シャークスの受賞

気仙沼のサメ皮を使ったオリジナル商品を企画・販売している〈シャークス〉が「新しい東北」復興ビジネスコンテストで、仙台銀行地方復興創生応援賞を受賞しました。このコンテストは、復興庁が設立した「新しい東北」官民連携推進協議会が、被災地における地域産業の復興や地域振興に資する事業の活性化を目的に開催するもの。今回が3回目となります。

ビジネスコンテスト
復興ビジネスコンテスト公式サイトより(クリックでサイトにジャンプ)

今回は、239件の応募のなかから大賞1件、優秀賞3件、協賛企業が選定する賞11件が受賞。シャークスに対する賞は協賛企業のひとつ仙台銀行さんによるものです。コンテスト結果は昨年11月11日に発表され、12月16日に郡山市で表彰式が開催されました。

受賞式2
シャークス熊谷牧子さん(右)と仙台銀行 佐藤彰常務取締役(上記サイトより)

なお、大賞は株式会社 JDSoundの「被災地石巻でMade In Japan のオーディオ製品を作ります」。スピーカー付き小型DJ機器「GODJ Plus」を製造・販売する事業です。

(株)シャークスの代表は熊谷牧子さん。私たちの同級生である渡辺まさ子さん(3年5組)の妹さんです。私は昨年2月に目黒パーシモンホールでの気仙沼物産展でお目にかかったこともあり、今回の受賞を大変うれしく思いました。

シャークスについては、昨年のブログでも紹介しました。我が家では、長財布、名刺入れ、キーホルダーを愛用していますが、とてもいい。なお、南町紫市場にあった店舗は、昨年9月に福幸小町田中通り105(気仙沼市田中前4-2-1 電話0226-24-5760 )に移転しています。どうぞよろしく。

シャークス/ネットショップ

2016年7月26日ブログ「気仙沼「SHARKS」」
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南小歩道橋の復活

昨年12月27日の三陸新報にこんな記事。

学童橋
三陸新報2016年12月27日記事の一部イメージ(クリックで拡大)


気仙沼の内ノ脇地区と南郷地区を結ぶ〈南小歩道橋〉が復旧されました。旧・南気仙沼小学校(南小/なんしょう)の多くの児童が利用したことから〈学童橋〉と呼ばれていたそうです。1967年に開校した南小は2012年3月で気仙沼小学校と統合して閉校、45年の歴史の幕を閉じました。復活した歩道橋は今後、内ノ脇と本郷のふたつの災害公営住宅を結ぶ橋となります。

新年1月8日の三陸新報〈論説〉でも、この歩道橋のことをとりあげていました。

学童橋論説
三陸新報1月8日論説の一部イメージ(クリックで拡大)


南郷地区や南小の歴史などにもふれながらつづられたこの論説は、なにか心にしみるような感じがいたしました。筆者はこの橋を利用するなど内ノ脇や本郷地区をよく知る方なのでしょう。以下に引用します。

「 (前略)正式名称は「南小歩道橋」。1967年(昭和42年)に開校した南小が建つ南郷は当時、一帯が水田だった。公立病院(現市立病院)が河原田から田中に移転して3年ほど。本郷や田中前も同様で、住宅はまだまだ少なかった。

 南小に通学していた児童の多くは、大川を挟んだ内ノ脇、幸町、仲町など、開校前は気仙沼小学校区の子供たち。南小歩道橋は、子供たちの通学には無くてはならない橋だったのである。

 初代は木造の橋だ。子供たちの姿は当時、休みの日でも絶えなかった。カマキリやザリガニ、フナなどを捕りに行ったり来たり。橋の上ではハゼなどを狙って釣り糸を垂らす子供のほか、大人の姿もあった。

 高度経済成長とともに、南小周辺をはじめ田中前は住宅や商店、事業所が建ち始めた。通学のほか、買い物や通院など、大人にとっても日常生活で欠かせないものになっていく。

 開校から8年後の75年(昭和50年)、コンクリート製の橋に架け替えられた。津波で流出した旧歩道橋である。子供たちの安全確保のため、両側の金網が高く張られるようになっても、子供たちの元気な声は変わらなかった。春ともなれば、大川左岸の桜並木に花見客が繰り出し、にぎやかな時間は夜まで続いた。」(引用中断)

ここまでは〈学童橋〉ができてから震災までの歴史。その後はつぎのように続きます。

「 旧橋の流失する光景は、南小に避難した多くの市民が目にしたことだろう。家屋などの建物や自動車を巻き込み、大川をさかのぼってきた津波は、橋をものみ込んだ。橋は激流にあらがうこともできず、いとも簡単にのみ込まれた。

 あれから6年近くたっての復活。しかし、たもとにあった南小は、気仙沼小に統合されてなくなった。代わって両岸には災害公営住宅が建った。復興事業が進む内ノ脇には、運動施設の整備が予定され、気仙沼大橋も架け替えられる。

 街並みは表情を変えていく。新設された「学童橋」は「南小」という名前は残ったものの、その役割は街並みと同じく変わらざるを得ない。新たな市立病院が赤岩杉ノ沢に完成すれば、住民の往来は増すだろう。前の橋と同様、地域に愛される橋となることを願う。 」(引用は以上)

〈学童橋〉36年間の歴史とこれからがとてもうまくまとめられていて省略が難しく、長い引用となりました。ご容赦いただければと。

南小歩道橋両岸地域の変遷を述べたこの論説には、失ったものに対する郷愁の思いがにじんでいました。〈論〉というよりも〈情〉を感じさせる文章であったように思います。

南小には、小山隆市君をはじめ、幸町や仲町、内ノ脇に暮らす私たちの同級生の息子さんや娘さんも通いました。そうした南小出身者や父兄にとって、学童橋復活に対する思いは格別のものがあるでしょう。

末尾になりましたが、明日1月14日は小山隆市君(3年6組)の命日。4年たちました。

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南町商店街の復活

1月8日(日)の三陸新報、一面下につぎの広告が掲載されていました。

あさひ広告
三陸新報1月8日掲載広告より

気仙沼のあさひ鮨さんが成人の日にあたって掲載したものです。私の目を引いたのは、右上の〈南町二丁目災害公営住宅と商店街イメージ〉です。拡大してみましょう。

魚町2丁目商店街

広告文の中にはつぎの記述がありました。〈本年はいよいよ南町商店街と共に四月下旬の開店を目指して、南町猪苗代病院様向かいにあさひ鮨本店の新築準備に入っております。気仙沼内湾地区の復興は未だ道半ばですが、南町商店街の復活で、内湾地区に本格復興の明りを灯したいと願っております〉

〈南町商店街の復活〉という言葉にあさひ鮨 村上力男さんの強い思いを感じます。南町では、一丁目の災害公営住宅が昨年10月末に既に完成、入居が済んでいます。場所は以前のあさひ鮨本店や花久さんあたりと言えばわかるでしょうか。そして南町二丁目災害公営住宅は、元の福建楼や丸和のガソリンスタンドあたりからマンボ通りを含めてフジノ薬局の方までじゃないでしょうか。かなり推測がまじります。

日刊建設新聞によれば、イメージ図の道路側は2階建ての店舗棟。向こう側は5階建ての住居棟で1階には商店が、2〜5階は気仙沼市が買い上げての24戸の災害公営住宅となります。デッキで結ばれた複合ビル全体で24軒の商業店舗が入居するとのことです。完成とオープンは本年4月15日を予定しています。

そしてあさひ鮨本店は災害公営住宅に隣り合う形でできるのではないでしょうか。猪苗代病院の向かいと書いてありますから、元の佐々木写真館あたりでしょうか。震災後は復興商店街南町紫市場で営業を続けてきましたが、震災後6年を経て独立店舗での営業を開始することになります。

6年経ってやっとですね。そして、この新しい〈商店街〉完成の前の3月末、南町紫市場の退去期限を迎えます。新商店街に移る店もあれば、ほかの地区に移ったり、これを機に閉店というところもあるのかもしれません。

南町二丁目の複合ビル完成まであと3か月です。無事にオープンの日を迎えられますようにと願っております。

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ミッフィー里帰り

気仙沼ニッティングによる真っ赤な帽子とカーディガンを着たミッフィーの人形が気仙沼に里帰りしています。この話題は昨年12月24日の三陸新報も報じましたが、河北新報も1月8日に紹介してくれました。

