まちづくり協議会

気仙沼の内湾地区(魚町・南町)防潮堤の魚町工区部(魚町防潮堤)における県の施工ミスについての続報です。4月23日(月)に内湾地区復興まちづくり協議会の会合が開かれ、今後の協議の進め方などについて協議しました。本日4月25日の三陸新報が伝えています。

説明会
三陸新報4月25日掲載記事の一部イメージ

会合は非公開で行われたそうですが、会合後の取材によれば、県からのあらためての説明や、市から〈土地区画整理事業に関係する約230人の地権者に影響がある〉などの報告があったそうです。そして、協議会では、魚町、南町の住民と地権者向けに、県と市の関係者も交えた説明会を開いて意見集約を図ることとし、その開催を5月1日(火)2日(水)の両日と決定したそうです。

22cm高く施工してしまったことへの対応としては、①造り直し②22cm高いまま完成の2案が示されていますが、追加の費用に関しては県が負担する考えを示しているとのことです。これは、②の対応をした場合に見た目の高さを計画と同じようにするためにかさ上げを22cm分高くする費用などを指しています。土地区画整理事業のかさ上げは市の事業として行われていますが、余計にかかる分は県の負担にすると。ま、当然のことでしょう。

三陸新報さんにひとつお願いがあります。23日のまちづくり協議会の会合がどのような立場の人によるものだったかを知らせて欲しい。

県から施工ミスの説明が初めてなされた4月14日の協議会の会議は三陸新報によれば〈ワーキング〉です。出席者数の記述はありませんが、河北新報4月19日記事の写真を見ると16〜17人という感じでしょうか。そして、4月23日の会合は、4月19日の日経 xTECH記事によれば〈「内湾地区復興まちづくり協議会」内にある自治会の代表ら9人でつくる運営会議〉です。

こうした会合の性格というか属性をしっかりと伝えてくれないと、〈みんなの意見を聞かずに一部の人が方針を決めた〉との批判が出てくるでしょう。すでにネット情報ではそんな声も聞こえてきます。4月23日の会合にしても記事のなかにある〈非公開〉との3文字がそうした批判をさらに招くことでしょう。それだけに、詳しい情報を伝えて欲しいと思うのです。

5月1・2日の協議会による説明会はどのような形でおこなわれるのか。1日だけでは来られない人もいるだろうから、2日間の設定にしたのでしょうか。同じ説明をしてそれぞれの日の参加者の意見を聞いて、その内容を踏まえて代表者等の協議で結論というか方針案を定めるという形かな。

この気中20ブログ内を検索してみたら2013年11月29日「内湾の苦渋の選択」で、同月26日のまちづくり協議会〈全体会〉に関する三陸新報の記事を紹介していました。記事には約60人が出席とありました。この全体会で、ワーキングが作成した1mのフラップゲート採用で実質3.8mの防潮堤とする提言内容を確認したのです。

しかし、この魚町防潮堤の対応方針をとりまとめていくのは本当に大変でしょうね。現在の内湾地区復興まちづくり協議会の会長は、菅原昭彦さん。商工会議所会頭もつとめる男山本店の社長。菅原会長は2013年7月頃に会長となりました。その前は〈勝倉漁業〉社長の勝倉敏夫さんが協議会の会長でしたが、2013年7月16日の協議会ワーキングで辞任を表明し、当時は商工会議所の副会頭だった菅原昭彦さんが後を引き継いだという経緯がありました。賛否いろいろあるなかで意見を集約していく役割や責任は実に重く、つらいことも多いと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。

なんか話が細かくなってきたのでこの辺にしておきます。生まれてから高校卒業まで暮らした魚町のことですのでなんかりきんじゃって(笑)。要は、まちづくり協議会での会合や協議の報道にあたっては、どのような人達の集まりなのかを詳しく教えて欲しいというお願いでした。

4月19日ブログ「施工ミスの原因は」
2013年11月29日ブログ「内湾の苦渋の選択」

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西城健一君の詩集

気仙沼高校の同年生、西城健一君(気高3年2組)が18年ぶりに詩集「優しい雨」を発刊しました。4月21日の三陸新報が紹介しています。

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三陸新報4月21日掲載記事


西城君はいま、気仙沼地域で詩誌「霧笛」を発行する「霧笛の会」の代表を務めています。詩誌「霧笛」は、1984年(昭和59年)に創刊され80号まで発行、第2期は2014年末に40号を発行して一区切り。そして2015年に創刊からの通巻121号を発行して再出発したのです。これについて、西城君が三陸新報に投稿した「霧笛121号の船出」という文章はこのブログでも紹介し、つぎの一文を引用しました。

〈 詩を一編書くことによって自分自身の何かの区切りにしたいと思うことがあります。寂しさ、悲しみ、孤独の中にいる時、このままでは駄目だと思いながらただ引きずって生きている時、そんな時、詩を書き、孤独の思いを書き綴ります。
 書き終えて、本になり世に出ていくことで乗り越えたような気になります。また前を向いて生きて行けるのです。詩が人生の励みになり、羅針盤になり、いつしか体の一部にもなりました。〉

この投稿文のなかで西城君は、「霧笛」の同人であった故 熊谷康雄君(3年5組)のことについても触れています。

西城君として4冊目となる詩集「優しい雨」では、「季節」「震災」「人生」の各章合わせて52編が所収されているそうです。記事には詩集表紙の写真が掲載されていました。ちょっとはっきりしないのですが、左上にあるのは明日の晴天を祈る〈てるてる坊主〉でしょうか。そして6列の大小の点の連なりは、小さな文字のようにも感じられます。天から地へと降る雨滴は、西城君が日々つづる詩文かもしれません。雨水はやがて天に戻りふたたび新しい雨となります。この循環と同様に、西城君の日々の思いは詩としてつづられ、新しい日を迎えるための力となるのでしょう。

詩集「優しい雨」は100部発行されました。若干の余裕があり希望者には譲るとのことですので問合せは西城さんまで。電話番号は記事中に記載がありました。

2017年4月17日ブログ「再出港の「霧笛」」

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市長・市議選結果

4月22日(日)に気仙沼市長・市議選の投票が行われました。即日開票の結果、市長選は、新人の斉藤巳寿也候補を退け、現職の菅原茂候補が当選しました。得票は菅原候補が21,118票、斉藤候補が12,300票。もっと差がつくかと思っていたのですが、ちょっと意外な印象。現職に対しての一定の批判票があるということなのでしょう。前回の市長選は立候補が1名で2期目となる菅原市長が無投票で当選となっています。今回はこうして選挙がおこなわれ、これまでの2期8年間の評価を市民に問うかたちとなったのはよいことでしたね。投票率は過去最低の61.31%。

市議選の結果については、三陸新報の記事を紹介させてもらいます。

選挙結果
三陸新報4月23日記事より


トップ当選は38歳の新人、熊谷一平さん。住所は唐桑町明戸、明治大学を卒業して県職員を経て、NPO市民ガバナンスネットワーク理事や唐桑大漁唄込復活素新進実行委事務局員をつとめています。もうひとりの新人候補だった三浦友幸さんも当選。37歳で最年少の気仙沼市議となります。大谷地区の防潮堤問題をはじめ、まちづくり活動に積極的に取り組んできました。若手ということでは、43歳の今川悟さんが2回目の当選となりました。今後もブログなどを通じての情報発信に期待しています。

そして私たちの同級生ですが、臼井真人君(気中3年2組)も熊谷雅裕君(大島中・気高)も当選しました。真人君は4期目となります。今回は6位ですが安定した得票といってよいでしょう。開票結果をながめていて、たしか初回の選挙だったか、真人君がトップ当選したことを思い出しました。あのときの真人君は〈若手のホープ〉だった(笑)。そして雅裕君は2期目となります。今回は定数24に対して27人が立候補したので24番目とは絶妙の結果です。辞職勧告をめぐる市議会のゴタゴタはこれでやめにしてもらいたいと思っています。

市長にしても市議にしても、〈当選おめでとう〉という言葉をかけることにはためらいをおぼえます。しっかりとその役割と責任を果たすのは実に大変なことでしょうから。当選された皆さんには、気仙沼のより良き将来のために精一杯つとめて欲しいと心から願っています。まずは候補者をはじめ関係者のみなさま、お疲れさまでした。今後ともどうぞよろしく。

4月16日ブログ「市長・市議選告示」

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気仙沼インターン

3月31日の三陸新報に、気仙沼の企業でインターン活動をおこなった学生が制作したドキュメンタリー映像に関する記事が掲載されていました。

上智大実習生ビデオ
三陸新報3月31日掲載記事

映像を制作したのは上智大学文学部新聞学科2年の長岡怜奈さんです。2月16日からの1カ月間、足利本店でのインターン期間中に水産関係者をはじめ20人にインタビューし、その内容を編集して約11分の映像にまとめました。タイトルは「あなたと海と生きていく」。まずはユーチューブでの公開映像をご覧ください。



インタビュー映像に登場する方はつぎの方々です。

漁業情報サービスセンター/千葉光雄さん、気仙沼漁業協同組合/吉田光義課長・熊谷浩幸部長、磯屋水産/安藤竜司代表、藤田製函店/藤田一平専務、気仙沼観光タクシー/宮井和夫代表、宮城エクスプレス/上山裕子所長、足利本店/足利宗洋代表

復興庁の事業ということなので調べてみると、被災地企業での就業体験プログラム「復興・創生インターン」のようです。2017年夏の気仙沼ブロックでは足利本店さんをはじめ、アサヤ、菅原工業、気仙沼観光タクシー、八葉水産、pensea(ペンシー)の計6社が受入企業としてインターンを募集していました。地域コーディネーター機関は、一般社団法人まるオフィスです。

