同年会の記念写真

9月24日(土)は、気仙沼中学20回生の〈あれから50年同年会〉でした。

150名以上が参集してとても楽しい会になりました。私は当日に気仙沼に入り、昨日帰京。休みあけで仕事がばたばたしておりますので、本日は記念写真の紹介にとどめます。3グループに分かれての撮影でした。正式な記念写真とはちょっと違う記念写真撮影風景ということでご覧ください。画像クリックで拡大します。

同年会1

同年会2

記念写真4

あらためてこの写真を見ていると、本当にたくさんの同級生たちが集まったんだなあと感じます。3枚目の写真は小松亀一君(3年6組)に撮影してもらいました。亀一君はすでに自身のブログで2回にわけて同年会報告をおこなっています。こちらもご覧ください。

亀一君の同年会報告1
亀一君の同年会報告2

亀一君も書いていましたが、私たちの学年ですでにお亡くなりになった方はわかっているだけで61名です(亀一君は、弁護士らしく「判明した物故者」と書いていました)。それを考えると、ひさしぶりの同年会に元気に集まることができるというのはとても幸せなことなのでしょう。同年会についてはまたあらためて書こうと思っています。

末尾になりましたが、9月24日は菅原賢一君(3組)の命日でした。2年前のこと。合掌
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羽田の「お山がけ」

明日9月24日(土)は、気仙沼中学を卒業してから半世紀がたったことでの〈あれから50年同年会〉です。私も参加しますが、飲み過ぎないようにしないと(笑)。

さて、9月15日と16日の両日、気仙沼市赤岩上羽田の羽田(はた)神社の伝統行事「お山がけ」がおこなわれました。7歳になる男児が、甘えを断ち切るために祖父や親戚など、父親以外の大人と一緒に羽田山(標高460m)を登るもの。約400年の歴史があるといわれ、2000年12月に国の重要無形民俗文化財に指定されています。

三陸新報は、9月16日に記事を掲載し、18日の写真特集〈ズームアップ〉でもとりあげていました。

9月18日おやまがけ
三陸新報9月18日記事の一部イメージ

気仙沼市の国指定文化財は2つ。いずれも無形民俗文化財で、〈室根神社祭のマツリバ行事〉と〈羽田のお山がけ〉です。念のため記せば、宮城県指定無形民俗文化財は、〈新城の田植踊〉〈早稲谷鹿踊〉〈廿一田植踊〉の3つです。

〈羽田のお山がけ〉については、つぎの文化庁のデータベースに詳しい解説が記されています。

文化庁「国指定文化財等データベース」解説

しかし、この解説はちょっと長いので、ここでは「気仙沼市史」第7巻「民俗・宗教編」における記述を以下に引用いたします。

「 羽田のお山がけは、旧暦8月16日の朝から一日をかけて、七歳の男子のグループが何度かに分けられ、羽田山(460m)に登拝する行事である。気仙沼地方の広範囲から参加をするが、登拝中途の神社を参拝しながら、頂上の月山神社を拝み、オハチ巡りと呼んで、お宮の回りを左回りに三度回ってから、宮司からご祈祷を受ける。男の子の付き添いに父親がいっしょに行ってはならないとされ、親類のおじさんなどが男子について登る。

この禁忌の由来を伝える伝説が、山の五合目にある姥石に因(ちな)んである。昔、親子でお山をかけたときに、この場所で父母を見失い、「トトや、カカや、ホーイホーイ」と呼び続けたという。そのために、今でも「親子お山」は禁じられているという。

子供は当日に社務所でカケマブという笈摺(おいずる)を着て、しめ縄を肩から掛け、鉢巻をして竹杖を持って出かける。これらは全部、今では神社で用意をするが、もとは各子供の家で作ったものである。竹杖は山から降りるときに、杖を納める場所に納めてくる。子供の家では、この後、親類や近所の家の人々を招いてお振舞(おふるまい)をしている。

明治から昭和30年頃には、遠くから子供を馬に乗せてきて、午前二時にお山へ出発したという。これを「一番お山」と今でもいうが、「三番お山」はご来光を仰ぐことができるために人気があった。また、古くは、お山がけの山は愛宕山(633m)まで登ったという。」(市史引用は以上)

私自身は、お山がけの経験はないのですが、少し下の世代の魚町の方が思い出話を書いたりしていますので、上記の解説にあるように気仙沼地方の広範囲からの参加があったのでしょう。河北新報の記事によれば、今年は地元や仙台市、埼玉県から17人が参加したとのことです。