河北ミッフィー

河北新報1月8日配信記事より(クリックで記事にジャンプ)

河北新報の記事を以下に引用します。

 宮城県気仙沼市で手編みのニット商品を製作・販売する気仙沼ニッティングの店舗「メモリーズ」で、真っ赤な帽子とカーディガンで身を包んだ「ミッフィー」の人形が展示されている。(中略)人形は高さ180センチの特大サイズ。大きな耳が隠れる帽子をかぶり、ボタンが印象的なカーディガンを着ている。衣装は生誕60周年記念の全国巡回展に合わせ、気仙沼ニッティングが作った。
 巡回展は昨年末で終了。人形はチャリティーオークションに掛けられ、落札者の厚意で衣装の里帰りと共に公開が実現した。「耳の曲線を包むのが難しかった」と製作に携わった田村純子さん(60)。御手洗瑞子社長(31)は「ニットでさらにかわいくなったミッフィーを間近で見てほしい」と言う。(引用は以上)

私は2015年4月に東京・松屋銀座で開催された〈ミッフィー展〉で、この〈気仙沼ミッフィー〉を見ています。会場では数あるミッフィー人形の中でも一番人気(気中20調べ)でした。なお、三陸新報の記事はこんな感じ。

12:24ミッフィー
三陸新報2016年12月24日記事の一部イメージ(クリックで拡大)

この記事では、御手洗社長が「気仙沼から素晴らしい作品が出ていることを多くの人に知ってもらいたい。気軽に足を運んで欲しい」とのコメントが紹介されています。「メモリーズ」ってどんな感じかなと思いながらも、商品を買わずに見るだけというのもなんだかなあという方も多いことでしょう。この機会に是非、ミッフィーちゃんを見に、柏崎「メモリーズ」に足を運ばれてはいかがでしょうか。

見学は無料で土日・祝日の午前11時~午後5時。メモリーズの所在地は気仙沼市柏崎1の12。連絡先は0226(25)7326です。どうぞよろしく。

気仙沼ニッティング「メモリーズ」地図
2015年4月21日ブログ「気仙沼ミッフィー」

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梅村さん紹介映像

きのう1月10日のブログで、ニット製品などで気仙沼の母親たちの雇用創出に努める梅村マルティナさんの、「the Positive Awards 2016」受賞を紹介しました。本日はその続き。同賞授章に際して、NGO「ポジティブプラネットグループ」が制作したマルティナさんの紹介ビデオ。約2分半の動画です。



賞名が「THE POSITIVE CITIZEN AWARD」となっていますね。「THE POSITIVE AWARDS」の中の「THE POSITIVE CITIZEN AWARD」ということなのでしょう。ポジティブ市民賞。

冒頭の空撮風景は以前にマルティナさんのアトリエがあった唐桑だと思います。ふたつの湾がうつっていますが、どこの海岸か。はじめにうつったのは只越(ただこし)湾でしょうか。

後半に登場する梅村Hiroshiさんは、マルティナさんの〈mari〉であるとのフランス語のキャプション。ご主人ですね。その右は、「三陸復興トモダチ基金」の気仙沼信用金庫さん関係者だと思うのですが。

下記のマルティナさんの気仙沼FSアトリエのホームページには、これまでの活動の経緯が詳しく記されています。その中のブログでは、今回の「THE POSITIVE AWARDS」における受賞の様子やほかの受賞者などの活動も紹介されています。どうぞご覧ください。

ホームページの記述によれば、気仙沼FSアトリエの〈FS〉は「Friedenssocken」=平和の靴下という意味とのこと。 気仙沼からお届けする毛糸にふれていただくことで、みんながしあわせに……という願いを込めているそうです。

梅村マルティナ気仙沼FSアトリエ公式HP

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祝マルティナさん

気仙沼でニット製品づくりなどをてがける梅村マルティナさんが、開発途上国で金融支援などに当たるNGO「ポジティブプラネットグループ」(本部パリ)が主催する「the Positive Awards」に選出されました。下の写真は、12月7日にパリのルイヴイトン財団で開かれた授賞式の様子。前列の右寄りにマルティナさんがうつっています。

梅村さん
「ポジティブプラネットジャパン」公式サイトより

昨年12月29日の三陸新報も紹介していました。

12月29日マルティナ
三陸新報12月29日記事の一部イメージ(クリックで拡大)

三陸新報の記事を引用します。

小規模事業で成果をあげた世界各地の起業家を表彰する「the Positive Award(ポジティブアワード)」で、ニット製品作りなどで、母親たちの雇用創出に努める気仙沼市の「梅村マルティナ気仙沼FSアトリエ」の梅村マルティナさん(57)が表彰された。市内では、2012年に表彰されたピースジャム代表の佐藤賢さん以来、2人目。

表彰は、開発途上国で金融支援などに当たるNGO「ポジティブプラネットグループ」(本部パリ)が主催。(中略)梅村さんは、ドイツ出身。医学研究のために来日し、京都に在住していたが、東日本大震災後から被災地で支援活動を展開。2012年3月に仮設住宅の主婦らとともに毛糸の輸入販売やニット製品を製造販売する事業をスタートさせ、唐桑町にアトリエのほか、気仙沼駅前に直営店をオープンさせた。現在、アトリエは市内松崎下赤田に移転。市内在住の母親8人を雇用している。(引用は以上)


「ポジティブプラネットグループ」の日本拠点「ポジティブプラネットジャパン」は、気仙沼信用金庫と「三陸復興トモダチ基金」を2011年11月に創設しました。三陸新報の記事によれば、 これまで梅村さんの会社をはじめ、気仙沼信金管内の事業者約430件に支援を行っているとのこと。この基金については、あらためて紹介することにいたします。

梅村マルティナさんの気仙沼での活動に敬意を表するとともに、今回の受賞のお祝いを申し上げます。おめでとうございました。


なお、梅村マルティナさんの活動については、昨年1月に気仙沼ニッティングの御手洗さんとともに読売新聞でとりあげられ、このブログでも〈気仙沼発のニット〉として紹介しました。こちらもご覧いただければと。

2016年1月8日ブログ「気仙沼発のニット」

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謙さんと鶴瓶さん

本日夜のテレビ番組紹介です。笑福亭鶴瓶さんのTBS「A−Studio」に渡辺謙さんが登場します。

渡辺謙
番組HPより(画像クリックでジャンプ)

◎TBSテレビ系列(気仙沼はTBC東北放送)
◎1月6日(金)23:15〜23:45
◎A−Studio

・背中けとばす!? 妻の役割
・大親友&気仙沼との絆

以下は、TBS番組紹介文から。

笑福亭鶴瓶が自ら事前に極秘取材を行い、ゲストの素顔に迫るトーク・バラエティー!

今年最初のゲストは6年半ぶり2回目の登場となる渡辺謙!実は鶴瓶とはデビュー当時NHKの時代劇で共演した旧知の仲!気心の知れたリラックス・ムードのなか、ハリウッド俳優の日常生活や素顔が次々と明らかに !? 一昨年には『王様と私』でついにブロードウェイに主演、作品はトニー賞の4冠を達成!昨年は病を克服し再演も果たした渡辺だったが、そこに至るまでには過酷な舞台裏と隠された苦悩があった。鶴瓶は一方、渡辺が“マブダチ”と語るロス在住の親友を取材。せっかちでビビり(!?)なハリウッド俳優のプライベートとは !?

