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論点はサンマ不漁

10月18日(金)の毎日新聞「オピニオン/論点」欄に 「目黒のさんま祭」気仙沼実行委員会会長/松井敏郎さんのインタビュー記事が掲載されていました。テーマは「続くサンマ不漁」で、松井さんの話を受けて〈もはや大衆魚でなくなった〉の見出しも。


毎日新聞

毎日新聞10月18日記事の一部イメージ


松井さんの話の一部を引用します。

〈 今年も恒例の「目黒のさんま祭」を9月15日に無事に開くことができた。直前まで「生」を運べるかどうか、やきもきさせられたが、直前になって船頭さんらの努力で23トンを気仙沼に水揚げし、えりすぐりの7000匹を目黒に届けることができた。(中略)

落語の「目黒のさんま」にちなんだ思いつきで1996年に始めた祭りだが、当時はサンマなんて大衆魚も大衆魚。気仙沼では秋になればたっぷりと脂が乗ったサンマが大量に押し寄せ、我々の食卓は来る日も来る日もサンマばかり。見るのも嫌になるくらいで、わざわざ金を出して買う魚ではなかった。そんなサンマでも東京の人たちが喜んでくれるのなら、ぜひ生きのいいのを楽しんでもらおう。そんな思いで始め、今年で24回目を迎えた。 〉(引用は以上)

このあとの話は、東日本大震災の年のこと、そして今年の不漁についてと続き、〈もはやサンマは必ず楽しめる三陸の秋の味覚でも、安価で楽しめる大衆魚でもなくってきているのだ〉と。

今後の「目黒のさんま祭」はどうなっていくのだろう。松井さんは話をつぎのように結びます。〈四半世紀に及ぶ積み重ねの中ですっかり生活の一部になった秋の祭りをやめるわけにはいかない。これは関係者の一致した思いだ〉。


聞き手は毎日新聞編集委員の森忠彦さん。写真も森さん撮影とのことですが、松井さんのプロフィール写真は今年のさんま祭会場で撮られたものです。このブログで紹介したさんま祭の写真にうつる松井さんの姿と〈照合〉してみましたが間違いなし(笑)。目黒での取材に加えて、気仙沼でも松井さんの話を聞いてくれたかもしれません。

森さん、丁寧なインタビュー記事にまとめてくださって、ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。

9月17日ブログ「目黒のさんま祭報告」
 
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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 松井敏郎 さんま祭

追悼 和田誠さん

10月16日の読売新聞朝刊に、イラストレーターやエッセイストなどとして活躍している南 伸坊(みなみしんぼう)さんの和田誠さん追悼の文章が掲載されていました。主要紙の和田さん訃報記事にちょっと物足りなさを感じていた私は、南さんの文章を読み、なにかホッとした気分をおぼえました。追悼しつつ和田さんの(言葉はちょっと固いのですが)功績をしっかりと記してくれていると。


追悼

読売新聞10月16日朝刊記事の一部イメージ


南さんは、〈日本のイラストレーションの父、和田誠さんが亡くなった〉と文章を始めます。そしてつぎのように続けます。〈1964年、三人の若手デザイナー、宇野亞喜良、横尾忠則、和田誠が立ち上がって、東京イラストレーターズ・クラブを設立した〉〈そして1965年、雑誌『話の特集』が創刊されるや、無給のアートディレクター兼副編集長となった和田さんは、まったく新しい雑誌作法を創り出したのだ〉

南伸坊さんは、1947年6月生まれということなので、私たちより学年でいうと4つ上ですが、高校生のときにこの雑誌を手にしたといいます。〈自分たちのための雑誌。夢にも見ていなかった現実が出現したくらいによろこんだ〉。

私も高校2年生のころだと思いますが、気仙沼の文信堂書店で『話の特集』を見つけて、それ以来ずっと読み続けました。大学生になってからは神保町や高田馬場の古書店などで古い号を買ったりして、創刊から15号ぐらいまでは手に入らなかったものの300冊以上が手元にありました。

表紙は横尾忠則さん、グラビアが篠山紀信さんと立木義浩さん。南さんは〈横尾さんでさえ、世間的にはまだ無名だったのだ。が、広告業界ではそれぞれが大立者だったはずだ。デザインや写真の分野では一線で活躍する人々も、一般の雑誌には進出していない。それらのキラビヤカな才能を、一挙にあつめて、無給のアートディレクターは、めざした「新しい雑誌」を創出した〉と。

和田さんの最大の〈功績〉はそこにある思います。南さんは追悼文をつぎのように結んでいます。〈そんなに売れ行きもよくなかった『話の特集』の読者に蒔(ま)かれた種は一気に広がったのだった〉。

まさにこれ。〈蒔かれた種〉。私が、東北ツリーハウス観光協会/100 TREE HOUSEのロゴに見いだすビジョンのひとつは、蒔かれた種が育ち、枝を伸ばし、幸せな暮らしが営まれているであろう小さな家を支えているというものです。枝が描く同心の円弧は外への広がりも感じさせます。




ほぼ日「100のツリーハウス」サイト


南伸坊さんの追悼文のタイトルは〈「新しい絵」 世にまいた種〉。〈新しい絵〉には〈新しい世界〉との意も感じます。

和田誠さんを追悼するにふさわしいすばらしい文章です。南伸坊さん、ありがとうございました。

10月14日ブログ「和田誠さんに感謝」
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 和田誠 南伸坊 話の特集

熊谷達也文学講演

11月10日(日)午後1時から気仙沼図書館で、熊谷達也さんの文学講演会が開催されます。

熊谷達也講演会
三陸新報10月15日記事より


熊谷達也さんは「直木賞作家」と一言で紹介されることが多いのですが、詳しくは2004年にマタギをテーマにした小説『邂逅の森』で「直木賞」(上期)そして「山本周五郎賞」も受賞しています。つまり「直木賞&山本周五郎賞作家」です。これはとてもすごいことですね。

三陸新報の記事によれば、11月の講演会は10月27日から始まる「読書週間」の一環で、気仙沼図書館の新館1周年記念として開催されます。今回は、「仙河海サーガ制作秘話」と題し、創作活動や取材エピソードを語るとのこと。

〈サーガ〉は、〈シリーズ〉といったような意味で、熊谷達也さんがつぎの寄稿文で、「仙河海シリーズ」を〈人によっては「仙河海サーガ」と呼んでいるようだ〉と記しています。

講談社PR誌「本」2016年12月号寄稿文

仙河海(せんがうみ)は小説中に設定された架空の街ですが、気仙沼をモデルにしています。気仙沼の人なら、〈あの人だな〉とか〈あそこだな〉と感じる人物や場所が多数登場します。講演会では、そうした気仙沼の人には特別な解説が作者自身によってされることでしょう。

熊谷さんは仙台市で生まれ、登米町で育ちました。佐沼高校、東京電機大学を卒業後に埼玉県で中学校の教員となります。そして、インタビュー記事によれば〈30歳になるかならないか〉の頃に宮城県に戻り、気仙沼中学校で3年間勤めて最後の年に結婚したとのことです。

私は2016年9月3日に東京で熊谷達也さんのお話を聞きました。気仙沼サポートビューロー(KSB)主催のKSB復興フォーラムです。とても興味深い話をたくさん聞くことができました。この会にも、気仙沼中学時代の教え子が何人か来ていましたが、今度の講演会でも同様かと。

11月10日の開催ですからちょっと先のことなのですが、定員は50人ですので整理券の入手はお早めに。気仙沼図書館と唐桑分館、本吉図書館で配布しています。参加費は無料です。問い合わせは気仙沼図書館(電話:22-6778)まで。

2016年9月5日ブログ「熊谷達也先生の話」
 

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tag : 熊谷達也 仙河海

新宮市と気仙沼市

気仙沼市と新宮市との交流都市締結1周年を祝い、新宮市の歴史研究家らを迎えた「歴史探訪フォーラム2019」が10月20日(日)に開催されます。10月9日の三陸新報が伝えています。

歴史フォーラム
三陸新報10月9日記事より


◎歴史探訪フォーラム2019
主催:
新宮市・気仙沼市交流推進実行委員会
唐桑大漁唄込復活推進実行委員会
日時:10月20日(日)13:30〜6:00
会場:気仙沼市鹿折公民館ホール

記事では、フォーラムのテーマをつぎのように紹介しています。〈1300年前に紀州・熊野(現 新宮市)から海路によって運ばれた神霊が唐桑町鮪立に上陸し、そこから陸路をへて室根神社(岩手県一関市)にまつられた歴史を再認識し、両市の「歴史・文化・産業」を通じた相互発展の在り方を考える〉。

一年前、2018年10月27日に両市で交わされた協定書の前文にも同様のことが記されています。

〈和歌山県新宮市と宮城県気仙沼市は、ともに太平洋の豊かな資源に恵まれたまちであり、海が取り持つ縁で、古くは養老2年(西暦718年)の熊野神 勧請と延宝3年(西暦1675年)の鰹溜め釣漁法の伝授など長い交流の歴史の中で産業や文化を育んできた。本年の熊野神勧請1300年室根神社特別大祭を機に、両市の交流をこれまで以上に推進することにより、文化の振興と産業の発展に寄与することを目的に、以下のとおり協定を締結する。〉(引用は以上)

鹿折公民館ホールで開催されるフォーラムでは、講演のほか、創作落語「熊野詣」やアトラクションとして崎浜大漁唄込、唐桑濱甚句十手踊りなどの披露も予定されています。詳しいプログラムは、つぎのラヂオ気仙沼のサイトに掲載されていますのでご覧ください。

ラヂオ気仙沼/歴史探訪フォーラム2019

昨年3月24日には、東京・目黒区民センターで「歴史探訪フォーラム」で開催されました。翌日には、からくわ物語「海の古道」東京公演があり、その前夜祭としての催しでした。川島秀一さんの基調講演や、唐桑町古館家当主の鈴木伸太郎さんなど6氏によるフォーラムも大変興味深いものでした。2018年3月27日のブログにその様子を紹介しております。

気仙沼市唐桑と紀州・熊野との歴史的な関わりはずいぶん知られるようになってきたと思いますが、さらに広く深く知られる価値があると思います。20日(日)午後1時半より。鹿折公民館ホールに是非おでかけください。

2018年3月27日ブログ「黒潮に運ばれた道」
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 新宮市 歴史探訪フォーラム

気仙沼の小さな家

きのうのブログで、和田誠さんのデザインによる東北ツリーハウス観光協会のロゴのことを紹介しました。本日紹介するのも同協会に関係する催事。「笹尾光彦さんの111枚のちいさな絵」展が10月18日から気仙沼図書館で開催されます。


笹尾さん
TOBICHI東京/イベントサイトより

TOBICHI東京/イベントサイト

TOBICHI東京の イベントサイトによれば、〈赤の画家〉として知られる笹尾光彦さんは、かねてより「100のツリーハウス」プロジェクトに心を寄せ、ご自身でも何らかの形で参加したいとずっと思っていたとのこと。そのお気持ちが、今回「気仙沼のために、絵を描き下ろす」ことに結実したといいます。笹尾さん、ありがとうございます。

「ほぼ日」さんが主体となって、つぎの3か所で展覧会が開催されます。

◎笹尾光彦 ~111枚の小さな家~

◎気仙沼図書館
10月18日(金)〜11月1日(金)
(最終日の展示は正午まで)
気仙沼図書館エントランス壁面
(気仙沼市笹が陣3-30)
◎TOBICHI京都
11月8日(金)~11月13日(水)
◎TOBICHI②(東京・南青山)
11月22日(金)~11月26日(火)

展示される作品は販売され、必要経費をのぞいた利益の部分が東北ツリーハウス観光協会へ寄付されます。気仙沼図書館での販売は難しいため、展覧会終了の翌日、11月2日(土)の14時くらいから、「気仙沼のほぼ日」で販売会を開催するそうです。

◎気仙沼の販売会
日時:11月2日(土)14時〜17時
場所:気仙沼のほぼ日
住所:気仙沼市神山5-19

この販売会の日程を記したあとにアレッと思いました。たしか「気仙沼のほぼ日」はことし11月1日で〈お開き〉になるのでは。そして、10月31日から11月1日にかけては「マジカル気仙沼ツアー2019」も開催されるはず。

