FC2ブログ

同級生の震災記録

一昨日のブログで、気仙沼市「東日本大震災 災害対応記録集」に同級生/気中20回生3人の文章が掲載されていることをお伝えしました。本日は、その文章内容を画像で紹介します。①林(奥玉)小春さん(3年2組)、②小山謙一君(9組)、③臼井真人君(2組)の順に。役職は震災時のもの。(画像クリックで拡大します)


①林小春「中央公民館屋上で園児とともに救助を待つ」
(保険福祉部 社会福祉事務所一景島保育所 所長)
小春

②小山謙一「授業再開、心を鬼にして教室を空けてもらった」
(教育委員会 教育次長)
小山

③臼井真人「被災したまちの被災した議長として、被災した仲間の声に応えたい」
(気仙沼市議会 議長)
真人

各人の文章は以上です。

一昨日の午後、小春さんにこの記録集の原稿作成手順について聞いてみました。彼女の話では、3年前だったか市役所で三菱UFJリサーチ&コンサルティングの方のヒアリングを受け、当時のことをいろいろと話したそうです。その内容が記録原稿としてできあがり、それに対しての修正や加筆などを繰り返して、今回の記録集の文章になっているとのこと。謙一君や真人君の文章も同様の手順ではないかと。

小春さんは、震災から8年以上がたち、当時のことで思い出せないこと、忘れてしまったこともあるといいます。それだけにこうして文字として記録しておくことが大切であるとも。私も久しぶりに震災体験談を読んだような気がします。そして、同級生の語るそれぞれの話に感ずるところがいろいろとあったのです。

燃える火が迫る中央公民館で保育園児らと二晩を過ごした小春さんの話。何度も聞いたり読んだりしたことなのですが、あらためてそのときの気持ちがどんなだったろうかと想像せずにはいられません。そして謙一君の文章のなかには、震災の二日前に病院に入院したお母様が震災10日後になくなったことも記してありました。〈もっと大変な患者さんがいるから延命治療はしない〉と医師から申し渡されたと。そして2回しか見舞いにいけないうちに。真人君は、中央公民館に避難した家族が〈もうだめだ〉と思ったこともあったようです。公民館のあたりはオイルについた火で一面火の海でしたから。

そうした〈私〉の心情なども語られているのですが、この記録集はあくまでもどのように災害に対応したかについて記すこと。その視点から3人の文章には、それぞれに課された〈公〉の役割をどのように果たそうとしたのかがしっかりと記録されています。本当に大変だったと思う。

記録集におさめられている文章は365人分。1日に1人分を読んでも1年かかってしまいますが、せめて同級生3人分ぐらいはと思いご紹介しました。時間のあるときにでもお読みいただければと。

8月20日ブログ「災害対応記録集」
 
スポンサーサイト



テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 災害対応記録集

菅原清 「巨釜半造」

本日8月22日の三陸新報に、気仙沼出身の画家 菅原清さんの絵画が紹介されていました。

菅原さん
三陸新報8月22日記事の一部イメージ


菅原清さんの絵画「三陸海岸 巨釜半造」は、F120号(1.94m×1.30m)の大作で、8月21日から28日まで東京芸術劇場での「日本海洋画展」に出展されています。

記事によれば、菅原清さん(埼玉県ふじみ野市在住)は1948年に気仙沼水産高校(現 気仙沼向洋高校)を卒業。1973、74年の二科展で連続入賞や、2012年の旺文展での文部科学大臣賞を受賞しています。

菅原清さんについて、このブログで紹介したことがあります。気仙沼向洋高校の新校舎完成を祝い、同校OBである菅原さんが岩井崎の潮吹き岩を描いた120号の絵画を寄贈したという三陸新報のつぎの記事についてです。

菅原清さん

三陸新報9月24日記事の一部イメージ


この昨年の記事によれば菅原さんは、約50年前から埼玉県で理容業を営むかたわら絵画制作を続けているとのこと。当時は87歳と記事にありましたから、現在は88歳となっているかもしれません。ご高齢であっても、こうして大きな画面に故郷 気仙沼のなつかしい風景を描いているということが本当に素晴らしい。

元気に絵画制作をつづける菅原さんに少しでもあやかりたいと思い紹介させていただきました。

2018年11月1日ブログ「菅原清さんの絵画」
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 菅原清

「災害対応記録集」

8月15日の三陸新報に、気仙沼市の「東日本大震災 災害対応記録集」発刊が紹介されていました。

記録集
三陸新報8月15日記事の一部イメージ


記事によればこの記録集に寄稿しているのは、菅原茂市長、加藤慶太副市長(当時)をはじめとする市職員ら213人や、当時の市議、避難所運営者、団体・企業の関係者、応援職員など合わせて365人。編集は市の委託を受けた三菱UFJリサーチ&コンサルティングです。

記事には、〈それぞれが震災発生当時の行動や復旧に向けた活動などを執筆し、2016年度から3年間、市の委託を受けた三菱UFJリサーチ&コンサルティングが寄稿者にヒアリングしてまとめた〉との記述がありました。まずは寄稿してもらい、ヒアリングをおこなうなどして内容を整え最終化したということでしょうか。

本書は300部作成して寄稿者らに配布したほか、ホームページにも掲載しているとありましたので、早速さがしてみました。かなり階層の深いところに潜んでいました。トップページ > 暮らしの情報 > 安心・安全 > 防災 > 東日本大震災災害対応記録。トップページで「災害対応記録集」で検索するか、つぎの赤字をクリックしてください。

東日本大震災災害対応記録

この記録集のホームページでの公開は7月31日付けになっていますが、特に記者発表資料などもリリースされていません。本書の奥付をみると、発行月は平成31年3月。その当時になにか発表があったのかと思い調べてみましたが注目情報にも新着情報にも見当たらず。せっかく3年もかけて編集した記録集ですので、もっと広く市民に知らせたほうがよいのになと。

なお、記事によれば、この記録集のほか、震災当時から3年間の市の対応をまとめた冊子「東日本大震災における災害対応の記録と検証」も昨年度に作成しており、今後加筆修正するなどして来年度に公開する予定とのことです。

「東日本大震災 災害対応記録集」の内容をみてみると、寄稿者365名のなかに3名の気仙沼中学同級生の名がありました。林(奥玉)小春さん(3年2組)、小山謙一君(9組)、臼井真人君(2組)です。各人のテーマと震災当時の役職などを以下に。末尾の数字は、記録集の頁表示です。

◎林小春「中央公民館屋上で園児とともに救助を待つ」1-86
(保険福祉部 社会福祉事務所一景島保育所 所長)
◎小山謙一「授業再開、心を鬼にして教室を空けてもらった」1-148
(教育委員会 教育次長)
◎臼井真人「被災したまちの被災した議長として、被災した仲間の声に応えたい」2-1
(気仙沼市議会 議長)

公共性の高い記録集ですから、回をあらためてその内容を紹介しようと思います。本日は、記録集発刊の紹介のみで失礼します。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 災害対応記録集

みしおねの礼拝所

本日も「みしおね」関連の話です。7月26日にオープンした「みしおね横丁」には、イスラム教徒のための礼拝所も設けられています。その詳しい施設内容がわからなかったのですが、8月12日にTBC東北放送がテレビニュースで伝えてくれました。ヤフーニュースもこれを配信していましたのでご覧になった方もいることでしょう。

いずれの配信も1週間を過ぎていまは見ることができませんが、画面写真でその内容をお伝えします。


◎宮城県気仙沼市に技能実習生の礼拝所完成



2_20190817145348cff.jpg

3_201908171453501d1.jpg

4_2019081714535101a.jpg

5_2019081714535313b.jpg

6_20190817145354c19.jpg

7_201908171453565f8.jpg
以上、TBC東北放送8月12日配信画面より


アナウンサーが伝えてくれたニュース内容を引用します。

「宮城県気仙沼市の商店街に市内では初めてとなるイスラム教徒のための礼拝所が完成し、さっそくインドネシア人の技能実習生らが祈りを捧げました。

礼拝所は7月、気仙沼市の魚市場前にトレーラーハウスを使ってオープンした商店街「みしおね横丁」の一角に開設されました。設置したのは市内の建設会社「菅原工業」で、さっそく菅原工業や市内の水産加工会社で働くインドネシア人の技能実習生11人が母国での礼拝時間にあわせて祈りをささげました。

気仙沼市によりますと市内には現在、およそ300人のインドネシア人が暮らしていますが、これまで礼拝施設がなかったため、それぞれ寮などで祈りをささげていたということです。この施設は年中開放されるということで菅原工業では実習生らの交流の場にもなればと話しています。」(引用は以上)


ニュースでは、(株)菅原工業の専務、菅原渉さんが取材を受けていました。菅原工業さんはインドネシアに現地法人を設立し、同国初となるリサイクルアスファルトのプラントの建設など、同国と深く関わりをもっています。それだけに、インドネシアの人をはじめ、イスラム教徒の皆さんにとっての礼拝/祈りの大切さをよくご存じなのでしょう。

みしおね横丁には、この礼拝所のほかにインドネシア料理店もあるとのこと。まさにいたれりつくせり。同国の皆さんにとって、とてもうれしい施設ができたようです。

3月1日ブログ「外国人技能実習生」
7月30日ブログ「みしおね横丁開業」
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

育美さんの海潮音

気仙沼市魚市場前の「みしおね横丁」がオープンしたのは、7月26日。この日の三陸新報には、〈祝・みしおね横丁オープン〉の文字を掲げ、熊谷育美さんのアルバム「みしおね」の広告が掲載されていました。

7月26日みしおね
三陸新報7月26日掲載広告より


このミニアルバム「みしおね」は、6月26日に気仙沼限定で発売されたミニアルバムです。料金は1500円(税込)。収録曲はつぎのとおりです。

1. 海潮音(みしおね)
2. 希望橋(のぞみばし)
3. 東北みちのく音頭
4. MISHIONE
5. 海潮音 Instrumental
6. 希望橋 Instrumental
7. 東北みちのく音頭 Instrumental
8. MISHIONE Instrumental
9. 海潮音 < 太鼓学舎 ね version >

