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室根マツリバ行事

室根神社特別大祭/マツリバ(祭場)行事が今週末、10月26日から28日までの3日間、岩手県一関市室根町のJR大船渡線「折壁(おりかべ)」駅近くでとりおこなわれます。相馬野馬追い、塩竃祭りとともに「東北3大荒祭り」のひとつとされています。

マツリバ
一関市観光サイトより

一関市観光サイト「室根神社特別大祭 マツリバ行事」

国の重要無形民俗文化財も指定されているこの祭は、奈良時代の養老2年(718)に紀州熊野大社/熊野神(くまののかみ)の分霊が室根山に勧請(かんじょう)されたことにちなむものです。そして今年2018年は、それから1300年になることから〈勧請1300年祭〉ともされています。

特別大祭の日は、熊野神が勧請された旧暦閏年(うるうどし)翌年9月19日とされ、同17日からがマツリバ行事とされてきましたが、平成19年からは新暦10月最終週の金土日の開催となっています。近年の室根神社特別大祭開催年を調べてみると、2010年、2013年、2015年、そして今回の2018年となります。新暦(太陽歴)閏年は約4年に1度ですが、旧暦(太陰暦)では閏年・閏月の数え方がずいぶん違うようです。

室根神社とマツリバ行事は、気仙沼市唐桑町とも深いつながりを持っています。今から1300年前に、熊野神の分霊をのせた小舟が黒潮にのり5か月をかけて到着したのは現在の気仙沼市唐桑町舞根(もうね)でした(鮪立(しびたち)に到着し舞根神社を仮宮としたとの説明も見かけましたが、その鮪立は舞根を含む地域名という可能性もありますね)。大祭/マツリバ行事が唐桑湾からの「御潮(御塩)汲み」から始まるのは、このことに由来します。祭の様々な役割は「神役(じんやく)」と呼ばれ、古くからその役を担う各地区の家々が定められていますが、そのひとつ御塩献納役(御塩役)は舞根の「畠山家」が務めています。

その畠山家との関係はわかりませんが、舞根の畠山重篤さんはその著書『森は海の恋人』の一節〈森の神と海の神〉をつぎのような「御潮汲み」の情景ではじめています。

「夜も明けやらぬ気仙沼湾口で、肌を突き刺す冬の季節風を真正面に受けながら、遙か彼方に見え隠れする霊峰室根山に向かって手を合わせている白装束に身を固めた漁民の姿があった。やがて、小船の魚艙(かめ)の中から取りだした、花瓶のような竹筒に海水を汲み、もう一度、うやうやしく山に手を合わせると、舞根の港を目指して船を静かに進めた。白装束の漁民は、これから始まる室根神社大祭の、清めの海水を汲んでいたのである。(中略)

 因みに、舞根(もうね)の語源は牟婁峯(むろね)といわれ、そのルーツは、遥か和歌山県牟婁郡へと、黒潮の路づたいに続いているのである。このような歴史的繋がりから、室根村の人びとは、私たちを舞根さんと呼んで、日頃から親しみを感じている間柄であった。」(引用は以上)

重篤さんはこの後、室根山に木を植えるという漁民の想いを当時の室根村 加藤村長さんに伝えたときの様子を記しています。加藤村長は、神社にほど近い見晴らし広場と呼ばれる神社林を解放する手はずを整えてくれたといいます。実にありがたいことです。舞根と室根の1300年近くの縁がなければ、「森は海の恋人」の活動もいまとは違ったものになっていたかもしれません。

以前にこのブログでも紹介した郷土芸能劇からくわ物語「海の古道」の2017年公演や今年の東京公演は〈熊野神勧請1300年記念バージョン〉として演じられました。340年ほど前、海の古道/黒潮は紀州から唐桑に鰹一本釣りの漁法を伝えてくれたのです。そして1300年前には熊野神も。マツリバ行事は、陸にあがった分霊の後日譚(ごじつたん)といってよいかもしれません。熊野から唐桑へ、黒潮によってつながれた縁が、さらに室根へとつながるネクストストーリーです。

今週末の室根神社祭/マツリバ行事は、室根地区の人たちはもちろんのこと、唐桑の人たちにとっても特別な祭となることでしょう。

一関市公式サイト「室根神社特別大祭について」
一関市公式サイト「室根神社特別大祭の歴史」
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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 室根神社 マツリバ行事

八瀬の山ぶどう酒

10月3日の三陸新報にこんな広告が掲載されていました。八瀬(やっせ)ワイン。気仙沼の八瀬地区にぶどう園があることは知っていましたが、ワインもつくっていたとは。

10月3日ワイン発売
三陸新報10月3日掲載広告


◎八瀬ワイン直売所(八瀬ぶどう園)
気仙沼市台339の4
090-7072-3376(田島さん)
毎月8日・18日・28日に販売

地元の山葡萄で造ったワイン。面白いなあ、飲んでみたい。いくらするんだろう。そんなことを思っていたら、翌日10月4日の三陸新報に紹介記事が掲載されていました。

10月4日ワイン

三陸新報10月4日記事の一部イメージ


記事を要約します。田島憲司さん(69)が営む八瀬ぶどう園では2009年に市外の業者に醸造を委託してワイン生産を始めました。その後、一般販売を計画しましたが、販売許可がおりませんでした。その理由は、当時、市内赤岩港にあった田島さんの自宅が震災の津波で被災しみなし仮設に入っていたためだったそうです。しかし今年、自宅を再建することができ、販売免許を取得しました。

販売するのは赤ワイン2種。岩手県花巻市のエーデルワインが醸造した「八瀬」(720ml/5000円)と、仙台秋保醸造所による「YASSE」(720ml/3600円)です。農園の収穫作業などを助けるサポーターに優先的に贈るため、一般販売は、「八瀬」2016年産を100本、2011年産までを若干数。「YASSE」は2015、16、17年産をそれぞれ20本ほどの販売となります。

ネットの情報では、田島憲司さんは「気仙沼産ワインを作りたい」と思い立ち、2004年にまずは開墾から始めたそうです。三陸新報の記事にサポーターのことが記してありましたが、八瀬ワインサポートクラブのメンバーになると、①ぶどう作り~収穫までの作業体験、②ぶどう狩り入園料 1年間無料、③ワイン試飲会の開催とお礼のワインなどがあるそうです。年会費は1万円です。

また田島さんは、月立(つきだて)小学校の児童を毎年、ぶどう狩りに招待しています。素晴らしい。いろいろと苦労があるなかで、地元小学校児童の招待を継続するのはなかなかできないことだと思います。

なお、河北新報8月20日配信記事によれば、八瀬ぶどう園の今年のぶどう狩りは8月18日から9月中旬ごろまで行われたようです。去年は長雨でぶどう園を開園できないほど不作だったそうですが、今年の出来はまずまずとのこと。

八瀬地区には、上記広告の地図中にも示されているカフェ「YASSE COFFEE(ヤッセコーヒー)」が2013年にオープンしています。そしていまワインの〈八瀬〉と〈YASSE〉。新たな〈八瀬ブランド〉商品の登場といってよいでしょう。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

「山田大名行列」

10月20日(土)21日(日)の両日、気仙沼市本吉町で、市の無形民俗文化財にも指定されている〈山田大名行列〉が開催されます。気仙沼観光推進機構のサイト「気仙沼さ来てけらいん」のイベントページではつぎのような写真を掲げて紹介しています。この写真がすばらしい。

山田大名行列
気仙沼さ来てけらいん/イベントページより

気仙沼さ来てけらいん/イベント/山田大名行列


山田大名行列は、現在の気仙沼市本吉町山田地区で197年前の文政4年(1821)に疫病が流行したとき,御嶽神社(みたけじんじゃ/本吉町津谷舘岡)に平穏を祈願したところ疫病がおさまり、住民がその御礼として大名行列をつくり神社に奉納したのが始まりとのこと。両日の行列コースは、10月18日(木)の三陸新報に案内広告が掲載されていますが、概略はつぎのとおりです。

◎10月20日(土)
 中道線交差点付近 14:00~15:00頃
◎10月21日(日)
 本吉総合支所前 9:00~9:20頃
 津谷街往路 11:10~12:00
 津谷街復路 14:00~14:50

山田大名行列は通常は3年に1度の開催ですが、2007年のつぎは翌年2008年にも開催されています。これは観光キャンペーン/仙台・宮城デスティネーションキャンペーン(DC)の一環として特別に開催されたようです。そしてその2008年の3年後であれば2011年開催となるはずでしたが、東日本大震災のために中止となり、一年遅れて2012年に。その次は2015年、そして今回2018年の開催となりました。

ちょっと記憶に自信がないのですが、私が小さな頃の気仙沼みなとまつりで、一度この大名行列を見たような気がするのです。当時の港まつりはトラックの荷台にしつらえた舞台での踊りもあれば、自動車の後ろにつくられた木のフレームに太鼓をくくりつけての打ちばやし行列など、なかなかのものでした。私は魚町坂口の坂の上から下の国道をながめていたのですが、その中に大名行列の一群もあったようなないような(笑)。その後に見た記憶はありません。

なお、「気仙沼さ来てけらいん」サイトをはじめ、多くの紹介サイトで神社名を御岳神社と表記していますが、正しくは〈御嶽神社〉。〈岳〉は新字で〈嶽〉が旧字(正字)です。三陸新報の記事や案内広告の地図では正しく〈御嶽神社〉の表記を用いています。

三陸新報の山田大名行列の案内広告には、疫病平癒への感謝にかわり〈大震災鎮魂 復興祈願〉の文字がありました。山田地区の人々はその時々の願いを胸に、200年近くにわたり祈り続けてきたのでしょう。
 

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祝 宮脇書店気仙沼

本日10月18日の三陸新報の第一面に掲載されていた広告。宮脇書店 気仙沼があす10月19日にオープンするとの告知です。

宮脇書店
三陸新報10月18日掲載広告


この広告をうれしくながめた人が多いのではないでしょうか。広告文にもあるように仲町にあった大きな店舗は大震災で流失しました。その宮脇書店がまた仲町にかえってきたのです。地図を見ると、道路をはさんで元の店舗があった場所の向かい側という感じでしょうか。とはいえ、震災前の道路のとりつけは大きく変わっているのでしょうね。災害公営住宅の幸町住宅1号棟の向かい側。ツルハドラッグに隣接しています。