気仙沼に暮らしていたころには特に関心ももたず、いまは東京に暮らす身で、勝手な物言いになるとは思いますが、江戸時代から続くというこの行事がこれからも伝承されていくことを願っております。


羽田神社の場所さえよく知りませんでした。同神社のホームページ掲載の地図をのせておきます。(クリックで拡大)

羽田神社

羽田神社ホームページ

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キャロラインさん

キャロライン・ケネディ駐日米大使が9月17日に気仙沼大島や唐桑町舞根を訪問しました。これは、ケネディ大使が復興支援サイクリングイベント「ツール・ド・東北2016」の「気仙沼ワンウェイフォンド」(気仙沼から石巻まで)参加に合わせてのものです。

大島訪問については河北新報が伝えています。大震災で米軍が展開した支援活動「トモダチ作戦」に感謝する島民と共に桜を植樹し、相互交流の誓いを新たにしたとのこと。

ケネディ大島
河北新報9月18日配信記事より(クリックで記事にジャンプ)

唐桑町舞根では、NPO「森は海の恋人」を訪問しました。三陸新報の記事をご紹介。

舞根のケネディさん
三陸新報9月18日記事より

記事によれば、〈ケネディ大使は「故郷のマサチューセッツも養殖を行っていたが、こんなに大きな貝は見たことがない」などと語り、初めて食べたホヤにも「とてもおいしかった」と笑顔〉を見せたとか。

前日16日には、手作りアクセサリーに取り組んでいる〈アクアラボ気仙沼〉なども訪れたとのことです。なお、昨年の〈ツール・ド・東北〉参加のおりには、気仙沼ニッティングも訪問しています。

気仙沼ニッティング/キャロライン・ケネディ駐日米国大使のご訪問

なおケネディ大使は今回、気仙沼から石巻に向かう途中で、児童ら84人が震災の津波の犠牲となった石巻市立大川小学校の慰霊碑に花を捧げています。

ケネディ大使のお父様であるJ.F.ケネディ米国大統領が不幸な死をとげたのは1963年11月22日でした。私は気仙沼小学校6年生。キャロラインさんが6歳の誕生日を迎える5日前のことです。私たちと同じ世代の多くの人が、葬儀の時のまだあどけない姿をおぼえていることでしょう。

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FM局舎改修支援

本日は、午前11時20分ごろから10分間、〈けせんぬまさいがいエフエム〉の電話取材コーナーに登場させてもらいました。『横田真美子のGOODDAY GOODDAY』という番組。月曜から金曜日までの毎日午前11時から午後1時までの放送です。

話のテーマは、先日18日の目黒のさんま祭です。きのうのブログで紹介したようなことを話したのですが、結構緊張するもんですね、うまくしゃべれたかどうかかなり心配(笑)。そして、〈けせんぬまさいがいエフエム〉については、9月18日(日)の三陸新報につぎの記事が掲載されていました。

滋賀県立大学
三陸新報9月18日記事の一部イメージ

滋賀県立大学の学生らによるスタジオの改修工事を紹介した記事。同大学の環境建築デザイン学科の構造デザインゼミ履修生を中心とする有志23人が〈三方組格子〉による装飾壁などを制作しているとの記事ですが、きのう20日に完成したようです。

この工事などの関係で、さいがいエフエムは13日から20日まで変則放送となっていましたが、本日21日から改修が済んだスタジオからの通常放送となりました。

三陸新報の記事でも紹介されていましたが、滋賀県立大学の皆さんはこれまでも気仙沼の復興支援に取り組んでくださっています。本吉町では日門〈竹の会所〉、大谷〈浜の会所〉などの仮設建築支援も。このうち〈竹の会所〉は、2014年日本建築学会作品選奨を受賞しました。

滋賀県立大学サイト/〈竹の会所〉受賞について

こうした継続的な支援活動の一環として、今回のさいがいエフエム局舎の改修も行われたのでしょう。

本日のさいがいエフエムの電話取材で私は、(うまく伝わったかどうかは別として)目黒のさんま祭が大勢の皆様の善意や好意によって支えられているということをお伝えしようと思いました。そして今回のエフエム局舎改修もそうですが、メディアで紹介されなければ知ることのなかった多くの支援活動がたくさんあるのだなあとあらためて感じています。本当にありがたいことです。