育美さんはこの夏、気仙沼のイベントでも大活躍。先週8月17日の大型さんま船一斉出船送りや、8月11日の鹿折復興盆踊り大会にも。8月4日のみなとまつりでは、打ちばやし大競演のオープニングにも出演してくれました。

これらの催事では市内の太鼓団体の参加もありましたから、太鼓の演奏とともに「海潮音」も披露されたことでしょう。

広告に掲載されている販売店名を以下に。

●みしおね横丁●気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館●海の市 シャーク・ミュージアム●ラーメン炎●ブルースカイマーケット気仙沼●気仙沼波止場(横浜ワールドポーターズ)●気仙沼大島観光協会●気仙沼プラザホテル●アンカーコーヒーマザーポート店●アンカーコーヒー内湾店●すがとよ酒店●メンズショップ ヤマウチ●浜の家●塚本八百屋●山長 小野寺商店●気仙沼 シャークス●ビーチサイド●休暇村 気仙沼大島●ジェイズミウラ●メディアカフェ・ティモーネ●十人十色ライフサービス●おだづまっこ●藤田製函店●さかなの駅 宮川商店●スタジオアート ほか熊谷育美ライブ会場にて

広告には、〈気仙沼の定番ソング「海潮音」「希望橋」〉と記してありました。気仙沼の人が聴き慣れたメロディーを、気仙沼のシンガーが歌ってくれるというのはとても素晴らしい。

「みしおね横丁」も、そして育美さんの「みしおね」も、どうぞよろしく、

7月30日ブログ「みしおね横丁開業」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 熊谷育美 海潮音

秋刀魚船出船送り

気仙沼港を出港する大型さんま船に対する一斉出船送りが8月17日(土)におこなわれます。気仙沼つばき会さんが平成22年から開催し今年で10回目となります。

出船送り

公式気仙沼観光情報サイト「気仙沼さ来てけらいん」より

◎大型さんま船一斉出船送り

日時:8月17日(土)8:30~11:30
場所:気仙沼市魚浜町コの字岸壁

8:30〜9:10 /呼び出し太鼓
太鼓団体有志による打ちばやし
9:10~9:30/オープニング
鮪立大漁唄い込み,熊谷育美,うを座
9:30〜9:50 /来賓挨拶・御神酒上げ・花束贈呈・漁労長代表挨拶
9:50~10:00/餅まき
10:00~準備が整った船から順次出港
11:30/閉会

8:30からの呼び出し太鼓は、太鼓団体有志による打ちばやしです。そして9:10からはオープニング。鮪立大漁唄い込みや、熊谷育美さんの歌も披露されます。うを座の皆さんも参加。ドローン撮影もおこなわれるとのことです。来賓挨拶や餅まきの後、漁船団は10時から順次出港します。

7月27日の三陸新報によれば、100トン以上の大型船は8月20日からロシアの排他的経済水域内で操業を開始する予定。17日に出港する各船も前線基地となる北海道の花咲港などに向かいます。

8月14日の気仙沼市記者発表資料によれば、漁船団の出港は12隻が予定されています。船名を記しておきましょう。第1恵比寿丸,第1庄光丸,第3太喜丸,第5太喜丸, 第6太喜丸,第8朝洋丸,第8千代丸,第28安洋丸, 第38千代丸,第63幸漁丸,第68福神丸,第81豊清丸の各船です。

話は変わりますが、気仙沼港を拠点とする大型サンマ棒受け網漁船の漁労長の皆さんは、毎年のみなとまつりでの打ち上げ花火のために寄付をおこなっています。7月27日の三陸新報によれば今年も、富山県船籍の第81豊清丸の漁労長をつとめる中舘捷夫(なかだて かつお)さんの呼びかけで、宮城県船団14隻、根室船団20隻の各漁労長から42万円もの寄付が寄せられました。


寄付
三陸新報7月27日記事より


第81豊清丸さんは、みなとまつりの打ちばやし大競演に合わせて、サンマ集魚灯のライトアップや、湾内でのサンマ棒受け網漁の実演をおこなってくれました。毎年、本当にありがたいことです。

17日は、台風の影響が残らないかちょっと心配ですが、大漁と航海安全を願い、多くの人が出船を見送ってくれればと思っております。どうぞよろしく。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

焼き場に立つ少年

きょうは8月15日、終戦の日。毎年のこの日には、戦争にまつわることをその時々に記してきましたが、今年は一昨年のブログを再掲することにしました。先日、写真「焼き場に立つ少年」についてとりあげたテレビニュースを見て、思いを新たにしたからです。


2017年8月15日ブログ再掲

◎焼き場に立つ少年

きょう8月15日は終戦の日。先週から今週にかけては、新聞やテレビでも太平洋戦争をとりあげる番組や記事が多く見られます。本日紹介するのもそのひとつ。8月9日に朝日新聞が配信した記事の写真です。よく知られている「焼き場に立つ少年」。



朝日新聞8月9日配信記事より

記事を引用します。〈原爆投下後の長崎で、亡くなった幼子を背負う「焼き場に立つ少年」。撮影した米国の従軍カメラマン、故ジョー・オダネルさんの妻が夫の生涯をたどり、長崎原爆の日の9日に著書が出版された。「投下した側」でありながら、投下は過ちと訴え続けた足跡を写真と共に追っている〉(引用は以上)

この写真が掲載されたずいぶん前の新聞記事のスクラップは私ももっていて、見るたびになんともいえないせつない気持ちをおぼえるのです。30年以上も前のことですが、気仙沼に帰省したときに、この写真のことを父と話したことがあります。父は、少年の姿勢がまさに帝国陸軍兵士を思わせると語っていました。息子がこの写真にいだく気持ちを聞いて、うれしそうというかホッとしたような表情をうかべていたのです。

父は招集されて中国大陸での戦争を経験しています。私に細かな戦争のことを話すことはほとんどありませんでしたが、関係書籍を購入して読んでいたことを覚えています。自分が戦った戦争というか作戦がどういうものだったのかを知りたかったのでしょう。同級生 佐々木徹君(3年1組)のお父さんも、同じく中国戦線で戦ったことがあるのですが、あるとき二人で書籍の付録資料の地図を広げ、それぞれの転進の道程を追っていたことを思い出します。父が、在家得度を受けるために曹洞宗の大本山 永平寺に一週間滞在したときも佐々木さんと一緒でした。中国大陸で同じ経験をし、同じ風景を見てきたという思いがあったのでしょう。

父は仏像をたくさん集めていて、元気なころはその前で朝晩に読経しておりました。古いダイアリーに知人の命日と戒名/法名が記してあり、その日に亡くなった方の菩提(ぼだい)をとむらっていたのです。その父も9年前に亡くなったのですが、仏像の整理をしていた私は、厚紙に貼った新聞の切り抜きが仏像の後側にたてかけてあるのに気付きました。それが「焼き場に立つ少年」でした。

この写真を見るたびに、袈裟(けさ)を胸に、数珠を手に経をあげる父の姿を思い出します。最後はつぎのように声を発したはずです。

〈 じょうらい、きょうしゅをふじゅす、あつむるところの功徳(くどく)は、○○霊位にえこうし、ほうちをしょうごんせんことを 〉

終戦/敗戦から72年が経ちました。(再録/引用は以上)


この写真の撮影者ジョー・オダネルさんの妻、坂井貴美子さんの思いをとりあげた日本テレビのニュース番組で、この写真を見た女性のコメントを紹介していました。長崎で被爆し今80歳になる八木道子さんは「この写真を見て1番最初にぱっと目についたのが指先。この手の指先を見たときに本当に涙がでた。しかも裸足。これ見たときは涙がでた」と。

少年の〈指先〉という言葉に、一昨年のブログに記した父の言葉を思い出したのです。父が亡くなって11年たちます。

日本テレビ8月9日配信(動画あり)

本日は2019年8月15日。終戦/敗戦から74年がたちました。


以下に、米軍機による気仙沼空襲や、気仙沼町民による海軍や陸軍への戦闘機献納についてのブログを記しておきます。多くの人に読んで欲しいということはもちろんですが、自分自身にとってもまとめ/覚書ということもあり。

2017年6月21日ブログ「気仙沼空襲の記録」
2017年8月18日ブログ 投稿「気仙沼空襲」
2018年8月15日ブログ「気仙沼空襲の記憶」

2017年6月20日ブログ「気仙沼町民献納機」

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 焼き場に立つ少年

ラプラス・シップ

大島汽船(株)による大島航路の定期運航は、気仙沼大島大橋(鶴亀大橋)の開通にともない、4月7日で終了しました。しかしその後は、気仙沼ベイクルーズ遊覧船としての運航を日曜・祝日などにおこなっています。

そのベイクルーズ遊覧船が、8月10日からポケモンの「ラプラス」を描いた「ラプラス・シップ」にお色直しして運航しています。8月9日の公式気仙沼観光情報サイト「気仙沼さ来てけらいん」が伝えています。




公式サイト「気仙沼さ来てけらいん」より

ラプラス・シップは、株式会社ポケモンさんの全面監修のもと、ポケモンの人気キャラクター「ラプラス」が船の外観と、内側のドアの部分にデザインされているそうです。ラプラスの顔出しパネルも登場します。

8月10日の三陸新報もこの話題をとりあげていました。記事によればこの企画は、株式会社ポケモンさんと気仙沼観光推進機構、大島汽船が連携して昨年から準備してきたそうです。


ポケモン新聞
三陸新報8月10日記事より


このラプラス・シップの運航日は8月10日~18日/24日/25日。10時00分発、11時10分発、13時20分発、14時30分発の4便です。料金は大人(中学生以上)1500円、子供(小学生)750円。チケットは大島汽船チケット販売所、気仙沼観光コンベンション協会、サンマリン気仙沼ホテル観洋で購入できるとのこと。