宮脇書店 気仙沼は、(株)千田商事さんが経営しています。代表の千田紘子(こうこ)さんは、宮城三菱自動車販売(株)の会長をつとめる千田満穂(みつほ)さんの奥様です。

手元に平成26年発行の「千田満穂 五十年のあゆみ/不倒五十年 つぶれずに」があります。千田満穂さんが気仙沼市三日町で「千田自動車センター」を創業してから50年を迎えたことを記念して発刊したもの。このなかに「株式会社千田商事 宮脇書店 気仙沼 平成9年12月」との記述がありました。千田満穂さん59歳のときです。満穂さんは千田商事の会長をつとめているようです。この年月が会社設立か開店なのかわかりませんが、今年で21年が経過したのですね。

仲町をはじめ、南気仙沼地区に住民が本格的に戻ってくるのはこれからだと思います。今回の宮脇書店さんの再建オープンがこれからのまちづくりへの追い風になることを願っております。

広告に「鎮魂のカリヨン」の紹介がありました。10時・15時・20時に鐘の音が仲町に響きます。鐘の名に〈鎮魂〉を冠した千田満穂さん紘子さんご夫妻の気持ちを想像しながらこの広告を拝見したところです。

宮脇書店 気仙沼の再建オープン、心からお祝いを申し上げます。

2015年3月24日ブログ「千田さん創業の時」

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tag : 気仙沼 宮脇書店 千田満穂

屋号に込めた希望

私がいつも楽しみにしている三陸新報の連載「わが社の屋号」。本日は、6回目と7回目を合わせてご紹介します。まずは10月3日掲載の第6回目〈マルマタ〉さんです。

マルマタ

三陸新報10月3日記事の一部イメージ


昭和初期に初代の小野寺文雄さんが魚市場で商売を始め、2代目の昭夫さん(故人)が1965年ごろに妻の艶子さんと一緒に仲買を始めたそうです。

私が面白く感じたのは、屋号「マルマタ」の由来です。南町でちくわ製造をおこなっていた本家の「カネマタ」(小野寺又兵衛さん経営)から文字をとったと。〈又〉を共通にして、矩(かね)を丸(まる)にしたわけですね。直角のかね尺が矩です。このように、本家、分家で屋号を派生させていくということがよくおこなわれていたのでしょうね。

魚町で思い出すのは、カネジュウとカクジュウもたしか本家・分家の関係だったのではないでしょうか。カネダイ(佐藤家)とカクダイ(菅原家)がさかのぼってどうだったかはわかりません。

本家のカネマタさんがちくわを製造していたとのことですが、気仙沼の魚町坂口にあった私の実家の向かって右隣はカネサ/斉藤家でちくわをつくっていました。カネマタ、カネサ、カネジュウ、カネシメイチ、カネセン。気仙沼の〈カネ・グループ〉ともいえるでしょう(笑)。


つぎは10月11日掲載の第7回目〈フジミツ岩商〉さんです。

フジミツ

三陸新報10月11日記事の一部イメージ


屋号「フジミツ」は、富士山にちなんでいます。創業者の岩渕光男社長は33歳のときに鮮魚仲買・加工などの商売を始めました。しかし、その直前に腰のヘルニアを患い静岡市内の病院に入院したのです。

当時、歩行訓練を兼ねて外出した際に目にとびこんできたのが富士山。その雄大な姿に心が奮い立ったといいます。そして一時は深刻な病状だったそうですが完治し、独立を果たしたのです。屋号には「日本一の生鮮カツオ水揚げ港である気仙沼で一番になる」。屋号にはそんな決意も込めたそうです。

2001年、フジミツ岩商さんは気仙沼魚市場で最も生産カツオを買い付ける優良取引業者となり、以来、その座を守り続けているそうです。屋号に込めた思いを実現したのです。


マルマタさんもフジミツ岩商さんも、昭和の時代に創業しています。これまで紹介してきた会社にくらべて新しい屋号といってよいと思うのですが、ほかの屋号と同じものをつけるわけにはいきません。ですから、いろいろと苦労して屋号をつけたのではないでしょうか。しかしそれは、創業や独立という希望あふれる苦労だったことでしょう。
 

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まちなか計画認定

10月12日に、気仙沼市が申請した内湾地区の「まちなか再生計画」を復興庁が認定したというニュースを翌日に知り、とてもうれしかった。以前に聞いていた、この再生計画の話はどうなったのだろうと思っていたからです。

10月14日の三陸新報の記事はこんな感じ。私の喜びの大きさにくらべるとちょっと小さいか(笑)

まちなか再生

三陸新報10月14日記事の一部イメージ


記事を少し引用します。

〈まちづくり会社「気仙沼地域開発」(菅原昭彦社長)が今後国に補助金を申請し、交付決定を受けて共同店舗型商業施設「スローストリート」(仮称)を建設する。生鮮食料品を扱う「スローフードマーケット」(仮称)と共に来年春に開業する予定だ。

津波・原子力災害被災地域雇用創出企業立地補助金を活用するには計画認定が必要だったため、市が先月末に申請していた。

「スローストリート」は飲食店、衣料品店、ダンススタジオ、スポーツバーなど12店が軒を連ねる木造平屋建ての商業施設。このうち8店舗分の整備費用約1億5千万円に、最大で4分の3の補助を受ける予定。残る4店舗は気仙沼地域開発が自己資金で建てる。

このほか、「海の見える道」を挟んだ向かい側に「スローフードマーケット」(仮称)が建設される。木造平屋建てで、八百屋や鮮魚店、ビアレストランなど5店舗が入居する予定。

子どもの遊び場が、イベント時の活用を想定したコミュニティホールも備える計画で、気仙沼地域開発が民間の資金協力を得て整備する。周辺では、すでに南町海岸商業施設「ムカエル」が完成しており、一部店舗が営業を始めている。(後略)〉引用は以上

河北新報の10月13日配信記事から若干の補足をすると、まちなか再生計画の認定は10例目で、県内では女川町(2014年12月)、石巻市(15年7月)、南三陸町(15年10月)、名取市(18年1月)に続き5例目となります。

私のブログの中でおさらいしてみたのですが、気仙沼市が内湾地区の「まちなか再生計画」策定方針を決めたと河北新報で報じられたのが2015年8月のこと。記事では2015年度内に策定し、国の認定を目指すとしていましたが、その後の経過がわからずじまいでした。上記の県内例に認定年月を追記しましたが、ほかの地区の認定がこうして進むなかで、わが気仙沼の内湾地区はどうなっているのかとやきもきしていたのです。

復興庁サイトに10月12付けで「気仙沼市まちなか再生計画の認定について」という認定発表内容が記されています。そのなかのpdfファイル3種中のふたつめの資料が本年9月25日付けの仙沼市による「内湾地区 まちなか再生計画」です。この79頁にわたる計画を3年間のさまざまな条件の変動のなかで策定してきたのでしょう。

復興庁サイト/気仙沼市まちなか再生計画の認定について

気仙沼市と気仙沼地域開発、そして内湾地区の関連団体や協議会、支援コンサルタント企業をはじめ多くの方々の努力と協力に敬意を表したく。計画の実行や実現にはまだまだ多くの課題があることとは思いますが、まずはお祝いを申し上げます。認定おめでとうございました。

2015年8月12日ブログ「まちなか再生計画」

 

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弁天さん神輿渡御

気仙沼市弁天町の一景嶋神社(弁天さん)の祭典や神輿のことを2回にわけて紹介しましたが、その続報です。10月4日の三陸新報に祭典を伝える記事が掲載されていました。見出しは〈みこし渡御で商売繁盛祈願〉。

みこし
三陸新報10月4日記事


記事によれば、神山正志宮司をはじめ、総代や氏子ら13人が神社周辺の事業所や災害公営住宅、震災以前に住んでいた地域住民の住まいなど約100カ所を訪問したとのこと。神山宮司は魚町の五十鈴神社(お神明さん)が本務神社ですが、一景嶋神社宮司も兼務しています。

写真は、〈気仙沼さかなの駅〉で神山宮司が祝詞をあげている様子。記事では、〈このほど、祭典が行われた〉とあるだけで、いつのことかが記されていないのですが、予定通りとすれば、9月27日(木)です。あいにくの雨だったようです。

神輿(みこし)は、川崎市高津区北見方の皆様から贈られた白髭(しらひげ)神社の神輿です。ブログで紹介したものの、違っていたらどうしようとちょっと心配していたのですが、間違いありませんでした。ホッとした(笑)。ということで皆様にもその報告と思い、このブログ記事といたしました。

おっといけない忘れるところだった。〈気仙沼さかなの駅〉には平塚一信君(3年1組)の平塚商店があります。こちらもどうぞよろしく。

9月26日ブログ「一景嶋神社の神輿」
9月25日ブログ「一景嶋神社の祭典」

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10/28 産業まつり

きのうのブログで、気仙沼観光コンベンション協会が企画・実施する「気仙沼においでよツアー」について記しました。本日は、ツアー行程のひとつにもなっている10月28日(日)の〈気仙沼市産業まつり〉や関連催事〈市場で朝めし。〉〈七輪広場 気仙沼ホルモン横丁〉などを紹介します。会場はすべて気仙沼市魚市場です。

1:気仙沼市 産業まつり       

産業まつり

◎時間:9:00~15:00
気仙沼市の地場産品を一堂に集め展示即売が行われるほか、「水揚げ日本一!気仙沼メカジキ鍋」の無料提供(先着1000名)、地場産品等が当たる大抽選会も行われます。

気仙沼さ来てけらいん/イベントページ


2:市場で朝めし。        

市場で朝めし

◎時間:8:00~13:00
ピカピカ新米のサンマ炭火焼定食
(炭火焼きさんま・さんますり身汁・新米ごはん)
前売 700円、当日 800円

開催はこれで6回目だと思います。第1回目は〈気仙沼つばき会〉が企画して〈さんま寄席〉の日2013年9月29日に開催されました。なお、会場名がなぜか昨年から〈気仙沼魚市場〉とされていますが、正式には産業まつりポスター表示のとおり〈気仙沼市魚市場〉です。私もよく略称してしまうぐらいで大きな問題ではないのですが、ポスター/チラシをならべてみるとその違いが気になりました。