上智大学の新聞学科は長い歴史をもち、多くの人材をジャーナリズム、メディアの世界に送り出しています。長岡さんも、テレビ記者を志望しているということですので、気仙沼での経験が今後の就職活動の好材料になればいいですね。

そういえば私は、今年2月の〈ちょいのぞき気仙沼/モニターツアー〉で、立教大学観光学部の学生さんとご一緒する機会がありましたが、その発言を聞いて、とてもしっかりとした考えを持っていることに驚かされました。たぶん彼女も復興庁のインターンプログラムに参加していたのでしょう。

上智の新聞も立教の観光も、学生からの人気だけでなく企業側からの評価も高い学部・学科です。インターンをおこなうにあたっては、多くの選択肢があったはず。その中から気仙沼の企業を選んでくれたことがとてもうれしいです。

このビデオ映像を見て、取材にあたっての足利宗洋さんのサポートや、取材を受け入れてくれた皆さんのあたたかな気持ちが感じとれて、とても気持ちがよかった。そして、気仙沼でのインターン活動は、学生さんだけでなく気仙沼の将来にとっても価値があることだなと感じたのです。長岡さんをはじめ関係者の皆さん、ありがとうございました。

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施工ミスの原因は

気仙沼市内湾地区防潮堤/魚町工区での施工ミスについては昨日のブログでも伝えましたが、本日はその続報。日経 xTECH(クロステック)の4月19日配信記事に、かなり詳しい内容が紹介されていました。見出しは〈施工ミスで防潮堤高過ぎ、数億円かけて造り直す?〉。記事には、魚町地区で建設中の防潮堤の写真が紹介されていました。市による土地区画整理事業によるかさ上げのための盛り土もうつっています。右上がお神明さん/五十鈴神社。


「日経 xTECH」配信記事より

「日経 xTECH」4月19日配信記事(4月22日5時まで無料閲覧可能)


「日経 xTECH」の記事は、なぜ施工ミスが起こったかについて詳細に記しています。その経緯に関する部分を引用します。

「魚町地区では、もともと防潮堤の高さを巡って住民側ができるだけ低く抑えるよう県に要望していた。当初、県は海抜5.1mのコンクリート製の防潮堤を造ることを計画していたが、住民側の求めに応じて、津波襲来時に浮力で立ち上がる高さ1mのフラップゲート(起立式ゲート)21基を防潮堤の天端に設け、通常時の高さを4.1mに抑えることを提案。住民側の合意を得たうえで、2015年7月に着工した。

その後、震災でいったん沈下した地盤が徐々に隆起していることが判明した。16年5月に住民側が地盤隆起分を防潮堤の高さから差し引くよう県に要望。県も応じることを約束した。17年2月に国土地理院が公共工事の高さの基準となる水準点の標高を実態に合わせて改定したことを受け、県は翌3月に地盤隆起分の22cmを引き下げるように設計を修正した。ちょうど、施工者が防潮堤の基礎の打設を完了した頃だ。しかし、施工者がその修正を反映せずに、元の設計のまま工事を進めた。設計者も施工者に口頭で修正内容を伝えたものの、両者のやり取りが不足。地盤隆起後の新たな水準点が分かりにくいなど、図面の表記にも不備があった。さらに、工事を発注した県も修正図面や施工状態の確認が十分でなく、いずれのミスにも気付かなかった。」(引用は以上)


計画修正の経緯も含め、詳しい内容が記されていましたが、ちょっと気になる記述がありました。〈施工者がその修正を反映せずに、元の設計のまま工事を進めた〉と。〈図面の表記にも不備があった〉ものの、なにか施工者のミスのほうが強調されているような感じ。

ちょっと情報を整理しておきましょう。2017年3月に県が防潮堤の高さを22cm下げるように計画変更した後の経緯について、各紙はつぎのように伝えています。河北新報の記事は、施工業者のミスのようなニュアンスも少し感じるものの、〈図面などの誤り〉としています。

◎河北新報4月15日配信記事
「施工業者が見直し前の計画のまま工事し、県の担当者も図面などの誤りに気付かなかったという」
◎毎日新聞4月15日配信記事
「しかし、設計段階で誤りがあり、県の確認も不十分で、以前の高さのままで工事が進められたという」
◎NHK4月15日配信記事
「このため県から委託をうけた設計業者が、陸から見た高さが1m30cmだった当初の設計を22cm低く修正する図面を作成しました。ところが県によりますと、図面の数値に誤りがあり、(後略)
◎三陸新報4月15日記事
「原因は図面のミスや確認不足が重なったことだという」
◎産経ニュース4月17日配信記事
「しかし見直し段階で図面に間違いがあり、県担当者も誤りに気づかなかった」

私はこれらの記事を読み、ちょっとホッとしたのです。施工には地元企業も参加しているだろうから、その責任を問われることになるとちょっとイヤだなと思っていたからです。

日経 xTECHの記事によれば、設計者は日本港湾コンサルタント(東京都品川区)で、施工者は地元建設会社の小野良組(気仙沼市)と佐藤庫組(北秋田市)から成る復旧・復興ジョイントベンチャー(JV)。現在の請負金額は、防潮堤の本体工事/小野良組・佐藤庫組JVが約11億円、フラップゲートの設置工事/水門メーカーの日本自動機工(さいたま市)が約7億円です。

4月23日(月)には、今後の対応を話し合うため、「内湾地区復興まちづくり協議会」内にある自治会の代表ら9人でつくる運営会議が市役所で開かれるとのことです。きのうのブログに記した県側からの3つの案のどれを選ぶにしても、まさに苦渋の選択です。防潮堤の高さにしても、県との交渉に時間をかけすぎると後背地のかさあげなど復興事業の進行が遅くなるということで、住民側が妥協を重ねてきたという経緯を考えると本当にやりきれない気持ちでいっぱいです。

4月18日ブログ「22cm高い防潮堤」

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22cm高い防潮堤

4月15日の三陸新報の記事には驚かされました。気仙沼の内湾地区で建設中の魚町防潮堤に施工ミスがあり、22cm高くなってしまったというのです。4月14日に市役所であった内湾地区復興まちづくり協議会ワーキングで県側から説明があり、川端副知事が陳謝したとのこと。

三陸新報
三陸新報4月15日記事の一部イメージ

三陸新報や河北新報の記事内容を要約するとこんなことです。

内湾地区で宮城県が建設を進めている防潮堤の魚町地域計画は当初は海抜5.1mで、このうち余裕高1mをフラップゲート化し、市がおこなう区画整理事業で防潮堤の背後地を盛り土することにより、陸側からの見た目が1.3mとする計画でした。2015年7月に着工しましたが、2017年3月に地盤の隆起分22cmを防潮堤の高さから差し引く計画に変更し、見た目の高さは1.08mとなる予定でした。

しかし、今年3月に県担当者が確認したところ、完成済みの一部区間160mで変更前の高さで施工されていたことがわかったのです。設計段階で変更内容が反映されず、県側もそのミスに気付かないままに施工されたようです。南町側の防潮堤には問題ありません。

今後の対応について県は、①フラップゲートを取り外すなどして再工事を行う(最大12カ月を要し費用は数億円)②防潮堤はそのままに背後地をかさ上げして見た目の高さを抑える③22センチ高いままとする3案を示したそうです。造り直す場合、土地区画整理事業も含めると最大15カ月の遅れが出る想定です。

河北新報によれば、菅原茂市長は「納得できないし、非常に残念。県は早急に解決策を講じてほしい」とコメントしています。県の事業とはいえ、市長・市議選の告示日に大変な事態が明らかになりました。まちづくり協議会も、3案を示されてどれを選ぶかといわれてもすぐには返事ができないでしょう。

防潮堤が完成しなければ、かさ上げも進行できませんから魚町地区の土地区画整理事業に遅れを生じます。地域住民と県が時間をかけて議論を重ねて決着した防潮堤の高さだっただけに今回のミスは本当に残念です。4月17日配信の産経ニュースによれば村井県知事が16日の定例会見で陳謝したとのことですが、なんといっていいのか、言葉が見当たりません。魚町の皆さんにとってはなおさらのことでしょう。

河北新報4月15日配信記事
(続報)河北新報4月19日配信記事
毎日新聞4月15日配信記事
NHK4月15日配信記事(動画あり)
産経ニュース4月17日配信記事

(追記)
本ブログ投稿の翌日4月19日に、施工ミス経過の詳しい内容を紹介しております。こちらもご覧ください。
4月19日ブログ「施工ミスの原因は」

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霞が関ビルの50年

4月12日の読売新聞朝刊での見開き広告(全30段二連版)には迫力と同時に懐かしさを感じました。キャッチは〈誰かの挑戦を、空は待っていた。〉。〈2018年4月12日、霞が関ビルディングは竣工50年を迎えます〉という、三井不動産の企業広告です。朝日新聞でも同内容の広告を掲載していました。

霞ヶ関ビル
読売新聞4月12日朝刊掲載広告


この写真は竣工式のものでしょうね。みなビルをあおぎ見ています(3人ほどをのぞき/笑)。懐かしさを感じたのは、私ができたばかりの霞が関ビルを見に行ったことを思い出したからなのです。

霞が関ビルは、日本初の超高層ビルとして1968年4月12日に竣工しました。地上147m、36階建て。この年の夏、気仙沼高校2年生だった私は東京で働き始めていた兄をたずねて遊びに行きました。どこへ行きたいと問われてリクエストしたひとつができたばかりの霞が関ビルでした。兄が地下鉄の駅はどこで降りるのが便利かなと迷っていたことをおぼえています。たぶん〈霞ヶ関〉と〈虎ノ門〉のどちらが近いのかと考えていたのでしょう。