株式会社ポケモンさんは、震災後の気仙沼に対して様々な形で支援してくれています。2012年には、ポケモンの被災地支援活動「POKÉMON with YOU」によるJR大船渡線でのポケモントレイン運航も始まりました。現在、気仙沼市内ではポケモントレインの来訪者に向けたスタンプラリーが行われているそうです。また本年7月には、「ラプラス」がみやぎ応援ポケモンに任命され、宮城県の観光復興、復興支援等を展開しています。今回のラプラス・シップもその一環ということでしょう。

株式会社ポケモンさんをはじめ、関係者の皆様のご支援に心から御礼を申し上げます。いつもありがとうございます。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

三陸道開通見通し

お盆の帰省シーズンということで、ニュースでは高速道路渋滞の様子などが伝えられています。ということで、本日は道路の話。

国土交通省は8月8日、東日本大震災の被災地で国が建設している復興道路や復興支援道路計550kmが、2020年度内に全線開通する見通しになったと発表しました。なお、三陸沿岸を南北に縦貫する三陸沿岸道路(三陸道)が復興道路、東北道と三陸沿岸道路を結ぶ東西方向の道路が復興支援道路に位置付けられています。

8月9日の三陸新報は、三陸道において供用開始/開通時期が明らかにされていなかった区間をはじめ、気仙沼市内三陸道の開通予定時期をくわしく伝えています。

三陸道

三陸新報8月9日記事の一部イメージ


記事によれば、宮城県内でひとつだけ開通時期の見通しが示されていなかった(仮称)気仙沼港IC~(仮称)唐桑南IC(7km)は2020年度内の開通となります。この区間には、現在も工事が進められている気仙沼湾横断橋が含まれています。

また、小泉海岸IC〜本吉津谷ICの開通時期がは2020年度内とされていましたが、2020年内と前倒しされました。気仙沼中央IC〜気仙沼港ICはすでに2019年度開通予定とされていました。記事中の区間図を拡大します。

区間図

今回の国交省の発表により、仙台市から八戸市までの三陸道の全線開通予定時期が定まったことになります。冒頭に記したように、三陸道が復興道路と位置づけられたことにより、その建設計画推進が加速されました。それは皮肉なことにも思えますが、長期にわたってその開通を国に求めてきた多くの皆さんの悲願達成の見通しがたったことを喜びたいと思います。

残る工事が安全に進行され、無事に開通の日を迎えられるようにと心から願っております。

4月1日ブログ「三陸道で2県接続」

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 三陸道

打ちばやしの御礼

8月3日4日におこなわれた気仙沼みなとまつり。8月6日の三陸新報には、みなとまつりの各種行事関係団体の御礼広告がたくさん掲載されていました。そのなかでもひとき大きく目立っていたのがつぎの広告でした。

打ちばやし

三陸新報8月6日掲載広告より(クリックで拡大)


〈打ちばやし大競演〉の御礼です。みなとまつり2日目の4日(日)午後5時から8時半まで内湾/港町臨港道路で催されました。3時間半もの長時間にわたる演奏だったのですね。数えてみると24団体です。

2014年のみなとまつり/打ちばやし大競演の御礼広告をブログで紹介したことがあるのですが、そのときは23団体でした。今年は「上沢打囃子会」さんが加わっての24団体です。8月6日の三陸新報の記事に〈総勢800人が大競演〉とありました。これは本当にすごいこと。

昨年は大雨のため中断・中止となり残念でしたね。東京にいる私は、演奏者、関係者の皆さんがいったいどんな気持ちでいるだろうかと思うばかりでした。

私は〈打ちばやし大競演〉をみたことがありません。大学生のころは夏休みで気仙沼に帰省していましたが、就職してからはみなとまつりの時期に気仙沼に帰ることができなかった。お盆には帰っていましたが。

それだけに、これだけの太鼓の競演を一度でいいから見てみたい思っているのですが、なかなか果たせず。そんな思いを毎年ブログに記しています。

2014年のブログでは、震災の前の年2010年のみなとまつり/打ちばやし大競演の約1分の動画を紹介しました。つぎの映像です。



ブログではつぎのように記しました。「左に〈男山〉がうつるエースポート付近からお神明さん方向に向かう内湾会場1分間の映像。この、ごくあたりまえだった風景が、今はすっかり変わってしまいました」

魚町の防潮堤ができあがると、打ちばやし大競演の会場も戻ってくるのかな。そんなことを思いながら9年前の打ちばやし、太鼓の音を聴いています。

2014年8月22日ブログ「気仙沼打ちばやし」
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : みなとまつり 打ちばやし

階上小学校の校歌

3月26日のブログで、本年4月に松岩小学校と統合した水梨小学校の校歌を紹介しました。作詞が気仙沼大島出身の水上不二(みずかみふじ)さん、作曲が磯部俶(いそべとし)さんです。

先月のことになりますが、ちょっとしたことから気仙沼市立階上(はしかみ)小学校の校歌も水梨小と同じく、水上さんと磯部さんによるものであると知りました。階上小の校歌制定の経緯など詳しいことはわからないのですが、本日はその歌詞を紹介します。


階上小学校 校歌

作詞 水上 不二
作曲 磯部 俶



松のみどり くろしお 岩井崎のしぶき
世界はめざめる 朝日はのぼる
化石は地球の歴史をかたる
いつもあかるくのびのびと
元気いっぱいりんりんと すすむ階上小学校
風は呼ぶ 風は呼ぶ



高つつじをはるかに 穐葉さまを窓に
たがいにきたえる たゆまずはげむ
ひばりは豊かなみのりを歌う
いつもあかるくのびのびと
元気いっぱいりんりんと すすむ階上小学校
雲はわく 雲はわく



磯のかおり さざなみ 太平洋のひかり
かがやくこの道 花さく校舎
星座はたのしい未来をかたる
いつもあかるくのびのびと
元気いっぱいりんりんと すすむ階上小学校
旗は鳴る 旗は鳴る


「高つつじ」は「たかつつじ」と読むのでしょうか。「穐葉さま」は「穐葉(あきば)神社」のことでしょう。階上小の北西方向にあります。

1番にある「化石」ですが、これは岩井崎で多くみられる古生代ペルム紀(2億8千年前~2億5千万年前とか)のウミユリ、フズリナ、サンゴなどの石灰岩化石のことだと思います。宮城県の天然記念物に指定されています。まさに〈地球の歴史をかたる〉。

1・2・3番のそれぞれに〈朝日〉〈青空〉〈星座〉のイメージを感じますね。さらに〈過去:古生代ペルム紀〉〈現在〉〈たのしい未来〉へと、2億年以上の時をタイムトリップ。

そして3番の〈旗〉ですが、もしかすると大漁旗かもと、想像がふくらみます(笑)。

冒頭に記した〈ちょっとしたこと〉については回をあらためて紹介することにしたく。本日は歌詞の紹介のみにて失礼します。今週はこれにて。

3月26日ブログ「水梨小学校の校歌」
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 階上小学校 水上不二 磯部俶

小泉海岸空撮映像

気仙沼市本吉町/小泉海岸の海開きについて、2度にわたって紹介しました。

8月5日ブログ「小泉海岸の海開き」
8月7日ブログ「小泉地区の高校生」

本日もその続きです。小泉海水浴場をドローンで捉えた空撮映像をsakko droneserviceさんが海開き10日前の7月10日にYouTubeで公開してくれていたのです。〈震災後8年初の海開き 気仙沼市小泉海水浴場空撮2019 07〉とのタイトルですので同月の撮影だと思います。まずはご覧ください。約3分間の映像です。





SAKKO DRONESERVICEは、気仙沼市本吉町小金沢の咲幸物産さんのドローンサービス事業部門です。前田善則さんがその担当責任者であることは以前にもこのブログで紹介しました。YouTubeの投稿コメントには次のように記されています。

〈震災から8年、まもなく震災後初の海開きをする気仙沼市小泉海水浴場。7月20日、21日には海フェス(地元高校生と本吉夢プロジェクト委員会、海フェスプロジェクトチームが共同でフェスティバルを開催)が開催されます。さまざまな思いを胸に、小泉海水浴場がスタートします〉

前回の海開きは2010年8月でしたので、今回は9年ぶり。2011年の震災から数えると8年経って初の海開きということになります。

このコメントは咲幸物産の前田さんが記したのだと思いますが、〈さまざまな思いを胸に〉というところに地元の意識というか事情というか、まさにさまざまな思いを感じます。

しかし、そうした様々な思いは別にして、小泉海岸はとても美しい。私は高校時代の夏に同級生の中井茶舗/中井殖君(3年8組)の軽四輪に乗せてもらって大谷海岸にはよくいきましたが、小泉海岸にはいったことがありませんでした。それだけに、この空撮映像は新鮮な印象を受けました。

今回の海開きで遊泳可能になったのは、約650mの砂浜のうち、北側約150mです。以前の状況をよく知らないのですが、この美しい小泉海岸が以前のにぎわいを取り戻す日を多くの人が願っていることでしょう。

咲幸物産/SAKKO DRONESERVICEさん、ありがとうございました。

4月22日ブログ「咲幸さん空撮映像」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 小泉海水浴場 小泉海岸

小泉地区の高校生

一昨日のブログでは小泉海水浴場の海開きや、宮城県内で最も高い海抜14.7mの防潮堤のことについて記しました。そのなかに〈防潮堤の背後地にある「小泉海岸広場」には特設ステージや地元高校生徒による屋台などもあったそうです〉と書いたのですが、本日はそうした高校生らの活動を紹介します。

地元の高校生が9年ぶりとなる海開きに際して企画したのは「海フェス」です。この企画をバックアップしたのは、本吉夢プロジェクト委員会の海の部「うみや」。その立ち上げにあたっては、NPO法人「浜わらす」もタッグをくみました。