◎前売券販売所
明海荘・アンカーコーヒー(マザーポート店/バル田中前店)・いさみや・御誂京染たかはし・大鍋屋・お魚いちば・鼎・斉吉・唐桑御殿つなかん・倉元・気仙沼観光コンベンション協会(駅前観案内所/観光サービスセンター/海の市2F)・気仙沼商工会議所・気仙沼プラザホテル・気仙沼のほぼ日・K-port・コヤマ菓子店・さかなの駅・サンマリン気仙沼ホテル観洋・三陸新報・J'sミウラ・武山米店・根口商店・畠良薬局・長谷川海苔店・マルト齊藤茶舗・めん八珍・山長 小野寺商店・横田屋本店


3:七輪広場 気仙沼ホルモン横丁  

ホルモン横丁

◎時間:10:00~15:00
気仙沼ホルモン提供企業が大集結。七輪を無料で貸し出します。ホルモンのほか、産業まつりや海の市での購入商品も七輪で焼くことができます。フカヒレスープの御振舞も。

これは、気仙沼商工会議所青年部(気仙沼YEG/Young Entrepreneurs Group)が産業まつりの協賛イベントとして開催するものです。気仙沼YEGは、みなとまつりのときは〈インドネシアパレード〉で参加しています。



以上、3つの催事の概略紹介ということで。なお、産業まつりは以前、〈気仙沼・本吉地方産業まつり〉だったのが、いつから〈気仙沼市産業まつり〉になったんだろう。そう思って調べて見たら、ちょっと長い話になりそうなので、これは来週にでも。

産業まつりは、10月28日(日)。天候に恵まれて大勢の人でにぎわう楽しい催事になることを願っています。
 

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気仙沼においでよ

「気仙沼のほぼ日」のサユミさんが描くエッセイ漫画(のような)「沼のハナヨメ。」は毎週月曜日に更新されま、私も毎回楽しく拝見しております。すでに157話にまでなっているのですが、10月1日更新の第156話で、〈気仙沼ツアー〉を地元の観光チームが計画中との予告がありました。

どんなツアーだろうと思っておりましたら、その詳細が気仙沼観光推進機構のサイト〈気仙沼さ来てけらいん〉で発表になりました。すでに参加募集も始まっていますので、本日はその概略をご紹介します。つぎのツアー紹介ページのイラストはサユミさんが描いたもの。
ツアー
気仙沼さ来てけらいん/ツアー案内ページより


気仙沼さ来てけらいん/ツアー案内ページ

気仙沼観光コンベンション協会が企画・実施するこのツアー名は「気仙沼においでよ!年に1回だけ、サンマとごちそうが魚市場に大集合ツアー」です。略して「気仙沼においでよ!ツアー」です。

詳細はサイトを見ていただきますが、2日間の行程を紹介します。

◎1日目/10月27日(土)

【一関駅】10:30集合⇒バス乗車⇒【お魚いちば】11:40到着⇒【気仙沼岸壁散策】⇒【斉吉商店】(昼食)12:00⇒【気仙沼ニッティング】13:00⇒【民宿 つなかん】(お茶会&サウナカー&自由行動) 14:30⇒【民宿 つなかん】(夕飯)18:30⇒【民宿 つなかん女将一代さんを囲んで交流会】

◎2日目/10月29日(日)

8:00 タクシーで移動⇒【気仙沼産業まつり】(朝食)⇒気仙沼産業まつり会場より解散 9:00

料金は、大人18,000円 子供17,000円(いずれも税込)。添乗員同行なしで一関から全行程ガイド同行。定員20名、最少催行5名。募集締切は10月24日です。

2日目/10月29日(日)に〈気仙沼産業まつり〉とあるのは、気仙沼市魚市場を会場としておこなわれる第34回気仙沼市産業まつりです。〈市場で朝めし。〉も同時開催されます。〈市場で朝めし。〉は、2013年の第2回気仙沼さんま寄席の関連イベント的な位置づけで開催されました。あの時も、立川志の輔師匠の落語と気仙沼観光を楽しむツアーがおこなわれましたから、〈ほぼ日〉さんとの縁が深いイベントです。

産業まつりでは〈七輪広場 気仙沼ホルモン横丁〉なども催されます。これら10月28日の魚市場での催事については明日のブログにて。本日は、「気仙沼においでよ!ツアー」のご紹介のみで失礼いたします。
 

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中小企業基盤整備

いまネットで話題になっている映像があります。「今日、部下が会社を辞める。」という10月2日公開された動画です。この映像をつくた法人の名前におぼえがあるなと思ったら、きのうのブログで紹介した、震災後の気仙沼で仮設施設67カ所を整備してくれた中小企業基盤整備機構(略称:中小機構)さんでした。

まずは見てもらいましょうか。3分間の動画です。つまらないからと途中でやめないようにお願いします。上司と部下の感動ストーリーです。



従業員の定着化に苦労している気仙沼の企業経営者も多いことでしょう。この映像が参考になるかどうかはまた別の話ですが、いま話題の映像紹介ということで取り急ぎ。
 

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仮設商店街の閉店

10月7日(日)の三陸新報にこんな広告が。

エスポアール
三陸新報10月7日掲載広告


福幸小町田谷通りの喫茶エスポアールが、新店舗準備のため10月13日から一時閉店するとの案内です。〈福幸小町田谷通り〉は仮設商店街。独立行政法人中小企業基盤整備機構(略称:中小機構)が整備しました。

同機構が気仙沼市内に整備したのは67施設です。店舗(19)だけでなく、事務所(16)、工場(19)、倉庫(2)、漁業作業場(11)も含まれます。( )内は施設数。すべて市に無償で譲渡され事業者に貸与されました。

本年9月7日付けの市産業部商工課の資料を見ると、8月31日現在で21施設が撤去、17施設が事業者に無償譲渡され、残り29施設を市が管理しているとのことです。貸与期間が5年を超える仮設施設については、中小機構の事業による助成が今年度末までのため、貸与期限は原則として10月末とされています。エスポアールの一時閉店もこの期限の関係でしょう。

資料中にあった仮設商店街の状況を紹介しておきましょう。

施設現況
東日本大震災調査特別委員会資料(5)(平成30年9月7日 産業部商工課)より
https://www.kesennuma.miyagi.jp/sec/s019/300907shiryou5.pdf



喫茶エスポアールは昭和51年に気仙沼市内の南郷で営業を開始しました。齋藤(広沢)高史君(3年8組)が代表で店長は奥様のみき子さん。昭和61年には高史君が店の隣に「K&B スポーツジム」を開いてトレーナーに専念し、喫茶店はみき子さんに任せました。

喫茶店もジムも震災による津波で被災しましたが、2011年12月に喫茶店は福幸小町田谷通りで、ジムは利府町で「THE ZEN CLUB K&B GYM」として再開することができたのです。

福幸小町でのエスポアール営業は6年10か月にわたりましたね。広告には新店舗に関する情報がありませんでしたが、今回の一時閉店が新たなエスポアール/希望に満ちたものであって欲しいと思っています。

なお、気仙沼図書館内のカフェ エスポアールは通常どおり営業しております。喫茶店休業中はこちらのご利用をどうぞよろしく。

6月26日ブログ「エスポアール姉妹」
 

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「造り直し」は保留

気仙沼市魚町の防潮堤の施工ミス問題では、10月1日に村井知事が気仙沼を訪れ、防潮堤を造り直さない方針について伝えるとともに、これまでの県の対応などについて陳謝、謝罪しました。これを受けての内湾地区復興まちづくり協議会の会合が10月4日に行われました。

判断保留

三陸新報10月6日記事の一部イメージ


記事によれば、会合はワーキング委員17人のほか、地権者約20人が出席しての拡大会議として開催されたそうです。菅原昭彦会長は、1日に村井知事から伝えられたことなどを報告した上で次の内容を県に求めていくことを提案しました。①原因の経過、責任の所在の丁寧な説明②県、市、住民によるまちづくりを話し合う場の設置③土地区画整理事業が遅れないように進めることの4点です。

河北新報の10月5日配信記事では、地権者らがこの提案を了承したとのことです。また、防潮堤の「造り直し」についても話し合ったが、「県に対する疑念が払拭(ふっしょく)されない中では議論できない」として結論は出さず、三つの提案に対する県の対応を見た上で改めて協議する方針を確認したと伝えています。

三陸新報の記事にもどりますが、会合のなかで委員からは、「諦めるかしかないのか」「『造り直し』を続けていってもらちが明かない」との一方、「県が工事をこのまま進めるのはふに落ちない」などの意見が出されました。「知事に責任をとってもらわないといけない」との声もあったそうです。

会議終了後、菅原会長は「造り直し」について、「現段階では県への不信感、疑念があるので判断は保留する。県の責任と役割が残っており、それを整理できないうちに議論はできない」と語りました。河北新報は、「現段階では、住民の県に対する不信感と疑念は残ったままだ。県との溝が埋まらない限りは、造り直しを求めるかどうかを議論する状況にはならない」と。

22cm高いままの防潮堤工事は10月1日から再開されいまも進行しています。そうした状況のなかで、まちづくり協議会としての判断は保留。なかなか苦しいところですが、協議会としての最善の方針選択ではないかと感じています。

10月2日ブログ「村井知事の謝罪」
 

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美術部の後輩たち

9月13日の三陸新報に、12日から17日まで開催された気仙沼・本吉地区の高校美術部による合同作品展〈けせもい展〉の紹介記事がありました。記事によれば56回目となる今回は、気仙沼、志津川、本吉響、東陵の4校からポスター部門に56点、作品部門に平面55点、立体2点が出展されたとのこと。

「けせもい展」か。懐かしいなあ。私が気仙沼高校美術部に属していたころは、気仙沼高(男子校)と鼎が浦高(女子校)2校の合同展でした。その後、2005年に両校が統合されて男女共学となりました。〈けせもい展〉が、気仙沼・本吉地区各校が合同して開催されるようになったのがいつかはわかりません。