滋賀県立大学の関係者の皆様の気仙沼に対するさまざまなご支援に対しお礼を申し上げます。ありがとうございました。

けせんぬまさいがいエフエムのブログ中、9月21日の記事にも局舎改修工事完成の様子が報告されていました。こちらも是非ご覧ください。

ブログ/けせんぬまさいがいエフエム日記
けせんぬまさいがいエフエム公式サイト

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目黒さんま祭報告

本日は、おととい9月18日(日)に行われた〈目黒のさんま祭〉の報告です。今回は、〈あさひ鮨〉の佐々木徹君が上京せずということで、私たちも時間を決めての参集はせずにそれぞれにということにいたしました。私は9時半の開会式からお昼すぎまでを会場で過ごしました。祭の様子を写真とともに紹介します。(写真は画像クリックで拡大)

開会式には気仙沼から菅原市長と熊谷市議会議長、さんま祭気仙沼実行委員会からは松井会長が出席。市長の脇に座っている人は誰かなと思ったらタモリさんでした。座っているときのイメージは、目黒区在住の森田一義さん(71)といった感じ。今回は6月に就任した「めぐろ観光まちづくり協会」名誉会長としての出席です。

1 3人 2 タモリ

座っているときには地味なフツーの感じでしたが、挨拶に立つとやはりさすがでした。まずは例の中国語(風)で話を始めます。これは先に挨拶にたった区立中学の生徒ふたりが後半の話を英語で行ったことを受けたもの。話の詳細は略しますが、さんま祭の行列について、〈サンマ1匹のために、いったい何人の人が集まるんだろう。戦後は、まだ終わってないなと思いました〉との言葉にはみんな大笑い。これはフジテレビのニュースでも紹介されたようです。5分ほどの話だったと思いますが、引き受けた役割を期待通りにきちんと果たすという姿勢に感心いたしました。

来賓の方々の(ちょっと長い)話の後は、殿様に扮した目黒区青木区長がさんまを食し〈さんまは気仙沼にあがったものを目黒で食べるにかぎるのう〉みたいなことを言う献上式で開会式は終了。それを受けて気仙沼の〈どや節〉が披露され、さんま焼きが開始となりました。当初は5000尾予定だっと思いますが、当日のNHKやTBSのニュースによれば7000尾が提供されたとのことです。少し小ぶりなので量を増やしたか(笑)。

3 どや節 4 さんま焼き

この日の午前中は小雨が降ったりあがったりという天気でした。そのため、さんまを食べるテント脇でのイベントも空模様をながめながらの進行になりました。それでも、私が楽しみにしていた〈馬篭(まごめ)ばやし〉と〈明戸(あけと)虎舞〉を見ることができました。

まずは馬篭小学校の児童による〈馬篭ばやし〉です。菅原市長は開会式で挨拶のなかで、馬篭小学校は来年4月に津谷小学校に統合されるが、うちばやしなどの伝承はしっかりとやっていきたいと語っていました。東京の人たちにどれだけ伝わったかは別として、この紹介はとてもよかったと思う。

5 馬篭小学校 6 男子

馬篭ばやしの後半には虎舞が登場。2匹目の虎の中に入っていたのも馬篭小の生徒だったようです。馬篭小としての最後の演技ということもあってか、私の隣に立っていた菅原市長もさかんに拍手をおくっていました。

7 虎入場 8 虎2匹

9 握手 10 虎記念

空模様をながめながらのしばしの休憩のあと、今度は岩井崎の明戸(あけと)虎舞です。一昨年のさんま祭にも来てくれました。そのときに知り合ったご年輩(2枚目の写真の後方の方)のお話では、震災の津波で沢山の太鼓が流されてしまったが、様々な支援を得てこうして太鼓をたたけるようになったとのことでした。

11 明戸 12明戸男

13明戸虎 14後から

以上が気仙沼のふたつの伝統芸能の披露。天気がよければ2度の演技を予定したようですが、雨模様のために1度のみ。太鼓の皮に雨があたると大変です。

こうした演技の一方、会場には気仙沼をはじめ各地の物産販売ブースがならび、どれも沢山の人でにぎわっていました。そのブース前に会場の外まで続く行列は気仙沼のさんまつみれ汁を待つ人達。一杯100円。いつも大人気です。