そして海フェス開催にあたり、海の家のオープン費用などにあてるためクラウドファンディングもおこないました。目標金額は150万円。そして6月28日、164人の支援者による総額169万7000円の支援を受けることができました。7月19日の三陸新報の2面見開き広告の費用もここからのものかもしれません。

海フェス
クラウドファンディング「readyfor」サイトより


同サイト/プロジェクトの概要
同サイト/プロジェクト終了報告

2014年7月、小泉地区の防潮堤に関して宮城県がおこなった住民説明会では、「防潮堤の必要性が分かりません」と発言した高校生に対して「高校生が何を言ってるんだ」と罵声を浴びせる参加者もいたとの報道もありました。県としては、前年2013年11月の説明会で合意が得られたとしたものの、その後も計画再考を求める声、反対の声がやまなかったのです。その後の経過については省略しますが、こうした地域内での意見が対立する局面もあったのです。

私は、この「高校生が何を言ってるんだ」という発言報道を忘れることができません。それだけに、今回の小泉海岸海開きで地元高校生が海フェスを企画し、それをまちづくりの委員会やNPOが支援してくれたということをとてもうれしく思ったのです。

フェスの準備も簡単なことではなかったと思いますよ。クラウドファンディングのプロジェクト終了報告のなかに、〈様々な想いが入り交じった海岸でもありましたので、全ての人に受け入れられているのか、そして、私たち自身も葛藤していたのが正直なところでした〉とありました。率直な思いを語っていると思います。

5年前の説明会で発言した高校生はいまどうしているかな。元気かな。地元にいるのかどうかもわかりませんが、自分が暮らす町の未来を真剣に考え、勇気をもって発言した高校生がいたことを今でもおぼえているよとお伝えしたく。その気持ちは海フェスを企画した高校生たちにも受け継がれているのでしょう。

7月27日の三陸新報にはつぎの御礼広告が掲載されていました。

御礼

三陸新報7月27日掲載広告より


すでに2週間もたってしまいましたが、9年ぶりの小泉海岸の海開き、おめでとうございました。

2014年10月21日ブログ「小泉地区の防潮堤」
2014年12月19日ブログ「小泉防潮堤着工へ」
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 小泉海岸 防潮堤

岡本優子at旭が丘

今朝の岡本優子さんのツイッター/Instagramではじめて知ったのですが、ジャズピアニストの岡本優子さんのトリオ演奏会が8月7日(水)に、気仙沼市舘山の旭が丘学園で催されます。


演奏会

岡本優子Instagramより


◎岡本優子トリオ演奏会
8月7日(水)14:00〜
場所:児童養護施設 旭が丘学園
(気仙沼市舘山2丁目2番32号)
入場無料

この演奏会は、子供の未来応援国民運動「子供たちへ音楽で支援」の一環として開催されるもの。ポスターでは「子供の未来国民応援運動」となっていますが、正しくは「子供の未来応援国民運動」です。

このプロジェクトは2015年4月から始まった子供の貧困解消に取り組む官民一体の取り組み。子供の未来応援基金を設置し、全国のNPO等の活動を支援しています。今回の演奏会も同基金の支援を受けての開催でしょう。入場無料ですが、会場では子供の未来国民応援運動への募金もおこなうとのことです。


ポスターには様々なロゴや団体名が並んでいます。ポスター下部には協賛団体として気仙沼ライオンズクラブの名がありました。上田中のSONYショップ「ナカデンキ」さんも協賛ということなのでしょうか。中央部には内閣府とならんで「クオンタムリープ株式会社」の名がありました。同社は、ソニー(株)の代表をつとめた出井(いでい)伸之さんが創業し今も社長をつとめるコンサルティング会社です。

岡本優子さんについては何度もこのブログで紹介してきました。私は2017年の東京・めぐろパーシモンホールでの「東日本大震災復興支援コンサート」でその演奏に触れることができました。ピアノはもちろんのことですが、ボーカルもとても素晴らしい。つぎのブログにその印象を記しました。

2017年3月6日ブログ「気仙沼アーチスト」

岡本優子さんは現在、仙台に暮らして演奏活動をつづけていますが、8月3日のみなとまつり/はまらいんや踊りではバイソンバンドに加わってピアノを演奏しています。そして翌日4日は、実家というか家業の「岡本製氷」の出店でかき氷などのお手伝いも。そして7日は旭が丘と、気仙沼での活動が続きます。優子さんのお父様は、私たちの一学年先輩/気中19回生で岡本製氷の代表 岡本寛さんです。娘さんが1週間近くも実家にいてくれて喜んでいることでしょう。

7日(水)は平日午後ということで、仕事があるという方も多いとは思いますが、都合がつく方はぜひ旭が丘学園にお出かけください。ピアノも歌も本当にすてきです。どうぞよろしく。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 岡本優子 旭が丘学園

小泉海岸の海開き

土日のみなとまつりが終了しましたね。きのう4日午後7時半近くの地震は、東京も結構ゆれました。津波の心配がないのかどうかの情報もすぐには出なかったので気仙沼のことが心配に。まつりは一時中断したものの、間もなく再開したとのことでよかった。観客の皆様、そして準備や当日の運営にあたった関係者の皆様、お疲れさまでした。いつもありがとうございます。

さて本題。7月29日のブログでは読売新聞の2頁(全30段)広告を紹介しました。本日は7月19日の三陸新報の2頁広告を。2週間前のことになりますが、小泉海水浴場海開きの広告です。


小泉海水浴場海開き
三陸新報7月19日掲載広告


私はデジタル版の購読などで実際の紙面の大きさを実感できませんが、結構な大きさの写真ですよね。

気仙沼市本吉町の小泉海水浴場海開きは7月20日(土)におこなわれました。9年ぶりのこととなります。7月21日の河北新報配信記事によれば、かつて環境省の「快水浴場百選」にも選ばれた砂浜約650mのうち、約150mが遊泳可能になったそうです。防潮堤の背後地にある「小泉海岸広場」には特設ステージや地元の高校生徒による屋台などもあったそうです。この高校生らによるイベントなどの開催については、日をあらためて紹介しようと思います。

写真の右側にうつるのは、宮城県内で最も高い海抜14.7mの防潮堤です。河北新報の記事には、〈小泉海水浴場は2010年に約55万人が訪れたが、震災で砂浜が消滅。防潮堤の建設に関し、住民の意見が分かれた経緯がある〉とありました。

広告の写真ではあまりわかりませんが、地上から撮影した映像をみるとそれは本当に巨大な防潮堤です。そうした映像とともに、巨大防潮堤の建設に反対する報道は今後も続くことでしょう。それはそれでよし。私もその建設計画が発表されたときには、こんな大きな防潮堤が必要なのだろうかと疑問をもっていましたし、建設途中の写真や映像をみても同じ印象をもちました。

しかし現時点では前向きにとらえようと思っています。今後のほかの地区の防潮堤建設に際しての参考事例としては意味のあることですが、この小泉海岸での反対意見はもう遅いのです。2014年には工事の入札や契約がなされたはずです。できてしまったからには、海水浴場やイベントスペースとしての環境整備を進めて欲しい。それが現在の私の率直な気持ち。

7月13日に東京で気仙沼高校・気仙沼向洋高校の関東同窓会懇親会がありました。そこに来賓として出席されていた菅原市長が最近の気仙沼の復興状況などを紹介したのですが、その中に小泉海岸の防潮堤の話もありました。つぎのようなことです。私の記憶からの再現ですので言葉そのものの違いなどがあると思いますので、文責はあくまで小田ということで。

〈 ここにお集まりのかた、東京などに暮らしているかたの多くは防潮堤が嫌いだと思います。気仙沼でも多くの人は防潮堤が嫌いです。私も好きかときかれれば嫌いです。しかし、気仙沼市は人の命を守るための防潮堤建設を選びました。小泉海岸にぜひ行ってみてください。本当に大きいんです。2万4000個のブロックをならべてあるんですが、そのブロックは大人2人がゆったりと座るのにちょうどいい。コンサートとかイベントの開催などでの活用を東京の皆さんにも是非お願いしたい 〉

あくまで〈イメージ〉というか〈個人の印象〉ですが、大体はこんなことでした。私はちょっと驚いたのです。その巨大さが批判されることが多かったのに、まるで巨大であることを自慢というかなんというか。前向きすぎる(笑)。ブロックについて、あとで市の記者発表資料を確認したら、2万4000人の観覧席としての活用が可能とありました。ブロックの数ですね。

私は、この気仙沼市の行政の長としての発言をなるほどなと感じました。基本的に小泉海岸の防潮堤は宮城県の事業でしたから市の関与には限界があったはず。そして、県議会でも承認されて建設された以上、これを活用しようよということ。市長として、気仙沼出身者に協力を求めたということでしょう。そう思って、納得したのです。

気仙沼では、大島の小田の浜(「小田の浜ビーチ」と呼ぶのだそうです)でも7月20日に海開きがおこなわれました。小泉そして小田の浜、いずれの海水浴場も震災前のにぎわいを取り戻して欲しいと願っております。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 小泉海岸 防潮堤

1954年 武者行列

きのうのブログでは、みなと倶楽部発行の「昭和の気仙沼風情」カレンダー2019年版のみなとまつり写真を紹介しました。当初は、今年のカレンダー写真ではなく、昨年版のみなとまつり写真を紹介しようと思っていたのですが、〈太陽の季節〉の文字を見つけたために方針を変更しました。

そして本日は、その昨年版7・8月写真を紹介します。

2018.jpg

「みなと倶楽部」発行〈昭和の気仙沼風情〉2018年版より


「みなと祭りの日」(昭和29年)八日町付近との説明があります。昭和29年/1954年8月だと、私は4歳です。気中20回生の学年でいえば4〜5歳。写真の撮影方向は、森田医院から大堀銀座交差点方向をうつしています。中央奥に見える洋館風の建物は玩具店の長澤(ながさわ)です。通りの右側に〈本吉屋〉、左側に〈昆喜畳店〉などの看板が見えます。