今回のけせもい展の会場はリアス・アーク美術館です。50年ほど前、私が高校3年のときの会場はたしか南町の消防署2階の会議室フロア。この展覧会を見に来てくれた広野画塾の広野先生のことは2011年のブログで書きました。

以上がけせもい展について。ここからはもうひとつの話題です。ちょっと前、8月28日の三陸新報にこんな記事が。

気仙沼高校美術部の清水真菜さん(気高3年)の作品が第19回 高校生国際美術展の美術部門(平面・立体)で1533点中の最高賞/内閣総理大臣賞を受賞したというのです。

清水さん受賞 

三陸新報8月28日記事の一部イメージ


描いたのは清水さんが飼っているフトアゴヒゲトカゲ。タイトルは巡り会いを意味する「邂逅」ですが、トカゲの「開口」も重ね合わせたとのこと。

記事に掲載された小さな写真でもとてもうまいと思いましたが、公式サイトの審査風景動画のクローズアップを見ると、その素晴らしさがさらによくわかりました。スクリーンショットだとこんな感じです。

邂逅拡大

この絵を描こうとしたアイデアもいいし、それを表現する技術も本当に素晴らしい。公式サイトには審査風景の動画がアップされているのですが、審査委員4名全員がこの作品を高く評価したようです。

サイズは116cmの正方形(S50号)。私は高校3年の時に、県下高校美術展に出展するF50号(116×91cm)の油絵を描きましたが、画面を絵の具で塗り埋めるだけで一苦労でした。三陸新報の記事によれば、清水さんはこの絵を半年がかりで描いたそうです。

8月8日にリッツカールトン東京で行われた表彰式の映像を見ると、清水さんは、先生、家族、友人に感謝を伝えたいと前置きしてからつぎのように述べています。「〈邂逅〉というこの絵には、今まで会ったことのないような人にも会えたらいいなという思いも込めました。そして今、こうして沢山の人に会えているのが本当に光栄です。ありがとうございました」と。挨拶もなかなかのものです。

審査風景や表彰式については、すべて同賞公式サイトより。

清水真菜さん、このたびの受賞、本当におめでとうございました。気仙沼高校美術部OBとしても大変うれしく思いました。さらにその才能を発揮されることを期待しております。

2011年7月28日ブログ「画塾の広野先生」
 

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オルレコース紹介

きのうのブログ「オルレ唐桑コース」の続きです。今日はコースの詳しい内容をご紹介します。きのうは〈唐桑コース〉と略しましたが、正式には〈気仙沼・唐桑コース〉。唐桑半島ビジターセンター近くをスタートして、半造(はんぞう)近くのフィニッシュまでの総距離約10km。コーステーマは〈光り輝く海と緑の半島〉です。所要時間は約4時間〜とのこと。まずはコースマップを。

コースマップ
宮城オルレ公式サイトより(クリックで拡大)

宮城オルレ公式サイト

マップにある④「神の倉津波石」の〈神の倉〉は〈かんのくら〉と読みます。というか、私は以前しらべたことがあるので知っていましたが、パンフレットなどではルビが必要ではないでしょうか。ちょっと読めないでしょう。ついでに記せば、マップ中にある半島西側の漁港名〈神止〉は〈かどまり〉です。鮪立(しびたち)、小鯖(こさば)は問題なく読めるとして、〈欠浜〉はどうだろう。調べたら〈かけはま〉でした。

私が面白いと思ったのは、⑤弥右衛門坂。説明文には「オルレをきっかけに地域住民の手で整備してよみがえった古道。この付近では昔、「弥右衛門」という名のキリスト教の伝道師が暮らしていたといわれています」とありました。面白いねえ。昔というのはいつ頃なのかわかりませんが、面白い話ですね。

この坂の名も〈やうえもん〉か〈やえもん〉の二通りの読み方がありますがどちらでしょうか。〈やうえもん〉であれば、福島県喜多方の日本酒を、〈やえもん〉であれば文/阿川弘之さんと絵/岡部冬彦さんのロングセラー絵本「きかんしゃ やえもん」を思い出します。話がちょっと横にとんでしまいましたが、今後の活動のなかで細部が整えられていくことでしょう。

10月3日、河北新報は唐桑地区の受け入れ体制づくりを紹介した記事を配信していました。記事によれば、唐桑地区では官民組織「宮城オルレ気仙沼唐桑オープニングイベント実行委員会」を設立して10月7日のコースオープンに備えています。

河北新報10月3日配信記事

市の報道資料によれば、10月7日(日)の9:30から唐桑ビジターセンターで開催されるオープニングセレモニーは、日韓の関連団体の方々など約300名の参加が予定されており、唐桑の郷土芸能「松圃(まつばたけ)虎舞」も披露されます。セレモニー後は、韓国からのツアー参加者を含む総勢300名を超える方々がコースを歩くとのことです。なお、前日10月6日の夜には、ゲストハウス アーバンにて市主催の祝賀会が、やはり日韓の関係者約100名が参加して行われます。こちらでは郷土芸能「小鯖神止り七福神舞」が披露される予定です。

10月7日、日韓両国の多くの方々が唐桑半島の海と緑をゆっくりと楽しみながら歩いてくださることを願っています。
 

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オルレ唐桑コース

三陸新報のシリーズ記事「この地で歩む/頑張る人たち」の16回目に気仙沼高校時代の同級生が登場していました。リアス唐桑ユースホステルのオーナー三上忠文君です。その三上君が唐桑町観光協会長として熱心に取り組んできたのが「宮城オルレ」唐桑コース開設ですが、今月10月7日(日)にいよいよオープンします。

三上君

三陸新報9月29日記事の一部イメージ


〈オルレ〉は、簡単にいえば〈韓国版トレッキング〉。宮城県が県内での〈宮城コース〉整備を進め、2017年11月にオルレ認定機関である社団法人済州オルレと協定を締結し、本年4月に開設が最終承認されました。そして唐桑コースが10月7日、奥松島コースが10月8日にスタートすることになったのです。唐桑コースの詳細については明日にでも。

県の資料によれば、オルレは韓国・済州(チェジュ)島の魅力を広めるために社団法人済州オルレが2007年に始めたもので,済州島の方言で「通りから家に通じる狭い路地」という意味。その魅力は,自然を五感で感じ,自分のペースでゆっくりとコースを楽しむところにあるそうです。済州オルレの年間訪問者は約200万人。オルレの取組により韓国国内客・国外客が大きく増加し,地域経済が活性化しているとのこと。日本国内では、2012年に九州オルレがオープンしており、宮城オルレはそれに続くもの。

記事には苦労話も記されていました。唐桑コースの認定にあたっては、福島の原発事故の影響を懸念して難色を示されたというのです。三上君や観光協会職員は交代で4回にわたり訪韓して交渉にあたったそうです。いろいろと大変だったことでしょう。

三上君、いろいろとご苦労さまでした。多くの人に愛されるコースとするための活動はこれからが本番でしょうが、まずは唐桑コースのオープン目前のお祝いを申し上げたく。もうひと頑張り、どうぞよろしくお願いいたします。

唐桑町観光協会サイト
2016年1月19日ブログ「三上忠文君の記事」
 

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村井県知事の謝罪

気仙沼市魚町の防潮堤が県のミスで22cm高く施工されてしまった問題。10月1日(月)に村井知事が気仙沼を訪れ、内湾地区復興まちづくり協議会の菅原会長、菅原茂市長、菅原清喜市議会議長らと面会しました。知事は、防潮堤を造り直さない方針について理解を求めるとともに、これまでの県の対応などについて陳謝、謝罪したそうです。10月2日の三陸新報によれば、〈深々と頭を下げた〉そうです。同日配信の河北新報の記事写真がこれです。

河北

河北新報10月2日配信記事より

なお、知事の陳謝、謝罪については、三陸新報は〈陳謝〉、河北新報は〈謝罪〉の表現となっています。会議は冒頭のみ公開され、面会終了後に村井知事が囲み取材に応じました。河北新報10月2日配信記事を以下に引用します。

<防潮堤施工ミス>
宮城知事が気仙沼市訪ね謝罪 工事再開に理解求める

 宮城県気仙沼市内湾地区の防潮堤高を宮城県が誤って施工した問題で、村井嘉浩知事は1日、同市を訪れ、防潮堤を造り直さない方針について菅原茂市長と住民団体のメンバーに理解を求めるとともに、問題発覚後の県の対応を謝罪した。県は同日、休止していた防潮堤工事を再開した。

 村井知事は市役所で、菅原市長や「内湾地区復興まちづくり協議会」の菅原昭彦会長らと面会した。
 (1)安全性の確保(2)街づくりの遅れへの懸念(3)技術面の難しさ(4)入札不調の恐れ-などを理由に住民が求める造り直しに応じない方針を改めて説明し、「これ以上時間を引き延ばすことはできない。ミスの原因と経過、責任と処分については今後も丁寧に説明していきたい」と述べた。
 5月にあった会合で、造り直しを求める協議会の意見を「県民の理解が得られない」などとして覆したことにも触れ、「協議会での私の発言や職員の対応の至らなさによって地域住民に迷惑を掛けた。深くおわびしたい」と謝罪した。
 防潮堤を計画より22センチ高く造ったミスは今年3月に発覚した。県は背後地をかさ上げし、見た目の高さを抑える対案を提示。住民と県の協議が平行線をたどる中、市はかさ上げ工事を先行して始めた。
 菅原市長は「市内にある防潮堤は全て住民との合意に基づいて造ってきた。原則が崩れたことは残念だが、現実を受け止めて前に進む必要はある」と話した。
 協議会は、4日に開く会合で今後の対応を協議する予定。菅原会長は「造り直しの意思決定は変わっていない。間違えたことを造り直してほしいと要望するのは正しいことだ。県は深まった不信感を払拭するために住民と真摯に向き合ってほしい」と要望した。(引用は以上)

上記記事にもありましたが、面会の日に県は10月1日に施工ミスが発覚した3月以来中断していた魚町防潮堤の工事を再開しました。三陸新報によれば、残る約150mの区間で、計画より22cm高く仕上げるそうです。南町の防潮堤も含めて本年度内の完成が予定されています。