その日は晴天でした。ビルの一番上をながめると、白い雲がゆっくりと流れていた(ような気がする)のです。そして兄に〈すごいね。なんかビルが倒れてくるみたいだ〉と。なんたって、日本一の超高層ビルですからね。念のため記しておくと、現時点での日本一の超高層ビルは〈あべのハルカス〉。地上300m、60階建て。高さで言えば霞が関ビルの約2倍です。

三井不動産の広告を見て、そのときに感じた印象というか感激を思い出したわけですが、50年経ったいま、霞が関ビルの下から空を見上げたときに、あの16歳のときと同じ若い感激を得られるかどうか。ちょっと自信がありません。首を曲げすぎるとめまいがして、こっちが倒れてしまうかもしれません(笑)。

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市長・市議選告示

気仙沼市長選挙と市議会議員選挙がきのう4月15日(日)に告示されました。市長選は現市長の菅原茂候補と元県職員の新人斉藤巳寿也候補のふたりが立候補。市議選は定数24に対し3人オーバーの27人が立候補しました。現職20人、元職1人、新人6人とのことです。

きょう4月16日の三陸新報には、各立候補者の略歴などが掲載されていましたが、私には前日15日(土)の同紙に掲載されていた地区別立候補予定者の図示のほうがわかりやすかった。私を含め、気仙沼を離れて暮らす人むけに紹介しておきましょう。ちょっと文字が読みにくいかもしれませんが、ご勘弁ください。

立候補予定者

三陸新報4月15日掲載記事より


同級生ということでは、気仙沼地区から気中同級生の臼井真人(まこと)君(気中3年2組)と大島地区から気高同級生の熊谷雅裕君が立候補しています。きのうはそれぞれの選挙事務所に同級生たちが応援にかけつけたことでしょう。

投票は4月22日(日)で即日開票です。4年間の任期中に東日本大震災からの復興期間10年を過ぎることになります。それだけに選挙で選ばれた市長や市議会議員は、これからの気仙沼をどのような姿にしていくのかというこれまで以上に複雑な課題に取り組まなければいけません。なかなか大変なことと思いますが、その役割を十分に果たすことができる人が選ばれて欲しいと思っています。

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入学・入社の季節

気仙沼高校と気仙沼西高校が統合して新しいスタートをきった新・気仙沼高校の開校式が4月9日(月)に行われました。4月10日の三陸新報がその様子を伝えています。


統合

三陸新報4月10日記事の一部イメージ


3月2日の河北新報によれば、気仙沼西高校は1985(昭和60)年4月に開校し、卒業生総数は4418名。3月1日におこなわれた最後の卒業式には108名が臨んだそうです。旧 気仙沼高校(男子校)と旧 鼎が浦高校(女子校)が再編統合されたのは2005年4月です。それから13年後に気仙沼西高(男女共学)も統合されたことになります。

新気仙沼高校のスタートを伝える記事の隣には、4月9日に行われた唐桑小学校と小原木(こはらぎ)小学校の統合式の記事がありました。両校が統合されて新しい唐桑小学校に。さまざまな議論を経ての今回の統合ですから、両校の良き伝統や校風を受け継いでさらによい小学校になって欲しいですね。

この記事の隣は新入社員紹介シリーズ記事の1回目。気仙沼向洋高校を卒業して斉吉商店さんに入社した〈期待のフレッシュ〉さんを紹介していました。学校への入学とは違い、新社会人としてのスタートですから、希望と不安のいりまじった日がしばらく続くことと思います。でも、みんなが経験して乗り越えてきたことですからね、3カ月もすれば慣れることでしょう。

この3つの記事は、いずれも新しいスタートを伝えるものですが、その裏側には3月末でなくなった学校がありますし、定年退職で会社を去った人達もます。どうも歳のせいか(おかげさまで3月下旬に66歳となりました)、そっちのほうが気になってしまいます。たとえば小原木小学校や気仙沼西高の卒業生の皆さんの心情といったこと。

そしてもう一つ付け加えれば、統合式で〈唐桑小と小原木小を統合し、唐桑小学校とする〉と宣言した齋藤益男(ますお)教育長の心情について。両校統合によって得られることと失われることをよく知ったうえで、児童の将来のためには両校統合を進めるべきと確信し、関係者と協議や準備を進めてきたはずです。多くの苦労があったことと思います。それだけに、多くの皆さんの協力を得て統合の日を迎えたことに万感の思いを感じたことでしょう。益男君とは気仙沼高校で同じ美術部だったものですから、その気持ちをつい想像してしまうのです。

三陸新報の記事をながめながら、感じたことを記していたら、ちょっと長くなってしまいました。良い週末をお迎えください。

2014年7月2日ブログ「気高と西高を統合」

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石川電装 勇人社長

きのうに続き、〈みらい造船〉の話。気仙沼市浪板地区の造船4社(木戸浦造船、吉田造船鉄工所、小鯖造船鉄工所、澤田造船所)の株式会社みらい造船への合併については、4月3日の三陸新報も伝えていました。4月2日に造船団地建設予定地でおこなわれた記者会見の写真は、本紙記事ではモノクロでしたが、同日付のニュースサイトではつぎのようなカラー写真でした。挨拶しているのは、木戸浦社長でしょう。


みらい造船関係者

三陸新報ニュースサイトより


私が注目したのは、左端の男性。石川勇人(ゆうと)さんですね。私たちの一学年下の気中21回生。石川電装の社長をつとめています。この写真を見ると、すっかり落ち着いてまさに立派な社長という感じですが、私が知っている中学時代の〈勇人くん〉はちょっと小柄で眼がくりっとした可愛い男の子(笑)。気仙沼中学では、学校市長(生徒会長)でした。その前年は私が市長だったこともあり彼のことをよく知っているのです。

みらい造船には、造船4社(木戸浦造船、吉田造船鉄工所、小鯖造船鉄工所、澤田造船所)のほかに、造船関連会社として石川電装、小野寺鉄工所、ケーヤードの3社が参加しています。代表取締役社長は木戸浦健歓さん(旧 木戸浦造船)、代表取締役会長は吉田慶吾さん(旧 吉田造船鉄工所)。ほかの5社/5名は取締役。このうちの造船4社はみらい造船に合併しましたが、石川電装はあくまで出資ということで、自社の企業活動はそのままです。

石川電装の企業サイトのなかにブログがあります。書いている方がどなたか記されてはいないのですが、経営者的な視点が感じられるので勇人社長が書かれているのではないでしょうか。年度末、3月31日のブログには〈今月は、命のはかなさ、世代交代、人それぞれ考えの違いといったことなど大事なことに気付かされた月でした。まだまだ元気でいるはずだった人が病に倒れ、あっという間になくなってしまいました〉と記されていました。勇人さんはたぶん今65歳。〈世代交代〉という言葉にリアルな思いを感じました。

気仙沼 石川電装のブログ

造船4社の合併を実現したみらい造船に取締役として参加している勇人さん。自社の経営もありますから、ますます忙しい毎日になることと思います。どうぞ両社とも、役員、社員の皆さんの力を合わせて、よい会社に育てていって欲しいと思っています。みらい造船の新しい出発、おめでとうございました。

4月11日ブログ「浪板 造船4社合併」

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浪板 造船4社合併

4月2日、気仙沼市浪板(なみいた)地区の造船4社が、株式会社みらい造船に合併しました。河北新報の4月3日配信記事には、市内朝日町で造成が進む造船団地付近の空撮写真が紹介されていました。


みらい造船
みらい造船が整備を進める造船団地の予定地(中央から右の土の部分)


みらい造船は、2015年5月に造船会社4社(木戸浦造船、吉田造船鉄工所、小鯖造船鉄工所、澤田造船所)と関連会社3社の出資による合併の受け皿会社として設立されていました。今回は第2ステップとして、木戸浦造船、吉田造船鉄工所、小鯖造船鉄工所、澤田造船所をみらい造船が吸収する形で合併したのです。これにより私たちにもなじみの深い造船4社の名は4月1日でなくなりました。

今回の吸収・合併によって、会社としては「みらい造船」として一体化しました。しかし、市内朝日町の造船団地施設はまだ完成しておらず、2019年中の稼働を計画しているとのことです。それが第3ステップでしょうね。それまで旧4社は、浪板の現施設で業務を続けます。

河北新報4月3日配信記事によれば、みらい造船は気仙沼市が造成した4.1haに新団地を建設します。リフトで船を防潮堤の内側に引き上げる「シップリフト」の導入は国内3例目となるそうです。事業費は105億円で70億円は国の補助金を活用とのこと。

冒頭に紹介した写真の左側には漁業用燃油施設が整備されます。本年2月1日のブログ「朝日町イメージ図」で紹介した燃油施設と造船団地の完成イメージ図を再掲しておきます。



三陸新報1月25日記事より


みらい造船への4社合併については、4月3日の三陸新報も伝えていました。その記事の写真を見て私が気付いたことについては明日のブログにて。

2月1日ブログ「朝日町イメージ図」

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目黒 桜まつり報告

一昨日4月8日(日)は、菊田裕美君(3年1組)と目黒のさくらまつりをのぞいてきました。会場はさんま祭と同じく田道広場公園。葉桜でしたが、とても大勢の方々でにぎわっていました。ステージでは、目黒区の皆さんによるゴスペル、ジャズボーカル、ハワイアンなどが披露され、とてもいい雰囲気。会場中央の休憩テント横のベストゾーンには例年通り気仙沼物産の販売ブースが設けられていました。

今回、〈あさひ鮨〉佐々木徹君の上京・出店がなかったのが残念でしたが、唐桑の焼牡蠣などをつまみにビールを飲むことができました。物産展では今回も大勢のボランティアの方々がお手伝いしてました。その中には、早稲田大学気仙沼チームも。裕美君が撮ってくれたメンバーと私の写真を紹介しましょう。うつっている人は4月入学の新メンバーが多かったように思います。たしか左下の学生さんは、お母様が松岩中学・鼎が浦高校出身とのこと。ほかの方は直接的な気仙沼との縁はないのです。写真に入っていないメンバーもいて、その一人はホヤぼーやに変身して会場をまわっておりました。震災直後から今にいたるまで、こうして気仙沼への応援を継続してくれていることを大変ありがたく思います。お礼を申し上げます。