右側にうつっているのは、子供達の武者行列です。のぼりに〈南町〉の文字。ちゃんと草履をはいて、具足もしっかりとしているように見えます。結構な費用がかかったのではないかと。

このブログで、魚町の子供達のみなとまつり/武者行列を紹介したことがあります。以下に再掲しておきます。


◎魚町の武者勢揃い

2015年7月6日ブログ再掲

3日のブログ「1953年 武者行列」で、昭和28年8月の港まつりの風景を紹介しました。あの写真にうつっていたのは南町の子供たちですが、本日は魚町の〈小さな武者たち〉を紹介します。

魚町武者

2004年1月28日付け三陸新報記事のイメージ(クリックで拡大)


これは、2004年1月28日付けの三陸新報の連載記事〈とっておきこの一枚〉。見出しは〈りりしい武者姿/昭和28年 市制施行みなとまつり〉です。写真の持ち主は、魚町2丁目の〈ヤマジュウイチ〉佐藤八重子さん。私たちの一年先輩 佐藤秀一さんのお母様です。記事を引用します。

「 登米町から嫁いできたのが昭和25年。翌26年に長男(秀一)さんを出産した。気仙沼市制が施行されたのはその2年後。

写真は市制施行記念のみとまつり。パレードに参加するため、地区内の子どもたちが武者姿で魚町大通りに集合している。写真・矢印の女性が八重子さん。前列の長男を心配そうに見つめる。カメラ好きだった夫の市太郎さん(故人)が、知らない間に撮影し、自分で現像したもの。「希望者にはコピーして譲りたいと思います」

当時は生活していくだけでも大変な時代だった。が、町の中には熱気と活気があった。合併直後だっただけに、希望に満ちあふれていた中での祭りだった。「港の心意気を示そうと、みんな一生懸命でした」と振り返る。魚町通りには、あらゆる種類の商店が軒を連ねていた。市経済の玄関口である港と魚市場があったからだ。「漁船は、町にとって宝船だったんです」。今もその思いは変わらない。」引用は以上。

記事に〈生活していくだけでも大変な時代だった。が、町の中には熱気と活気があった〉とあります。終戦/敗戦からちょうど8年。漁業を中心としての気仙沼の産業発展や生活レベルの向上などを、子供の成長に重ね合わせて実感し始める時代だったのでしょう。

この三陸新報の記事は、7年前に亡くなった父が一週間に一度まとめて送ってくれたものから切り抜いておきました。11年前にも、この記事に、懐かしいなにかを感じたのでしょう。私にとっても〈とっておきの一枚〉だったのです。(再掲内容は以上)

上の〈昭和の気仙沼風情〉カレンダーの写真は、昭和29年/1954年、三陸新報記事の写真は昭和28年/1953年 市制施行記念のみなとまつり風景です。

気仙沼町・鹿折町・松岩村の2町1村が合併して気仙沼市が誕生したのは、この年昭和28年/1953年6月1日のことでした。私たち気仙沼中学20回生は本吉郡気仙沼町の子供達として誕生したのですね。

明日からは気仙沼みなとまつり。天気に恵まれて楽しいまつりとなることを願っております。どうぞお出かけください。


なお、再掲ブログの冒頭に記している7月3日「1953年 武者行列」はつぎのブログです。昭和28年/1953年の〈旧気仙沼魚市場前をねり歩くみなと祭りの風景〉写真を紹介しています。是非ご覧ください。

2015年7月3日ブログ「1953年 武者行列」
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : みなとまつり

1956年の港まつり

今日から8月。いよいよ今週末、8月3日・4日は気仙沼みなとまつりですね。私がみなとまつりを最後に見たのは20年前なのか30年前なのか、今ではそれさえも定かではありません。その記憶のあいまいさの一方で、幼かったころのみなとまつりの記憶の断片が年を経るほどなつかしく思い出されます。

「みなと倶楽部」さん発行の〈昭和の気仙沼風情〉カレンダー2019年版の7・8月分の写真も、そんな私の回顧趣味をくすぐります。




「みなと倶楽部」発行「昭和の気仙沼風情」2019年版より


昭和29年(1954年)の第4回気仙沼みなとまつりとのこと。八日町の広野新聞店の上あたりから三日町方向をうつしています。私の知る華やかなみなとまつりの風景と重なります。

そうした思い出にひたりながら写真をながめていたら、写真中央にうつる横断幕に記されている文字が気になりました。裏側からなので左右逆転していますが、〈太陽の季節〉と読めます。小さく、〈原作 石原慎太郎〉〈シネマスコープ〉などの文字も。

しかしなんか気になる。映画「太陽の季節」は、私が2歳のときのはずはありません。もっとあと。ということで調べてみたら、やはり違いますね。

Wikipediaによれば、小説「太陽の季節」が雑誌『文學界』7月号に掲載されたのが1955年(昭和30年)、芥川賞を受賞したのは翌年。そして映画「太陽の季節」が公開されたのはそのまた翌年の1956年(昭和31年)5月のことでした。気仙沼での上映も同年と考えるのが自然でしょう。

映画館はどこだったか。横断幕の中央下部の文字は〈旭映劇〉と読めます。旭映画劇場でしょう。気仙沼文化史年表(荒木英夫 著)につぎの記述がありました。

昭和30年8月2日 旭映画劇場が南町鼎座通りに開館。経営者 高橋正雄。

これらを総合すると、旭映画劇場の開館2年目に日活の映画「太陽の季節」を上映したのだと思います。〈旭は東宝系で、日活なら南映での上映だろう〉と思う人も多いでしょうが、南映が河原田を下ったあたりの港町に開館したのは気仙沼市史によれば昭和40年のことです。なお、市史には旭映画劇場の経営は旭産業株式会社(代表 高橋正男)とあります。気仙沼商会の2代目社長も高橋正男さん(現社長の正樹さんのお祖父様)ですが、同じ人でしょうか。文化史年表で「正雄」とあるのは誤記かもしれません。

とりあえず、冒頭の写真は、昭和31年/1956年のみなとまつりだとしましょう。第1回は昭和26年の開催ですから、写真は第6回だと思います。文化史年表には7月14日開幕とあったのですが、そのひとつ上の項目に〈昭和31年7月14日 東洋一と称された新魚市場落成式挙行〉との記述がありました。開業は4か月前の3月1日です。それにしても、みなとまつりの写真の撮影年を調べて、新魚市場落成の話にゆきつくとは思いませんでした。おどろいた。

私が4歳だった1956年のみなとまつり。それは気仙沼の〈太陽の季節〉を祝うまつりでもありました。なんちゃって。

2014年7月18日「気仙沼の映画館史」
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : みなとまつり

漁船員子弟の招待

気仙沼港にカツオを水揚げする父親や祖父との再会。7月25日に三陸新報や河北新報が、なんというか心があたたかくなる話を紹介していました。下は河北新報の配信記事画像。

招致事業

河北新報7月25日配信記事の一部イメージ



宮崎県のカツオ一本釣り船で働く漁船員の子どもたち25人が7月24日に気仙沼を訪問しました。

河北新報の記事によれば、写真にうつるのは、日南市南郷小5年の中野朱乃(しゅの)さん(10)。日南市の一本釣り船「第73真海丸」の漁労長を務める父慎三さんと3カ月ぶりに対面しました。水揚げ作業中だった慎三さんが見学に訪れた朱乃さんに駆け寄り「身長高くなったなあ」などと声を掛けると、朱乃さんは照れくさそうに笑ったとのこと。とてもいい写真です。三陸新報の記事でもこの中野さん父娘の写真を掲載していました。

市の7月18日付け記者発表資料によれば、この「かつお一本釣漁船乗組員子弟招致事業」は、他港漁船の誘致を推進するため、気仙沼市魚市場に水揚げしているかつお一本釣り漁船の乗組員の子どもたちを気仙沼市に招待しています。高知県・宮崎県・三重県の3県の小学4~6年生を輪番制で対象とし、今回は宮崎県日南市の小学生25名と引率者5名の総勢30名を招待しました。

3泊4日の滞在期間中、子どもたちは、出漁期間中に対面する機会のない乗組員と面会するとともに、魚市場・水産関連施設等の見学を通じて、かつお一本釣り船が気仙沼の産業に大きく関わっていることや水産業の現状等について理解を深めます。

この事業は平成8年度より実施し、今回が23回目となるそうです。毎年、カツオのシーズンに同様の記事を見ていた記憶がありますが、23回も続いているとは思いませんでした。

今回の招致対象となったのは、宮崎県船籍の12隻です。気仙沼港へのカツオ水揚げに感謝しながら、各船名を以下に。いつもありがとうございます。

第5萬漁丸(4人)・第5清龍丸(3人) ・第8喜與丸(2人)・81号清龍丸(3人)・第3神徳丸(1人) ・第18事代丸(1人)・第88正 丸(2人) ・竜喜丸(3人)・第73真海丸(1人) ・第78福徳丸(3人) ・第15事代丸(1人) ・8号三代丸(1人)

( )内の数字が、対象児童数です。この数字をながめていると、小学生を子や孫にもつ各船の漁船員さんの喜ぶ顔も思い浮かびます。これからも長く続けてほしい事業だなと感じました。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 乗組員子弟招致事業

みしおね横丁開業

きのうのブログでは、7月26日(金)の気仙沼大島/浦の浜の民間商業施設「野杜海」オープンをお伝えしましたが、同日には、気仙沼市魚市場前にトレーラーハウスを利用した「みしおね横丁」も開業しました。翌日27日の三陸新報の記事の見出しは〈銭湯、飲食店で歓迎〉。