まずは知事謝罪の報道内容紹介のみにて。

9月27日ブログ「造り直しに応じず」

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天旗まつりの広告

日本列島を縦断した台風24号は本日10月1日午前11時現在、北海道東側を北東に移動中のようです。東京は深夜0時半頃から雨はたいしたことはないのですが、2時間ぐらい猛烈な風がふいて驚きました。気仙沼方面の被害など大事がなければといいなと思っているところです。

そうした台風の接近が予想されたため、9月30日(日)に予定されていた天旗(てんばた)まつりは開催されませんでした。開催中止を伝える気仙沼凧の会からのお知らせのなかには〈安全を優先し止む無く中止とさせて頂きます〉との言葉がありました。準備を進めていた関係者や参加を楽しみにしていた方々にとっては残念なことでしたが、台風であればしかたなし。次の機会を楽しみにすることにいたしましょう。

9月28日の三陸新報にはこのイベントの案内や協賛広告が掲載されていました。その中にこんな広告が。

屋号凧

三陸新報9月28日掲載広告の一部イメージ


角星さん、プラザホテルさん、ホテル観洋さんの広告ですが、それぞれの〈屋号凧〉を使ったデザインになっています。みな堂々としていて素晴らしい。中央のプラザホテルさんの凧は連凧です。伝統的な意匠を意識してのデザインですね。

明治時代、気仙沼では旧正月に商売繁盛などを願って魚問屋や加工場が屋号を染めた凧を揚げて競い合ったといいます。それが今にいう〈屋号凧〉です。今年で31回目となるはずだった天旗まつりも、こうした伝統の継承を目的のひとつとして1988年に開始されました。

28日の三陸新報によれば、30日には協賛イベントとして〈市内企業協賛による屋号凧の製作〉も予定されていました。上に紹介した3社と同様の屋号凧がたくさんつくられるはずだったのでしょう。

今年の天旗まつり広告では3社でしたが、来年は是非もっと多くの屋号凧広告が見てみたい。東京に暮らし天旗まつりを一度も見たことのない者の勝手な思いですが、どうぞよろしくお願いいたします。

2017年5月31日ブログ「気仙沼天旗まつり」
2016年11月4日ブログ「日の出凧」の起源
 

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青年会議所50周年

気仙沼青年会議所が創立50周年を迎えました。9月24日には、ホテル観洋で記念式典が開催されたそうです。

気仙沼で青年会議所(Junior Chamber/JC)が63名の青年によって結成されたのは1969年。初代理事長はその後に気仙沼市長もつとめた男山本店の菅原雅さんです。第2代も菅原さんで、第3代目は気仙沼商会の高橋脩さん。

9月23日の三陸新報には気仙沼JC50年の歩みとともに、現在の第50代 尾形長治さんまでの歴代理事長の名が記されていました。第11代は、臼井真人(まこと)君(3年2組)です。真人君はOB会の会長をつとめているようです。

歴代理事長
三陸新報9月23日記事より(クリックで拡大)


この日の三陸新報には、理事長OBの名刺広告も掲載されていました。このなかに真人君の広告がありませんが、市議会議員をつとめている関係かもしれません。

理事長広告
三陸新報9月23日掲載広告(クリックで拡大)

同日の三陸新報では上記広告面のほかにも50周年を祝う各社広告が掲載されていました。そのなかには、社名とともに理事長OBの名が記されているものもありました。私が気づいたものとしては、第10代/佐藤亮輔・第19代/佐藤進(カネダイ)、第13代/藤野尚吾(藤喜商店)、第22代/岡本寛(岡本製氷冷凍工場)、第34代/生駒正博(東北安田)、第46代/吉田明昇(舟屋葬祭)さんらです。念のため記しておきます。(すべて敬称略)

親子で気仙沼JC理事長をつとめた方も何人かいらっしゃいました。菅原雅さん(初代・2代)と昭彦さん(30代)、高橋脩さん(3代)と正樹さん(33代)、臼福本店の臼井賢志さん(11代)と壮太郎さん(41代)です。

気仙沼商会の高橋正樹さんも理事長をつとめたことがあるのですね。このブログで、気仙沼とポーランドのご縁を紹介したことがあります。その中で、1996年4月にポーランド映画の巨匠アンジェイ・ワイダ監督に鯉のぼりを贈呈したり、翌年に高橋正樹さんらがポーランドを訪れたりしたことを記しましたが、これらは当時の気仙沼JCの活動として行われたことです。

6月27日ブログ「ポーランドとの縁」

気仙沼には青年会議所のほか気仙沼商工会議所もありますが、両者は組織のつながりはありません。上部団体の日本青年会議所と日本商工会議所も同じく成り立ちは別。商工会議所には青年部(YEG)というのもありますので、ちょっとまぎらわしい。気仙沼商工会議所青年部(気仙沼YEG/Young Entrepreneurs Group)は昨年に設立30周年を迎えています。現在の会長は、(株)菅原工業の菅原渉さんです。

毎年おこなわれる気仙沼みなとまつり。そこでの〈海上うんづら〉は青年会議所(JC)、〈インドネシアパレード〉は商工会議所青年部(YEG)によるものです。こうして気仙沼の青年たちが祭を盛り上げようと毎年がんばっているのですね。

気仙沼青年会議所さんの創立50周年のお祝いを申し上げます。おめでとうございました。これまでの気仙沼のまちづくりへの貢献にお礼を申し上げるとともに、会員の皆様のますますのご活躍を願っております。
 

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造り直しに応じず

気仙沼市魚町の防潮堤が県のミスで22cm高く施工されてしまった問題。気仙沼市は9月15日に、見た目の高さを抑える背後地のかさ上げを先行して実施する考えをすでに明らかにしていますが、9月25日に県の動きがありました。村井知事が9月25日の記者会見で、「内湾地区復興まちづくり協議会」が求めていた防潮堤の造り直しはしないと表明したのです。9月26日の三陸新報の記事はこのような内容。

三陸新報
三陸新報9月26日記事

この記事では菅原市長のコメントを掲載していました。「市はこれまで住民合意による解決を県に求めてきた。合意のないまま謝った高さで整備を進めるということなので、事業の期限もあると思うが、とても残念。決断に至った経緯、原因と経過、責任と処分について丁寧に説明をしてもらう必要がある。市としてはまち協(内湾地区復興まちづくり協議会)、県への協力は全力で行っていく」とのこと。

県の今回の決定については、河北新報が詳しく伝えています。本日は、同紙が9月26日に配信した3本の記事を紹介します。一定期間でリンクがきれてしまうので、長くなりますが、主要部を引用させてもらいます。(赤字クリックで記事にジャンプ)

9月26日配信記事「気仙沼・防潮堤施工ミス」①
住民「知事あまりに乱暴」高さ不変に地元猛反発

 気仙沼市内湾地区の防潮堤高を宮城県が誤って施工した問題で、村井嘉浩知事が25日に防潮堤を造り直さないとする最終判断を下したことに関し、地元の地権者や住民団体は一斉に反発した。一貫して造り直しを求めた地元の意向を無視された形となり、住民は「あまりにも乱暴だ」と怒りをあらわにしている。
 「協議会としての要望が受け入れられなかった。非常に残念だ」。中心市街地の再生を議論してきた住民団体「内湾地区復興まちづくり協議会」の菅原昭彦会長が無念の思いを吐露した。午前9時半ごろ、村井知事から直接、電話で造り直さないことを伝えられたという。
 菅原会長は「県に対する不信感は残ったままだ。協議会としてどうするのか、今後、検討したい」と話した。近く会合を開き、対応を話し合う。(中略)
 協議会の場でも「住民との合意がない防潮堤を気仙沼には造らない」との持論を強調していた菅原茂市長は、「住民合意がないまま、誤った高さの防潮堤が整備されることは非常に残念。(県には)住民の思いを真摯に受け止め、対応してほしい」と注文を付けた。


9月26日配信記事「気仙沼・防潮堤施工ミス」②
知事、造り直しに応じず 安全確保を重視

 (前略)村井嘉浩知事は25日の定例記者会見で、住民が求める防潮堤の造り直しには応じないと表明した。整備が遅れることで、地域の安全性確保や予算執行に影響が生じかねないと最終的に判断した。休止中の工事を近く再開し、本年度内の完成を目指す。
 村井知事は、理由として(1)街づくりの安全性確保の懸念(2)背後地での市の土地区画整理事業への影響(3)技術面の難しさ(4)入札不調となった場合のさらなる工事の遅れ-の4点を挙げた。
 防潮堤工事の事業費は年度をまたぐ「繰り越し」の手続きを2回続けた。3回目は認められないため、本年度中に事業を終える必要があるとして「(判断の)タイムリミットだった」と理解を求めた。
 村井知事は「住民に多大なる迷惑と心痛を掛け、深くおわびする」と重ねて陳謝。「ミスの原因や経緯などは誠意を持って説明する。設計、施工各業者、県職員は基準に基づいて適切に処分する」と述べた。
 菅原茂気仙沼市長と、住民団体「内湾地区復興まちづくり協議会」の菅原昭彦会長には同日午前、電話で方針を伝えた。2人から「納得したわけではない」との返事があったと明かし、「できるだけ早く出向き、おわびしたい」と話した。(後略)


9月26日配信記事「気仙沼・防潮堤施工ミス」③
宮城県と住民の溝埋まらず 議論平行線、対立深まる

 気仙沼市内湾地区の防潮堤高を宮城県が誤って施工した問題で、村井嘉浩知事は25日、住民が求めた造り直しには応じず、22センチ高い防潮堤の建設を進める最終判断を下した。ミス発覚から203日。県と住民との間にできた深い溝が埋まることは一度もなかった。(気仙沼総局・大橋大介)