目黒さくらまつり

写真の上方にうつっているのは、後側のブースで賛同者を募っていた〈メッセージ鯉のぼり〉です。気仙沼市魚町出身の畠山雅枝さんを中心に気仙沼中学校35回卒業生有志で震災後に活動を始めて今年で8年目。賛同者のメッセージが書き込まれた鯉のぼりは気仙沼の商店街に掲げられ、寄付金は地元高校生の活動支援にも。こうした活動を継続は簡単にできることではありません。その努力にいつも頭が下がります。

会場に向かう目黒川の沿道には、ずらった提灯がぶら下げられています。さくらまつりの協賛者によるもので、それぞれの提灯にそのお名前が記されています。会社名や店名のほかに個人名も多く、中には子供や孫の誕生、結婚祝いなどと記されたものも眼につきました。

沿道

こうして多くの区民に支えられたまつり、イベントというのは気持ちがよいものだなあと。そして、今回のさくらまつりでの気仙沼物産展も、目黒のさんま祭と同様に多くの方々の善意で支えられていることをうれしく思いました。関係者の皆様、ありがとうございました。

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川島さんの再出発

3月24日に、目黒区民センター会議室で開催された「歴史探訪フォーラム」については、3月27日のブログで紹介しました。その冒頭の基調公演は、東北大学災害科学国際研究所教授をつとめる川島秀一(しゅういち)さんでした。フォーラムが終わって、川島さんと少し立ち話をしたのですが、〈3月末で退官する〉と聞いて大変驚きました。定年だというのです。私たちの一つ下の学年でいま65歳ですから、別に不思議な話ではないのですが。川島さんは〈まだ少し仕事が残っているけれど、落ち着いたらまた連絡します〉と。

おととい4月7日の夜、読売新聞が同日に配信したつぎの記事を知ってまた驚きました。

読売新聞

読売新聞4月7日配信記事の一部イメージ


川島秀一さんは、4月4日から福島県相馬郡新地町(しんちまち)の災害町営住宅に移り住み、漁師見習として新しい暮らしを始めたというのです。きっかけは、新地町の漁師の小野春雄さん(66)と、昨年12月に知り合ったこと。移住を勧めた小野さんは「秀(しゅう)ちゃんは新地の宝。みんな話を聞くのを楽しみにしているし、漁を手伝ってくれればなお助かる」と話しているそうです。

記事では川島さんの言葉をつぎのように紹介しています。〈これまで研究者として観察してきたが、「いつも『何の役にも立っていない』というもどかしさがあった」という川島さん。シラウオ漁の初日を終え、「実際に自分の手を動かしてみると、聞き書きとはまた違って勉強になる。一緒に浜で暮らし、同じ空気を吸ってみて、震災で漁の仕事がどう変わったのか、じっくり見てみたい」と語った。〉

この川島秀一さんの転身の背景には、やはり東日本大震災があるのでしょう。震災時の川島さんは、たしかリアス・アーク美術館の副館長でした。その後、神奈川大学特任教授/同大付属「日本常民文化研究所」に属したあと、東北大学に迎えられました。仙台では東北大学の教員住宅に。そして今度は福島県新地町の災害町営住宅。私はそこに、なんといったらよいのかある種の〈身軽さ〉を感じます。

震災時の大津波は、魚町のホテル望洋の下方にあった実家を襲い、そこにあった川島さんの蔵書や文献類のほとんどは流失したのです。研究者としての絶望の深さは私たちの想像を超えるものだったでしょう。しかし、今回の〈漁師見習い〉としての再出発を知ると、なにかを失うこと、捨てることでしか得られない新しい世界というのが確かにあるのだろうなと思わずにはいられません。そしてまた、川島さんが震災の津波でお母様を失っていることを思い出さざるを得ないのです。

読売新聞の記事の末尾には、4月7日に福島県新地町で小野さんの新造船の進水式があり、川島さんが司会を務める予定であると記してありました。この日は、新造船 第18観音丸の進水だけでなく、川島秀一さんの新地町での船出を祝福する日にもなったことでしょう。

秀一さん、今回の新しい出発を、私や気仙沼の人達も含め多くの人が喜び、応援していることと思います。また会いましょう。

2012年5月25日ブログ「川島秀一さん2」

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気仙沼図書館略史

3月31日(土)に、新しい気仙沼図書館が開館しました。地元の三陸新報では4月1日に開館式の様子を、3日には写真トピック記事〈ズームアップ〉で、それぞれ伝えていたわけですが、私にはちょっと物足りなかった。というのも、一昨年2016年4月には、気仙沼図書館100周年ということで特集記事を掲載しており、今回の開館にあたってもかなり大きな記事を期待していたのです。考えてみれば、2年前に特集しているので今回は簡略にということかもしれません。ということで、本日は2年前のブログ2本を合わせて再掲します。新気仙沼図書館開館記念特集(笑)。

一つ目は 2016年5月13日ブログ「気仙沼図書館略史」、二つ目は同年5月20日ブログ「菅野青顔図書館長」です。なお、文中の〈今年〉とか〈昨年〉といった記述には( )内に西暦を追記しました。


① 2016年5月13日ブログ「気仙沼図書館略史」

(2016年)4月15日の三陸新報に〈学びの歴史刻み1世紀~気仙沼図書館〉という大きな記事が掲載されていました。気仙沼図書館が今年(2016年)、開館100年を迎えるというのです。

気仙沼図書館
三陸新報4月15日記事の一部イメージ


私たちの世代にとっては、気仙沼小学校の玄関前にあった頃の図書館が懐かしい。よい機会なので、記事内容から気仙沼図書館の歩みを以下にまとめました。

気仙沼図書館は、寄贈図書を元にして開設された児童図書館が母体です。明治40年ごろ、兵役を終えて帰郷した読書家の広野太兵衛氏(小田注:3代目広野太兵衛/広野貞助さんです。気仙沼市長もつとめた〈麻屋〉(現・アサヤ)の元社長広野善兵衛さんのお兄様です)が、当時八日町にあった気仙沼尋常小学校に児童読み物と雑誌を寄贈したのが図書館設置の足掛かりになりました。

その後、大正5年4月17日に町立図書館としてスタート、大正15年には、気仙沼小学校が現在の笹が陣に移転したのに合わせて独立した図書館となりました。小学校正門近くに建てられた木造モルタル平屋建て(約20坪)は、当時の新沼綱五郎町長が私費を投じて建設したものです。これに代わって気仙沼中学体育館のならびに建てられた新図書館は昭和44年に市制10周年事業として整備されたものです。

気仙沼図書館は現在、新館建設の計画が進められています。すでに基本設計はできあがり、今年度(2016年度)中に現施設(新館建設のため昨年(2015年)4月に閉館)を解体し、その敷地内での新館建設工事に着手します。多機能図書館として、平成30年夏ごろの供用開始を見込んでいるとのこと。

以上の三陸新報の記事内容の要約でブログを終える予定でした。しかし、念のためと思い『気仙沼文化史年表』(荒木英夫編)を調べてみると、つぎのような内容で三陸新報の記事との微妙な違いがありました。なお、編者の荒木英夫さんは、気仙沼図書館の館長もつとめた方です。

◎明治41年11月
町内有力者らによって町立図書館設置趣意書が作られる(図書館80年史)
◎明治42年4月13日
広野貞助の寄贈図書で気仙沼小学校内に児童図書館設置(図書館80年史)
◎大正5年3月22日
気仙沼小学校に併設の児童図書館が町図書館に認可され開館(気小要覧)
◎大正11年3月
新沼綱五郎(二代目)没 元町議 町立図書館の建物寄贈を遺言す
◎大正11年6月25日
新沼綱五郎(三代目)町長に選出
◎大正15年9月5日
新沼綱五郎 先代の遺志によって図書館建設費を寄付する
◎昭和3年3月1日
気仙沼小学校前に新沼綱五郎(先代)寄付の町立図書館落成
◎昭和43年12月23日
気仙沼市図書館新館落成式(図書館80年史)

気仙沼町立図書館が100年前の大正5年に開館したことは間違いないようですが、日付が三陸新報の記事では4月17日、文化史年表(出典は気小要覧)では3月22日となっています。ちょっと気になるので、『気仙沼市史』の第6巻(教育・文化編)を調べてみると、沿革についてはほとんど文化史年表と同じ年代記述でしたが、〈大正5年3月22日、宮城県知事に町立図書館として認可され、同年4月11日より開館した〉との記述がありました。4月の11日か17日か。どちらかが誤植かもしれませんね。しかし、3月認可、4月開館ということでしょう。

気仙沼図書館については、館長だった菅野青顔さんのことなど、いろいろと書きたいことがあるのですがまたの機会に。本日はその沿革紹介のみにとどめます。

なお、現在の気仙沼市の図書館は、気仙沼図書館・本吉図書館・唐桑分館(唐桑コミュニティ図書館)の3館となっています。私たちが中学生だったころの〈市立図書館〉という呼称はなくなり、〈気仙沼市図書館〉と呼ぶ場合には、上記3館のことを指すようです。念のため。今週もあっという間に金曜日。皆様、どうぞよい週末を。


② 2016年5月20日ブログ「菅野青顔図書館長」

5月13日(金)のブログで三陸新報記事による「気仙沼図書館略史」を紹介しました。その記事のなかに、懐かしいお名前と顔写真がありました。菅野青顔(かんのせいがん)さんです。青顔さんは図書館長をつとめただけでなく、三陸新報の1面コラム「万有流転」を昭和28年12月2日から35年間にわたって執筆されました。「万有流転」での遠慮のない筆致は、ときに物議をかもすこともありましたが、私はこのコラムが大好きでした。