さらに鶴瓶は渡辺が経営する宮城県・気仙沼のカフェも訪問。震災を乗り越え未来を見つめる仲間たちとの絆。さらに南果歩に鶴瓶が訊く……“世界のケン・ワタナベ”の妻でいることの想いと本音とは…!?(引用は以上)

気仙沼での取材映像は番組後半からですかね。謙さんのカフェK-portを紹介しながら、気仙沼の人たちと鶴瓶さんのやりとりもあるようです。楽しみですね。どうぞ皆様もご覧ください。

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三陸の日の出写真

1月1日付け三陸新報(地元では「三陸」と呼びます)のトップ記事写真。

1:1日の出

三陸新報1月1日記事の一部イメージ(クリックで拡大)


これは、よくある新春のイメージ写真ではありませんね。キャプションには「気仙沼市古谷館八幡神社から朝日を望む。松崎片浜、御崎地区では河川堤防の建設が進むが、片浜地区の将来像は見えていない(左手写真奥は大島・亀山)」と。

震災時、松岩地区の古谷館八幡(こやだてはちまん)神社には近隣の多くの人が避難しました。そこから、多くの家屋や事業所が津波に流されていくのを目の当たりにしたのです。三陸新報の写真下部の暗闇には、いまだ多くの被災の跡が残っていると思います。

記事のリード文に〈震災から7年目になる今年〉とありました。そうか、3月11日を過ぎると7年目を迎えるのか。震災から3年とか5年とか、いろいろ語られてきましたが、2017年は震災から6年を経て、7年目を迎える年なのですね。

〈良い写真〉と呼ぶと怒られるでしょうが、いろんなことを考えさせてくれる〈三陸の日の出写真〉でした。

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謹賀新年2017

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。ゆっくりとお正月を過ごし、本日が仕事はじめです。

元日は、初日の出をながめに多摩川へ。自宅から坂を下って10分もすれば川辺に出るのですが、まさにはじめての初日の出。まぶしいばかりの金色の耀きに神々しいものを感じました。日の出を見てから、帰り道にあるお不動さんに初詣。

あいにくバッテリーがきれて初日の出の写真は撮れませんでした。その代わりといってはなんですが、2日の夕方に二子玉川の駅からながめた夕陽の写真を。実に素晴らしい色でした。ホームの向こうは多摩川。そのまた遠く中央部にあるマンションの右側の陰影が冨士山です。

日の入り

そして本日4日。仕事場の最寄り駅についたとき、近くの神社への初詣を思いつきました。代々木八幡。かなり長い行列ができていましたが、途中でひきかえすわけにもいかず、列に加わりました。参道の両側には近隣小学校児童の書がたくさんかざられています。「希望の朝」「新春の光」。私が書き初めをするとしたらなんと書くだろう。ちょっと長いけれど「青春の光と影」でしょうか(初笑)。

本年も元気に楽しく過ごすことができればなによりです。どうぞ、みなさまにとりましてもより良い年となりますように。

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気仙沼の2016年

12月28日の三陸新報に、2016年〈あなたが選ぶ気仙沼市の五大ニュース〉候補21項目が掲載されていました。

5大ニュース候補
三陸新報12月28日記事より

この〈五大ニュース〉は、気仙沼市教育委員会と市立公民館の主催。昭和20年から続く年末年始の恒例行事で、今年で70回目となります。投票は1月5日から18日まで。投票箱は、学校などの公共施設、仮設住宅集会所など66カ所に設置されます。

昨年2015年の五大ニュースも紹介しておきましょう。

1:畠山健介選手、ラグビー・ワールドカップで大活躍
2:生鮮カツオの水揚げ19年連続日本一
3:「ホヤぼーや商品券」大人気、初日で完売
4:サンマ不漁で大苦戦
5:災害公営住宅の入居始まる。防災集団移転事業で住宅再建進む

2015年の4位となっているサンマ不漁は、2016年の候補にははいっていませんね。特段のニュースではないということでしょうか(笑)。今年もいろんなことがありましたが、皆様やご家族にとっての今年のニュースはどんなことだったでしょうか。

今年のブログはこれにて。本年もご愛読いただきまして、本当にありがとうございました。どうぞ皆様、よい年をお迎えください。

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あたたかなきもち

きょうは12月29日、本年もあと3日。そんな年の瀬、三陸新報には連日〈寄付〉の記事が掲載されています。たとえば、12月23日の寄付欄はつぎのような内容でした。

1:23寄付
三陸新報12月23日掲載記事より

気仙沼の児童養護施設「旭が丘学園」に対する寄付内容には、企業や医院、団体などのほかに個人名も多く記されています。そして2日後、25日の三陸新報にはつぎの記事が。

クリスマス会

三陸新報12月25日記事の一部イメージ

旭が丘学園で、12月23日に恒例の「クリスマス子ども会」が開かれたそうです。保護者をはじめ、日頃からお世話になっている地域住民や団体、教育関係者らを招いての催しとのこと。このクリスマス会は、お世話になっている方々へのお礼の会でもあるのですね。

「旭が丘学園」は私たちが小さなころありましたが、いつ頃できたのでしょう。そう思っていつもの「気仙沼文化史年表」で調べてみると、その歴史は昭和22年に「本吉少年農場」が「拓濤院」と改められたころにさかのぼります。ちょっと長くなるので、またつぎの機会に紹介することにいたします。

なお、本日紹介した旭が丘学園に対する寄付は、あくまで一例としてのご紹介。季節によっては水産関係団体からのまぐろの刺身や、寿司店関係者によるにぎり寿司など、同学園や社会福祉施設に対して月を問わず様々な方々のご厚意が寄せられています。

震災後、気仙沼に対しては全国から多くのご支援をいただいています。このブログでも何千万円という規模の寄付などを御礼とともにご紹介してきました。しかし、なんて言ったらいいんだろう、そうしたことに慣れてはいけないのでしょうね。そう思うせいなのか、三陸新報の寄付欄に記された、お名前に続いての3千円とか5千円という金額を目にすると、その気持ちのあたたかさが本当に身にしみてくるのです。

いよいよ今年もおしまいだなという、かなり特殊な心理状態におちいっているこの年の瀬です。

(追記)23日の寄付欄紹介はあくまでも一例と文中でも記しましたが、本日29日の三陸新報の寄付欄にも旭が丘学園に対するさらに多くの方々からのご寄付が紹介されていました。そのなかに同級生をはじめ、多くのよく知る人の名や店舗名を見つけ、大変うれしく思っております。ありがとうございました。

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鹿折から海外へ!

気仙沼鹿折加工協同組合の復興事業については、このブログでもたびたび紹介してきました。鹿折(ししおり)地区は、私が生まれ育った魚町に隣接する地域だけに、その成り行きが気になるのです。本日紹介するのは12月27日の三陸新報の記事。同組合が来月からシンガポールで商談会などを開くにあたり、26日に海外出発式を開催しました。

12月27日鹿折
三陸新報12月27日記事の一部イメージ

記事では、同組合の川村賢壽理事長の挨拶を紹介しています。「ハード面の整備は進んでいるが、新規販路の開拓などが課題。世界では魚の消費が拡大傾向にあり、生き残りをかけて東南アジアへの輸出を決めた」と。

シンガポールでは、これまで30都道府県160社の輸出サポート実績のあるキュアテックス社(本社・東京)が組合員の商品を売り込むとのことです。そして2017年度末までのこれらの取り組みに対し、農林中央金庫は支援金約5千万円を寄付し、三井物産も総合的に支援してくださっています。

農林中央金庫さんの5千万円の寄付と聞いて、思い出しました。気仙沼鹿折加工協同組合に対しては、キリングループから日本財団を通し〈復興応援キリン絆プロジェクト〉の5000万円の支援がなされています。

農林中央金庫さん、三井物産さん、キリングループさん、そして上記の記事には記されていませんでしたが組合設立でお力添えをいただいた住友商事さんはじめ、関係者の皆様にお礼を申し上げます。継続的なご支援、本当にありがとうございます。

(追記)上記の記事写真で左端にうつっているのは、カネシメイチ代表の小山修司君(3年5組)でした。教えてもらってあらためて見るとたしかにそうです。修ちゃん、気付かずにごめんなさい。

2014年2月27日ブログ「キリンさんの支援」
河北新報12月27日配信記事
NHK東北ニュース12月26日配信記事(動画あり)

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大島常駐医師募集

12月19日のブログでお伝えした気仙沼大島の無医地区化に関しての続報がありましたので紹介します。12月23日(金)の三陸新報から。

11:23医師公募
三陸新報12月23日記事の一部イメージ


大島医院の山本馨医師が退職することを受け、気仙沼市が医師の募集を開始したという記事です。募集内容を簡単に紹介しておきましょう。

募集している医師は内科医など1人。大島架橋が2018年度末に完成することを踏まえ、「最低2年間」の診療ができること。年齢不問。主要な医療用機器は備えており、敷地内の医師用住宅も無償貸し付けとのことです。

この医師の募集要項は、つぎの気仙沼市ホームページをご覧ください。

気仙沼市公式サイト/大島地区開業医師募集

この医師募集については、河北新報も12月22日に配信しています。記事内容は上記と同様ですが、大島の世帯数などの現況が記されています。〈大島には10月末時点で1057世帯2638人が暮らし、高齢化率は47.4%〉。高齢化率が市内平均よりも高いような感じがしますが、市内平均の詳細を調べる余裕がありません。本日はこれにて。