そうか、この笹尾光彦さんの「111枚の小さな絵」展も、沼のハナヨメ/サユミさんがいう〈「気仙沼のほぼ日」おひらきのフィナーレ」〉のひとつなのか。

そう考えると、気仙沼のほぼ日が、〈小さな絵〉ならぬ、〈小さな家〉に思えてきます。そして2011年11月1日に開所した気仙沼のほぼ日がお開きになっても、気仙沼に始まる100のツリーハウスの活動はこれからさらに大きく広がっていくんだなあと。

そんなことを思いながら、和田誠さんデザインの東北ツリーハウス観光協会/100 TREE HOUSEのロゴをあらためて見てみると、そこにさまざまなビジョンが込められていることにきづきます。

気仙沼図書館での10月18日(金)からの展覧会に是非おでかけください。そして11月2日、お開き翌日の「気仙沼のほぼ日」にも。どうぞよろしく。

10月14日ブログ「和田誠さんに感謝」
 

テーマ : 気仙沼
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和田誠さんに感謝

昨日そして今日と日が経つにつれて、台風19号による被害の大きさが明らかになってきています。被災された方々にお見舞いを申し上げます。

18日の金曜日、台風19号接近に関する情報がいろいろと流れるなか、和田誠さんが死去とのニュースを見て驚きました。代々木公園駅近辺でお見かけすることがなくなり、担当していた週刊文春の表紙のイラストレーションが旧作の〈アンコール〉となったのはずいぶん前のことです。心配しておりました。奥様の和田レミさんによれば、1年ほど前から体調を崩し自宅で療養していたとのことです。

和田誠さんには気仙沼もお世話になりました。2014年9月23日ブログにそのことを記しておりますので再掲します。

◎和田誠さんに感謝
2014年9月23日ブログ

先週金曜日、9月19日午前10時過ぎ。仕事場に向かうために地下鉄代々木公園駅で降りて階段をのぼりました。雑誌を読んでいて駅をひとつ乗り過ごし、時間をロスしたなと思いながら。そしていつもと違うルートを選び小田急線代々木八幡駅を右に見ながら少し歩くと、その人がこちらに向かって歩いてきました。和田誠さん。近くの代々木上原にお住まいです。これまでも、ふた月に一度くらいの頻度でお見かけすることがありました。

あらためて説明の必要もありませんが、デザイナーでありイラストレーター、そして映画の監督もというお方。その和田誠さんが、昨年11月に〈東北ツリーハウス観光協会〉のマークをデザインしたことを、〈ほぼ日〉の「100のツリーハウス」サイトで知っておりました。




ほぼ日「100のツリーハウス」サイト


失礼と思いつつも、声をかけ、つぎのようなことを話した(つもり)。

「突然すみません。オダと申します。多摩美(術大学)の後輩です。実は気仙沼の出身でして、ツリーハウスのロゴなど、和田さんの気仙沼へのご支援に一言お礼を申し上げたいと思っておりました。奥様にも気仙沼のイベントでのメニュー開発などをしていただいて。本当にいろいろとありがとうございます」

奥様の和田(平野)レミさんはシャンソン歌手そして料理愛好家としても知られています。そして、昨年9月のさんま寄席の日に開催された〈市場で朝めし。〉の〈ほぼ日〉ブースで販売された〈平野レミさんの海カツサンド〉を糸井重里さんと一緒につくりあげてくれたのがレミさんです。

和田さんは、「糸井君と……」知り合いということもあって頼まれたなどと語ってくれました。突然に声をかけられて驚いたことと思います。なにか急に話しかけられ、早口でよくわからなかったけれど、とりあえず〈気仙沼〉と〈ありがとう〉だけはわかった、みたいな(笑)。

〈これからも、気仙沼をどうぞよろしくお願いいたします〉と和田さんに直接お伝えすることができたのはなによりでした。電車を一駅乗り過ごして大事な時間を失ってしまったと思っていましたが、そのおかげでうれしい出会いを得ることができました。

和田夫妻の気仙沼へのご支援にあらためてお礼を申し上げます。

(再掲内容は以上)

再掲内容中の、ほぼ日「100のツリーハウス」サイトには、ほぼ日/スガノさんが、5年前の和田さんの元気な姿がうつる写真とともに(和田誠さんは100のツリーハウスの「顧問」なんです)と記しています。

2014年のブログでは、東北ツリーハウス観光協会のロゴを同協会サイトから拝借したのですが、今回は和田誠さんの公式サイトからお借りしました。現在の公式サイト中に紹介されているロゴの仕事は15種ですが、そのなかにこのロゴが紹介されています。

糸井重里さんの発案に始まり2013年10月に発足したこの協会は気仙沼の斉藤道有さんが代表理事。数ある仕事/作品のなかから、このロゴを選んでくださっていることにも配慮を感じています。

高校時代から購読し大きな影響を受けた雑誌「話の特集」もアートディレクターという役割を越えての和田さんの仕事がなければ、あの素晴らしい内容を実現できなかったことでしょう。1か月ほどまえに読んだ本のなかで、同誌の創刊編集長だった矢崎泰久さんが和田さんの貢献を語っている話を読んだばかりでした。こうした形でも、和田さんには大変お世話になったんだなと。ほかにもいろいろと思い出すこと、語りたいことがありますが、ここにわざわざ書くこともないでしょう。

和田誠さんのご冥福を祈ります。ありがとうございました。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 和田誠 ツリーハウス

グッドデザイン賞

気仙沼の皆さん、とりわけ南町や魚町の人にとってはまさに朗報。気仙沼の〈復興デザイン [気仙沼内湾ウォーターフロント・「迎」ムカエル・「創」ウマレル(PIER7)]〉が、2019年度グッドデザイン賞を受賞しました。10月2日の発表。


グッドデザイン賞
グッドデザイン賞サイトより


「復興デザイン」2019年度グッドデザイン賞サイト


本件での受賞企業・団体等はつぎのとおりです。内湾地区復興まちづくり協議会・LLC住まい・まちづくりデザインワークス (東京都) ・株式会社アール・アイ・エー (東京都) ・有限会社オンサイト計画設計事務所 (東京都) ・ぼんぼり光環境計画株式会社 (東京都) ・宮城県・気仙沼市です。記録として受賞概要を引用しておきます。詳細は同賞サイトをご覧いただきます。


◎概要
東日本大震災で被災した気仙沼市の中心街・内湾地区では、みなと文化を継承するため、復興まちづくり協議会(住民、産業人)が、デザイナー・県・市との協働により、防潮堤と一体型の海岸公園、スローシティ観光商業施設「ムカエル」、まち・ひと・しごと交流プラザ「ウマレル」を整備し、海とまちが連続した景観を創出した。
◎デザインのポイント
1.震災前からのみなと文化を継承するための海とまちの連続性の確保可能な防潮堤の景観デザイン 2.防潮堤と一体型の観光商業施設・交流拠点施設の整備による「にぎわい」と「いとなみ」の復興デザイン 3.建築・土木、地域住民・地元産業人・宮城県・気仙沼市など、多主体事業連携を可能にしたデザイン調整
◎プロデューサー
内湾地区復興まちづくり協議会 会長 菅原昭彦、同 公共施設・観光部会長 宮井和夫、宮城県、気仙沼市
◎ディレクター
早稲田大学都市・地域研究所 阿部俊彦
◎デザイナー
住まい・まちづくりデザインワークス(阿部俊彦、津久井誠人)、アール・アイ・エー(村山寛、増見収太、今井圭)、オンサイト計画設計事務所(長谷川浩己、須貝敏如)、ぼんぼり光環境計画(角舘政英、竹内俊雄)

受賞対象の詳細がとてもよくまとめられています。引用します。

◎背景
気仙沼市内湾地区は、水産都市気仙沼の中心街である。魚市場の移転後、産業や商業は新市街地への移転が進み、人口減少や高齢化により地域経済が衰退しつつあったが、海とまちが連続する美しい港町の景観は、観光客も訪れる魅力になっていた。 東日本大震災の津波による被害を受け、多くの建物が流出した。復興計画の策定が急がれる中、宮城県より高さ4.4m(TP6.2m)の防潮堤の計画が示され、多くの住民は、美しい港町の景観、文化、営みが失われてしまうことを恐れ、防潮堤の計画に反対した。  これを契機に、海とまちの連続性を確保するために、気仙沼市によるまちづくりコンペが開催され、専門家やデザイナーの協力を得て、内湾地区復興まちづくり協議会による防潮堤計画に関する宮城県との協議、ウォーターフロントの復興デザインの検討が進められた。

◎経緯とその成果
海とまちの連続性の確保のためには、防潮堤と一体型の海岸公園、ムカエルとウマレルが、シームレスな空間に再生することが求められていた。  そこで、内湾地区復興まちづくり協議会において、建築・ランドスケープ・照明の各分野のデザイナーの協力のもと、ワークショップを通じてデザインが検討された。その内容は、防潮堤の海側に斜面緑地・ステップガーデン・回廊などを設置、まち側に建築(ムカエル、ウマレル)を配置、さらに建築から片持ちで張り出したデッキで防潮堤を覆うことで両側の連続性を確保するものであった。これをもとに、宮城県や気仙沼市の担当者及び土木設計・工事関係者とのデザイン調整会議が繰り返された。  その結果として、本地区では、「海と生きる」という地域の文脈を継承し、港町にふさわしい景観とともに、「にぎわい」と「いとなみ」を取り戻すことができた。(引用は以上)

私は、特に審査委員の評価をうれしく読みました。その中には〈未来の風景に向けた提案である〉と記されています。なお、本件の担当審査委員は、永山 祐子・浅子 佳英・林 厚見 ・山梨 知彦の4氏です。ありがとうございました。

◎審査委員の評価
現在、東北の湾岸部を歩いていて驚くのは、その防潮堤の巨大さである。暴論を承知で言えば、安全のために必要とはいえ、震災後の防潮堤は、震災時以上に大きく風景を一変させているとすら感じるほどだ。この計画では、防潮堤の海側を階段状のステップガーデンで覆い、内陸側にテラス付きの店舗を設け、ステップガーデンとテラスをドッキングさせることで、防潮堤を覆い隠し、防潮堤の機能は残したまま、海と内陸側をつなげている。未来の風景に向けた提案である。(引用は以上)

グッドデザイン賞は、1957年に開始されました。受賞デザインに付される亀倉雄策さんデザインのシンボルマーク「Gマーク」はみなさんご存じのとおり。ただ、シンボルは変わらないものの、〈グッドデザイン〉の定義というか意味するものは大きく変化しています。〈復興デザイン〉が受賞対象となるというのも、その変化のひとつでしょう。といったいろんなことを思い起こしましたが、また回をあらためて記すことにいたします。

内湾地区復興まちづくり協議会をはじめ多くの関係者の皆様に心からお祝いを申し上げます。このたびのグッドデザイン賞受賞、本当におめでとうございました。

2018年11月19日ブログ「祝!内湾ムカエル」
2019年4月17日ブログ「気仙沼交流プラザ」
 

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tag : グッドデザイン賞

御手洗さんの随想

三陸新報で毎週1回掲載される「リレー随想」は、筆者が次回の筆者を指名する形でつないでいきます。先週の筆者は、国土交通省から出向して気仙沼市副市長をつとめている留守(るす)洋平さんでした。その留守さんが指名したのは、気仙沼ニッティング代表の御手洗瑞子(みたらい たまこ)さん。そして10月9日(水)に御手洗さんの〈リレー随想〉が掲載されました。


リレー随想
三陸新報10月9日掲載記事より


タイトルは「わたしの好きな気仙沼弁」です。気仙沼に来て7年経った御手洗さんがいろいろと教えてもらいながら覚えた気仙沼弁がいくつか紹介されていました。たとえば、「おしょすい」「あっぺとっぺ」「かばねやみ」など。