今年も同級生の荒木容子さん(3年10組)がお手伝いに来ていました。人混みの様子をながめながら、少し手があいたときに声をかけました。写真の右側は、松井会長の奥様えみこさん。毎年、本当にご苦労さまです。そして、さんま焼きの入口あたりに行ってみると、大勢の皆さんがさんまの焼き上がりを待っていました。

15荒木さん 16行列入口

気仙沼物産ブース前に、カネダイの佐藤俊輔さんがいたので声をかけました。彼が一所懸命にPRしていたのが〈気仙沼ホヤ醤油〉。〈kesemo(ケセモ)〉ブランドを展開する気仙沼水産資源活用研究会が、「気仙沼ホヤソース」の姉妹商品として開発しました。菅原市長の開会式挨拶の中でも、本日発売で食事スペースにも置いてあるので是非ご賞味をと紹介していました。

kesemo/気仙沼ホヤ醤油

お昼を過ぎ、そろそろ引き上げようかと思い、イベントスペースのほうに行くと、さきほど話をした明戸の年配の方が煙草を吸っていました。ご苦労さまでしたと声をかけ、〈岩井崎のあたりは津波でずいぶんやられてしまいましたね。被害はどうでしたか〉と聞くと、〈かあちゃんと孫をひとり亡ぐしたもの〉と。〈愛するかあちゃんを〉と少しおどけながら。余計なことを聞いて申し訳なかったなと思いながら〈それは大変でしたね〉というと、〈息子には考えすぎんなよと、かだってんだけんと〉と、母親と子供を失った息子さんをきづかいます。

私は〈どうぞ気をつけて気仙沼に帰ってください〉と伝えるのが精一杯。帰りの電車のなかで、〈皆さんのおかげで太鼓をたたけるようになった〉という言葉を思い出しました。どんな気持ちで太鼓をたたいていたのだろうかと。

ちょっと長くなりましたが、震災後6度目となった目黒のさんま祭の報告でした。

9月8日ブログ「目黒区のさんま祭」

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南気仙沼復興地図

9月17日の三陸新報に、南気仙沼地区の「まちづくりマップ」が掲載されていました。9月15日発行の気仙沼市「復興ニュース」第100号に掲載されている内容ですが、三陸新報の図のほうがわかりやすく整理されているので、これをご紹介。

南気仙沼復興マップ
三陸新報9月17日記事より(クリックで拡大)

以下に、記事内容を引用します。

気仙沼市は、被災市街地復興土地区画整理事業を進めている南気仙沼地区の「まちづくりマップ」を作成した。JR東日本のBRT(バス高速輸送システム)南気仙沼駅なども表示した。

南気仙沼地区は「商業ゾーン」「住宅ゾーン」「低地ゾーン」「水産加工施設等集積地」の4エリアに分かれている。気仙沼大橋に接続するメーンストリートの魚市場中谷地線沿いには商業ゾーン、その周辺には住宅ゾーンが整備される。

商業ゾーンにはすでに、スーパーマーケットや書店、美容室などの出店が決まっている。幸町、内の脇両災害公営住宅を含む住宅ゾーンは、L2の大津波に対応できる高さまでかさ上げすることで住宅が建てられる。

低地ゾーンは災害危険区域に指定されているが、すでにホテルなどが事業を再開している。

水産加工施設等集積地には56事業所が入る予定で、現在は 5割以上の事業所が稼働している。水産加工のほか、鮮魚仲買、製氷、漁具などの業種が集中する。

大川沿いには、(仮称)復興市民広場や防災公園、グラウンド、中央公民館が整備される。造成完了は来年度の予定。市都市計画課では「商業ゾーンでは、コンビニエンスストアや飲食店などが出店を検討しており、にぎわいが期待できる。マップは鹿折、魚町・南町に続いて今回で最後。ホームページでは各地区マップを随時更新し公開していきたい」と話している。(引用は以上)


56事業所が入る予定で、現在は 5割以上の事業所が稼働しているという〈水産加工施設等集積地〉がなんとか先の見通しがたっているような感じがしますが、ほかはまだなんともという印象。

9月13日には、南気仙沼地区の区画整理事業についての説明会があったようです。まちづくりマップは9月15日発行の復興ニュースに掲載されますので、その前にということなのでしょう。

