのでしょう。昨年9月に、〈内湾スロー村〉テナント募集に対しての応募が少ないという報道を目にしていただけにその後どうなったかとちょっと心配しているところです。

2016年8月9日ブログ「内湾の復興MAP」
2016年9月2日ブログ「スロー村途中経過」

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tag : 気仙沼 気中20 スロー村

港町の元気ラジオ

7月1日(土)にコミュティFM「ラヂオ気仙沼」が開局し、当日は朝から夕方まで特別番組が生放送されました。私もネットで「ListenRadio(リスラジ)」を利用して聞いておりました。臨時災害FM局「けせんぬまさいがいエフエム」のときとはうってかわって、英語での周波数告知や、番組の合間に挿入される同局のジングルを聞いていると、J-WAVEやTOKYO FMを聞いていると勘違いしそうです(というとちょっと言い過ぎか/笑)。

その日、7月1日の読売新聞夕刊には、〈港町の元気ラジオ〉との見出しで開局を伝える写真コラム記事が掲載されていました。

ラヂオ気仙沼
読売新聞7月1日夕刊より

記事を引用します。〈 宮城県気仙沼市に新しいコミュニティーFM「ラヂオ気仙沼」が開局し、1日から本格放送が始まった。物資や道路など生活に必要な情報を伝えた「けせんぬまさいがいエフエム」が前身。復興へ一定の役割を果たしたが、今後は気仙沼の更なる活性化のため、地域の様々なテーマなどを伝えるコミュニティー局となる。市内全域で聞けるようアンテナも1本から3本に。愛称は魚の町にちなみ「ぎょっとエフエム」。社長の昆野龍紀(59)は「新鮮で『ぎょっ』と面白い情報を届けたい」と意気込む。(稲垣政則) 〉

このコラム記事は〈LENS 被災地発〉というシリーズ記事で、これまでも何度も気仙沼のことをとりあげてくれました。いつもありがとうございます。

東京では1日の夕刊でしたが、気仙沼/宮城県内版では2日の紙面に掲載されたのでしょうか。このコラムは東京だけではないかとも思ってのご報告です。

なお、このブログでこれまで紹介した〈LENS 被災地発〉記事はつぎのふたつです。

2016年12月5日ブログ「お魚タクシー現る」
2017年5月31日ブログ「気仙沼天旗まつり」

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プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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