また、「気仙沼は、ぎりすびゆるぐねーがら」と言われたときは、さっぱり意味が分からなかったそうです。祝儀・不祝儀など義理立ての出費が楽でない/ゆるくないといったところでしょう。なにかをわたせば、またそのお返しがと、まさに〈やったりとったり〉。

御手洗さんが特に好きな気仙沼弁は、「かえってどうもー」だそうです。〈親切なことが一往復してから出てくる言葉であるところが、なんとも好きだ。気仙沼の人は、実に軽やかにこの「かえってどうもー」を言う。それはきっと、それだけ親切なことの「やったりとったり」が、気仙沼の中では当たり前にあるということだろう〉と。

私が面白いと思ったのは、〈気仙沼弁の中には、かつて京都を中心に使われていた古語が、たくさん消えずに残っている〉と述べていたこと。これは気仙沼でよく聞かれる話です。その理由として語られるのが、約1200年前に相模の国司だった三位中納言昭次(あきつぐ)卿が、気仙沼の現在の九条地区に館を構えていたからという説。そのあたりのことを2017年8月21日ブログ「中納言神社の再建」に書きましたので、主要部分を引用しておきます。

〈 嵯峨天皇時代(809〜822年)に相模の国司だった昭次卿(あきつぐきょう)は、豪族の娘・玉姫と結婚して息子を授かった。しかし、玉姫に思いを寄せていた有力者の陰謀によって隠岐の国に流され、妻子も襲撃を受けて消息不明になったとされる。

その後、朝廷より許された昭次卿は新たな任地である陸奥を目指し、「香久留ケ原」に館を建設。現在の羽黒神社の社地に観音像を祭り、妻子の無事と再会を一心に願った。そのかいあってか、気仙の髙田(陸前髙田市)で「しもべ」になって農作業をする妻子と再会。昭次卿は感謝の気持ちをもって羽黒神社を興したとされる。 〉(自ブログ引用は以上)

この物語が気仙沼における「中納言伝説」です。「香久留ケ原」(かくるがはら)は、「中納言原」とも呼ばれました。旧 気仙沼高校の校歌のなかでも「香久留ケ原に聳(そび)え立つ」とうたわれているように、気高の所在地近辺です。

中納言伝説は、気仙沼の人にもっと知られていい話と日頃から感じているので、この機会に関連ブログを末尾に掲げておきます。お時間のあるときにでも。

話を戻します。新聞や雑誌などマスメディアに登場する機会の多い御手洗さんですが、地元メディアへの寄稿は案外めずらしい。そしてその随想のテーマが気仙沼弁であったことを大変うれしく思いました。かなりいい感じのローカライズが進行しているようです。

おっといけない。書き忘れるところでした。御手洗さんが次回の筆者に指名したのは、ラーメンでおなじみの〈まるき〉熊谷一政さんです。これも楽しみですね。

2017年8月21日ブログ「中納言神社の再建」
2017年8月28日ブログ「羽黒神社」の由緒
2017年9月6日ブログ「中納言神社鎮座祭」
 

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tag : 御手洗瑞子 気仙沼ニッティング

市長のツイッター

気仙沼市の菅原茂市長が10月1日からTwitter(ツイッター)を始めました。〈市長が「つぶやき」ます〉と題された9月27日の記者発表資料の表現にしたがえば、〈Twitter(ツイッター)に菅原茂(気仙沼市長)アカウントを開設し、10月1日(火) より運用を開始〉しました。


ツイッター

菅原茂(気仙沼市長)プロフィール画面より


同資料によれば、市長自らが、市政や市内の最新情報、隠れた情報などを始め、「気になる」話題への想いや感想も含め発信するとのこと。10月1日から8日までで13ツイートが投稿されています。私もさっそく菅原市長をフォローしてツイートを見ておりますが、硬軟のバランスや写真の扱いなど、なかなかいい感じ。

10月8日午後3時半のツイートは、村井宮城県知事の「みらい造船」視察でした。新聞報道で知る情報とはちょっと違った角度というか、リアルな印象を受けました。

参考まで申し上げれば、このツイートの末尾で菅原市長は〈同社のキャッチ「100年先の未来へ」のとおりの発展を期待しています〉としていましたが、正確には「震災から100年先の未来へ」です。ツイートは140字制限があるので簡略化したのでしょう。

市長のツイッター投稿が多くの人の目に触れるようになると、この私のような〈面倒くさい/メンドクセ〉反応がいろいろあると思います。地元新聞や市議会との距離感といったこともあるかもしれません。しかし、そうした反応に学びつつ、鍛えられつつツイートを継続して欲しいと思います。

連想するのは、千葉市長の熊谷俊人さんのツイートです。議会、市民、メディアなど、とりまく様々な行政や政治環境のなかで積極的な情報発信をおこなっています。ときにはメディア報道に対する反論なども。菅原市長もツイッター開始にあたって、参照していると思いますが、ひとつの参考モデルといってよいでしょう。

ちょっと話が横にそれましたが、菅原市長がどんなことをつぶやいているのか。どうぞのぞいてみてください。菅原市長のツイッターアカウントは下記に。

菅原茂(気仙沼市長)

ついでに私のアカウントも(笑)。主に本ブログのお知らせや気仙沼関連のリツイートなどをおこなっています。

気中20/小田
 

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かねせんの新店舗

気仙沼の〈かねせん蒲鉾店〉さんが、震災後4年間営業してきた田中前店を閉じて、10月7日に魚町に新店舗をオープンすることは9月24日のブログでお伝えしました。そしてきのう10月6日(日)の三陸新報に、新しい店舗の写真とともにオープン告知の広告が掲載されていました。

かねせん
三陸新報10月6日掲載広告より


新店舗は魚町1丁目5-6です。広告右下の地図には〈※震災前の場所です〉との説明がありました。

先日のブログで、以前のかねせんさんの店について〈震災前は魚町、太田入口の山友薬局の右側にありました〉と書いたのですが、いまは〈吉花堂さんの右側〉といわなければいけなかったのですね。さらに右側には菓子店の〈ブリアン〉さんがありました。さらに右側のほうの角には果物の〈細谷青果〉さん。陣山への小道をはさんで〈熊谷煙草屋〉さん、何軒かすぎて〈弁龍屋豆腐店〉さん。弁は難しい方の漢字/正字の辨だったかな。辨龍屋。といったならびの店の名を思い出そうとするのですが、なんか記憶があやしくなっており、この辺にしておきます。

広告には7日8日のオープン記念の特典が記されています。③番目の「さつま揚げ」はわかりますが、「タコ唐」というのはなんでしょう。タコの唐揚げだろうとは思うのですが、蒲鉾店がつくるタコ唐というのが面白いし美味しそう。数量限定とのことですが、どうぞお出かけいただいて私の代わりにご賞味いただければと。

かねせんさん、元の場所に戻っての新店舗オープン、おめでとうございました。益々の盛業、繁盛を願っております。
 

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tag : かねせん

商工会議所女性会

気仙沼商工会議所女性会が創立40周年を迎え、10月3日に記念式典がおこなわれました。5日の三陸新報が伝えています。

女性会

三陸新報10月5日記事の一部イメージ


女性会の会長は、武山美加(櫻子/おうし)さん(3年9組)です。櫻子は書家でもある美加(みゆき)さんの雅号。

商議所の女性会は1979年に婦人会として創立されたそうです。式典では、創立時からの会員で2代目会長を務めた菅原倭子特別顧問(86)に感謝状が贈られたとのことです。また、記念事業として、子供たちの教育のために、気仙沼図書館に児童図書約200冊を寄贈しました。

婦人会/女性会としては40周年ですが、気仙沼商工会議所はいつ設立されたのでしょう。気仙沼文化史年表(荒木英夫 著)を調べてみたら、69年前の1950(昭和25)年10月20日に創立総会がおこなわれています。初代会頭として魚町〈木田屋〉木田(きだ)豊吉さんが選出されました。木田豊吉さんは、それまでに県会議員もつとめていたはず。漁協組合長など要職を歴任しています。

なんとはなしに年表の項目を目で追っていたら、1952(昭和27)年10月31日「商工会議所会頭に広野善兵衛を推薦」とありました。2代目会頭ということでしょう。「麻屋」(現 アサヤ)社長で、1957(昭和32)年から4期16年間は気仙沼市長をつとめています。

なお、10月2日の三陸新報に、任期満了に伴う気仙沼商工会議所の1号議員選挙で38人が無投票当選したとの記事が掲載されていました。1号議員とは会員および会員以外の特定商工業者の投票によって選ばれます。同級生では、カネシメイチ/小山修司君(3年5組)、臼眞倉庫/臼井真人君(3年2組)のふたりが引き続き務めます。1号のほかには部会員から選ぶ2号議員、会頭の指名ほかの方法で選ぶ3号議員がありますが、詳細は略します。

ちょっと話がとんでしまいましたが、武山さんが商工会議所女性会の会長としても活躍していることをお伝えしたく。書家としての活動もありますからいろい忙しいこととは思いますが、魅力あるまちづくりのために頑張ってほしいと思っております。

なお、武山さんは本年、毎日書道展/近代詩文書の部の最高賞とされる〈会員賞〉を受賞しました。大金星。つぎのブログに記しております。こちらも是非に。

7月19日ブログ「武山櫻子受賞記事」
 

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tag : 武山櫻子 商工会議所

「神様あそばせ」

きのうのブログ「早馬神社の800年」の末尾に、2016年2月16日のブログ「「日篭・神様遊ばせ」」のリンクを貼っておきました。そして、その記事の末尾には同年2月8日ブログ「神様をあそばせる」のリンクも。

このふたつのブログを久しぶりに読み直してみたのですが、結構おもしろい。ということで、これを機に、ひとつの記事にまとめておくことにしました。長くなりますが、お手すきのときにお読みいただければと。


2016年 2月8日ブログ

「神様をあそばせる」     


前回2月 5日のブログの結びに「〈神様が喜ぶ〉と書いたら、気仙沼の〈神様あそばせ〉という行事というか集まりの名を思い出しました」と記しました。本日はこの話。

私が中学生だったころの記憶は、〈きょうは、だれそれさんちで、神様あそばせがあるんで行ってくる〉と言う母に、それってなあにと聞いたこと。〈神様をあそばせる〉という言葉が面白く感じられたのです。その後は〈おぢゃこのみ〉(主婦らのお茶飲みの会)的な集まりと理解しておりました。

いまは仙台で暮らす母に電話で聞いてみると、〈神様あそばせは、近所の女の人たちが集まるんだけど、どんなことをしたかなあ。思い出せないなあ。細かいことは忘れてしまったけれど、たしか、小正月のときにやるんだよ。年末や正月で忙しかった奥さんがたの慰労会みたいなところもあったんじゃないかなあ〉とのこと。先月末に満93歳となったので、記憶の衰えはやむを得ないでしょう。

ネットで調べてみると、気仙沼市唐桑町の宿浦にある早馬神社のホームページの年中行事説明で「日篭・神様遊ばせ」をつぎのように記しています。〈日篭〉ひかご?がどういうことなのかはわかりません。

◎日篭・神様遊ばせ
 神と人が一体となる神事、神と共に遊ぶ神事である神様あそばせ。
 年の始め、地域ごとに各家々の人達が集まり一年の家族、地域の無事を祈る志願祈祷を執り行い、神職の講話、後に御神酒、お茶、茶菓子、お煮しめを頂きながら地域の人達と和を広げ神、人と一体となってその時間を過ごす。
 この海に面した唐桑の土地柄男性は遠洋漁業など海上の仕事に従事したため女性が家を守り、安全を祈る役目であった。ゆえに参加する者のほとんどが女性である。また、女性が堂々と一日遊べる日でもあり楽しみにしている方も多い。
 年末には再び集まり一年の無事を感謝し、報賽の祈祷を行う。いつの時代から始まったのか不明であるが、昔から伝わる唐桑の習慣、伝統である。(引用は以上)

本吉唐桑商工会のホームページ(現在はみあたらず)の〈唐桑の歴史〉の中にも記述がありました。

◎神様あそばせ
「 常に自然と向き合ってきた唐桑の暮らし。突然に襲う天変地異や事故から家族を守るため唐桑の人々はいつも祈ってきた。そのひとつが『神様あそばせ』。部落内の1年間の幸せを願って、年の始めに家々の代表者が集い地区内の神社へお参りをする。
 宿地区では、毎年総勢2~30人で近くの諏訪神社、熊野神社をまわり、早馬神社でご祈祷を受ける。オガミサマ(巫女)信仰の厚い中区では、オガミサマに1年を占ってもらう。「○月頃火事があるかもしれない」。そんな言葉に身をひきしめる。そして1年を無事に過ごすと、年の終わりに“果たし”をする。再びみんなで集まり、神様に感謝するのである。古来から伝わる唐桑の暮らし方だ。いつの時代から始まったのか、その語源は何なのか、年配の人たちもわからないという。」(引用は以上)

なるほどね。だけど、これは私の知る昭和30~40年代の気仙沼市魚町の〈神様の遊ばせかた〉とはちょっと違うなあ。と思っていたら、鹿折(ししおり)中学36回生のブログ「鹿中36会」のなかに、私の記憶に近い説明がありました。

(前略/はじめに上述した早馬神社HPの説明の引用がありますが略します)ということらしいのですが、手っ取り早く言えばおばちゃんだずが40~50人くらい集まって騒ぎまくるということ。我々の母親くらいの世代の人が中心なので、お母さんが出席したことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか?