河北新報12月22日配信記事

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すがとよ本設開店

角星さんや紅梅さんの魚町での営業再開について、11月7日のブログでご紹介しました。本日は、鹿折地区での「すがとよ酒店」本設開店をご紹介します。まずは12月17日(土)付け三陸新報掲載の広告から。

すがとよ開店
三陸新報12月17日掲載広告の一部イメージ

広告にはお三方の名前が記されています。菅原文子さんは「すがとよ酒店」のおかみさん。豊樹さんと英樹さんは、その息子さんです。文子さんは、震災の津波でご主人の豊和さんを失いました。鹿折のかもめ通りにあった店舗も津波で被災しましたが翌月の4月23日には太田地区のプレハブ店舗で営業を再開しました。そして今回、鹿折に戻っての本設店舗の開店を実現したのです。

12月17日の三陸新報には、菅原さんが、震災での犠牲者の慰霊と地区の復興を願う地蔵堂を店舗前に建立したとの記事も掲載されていました。記事によれば、地蔵堂は鹿折地区の「石橋のお地蔵さん」の再建で縁がある京都・壬生寺の松浦俊海住職が、鎮魂とともに、にぎわいを取り戻すため、人と人の縁を結ぶことを願って贈ったとのことです。上で紹介した広告の左下にうつっているのがこの地蔵堂だと思います。

12:17地蔵堂
三陸新報12月17日記事の一部イメージ(クリックで拡大)

菅原文子さんが、第2回「恋文大賞」手紙部門で大賞を受賞したことをおぼえている方も多いことでしょう。震災の年8月時点では行方不明だった豊和さんにあてた手紙〈あなたへ〉です。5年前、このブログでも紹介しました。文子さんは手紙のなかで、〈これからはあなたが必死で守ってきたお店ののれんは私が息子達と守ります〉と記しています。

店舗名〈すがとよ〉は、菅原豊和さんの名からとったものだと思います。震災から5年9か月。奥様 文子さんと息子さんたちは、鹿折の地に再び〈すがとよ酒店〉の看板を掲げました。本設店舗の開店、本当におめでとうございました。お祝いを申し上げます。

2011年11月11日ブログ「文子さんの手紙」

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同年会記念誌紹介

一昨日の夜、忘年会をおえて帰宅すると気仙沼からレターパックが届いていました。9月24日(土)に気仙沼で開催された「あれから50年同年会」の記念誌/アルバムです。出席できなかった方のために、中身をご紹介。あくまで当日の雰囲気を知ってもらうためのものですので、必要以上に鮮明にならない程度に(笑)。(画像クリックで拡大します)

表紙

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レターパックには、同年会の実行委員長である臼井真人君(3年2組)の挨拶状も同封されていました。当日の進行内容を紹介したあとに、つぎのような記述が。

〈さて、早いもので、同年会から約3か月が経ちましたが、ようやく、アルバムが完成しました。東日本大震災の支援のためにと、東京の気中支援会の方々からいただいた資金を活用させていただき、皆さんの負担が軽く作成できたものであります。作成まで時間がかかりすぎたかもしれませんが、クリスマスプレゼントと思って、当日を思い出しながらご覧いただければと考えております〉

真人君の文中にある〈気中支援会〉からの資金について、少し補足します。これは、以前もご報告したように平成24年11月の同年会「還暦祝い後1年・震災復興支援感謝の集い」にあたって、私たち気中20回生支援会(代表 3組 鈴木徳一君)からおくった50万円のこと。4年前には使わずにとっておいたものを今回のアルバム作成に活用したということです。金額まで書くのはいささかはしたない感じもするのですが、多くの方々から応援の気持ちとともにお寄せいただいた浄財の使途ですので、報告をかねて記しておきます。

このアルバム作成も含め、9月の同年会開催にあたっては、実行委員会のみなさまをはじめ多くの同級生にお世話いただきました。あらためてお礼を申し上げます。ありがとうございました。

同年会については、つぎの3つのブログでも紹介しております。こちらもご覧ください。

9月26日ブログ「同年会の記念写真」
9月27日ブログ「同年会の概略報告」
11月28日ブログ「同年会の報告投稿」

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ミニストップ開店

きのう12月21日付け三陸新報の一面下部にこんな広告が掲載されていました。

12月21日ミニストップ
三陸新報12月21日掲載広告(画像クリックで拡大)

イオン系列のコンビニエンスストア「ミニストップ」気仙沼警察署前店の当日オープンを知らせる広告です。コピーは〈この空間にミニストップを〉。

しかし、どの空間なんだろう。左の方にある駐車場をもつ建物が気仙沼警察署ですが、その前には見当たりません。手前にうつる大きな駐車場は、気仙沼の人がいまだに〈ジャスコ〉と呼ぶ〈イオン〉です。しかたがないのでネットで住所を調べてみましたら、国道45号線を写真の右(市街地)から左(松岩方面)に向かうと、橋をわたってすぐの右側という感じです。でも黄色ベースのミニストップのサインらしきものは見当たりません。店舗ができあがる前の写真なのでしょうか。

警察署は、元の鼎が浦高校の跡地にできました。警察署の左側に見えるのが、同じく鼎が浦の跡地を利用して県が計画した気仙沼合同庁舎の建設現場でしょう。旧合同庁舎は、震災による津波の被害を受けて解体されました。

この写真、遠くには災害公営住宅らしき建設中の建物もうつっています。そんないろんな風景がうつるこの角度からの空撮写真は初めて見ました。広告の左下に〈撮影協力:マルタク株式会社〉とありましたが、ドローンを使用しての撮影でしょう。先日紹介した大島/浦の浜の写真もそうですが、生まれ育った気仙沼の空撮写真は見ていてあきることがありません。興趣つきることなし。

それにしても、私の場所の推測に誤りがなければ、ミニストップ〈気仙沼警察署前店〉という店名はちょっとつらいのでは。正式名称はともかくも、実態としては〈イオン前店〉のような感じ。一番わかりやすいのは、〈ジャスコ前店〉でしょう(笑)。

(追記)本日夜に、臼井真人君(3年2組)から電話がありました。遠くに見える建設中の建物は災害公営住宅ではなく、市立病院だそうです。住所は赤岩杉ノ沢地区。本年4月の河北新報の記事によれば来年4月に完成し、同年11月の開院を目指しているそうです。事業費は156億3800万円です。それと、ミニストップの場所は、右から川をわたってすぐではなく、もう少し左に行った駐車場のある場所とのこと。2棟ありますが、左側かな。真人君、ありがとう。

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重篤さんの講演会

先日、新聞の折り込みで入っていた世田谷区報を見ていたら、気仙沼市唐桑の〈森は海の恋人〉の活動で知られる畠山重篤さんの講演会が紹介されていました。区立図書館にはつぎのような案内チラシも置いてありました。

畠山氏後援会
案内チラシの一部イメージ

◎おいしい牡蠣は、森からの贈りもの
講師:畠山重篤氏
日時:2017年2月19日(日)13:30〜14:30
場所:成城ホール(世田谷区成城6-2-1)
参加費:300円
主催:せたがや生涯現役ネットワークイベント実行委員会
講演:世田谷区
申込方法:下記のサイト中のフォームよりお願いします。

せたがや生涯現役ネットワーク公式サイト

申込締切:1月20日(ただし満席になり次第受付を終了)

世田谷区に在住在勤の中高年の方向けの講演です。皆さんに対してのお誘いというよりも、重篤さんが東京でこのような後援をするらしいよということでご案内いたしました。

主催の〈せたがや生涯現役ネットワーク〉という団体名を見て、重篤さんは何歳かなという疑問がわきました。すぐに著書を開いてみたら昭和18年(1943)生まれ。73歳でしょう。こうして、東京をはじめ全国から声がかかっての講演など元気に活動されていますから、まさに現役。唐桑の牡蠣を食べているせいだと思います(笑)。

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大島浦の浜/空撮

きのう12月12日のブログで、気仙沼大島の山本馨医師退職について書きました。その末尾に、河北新報の関係記事のリンクを貼っておきましたがご覧になりましたでしょうか。その記事の大島の空撮写真が印象に残りましたので、本日あらためて紹介します。

大島浦の浜
河北新報12月16日配信記事より(画像クリックで記事にジャンプ)