 防潮堤を巡る議論の経過は表の通り。県と住民の対立が決定的となったのは、5月18日に気仙沼市であった地元住民団体「内湾地区復興まちづくり協議会」の会合だった。
 県は当初、(1)造り直し(2)背後地かさ上げ(3)現状のまま設置-の3案を示し、住民の意向を選択する方針だった。会合で住民は「造り直し」を求めたが、出席した村井知事は時間や経費を理由に却下した。
 ある協議会関係者は「住民が選んだ意見を覆した。知事の強気な姿勢も不信感を大きくした」と明かす。
 その後、「造り直し」を求める住民と県の議論は平行線をたどった。この間、県は誤解を招くような住民の意向調査結果を示したり、施工ミスに気付いた時期を住民よりも前に県議会に示したりするなどして何度も住民の反発を買った。
 今月15日にあった会合で協議会は造り直しの方針を県に示したが、その10日後、県は最終決定を下した。防潮堤背後地の魚町の地権者(44)は「県はどれだけ住民の感情を逆なでするつもりなのか」と憤る。
 住民の中には、かさ上げ案を受け入れざるを得ないとの意見ある。それでも、県と住民の感情的対立が解消される可能性は極めて低い。

表
(引用は以上)


最後に引用した記事は、河北新報気仙沼総局・大橋大介さんの署名記事です。その中に、協議会関係者の言葉として「住民が選んだ意見を覆した。知事の強気な姿勢も不信感を大きくした」とありましたが、知事の強気な姿勢こそが不信感を大きくした原因だと私は思います。

知事は「できるだけ早く出向き、おわびしたい」と話しているそうですが、もう少し別の段取りがあってもよかったような気がします。大橋さんの記事の末尾に〈県と住民の感情的対立が解消される可能性は極めて低い〉とありました。残念ながら同感。としか言いようがありません。

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一景嶋神社の神輿

きのうのブログ「一景嶋神社の祭典」を書くにあたってネットでいろいろと調べていると、つぎのような記事がありました。

タウンニュース

「タウンニュース」高津区版2012年8月24日号の一部イメージ


川崎市高津区北見方にある白髭(しらひげ)神社の神輿(みこし)が、一景島神社に寄贈されたという記事です。9月27日の一景嶋神社祭典でかつがれるのはこのお神輿でしょう。

白髭神社では2009年に神輿を新調しましたが、先代の神輿も大切に保存していたそうです。一方、気仙沼の一景嶋神社は大震災の大津波で一基あった神輿が流失しました。

その間の縁を川崎市川崎区の稲毛神社さんがつないでくださって、先代の神輿が一景嶋神社に寄贈されることになったのです。2012年8月9日には白髭神社境内で、それまで神輿を管理してきた北見方町会(吉田豊町会長)による引渡式が行われました。寄贈にあたっては、神輿の一部を修復するための費用も添えられたそうです。

寄贈された神輿は1955年に、地元有志の大工さんらが3年以上の月日をかけ作り上げたものです。仕事を終えてからの作業は夜間に及び、飾り物は浅草まで何度か足を運んで調達したとのこと。

引渡式には、神山正志宮司、副総代長の猪狩栄寿さん、総代の熊谷義弘さんが出席しました。引渡式で猪狩さんは「神輿を末永く大事にしたい」と謝辞を述べた。また神山宮司は「何もないところにご厚意を頂戴し、感謝の気持ちでいっぱい。復興への大きな力にしたい」と語りました。

また白髭神社の長崎宮司は「一景島神社では神社の中心となるものが何もない状態と聞いた。大工が丹精込めて作った神輿が再び世に出ることになったのも神のおかげ。気仙沼の繁栄につながれば最高に嬉しい」と話していたそうです。

白髭神社さん、稲毛神社さん、北見方町会の皆様、一景嶋神社へのお神輿の寄贈に対し心から御礼を申し上げます。おかげさまで今年9月27日の祭典でも神輿が弁天町を巡ることができます。地域の人たちが、お神輿だけでなく、皆様のご厚意も永く伝えていくことでしょう。ありがとうございました。
 

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tag : 気仙沼 一景嶋神社 白髭神社

一景嶋神社の祭典

9月22日の三陸新報に、一景嶋(いっけいじま)神社祭典の案内広告が掲載されていました。

一景島祭典
三陸新報9月22日掲載広告


案内文によれば、一景嶋神社の例大祭は大震災後は9月第四土・日におこなっていたそうですが、昨年度からは震災前に戻し、9月27日におこなっているそうです。案内文に、〈お下がりいたします〉とあるのは、神輿(みこし)の渡御、巡行のことを指しているのでしょう。

一景嶋神社については、このブログでも何度か書いています。先日は、一景嶋神社/一景島公園にある気仙沼ライオンズクラブが設置した皆鶴姫伝説の案内板のことを紹介しました。

本日は、2016年11月11日のブログ「大正5年の一景島」で紹介した画像を再掲します。1997(平成9年)の「気仙沼かほく」に〈港の守護神〉との見出しで掲載された一景島神社の写真です。

記事内容も再掲しておきます。

〈大正5年に撮影した。気仙沼市弁天町にある現在のホテル一景閣付近から、当時は海と大島の景観が広がり、すぐ前には一景島が浮かんでいた。一景島には「弁天様」と親しまれる一景島神社がある。昔から「港の守護神」として信仰を集めてきた。一帯は昭和30年に埋め立てられ、現在の一景島公園になった。しかし、一景島神社とともに、左の岸から架かる橋「神橋」は公園内に現在も残されている。(気仙沼市弁天町・斉藤徹さん所蔵)〉(引用は以上)

2016年のブログでは、この写真の所蔵者であるホテル一景閣の斉藤徹さんのことについても記しております。

2016年11月11日ブログ「大正5年の一景島」

一景嶋神社の主祭神は市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)です。宮城県神社庁のサイトでは、〈市伎島姫命〉と表記しています。同サイトの由緒はつぎのとおり。「往古より弁財天を鎮座すと伝えられているが、不詳。慶長16年の大津波で社殿、縁記が流失。金華山小金山神社と同一の弁財天を奉るとも伝えられている。別名「魚取島」とも言われた。」

慶長16年に起こった慶長三陸地震による大津波は、ウィキペディアの記述では田老や大船渡で最高20m前後の高さであったとも。気仙沼地区での被害も相当なものだったでしょう。江戸時代、第2代将軍 徳川秀忠の時代です。伊達政宗は地震当時に44歳。

慶長16年の津波で社殿が流失したとの話は初めて知りました。そしてそれが、東日本大震災からちょうど400年前のことであることにも大変驚きました。慶長16年10月28日は、1611年12月2日とのことです。

ちょっと話が長くなりました。一景嶋神社の神輿については、 明日のブログで記すことにいたします。

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紫神社の鳥居新設

9月9日におこなわれた気仙沼市浜見山の紫神社祭典については、9月5日のブログでご紹介しました。その記事で私は、神社の所在地を南町と書いてしまいましたが、浜見山なのですね。そういわれればそうです。

その紫神社の鳥居の鳥居の建て直しが計画されているとの記事が、9月21日の三陸新報に掲載されていましたのでご紹介します。

紫神社鳥居

三陸新報9月21日記事の一部イメージ


記事によれば、戦前に建てられたとみられるコンクリート製の鳥居は震災での被災後に年々ひびが目立つようになってきたそうです。そのため、「次に大きな地震があれば崩壊の恐れが」と、総代や氏子、世話人らで会合を開き、鳥居、擁壁などの新設・改修をおこなう境内整備事業を決めたそうです。来年の元日までに整備を終えたいとのこと。

記事のなかに、紫神社の菅原秀絃宮司のお名前がありました。気仙沼市新町の北野神社の宮司さんです。このブログでは以前、羽黒神社由緒の記事や、気仙沼市九条の気仙沼高校近くにある中納言神社再建の記事のなかで菅原宮司のお名前を紹介したことがあります。北野神社が宮司が常駐している本務神社だと思います。紫神社や羽黒神社は兼務神社ということではないでしょうか。

三陸新報の記事には、菅原宮司の「子どもたち参拝者の安全のため、年内には整備を終えたい。市民の皆さんにも寄進の協力をお願いしたい」との話もありました。寄進希望者は菅原宮司までご連絡ださい。記事掲載の電話番号を記しておきます。

北野神社(菅原宮司) 0226-22-0694

紫神社から見下ろしたところには、〈南町紫神社前商店街〉があります。その名に神社名をいただく商店街としても、南町のまちづくりを考えていくなかで、紫神社の整備は課題のひとつとしてあったことでしょう。順調に整備が進むことを願っております。

 

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tag : 気仙沼 紫神社

魚町復興途上風景

三陸新報のシリーズ記事〈今を見る「途上の街」〉は、気仙沼市と南三陸町の復興経過を写真で紹介しています。私など気仙沼を離れて暮らすものにとっては大変ありがたい企画です。8月12日に紹介されていたのは、気仙沼市の魚町と南町。つまり内湾地区の風景でしたから、なおさら興味深くながめました。



三陸新報8月12日記事の一部イメージ


私の実家があった魚町坂口の裏山方向から撮った写真ですかね。なかなかいいアングル。左下から右上に向かってうつっているのが、県のミスで22cm高く施工された防潮堤です。南町の海岸に少し波打つ屋根の建物が内湾商業施設「ムカエル(迎)」。その左側で「(仮称)南町海岸公共・公益施設」の工事が進んでいます。

昨日のブログでもお伝えした、施工ミス22cmに対応するかさ上げは、写真にうつる平たい地面の上に盛り土する感じなのでしょうかね。その右側の道路や建物との高さの違いはどうなるのだろう。なかなか全貌がわかりません。

中央下側にうつる建物は〈福よし〉さんです。現在は工事のために営業を休止しているはずですが、今後はどのようになっていくのでしょうか。写真でいえばその左側にあった、屋号でいえばイチジュウさんやカクダイさんの建物は撤去されていますね。

この写真を見て感ずるのは、失われた懐かしい風景への郷愁ではありません。いろいろ課題はあるでしょうが、そこに暮らす人たちが希望の持てる新しい魚町そして南町であって欲しいという願いのみ。

まちづくり協議会の皆さんや行政関係者、そしてなにより住民、地権者の方々にとってはまだまだ大変なことも多いと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。
 