白菜漬け、お煮しめ、ゆで笹かまにしょうゆと味の素かけたもの(激うま)等を食べながらの飲み会です。しむけんのバカ殿に使われるようなおばちゃんの笑い声が、2時間くらい続くので、自分が小さい頃はその異様な雰囲気に恐れをなしていました。

実家を出てからは、しばらくその声を聞いていませんが、おばちゃんの持つパワーというか、その世代の方々が持つ力強さを今ではとても懐かしく感じます。「負けでらんないね」(ブログ引用は以上)

鹿中36会は昭和42・43年生まれとのことですので、現在47~48歳の方々。16歳ほど私たち気中20より若いのですが、そのお母様がたの〈神様の遊ばせ方〉は私の母の世代と同じようですね。

でもなあ、鹿折も魚町も5年前の津波で大きな被害を受けました。小正月のあたりに地区の主婦が集まって遠慮のないおしゃべりをくりひろげた〈神様あそばせ〉も今は無理でしょう。神様を遊ばせる場所が今はないのです。という結びがうまいのかうまくないのか。よくわかりませんが、新しい週がはじまりました。元気にやっていきましょう。


2016年2月16日ブログ

「日篭・神様遊ばせ」     


2月8日のブログで〈神様あそばせ〉について書きました。その記事で〈気仙沼市唐桑町の早馬(はやま)神社ホームページの年中行事の説明の中にある「日篭・神様遊ばせ」の〈日篭〉ひかご?がどういうことなのかはわかりません〉と書きました。そして、そのままにするのも気持ちが悪いので、早馬神社さんにメールで問い合わせたところ、丁寧な返信をいただきました。本日はその内容を紹介します。

早馬神社

早馬神社ホームページのイメージ(クリックでジャンプ)

ホームページでは〈日篭〉と略字を用いて書いてありましたが、〈日籠〉は〈ひごもり〉のことだそうです。以下、解説の文面を引用いたします。

◎日籠について

日籠(ひごもり)とは日中(昼間)、神社に籠(こも)って神様に祈願をすることを指します。個人個人で祈願される場合は手術の成功や病気平癒、大漁祈願を願うことが多くローソクを灯して祈願されます。昔は夜籠り(よごもり)も行われ、一晩中籠ってお願いをしました。

日籠の中でも年始と年末に行われ、地区ごとに毎年同じ日に行われる行事を「神様遊ばせ」とも言います。神様にお米やお酒、お菓子の他、種々のお供え物を供えて1年の安泰を祈願し、その後、お供えした食品をお下げして食べ、神様と人が神人共に時間を過ごします。神様が遊ばせになる、神様と共に遊ぶという意味があります。

日籠、夜籠の名称は全国的にあるかと思われますが、「神様遊ばせ」に関しては唐桑が発祥かと思われます。古くは「おかみさま」で行われていた行事を、神社近くの地域の氏子からの依頼により早馬神社でも始めることとなりました。そこから気仙沼に広がっていったと思われます。今現在では当時沢山いた「おかみさま」も唐桑では全員亡くなられ、神社でのみ行われています。

早馬神社での神様遊ばせは地区ごとに女性達が神社に集まり、新年には平穏無事を願い、12月には報賽(ほうさい/1年の感謝)を行います。ローソクを旧暦の月の本数灯し、御祈願を行った後、お菓子やお煮しめを食べながらワイワイ雑談をして楽しみ時間を過ごします。昔は女性達が前年の暮れからお正月のお松納めまで休みなく働き、神様遊ばせだからと胸をはって出掛けることができ、その慰労とストレス解消の意味もありました。また、同じ地区の人達同志の結びつきを強くする効果もあったようです。(引用は以上)


梶原忠利宮司さまがまとめてくださったとのことで恐縮しました。唐桑における〈神様あそばせ〉の由来、背景がよくわかりました。ありがとうございました。

説明のなかにある〈おかみさま〉は、たしか〈おがみさま〉とも呼ばれたはずです。東北地方北部では〈イタコ〉とも。私が小さなころの気仙沼市魚町では、近所の人が亡くなると〈口寄せ〉という集まりがあって、〈おかみさま/おがみさま〉に来てもらい、亡くなった人からのメッセージを拝聴する風習がありました。私自身に参加経験はないのですが、母が〈今日は誰それさんの家で口寄せがあるので行ってくる〉と語っていたことを覚えています。

1年ほど前だったか、一ノ関市で〈最後のおかみさま〉が亡くなったとの新聞記事を見て、このブログで紹介しようと思いつつそのままになってしまいました。また、〈神様あそばせ〉についても、遠野地方などでは〈オシラサマ遊ばせ〉を行うそうなので、両者の関連など興味がつきません。本日は、早馬神社さんにお教えいただいた内容の紹介にとどめますが、この話題についてはまたあらためて。

今回、早馬神社様には大変お世話になりました。かさねてお礼を申し上げます。

ブログ2種の再掲内容は以上です。

ブログ中に2016年1月に93歳になった母のことを記していました。以前の気仙沼のことをブログで書くときは、母になんやかんやと電話で聞いていたのです。その母も一昨年10月に亡くなりました。今月中旬には仙台で三回忌です。

「神様あそばせ」のときもそうでしたが、母が気仙沼の〈昔話〉をした後はいつも、ひさしぶりに思い出したといって笑っていたことをなつかしく思い出します。

早馬神社のホームページとFacebookはつぎのとおりです。

早馬神社ホームページ
早馬神社Facebook
 

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早馬神社の800年

9月29日の三陸新報に気仙沼市唐桑町の早馬(はやま)神社の広告が掲載されていました。「早馬神社御鎮座八百年 奉祝記念事業完遂報告」。

早馬神社
三陸新報9月29日掲載広告より


冒頭には早馬神社の由緒などが記されています。少し引用します。

「早馬神社は1219年、鎌倉武将 梶原景時(かげとき)の兄である梶原景実(かげざね)により創建されてから、御鎮座八百年の佳節を迎えました。衣食住の守護神の他、鎌倉幕府編纂の歴史書『吾妻鏡』には、初代、景実が源頼朝公の直々の命によって、ご夫人である北条政子の安産祈願を執り行う中、無事、男子(2代将軍源頼家公)を出産したことが記され、史実より今も多くの安産祈願・成長祈願の参拝者が訪れます。」(引用は以上)

ネットのWikipediaの「梶原氏」の説明文のなかにも、「唐桑梶原氏」の項目がありましたので引用します。

◎唐桑梶原氏
宮城県気仙沼市唐桑町。梶原姓が100軒を超える日本最大の梶原姓の集落。梶原景時の兄で、鶴岡八幡宮(鎌倉若宮)の臨時別当に就任した梶原専光坊景実(かげざね)が梶原一族の没落、和田氏、畠山氏の没落の後に鎌倉を離れ、蝦夷千島を目指す途中、本吉高衡(藤原高衡)ゆかりの宮城県気仙沼市唐桑町石浜に土着した。景実は梶原一族の冥福を祈り、菩提を弔うため梶原堂(梶原神社)を建てた。のち一族の梶原景茂の子、大和守景永は景実の所在を尋ねてこの地に至り、景実の猶子となって神職となり早馬神社を創建した。以来33代、子孫が現在まで連綿と続いている。(Wikipedia引用は以上)


当代の梶原忠利宮司からさかのぼると鎌倉時代の梶原景実にいきつくということに驚きます。また景実が、鎌倉の鶴岡八幡宮の臨時別当をつとめていたことがあるというのも興味深い。

10月6日(日)の八百年大祭における神輿渡御では、いかにも唐桑らしく船を用いての渡御がおこなわれます。宿浦港を出て鮪立(しびたち)港へ、そして小鯖(こさば)港に寄って宿浦に戻ります。また、奉納芸能もすばらしい。鮪立大漁唄込、宿(しゅく)打ち囃子獅子舞、松圃(まつばたけ)虎舞、崎浜大漁唄込と続きます。このように神社の祭に奉納される芸能こそがまさに「芸能」の名にふさわしいように思います。

早馬神社の8世紀にもわたる歴史のなかには、東日本大震災をはじめ多くの災難もあったことでしょう。そうした難局を、代々の神職はもちろんのこと、氏子をはじめ地域の皆さんの力でのりこえてきたに違いありません。このたびの拝殿屋根替えほかの八百年奉祝記念事業もその歴史のなかの一里塚となることでしょう。

そんなこんな、鎌倉時代から令和のいまに至る歴史に思いをはせつつ、早馬神社御鎮座八百年のお祝いを申し上げます。

以前にこのブログで早馬神社に関係する話を何度か書きました。ひとつは詩人 梶原しげよさんの話。32代宮司 梶原重義さんの妹、現在の33代梶原忠利宮司の叔母さんにあたります。もうひとつは唐桑だけでなく気仙沼の人なら懐かしく感じるだろう「神様あそばせ」についてです。お手すきのときにお読みいただければと。

2017年9月8日ブログ「詩人 梶原しげよ」
2016年2月16日ブログ「日篭・神様遊ばせ」
 

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tag : 早馬神社 唐桑

2015年1月の鹿折

きのう9月30日のブログ「鹿折の区画整理竣工」の続きです。鹿折地区の土地区画整理事業は、2013年7月に着工しました。当初は2017年度末の事業終了を目指していたことはきのうもお伝えしました。

本日紹介するのは、2015年1月16日のブログ「鹿折地区かさ上げ」です。この中で、着工から1年半ほど経った鹿折地区の空撮写真を掲載した三陸新報の記事を紹介しているのです。4年8か月前のブログになりますが、以下に再掲します。一部月日に年表示の追加をおこないました。


◎鹿折地区かさ上げ
2015年1月16日ブログ

三陸新報の連載〈再興するまち~上空から見る〉、(2015年)1月8日の第3回目は〈鹿折地区〉。

鹿折空撮
2015年1月8日三陸新報記事より


記事を引用します。
「津波と火災で大きな被害を受けた鹿折(ししおり)地区。土地区画整理事業による大規模なかさ上げが本格化している。事業の進捗に欠かせない盛り土の搬入率は4割を超えて順調に推移。海抜1.8~5.5mの地盤高を基本とする新たな市街地が、平成29年度完了に向け着々と形作られている。2度目の入札で建設業者が決まった災害公営住宅は、今春から工事が始まる見通し。一方、南側区域10.8haは別事業による水産加工施設集積地の造成が完了し、被災した加工場の再建が急ピッチ。集積地内には22社の立地が決定している。」引用は以上。

空撮写真だと、かさ上げの規模がなかなかわからないのですが、海抜1.8~5.5mの地盤高といいますから、相当な高さです。この地区に打ち上げられていた第18共徳丸は、2013年10月27日に解体を終了して今はありません。〈あれっ、どこにあったんだっけ〉と思われる方も多いのではないでしょうか。