手前に見える港が〈浦の浜〉で、向こうに望むのが〈田中浜〉です。小さなころの夏休みに大島に海水浴に行ったときは、巡航船で浦の浜に着き、そこからバスで田中浜を左に見ながらお隣の〈小田の浜〉に行きました。ヒョウタンにたとえれば、くびれたところが写真にうつっています。土色に見える部分が多いのですが、これは津波で被災した跡なのでしょうか。

写真は本年2月28日撮影とのこと。浦の浜の防潮堤建設のための整備がだいぶ進んでいるようにも見えますが、まだ堤防の高さは感じられません。ちょうど一年前のブログでお伝えしましたが、この地区の防潮堤は、昨年12月5日、海抜7.5mの高さで2段階の傾斜をつけて景観に配慮した案に住民側が大筋で合意しました。その約3カ月後の写真ですから、計画修正前の写真ということでしょう。

このニュースを伝える三陸新報はこんな感じでした。再録します。

12月8日大島
三陸新報2015年12月8日記事の一部イメージ


10カ月前に撮影した河北新報写真と、三陸新報記事にある完成イメージとでは道路の取り付けが違うようですが、これが設計変更の結果なのでしょう。イメージ図でもわかりにくいのですが、防潮堤は2段階で高くなっていきますので、全体としてはゆるやかに傾斜するイメージです。

2年後に大島と本土を結ぶ架橋が完成すれば、浦の浜の港としての位置づけも変化することでしょう。一方、大島に流入する自動車の増加も予想されるわけですが、駐車場の整備計画が不十分との声も聞こえてきます。そうした様々な課題を抱えている大島ですが、美しい島の良さを生かしながら、市本土と橋で結ばれた新しい時代を迎えて欲しいと思っています。

2015年12月15日ブログ「浦の浜防潮堤合意」

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無医地区への危機

いやあ、きのうのクラブワールドカップサッカー決勝はすごかった。敗れたとはいえ素晴らしいサッカーを見せてくれた鹿島アントラーズ。そのスタメン中3名が東北出身だったのですね。小笠原が盛岡出身で大船渡高校、柴崎は青森県上北の野辺地町出身で青森山田高校、そして遠藤は塩竃出身で塩竃高校です。大船渡とか塩竃と聞くと、なんか親近感がわいてきます。

さて、12月15日の三陸新報に、気仙沼大島で唯一の医療機関である大島医院の山本馨医師(71)が、来年3月末で退職する意向を示しているとの記事が掲載されていました。

12月15日山本医師退職
三陸新報12月15日記事の一部イメージ

記事によれば、大島の中央部に位置する大島医院は、市が土地と建物を無償貸与しています。2006年5月から1年間、無医地区になったことがあったそうですが、翌年(2007年ということでしょう)の5月に公募によって山本医師が着任して診療に当たってきたそうです。本年8月に山本医師から退職の申し出があり、市や関係者が慰留につとめてきたそうですが、ご本人の意思は固いとのこと。

2年後には大島と本土をつなぐ架橋が完成します。しかし、大島に医師がいなくなる状況をなんとか避けたいと、12月14日に大島地区の関係者が市長に後任医師確保を求める要望書を手渡しました。

記事では、大島地区関係者の震災時はもちろんのこと、夜間診療や救急搬送など山本医師の親身になっての対応に対する感謝の言葉も紹介されていました。山本医師は、三陸新報社の取材に対し、「高齢でもあり、10年でちょうど区切りと思っていた。孫のいる北海道に帰る予定でいる」と話しています。

〈71歳〉〈10年〉〈孫のいる北海道に〉といった言葉を聞くと、しかたがないかとも思ってしまうのですが、大島のみなさんにとっては本当に切実な問題。菅原市長は、公募も視野にいれながら後任の医師確保に全力を挙げる考えを示したとのことです。

なお、河北新報も12月16日に、〈気仙沼大島/被災の離島唯一の医師退任〉の見出しで記事を配信しています。

河北新報12月16日配信記事

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美しい十代のころ

作家 小林信彦さんの週刊文春での連載「本音を申せば」は私の大好きなエッセイ。11月17日号「60年代ポップ少年の嘘」と題する一文は特に面白かった。

私たち気中20回生は、1951年4月〜52年3月生まれです。現在は64〜65歳。若い人からたまに、〈ビートルズ世代〉ですねと言われることがありますが、それはちょっと違います。その辺の感じを小林さんがうまく書いていたのです。

ポップ少年の嘘
週刊文春11月17日号「本音を申せば」の一部イメージ

小林信彦さんと親交のあったハッピーエンド大瀧詠一さん(1948年生まれ)や、作家の亀和田武さん(同1949年)の発言を紹介しながら、「60年代ポップ少年の嘘」について記した部分を以下に引用します。

〈(前略)大瀧さんはよく言っていた。
「ビートルズをリアルタイムで聞いていたという奴は嘘つきです。舟木一夫を聞いていたのがせいぜいですよ」
 それは何かというと、ビートルズを持ち出す同世代者への批判だった。
「そうでしょう」
 日本テレビで仕事をしていたぼくは、そういう〈世代〉というのがよくわかった。まったく同感といってよかった。

 亀和田武さんの「60年代ポップ少年」(小学館)にも同じような台詞がある。
 ビートルズの登場によって耳触りのよいアメリカとイギリスのポップは一夜にして“懐メロ”と化した。三十代の半ばになって、「ねえ、カメちゃん。あのころはビートルズをよく聴いたよな。オレたち、やっぱりビートルズ世代なんだよね」
 というまったくの歴史の捏造を口にする友人に対して、亀和田さんは「オマエが休み時間に毎日、楽しそうに歌っていたのは、三田明の『美しい十代』と、舟木一夫の『高校三年生』じゃないか」
 とひそかに言いかえす。
 この記述は亀和田さんがよくくりかえしていた言葉だが、大瀧さんの苦笑とぴったり一致する。(後略)〉(引用は以上)

ここに登場するビートルズの話と同じく、リアルタイムで〈ボブ・ディランをよく聴いていた〉という私たちと同じ世代の人の話はちょっと疑ったほうがよいでしょう。彼のレコードデビューは1962年3月とのことですから私がちょうど10歳のとき。私の感覚でいうと、〈吉田拓郎がボブ・ディランの影響を強く受けたことはよく知っている。要するに真似た〉といった程度。〈風に吹かれて〉もギターを弾きながらよく歌いましたが、ピーター・ポール&マリー(PPM)がカバーしてのヒット曲を歌うという感じではなかったか。

なお、引用文中にある三田明『美しい十代』と、舟木一夫『高校三年生』はいずれも1963年の発売。この2曲はリアルタイムで知り、歌ったおぼえがあります。とすると私たちは、〈ビートルズ世代〉というよりも〈ロッテ歌のアルバム世代〉なのかもしれません。


なお、気仙沼中学3年のときに、吉野信雄君(3年1組)と校内放送でビートルズの「イエスタデイ」を流しました。これについてはつぎの2つのブログにて。吉野君が〈嘘つき〉ということではありません。念のため。

2011年8月1日ブログ「イエスタデイ」
2014年12月22日ブログ「イエスタデイ再び」

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日本画家 本田鼎雪

12月14日の三陸新報に、気仙沼市古町の〈車屋〉さんという古美術・骨董店の広告が掲載されていました。

鰹
三陸新報12月14日掲載広告より

〈「鰹」10号 本田鼎雪〉と記されています。本田鼎雪(ていせつ)さんは、気仙沼で多くの絵を残した日本画家ですが、私たち気中20回生にとっては同級生の洋子さん(3年3組)のお父様。魚を画題とした絵も得意としていました。本日この広告を紹介したのは、これと同じく鰹を描いた鼎雪さんの絵が気仙沼小学校にかざってあったのを思いだしたからです。場所は教員室の上階にあった〈作法室〉。畳敷きの大広間。全校の学級委員が集まっての〈安波会〉もここで開かれていました。その正面の上部に掲げてあったと思います。

よい機会なので、本田鼎雪さんのことを調べようと、気仙沼市史第6巻「教育・文化編」を開いてみたら、ちゃんとつぎの記述がありました。以下に引用します。

◎本田 鼎雪(1910〜1982)