みしおね横丁
三陸新報7月27日記事の一部イメージ


記事によれば、この日オープンしたのは、飲食5店と銭湯、イスラム教礼拝堂。9月にはラーメン店が出店を予定しているとのことです。オープニングセレモニーでは、菅原市長や祝福に駆けつけた糸井重里さんらの祝辞に続いてテープカットをおこなったそうです。

当日の様子は河北新報や産経新聞が報じています。鶴亀の湯などについては産経の記事が詳しいのでリンクを下に。

産経新聞7月27日配信記事

7月26日のブログの末尾でもご紹介しましたが、ほぼ日の糸井さん、永田さん、山下さんの3人は25日から気仙沼を訪れ、その様子をテキスト中継で伝えてくれました。鶴亀の湯オープンにあたっての、糸井さんと小野寺紀子さんによるくす玉割りの様子などはこのあたりから。

皆さんすでによくご存じのように、鶴亀の湯・鶴亀食堂は、小野寺紀子さんが代表をつとめる一般社団法人 「歓迎プロデュース」が企画して実現したもの。斉藤和枝さんや根岸えまさんらと、クラウドファンディングによる資金募集などについてはこのブログでも紹介してきました。

歓迎プロデュースが設立されたのは昨年12月頃だったと思いますので、それから約半年。それまででの企画や準備期間を含めても短期間でよくここまでのことを成し遂げたなと思います。本当に素晴らしい。

銭湯と食堂は1台ずつのトレーラーハウスを利用しています。「鶴亀の湯」は男湯のほか、ちょっと小ぶりの女湯も設けられています。「鶴亀食堂」は、メカジキの煮物やもつ煮、ハムエッグなどを定食として日替わりで提供するそうです。いずれも朝6時からの営業。

26日のオープニングでは、まずはご支援ご協力をいただいた方々に鶴亀の湯にはいっていただいたのでしょう。一番風呂は糸井さんでした。

セレモニーほか、多くのお客様を迎えた営業初日をおえたころには、歓迎プロデュースのお三方も〈鶴亀の湯〉を浴びて疲れを癒やしたのではないでしょうか。湯につかりながら〈やっとこの日を迎えることができた〉という感慨をおぼえたことでしょう。

鶴亀の湯・鶴亀食堂をはじめ、みしおね横丁の関係者の皆様にお祝いを申し上げます。漁師さんはもちろんのこと多くの人に愛される横丁としての繁盛を祈念しております。開業おめでとうございます。


5月17日ブログ「鶴亀の湯 応援情報」
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 鶴亀の湯 みしおね横丁

大島「野杜海」開業

気仙沼大島の浦の浜に整備中のウェルカムターミナルに建設された民間商業施設「野杜海(のどか)」が7月26日にオープンしました。これに先立ち、7月24日の三陸新報にはつぎの広告が掲載されました。

広告
三陸新報7月24日掲載広告より


そして7月27日の三陸新報は、1面トップでこの施設オープンを伝えていました。

のどか記事
三陸新報7月27日記事の一部イメージ


同施設を運営するのは地元の合同会社の野杜海です。今回オープンしたのは 6店舗中の5店舗。「グリーンアイランドおおしま」は年内に完成予定です。当初は大島大橋(鶴亀大橋)開通に合わせた開業が予定されていましたが、県道の整備の遅れや、盛り土した地盤の沈下、収束など公共事業に遅延が発生。開業は予定より4か月ほど遅れました。

ウェルカムターミナル内には市の施設も建設中で、本年度内に完成、供用開始する予定になっているそうです。

「野杜海」関係者の皆様、このたびの施設オープンのお祝いを申し上げます。おめでとうございました。

5月28日ブログ「浦の浜「野杜海」」
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 野杜海 浦の浜 気仙沼大島

気仙沼PORT3周年

横浜みなとみらい21にある「横浜ワールドポーターズ」内にある気仙沼市アピールショップ「気仙沼PORT」がこのほど3周年を迎えます。これを感謝してのイベントが、今週末、7月27日(土)28日(日)に横浜ワールドポーターズで開催されます。


横浜

「横浜ワールドポーターズ」公式サイトより


「気仙沼PORT」は、株式会社横浜インポートマートと気仙沼市が締結した連携協力協定に基づき,2016年7月23日に気仙沼市のアピールショップとしてオープンしました。イベント内容を簡単に紹介しておきます。

①気仙沼商品販売」
②ワークショップ「気仙沼の海はんこで小物を作ろう!」
③気仙沼直送 生鮮カツオ解体ショーとカツオ握り先着100名プレゼント
④わかめ無料引換券プレゼント
⑤「熊谷育美」LIVE
⑥ホヤぼーやじゃんけん大会」
⑦「Always With Smile」LIVE
⑧気仙沼PORT3周年感謝フェア

なお、「気仙沼PORT」は横浜ワールドポーターズ(横浜市中区新港2-2-1)の2階ヨコハマ・ポート・マーケットのなかにあります。上記イベントの詳細は上のポスター画像か気仙沼市記者発表資料をご覧いただきますが、熊谷育美さんと「Always With Smile」のライブについては日程を以下に。

◎「熊谷育美」LIVE
日時:7月27日(土)
1回目14:00 2回目16:00(各回30分程度)
場所:2F 汽車道側正面ゲート横「特設会場」

◎「Always With Smile」LIVE
日時:7月28日(日)
1回目14:00 2回目16:00(各回30分程度)
場所:2F 汽車道側正面ゲート横「特設会場」

気仙沼出身の熊谷育美さんについての説明は不要でしょう。「Always With Smile」さんは、首都圏の学生を中心としたアカペラグループで,気仙沼を定期的に訪れるなどしてくれています。いつもありがとうございます。

ヨコハマの「気仙沼PORT」ができてもう3年たつのですね。そのオープンを紹介した当時のブログを読んでみると、〈復興〉あるいは〈復興支援〉という言葉がリアルだった当時の〈気分〉を思い出します。

2016年7月25日ブログ「祝!気仙沼PORT」
 
こうして3年にわたって気仙沼市をご支援くださっている株式会社横浜インポートマートさんにお礼を申し上げます。いつもいろいろとありがとうございます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

以上は横浜でのイベントの話。気仙沼では本日7月26日、大島のウェルカム・ターミナル内の民間商業施設「野杜海(のどか)」が開業し、28日までオープン記念イベントが開催されます。また、魚市場前のトレーラーハウスを利用した店舗群「みしおね横丁」も本日26日にオープンです。このブログでも紹介してきた〈鶴亀の湯〉や〈鶴亀食堂〉も本日からです。

そしてこの〈鶴亀の湯〉の一番風呂を浴びたのは、ほぼ日の糸井重里さんです。糸井さんらは昨日から気仙沼を訪れています。詳しくはつぎのほぼ日サイト/テキスト中継をご覧ください。

ほぼ日/鶴亀の湯の一番風呂を浴びてきます!

きょうの東京は晴天ですが暑い。台風の動向が気になるところですが、なんとか持ちこたえてよい週末になればと思っております。
  

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 気仙沼PORT 熊谷育美

みなとまつり日程

気仙沼の人はすでにご存じのとおりですが、今年の気仙沼みなとまつりは、8月3日(土)4日(日)に開催されます。まずは今年のポスターから。


ポスター

みなとまつり公式サイトより


かつお祭りのポスターにもサザエさんの弟カツオ君が登場していましたが、みなとまつりはサザエさん一家が勢揃いしています。これも宮城県の観光キャンペーン「サザエさんの愉快なタビin宮城」の一環で実現したのでしょう。


両日のプログラムを簡単に紹介しておきます。

◎第68回 気仙沼みなとまつり

8月3日(土) 会場:田中前大通り会場
●オープニングセレモニー 17:00~
●はまらいんや踊り 18:00~20:30

8月4日(日) 会場:港町/内湾
●みなとまつりパレード 12:00~15:30
●内湾海上行事 12:00~17:00
●打ちばやし大競演 17:00~20:30
●海上うんづら 17:30~20:30
●さんま船集魚灯披露 17:00~20:30
●海上打ち上げ花火 20:00~20:30
●露天コーナー 11:30~20:30

公式サイト/まつりスケジール

昨年はなかった〈内湾海上行事〉というのは、宮城外洋帆走協会さんの協力で内湾浮桟橋周辺に並べられたヨットを間近で見られるというものです。

昨年同様に、はまらいんや踊りの会場案内と交通規制図を下記に。田中前大通りが会場です。演奏は、バイソン片山さんらのバイソンバンドにジャズピアニストの岡本優子さんが加わります。いいね。

規制図


なお、みなとまつりの第1回は昭和26年の7月26日開催で、気中20回生と同じ周年となります。今年で68周年。ずいぶんと年を重ねましたね(笑)。

天候にめぐまれて楽しいみなとまつりになることを願っています。どうぞお出かけください。

2017年8月24日ブログ「60年前の港まつり」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

霞が関ビルの50年

7月3日の読売新聞に、第35回読売広告大賞の発表記事が掲載されていました。グランプリ受賞は、2018年4月12日朝刊に掲載された三井不動産(株)によるこの広告でした。


霞が関ビル
読売新聞2018年4月12日朝刊掲載広告


おぼえている方も多いのではないでしょうか。このブログでも昨年4月17日のブログで紹介しました。博報堂の制作とのこと。

選考委員長のクリエイティブディレクター佐々木宏さんは〈三井不動産は写真の勝利ですね。笑いもあります〉と。アートディレクターの森本千絵さんは〈とても新鮮で希望があります。今は当たり前にそこにあるビルであっても最初は誰かの挑戦であって、みんなの希望の形であったことを思わせてくれました。期待を膨らませる人を主役にした視点にはこの先未来を期待できる企業であることがしっかりと伝えられています〉と、語っています。まさに写真の力。