鹿折地区では、鹿折中学31回生が中心になって被災した家屋跡地などにヒマワリを植えていました。この「鹿折に花を」プロジェクトについては、以前も何度かこのブログで紹介しました。そのヒマワリが植えられていた跡地の多くで今、かさ上げが進んでいるのです。鹿中31回生のブログを見ると、昨年は、鹿折唐桑駅付近のほか、ホーマックさんや浄念寺さんの場所を借りて、ヒマワリを育てたようです。鹿折唐桑駅では発泡スチロール箱をプランターにして、チューリップや水仙、ギガンジュームなども。その球根は、また浄念寺などに植えられました。今年もきれいな花を咲かせてくれることでしょう。

あと2カ月で震災から4年。鹿折のかさ上げが進む地域に育ち、暮らしていた人達の気持ちはどんなだろう。この空撮写真をながめていると、〈復興のつち音〉とは別の、もっと複雑で深さと重さを持った、多くの人の思いが伝わってくるようです。

再掲内容は以上。

写真にうつるのは震災から3年10か月の鹿折地区です。8年半後、先日9月28日に土地区画整理事業が完了しました。2015年のブログのなかで鹿折中学31回生の皆さんの「鹿折に花を」プロジェクトを紹介しています。久しぶりにそのブログ「鹿折中学校31回生+m」をのぞいてみると、鹿折の浄念寺さんに植えたひまわりのお世話のことが記されていました。かさ上げ工事のために、同級生の自宅跡などに植えたひまわりを工事の影響を受けない場所に植え替えて今もお世話しているのです。

4年8か月前のブログを読み返してみて、書いた当時とはまた違った感慨をおぼえました。そのことをお伝えしたく。

なお、「鹿折中学校31回生+m」2015年1月17日記事では、前日の当方ブログを紹介したうえで、上掲の震災後の鹿折写真と、同じ角度からの震災前写真を掲載していました。こちらも是非お読みいただければと。

「鹿折中学校31回生+m」2015年1月17日記事
 

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tag : 鹿折 土地区画整理事業

鹿折 区画整理竣工

気仙沼の鹿折(ししおり)地区で進められてきた土地区画整理事業の工事がやっと終了しました。9月28日に東みなと町公園でおこなわれた竣工式の様子を三陸新報が伝えています。


鹿折

三陸新報9月29日記事の一部イメージ


鹿折地区の土地区画整理事業は2013年に着工。沿岸部の低地ゾーンを海抜1.8m以上、住宅地となる盛り土かさ上げゾーンを海抜3m以上に造成しました。事業は、独立行政法人都市再生機構(UR都市機構)が受託しました。三陸新報の記事が「UR都市計画機構」としていましたが誤記でしょう。

区画は547区画で、完成したところから地権者に引き渡しています。総事業費は248億円で国の復興交付金を活用しました。河北新報によれば、当初計画(108億円)の2.3倍にまで膨らんだそうです。2013年7月に着工した工事は当初、2017年度末の事業終了を目指したそうですが、被災建物の撤去や水道管などの移設工事の調整などに時間がかかったといいます。事業費が増えたのもそうした事情が関係しているのでしょう。記事では、2017年9月に土地が引き渡されるはずだった理容店「鹿折軒」の小野寺さん親子の話を紹介していました。

気仙沼市内での土地区画整理事業は、鹿折のほかに3地区でおこなわれています。それらの工事完了予定は、「南気仙沼」が本年度内、「魚町・南町」と「松崎片浜」が来年度内を見込んでいるとのことです。来年度内というと2020年度内、遅ければ2021年3月の可能性ということですね。

皆さんが一所懸命に取り組んでいらっしゃるわけですが、まだまだ時間がかかるんだなとあらためて感じました。

鹿折の工事、いろいろとご苦労があったことと思います。関係者の皆様、ありがとうございます。このたびの竣工、おめでとうございました。
 
河北新報9月29日配信記事
 
 

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tag : 土地区画整理事業

牡蠣の森と生きる

9月25日のブログ「西舞根川護岸撤去」で、畠山重篤さんのことにも少し触れました。ブログを書いていて、紹介しようと思いながらもそのままにしていた重篤さんの新著のことを思い出しました。「牡蠣の森と生きる」です。6月16日の三陸新報も新刊紹介ということでとりあげていました。


6:16重篤さん
三陸新報6月16日記事より


この本は、読売新聞のシリーズ「時代の証言者」記事をまとめたものです。昨年12月17日から1か月、約30回の連載ははじめて知ることも多くとても興味深いものでした。このブログでは2度紹介しました。

2018年12月17日ブログ「重篤さんの新連載」
2019年1月11日ブログ「三陸ホタテ黎明期」


第1回目の記事はこんな感じ。再度のご紹介です。

1回目3
読売新聞2018年12月17日掲載記事


新聞連載の第1回目では、〈聞き手〉の編集委員 鵜飼哲夫さんがつぎのように書いていました。

〈漁師が山に木を植え、海を豊かにする活動「森は海の恋人」を始めて30年になる。海と川、そして山をひとつながりの自然として大切にする実践は高く評価され、2012年に国連の「フォレストヒーローズ(森の英雄たち)」に選ばれた。東日本大震災での苦難をも乗り越えた挑戦の人生を振り返ってもらった〉

これだけ充実した内容であればいずれ書籍として出版されるだろうと思っておりましたが、読売新聞グループの中央公論新社が書籍化してくれました。

新著についてAmazonの紹介文を引用しておきましょう。

◎内容紹介
宮城県気仙沼の牡蠣養殖家はなぜ森に気を植える活動を始めたのか。生きものを友だちだった孤独な少年時代から、養殖家として成功し、東日本大震災で甚大な被害を受けながらも、それを乗り超えるまでを一気に語り下ろす「牡蠣じいさん」初の聞き書き自伝。中学校の国語教科書に採用されたエッセイ「森は海の恋人」など付録も充実。『読売新聞』に「時代の証言者」として連載中から、「子に、孫に読ませたい」と問い合わせ殺到。

◎内容(「BOOK」データベースより)
牡蛎じいさん、初めての半生記。ウサギや野鳥が友だちだった幼少期、父の仕事を継いで養殖に励んだ若き日々、森に目を向けるきっかけとなったフランスへの旅、すべてを津波が押し流した東日本大震災、そして、今。大反響を呼んだ読売新聞「時代の証言者」待望の書籍化。文章家として世に出るきっかけとなった懸賞作文、教科書に掲載された「森は海の恋人」など、この30年の名エッセイも収録。(引用は以上)

なるほど、読売新聞の連載記事に加えて、ほかのエッセイなども収録されているのですね。新聞の連載を読んでいたし、切り抜きもあるので買わずにおくかと思っておりましたが、購入を検討しなければなりませんね。なお、気仙沼図書館、本吉図書館のいずれもが本書を館蔵しているようです。

「牡蠣の森と生きる」は、気仙沼のより多くの人に読んでいただきたい書籍です。気仙沼市内各書店などにて。どうぞよろしく。



 

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tag : 畠山重篤 牡蠣の森と生きる

舞根地区高台移転

今度の日曜日9月29日のNHKテレビ「明日へ つなげよう」で気仙沼市唐桑町舞根(もうね)地区の高台移転がとりあげられます。


舞根

NHK番組サイトより


◎明日へ つなげよう/証言記録▽気仙沼市
「ふるさとの絆を守れ~住民主導の高台移転」
NHK総合テレビ
9月29日(日)午前10:05〜10:52

番組サイト

番組案内を引用します。

〈津波で家屋の大半が被災した舞根地区。住民たちは故郷の絆を守りたいと、安全な高台へともに移転する方針を決定。行政の支援を受けられる、防災集団移転制度の適用を気仙沼市に求めた。しかし、市は財政破綻の恐れなどから動き出せず、時間が経つにつれ離脱する世帯も現れた。住民たちは市の先手を打ち、移転先の用地確保や宅地造成費削減などの具体策を提案。事業費を大幅に抑えて高台移転に成功した。住民主導の取り組みを追う〉(引用は以上)

9月25日のブログで舞根地区の干潟保全や畠山重篤さんの話を書いたばかりでした。舞根の話がつづきますね。

2016年4月15日のブログ「舞根の生命の再生」で、同年3月8日の読売新聞に掲載された畠山重篤さんや舞根地区の記事を紹介したことがあります。そのなかで、重篤さんが舞根地区の被害をつぎのように語っています。

「 あの日の夕方、裏山から見た光景は地獄絵図そのものであった。大津波の峠は越したものの、ゴーゴーと音をたてて潮が急流のように行ったりきたりしていた。余震も続いていた。

 海抜25mの高台に建つ我が家は辛うじて助かったようだが、風景の一部である海辺の家が全部姿を消していた。殆(ほとん)どの家が畠山という同一姓の地区なので各戸に屋号がついていた。

 二百年は続いていただろう旧家の寺釜(気仙大工が建てた赤瓦の大きい家)、釜の前(昔は塩を炊いていたので屋号になった。最近増築したばかりだ)。釜の前の上、中新、釜の前の下。横峰、前港、後港、貝浜別家、大岩、角、中、中新屋、中新屋別家、荒浜、上新屋、丸光、横峰隣。夕暮れの中でこれだけ数えられた。」(引用は以上)

9月29日の「明日へ つなげよう」の映像にうつるであろう人たちも、その多くが上にかかげた屋号をもつ方々なのでしょう。

私は2016年4月のブログのなかでつぎのように記しました。

〈この屋号の話を私は面白く読みましたが、その後には、集落52世帯のうち44世帯が流されて4人が亡くなったという話が続きます。そして老人ホームでお世話になっていた(重篤さんの)お母様の小雪さんも亡くなったと。火葬まで2週間を要したそうです〉

9月29日午前10:05より。お見逃しのなきように。

2016年4月15日ブログ「舞根の生命の再生」

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tag : 舞根 集団移転

鶴亀食堂の「人情」

きのう9月25日の三陸新報「論説」が、気仙沼市魚市場前みしおね横丁の「鶴亀食堂」のことを取り上げていました。タイトルは〈人情のある接客を大事に〉ということで、とても好意的な内容でした。

鶴亀食堂

三陸新報9月25日記事の一部イメージ


論説記事を少し引用させてもらいます。

〈 営業は午前6時から。この時間に朝食を食べられる飲食店は市内では珍しい。しかも、気仙沼自慢の旬の魚が使われているとなれば、魚市場見学に来た観光客にも利用を勧めたい。

この店には、カツオ船の乗組員が品質の良いカツオを片手にやって来る。今の時期はちょうど脂が乗っていて、メニューの主役として提供されることもある。〉(引用は以上)

気仙沼を〈日本一、漁師を大切にするまちにしたい〉と、「鶴亀食堂」や「鶴亀の湯」を企画し運営するのは一般社団法人「歓迎プロデュース」さん(小野寺紀子代表理事)です。三陸新報の論説筆者は、その開業の意義を理解する一方、資金調達などの苦労も知っているだけに、盛況ぶりをうれしく思っているのでしょう。〈論説〉というよりも〈応援〉のメッセージを感じます。

みしおね横丁がオープンしたのは、7月26日。今日でちょうど2か月です。


7月30日ブログ「みしおね横丁開業」

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tag : 鶴亀食堂 みしおね横丁

西舞根川護岸撤去

気仙沼市唐桑町舞根(もうね)地区で、震災の災害復旧工事の一環として河川護岸を撤去しただけで造り直さないという珍しい工事が9月21日におこなわれたそうです。9月22日の三陸新報が伝えています。

舞根川

三陸新報9月22日記事の一部イメージ


記事によれば、撤去されたのは西舞根川の左岸のコンクリート製護岸です。150mほど離れたところに東舞根川が流れていますが、その水は間にある干潟(ひがた)を通って西舞根川に合流しています。工事は、東舞根川の水を西舞根川に流すためにおこなわれました。10mほどの護岸が撤去されたことによって、干潟の水の出入りが増えて生態系がより豊かになることが期待されています。