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かさ上げ先行実施

気仙沼市魚町の防潮堤が県のミスで22cm高く施工されてしまった問題に関して、市に新たな動きがありました。9月15日の「内湾地区復興まちづくり協議会」の会合で、菅原茂市長は見た目の高さを抑える背後地のかさ上げを先行して実施する考えを明らかにしました。9月16日の三陸新報記事もつぎのような記事で伝えています。

かさ上げ先行

三陸新報9月16日記事の一部イメージ


記事によれば、会議前日の9月14日夜に魚町地区の権利者会を開いて市のかさ上げ案を示したそうですが、出席した地権者16人から異論は出なかったそうです。15日の協議会後、菅原昭彦会長は、「区画整理は権利者の問題。権利者が最悪の事態を避けたいという思いから市のかさ上げに理解(を示)したのだと思う。尊重したい」と話したそうです。

9月16日配信の河北新報も詳しく報じています。一部を引用します。

〈 菅原市長は、県に加えて県議会内でも造り直しへの賛同は得られない見通しという現状認識を報告。「市として県が造り直す可能性はないと判断した」と述べた。その上で、区画整理事業を計画通り実施するに当たって「時間の限界が来た」と、県が提案するかさ上げ工事に週明けから着手する考えを示した。費用は県側が負担する。14日に魚町の地権者に説明し、「異論はなかった」と報告した。

 菅原市長は会合後の取材に「土地のかさ上げも行われない、防潮堤の高さも下がらないという最悪の事態は避けたい。残念だが行政として客観的に判断した」と説明した。ただ、「高さのミスを容認したわけではない」と述べ、県が引き続き住民との合意形成に努めるよう求めた。

 協議会の菅原昭彦会長は「地権者の選択は尊重していきたい。だが県への不信感は依然残っており、造り直しの結論を覆すことはできない」と話した。
 県によると、盛り土などに見込まれる費用は数千万円。ミスの責任割合に応じ、業者側と分担して市に支払う。武藤伸子県農林水産部長は「(市の判断に)感謝している」と述べた。〉(引用は以上)


記事を読んでいてちょっとわかりにくいなと思ったところがありました。造り直しを強く求めていた魚町の人の中には、地権者も多くいたはずで、その方々と14日夜の権利者会出席者の重なりや違いがわからないのです。造り直しを強く求めていた人もかさ上げには異論がなかったということなのでしょうか。

なお、9月18日配信の東日本放送ニュースによれば、村井知事は今回の結論について、「地域の皆さまや尽力いただいた気仙沼市に感謝したい。防潮堤の造り直しについても誠意を持って丁寧に説明したい」とコメントしているそうです。

村井知事が5月18日のまちづくり協議会で高飛車な言葉を発することなく誠意をもって丁寧に対応していればこんなことにはならなかったのにとあらためて感じています。

本ブログ/防潮堤関連記事

 

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松圃虎舞の皆さん

9月16日におこなわれた「目黒のさんま祭」の話の続きです。

開会式がおわって、焼きサンマの提供がはじまったころ、会場脇に行くと気仙沼市唐桑の松圃(まつばたけ)虎舞メンバーが出番を待っていました。何時からですかとたずねたついでに写真撮影をお願いしたら快諾してもらえました。

松圃虎舞メンバー
松圃虎舞保存会と気仙沼市立中井小学校の皆さん(クリックで拡大)


松圃虎舞保存会と気仙沼市立中井小学校の皆さんです。左のほうに衆議院議員の片山さつきさんもうつっていますが、無理矢理はいりこんで来たわけではなく、近くを通りかかったのでこちらから声をかけました。

この写真を撮ったときには気づかなかったのですが、気仙沼に移住して気仙沼のまちづくり活動を展開している一般社団法人まるオフィスのメンバーがずいぶんうつっています。代表の加藤拓馬さんや根岸えまさんなどのメンバーがうつる復興庁のポスターは、7月10日のブログで紹介しました。まるオフィスの拠点は松圃にあり、虎舞保存会の活動に参加していることも知っていたのですが、目黒で皆さんに会えるとは思っていませんでした。驚いた。

私がうれしく思ったのは、気仙沼の外から移住してきてくれた人たちが、こうして地元の民俗芸能継承の力になってくれているということです。なかなかできないことでしょう。上の写真を見ればわかると思うのですが、なんていうんだろう、一体感というか仲がよさそう。

気仙沼市唐桑町松圃地区は、唐桑半島の南西部です。そして中井小学校は、半島の中央から少し東寄りにあります。唐桑町の小学校はいま、唐桑小学校と中井小学校のふたつで、中井小の学区は唐桑地区南部といってよいでしょう。

いま、気仙沼市は小中学校の統合計画を進めています。2018年度に計画されていた「小原木小→唐桑小」は統合を完了しましたが、「月立小→新城小」「水梨小→松岩小」は地元の反対などで統合が延期されました。

中井小は2021年度に唐桑小への統合が計画されています。2018年度の同小の児童見込み数は全校で64名。小原木小が統合された唐桑小は99名です。旧唐桑町地区の2校合計が163名ですね。

参考まで申し上げれば、わが母校の気仙沼小学校は243名です。3000人以上の時代を知っている身からすると〈すっかりちゃっこくなってしまって〉という印象。市内で児童数最多は松岩小の329名。ついで九条小の309名です。

2018年3月13日ブログ「小中校児童数見込」

話が小中学校統合問題にとんでしまいましたね。話を戻しましょう。今回の中井小学校の皆さんを(そしてたぶん保存会の皆さんも含めて)目黒区民まつり/目黒のさんま祭に招いてくださったのは目黒ユネスコ協会さんです。

同協会は2012年から毎年、地元民俗芸能の伝承に取り組んでいる気仙沼の小学校児童を招待してくださっています。私なりにまとめるとつぎのとおり。演技場所はさんま祭会場だったり区民ホールだったりといろいろです。雨天で変更を余儀なくされることもありました。

2012年:月立(つきだて)小/早稲谷鹿踊(わせやししおどり)、2013年:水梨小/羽田神楽、2014年:新城小/廿一(二十一)I田植踊り、2015年:月立小、2016年:馬篭小/馬篭(まごめ)ばやし、2017年:月立小、2018年:中井小/松圃虎舞

これらの小学校のうち、馬篭小は2017年に月立小は津谷小に統合されていますが、月立小と水梨小の統合は上述したように延期されています。今後、統合が進められても、各地区の伝統芸能の継承については各統合校で進めていくとの市教育委員会の方針も伝えられています。是非そうあってほしいと思っております。

さんま祭で撮影した写真にうつる松圃の皆さんの元気な笑顔をあらためてながめ、そんなことを考えておりました。

最後になりましたが、目黒ユネスコ協会さんの継続的なご支援に対し、心から御礼を申し上げます。今度ともどうぞよろしくお願いいたします。
 

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tag : 気仙沼 松圃虎舞 さんま祭

目黒さんま祭報告

9月16日(日)の目黒のさんま祭。前日に気仙沼で水揚げされた500尾のさんまが炭火で焼かれ、長い行列をつくって待ってくれた来場者にふるまわれました。

9時半からの開会式は、目黒区民まつり全体のものなので、ご来賓の方々の挨拶が続きます。それが終わってからはさんま祭関連の式次第。気仙沼メンバーによる〈どや節〉が披露された後に、目黒区長が殿様に扮しての献上式。

焼きサンマの提供が始まったのは10時15分ころでした。会場の中央には焼さんまなどの飲食用のテントが張られているのですが、その隣が開会式もおこなったイベントスペース。そこで、まずは気仙沼出身の日本舞踊家である花柳寿々菊さんの舞踊研究所の皆さんによる踊りが披露されました。東京と気仙沼に教室がありますが、今回も気仙沼から沢山の門下生らが上京してくれました。

社中踊り

子供踊り

続いては、私が楽しみにしていた気仙沼市唐桑の松圃(まつばたけ)虎舞です。保存会の皆さんによるうちばやしが披露された後に虎舞が登場。通常は長いハシゴにのぼるとのことですが、今回の会場ではかなわず。メンバーには市立中井小学校の児童や、気仙沼に移住してまちづくり活動に従事している皆さんも。この唐桑メンバーについては日をあらためてまた紹介しようと思います。

太鼓

虎舞

今年も気仙沼あさひ鮨の佐々木徹君(3年1組)が〈さんま姿寿し〉の販売で上京。早々と完売しましたが、ほかの物産の手伝いで忙しかったようです。それでも休憩時に気仙沼関係者が集まった喫茶スペースに来てくれました。ビールで乾杯。右下が徹君です。

喫茶スペース

会場に戻り、例年通りさんまのすり身汁のお手伝いで上京した荒木容子さん(10組)を呼んで皆さんと。左から3人目はさんま祭気仙沼実行委員会の松井敏郎会長です。かがんでいるのが私と妻(菅原市長と気小・気中の同級生)。

同級生

最後に、目黒区の青木区長と菅原市長とご一緒に。右から5人目が青木区長。その左は菅原市長の奥様です。すり身汁のお手伝いに。右から2人目は松井会長の奥様の恵美子さん。小さなころは私と魚町のご近所さんでした。

みんなで

以上取り急ぎ、当日のスナップということで。楽しい時間を過ごしたことが少しでも伝わったでしょうか。

さんま祭の関係者の皆さんにお礼を申し上げます。さまざまな準備と当日の運営は本当に大変だったことでしょう。ありがとうございました。
 

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tag : 気仙沼 目黒のさんま祭

ブッツヤの修司君

きのうの目黒のさんま祭では大変楽しい時間を過ごすことができました。ここ数年は雨の心配などをしながらの開催でしたが、今年は天気に恵まれての開催となりなによりでした。写真の紹介などはまたあらためて。

さて、三陸新報の連載「わが社の屋号」第4回目の勝倉漁業さんを14日に紹介しましたが、本日は9月5日掲載の第5回目を。(株)カネシメイチさんです。私たちの同級生である小山修司君(3年5組)が昨年まで社長をつとめていました。今は相談役となっています。