受賞を記念してというか、思い出しついでに、私の昨年4月17日のブログを再掲しておきます。

◎霞が関ビルの50年

4月12日の読売新聞朝刊での見開き広告(全30段二連版)には迫力と同時に懐かしさを感じました。キャッチは〈誰かの挑戦を、空は待っていた。〉。〈2018年4月12日、霞が関ビルディングは竣工50年を迎えます〉という、三井不動産の企業広告です。朝日新聞でも同内容の広告を掲載していました。

この写真は竣工式のものでしょうね。みなビルをあおぎ見ています(3人ほどをのぞき/笑)。懐かしさを感じたのは、私ができたばかりの霞が関ビルを見に行ったことを思い出したからなのです。

霞が関ビルは、日本初の超高層ビルとして1968年4月12日に竣工しました。地上147m、36階建て。この年の夏、気仙沼高校2年生だった私は東京で働き始めていた兄をたずねて遊びに行きました。どこへ行きたいと問われてリクエストしたひとつができたばかりの霞が関ビルでした。兄が地下鉄の駅はどこで降りるのが便利かなと迷っていたことをおぼえています。たぶん〈霞ヶ関〉と〈虎ノ門〉のどちらが近いのかと考えていたのでしょう。

その日は晴天でした。ビルの一番上をながめると、白い雲がゆっくりと流れていた(ような気がする)のです。そして兄に〈すごいね。なんかビルが倒れてくるみたいだ〉と。なんたって、日本一の超高層ビルですからね。念のため記しておくと、現時点での日本一の超高層ビルは〈あべのハルカス〉。地上300m、60階建て。高さで言えば霞が関ビルの約2倍です。

三井不動産の広告を見て、そのときに感じた印象というか感激を思い出したわけですが、50年経ったいま、霞が関ビルの下から空を見上げたときに、あの16歳のときと同じ若い感激を得られるかどうか。ちょっと自信がありません。首を曲げすぎるとめまいがして、こっちが倒れてしまうかもしれません(笑)。(再掲内容は以上)


霞が関ビルが竣工したのは1968年4月12日です。昨年で竣工50年。私はブログに〈この写真は竣工式のものでしょうね〉と書いたのですが違いました。今回の受賞の言葉に〈67年に行われた上棟式の写真を使用しています〉とありました。

この広告の受賞は、自分のことではないのにとてもうれしく感じてしまったもので、その気持ちをお伝えしたく紹介いたしました。

三井不動産さん、このたびの読売広告大賞グランプリ受賞、おめでとうございました。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 読売広告大賞

魚町地区復興途上

7月14日の三陸新報連載〈今を見る「途上の街」〉は、土地区画整理事業がおこなわれている気仙沼市魚町をとりあげていました。見出しは〈地盤の最終形 見える〉。記事では〈高く積まれていた土が計画高まで整地されるなど、最終形が見えてきた〉と。

現状
三陸新報7月14日掲載記事より

記事によれば、地権者に引き渡された土地では建物の建設が始まり、営業を開始した店舗もあるとのこと。そして防潮堤内側の土地は今月末で地権者にすべて返される予定だといいます。

土地の引き渡しが済んだのは、魚町と南町あわせて6月末現在で84.5%。全290区画のうち106区画から土地の利用申請が出されており、住宅が11区画、店舗が45区画など。今のところ、地権者に返された土地の43%で利用が決まっているそうです。

記事には比較するために2018年8月撮影の写真も掲載されていました。かさ上げ工事中の地盤の高さが目立ちます。中央下に〈福よし〉さんの店舗もうつっています。

以前
2018年8月撮影(上記同記事より)


18歳まで魚町で暮らし今は気仙沼を離れている私にとって、魚町の現状をこうして写真で知ることができるのはとてもありがたい。

いろんな思いがありますが、そのひとつは〈すっかりきれいになってしまって〉というかなんというか。震災から8年と4か月という時間がかかったんだなあということとか。

そして、宮城県の村井知事の魚町の防潮堤が県のミスで22cm高く施工されてしまった問題。県の処分内容の公表後、地元の不満の声は沈静化したのだろうかとか。

3月28日ブログ 「施工ミス」の処分

海側の県道は7月22日(月)に全通するそうです。上の写真にもうつっている防潮堤のフラップゲート部などの詳細もあらためて紹介されることでしょう。この採用にあたってもいろんなことがありました。

2018年12月21日ブログ「 魚町防潮堤その後」
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 防潮堤

クルーシップ加盟

7月6日の三陸新報に気仙沼クルーシップ新規加盟店募集の広告が掲載されていました。募集内容は広告にあるとおりですが、先着50社に限り料金・費用などの特典があるとのことです。


クルーシップ
三陸新報7月6日掲載広告


この広告のなかに〈クルーカード〉という言葉は右下のホヤぼーやの吹き出し部のみですが、気仙沼クルーシップ加盟店になるということは、クルーカード利用可能店舗・サイトになるということです。

気仙沼クルーシップに加盟している店舗やECサイトで利用者がクルーシップカードを提示すればポイントが付与されるというのはわかりやすい話。では、お店側のメリットはとなるとちょっと話が長くなる。そんなことでの説明会を7月23日、月20日、9月9日の3回にわたっておこなうということだと思います。

半年ほど前に同級生から、千葉憲二君が経営する気仙沼「かもめ食堂」ではクルーカードが使えないんだねと聞かれました。そうなんです、使えません。加盟店条件は「原則として気仙沼市内に本店を置く事業者が営む実店舗もしくはECサイト」なのです。これについては1年ぐらい前だったかつぎのようなことがありました。

かもめ食堂が加盟店でないことを知り、経営者である千葉憲二君に電話しました。憲二君は加盟していないし、カードのことなどもよくわからないと。しかし、気仙沼のお役に立てるならもちろん加盟すると。そこで私が詳しい話をクルーシップの担当者に聞いてみたところ、本店が気仙沼にあることが条件なのですと。そうでしたか。なにも無理にお願いすることでもないし、ということで話はおわったのです。

以上が、かもめ食堂でクルーカードがなぜ使えないかという問いへの答です。ガッテンしていただけましたでしょうか。

かもめ食堂は、千葉憲二君が気仙沼復興の一助になればと復活開店させたお店です。その店でクルーカードが使えない、つまり気仙沼クルーシップ加盟店でないというのはなんか気仙沼の観光にとってもったいないというのが正直な気持ち。でも原則だからしかたなし。報告は以上。

まだクルーシップに加盟していないという地元店舗などがあれば、ぜひ説明会へ。下記のサイトにも詳しい説明があります。なお、説明会参加は事前申し込みが必要です。上記広告にもある電話25-7115 ほかFAX、メールでお願いいたします。どうぞよろしく。

公式サイト/気仙沼クルーシップとは
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 気仙沼クルーシップ クルーカード

武山櫻子受賞記事

きのう7月18日の三陸新報にうれしいニュースが掲載されていました。気中同級生の武山美加(みゆき)号:櫻子(おうし)さんの毎日書道展入賞との報。同展は、内容も規模も日本最大の書道展とされています。

武山記事
三陸新報7月18日記事の一部イメージ


武山さんが受賞したのは、第71回 毎日書道展の会員賞(近代詩文書の部)です。これはとてもすごいことなのですが、見出しの〈最高賞〉の強調は誤解を与える可能性があるので少し補足しておきます。

今回の毎日書道展最高賞は「文部科学大臣賞」1名です。ただしこの賞は毎回あるとも限りません。そのため通常の同展での最高賞/グランプリとされているのが「会員賞」です。今回は26名が受賞しました。部門別受賞者数でいうと漢字(10)・かな(4)・近代詩文書(6)・大字(2)・篆刻(1)・刻字(1)・前衛(2)。武山さんはこの近代詩文書部門(6名)中のひとりです。記事では〈近代詩文書の部で最高賞の「会員賞」〉としています。正確に記したほうが武山さんのためとも思い、あえて記しました。

記事では、櫻子さんの父 武山櫻光(おうこう)さんのことにも触れています。櫻子さんは櫻光さんが亡くなったのを機に、1999年に気仙沼へ帰り、父親の跡をついで書の道を歩んできたと。同級生のなかには、南町にあった櫻光先生の書道教室で教えてもらった人も多いと思います。今回の毎日書道展での櫻子さんの受賞をお父様も心から喜んでいることでしょう。その受賞の難しさ、素晴らしさをよく知っているだけに。

記事にある作品画像を拡大してみましょう。俳人 鈴木鷹夫の句「鈴なって鞍馬をこゆる破魔矢かな」。〈越ゆる〉を〈こゆる〉と書き換えているかもしれません。私はしっかりと読めませんでしたが、(受賞したからいうわけではありませんが)とてもいい書だと思いました。好きですね。記事の画像は余白が十分ではないのがちょっと残念ですが。


櫻子作品


話は変わるのですが、毎日書道展を主催する毎日新聞の本社がある東京・竹橋のパレスサイドビル1階に毎日書道会のギャラリーがあります。顧客企業のオフィスがこのビルにあったので、訪問のたびにギャラリーのウィンドーをながめていました。その頃に展示されていた書のひとつが金子鴎亭(おうてい)さんの作品。これも全部の文字を読みとることはできませんでしたが、筆の動きを追いながら見ているだけで心地よさを感じたものです。

金子鴎亭さんは、毎日書道展の創設に尽力した書家のひとり。文化勲章も受章。平成13年に亡くなっています。今回はじめて知ったのですが、金子さんは漢詩句などではなく日本語の詩文を書の題材とする近代詩文書運動をすすめた方でした。武山さんが受賞した「近代詩文書」部門が、金子鴎亭によって切り拓かれた分野だったことを知り、なにか縁というかうれしい気持ちを感じました。

そんなことを思いながら、武山さんの受賞作品をながめなおすと、さらに味わいが深まるような気もします。

武山櫻子/美加さん、このたびのとても大きな賞の受賞、おめでとう。本当に素晴らしい。心からお祝いを申し上げます。


なお、2015年の河北書道展における武山さんの「東北放送賞」受賞については次のブログにて。このときに彼女が書とした詩文は、気仙沼市魚町の名店「福よし」の大将、村上健一さんであることなども記しました。