この場所にある干潟は、環境省が生物多様性の観点から重要な湿地を保全することを目的に2001年に発表した「日本の重要湿地500」にも選出されるなど、学術的にも貴重なものだそうです。この護岸撤去を要望したのはNPO法人「森は海の恋人」の理事長でもある畠山重篤さんです。重篤さんが干潟の大部分を所有し、干潟周辺の地権者も同意したことから、工事の事業主体である気仙沼市も要望を受け入れたとのこと。

記事では、「舞根森里海研究所」を拠点に海の水質などを調査している首都大学東京/都市環境学部の横山勝英教授のコメントを紹介しています。横山教授は「通常の災害復旧工事とは正反対の作業で、おそらく日本初の事例。構造物ではなく、自然環境を回復させる取り組みとして、とても意義深い」と評価しています。

今回の工事は、地権者の要望によって護岸を撤去したという事例です。これとは逆に、そこに暮らす人もいなくなったような土地であっても、それを守るための防潮堤が建設された例も多いように思います。こうしたことに対しては賛否両論あり、私も軽々に語るつもりはありませんが、報道をみるたびに地権者の財産権というのは本当に大きなものだなと感じたものです。

記事には畠山重篤さんの話も紹介されていました。「汽水域動植物の宝庫。これまでは干潟と川の水交換はごくわずかだったが、それでも多くの植物や生物がみられた。護岸撤去によって、さらに環境が豊かになり“自然の博物館”のようになるだろう」と。

最後に。記事には、東舞根川の水は間にある干潟を通って西舞根川に合流しているとあるのですが、これがよくわかりませんでした。逆の流れであれば、護岸撤去によって干潟を通り東舞根川へ流れこむ水量が増えるというのがすなおに理解できるのですが。河川の左岸や右岸ってどっちがどっちということも含めて、私の頭はこんがらがってしまいました。紙に書いてみたりもしたのですが、どうにもわからない。ま、年のせいということにしておきましょう。私には難しすぎる(笑)。

なお、NPO法人「森は海の恋人」事務局日誌「周回軌道」の関連記事を以下に。工事の写真も掲載されています。

「周回軌道」9月23日記事
 

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かねせん店舗移転

本日9月24日の三陸新報にうれしい広告が掲載されていました。かまぼこの「かねせん」さんが10月7日に魚町にもどって新店舗をオーブンするとのこと。

かねせん
三陸新報9月24日掲載広告


この広告、背景に屋号「かねせん」をグレーで配したのもシンプルでとてもいいですね。かねせんさんの店舗は、震災前は魚町、太田入口の山友薬局の右側にありました。帰省して東京に帰るときなどはよく土産に笹かまを買いました。

現在の田中前店は2015年9月からだったのですね。4年間か。また魚町にもどってお店をと計画していたのなら、とても長い4年間だったことでしょう。その間の魚町/土地区画整理事業の進行や防潮堤のことなどもあり、いろいろと心配なこともあったはず。

広告には、新店舗が魚町のどこにオープンするのかは記されていませんでした。〈元の場所近く〉だとしても、道路の取り付けも変わっていますしね。

ま、細かなことは別として、こうして魚町にお店が戻ってきてくれるというのは、元住民としてとてもうれしい。やっとこうした動きが目に見えるようになってきました。

10月7日近くなれば、詳しい住所などもわかると思います。そのときにまた紹介することとしますが、まずは魚町に戻っての新店舗オープンが決まったことのお祝いを申し上げたく。おめでとうございました。
 

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屋号ヤマキの「キ」

三陸新報の連載記事「わが社の屋号」をしばら見ていないなと思っていたのですが、9月17日に久しぶりの掲載がありました。その第19回目は弁天町の「ヤマキ」さんです。

ヤマキ
三陸新報9月17日記事より


記事によれば、屋号「ヤマキ」のルーツは、斉藤康社長の親戚に当たる「斉吉商店」にあるといいます。斉吉商店の現会長である斉藤健一さんは、斉藤社長の伯父さん。康さんも斉吉商店の回船部で約30年働いており、震災後に独立したのだそうです。屋号の「ヤマキ」はもともと斉吉商店の屋号でした。

つまり斉吉商店の回船問屋事業が、ヤマキの屋号とともに斉藤康社長に譲られたのですね。屋号の事業ブランドとしての機能がよくわかる例のひとつかと。この〈ヤマキ〉の名に、長年つちかってきた信用や信頼が蓄積されているということでしょう。

斉吉商店は、1921(大正10)年に魚町で食料品小売業として創業しました。屋号中の「キ」は、創業者で元海軍軍人の斉藤吉之進(キチノシン)さんの名の頭文字からとったそうです。なるほど、これは初めて知りました。「斉吉」は氏名それぞれの頭文字かと。

私が斉藤康さんのお名前を見て思い出すのは、〈ひょっとこ踊り〉です。2013年にこのブログで、宮崎県日向市の「ひょっとこ踊り保存会」と気仙沼の人々との交流を追ったドキュメンタリーを紹介しました。そのなかで、日向市との交流のなかで生まれた「気仙沼ひょっとこ踊り保存会」会長が斉藤康さんであると知ったのです。

いま思えば、2011年2月22日の気仙沼中学20回生の還暦を祝う会でも、ひょっとこ踊りの皆さんが会場を回って踊ってくださいました。お面をかぶっていたのでわかりませんが、その中に斉藤康さんもいらっしゃったのでしょう。大震災のわずか1か月前のこと。あの時はお世話になりました。8年7か月たっての御礼になってしまいました。

2013年10月25日ブログ「ひょっとこおどり」
 

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目黒のさんま新聞

「目黒のさんま祭」についての最後の話題は「目黒のさんま新聞」。気仙沼からの生さんま5000尾を楽しみに並んでくださった方々には気仙沼の観光関連パンフレットなどがはいった袋が渡されました。そのなかに「目黒のさんま新聞」も。今回が第30号とのこと。表面には菅原市長のメッセージが記されていました。タイトルは「さんまは何処(いずこ/どこ)に」。


表
「目黒のさんま新聞」第13号


9月15日のさんま祭のためにこの原稿を書いたのは9月5日のことだったそうです。今年のサンマが歴史的な不漁であることを記して、こう続けます。〈とにかかくあと一週間、奇跡が起こって欲しいと思います。ひたすら祈るのみです〉と。開会式の市長の挨拶でも、この新聞に記したことに触れて、気仙沼から目黒に運んだ5000尾を〈奇跡のさんま〉と呼んでいました。

このさんま新聞の裏面には、これまでのさんま祭の写真などでさんま焼きのほか、すり身汁や塩づくり、ホタテ貝アートなどの気仙沼の皆さんによるイベントも紹介されていました。そしてもう一枚、号外として配られたものがありました。さんま祭を開催するにあたってご支援をいただいた方々が紹介されています。


号外
「目黒のさんま新聞」号外


知っている会社名、団体名、そして個人名のなかには堤幸彦さんのお名前もありますね。ありがとうございます。末尾には匿名でのご支援もいただいているとの記述も。そして、ここに名前こそ記されていませんが、参加費を負担して気仙沼からバスにのり目黒に駆けつけてくださった多くのスタッフの方々のことも忘れてはいけないでしょう。

私などは毎年のさんま祭を同級生らと楽しむばかりなのですが、その楽しいひとときがこうした多くの人の善意で支えられていることを思わずにはいられません。最後になりましたが、今回も大勢の皆様のご協力ご支援、本当にありがとうございました。心から御礼を申し上げます。
 

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tag : 目黒のさんま祭

目黒の早稲谷鹿踊

本日も9月15日の「目黒のさんま祭」の話。11時近くに会場内のスペースで、気仙沼市立月立(つきだて)小学校児童の5年生と6年生計12名による「早稲谷鹿踊(わせやししおどり)」が披露されました。これもきのう紹介した「どや節」の動画と同じく途中で録画終了となってしまいましがご参考まで。



2017年のさんま祭でも、月立小の子供たちが踊ってくれました。そのときの動画を紹介しましょう。



この「早稲谷鹿踊」はNPO法人目黒ユネスコ協会さんのご招待によるものでした。同協会は2012年から毎年、地元民俗芸能の伝承に取り組んでいる気仙沼の小学校児童を招待してくださっています。これまでの記録をまとめるとつぎのとおり。

2012年:月立小/早稲谷鹿踊、2013年:水梨小/羽田神楽、2014年:新城小/廿一(二十一)田植踊り、2015年:月立小、2016年:馬篭小/馬篭(まごめ)ばやし、2017年:月立小、2018年:中井小/松圃(まつばたけ)虎舞、2019年:月立小。

17日のブログにも書きましたが、会場でお会いした目黒ユネスコ協会の宮下晶子会長に、ご支援に対する御礼を申し上げました。本当に毎年ありがとうございますと。


本来の「早稲谷鹿踊」は、旧暦6月24日の前後に甘酒地蔵尊祭典で奉納されます。そうした由来について、2016年8月26日のブログを再掲します。

2016年8月26日ブログ
◎早稲谷鹿踊の伝承

(2016年)8月2日の三陸新報に、気仙沼市早稲谷(わせや)の鹿踊(ししおどり)の記事が掲載されていました。

三陸8,2早稲谷3
三陸新報8月2日記事の一部イメージ

記事の一部を引用します。

「気仙沼市早稲谷地区の甘酒地蔵尊祭典が(7月)31日、現地で行われた。県指定無形民俗文化財の早稲谷鹿踊が奉納され、地域の繁栄を願って厄災、疫病をはらうとともに、祖先の霊を供養した。地蔵尊は、飢饉や疫病などで亡くなった幼子を供養するために建立された。早稲谷鹿踊が伝わってからは毎年、旧暦6月24日の前後に奉納されている。」(引用は以上)

宮城県の指定文化財のウェブサイトにはつぎの説明がありました。

「早稲谷地区に伝わる8頭の鹿踊りである。記録には文政10年(1827)、岩手県大原山口の喜左衛門より月立八瀬の林蔵に伝承されたものという。毎年旧暦6月24日に地区内にある「甘酒地蔵尊」の祭典に奉納し、災厄や疫病をはらう魔除けの踊りといわれるが、本来は祖先の霊を供養するものである。背中に竹を削って結束した3m以上のササラを立て、腰太鼓をさげ、唄いながら踊り跳ねる。政宗から「仰山なり」と賞詞されたといういい伝えにちなみ「仰山(ぎょうざん)流」と称する。」

また、甘酒地蔵尊は、天明の大飢饉(約230年前)で亡くなった乳児や幼児を供養するために建立されたそうです。甘酒は母乳に見立てたものといいます。源義経の一行が平泉に向かう途中、猿がお地蔵様に姿を変え、甘酒で迎えたとの言い伝えもあるようです。

私が驚いたのは、気仙沼ニッティングさんのフェイスブック7月31日の記事でこの鹿踊りがつぎのように紹介されていたこと。代表の御手洗さんによるものでしょう。

〈昨日は、気仙沼の山の方の、早稲谷という集落で「鹿踊り」がありました。この1年にこの集落で亡くなった方々のために、お地蔵さまの前で鹿たちが祈りを捧げるのだそうです。気仙沼でもほとんど告知されないため、気仙沼在住でも見たことがある人は少ないかもしれません。この集落の人たちが、静かに行うお祭りです。空と山を背景にした舞台で、鹿たちが角に見立てた長い「ささら」を振り回して踊る様子は圧巻でした。この踊りのあとは、新しいお位牌の前で鹿たちがお祈りをします。亡くなったあと、こうして村のみんなに祈ってもらえるというのは、なんとあたたかな文化だろうと思います。続いていきますように。〉

17分間の動画も紹介されているのですが、これを見ると〈本物の奉納の踊り〉の雰囲気が伝わってきます。私は〈宮澤賢治〉や〈遠野物語〉を連想しました。早稲谷の鹿踊も岩手県一関を経由して伝えられたもののようですので、さほどずれた印象ではないと思います。