コヤマ菓子店の故 小山隆市君の長男 裕隆さんも参加したそうです。説明会翌日の自身のブログに〈五里霧中、誰も何も見えない、だから何も進まない〉と書いていました。自分の土地がいつ引き渡されるかがわからない。〈5年半経ってこれだもの。この先、一体どうなるの?どうしたらいいの?〉と。まさに実感でしょう。ちょっと疑問があったのは、マップのなかの以前は1F〈コヤマ〉2F〈珈琲山荘〉があったあたりに〈コーヒーショップ〉と記してあったこと。これはなんなのか。あとで裕隆さんに聞いてみましょう。

しかしなあ、私自身がいま、〈3年後ぐらいには〉そして〈さすがに5年も経てば〉という見通しの甘さを強く感じています。


内湾と鹿折の〈まちづくりマップ〉については、下記のブログをご覧ください。

8月9日ブログ「内湾の復興MAP」
8月17日ブログ「鹿折の復興MAP」

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「東洋経済」の記事

雑誌『週刊東洋経済』の8月27日号の記事を紹介します。特別リポートの見出しは〈チームで創る「観光都市」〉。全6頁/3見開きの全体イメージはこんな感じ。

東洋経済1

東洋経済2 東洋経済3
いずれも『週刊東洋経済』8月27日号より(クリックで拡大)

冒頭頁の〈「観光チーム気仙沼」を引っ張る3人〉の写真は、左からアサヤの専務 廣野一誠さん、八日町マルト齊藤茶舗の斉藤道有さん、そして右端はリクルートから出向している森成人さんです。森さんは、経済同友会を通して気仙沼市役所に応援職員として派遣され、〈東北未来創造イニシアティブ〉や〈リアス観光創造プラットフォーム〉(以下、プラットフォーム)の活動をサポートしています。

はじめの2見開き4頁で、〈観光チーム気仙沼〉による市内観光プログラム〈ちょいのぞき〉や、プラットフォームの活動として〈ば!ば!ば!の場〉プロジェクト、そして道有さんが事務局長をつとめる東北観光ツリーハウス協会の活動が紹介されています。

その後半部では、本年3月に行われ、廣野さんや森さんも参加したスイスの観光地ツェルマットの視察を紹介しながら、観光戦略組織DMOの重要性が語られます。この中で、富士通から出向して森さんと同様にプラットフォームの運営に携わる小松志大さんの言葉なども紹介されています。

3見開き目の見出しは、〈水産業、ゼロからの悪戦苦闘〉。〈かわむら〉の川村社長の話をはじめ、気仙沼の水産関連事業の問題や課題の紹介です。その記事の最後は、川村社長が理事長をつとめる「気仙沼鹿折加工協同組合」について。この協同組合には、臼井弘君(3年4組)の福寿水産、小山修司君(5組)のカネシメイチ、それから鹿折中出身 高橋千尋君の高長商店も加盟しています。川村社長の言葉の中では、三井物産、住友商事、キリングループの皆さんのご支援が紹介されていました。

以上、東洋経済が6頁にもわたって気仙沼をとりあげていたよ、ということの報告でした。

〈気仙沼版DMO〉については、今年5月にテレビ東京〈ワールドビジネスサテライト〉も特集していました。たしか、森さんや小松さんの姿もうつっていたはずです。今回の東洋経済誌の特集もそうですが、観光庁が推進する〈日本版DMO〉のモデルケースとして後押ししてくれているのかもしれませんね。こうしたメディアでの取り上げを追い風として、気仙沼の活性化に役立てて欲しいと願っております。

5月24日ブログ「DMO先進地視察」

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果歩さんと気仙沼

9月になってはじめての日曜日、書店で一緒に雑誌を見ていた妻が〈なにげなくパラパラと見ていたら気仙沼が出ていた〉と教えてくれました。講談社の「おとなスタイル秋号Vol.5」に南果歩さんが気仙沼を訪れての8頁もの記事が掲載されていたのです。最初の見開きはこんな感じです。見出しは、〈私が通う場所、大切に想うこと。〉

南果歩さん
同誌サイト「試し読み」から(クリックでサイトにジャンプ)


はじめの2頁は〈出船送り〉。つぎの2頁はご主人である渡辺謙さんがつくったカフェ〈K-port〉の紹介。謙さんからのFAXにはしっかりと〈今日は取材で果歩がお邪魔しますのでよろしく〉といったメッセージが記されていました。そのつぎの見開きは、仲の良い気仙沼の女性陣との女子会の模様です。お店は魚町〈福よし〉さんです。そして頁をめくって驚きました。果歩さんがよく行く店や知人を紹介した8頁目の左上で果歩さんとうつっているのは、大友(小野寺)つき子さん(3年9組)。復興屋台村気仙沼横丁でラーメン店〈あたみ屋〉を営んでいます。果歩さんは気仙沼に行くたびにあたみ屋に寄り、つき子さんとも仲良しと書いてありました。