2015年8月24日ブログ「祝!武山櫻子受賞」
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 武山櫻子 毎日書道展

同窓会の役員交代

本日7月18日(木)の三陸新報1面コラム「万有流転」(ばんゆうるてん)に、7月13日に東京で開催された気仙沼高校関東同窓会の様子が紹介されていました。


万有流転
三陸新報7月18日記事より(クリックで拡大)


当日は、来賓として三陸新報社の代表取締役である浅倉眞理さんも出席されていました。このコラムも浅倉社長によるものでしょう。

私も同窓会や懇親会の様子を断片的ではありますが7月15日のブログで紹介しました。そこでは記さなかったことが万有流転で書かれていましたので、あらためて紹介します。

気高関東同窓会の会長は奥沢久美子さん(鼎が浦高28回生)から佐藤寿浩さんにバトンタッチされました。奥沢会長、いろいろと苦労の多い役割をつとめていただき、ありがとうございました。

佐藤新会長は、気仙沼高43回生。私たちより21学年下ということになります。野球部出身とのことでした。同学年には武山米店の武山健自さんなどがいます。万有流転には〈若い会長を中心に、若い役員たちがこれからを担っていく〉と記されていました。どうぞよろしくお願いいたします。

同コラムには、鼎が浦(実科女学校)1回生そして気高2回生の出席に触れ、〈元気が何よりとつくづく感じさせられた〉とも。同感。鼎1回生は大石さん、気高2回生は日沼さんです。お二方とも私たちの20年先輩にあたります。どうぞますますお元気にと願わずにはいられません。ご出席、ありがとうございました。

コラム万有流転の結びに、みんなで踊った「気仙沼音頭」のことが書かれていました。もちろん私もその輪に入りました。なかなかうまく踊れません。見よう見まね。練習用として、三橋美智也さんが歌う気仙沼音頭の音声つきブログ記事を掲げておきます。どうぞ皆さんご一緒に。

2014年8月4日ブログ「気仙沼音頭の歌詞」
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

船乗りのピッツア

本日は1年前の雑誌記事の紹介です。雑誌「dancyu」(ダンチュー)2018年7月号。冒頭の土田美登世(つちだみとせ)さん連載「カルパッチョの真実」12回目はピッツァのネーミングの話でした。


ピッツァ
「dancyu」(プレジデント社刊)2018年7月号より


その詳しい内容紹介は省略しますが、この文章で私がいままで知らなかった2つのネーミングの意味が記されていました。

まずははじめは、〈マリナーラ〉です。上の画像の左頁にうつっているように、トマトソースにオレガノとニンニクがトッピングしてあります。私はそのマリナーラ(marinara)の意味を考えたこともなかったのですが、イタリア語で〈船乗り〉のことなのだそうです。なるほど、英語でいえばmariner。シアトルの船乗りであればシアトルマリナーズかな。

そしてつぎの話が〈ペスカトーレ/pescatore〉です。ピッツァのほかにパスタ/スパゲッティなどでもおなじみ。私は魚介類がいろいろ使われているという程度の理解でしたが、イタリア語で〈漁師風〉のことだと。調べてみると単に〈漁師〉のことでもあるようです。

マリナーラ〈船乗り〉そしてペスカトーレ〈漁師〉。いずれもイタリアの港町ナポリで名付けられたわけですが、こんなに気仙沼にぴったりのメニューもなかなかありませんね。

土田さんは記事のなかで、なぜ〈マリナーラ〉と名付けられたかについて2つの説を紹介していますが、内容紹介は略します。なお〈マルゲリータ〉は、イタリアの王妃マルゲリータがナポリを訪れたときにこのピッツァが献上されたことに由来するそうです。トマトの赤、モッツァレラチーズの白、バジルの緑がイタリアンカラーであると。なるほど。

小田クン、そんな話はみんなすでに知ってるよという声がどこからか聞こえてくるような気もしますが、新しい知識を得た喜びのお裾分けということで。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : dancyu

柳家三壽師匠の話

7月13日(土)の気仙沼関東同窓会では楽しい時間を過ごすことができました。いつものことながら、準備から当日の運営まで、貴重な時間をさいてくださった会長はじめ役員の皆さまにお礼を申し上げます。

昨日のブログでお伝えしたように、同窓会の懇親会は気仙沼向洋高校の皆さんと合同でおこなわれました。そして、プログラム中のアトラクションとして登場したのが落語家の柳家三壽師匠。三壽さんは、気仙沼市鹿折(ししおり)出身の落語家です。お弟子さんお二人と一緒になぞかけなどで楽しませてくれました。

柳家三壽さんは先月、「落語家、医者に頼らずがんと生きる」という著書を発刊されました。祥伝社刊。6月5日の三陸新報もその新著を紹介していました。


三壽師匠
三陸新報6月5日記事より


Amazonサイトの内容紹介によれば、2008年に前立腺がんを宣告されながらも、手術・抗がん剤・放射線という標準治療を断り、玄米と野菜を中心とした自己流の食事療法でいまに至るとのこと。三壽さんは、がんの宣告を受けてから現在まで食事療法の日誌をつけ続けています。そうした実体験に基づく「がんとの共存」の掟を本書に記したとのことです。

がんに限らず、標準治療とは異なる治療法を選択しての成功話をつづった本が書店にもたくさんならんでいます。しかしその片方では、失敗体験談も多くあるのです。標準治療を選んでおけばよかったと。本人はいまはおらず家族の反省の言葉であったりもします。

そんなことで、三壽さんが自著の「はじめに」で記す「自己流の食事療法」を安易にほかの皆さんに勧めるわけにはいきません。あくまで、気仙沼、それも魚町のご近所である鹿折出身の柳家三壽さんが祥伝社からご本を出したことを皆さんにもご紹介したく。

三壽さんは、落語協会サイトによれば本名が鈴木猛(たけし)さん。1946(昭和51)年5月生まれです。現在73歳。1971年に5代目 柳家小さん師匠に入門。1985年に真打ちに昇進しています。

ここまでが三陸新報や落語協会情報ですが、これらは落語でいえば〈マクラ〉。面白いのはここからです(笑)。

鈴木猛さんは、2007年に東京の足立区議選に立候補したことがあるのです。当時の朝日新聞配信記事によれば、明治大学在学中に学生運動に没頭し、卒業後に5代目柳家小さん師匠に入門したと。気高同窓会名簿をみてみると、気高17回生でした。私たちより5年先輩です。明治大学法学部に進んでいます。まさに団塊の世代だなと思ったら、足立区議選への立候補は超党派の団体「団塊世代を地方議会に送るネットワーク」から声がかかったことがきっかけだったそうです。

当時は60か61歳だと思います。元気ですよね。しかしやっていることが、失礼な言い方になるかもしれませんが、とても面白い。このあたりの話も聞いてみたかった。三壽師匠、懇親会では大変お世話になりました。ありがとうございます。

おっといけない、区議選の結果をお伝えするのを忘れていました。落選です。まさに〈落語〉。おあとがよろしいようで。



 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

関東同窓会の報告

7月13日(土)は気仙沼高校関東同窓会でした。会場は例年どおりルポール麹町(旧 麹町会館)です。気高の同窓会総会は11:30から、そして12:00からは気仙沼向洋高校関東同窓会と合同しての懇親会でした。こまかな式次第やプログラムは省略して、当日の写真を紹介します。

まずは懇親会の全体の雰囲気から。菅原茂気仙沼市長が挨拶に立っています。

全体

アトラクションなどをおえての新旧校歌斉唱。まずは気仙沼向洋高校(旧 気仙沼水産高校)から。

向洋

つぎは旧 鼎が浦高校。2005年に旧気仙沼高校と統合して新しい気仙沼高校となりました。

鼎

そして旧 気仙沼西高校。2018年4月に気高と統合しました。西高1回生の3名が参加してくれました。まだ慣れない関東同窓会だったと思いますが、ありがとうございました。いまこうして写真を見ていて、西高の話などをきいてみればよかったと反省しています。来年、またお会いしましょう。右の赤いリボンの来賓は、気仙沼市議会副議長の千葉慶人さん(気高)です。

西高2

つづいて旧 気仙沼高校。つまり男子校時代の気高です。

気高

最後に新 気仙沼高校の皆さん。今年4月に新任した狩野秀明校長や同窓会幹事らも加わって。右側の来賓の赤いリボンをつけた方が狩野校長。左の赤いリボンは気仙沼高校同級生で仙台同窓会会長の西村明男君(松岩中)です。

西高

会場で会った人やみんなとかわした楽しい話などはまた別の機会にと。なお、懇親会の司会は今年も鼎が浦高校出身のフリーアナウンサーで、文化放送「走れ歌謡曲」やFM FUJI「GOOD DAY」のパーソナリティとしても活躍する佐藤千晶さんでした。母校の同窓会ということでこころよく引き受けてくださっているのでしょう。今回もありがとうございました。

佐藤千晶オフィシャルブログ

午後3時に閉会。私たちは新橋に流れてほかのメンバーと合流しての2次会を。

新橋

新橋の会をおえたのが午後6時ごろだったでしょうか。いつものことではあるのですが、終わってみればあっという間。電車のなかで、はなし忘れたことや、話をしようと思っていながら話せなかった人、ご挨拶しそびれた方などのことを思い出していました。

こうして同窓会などで顔を合わせる人はいつも同じようでいて、体調をくずして来られなかった人もいるわけですよね。〈また会いましょう。健康管理にお互い気をつけてね〉という別れぎわにかわす言葉が年々リアルな響きを増していくようにも感じます。

というようなことで、とりあえずの東京同窓会のご報告といたします。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 関東同窓会

プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/67~68歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

最近の記事
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

最新コメント
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

カレンダー
07 | 2019/08 | 09
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
RSSリンクの表示