御手洗さんの〈圧巻〉の印象は、気仙沼の人があまり気づいていない地域文化の価値を外の人に教えてもらうという、よくあるパターンのひとつかもしれません。

2014年の目黒のさんま祭では、気仙沼市落合地区の廿一(二十一)田植踊りが披露されました。廿一の現場ではなく、あくまで東京のイベント会場での演舞ではあったものの、その素晴らしさに驚きました。気仙沼市で県の無形民俗文化財指定は3件あるのですが、早稲谷鹿踊とならんでこれもそのひとつ。残る一つは〈新城の田植踊〉です。

50年以上前の気仙沼みなとまつり。魚町坂口の実家前で鹿折(ししおり)方面から連なって進む祭の行列を見ていました。鹿踊りや田植踊り、そしていろんな地区の太鼓もあったように思います。それを〈いつものだしもの〉としか見ていませんでした。またかよ、と。それから半世紀。そのひとつが、地域の人によってしっかりとひっそりと伝承されていることを知り、うれしく思ったのです。また、長くなってしまいました。今週はこれにて。

気仙沼ニッティング/facebook映像(約17分)

(再掲内容は以上)

早稲谷鹿踊は、今年3月17日にNHK Eテレで放送された第19回地域伝統芸能まつりにも出演しました。保存会の皆さんの練習の様子については3月14日のブログに記しております。甘酒地蔵尊での鹿踊の映像やNHK大ホールでの演技の様子を思い起こすと、さんま祭での子供たちが懸命に踊る姿と一本の線でつながるような気がします。

月立小学校は当初2018年度に新城小学校への統合が計画されていましたが、地元での反対などもありその実施が延期されています。今後、統合がおこなわれことになっても、地元の皆さんの協力によって続けられてきた小学生による早稲谷鹿踊の伝承は続けて欲しい。以前の新聞報道で見たおぼえがあるのですが、市教育委員会もそう考えているようです。是非に。

 

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さんま祭 「どや節」

きのうのブログでは、9月15日の「目黒のさんま祭」の様子を紹介しました。その中では、「どや節」のことを簡単にしか記しませんでしたが、本日は動画とともに少し詳しく。目黒区民まつりの開会式の挨拶などがおわり、さんま祭の献上式の準備をしているときに気仙沼の皆さんが披露してくれました。

動画は何枚か写真を撮ったあとにきりのよいところから撮影を開始したのですが、容量不足かなんかで途中でストップ。最後の気持ちよい一本締めまで紹介したかったのですが。ま、こんな感じだったということの報告ということで。





この「どや節」については、2011年9月24日のブログでも紹介しています。その内容を再掲します。

2011年9月24日ブログ再掲
◎気仙沼 「どや節」

今日の東京は、気持ちのよい秋晴れです。

先週の日曜日さんま祭での私の収穫のひとつは、「どや節」を知ったことでした。30分あまりの開会式のあと、さんま焼き開始前に、焼き場ではんてん姿の有志がこの「どや節」を披露しました。あとで聞けばこれは、さんま祭恒例のものだそうで、ネットにも昨年の映像が投稿されていました。

なんていったらいいんだろう、地元の人がうたう本物の民謡、というのとも違うな、ワークソングというとこれまたわざとらしい。ツイッターで“気仙沼くん”は、このどや節について「今年は開会式、終わってからの懇親会で爆発的に盛り上がっていました。強烈なグルーヴ感を巻き起こす圧巻のジャパニーズ・ラップ」と書いていましたが、まさに同感。リリックというかメッセージとリズムのからみあい、かけあいが実にいいのです。いやあ本当に驚いた。

ネットで調べてみると、斉吉商店の斉藤和枝さんが「斉吉気仙沼便り」2010年1月1日投稿でつぎのように書いていました。

「 今朝の出船に えーえーえええーよいどこらさ 花が咲きそろう ほほえーど

手漕ぎの和船時代から漁師の労働歌として歌われた「どや節」(大漁祝い唄)の一節です。(中略)どや節の歌詞はその浜ごとに多様です。岩手県三陸町から気仙沼までのごく限られた地域で唄われるもので郷土の宝です」

ほかのサイトでは次のような歌詞の紹介と解説がありました。

〈今朝のなぎで 端島の沖で 大鮪(しび)小鮪 唐丸に 満船させて 塩釜港に 走り込む〉

「松島港あたりで漁船が出漁する時に大漁を祈念して唄う予祝唄で、それが艪漕ぎ唄や一般の祝宴の唄に拡大して用いられた。「どや」の語源は、この唄が「たたら唄」「銭吹き唄」から来たことから製錬場を意味する烔屋(どうや)から生まれたとか、大漁礼願を捧げる際の当屋(とうや)の音韻変化だとか、艪押しのトーヤトットの掛声からでたとか諸説があります」

なるほど。地域それぞれで唄が違うんだ。松島なので、塩釜港なのか。さんま祭では鮪ではなくサンマ~気仙沼港に走り込むと唄っていました。

気仙沼みなと祭の海上うんずらの映像を見てもこの“どや節”の「えーえーえええーよいどこらさ」が延々と続きます。気仙沼にいたころも聞いていたのかもしれないのですが、今になって「どや節」の良さをしりました。

浜はもちろんのこと、さんまの焼き場とか、打ち上げとかの“現場”で聞く「どや節」は最高でしょうね。

2010年さんま祭の「どや節」映像
2010年港まつり海上うんずらの「どや節」映像

浮見堂を背景とした「どや節」スローバージョン。なにか今見ると、灯籠流しにも似て。(再掲内容は以上)

再掲内容の最後に2010年さんま祭の「どや節」映像のリンクを貼ってありますが、それは〈太鼓学舎 ね〉の皆さんが歌う「どや節」フルバージョンです。このブログでも紹介しておきましょう。この半年後に東日本大震災があったことを思うと、なにか特別の感慨がわいてきます。


 

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tag : さんま祭 どや節

目黒さんま祭報告

9月15日(日)は、目黒のさんま祭でした。目黒区民まつり(愛称「目黒のSUNまつり」)のなかのイベントとしての開催です。区民まつりは今年で43回目、さんま祭は24回目を迎えたとのことです。

私は例年通り、9時半からの開会式から会場に。開会式はさんま祭を含む4つのイベントがおこなわれる〈目黒区民まつり〉としてのものです。目黒区の青木区長をはじめ、多くの来賓の方々のご挨拶がつづきます。気仙沼市菅原市長も挨拶に立ちました。

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菅原市長はその挨拶のなかで、今年のさんまの歴史的な不漁に触れ、さんま祭のために気仙沼から運んできたサンマは、9月13日に奇跡的に気仙沼港に水揚げされた奇跡のサンマですと紹介しました。そして〈本日のさんま焼きやつみれ汁などのために気仙沼からバスでここに来ている多くの人もまだ今年のサンマを食べていない〉と。また〈大きさも少し小さいかも知れない、あぶらののりもいまひとつかも。しかし、気仙沼の多くの人の気持ちがたくさんこもった奇跡のサンマを是非味わってほしい〉とも。

区民まつり開会式が終了した後は、恒例の気仙沼「どや節」が披露されました。この様子は少しだけ動画も撮ったのであらためて紹介することにします。背後のテントが気仙沼からのサンマ焼隊がずらっと並んでいるテントです。お客様の入場はまだ。

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どや節の後は、目黒のさんま祭オープニングとしての「献上式」。殿様に目黒のさんま/すなわち気仙沼のサンマや大分県のカボスなどを献上する寸劇のようなもの。ホヤぼーやも登壇。

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こうして気仙沼からのさんま5000尾が焼かれ始め、早い人は夜明け前から並んだという大勢のお客様に順にふるまわれました。それが午前10時15分ぐらいだったかな。焼さんまの行列のほか、さんまのつみれ汁(1杯100円)にも長い行列ができています。こんな感じ。荒木容子さん(3年10組)が今年も手伝いにきていて、久しぶりに会うことができました。

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11時近くには、会場内のスペースで、月立小学校の児童12名による「早稲谷鹿踊(わせやししおどり)」の披露が始まりました。NPO法人目黒ユネスコ協会さんのご招待によるものです。これも少し動画を撮りましたであらためて紹介しますが、本日は演技後の記念写真を。鹿のかぶりものがあるので、子供たちの顔がしっかりとうつっていませんが、無事おえてホッとしたところでしょう。右端にうつるのが目黒ユネスコ協会の宮下晶子会長。会場で、毎年のご支援へのお礼を申し上げることができたのはなによりのことでした。

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このあたりになると、気中、気高の同級生らも会場にそろいはじめました。会場の田道広場公園に隣接するふれあい館の喫茶スペースに集まってみんなでビールなどをいただきます。今年ははじめて中井殖君(3年8組)も来てくれました。熊長こと/熊谷武敏君(3年4組)もひさしぶり。そして、気仙沼物産コーナーであさひ鮨〈さんま姿寿し〉の販売をおえた佐々木徹君(3年1組)も合流してしばし休憩。ここで記念写真。

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私は昨年同様に夫婦で祭にいきました。妻は気中26回生で菅原茂市長と同級生です。そんなこともあり26回生4人も加わって帰りぎわに写真を撮りました。左端が家内。

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今回とてもうれしい再会がありました。一年下/気中21回生の武蔵洋一さんと会うことができました。武蔵さんは気仙沼高校のときも硬式テニスでかなり活躍していましたからご存じの人も多いことでしょう。私は中学のころからよく知っていますが、へたをすると50年ぶりぐらいになるかもしれません。そんなことで、菅原市長、そして目黒のさんま祭気仙沼実行委員会の松井会長にも入ってもらって写真を撮りました。右から3人目が武蔵さん、4人目が中井殖君です。

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そして最後の写真がこれ。データを見ると午後2時半ごろですね。右から熊長/武敏君、佐々木徹君、そしてわたくし小田。なにがおかしかったのか、大笑い。今回の目黒のさんま祭の報告を笑顔の写真でおえることができてうれしいです。

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徹君、容子さんをはじめ、気仙沼から上京してくれた大勢のスタッフの皆さん、お疲れさまでした。多くの関係者の皆様に心から御礼を申し上げます。今年も本当にありがとうございました。

昨年2018年の「目黒のさんま祭報告」
 

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tag : 目黒のさんま祭

祝 はなまるうどん

今日は祝日「敬老の日」。きのうの「目黒のさんま祭」の様子については明日することにして本日は先週の話題。

9月13日(金)、気仙沼にセルフ式讃岐うどん店として知られる「はなまるうどん」が開店しました。場所は仲町。宮脇書店やツルハドラッグの並びです。


はなまる
三陸新報9月13日掲載広告より


「はなまるうどん」を展開する(株)はなまるは現在、吉野屋ホールディングスのグループ会社になっています。牛丼でおなじみの吉野家はすでに気仙沼に出店していますので、吉野家ホールディングス傘下でふたつめのお店ということになりますね。

都内にもお店が各所にありますが、私は入ったことがあるかないか。丸亀製麺とイメージが重なってちょっと記憶が定かではありません。調べてみたら、2019年4月に500店舗を達成しています。

地元飲食店ではない全国チェーンのお店ではありますが、こうして新しいお店がオープンするとのニュースはとてもうれしい。周辺の住宅整備はまだこれからということだと思いますが、その呼び水のひとつになってくれればと思っています。

なお、給排水設備工事を担当したのは、みっちゃん/澤井充君(3年4組)経営の澤井製作所。ということで、はなまるうどんさんの水道関係はバッチリかと(笑)。
 

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第57回けせもい展

気仙沼・本吉地区の高校美術部による合同作品展「けせもい展」が9月11日から9月16日までリアス・アーク美術館で開催されているとのこと。本日13日の三陸
新報が伝えています。

けせもい展
三陸新報9月13日記事の一部イメージ


◎けせもい展
会場:リアス・アーク美術館
会期:9月11日〜16日(火)
時間:午前9:30〜17:00(最終日は14:00まで)
入場無料

私は気仙沼高校のときに美術部に属していました。以前もブログに書いたことがありますが、当時の「けせもい展」は、旧 気仙沼高(男子校)と旧 鼎が浦高(女子校)2校の合同展でした。その後、2005年に両校が統合されて男女共学との気仙沼高校になったことは皆さんご存じのとおりです。