 本名禎太郎。明治43年1月14日生まれ。昭和7年第1回東北美術展(河北美術展の前身)に「神濤」を出品し入選。昭和14から16年まで盛岡市および東北各地に居住し、この間、岩手県護国神社の壁画を作製した。帰郷して第6回、第8回海洋美術展に「蒼浪」「魚河岸」を出品入選したが、戦時中、資材入手困難のため一時画業を中断した。
 太平洋戦争後、美術界に復帰し、昭和24年、岩手美術連盟日本画幹事、宮城県美術連盟結成委員となり、第1回岩手県芸術祭美術展に当選、森口多里賞を受けた。昭和30年、日本芸術会会員の中村岳陵の指導を受け、仏画の研究に専念する。同43年には第29回日本画院展に「桜島黎明」を出品して入選し、以後連続して入選した。
 昭和52年、本田画塾水墨画教室を開設し、後進の指導にも当たり、日本画院に所属し、宮城県芸術協会会員、市文化財保護委員も務めた。
 鰹をはじめ、水産物の画も多く、その画風は静岡・高知・鹿児島にも名が知られ、後援会や展覧会が持たれた。
 昭和57年10月2日72歳で没。代表作には記述のほか、「叢竹」「忿怒群像」「立葵」「端午」がある。(引用は以上)

こうして長文を引用したのは、ネット上に本田鼎雪さんの情報が少なかったからです。こうしてブログに書いておけば、鼎雪さんのことを調べる方の目にとまることもあるかなと。

話は代わりますが、気仙沼小学校の作法室正面右側には、ガラス張りの大きな飾り棚がありました。そこには沢山の郷土玩具や民芸品のようなものが陳列されていたのですが、あれはいまどうなったのだろうか。結構なお宝だったように思うのですが。鼎雪さんの鰹の絵を見て、そんなことも思い出しました。

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にほんご万華鏡3

10月のはじめ、帰宅中の東横線車内で座っていた私の肩をたたかれました。顔をあげて見ると、小野寺久君でした。鹿折中学出身で気仙沼高校のひとつ下。8月下旬には、久君からメールがあり、昨年亡くなった奥様牧子さんの3冊目の著書『にほんご万華鏡3』が9月に発刊されると知らされていました。

にほん語万華鏡
「にほんご万華鏡3」カバー表裏(牧子さんの小学校時代の恩師である安野光雅さんや、国谷裕子さんの言葉が記された帯と共に)

本書は発売後すぐに入手し、このブログでも紹介しようと何度か書きはじめたのです。しかし、うまくまとまりません。どうしてもせつなさが感じられてしまうのです。たとえばつぎのようなことです。

2011年10月14日、牧子さんは生まれて初めての大腸内視鏡検査を受け、進行大腸ガンであるとの診断を受けます。その夜、一睡もできなかったという久君はあとがきでつぎのように記しています。

〈このがんは私がこれまで30年を超えて研究してきた専門領域であり、今後主治医かつ家族として向き合う将来におぼろげな闇が見えたからです。しかし落ち込みがちな医師の私を励ましてくれたのが、取り乱すこともなく淡々としていた患者の彼女だったのは何とも皮肉でした〉

そして4度の大手術、2度にわたった抗がん剤治療などを続けるなかで牧子さんは、以前から『ニューズレター』誌に連載していたエッセイを基にした『にほん語万華鏡〜人生を豊かにする閑字』を2012年4月に発刊します。2015年1月にはその第2巻目を世に出すことができました。牧子さんの努力はもちろんのことですが、なんとか彼女を励ましてやりたいと久君も力を尽くしたことでしょう。

牧子さんが亡くなったのは、穏やかな日曜日2015年8月23日のことでした。本日紹介した第3巻の久君のあとがきの日付はその一年後2016年8月となっています。〈彼女自身が仕事を継続することは叶いませんでしたが、彼女の蒔いた種がどこかにつながればと〉

久君は気仙沼高校を卒業後、東京大学で牧子さんと出会い、その後に休・退学して京都大学医学部に進みました。同大付属病院からロンドン大学セントメアリー病院での研究生活を経て、京大では医学研究科腫瘍外科学 助教授もつとめました。そして現在の聖路加国際病院に招かれて外科部長などを歴任、現在は教育研究センター長です。

2007年に三笠宮妃である百合子さまの大腸がん手術を執刀したのも消化器センター長だった久君でした。当時、記者会見で説明する久君をテレビニュースで見ておどろいた人も多いことでしょう。こうした、華麗にも見える久君の経歴や実績もけっしてたやすく実現できたわけでなく、牧子さんというパートナーの支えがあってこそ。それだけに、彼女を失った久君の悲しみの深さを感じるのです。

紹介はここまでにしておきますが、あとがきに、牧子さんがお孫さんの成長を2歳3カ月まで見届けることができたと記してありました。彼女の最後の希望でもあったと。そうしたことをはじめ、久君が牧子さんの3冊の著書を開くとき、さまざまな思いが去来することでしょう。それはまさに〈万華鏡〉のようなものかもしれません。

2015年8月27日ブログ「久君の奥様の訃報」
2011年11月23日ブログ「喪中欠礼の葉書」



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昭和初期の気仙沼

インターネット百科事典〈Wikipedia/ウィキペディア〉は私も便利に利用させてもらっていますが、きのう同サイトで〈気仙沼市〉の説明を見ていたら、知らない画像が掲載されていました。〈昭和初期の頃の気仙沼〉。


ウィキペディア「気仙沼市」項目内容より

この〈昭和初期〉というのはいつ頃でしょう。画像をクリックして付帯情報を見ると、〈朝日新聞社「新日本大観 附満州国 レンズを透して見たニッポンのガイドブックより〉とあり、〈1930年代の気仙沼〉とあります。画像ファイル名も〈kesennuma_in_1930s.jpg〉となっています。西暦1930年は昭和5年ですから、1930年代は昭和5〜14年。

私の興味を引いたのは写真右下の大通りです。震災前の風景でいえば、手前から見て右がカネダイで左が漁協という感じでしょうか。右端に魚市場がうつっていますが、私の記憶ではもっと左側にあったとようにも思うのですが。

五十鈴神社/お神明さんの左側にはまだ全漁連の冷凍庫ビルはありません。しかし、海岸から坂口に向かう道の右角にあるのは海産物問屋の斉富商店ですね。震災前まであったその姿がうつっています(というか、うつっているような気がします)。

それと、右側中央部にある建物も〈佐甚商店〉ではないでしょうか。私の小さなころの記憶と重なっています。道をはさんで右側の2軒目は〈茂木六〉さんかなあ。いずれにしても昭和4年の気仙沼大火のあとの風景であることに間違いはないでしょう。

しかし、昔の気仙沼風景になぜこんなに興味をひかれるのでしょう。64歳という年によるものか、失われたものに対する郷愁か。あるいはその重ね合わせか。それにしても、ウィキペディアにこの写真が掲載されていることに気付かなかったのはうかつでした。ということで、遅ればせながら本日のご紹介となりました。

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千葉卓朗氏の功績

12月6日のブログ「パナソニックCM」で、綾瀬はるかさんが本吉町フェンシング協会のみなさんと交流する映像を紹介しました。〈綾瀬はるかmeets 宮城県本吉町フェンシング協会 Long ver.後篇〉です。

本吉町フェンシング協会
「綾瀬はるかmeets 宮城県本吉町フェンシング協会 Long ver.後篇」の一部画像

私がおやっと思ったのは、映像タイトルにも使用されている〈宮城県本吉町フェンシング協会〉という名称です。映像中の協会旗にも表示されていますが、〈宮城県〉と〈本吉町〉の間に〈気仙沼市〉が入っていないなあと思ったのです。

気仙沼市は2006年に唐桑町と合併、2009年には本吉町が編入合併し、現在の気仙沼市となっています。CM映像にもうつる「宮城県本吉町フェンシング協会」という協会旗は、たぶん編入前から使用しているものなので〈宮城県本吉町〉なのでしょう。現在の気仙沼市体育協会に加盟しているフェンシング団体は、〈気仙沼フェンシング協会〉と〈本吉町フェンシング協会〉のふたつです。自治体名を含めて言えば、宮城県気仙沼市「本吉町フェンシング協会」といったところか。

本吉町は、気仙沼におけるフェンシング隆盛の歴史を語るときに欠かせない地区です。同町津谷の味噌醤油で知られる〈カネセン/徳田屋〉さんがご実家の千葉卓朗さんがいなければ、気仙沼でフェンシングがここまで盛んになることもなかったでしょう。卓朗さんは1979年(昭和54年)から4期16年にわたり本吉町長もつとめましたが、2011年5月に逝去されました。77歳でした。千葉さんは、宮城県フェンシング協会の会長もつとめています。