本日は、前回と同じく4月15日の三陸新報の特集記事から、菅野青顔さんに関する囲み記事を紹介します。

青顔さん4月15日

三陸新報4月15日記事の一部イメージ


以下に上記の記事を全文引用します。

◎本に傾注した無類の情熱
~初代専任館長 菅野青顔氏

 気仙沼図書館の礎を築き、発展に尽くした一人に8代目館長の菅野青顔氏(明治36年~平成2年)がいる。環境が厳しさを増した戦時下でも、体を張って館を守り、その後も充実した運営に心血を注いできた。“青顔館長”として慕われた菅野氏の足跡を振り返った。

 昭和16年、当時の大気新聞社から事務嘱託職員として図書館入り。初の専任館長として、在職中は、企業文庫の開設をはじめとする蔵書の充実や、身分証明書を使わない貸し出しなどの運営刷新に取り組み、今日の図書館の基礎を作った。

 ともに働いた荒木英夫館長(日本図書館協会会員)によると、「孔子が晩年、図書館で仕事をしていたことに憧れていたみたいです」とし、「教養や知識を深めるだけではなく、歴史伝承など、さまざまな役割を持つ本への情熱が大きかった人」と語る。

 「市民が疑問に思うことを解決できる館であること」「来た人には不自由ないサービスを提供すべき」などの信念を持ち、図書購入費が少ない現状を打破するため、企業文庫を創設。自身が持つ本を寄贈することも怠らず、蔵書の充実に力を注いだ。
 「在職中、利用する人へのサービスを一番に強調していた」と荒木さん。言論や出版の統制が強化された戦中、戦後の図書廃棄命令にも逆らうなど、図書館の独立性を守った人でもあった。
 「時代に流されず、歴史は伝えるべき」と、戦後は軍国主義教育を唱えた本も守った。館に残る戦前の資料の数々は、気仙沼にしかないものもあり、荒木さんは「図書館が存在するのは、菅野氏がいたからこそなんです」と強調する。

 辻潤、稲垣足穂、南方熊楠の研究の第一人者として全国的にも知られ、その関係書籍のほとんどを所有。生前、こうした名著、珍著に囲まれて目を覚ますことに、「幸せ者だと思っている」と語っていたという。本に傾注した無類の情熱が、現在の図書館の礎になっている。(記事引用は以上)

記事の最後に登場する辻潤、稲垣足穂(たるほ)、南方熊楠(みなかた くまぐす)の名は、私も中学のころから知っていたと思います。この3氏ともかなり〈独特〉の人たちで、地方新聞の紙面にその名がしょっちゅう登場する気仙沼というのも今かんがえるとかなり〈独特〉でした。

私は27歳のときに、青顔さんのご自宅にうかがいお話をお聞きする機会がありました。その話はまた、回をあらためて書くことにいたします。本日は三陸新報記事の紹介にとどめておきます。

(再掲内容は以上)

私は、新しい図書館内部を〈気仙沼のほぼ日〉サユミさんの紹介で見て、なかなかよい場所ができたなと喜んでおりました。館内の壁には糸井重里さんの〈 行ク道ハ タノシミ。 帰リ道ハ ヨロコビ。 〉という言葉もありました。どうぞ〈気仙沼のほぼ日便り〉4月4日、3月18日更新内容をご覧ください。

本日はとても長いブログとなりました。週末ということでお許しいただければと。どうぞ皆様、良い週末をお迎えください。気仙沼の方は、ぜひ図書館へ。そしてカフェ「エスポアール」にもお立ち寄りください。

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目黒の「桜まつり」

本日は東京での催事案内です。4月7日(土)8日(日)は〈目黒イーストエリア桜まつり〉。恒例となった気仙沼物産展も開催されます。

さくら祭
桜まつり公式サイトより


今年で第14回目となるこの桜まつりは、〈目黒のさんま祭〉会場でもある田道公園広場でおこなわれます。私たち気仙沼出身者にとってはおなじみの場所といってよいでしょう。

◎第14回目黒イーストエリア 桜まつり
◎4月7日(土)8日(日)
 10:30~19:00(雨天決行)
◎田道広場公園
(目黒区目黒一丁目25番8号)

会場は〈田道広場公園〉。JR目黒駅の西口を出て、400mほど坂を下っていくと目黒川にぶつかります。橋を渡る手前を右折して300mぐらいいくと田道広場公園です。目黒駅の改札を出て左側が西口です。

地図

今年はずいぶん早く桜が咲きましたね。私は、3月24日の「歴史探訪フォーラム」と25日の「海の古道」公演のついでに目黒川の桜を楽しむことができました。そしてさらに4月8日(日)のお昼、裕美君を誘って桜まつりの会場に行く予定です。どうぞご一緒できる方がいればお声がけください。

今年の桜まつりは、葉桜をながめることになりそうですが、それも一興です。気分は満開ということで、どうぞよろしく。

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3.11ヒカリの御礼

4月1日の三陸新報に、〈3月11日からのヒカリ実行委員会〉の広告が掲載されていました。今年で7回目となる〈3月11日からのヒカリ〉プロジェクトに支援・協力をいただいた方々への御礼広告です。

ひかり御礼広告
三陸新報4月1日掲載広告

私たち「気仙沼中学20回生支援会」(気中20)(会長は鈴木徳一君/3年3組)は今回も協賛させていただきました。広告には、私たちの同年生による〈昭和42年中学卒気仙沼・三陸会〉の名もありました。多くの中学・高校をまたぐ仙台地区周辺の同年会です。今年から会長は吉野信雄君(気中3年1組)となりました。こうして広告にふたつの会の名前が並んでいるのをみると、仲の良さがうかがえますね(笑)。

協力・後援された多くの団体や企業の名もありました。実行委員会の皆様をはじめ、こうした方々の力によってプロジェクトが支えられているのでしょう。御礼を申し上げなければならないのはむしろ私たちのほうでしょう。

最後になりましたが、私たちの協賛は当支援会にお寄せいただいた多くの方々のご厚意によるものです。皆様へのご報告も兼ねて紹介させていただきました。ありがとうございました。

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tag : 気仙沼 3月11日からのヒカリ

新図書館オープン

きのうのブログでは、cafe「エスポアール」のみ紹介しましたが、本日は3月31日(土)の新しい気仙沼図書館の開館についてです。4月1日の三陸新報では、開館式の様子を伝えています。

図書館1

三陸新報4月1日記事の一部イメージ


新図書館は、鉄筋コンクリート造り3階建て、延床面積約3220㎡。災害復旧事業として総事業費約20億円を投じました。一般図書エリアは2階ですが、1階にはcafe「エスポアール」のほか、インドネシア政府からの約1億6千万もの寄付による児童図書エリア「ユドヨノ友好こども館」が設置されました。〈ユドヨノ〉はインドネシアのユドヨノ大統領のお名前のようですね。このほか、古町児童館が移転しての「気仙沼児童センター」も併設されています。きょう4月3日の三陸新報では、オープン当日の写真トピックスで紹介していましたが、壁に設置された〈ボルダリング〉を楽しむ子供たちがうつっていました。

児童図書館の設置はとてもいいですね。気仙沼図書館は、市長もつとめた〈麻屋〉(現・アサヤ)の元社長広野善兵衛さんの兄である3代目広野太兵衛/広野貞助さんが当時八日町にあった気仙沼尋常小学校に児童読み物と雑誌を寄贈したことが設置のきっかけ、原点となっています。明治40年ごろのことといいます。そして大正5年3月22日に、気仙沼小学校に併設の児童図書館が町図書館に認可され開館。大正5年は1916年ですから、2016年に開館100周年を迎えたのです。こうした気仙沼図書館の歴史については、2016年5月のブログで紹介しましたので、機会をみて再掲しようと思っています。本日は、新図書館の概要紹介のみにて。

新図書館の建設事業には、上述したインドネシア政府からの寄付のほか、震災後に寄せられた復興寄付基金からの1億5500万円の充当もありました。気仙沼の復興のためにと寄せられた大勢の皆様のあたたかいお気持ちにあらためてお礼を申し上げます。ありがとうございました。

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cafeエスポアール

3月31日(土)、新しい気仙沼図書館が開館しました。図書館そのものについてはあらためて紹介することとし、本日は同級生に関連する話。図書館の1階にオープンしたカフェが「エスポアール」なのです。

エスポアール
三陸新報3月31日掲載広告


気仙沼市田谷で営業している「喫茶 エスポアール」の代表者は齋藤(広沢)高史君(私と同じクラス3年8組)です。高史君は震災前、エスポアールの隣でスポーツジム「K&B」を経営していましたが被災し、現在は利府町にてジムを再開しています。ですから、実際にお店をきりもりしているのは奥様のみき子さん。店長ということでしょう。

新図書館内に設置されるカフェスペースへの出店者募集は、2016年12月に開始されました。エスポアールを含む2事業者からの応募があり、翌年3月、「喫茶エスポアール」に決定したとの市からの発表がありました。発表資料のなかに代表として高史君の名が記されているのを見て、うれしく思っておりました。出店期間は5年間です。5年後にまた公募を実施しますが、それまでの事業者も応募もでき、その審査結果によっては継続も可とされています。

上に紹介した広告のなかに〈気仙沼市立図書館〉という記述がありましたが、これは〈気仙沼図書館〉とすべきでした。私たちの世代はどうしても〈市立図書館〉と呼んでしまいますが、いま〈気仙沼市図書館〉といえば、〈気仙沼図書館〉と〈本吉図書館〉の2館のこと。名称中の〈市〉の有無で意味が異なってくるのです。今回、新築してオープンしたのは〈気仙沼図書館〉です。それと、広告の枠どりを見てください。常連客は〈エスポ〉というのか。〈エスポさ寄って、コーヒーでも飲むべし〉みたいな使い方か(笑)。