ご主人の渡辺謙さんだけでなく、こうして果歩夫人も気仙沼のことを引き立ててくれて。本当にありがたいことです。

そしにこの8頁の記事の写真撮影は、8月29日のブログで紹介した「大人の休日倶楽部」での謙さんの記事と同じく若木信吾さんでした。もう気仙沼といえば若木さんという感じでしょうか(笑)。

渡辺謙・南果歩ご夫妻、若木さん、そして講談社「おとなスタイル」編集部の皆様、ありがとうございました。

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唐桑大漁旗リレー

気仙沼市の海外向け公式フェイスブック「KESENNUMA - BUILDING FOR THE FUTURE」に大変おもしろい(といったら失礼なのか)動画が紹介されていました。唐桑(からくわ)の中学校で開催された運動会での大漁旗リレーです。フェイスブックのアカウントを持っていなくとも誰でも見ることができます。

大漁旗リレー
画像クリックでサイトにジャンプ。


9月3日に開催されたこの運動会のリレーでは、バトンの代わりに大漁旗を使っています。中学生の体にはちょっと重そうな、まさにthe heavy tairyo-bata flags。それでも風にたなびく旗のバランスをうまくとって、みんな懸命に走ります。応援の父兄の声もいい。

この大漁旗リレーは、唐桑で以前から行われていたものなのでしょうか。気仙沼小・中学校での記憶はありませんが、私が小学生のころに気小グラウンドで行われた市民運動会ではあったかもしれませんね。

こうして気仙沼の時の話題を海外に発信している「KESENNUMA - BUILDING FOR THE FUTURE(未来の創造)」は市の委託を受けたボランティアチーム「The Great Challenge」が編集や翻訳などをてがけ2011年8月に気仙沼の公式ページとしてスタートしました。2012年1月発行の「広報 気仙沼」には、その時点で約26人により運営と記してありました。

この海外への情報発信プロジェクトの発案は、気仙沼市震災復興市民委員会の委員をつとめ、当時は日本マイクロソフト社員だった齋藤玲紀さんです。新月出身で気高41回生ですから私たちの19コ下になります。

広報の記事にあるメンバー名には、唐桑出身でミステリー小説などの翻訳で知られる熊谷千寿(ちとし)さんのお名前がありました。熊谷さんは、気仙沼高校38回生。東京外国語大学を卒業し、海外ミステリー小説などの翻訳で知られています。2010年3月に実家のある唐桑に活動拠点を移されたということですから、その1年後に震災を体験したことになります。

またメンバーの中に編集長として米国マサチューセッツ州バークシャー在住のDavid Robinsonさんのお名前も。奥様の律子さんは気仙沼出身で、気仙沼には何度も訪れているとのことです。ネット情報によれば、デイビッドさんは米国ナショナル・ジオグラフィック誌で25年間編集者を務めた方とのこと。素晴らしい。

以上のご紹介はスタート当時の情報ですから、5年の間に交代したり新たに加わったメンバーの方なども沢山いらっしゃることでしょう。また、ニュースの提供で三陸新報さんも協力されています。

それにしても、このニュースのクオリティを維持し、5年間も継続しているというのはものすごいことだと思います。なかなかできることではありません。この機会に、多くの関係者の方々にお礼を申し上げます。これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

2012年1月1日発行「広報 気仙沼」(pdfファイル)

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支援金の使いみち

仕事を始めるまえに、本日13日の三陸新報(デジタル版)を読んでいたのですが、訃報広告欄でアレッと目が止まりました。気中3年8組の同級生だった中里(小山)悦子さんのご主人が亡くなったとの知らせ。悦子さんは8組のお世話役として、24日の同年会のクラス担当もつとめています。そんなことで、今回もお世話になりますということを伝えたく何度も電話をしていたのですがつながらずにおりました。本日の訃報を知り、そういうことだったのかと。まずは心からご主人のご冥福をお祈りいたします。


さて、その今月24日(土)に気仙沼で開催される「あれから50年 同年会」に関して9月7日、菊田裕美君(3年1組)からメールがありました。同年会の実行委員長である臼井真人君(2組)から、私たち気中20回生支援会の代表 鈴木徳一君(3組)あてに次の連絡があったとの報告です。