昨年9月には、千葉卓朗さんの功績を記念して〈千葉卓朗杯〉という少年フェンシング大会が創設され、本年11月には第2回大会も開催されました。これは、千葉さんが会長をつとめたこともある宮城県フェンシング協会と、千葉さんが創部した仙台一高フェンシング部のOB会〈一剣会〉がともに主催するものです。

鼎が浦高校(2005年4月に気仙沼高校と統合)のフェンシング同好会を創設した同校教諭の〈美代子ばっぱ〉こと佐藤美代子先生も本吉町津谷がご実家でした。そうした、お二人の功績については、下記のブログにも記し、幸いにも多くの人にお読みいただいたようです。未読の方がいらっしゃれば是非お読みください。

今回のパナソニックさんの映像は、こうした本吉町フェンシング協会の歴史と功績をあらためて確認するよい機会になったように思います。ありがとうございました。

2015年5月22日ブログ「気仙沼/剣の源流」
2015年4月22日ブログ「美代子先生の訃報」

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迷いと成長の物語

一昨年の8月のブログで、NHKテレビのドキュメント「君が僕の息子について教えてくれたこと」を紹介したことがありました。テレビ番組情報として、気仙沼の杉ノ下地区における被災を扱ったNHK「明日へ」の紹介と合わせてのお知らせ。記事の中で、「〈感動〉という言葉は、このドキュメントにこそふさわしい」とも書きました。

本日は、その続編「自閉症の君が教えてくれたこと」を紹介します。番組紹介サイトには、〈迷いと成長の物語〉と記してありました。

自閉症の君が
NHKドキュメンタリー紹介サイトより(画像クリックでジャンプ)

◎NHKスペシャル
「自閉症の君が教えてくれたこと」
12月11日(日)午後9:00〜(50分)
再放送12月14日(水)午前0:15〜(火曜深夜)

前作「君が僕の息子について教えてくれたこと」は、平成26年度文化庁芸術祭テレビ・ドキュメンタリー部門 大賞、2015年イタリア賞シグニス特別賞を受賞しています。こうした高い評価も、番組を見た人にとってはなんの不思議もないでしょう。

気仙沼とは直接の関わりをもたないこの番組をなぜ紹介するのか。それは、番組のテーマのひとつに〈苦しみを抱えている人たちは、どう幸せを見つけていけばいいのか?〉と記されていたからです。番組紹介サイトから、企画ディレクターの言葉を引用します。

〈 前回の番組が、芸術祭ドキュメンタリー部門大賞を受賞した10日後、私はガンと診断されました。ディレクターである私自身が、ガンというハンディキャップを負ったのです。それが、続編を作るという、ひとつのきっかけとなりました。がんと診断された当時は、肺や肝臓にも転移し、5年生存率は5割以下という厳しい状況でしたが、大量の抗がん剤と手術を行い、1年間の闘病を経て、何とか職場復帰を果たすことが出来ました。しかし、今も治療の後遺症や再発の恐怖に苦しんでいます。もう体力勝負のテレビのディレクターはやめた方がいいのか、家族と静かに暮らした方がいいのか、色々な不安が頭をよぎりました。自分の病気とどう折り合いをつけて生きていけばいいのか、これからどんな人生が待っているのか、大きな不安にとらわれたときに、2年前に取材した直樹さんの姿をもう一度見つめ直したいと思いました。病院のベッドでも私はしばしば直樹さんの本を読んで励まされました。自閉症というハンディを自分の強さに変えた直樹さんから、私自身がたくさんのことを学べるのではないか、そしてそれは、生きづらさを抱える多くの人にとっても普遍的なメッセージになるのではないかと考えました。(後略)〉引用は以上

あとは番組を見るだけですね。詳細は番組紹介サイトをご覧ください。なお、今回の続編放送にあたって、本日深夜に前作が再放送されます。こちらも是非に。

◎前作「君が僕の息子について教えてくれたこと」
再放送12月10日(土) 金曜深夜午前0時10分(60分)

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気仙沼の歴史復刻

先月の話題になりますが、気仙沼ライオンズクラブ(佐藤悟会長)が、結成55周年を迎え、その記念式典が11月12日に市内本郷のゲストハウスアーバンで行われました。55周年を迎えるにあたって同ライオンズクラブでは気仙沼駅前のモニュメント寄贈などの記念事業を行いましたが、その中のひとつに驚きました。「目で見る気仙沼の歴史」復刻版の制作です。

「目で見る気仙沼の歴史」は1972年(昭和47年)に同クラブが10周年記念事業のひとつとして発行しました。当時の会長は畠山孝さん。唐桑町長や県議会議長もつとめました。唐桑町鮪立の古くからの漁業家で「恵比寿棚」と呼ばれています。県議会議員の畠山和純(かずよし)さんのお父様です。

この本は妻の実家にもあり、義父が亡くなった後の蔵書整理時にもらいうけました。その南町の家は震災で2階まで津波につかりましたので、私がもらっていなければ水没していたでしょう。

こうした経緯で私の手元にわたった同書ですが、約200頁にわたって掲載されている写真はとても興味深く、このブログでもたびたび紹介させていただいております。しかし、そのたびに頁を大きく開いたりするため、背表紙がこわれかけるなど、ちょっと心配な状態になっておりました。そんなことで、クラブ会員に復刻版を配布するほか、気仙沼市教育委員会に100冊を寄贈するという記事をながめ、なんとか手に入らないものかと思っておりましたら、11月17日の三陸新報「万有流転」にグッドニュース。この復刻版を紹介した後、3千円で頒布することと事務局の電話番号が記されていたのです。すぐに電話して手配。数日後に手元に届いた復刻版を紹介しましょう。左が旧版の本体表紙、右が復刻版の函(はこ)と表紙カバー(元禄時代の気仙沼地方絵図)です。もらいうけた旧版は函もカバーも失われておりました。

気仙沼の歴史
左が旧版、右が復刻版

復刻版の内容は旧版とほとんど同じです。本体の巻頭頁上部に〈はじめに〉と題してクラブ在籍50年を超える高橋脩さん(気仙沼商会)が旧版発行の想い出と復刻版刊行の背景などを記しているほか、函への〈復刻版〉表示と、終頁の奥付(おくづけ)に〈復刻版〉の文字と発行年月日を追記しているだけ。

印刷は復刻版がほんのわずか薄く感じられるものの、写真などもしっかりと再現されています。旧版を写真撮影して製版し直すと、網点の重なりにより〈モアレ〉と呼ばれる干渉縞を生じることが多いのですが、それもありません。旧版の製版フィルムが残っていたのでしょうか。それとも最近の印刷技術によるものか。

この復刻版、やはり人気らしく残部が少なくなっているとのことでした。どうぞ気仙沼の歴史に関心をお持ちの方で入手を希望される方は、下記まで連絡の上でご確認くださいますように。

◎気仙沼ライオンズクラブ事務局
電話:0226-22-7139
mail:lions-k@dolphin.ocn.ne.jp

この本は、気仙沼の歴史を後代に伝える大変価値あるもの。それだけに、ライオンズクラブさんの素晴らしい記念事業になったと思います。最後になりましたが、気仙沼ライオンズクラブさんの結成55周年のお祝いを申し上げます。おめでとうございました。

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ワンライン気仙沼

5回目となる〈ONE-LINE気仙沼クリスマスイルミネーション〉が12月3日(土)に始まりました。点灯式では、May J.さんの3回目となるチャリティライブのほか、2千発の花火も打ち上げられたとのことです。

ワンライン

三陸新報12月5日記事の一部イメージ


◎開催期間 :12月3日〜2017年1月9日(月)
◎点灯時間 :18:00〜22:00
◎開催エリア:気仙沼「海の市」、田中前大通り

イルミネーションの設置場所ですが、今回も内湾地区は防潮堤工事などの関係で使えず、〈海の市〉と田中前大通りの2エリア。ただし、三陸新報の記事には、この2エリアのほかに八日町の名もありました。設置場所が限定されたことによりLED数は昨年の約半分の15万球になりましたが、その代わりに点灯式での花火の打ち上げが企画されたようです。