なお、田谷の「喫茶エスポアール」はそのまま営業を続けます。図書館のお店はcafe「エスポアール」です。〈希望〉という名のカフェということになりますね。齋藤夫妻の希望倍増。

高史君、みき子さん、新しいお店のオープンおめでとう! 皆様も図書館においでの際には、是非お立ち寄りください。どうぞよろしく。

◎cafeエスポアール
気仙沼図書館1階
営業時間:
火〜金 午前10時〜午後6時
土・日 午前10時~午後4時
定休日:月・祝・第4木曜

2015年9月28日ブログ「ずんだパフェ」

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震災復興基金残金

3月23日のブログで、震災後に気仙沼市へ寄せられた寄付金を積み立てた「震災復興支援寄付寄金」の使われ方について紹介しました。本日は、3月14日の三陸新報に紹介されていた気仙沼市の「復興基金」についてです。これは、震災後に国の特別交付税を原資にして宮城県から交付されたもの。記事によれば、この復興基金の総額は106億7200万円です。このうち、82%をすでに充当し残りは19億2千万円とのこと。

3/14復興基金

三陸新報3月14日記事の一部イメージ

充当額で最多なのは住宅再建の市独自の支援と浄化槽設置補助の65億6100万円で全体の61.5%。次いで地域商業施設等復旧整備が6億3200万円。水産加工業従業員宿舎整備が1億7200万円、中小企業振興資金融資の利子補給金1億5800万円などです。

ソフト事業ではこのほか、コミュニティFM放送などの業務委託(3200万円)、東日本大震災の追悼式(7000万円)などにも充当しています。新年度は、店舗リニュアル補助金(500万円)など計5事業に新たに活用するとのこと。

寄付寄金の記事でも感じたのですが、この復興基金に関しても、とりあげる事業の選び方にちょっと疑問があります。コミュニティFMや震災の追悼式などをあげるのであれば、気仙沼版DMO推進事業なども市の重要施策として紹介するのが自然だろうと。一覧表にすればよいと思うのですが。私の理解では、2016年度までが17事業、17年度が新たに6事業。記事では2018年度では新たに5事業としていますので、単純合計で28事業となるはずなのですが。

復興基金など、国や県から交付されるお金の使いみちは様々な条件がついており、柔軟な活用が困難だということはよく聞く話です。記事がとりあげてい様々な事業も行政が様々な知恵を絞って展開しているのでしょう。残りの19億2千万円についても、気仙沼の将来に役立つ活用策を探って欲しいと思っています。

3月23日ブログ「復興支援寄付残金」

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tag : 気仙沼 復興基金

三陸道の名称整理

3月25日(日)、三陸沿岸道路(三陸道)の大谷海岸インターチェンジ(IC)~気仙沼中央IC間の7.1kmが開通しました。当日の式典には関係者や住民ら約400人が出席したとのことで、まさに待望の開通ということでしょう。同区間の事業費は255億円です。


開通式

三陸新報ニュースサイトより

3月25日の三陸新報3月25日記事から道路区間図を紹介します。〈きょう開通〉とあるのは3月25日のこと。

区間図
三陸新報3月25日記事より


なお、大谷海岸と気仙沼中央との間には、岩井崎ICが設けられていますが、このICは気仙沼中央方向への乗り口と同方向からの降り口のみのハーフインターとなっています。


しかしなんというか、三陸道関連の名称はわかりにくい。今回の区間開通に関しても、三陸新報は〈三陸道〉、河北新報は〈三陸沿岸道路〉の一部区間として紹介しています。上に紹介した式典写真の表示では〈三陸沿岸道路/本吉気仙沼道路(大谷海岸IC~気仙沼中央IC)開通〉としていますね。

この機会に道路名称を整理しておきましょう。包含する距離が長い道路名から説明します。まず「三陸沿岸道路」(仙台港北IC~八戸ジャンクション/JCT)は、三陸縦貫自動車道・三陸北縦貫道路・八戸久慈自動車道の3道路の総称です。そして「三陸縦貫自動車道」(仙台港北IC~田老北IC)の略称が「三陸自動車道」や「三陸道」。次に、「三陸縦貫自動車道」中の本吉IC ~ 気仙沼中央IC間が「本吉気仙沼道路」、気仙沼中央IC〜 唐桑南IC間が「気仙沼道路」です。今回の開通区間は「本吉気仙沼道路」の約7割部分になるかと思います。おわかりいただけたでしょうか。私はまたすぐに忘れそうです(笑)。

河北新報3月26日配信記事

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あい子さんの訃報

同級生の訃報です。気仙沼中学3年6組だった後藤(及川)あい子さんが3月24日に亡くなりました。三陸新報の訃報広告には〈病気療養中〉であったと記してあります。

あい子さん訃報
三陸新報3月27日掲載内容

私もきのうの午前中に三陸新報(デジタル版)をながめ訃報欄も見てはいたのですが、そこに同級生の名があることに気付きませんでした。夕方に菊田裕美君(3年1組)がメールで教えてくれました。その文面には、あい子さんのご主人は気仙沼高校の同年生(3年1組)だった後藤正俊君だと記してありました。そして〈同年生の訃報に接すると寂しくなってしまいます〉と。同感。

あい子さんのご冥福をお祈りするとともに、正俊君へ心からお悔やみを申し上げます。

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tag : 気仙沼中学 訃報

黒潮に運ばれた道

きのう3月26日のブログでは、からくわ物語「海の古道」東京公演を紹介しました。本日は、その前日祭として行われた3月24日の「歴史探訪フォーラム」をご紹介します。

チラシ

冒頭は、気仙沼出身で東北大学教授の川島秀一さんによる約50分間の基調講演でした。テーマは翌日の舞台「海の古道」のテーマを踏まえ「黒潮に運ばれた道」。とても要約できるものではありませんが、柳田国男をはじめさまざま文献なども引用しながら話してくれました。黒潮は、カツオなどの回遊魚をはじめ様々な魚を三陸の海に運んでくれます。また、その魚を追う人/漁師たちの文化も共に。そして漁師の信仰と漁労との関わりなどについて。

川島先生

まとめとして川島さんが示したスライド内容を引用しておきます。①技術の「伝播」も、文化の「伝承」でも、伝わったところで、既に培っていたものを土台にして受け入れていること。けっして受動的ではなく、積極的に「選択」していると思われる。②海を通した人間とモノとの交流を捉えることは、中央集権的な社会観を相対化できること。(例/カツオ一本釣り漁(宮崎・高知・三重←→三陸)、追込み漁(糸満←→新島・隠岐・対馬・五島)、家船(瀬戸内海)

基調講演の後は、6氏(目黒区の鈴木副区長、新宮市の田岡市長、気仙沼市の赤川副市長、同志社大学の八木匡教授、唐桑町古館家当主の鈴木伸太郎さん、そして川島教授)が、それぞれの立場から気仙沼との関わりなどを報告しました。

フォーラム

目黒区と気仙沼については既に皆さんご存じのとおりです。そして新宮市は、1675年に鮪立/古館の鈴木勘右衛門が当時の紀州三輪崎(みわさき)(現・新宮市)の舟5艘と漁師約70名を迎え入れたことがご縁の始まりです。三輪崎とのつながりがなければ、現在の生鮮カツオ水揚げ日本一連続21年といったこともなかったことでしょう。赤川副市長は、多大なご支援を受けての気仙沼の復興の現状や、唐桑地区におけるまちづくり、特に若い移住者たちの活躍について話されました。

気仙沼市唐桑町・古館(こだて)家の現当主である鈴木伸太郎さんのお話ははじめてお聞きしました。詳細は略しますが、〈唐桑をはじめ三陸地域は「陸の孤島」とも言われてきたが、歴史をさかのぼればむしろ「海の十字路」であった〉いう言葉は、まさにフォーラムのテーマ「黒潮に運ばれた道」そして翌日の芸能劇「海の古道」と重なる話であったように思います。ひとり10分程度のわりふりですから要点のみでしたが、祖先が紀州からわたってきたという古館/鈴木家が当地で果たしてきた役割と意義を強く感じることができました。もっと聞きたかった。

残りの時間がほとんどなくなっていましたが、最後に川島秀一さんがまとめとしてつぎのような話をしてくれました。〈黒潮の流れによる漁労技術の伝播は文化の伝承でもあった〉〈黒潮に運ばれた道について考えることの意義は、中央集権的なくびきから離れて、海の道を通じて地域と地域が直接に手を結ぶという視点を与えてくれることにあるのではないか〉などといったことです。この中央集権的な支配から離れての、海道蝦夷(かいどうえみし)としての誇りといったようなことは鈴木伸太郎さんのお話にも強く感じたことでした。川島さんは最後に、〈黒潮はそうした様々な文化を伝えてくれた。サンマやカツオなど、魚に感謝したい〉と微笑みながら話を結びました。

会の最後に、崎浜の保存会3名による大漁唄い込みの披露もありました。会場から〈ヨーイドコラサ〉のかけ声もあがるなどして、明日の舞台に向けての前日祭は終了。以上、断片的な紹介ではありますが、私が皆さんの話のなかで印象に残ったことを記しました。興味深い話をたくさん聞くことができてなによりでした。関係者の皆様にお礼を申し上げます。

3月26日ブログ「海の古道 公演報告」

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海の古道 公演報告

きのう3月25日(日)は、郷土芸能劇からくわ物語「海の古道」の東京公演でした。会場は目黒区民センターホール。とてもよい天気で目黒川の桜も満開に近い8〜9分咲きといった感じ。ホールに向かう桜並木の沿道は大勢の花見客で混雑していました。