現在の「けせもい展」は、気仙沼・本吉地区の各校合同の作品展になっています。今回も、気仙沼、志津川、本吉響、東陵の4校からポスター部門45点、作品部門に平面55点、立体7点が出展されているそうです。

三陸新報の記事で紹介されているアルミ板による立体作品もなかなかよさげです。制作はもちろんですが、運ぶのも一苦労でしょう。絵画も大きな作品がならんでいます。みんな一所懸命に描いたはず。なんかとても懐かしいし、とてもうれしい。

記事によれば「けせもい展」は今回が57回目とのこと。開催が毎年連続していたかどうかは不明ですが、単純に計算して私の美術部時代は6〜8回目あたりということになりますね。すでに半世紀たち、会場もリアス・アーク美術館となっています。

私が高校3年とのときの「けせもい展」で、広野画塾の広野重雄先生が絵を見に来てくれたときのことを2011年7月のブログに記しました。土日祝日は、美術部員も会場にいるのでしょうか。もし、会場で作者に会うことがことがあれば、作品の印象や感想をどうぞ伝えてあげてください。みんなとても喜ぶと思います。すくなくとも50年前の私はそうでしたから。

展覧会は敬老の日16日の午後2時まで。どうぞよろしく。

2011年7月28日ブログ「画塾の広野先生」
 
 

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tag : けせもい展

紫神社祭典ご案内

9月10日の三陸新報に、気仙沼の紫神社祭典の案内広告が掲載されていました。9月14日が前夜祭・宵祭り、15日が例大祭・復興祈願祭です。

紫神社
三陸新報9月10日掲載広告


昨年の祭典もこのブログで紹介しました。そこに紫神社の由緒などを記しましたので、以下に再掲します。

◎紫神社祭典ご案内

紫神社〈紫さん〉は、南町から気仙沼小学校にのぼる坂道の左側にあります。その坂の名も〈紫さん〉。私たちが中学のころでも帰りに寄って遊んで帰るなどした場所なのでとても懐かしい。震災時には、集会所が避難所となっていました。

紫神社の社殿というか社屋自体は簡素なもので、宮司の常駐もありませんが、しっかりとした歴史をもつ神社です。宮城県神社庁の「神社検索」サイトでは、この神社の由緒をつぎのように記しています。以前もブログに書きましたが、気仙沼の柏崎(かしざき)だけでなく、紫神社も新潟県の柏崎と縁があることがこの由緒からわかります。


当神社は慶長10年、越後、柏崎の人、斎藤四郎兵衛和泉盛方が計仙麻(ケセマ)陣ケ保(現気仙沼市笹ケ陣)に移り住むとき屋敷内に紫明神と観音を勧請せしが五代又衛門の時火災にて御堂を焼失し、正保年中、六代又四郎が鼎ケ浦(気仙沼湾)海辺高台に屋敷を移し建てるとき、敷内に観音を祀り柏崎観音とした、故に今もその所を柏崎山と云う、また紫明神は地続きの西風釜(ナライガマ)鐙坂(アブミザカ)に鎮め祀りて分家に別当を命じた、今も分家斎藤家の屋号を別当と云う。

紫明神の「むらさき」は斎藤家の家紋、藤の花の紫より名付けたと云う。昭和23年御社地を別当斎藤家より寄進され宗教法人紫神社となり、近辺、南町、柏崎地区を氏子とし、毎年の例祭はカボチャ祭りのむらさきさんと賑わっている。

(カボチャ祭り)カボチャ(南瓜)まつりの起こりは定かではないが、言い伝えによれば、むかしはまつり師といって、祭りの山車等を作る職人がいた。紫明神の祭りに、そのまつり師の作った人形が境内に並べられたと云う、ところが江戸時代末期か明治時代初期のことか、折角準備した人形が火災により焼失したので、付近の若者たちが方々の畑より南瓜を集め来て、南瓜を頭にした人形を作り、境内に並べ飾ったことが大勢の人々の喝采を浴びたと云う、その時の美談や時代を諷刺したもの色々で、以来、祭りが近づくと、各地区の若者たちが出しものを秘密裡に作成しその出来栄を競った。現在も氏子地域、南町、柏崎青年会によって受け継がれている。(引用は以上)

紫明神は西風釜(ならいがま/南町の旧称)の鐙坂(あぶみざか)にまつられたとあるのですが、鐙坂が現在の紫神社の場所かどうかはわかりません。柏崎と地続きのという記述がありますが、ちょっと距離がありますよね。紫明神の「むらさき」は斎藤家の家紋である藤の花の紫より名付けたという話は以前も紹介しました。

かぼちゃ祭についての説明も面白い。言い伝えで、祭の山車(だし)などをつくる職人〈まつり師〉がつくった人形を境内に並べたのが発祥とか。また案内広告には、名物〈紫まんじゅう〉の販売もあると書かれています。これも懐かしい。限定600袋だそうです。

震災後にオープンした仮設商店街は「南町紫市場」でした。そして昨年に本設としてスタートした商店街が「南町紫神社前商店街」。いずれもこの「紫神社」とのご縁を意識して名付けられています。9月8日の前夜祭・宵祭りでは、南町の中心街にて弘前ねぷたまつり運行も行われます。

なお、紫神社の主祭神は「屋船豊受姫大神」。〈やぶね とようけ ひめのおおかみ〉と読み、家屋守護の神様のようです。どうぞ南町紫神社前商店街に寄りながら、お参りくださいますように。(再掲内容は以上)

今年も、かぼちゃ人形のお飾りや弘前ねぷたまつり運行が予定されていますね。そんななかで、昨年の紫神社祭典と違っていることがあります。鳥居が新しくなっているのです。昨年末に氏子さんら多くの方々の寄進によって新設されました。

1月10日ブログ「紫神社の鳥居新設」

新しい鳥居をくぐって参拝し、かぼちゃ人形をながめ、帰りには名物の紫まんじゅうを買って帰りましょう。それが浜見山のふもとに暮らす人々の作法かと。どうぞよろしく。

2015年4月16日ブログ「気仙沼と柏崎の縁」

  

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tag : 紫神社

みらい造船新工場

9月8日(日)、気仙沼の株式会社みらい造船の新工場が完成し、現地で式典がおこなわれました。この日の三陸新報にはつぎの広告が掲載されました。


みらい造船
三陸新報9月8日掲載広告より


みらい
三陸新報2018年1月25日記事より


広告の写真の全体がみらい造船ではありません。三陸新報2018年1月25日の記事に掲載されていた図で説明しましょう。

左側のタンク5基があるとことろは、6月11日に竣工した気仙沼紹介の燃油タンク/気仙沼油槽所です。そして右側にシップリフトとともに描かれているのが、みらい造船。

このみらい造船新工場の完成については、テレビや新聞など多くのメディアが伝えていました。ここでは、河北新報9月10日配信記事を引用させてもらいます。

〈東日本大震災で被災した宮城県気仙沼市の造船会社4社が合併した新会社「みらい造船」の新工場が完成し、同市朝日町の現地で8日、式典があった。東北運輸局によると、漁船専門に修理、建造する造船所としては東北で最大級という。新工場は市が整備した約4.1ha建設。高さ7mの防潮堤内に建設され、津波への安全性も高まった。事業費は約106億円で、うち70億円は国土交通省の補助金を活用した。

国内3例目となる「シップリフト」方式を導入。船をエレベーターのように垂直に上昇させ、台車で水平移動する方式で、船体の損傷リスクを回避できるほか作業効率が向上、大型船10隻の作業が同時にできる。既に新船4隻の建造が始まっており、今後は年間に大型4隻を含む最大6隻の新造を目指す。「漁船の総合病院」(木戸浦健歓社長)として点検や修理も担い、東北の漁業を支える。

完成式典には渡辺博道復興相ら国、県、市の関係者約400人が出席。木戸浦社長が「震災の壊滅的被害の中で、新しい造船所などできるはずがないと言われたこともある。だが夢と情熱と信念を持った仲間がいて、新造船所ができた。未来へ向かって共に船を出そう」とあいさつした。

みらい造船は気仙沼市浪板地区で被災し地盤沈下した木戸浦造船、吉田造船鉄工所、小鯖造船鉄工所、沢田造船所などが出資して設立。昨年4月に4社が合併し、新体制となった。〉(引用は以上)

株式会社みらい造船はまず、2015年5月に造船会社4社(木戸浦造船、吉田造船鉄工所、小鯖造船鉄工所、澤田造船所)と関連会社3社の出資による合併の受け皿会社として設立されました。2016年10月21日には、今回完成した新工場の起工式がおこなわれています。そして2018年4月2日、みらい造船が造船会社4社を吸収する形で合併し、名実ともにひとつの会社となったのです。

この日にこぎつけるまでにはいろいろなことがありました。気仙沼港の造船・鉄工所の団地化構想については、朝日町、浪板、潮見町の3地区が候補地とされていましたが、朝日町については、水産加工業への環境上の影響なども懸念もあったのです。そうした議論を経ての合併、そして新工場完成ということで、関係者の皆さんの感慨ひとしおのものがあるでしょう。

その関係者のひとりに、取締役 石川勇人(ゆうと)さんもいます。以前も書いたことがありますが、私たちの一学年下の気中21回生で石川電装の代表。みらい造船の設立にも参画しているのです。8日の式典では、お祝いを受けると共に、お世話になった方々への御礼を語り続けていたことでしょう。

木戸浦社長はじめ、みらい造船関係者の皆様、新工場完成おめでとうございました。その名にふさわしい素晴らしい造船所となることを願っております。

2018年4月12日ブログ「石川電装 勇人社長」

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目黒のさんま「祭」

気仙沼のサンマがふるまわれる〈目黒のさんま祭〉。今年は9月15日(日)開催です。なお、何度も書いていますが、9月8日におこなわれた〈目黒のさんま祭り〉は目黒駅前の品川区側イベントで、宮古のサンマです。目黒区が「祭」、品川区が「祭り」。ちょっと違う(笑)。

目黒区民まつり(愛称「目黒のSUNまつり」)は、「目黒のさんま祭」「ふるさと物産展」「おまつり広場」「子ども広場」の4つの催しからなるおまつりで、今年で43回目をむかえます。


区民まつり

●目黒のさんま祭
日時:9月15日(日)10:00~15:30
会場:目黒区田道広場公園
主催:目黒区民まつり実行委員会

〈目黒のさんま祭〉のほか、田道小学校校庭会場では、気仙沼スタッフによる恒例の「塩づくり体験、ホタテ貝アート」も。また、児童館・図書館前の屋外ステージで13:30より花柳流日本舞踊花柳寿々菊会による日本舞踊も披露されます。

もちろん、さんま祭会場では気仙沼の物産も販売されます。今年もあさひ鮨の佐々木徹君(3年1組)が上京し、〈さんま姿寿し〉を販売。荒木容子さん(10組)も、毎年さんまのすり身汁のお手伝いをしています。今年も会えるかな。

そしてさんま祭には、NPO法人目黒ユネスコ協会さんが、伝統芸能の伝承に取り組んでいる気仙沼市内の小学校児童を毎年招待してくださっています。今年は気仙沼市立月立(つきだて)小学校の児童による鹿踊です。パンフレットには、「鹿踊り」と記してありますが、詳しくは「早稲谷鹿踊(わせやししおどり)」でしょう。2012年、15年、17年と招かれていますので、今度が4回目となります。

一昨年2017年のさんま祭「早稲谷鹿踊」は、このブログでその様子を2分24秒の映像とともに紹介しました。月立小学校は、2018年4月に新城小学校へ統合する計画でしたが、保護者や地域の反対などで統合延期となっています。

2017年9月20日ブログ「月立小児童の鹿踊」

さんま祭の会場は〈田道広場公園〉。JR目黒駅の西口を出て、400mほど坂を下っていくと目黒川にぶつかります。橋を渡る手前を右折して300mぐらいいくと田道広場公園です。目黒駅の改札を出て左側が西口です。

私は今年も菊田裕美君(3年1組)らと会場に。どうぞ皆さんもお出かけくださいますように。
 

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プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/67~68歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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