このプロジェクトを主催するのは地元有志を中心とした実行委員会。実行委員長は、一昨日のブログでも紹介した気仙沼観光タクシーの代表宮井和夫さんです。宮井さんは、今回のイベントを開催するかどうか大変苦しんだそうです。毎回、資金の調達に苦労しているからです。公式サイトの実行委員長メッセージの中にも、〈『そんなに金が無い、金が無いというなら辞めてしまえ!!』という様なお叱りの声を頂戴することもございました〉と記されています。私も一昨年のブログでは、〈無理のない規模で〉と書きました。

プロジェクト公式サイト

とはいえ、花火を打ち上げて今年もイルミネーションが始まりました。どうぞ、下記のクラウドファンディング募金サイトを利用してのご支援を。12月15日までで目標金額は100万円。金額に応じて各種返礼品が用意されています。

募金サイト(CAMPFIRE)

今回で5回目となるワンライン気仙沼のイルミネーションが気仙沼の夜を少しでも明るくしてくれることを願っています。

2014年11月25日ブログ「内湾に希望の光を」

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ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 気仙沼クリスマスイルミネーション

パナソニックCM

本日紹介するのは、パナソニックのCM。気仙沼の齋藤利莉(りり)さん(大谷中学3年)と藤澤将匡(しょうま)さん(松岩中学3年)が登場する東京2020オリンピック・パラリンピック公式テレビ「ビエラ」のTVCMです。テレビ放映は12月4日で終わりましたが、ウェブで公開されていますので紹介します。


VCM宮城・フェンシング篇 恩返しがしたいから、世界に挑む。(2分2秒)

このパナソニックCM映像は〈Beautiful Japan towards 2020〉プロジェクト。2020年をゴールに47の都道府県を訪ね、東京オリンピック・パラリンピックをめざすアスリートたちとともに挑戦することの大切さや夢を追うことの素晴らしさ、そして、この国の美しさを再発見していくプロジェクトとのこと。それで「1/47」と表示されるのですね。

齋藤さんと藤澤さんが剣を交える映像は気仙沼市の本吉町大谷海岸で収録したそうです。その大谷海岸の風景に、気仙沼市内湾を二人で歩く映像が加わります。とてもきれいです。ネットでは、このテレビ放映版のほかに、前後篇ふたつのロングバージョンも公開されています。まずはご覧ください。


綾瀬はるかmeets 宮城県本吉町フェンシング協会 Long ver.前篇(3分14秒)


綾瀬はるかmeets 宮城県本吉町フェンシング協会 Long ver.後篇(7分28秒)

映像にうつっているのは本吉町フェンシング協会に所属する子どもたち。綾瀬はるかさんが子供たちとフェンシングを楽しむ映像は、階上(はしかみ)公民館で収録とのことです。

以上3篇のほかに、Beautiful Japan(BJ2020)公式サイトでは、齋藤さんや藤澤さんの取材映像や、撮影スタッフによる撮影エピソードを紹介しています。取材映像では、齋藤利莉さんのお父様が津波で〈被災〉したことが語られています。サイトの文字情報では〈(お父様を)亡くされました〉としていますが、映像ではあくまでも〈被災〉との説明。そうした詳しい背景を知ると、それぞれの映像の意味の深さが伝わってくるのです。どうぞ、こちらもご覧ください。

パナソニックBJ2020公式サイト/取材映像
パナソニックBJ2020公式サイト/撮影スタッフ通信

それにしても、〈綾瀬と申します〉と齋藤家を訪ねる飾らない印象と、剣を手にしての姿の美しさには驚いた。そんな綾瀬はるかさんの魅力をあらためて知らされたパナソニックのCM/キャンペーン映像でした。

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お魚タクシー現る

その時々の気仙沼の話題を追っていると、紹介しようと思いながらも後回しになってしまう話があります。この記事もそのひとつです。読売新聞の11月19日(土)夕刊社会面の真ん中に〈お魚タクシー現る〉の見出し。

読売ベクシー
読売新聞の11月19日夕刊記事

記事を引用します。

「 被災地では、安全と引き換えに港の風情が失われつつある。宮城県気仙沼市でも、灰色の巨大な防潮堤が、青々とした海原を遠ざける。
「それならば、陸に水族館を」と、気仙沼観光タクシーの宮井和夫社長(41)は「走る水族館」プロジェクトを始めた。3年で30台のうち8台を生まれ変わらせた。楽しげなマンボウに巨大なサメが描かれたお魚タクシーが通ると、子どもたちは笑顔になる。「被災地と呼ばれ、暗いままはイヤ」。海と生きる気仙沼人の誇りが、町を活気づける。」(引用は以上)

この〈LENS被災地発〉という記事は、読売新聞夕刊社会面で土曜日に連載している被災地の〈今〉を伝える写真コラムとのこと。気仙沼などの宮城県版では掲載されたのでしょうか。

観光タクシーさん(気仙沼では観光さんで通りますね)は2012年に、ハートビート(心臓の鼓動)と便利屋タクシー「BEXI/ベクシー」をつなげた〈HEART BEAT BEXI〉というコンセプトを掲げました。「走る水族館」プロジェクト/お魚タクシーも、すでに3年になるのですね。今回の読売新聞の記事は、そうした宮井和夫さんらの熱意に対する応援歌的な気持ちが感じられます。

さて、記事の写真ですが、よく考えられた構図です。お魚タクシーを前面に置きながら右後方に〈灰色の巨大な防潮堤〉、そして左後方からは、今も進行する防潮堤建設か復興工事のためのトラックが走ってくるという具合。〈写真コラム〉というだけあって批評をこめた一枚ということでしょう。

ちょっと気になったことがあります。冒頭の〈被災地では、安全と引き換えに港の風情が失われつつある〉という言葉です。〈港の風情(ふぜい)〉というのは情緒的に過ぎるのではないでしょうか。引き換えというならば、〈かなり長期的な視点での安全〉と、海と生きる気仙沼人の〈日々の暮らしの快適さ〉でしょう。そのバランスの議論であって、決して〈風情〉がどうしたということではないと思うのですが。

ちょっと話が長くなってしまった。宮井和夫さんが実行委員長をつとめる、気仙沼クリスマスイルミネーションプロジェクト「ONE-LINE」についてはあらためて。本日はこれにて。

気仙沼観光タクシー/ウェブサイト

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さんま昆布巻受賞

一昨日のブログの最後に「できました自慢の逸品」での同級生関連商品を紹介しました。そのなかの一つ、植木実君(3年9組)のマルナリ水産〈さんま昆布巻〉が、第27回 全国水産加工品総合品質審査会で、水産庁長官賞を受賞しました。11月30日の三陸新報が伝えています。

マルナリ受賞記事
三陸新報11月30日記事の一部イメージ

記事の関連部分を引用します。

「市内松崎前浜、マルナリ水産の「さんま昆布巻」は、水産庁長官賞に選ばれた。気仙沼産サンマを1匹まるごとコンブで巻いた、骨まで食べられる賞品だ。第3回審査会でも同賞を受賞しているが、当時とは味付けを変えている。「時代の流れに合わせて甘みを強くしている」(植木社長)という。東日本大震災の津波で当時の賞状などを失ったが、再び栄誉を手にした。」(引用は以上)

なお、今回の審査会では、松崎前浜の大弘水産の「かじきスモークスライス」が、最高賞である農林水産大臣賞を受賞しました。また、気仙沼水産資源活用研究会の「ホヤソース」は、東京都知事賞を受賞しています。

この審査会には903点が出品され、農水大臣賞5点、水産庁長官賞10点などが選ばれました。植木実君の〈さんま昆布巻〉は、ベスト15に入ったわけですね。素晴らしい。実君、受賞おめでとう。

さんま昆布巻をネット経由で変えるふたつのサイトを紹介しておきましょう。

横田屋本店ネットショップ
石渡商店/リアスの国から

なお、11月中旬に植木君から12月25日までの年末セールの案内が届きました。消費税額分が割り引きになるようです。たとえば1本972円は900円に。同級生関係者などでしたら下記まで連絡されるとよいでしょう。

有限会社マルナリ水産

宮城県気仙沼市松崎前浜36-1-2
電話:0226-22-6523
FAX :0226-23-2719

最後に、商品チラシ画像を掲載しておきます。この昆布巻はとっても美味しいですよ。どうぞごひいきに。

マルナリ水産

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プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/64~65歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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