開場は1:30、開演は2:00。私たち夫婦は午後1時に会場につきましたが、すでにロビーは気仙沼市唐桑から上京したメンバーや、観劇に来た唐桑出身者と思われる人達でにぎやかな雰囲気。懐かしい言葉がとびかっていました。

会場の目黒区民センターは約400席ですが、ほぼ満員でした。開演前に会場後側から撮った写真を紹介しましょう。なんとなくの雰囲気ですが、8割以上が気仙沼/唐桑出身者や関係者という感じ。

開演前

演劇内容の詳細は略しますが、とても面白かった。唐桑の人達が演ずる劇中に、4団体(鮪立大漁唄込保存会、崎浜大漁唄込保存会、神止り(かどまり)七福神舞保存会、唐桑浜甚句保存会)の皆さんの唄や踊りが披露されます。大漁唄込みや祝い唄、浜甚句の朗朗とした唄声や踊り、仕草は本当に素晴らしい。みんな堂々としていて、地元の言葉での劇も実に自然でした。頂戴したリーフレットの中面を紹介しておきましょう。

リーフレット

劇が終了して、出演メンバーが舞台に順に登場しました。最後に勢揃いしたときはこんな感じ。前列は鮪立の保存会の皆さん。中央に古館(こだて)の鈴木伸太郎さんがうつっています。

カーテンコール

観客退場時のロビーにはメンバーの皆さんが並んでお見送りです。開演前と同様の笑顔と歓声が満ちていました。東京公演の成功をみな喜んでいたように思います。とても素晴らしい舞台でした。出演者はじめ関係者の皆さん、そして支援・助成してくださった企業・団体の方々にもお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

なお、前日24日に行われた前日祭「歴史探訪フォーラム」にも行ってきました。その報告はまた明日。最後に、帰り路で撮った目黒川の桜の写真を一枚。唐桑から上京した皆さんも目にしたことでしょう。この近辺、目黒田道公園などで開催される目黒イーストエリア桜まつりは4月7日・8日ですが、そこまで桜の花がもつかどうかがちょっと心配。例年通り、気仙沼の物産市も行われるのですが。桜まつりはあらためて紹介します。まずは本日、〈海の古道〉の紹介のみにて。

桜

3月14日ブログ「海の古道 東京公演」

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tag : 気仙沼 唐桑 海の古道

復興支援寄付残金

3月6日の三陸新報が、気仙沼市がまとめた東日本大震災後に寄せられた寄付金の使途状況を紹介していました。総額9億8800万円のうち、これまで産業振興などを目的とした計33事業に7割の7億800万円(予定を含む)を充当。残りは2億8千万円となっているそうです。

3/6寄付金活用
三陸新報3月6日記事より

震災関連の寄付金は、「震災復興支援寄付寄金」として市が積み立てています。その寄付金の充当先で最も金額が大きいのは3月31日に開館予定の気仙沼図書館建設事業で1億5500万円。次いで毎年度2千万円を充てている「海の市」復旧整備事業補助金が1億2千万円、被災集会施設再建事業補助金8700万円、復興祈念後援整備事業4700万円、水産資源活用研究会への事業補助金3650万円などと続きます。「水産資源活用研究会」は、〈Kesemo〉ブランドでの化粧品や、ホヤソース、ホヤ醤油、わかめドレッシングを開発・発売してきた官民一体の組織です。

これまで計33事業に充当してきたということですが、記事では上記事業に加え、水産や観光などまちづくりの調査を目的とした民間とのノルウェー・ニュージーランド・米国などへの海外視察に計2250万円、大島中学校野球部のいわゆる〈離島甲子園〉参加補助金100万円なども紹介しています。海外視察や離党甲子園参加への補助は、たしか一部の市議会議員から疑問が呈されたように記憶しています。そんなことから記事でもとりあげているのだと推測しますが、ちょっと含みを感じます。それならば、33事業の一覧を掲載したほうがよいでしょう。2016年の7月には、つぎの一覧を掲載していました。これにその後の内容を追加するだけの話と思うのですが。

20160716152335294.jpg
三陸新報2016年7月8日記事より

寄付金の残りは2億8千万円とのこと。ただ、総額2億円を充てることが決まっている「海の市」への充当残り分8千万円を引くと、実際の残高は2億円になるそうです。

このブログで気仙沼の復興事業などを紹介するときに、予算や費用の情報があれば意識的に紹介するようにしてきました。その多くが国や県の復興予算、つまりは税金によってまかなわれるものであろうとの思いからです。本日紹介したのは〈寄付金〉の使いみちです。市や議会の皆さんには、寄付してくださった個人、企業、団体の皆様の気持ちに報いるため、最善の使途検討をお願いしたいと思っています。

2016年7月19日ブログ「市への寄付金総額」

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アイデア賞を受賞

本日3月22日の三陸新報に気仙沼市の復興祈念公園アイデアコンペの審査結果が紹介されていました。このコンペには、私も妻と一緒にモニュメント部門に応募し〈アイデア賞〉をいただきました。

復興祈念公園コンペ

三陸新報3月22日記事の一部イメージ


記事によると応募数は、総合部門(モニュメントを含む公園全体の計画)が29点、モニュメント部門が132点でした。そして両部門から優秀賞各5点、アイデア賞各4点が選ばれています。そして優秀作品のうち、評価が最も高かった槻橋修(神戸市)さんの作品を、公園の核となるデザインに採用し、6月末までに策定する基本設計に可能な限り反映させる方針とのこと。

記事には〈モニュメントの例として、港町・気仙沼を象徴する灯台や船をモチーフにしたものがあったほか、復興への願いを込めた羅針盤や祈りをささげる鐘の設置などの提案があった〉と記されていました。当方提案の詳細な紹介はひかえますが、基本コンセプトは「灯台」です。付随設備として「鐘」の設置にも触れております。

「灯台」のアイデアは沢山の人が提案したことでしょう。私たちはそれを後押しできればなと思ったのが応募理由のひとつです。それと、公園が整備される陣山のあの場所は、私の実家があった場所の後背地。小さなころに遊んだあの場所にできる祈念公園であればヘンなものにはしたくないと。受賞・入選作品の公開はあるのでしょうか。どのような作品が寄せられたのかぜひ見てみたいと思います。

この復興祈念公園は来年に着工し、2020年3月11日までの開園を目指すそうです。検討委員会の皆様、コンペの審査は大変だったと思います。お疲れさまでした。そして、ありがとうございました。

2017年12月8日ブログ「復興祈念デザイン」

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気仙沼 「おでん牧」

2月25日。日曜日でしたが、仕事があって事務所に出ていたのですが、午後7時37分にファックスが動き始めました。受信されたのはつぎのような内容。ノイズだらけですが、かろうじて読むことができました。平30.2023読売宮城版と記してあります。



受信ファックスの一部


見出は〈内館牧子の仙台だより〉 第171回「ノリで?気仙沼アイドル」。さっそく読んでみるととても面白い。気仙沼の人がわざわざ送ってくれたのでしょう。でも誰だろう?と思っていたら、2日後にメールが届いて送信者が判明。仙台に住む吉野信雄君(3年1組)でした。ということで遅ればせながら、その内館牧子さんのコラム記事を紹介させてもらいます。

脚本家で2000年から10年間は横綱審議委員もつとめた内館牧子さんは「みなと気仙沼大使」のひとりです。そして内館さんの友人知人がそのことを知ると、必ず「あなたと気仙沼、何の関係があるの」と首をかしげるといいます。その疑問への答えを引用させてもらいます。

2月23日付け読売新聞(宮城県内版)
◎内館 牧子の仙台だより 第171回
「ノリで?気仙沼アイドル」

〈 (前略) 私がまだ40代の頃、いつか東北で「おでん屋」をやろうと夢見ていた。どこがいいだろうとさんざん考えて、「そうだ! 気仙沼だ」とひらめいた。それまで一度も行ったことがなく、一人の友達もいないのに。だが、海から戻ったばかりの漁師たちに、あったかいおでんと地酒を出す店がいい。女将(おかみ)の私は紬(つむぎ)なんぞ着てカウンターに立ち、漁師たちのアイドルになるのだ。決めた、気仙沼だ。
 私はそれをNHKラジオで語ったのである。すると何と、すぐに気仙沼のリスナーから市内地図が送られてきた。「店を出すならこの辺がいい」などと赤でマークしてあり、細かく町の様子を書いた手紙がついていた。このノリのよさ、好きだなァと感激し、その後、初めて出かけた。
 思った通り、町も人も食べ物もいい。調子にのって、「いつか気仙沼に『おでん牧』を開く」と雑誌にも書きまくったのである。
 すると、ある時、気仙沼青年会議所から講演を依頼され、お土産に仰天するモノを頂いた。これが何と、店の暖簾(のれん)である。
 紺地に「港 気仙沼 おでん牧」と白で染め抜いてある。大漁旗の製作者が染めたそうで、大漁旗と同じ布を使っている。それは立派で美しい(写真を見たい人は講談社文庫「食べるのが好き 料理は嫌い」をご覧ください)。
 気仙沼人のノリのよさ。これは全国でもトップクラスだ思ったほどだ。海への開けた風土とイキのいい魚が作ったに違いない。
 今日まで「おでん牧」は開店していないが、ノリに対するせめてものお礼に「みなと気仙沼大使」に就任し、PRにつとめようと思ったわけである。〉