カネシメイチ2
三陸新報9月5日掲載記事


6代目にあたる修司君によれば、カネシメイチの創業は1834年(天保5年)とのこと。年表を見てみると、新選組局長の近藤勇が生まれた年ですから、ずいぶん昔の話です。初代の小山吉内さんは、魚町で魚の塩蔵加工やかつお節などの商売をしていたそうです。その頃にはすでに〈荷印〉としてカネシメイチを使っていたとされています。

仏師だった2代目の𠮷五郎さんの時代に、仏具屋に転業しました。その名残(なごり)から、その昔は「ブッツヤはん」の愛称で呼ばれることが多かったといいます。懐かしい呼び名ですね。〈ブッツヤ〉は仏屋でしょうかね。記事では、〈その昔〉としていますが、私が小中学校生徒だったときにでも、魚町の年配の人がごく普通に〈ブッツヤ〉の名を呼んでいたように思います。当時、その名が仏師からきていることを聞かされて驚きました。

カネシメイチはその後、海運業に回船問屋、焼ちくわ製造の水産加工を経て、5代目の亀吉さんが1964年(昭和39年)に近海のカツオ一本釣り船「第3亀洋丸」(39トン)を建造して漁船漁業に乗り出しました。修司君のお父さんです。問屋業で縁のあった三重県のカツオ船関係者からノウハウを学んだそうです。

小山亀吉さんは、その長身の姿や声を今でも思い出すことができます。気仙沼魚漁協組合長をはじめ気仙沼の水産関連団体の要職をつとめましたが、震災の年2011年1月12日に亡くなりました。その2か月後に気仙沼は大津波に襲われました。魚町で育った私たちにはとても懐かしいあのカネシメイチの建物も被災。修司君の奥さん容子さん(5組)は、屋根の上に避難したのですが、自宅が浮いたのが分かったそうです。そのことはつぎのブログで紹介しました。

2015年3月20日ブログ「あの日を語り継ぐ」

その魚町のカネシメイチさんも今は鹿折地区の錦町に移りました。臼井弘君(4組)の〈福寿水産〉などと共に気仙沼鹿折加工共同組合に属しています。以前も紹介しましたが、この組合のサイトで修司君の素敵な笑顔を見ることができますので是非に。

記事の写真にうつる〈焼ちくわ〉の商標がいいですね。ちくわの梱包の箱や包みに貼ったラベルでしょう。「第3亀洋丸」の写真も時代を感じさせます。建造は修司君が小学6年生ぐらいのことではないでしょうか。修司君がこれらのラベルや写真を見るとき、自分が継承し、そしてまた時代に継いだカネシメイチの歴史を感ぜずにはいられないでしょう。

気仙沼鹿折加工共同組合サイト/(株)カネシメイチ

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tag : 気仙沼 カネシメイチ 屋号

かくいち勝倉漁業

8月21日の三陸新報の連載「わが社の屋号」第4回目は勝倉漁業さんでした。所在地が〈弁天町〉となっていますが、震災前までは魚町の海岸通り、文字通り〈屋号通り〉に社屋がありました。津波で被災し、弁天町に新事務所を設けたのですね。


勝倉漁業
三陸新報8月21日記事


記事によれば、屋号の呼び名は〈かくいち〉。私にとって同社は〈勝倉さん〉であって、この〈かくいち〉はあまりなじみがありませんでした。創業は大正時代で、初代の勝倉和平さんが魚町に勝倉商店を設立、鮮魚仲買と回船問屋業を営んでいたそうです。

マグロ船による漁業経営に乗り出したのは1945年(昭和20年)のことだといいます。終戦の年。和平さんの長男、和太郎さんが2代目・和平を襲名したのを機に、木造カツオ船「第1勝栄丸」(しょうえいまる)(150トン)を建造しました。現在は会長をつとめる3代目の勝倉敏夫さん(77)は「2代目の父にはよく、『乗組員にうそを言ったり、だましたりしてはいけない』と言われた。乗組員が働きやすい環境を第一にという考えは、今も変わらない」と語っています。

現在の社長は4代目の勝倉宏明さん。4隻の勝栄丸船団で遠洋まぐろ延縄漁を展開しています。各船の活動の様子は、〈勝栄丸ブログ〉で詳しく紹介されています。同ブログでは、自社船団だけでなく、問屋としてお世話する漁船のことや気仙沼の漁業・水産業なとの動きが紹介されています。こちらも是非ご覧ください。

勝栄丸ブログ

勝倉さんの屋号「かくいち」をながめていて、魚町の漁業家で四角の中に文字を記した屋号をいくつか思い出しました。まずは菅原家「かくだい/角大」、それから畠山家「かくじゅう/角十」。佐々木徹君(3年1組)の家の左隣には「かくへい/角平」さんもあったなあ。

こうして思い出した3つの屋号で現在まで漁業を継続しているところはありません。私が高校生のころでしょうか、気仙沼の遠洋漁業経営がなかなか難しい時代になってきていて、漁業経営から撤退する会社が相次ぎました。今回の連載記事で紹介される屋号は、そうした難しい時代を生き抜いた屋号/会社ということになるのでしょう。

この三陸新報の連載「わが社の屋号」は、そうした気仙沼の漁業、水産業の歴史の一端を読者に興味深く知らせる良い企画であると感じています。

勝倉漁業(株)ホームページ
 

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tag : 気仙沼 勝倉漁業 勝栄丸

メカジキ突きん棒

テレビ朝日系列9月15日(土)午後6:30からの「ごはんジャパン」で気仙沼の突きん棒(つきんぼ/つきんぼう)によるメカジキ漁が紹介されます。宮城県内は東日本放送にて。前編が先週放送されたのですが、当日に放送を知り、ツイッターではお知らせしたもののブログでの紹介ができませんでした。


つきん棒
   番組サイトの紹介動画より


先週放送分の番組紹介を抜粋して引用します。


2週に渡って、宮城・気仙沼の“メカジキ”に注目!150キロ超の大物を狙って航海を続けるメカジキ漁の“匠”たちの5日間に密着する。

最高のメカジキを求めて現地を訪れるのは、焼き魚にこだわりを持ち、8年連続でミシュランの星を獲得している日本料理の“匠”、小林雄二さんと渡辺徹。小林さんがメカジキの風味を最大限に引き出すべく、和食の技を使って焼き上げる……!

2人が訪れたのは、気仙沼市(唐桑地区)の小鯖(こさば)漁港。そこで出会ったのが、メカジキの“突きん棒漁”の“匠”、佐々木夫一(ささき・ゆういち)さんだ。突きん棒漁とはメカジキを見つけたら舳先の突き台から、長さ5メートルのモリで仕留めるという、昔ながらの豪快な漁のことだ。

今回の航海は5日間。佐々木さんを含め、5人の乗組員と船で寝泊まりしながら、漁を続けるという。午前3時半、まだ真っ暗な太平洋へ船を出し佐々木さんたちが狙うのは、黒潮に乗って北上するメカジキ。夜が明けて海水の温度が上がるとメカジキは海面近くに上がってくるという。

午前8時、乗組員が配置につくが、初日は天候が悪く、早々に漁を終了。2日目の午前7時、見張りを始めると…背ビレのようなものが見えてきた!佐々木さんたちが狙うのは150キロを超える大物だというが、はたして大物メカジキを仕留めることができるのか…!?(引用は以上)


先週の放送では、なかなか大物をしとめることができませんでした。そしていよいよ150キロを超えるメカジキをしとめたかというところで、続きは来週となりました(笑)。

佐々木夫一さんの船は、第18一丸(かずまる)。佐々木さんは、唐桑を拠点とする社団法人まるオフィスをはじめ様々なまちづくり活動にも協力し、気仙沼の漁師の世界を多くの人に伝えてくれています。東京でのトークイベントにも登場したことがあるはずです。私はテレビ番組を通じて、佐々木さんの姿を何度か拝見しています。いつもざっくばらんな語り口で、漁業の面白さや素晴らしさとともに、危険と隣り合わせの仕事の厳しさを語っていました。

数年前の番組では、たしか唐桑地区でのまるオフィスが催したイベントだったと思うのですが、魚介類のバーベキューだったかを楽しく終えたあとの佐々木さんが強く印象に残りました。道具の始末などの後片付けがなってないと強くスタッフをしかったのです。面白い話などでその場をもりあげるのも上手そうな佐々木さんが見せた厳しい一面でした。それを見て、なかなかの方だなと感じました。

ネット配信記事のなかに2016年3月に66歳とありましたから現在は68か69歳でしょう。今でも仲間と沖に出てメカジキを追っています。その突きん棒漁の様子を今度の土曜日6時半からぜひご覧ください。
 

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tag : 気仙沼 メカジキ 佐々木夫一

「目黒のさんま祭」

気仙沼から送られる5000尾のさんまが焼かれる〈目黒のさんま祭〉が、9月16日(日)に開催されます。

さんま漁は、8月28日の気仙沼での初水揚げ後の数日間は好調だったものの、9月3日からは不調となっています。魚体も小さくなっているなど心配な状況で、さんま祭の関係者は気をもんでいるのではないかと。それはそれとして、本日はさんま祭スケジュールのご案内です。

チラシ

日時:9月16日(日)10:00〜15:30
会場:目黒区田道広場公園
主催:目黒区民まつり実行委員会

品川区側の目黒駅東口のさんま祭りは9月9日に行われました。これは宮古水揚げの(後で知ったのですが、宮古ではなく大船渡水揚げのさんまを宮古が提供した)さんま。そして9月16日(日)が正真正銘(笑)の目黒のさんま。「目黒区民まつり(目黒のSUNまつり)」のメインイベント「目黒のさんま祭」です。

会場は〈田道広場公園〉。JR目黒駅の西口を出て、400mほど坂を下っていくと目黒川にぶつかります。橋を渡る手前を右折して300mぐらいいくと田道広場公園です。目黒駅の改札を出て左側が西口です。

地図


今年も気仙沼から大勢のお手伝いの人達が上京します。参加者がお金を支払って参加するボランティアです。今年もふるさと物産展の手伝いで荒木容子さん(3年10組)、あさひ鮨の佐々木徹君(1組)も参加予定。会うのを楽しみにしています。

どうぞ皆様もおでかけください。会場でお会いしましょう。
 

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tag : 気仙沼 目黒のさんま祭

プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/66~67歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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