〈平成24年11月の気中20回生同年会「還暦祝い後1年・震災復興支援感謝の集い」開催にあたって、気中20回生支援会から頂いた義援金50万円を、今般の同年会アルバム作成費用に役立てさせてもらいます〉

4年前の南三陸町ホテル観洋での同年会開催にあたっては、被災した同級生も多いだろうということで、支援会から50万円をおくりました。しかし、実行委員会の皆さんは、まずはその気持ちだけを頂き、この支援金に手を付けずに預かり置いたうえで、会を〈復興支援感謝の集い〉として開催してくれたのです。そして2年後の今回、その支援金を同年会アルバムの費用にということになったようです。

この支援金は、首都圏、関東圏の同級生だけでなく、さまざまご縁をもつ多くの方から寄せられた浄財を基にしたものです。この場を借りて、ご支援をいただいた多くの方々に、あらためてのご報告と御礼を申し上げます。


裕美君からのメールと同じ日、一通の封書が届きました。開けてみると、新宿ゴールデン街「洗濯船」40周年を祝うパーティーへのお誘いでした。

洗濯船

まさに奇遇。洗濯船/吉成由貴子さんは、当会支援者のおひとりなのです。お店に募金箱を置き、気仙沼に向けての支援金を集めていただきました。また祝う会の発起人の一人でもある古今亭志ん彌さんにも、落語会での募金などご支援を頂いております。

洗濯船の吉成由貴子さんや志ん彌さんをはじめ、気仙沼へのご支援をいただいた多くの方々にお礼を申し上げます。そして、洗濯船40周年のお祝いも。おめでとうございます。


なお、当会の支援者の皆様のお名前や、上述した同年会への支援金については、2012年のつぎのブログにも記しております。どうぞご覧ください。

2012年11月16日ブログ「支援者の皆様」

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怪物金塊諸説紹介

前回9月9日のブログ「モンスターGOLD」の話の続きです。本日紹介するのは、『目で見る気仙沼の歴史』(昭和47年/気仙沼ライオンズクラブ発行)における〈鹿折金山〉と〈怪物金〉についての記載内容です。紹介は2頁にわたっています。

まずは1頁目。

鹿折金山

つぎに2頁目。右上の写真が〈モンスターゴールド〉、左上はセントルイス万国博覧会への出品者 徳永博士におくられた感謝状です。

モンスターゴールド

いずれも『目で見る気仙沼の歴史』より(クリックで拡大)

1頁目には、最盛期の鹿折金山の作業員は300名だったと記されています。2頁目〈怪物金〉の説明文を以下に引用します。

◎含有量85%の怪物金

怪物金が、アメリカのセントルイス世界博覧会に出品され(鉱石600匁(もんめ)で、金が500匁)、鹿折の怪物金と人気を呼んだ。出品者の徳永博士に感謝状がおくられ、政府発行の公債発売に大いに役立った。黒くうつっているのが、金のカタマリ。(引用は以上)

右上の写真が、1904年に米国で開催されたセントルイス万国博覧会に出品された金塊の写真です。〈NUGGET,“MONSTER”〉と記されています。NUGGET(ナゲット)は金属塊のこと(市史ではヌゲットと書いていました。チキンヌゲットか/笑)。

説明文に〈政府発行の公債発売に大いに役立った〉とありますが、これには諸説あるようです。気仙沼市史第5巻/産業編(上)に、つぎの記述がありました。以下に引用します。

「 時あたかも国運を懸けた日露戦争の最中で、日本政府は戦争遂行のため外債募集に腐心していたので、この金塊の産出が外債募集を容易にしたという話が伝わっている。

 この話には、ロンドンで外債募集に当たっていた日本銀行副総裁高橋是清の交渉を容易にしたという話と、伊東博文に依頼されたアメリカで親日的世論を高める工作に努力していた金子堅太郎の活動に役立ったという話と、大蔵大臣曽根荒助の財政演説に引用されたという話と三種あるが、『日露戦争回顧座談会』陸戦篇(昭和10年)の大島健一陸軍中将の実話には「戦費調達に困っていた明治38年秋頃秋田に途方もない良質の金鉱が発見されたことが大きく新聞に報道されたことがある。参謀総長山県有朋が曽根財相を呼んで確かめたところ、戦費調達のため海外に聞かせる宣伝だった。」という話が出ており、この秋田というのは当時金の良鉱を多産していた鹿折の誤りとして中村亀治の子息の次郎が「大気新聞」に紹介し地元に知られるようになったようである。」(引用は以上)