以上が、「あなたと気仙沼、何の関係があるの」という友人の問いに対する牧子さんの答。そしてつぎのように文を結びます。

〈もっとも友人たちは、「もうアイドルは無理。おでんを食べながら人生相談にのるババの店にしなさいよ」と言う。無礼者どもが。〉

結局、最後まで引用してしまいました。私だけでなく、気仙沼関係者であれば、この内館さんの気持ちがありがたく、とても省略などできないでしょう。私は「おでん牧」の話を、この記事ではじめて知りました。気仙沼の人が「店を出すならこの辺がいい」と教えてくれたところはどの辺だろうか。〈マンボ通り〉だっただろうかなどと妄想が止まりません。

内館さんについては以上ですが、吉野君のファックスの話が残っていました。たぶんクリーニングが必要だと思います。まずは細長いガラス部を拭くことからはじめてみてはいかがでしょう(笑)。

内館牧子さん、いつも気仙沼がお世話になっております。読売新聞での文章もありがとうございました。どうぞ、また気仙沼においでくださいますように。多くの人が待っていることでしょう。

◎追記:テレビ番組情報

先週の放送予定が変更になっていた、NHK EテレのETV特集「カキと森と長靴と」アンコールの再放送が、本日深夜(日付は3月22日0:00〜)となりました。見逃された方は是非ご覧ください。

ETV特集アンコール「カキと森と長靴と」
3月22日(木)午前0:00~(1時間)
2月26日ブログ「カキと森と長靴と」

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tag : 気仙沼 気仙沼中学 内館牧子 おでん牧

南町商店街の苦境

3月16日に河北新報が気になる記事を配信していました。昨年11月に街開きした「南町紫神社前商店街」の共同店舗(20店舗)が、集客に苦しんでいるというのです。

商店街苦境

河北新報3月16日配信記事の一部イメージ(クリックで記事にジャンプ)


記事の一部を引用します。
〈共同店舗は被災した商店主らが建てた。「休日も平日もこんな状態」。飲食店を営む30代の女性はため息を漏らす。開店以来、赤字が続く。会員制交流サイトで営業に励むが、来店者が1日10人に満たないこともある。「人の流れがない。このままでは厳しい」〉

そして今は工事現場の中に商業施設があるような状況。店舗前の道路や隣接する造成地の工事は2019年3月だといいます。

〈人口減にこうした事業の長期化が重なり、客足は遠のく。個々の事業計画のずれが、まちづくりの歯車を狂わせた〉〈災害公営住宅と併設する共同店舗の建設費は約14億円で、合同会社の前身の建設組合が建てた。グループ化補助金を活用し、災害公営住宅分は市が9億円で買い取ったが、1億数千万円は出店者の負担だ。安定収入がなければ、被災事業者は苦境に追い込まれる〉

昨日のブログで紹介した、内湾地区のウオーターフロント施設にも触れています。

〈店舗前の道路を挟んだ海沿いに今年10月、官民出資のまちづくり会社が整備する飲食店街が開業。11月には内湾で被災した市の交流拠点施設も復活する。新たに創出される人の流れの相乗効果を、にぎわい復活に生かすことができるか〉

〈官民出資のまちづくり会社〉というのは気仙沼地域開発(株)。飲食店街は〈内湾スロー村〉(仮称)のことでしょう。市の交流拠点施設は、仮称〈南町海岸公共・公益施設〉で、昨年7月7日のブログで紹介しました。これらが、旧エースポート跡地に一体的に整備されます。

建物はこうしてできていくけれど、人は果たして戻ってきてくれるのか。河北新報の記事は、南町をはじめ内湾地区全体の商業関係者の切実な思いを伝えていたように思います。河北新報気仙沼総局/大橋大介さんの署名記事でした。

2017年7月7日ブログ「内湾施設イメージ」

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tag : 気仙沼 気仙沼中学 南町紫神社前商店街

商業施設愛称募集

3月17日の三陸新報に、気仙沼地域開発(株)(菅原昭彦社長)が、気仙沼の内湾地区に建設中の「ウオーターフロント施設」が5月末に完成との記事が掲載されていました。

3/17フロント施設

三陸新報3月17日記事の一部イメージ

記事によれば、旧エースポート跡地で建設中のこの商業施設は、新設商業エリア「内湾スロー村」(仮称)構想の一環として昨年6月に着工されました。事業費は約4億6千万円。1階/カフェ・衣料品・小売・飲食、2階/飲食・カフェやイベントスペース、3階/気仙沼地域開発・気仙沼地域戦略といったフロア構成になっています。早いテナントは6月中に、残るテナントも順次入居し、9月中にはすべてそろうとのことです。

記事の最後にちょっと気になる記述がありました。オープンに向けてこの施設のロゴマークと愛称を募集しているというのです。応募期間は3月12日から28日まで。この期間の短さは置いといて、名前(愛称)も決まっていないのにロゴマークのデザインができるだろうかという大きな疑問を感じました。どんな名前になろうが、そこに添えておかしくないマーク的なものということでしょうか。そうしたデザインが不可能なわけではありませんが、ネーミングから着想されるデザインという大きな可能性を捨てることになりますね。それと、ネーミングの文字を主体としたロゴという方向もはじめから考えていない。

ここまでにしておきますが、いかに時間がないとはいえもったいないやり方だなと感じました。しかし、完成や引き渡しが5月末だというのに、愛称がまだ決まっていないというのは本当でしょうか。ちょっと信じられないのですが。そうだとすれば、新「エースポート」でよいのではないかという気さえしてきます。A(エース)port。ありゃま、K-portと似すぎてしまうので、こりゃだめか(笑)。応募される方は、気仙沼地域開発(株)のサイトをご覧ください。

2017年7月28日ブログ「内湾施設の地鎮祭」

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tag : 気仙沼 気仙沼中学 エースポート 気仙沼地域開発

「知恵を持つ海」

一昨日は、3月25日に目黒区民センターホールで行われるからくわ物語「海の古道」東京公演を紹介しました。〈目黒のさんま祭〉をきっかけにして気仙沼市と友好都市協定を結ぶ目黒区さんにはこうしていつも大変お世話になっております。3月4日には、目黒区の「めぐろパーシモンホール」で「東日本大震災復興支援コンサート」が開催されたわけですが、3月7日の三陸新報にその様子が紹介されていました。

3:7コンサート

三陸新報3月7日記事の一部イメージ

私も翌日3月5日のブログでこのコンサートを紹介しましたが、ホール内は撮影ができないため写真を紹介することができませんでした。上の三陸新報の記事には目黒区芸術振興財団提供の写真がありますので、当日の雰囲気が少しはわかると思います。私は前から4列目、写真の左下という感じでした。写真にうつっている指揮者は、気仙沼市民吹奏楽団の団長、畠山広成さんだと思います。記事の一部を引用します。

〈気仙沼の畠山団長は、震災の津波で流されながらも奇跡的に見つかった楽譜を使って吹奏楽曲「シー・オブ・ウィズダム~知恵を持つ海を指揮。演奏に先立って、泥で汚れた楽譜を客席に示し、この曲に託した復興の思いを伝えた。〉

これはちょっと説明が必要が必要かも知れません。たしか、2011年に気仙沼市民吹奏楽団の演奏会が予定されていたのですが、震災によって演奏会どころか楽譜も流されてしまったということでした。気仙沼のメンバーの皆さんにとっては、そうしたいろんな思いが込められた曲です。

冒頭では、クラリネットのマウスピースを使って、かもめ/うみねこの鳴き声を思わせる演奏がありました。私の勝手な想像ですが、楽譜に細かな音程などの指示はなく、〈冒頭4小節/朝の静かな海。かもめの鳴き声がきこえる〉といった指示だけが記されているのではないか。清水大輔さんというかたの作曲です。静かさと激しさが交錯する表現に、気仙沼を襲った津波を連想した人も多いと思います。

気仙沼から上京して目黒で演奏してくださった気仙沼市民吹奏楽団9名の皆さん、ありがとうございました。お知り合いの方がいらっしゃれば、是非に素晴らしい演奏だったとお伝えいただきたく、この記事といたしました。

3月5日ブログ「美由紀さんの曲目」

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「モノ語る人びと」

本日も催しのご紹介。3月17日(土)に千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館(歴博)で開催される歴博映像フォーラム12「モノ語る人びと-津波被災地・気仙沼から」です。研究映像紹介後の講演では、「被災物から語りを引き出すこと」というテーマで、リアス・アーク美術館学芸係長の山内宏泰さんが登壇します。

フォーラム

期日:3月17日(土)
時間:13:00~16:30
場所:国立歴史民俗博物館 講堂
定員 :260名(先着順)
参加費:無料(要事前申込)
詳細内容や事前参加申込みは下記のサイトをご覧ください。
歴博フォーラムサイト

歴博は、気仙沼市小々汐(こごしお)で被災した尾形家住宅を対象とした生活資料の救援活動を続けてきました。今回のフォーラムは、その活動過程で記録された映像を紹介し、人々がいかに過去と現在、そして未来を結んでいくのかを考えることを趣旨として開催されます。

気仙沼市小々汐地区は、商港岸壁の対岸にあたるところです。そして尾形家は〈仁屋〉(にんや)と呼ばれたこの地区の旧家。下記2014年4月のブログでは、東北芸術工科大学東北文化研究センター発行の「小々汐仁屋の年中行事」を紹介しました。この冊子には、現在は東北大学災害科学国際研究所教授をつとめる川島秀一さんが撮影した写真が解説付きで56頁にわたって紹介されています。

2014年4月11日ブログ「小々汐仁屋の記憶」

私は残念ながら参加できませんが、国立歴史民俗博物館で気仙沼市小々汐の尾形家住宅に関するフォーラムが開催されることを多くの人に知ってもらいたく紹介いたしました。なお、下記ブログでは山内宏泰さんの日本博物館協会「棚橋賞」受賞について記しております。

2017年12月25日ブログ「山内さんに棚橋賞」

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tag : 気仙沼 山内宏泰 リアス・アーク美術館 歴博

プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/66~67歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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