区切りがなくやたらに長い引用文の最後に登場する中村亀治については、秋田県阿仁町の人で明治32年に鹿折で探鉱し鉱脈を発見し、採掘権を得て旧抗の一部の開発にあたったとの記述が前段にありました。この名は、前回のブログで紹介した毎日新聞の記事でも子孫の中村敬二さんの名とともに登場しています。

怪物金塊をめぐる話はまさに諸説紛々。前回では、当時の桂太郎首相が金塊の産出を日露戦争の前線部隊に伝えるよう命じ、兵士の士気を高めようとしたという逸話を紹介しましたが、真相はやぶの中といった感じですね。

高橋是清、金子堅太郎、山県有朋、桂太郎など、わが国の歴史上の人物が多数登場するあたりは、まさにモンスター/怪物金塊のなせる技といったところでしょう。


なお、昭和初期に日本屈指の金産出量を誇った気仙沼市の大谷鉱山について、つぎのブログで書きました。全盛期には1300人が働いていたといいます。

2014年12月17日ブログ「気仙沼の大谷鉱山」

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モンスターGOLD

9月3日の三陸新報に鹿折(ししおり)金山産出の〈モンスターゴールド〉の記事が掲載されていました。

9月3日鹿折金山
三陸新報9月3日記事の一部イメージ

気仙沼市の鹿折金山で1904年に産出された巨大金塊「モンスターゴールド」の里帰り展示が実現しそうだというのです。リアス・アーク美術館内に専用スペースを整備して常設に近い形で展示していきたいという菅原市長の意向も紹介されています。

記事を少し引用します。〈モンスターゴールドは、重さ2.25kgの巨大金鉱石。金含有量は83%で、通常の金鉱石1トン分の金が含まれており、産出当時は世界を驚かせた。分割されて大部分が行方不明になったが、6分の1のかたまりが地質標本館(茨城県つくば市)で保管、展示されている〉(引用は以上〉

この記事だけではモンスターゴールドのすごさが、ちょっとわかりにくいと思います。毎日新聞/地方版〈みちのく建物探訪〉7月9日配信記事が鹿折金山資料館をとりあげていますので、以下に引用します。

「 鹿折金山は平安時代に開山し、奥州藤原氏の黄金文化を支えた金山の一つとされる。江戸時代に入り、伊達政宗の命で金の採掘が盛んになり、いったん閉山したものの、明治新政府の下で開発を再開した。「モンスターゴールド」が採掘されたのは、再開から4年後の1904(明治37)年だった。

 その存在は、国内外に広く知られるところとなる。「モンスターゴールド」は同年開催の米国・セントルイス万国博覧会に出展され、青銅メダルを受賞。当時の桂太郎首相が金塊の産出を日露戦争の前線部隊に伝えるよう命じ、兵士の士気を高めようとしたという逸話が、司馬遼太郎の「坂の上の雲」にも登場する。

 ところが博覧会終了後、「モンスターゴールド」は突然、姿を消す。気仙沼観光コンベンション協会の加藤宣夫会長(74)は「行方不明となった時期も場所もまったく分かっていない。まさにミステリーのような話です」という。

 1939(昭和14)年、採掘当時の技師長を務めていた徳永重康・早大教授が「モンスターゴールド」の一部(約362g)を保存していることを論文で紹介。その後、徳永氏の遺族が工業技術院地質調査所地質標本館(茨城県つくば市)に寄贈し、現在、産業技術総合研究所の地質標本館(同)に保管されているが、残りの金塊の行方はいまも分かっていない。

 モンスターゴールド採掘にわいた鹿折金山だったが、金の産出量は1908(明治41)年の約64kgをピークに年々減少。1971年に閉山となった。それから30年後の2001年、明治時代に一時採掘権を所有していた中村亀治氏の子孫の中村敬二さん(78)や鹿折金山跡保存会が、現在の資料館の前身となる展示室を設置。さらに市が2012年10月、「東日本大震災で被災した人たちに何かしらの力になれば」と同資料館を建設した。」(以下略/引用は以上)

鹿折金山はちょっとしたブームのようですね。JR東日本の東北新幹線車内誌「トランヴェール」6月号に〈宮城に吹く金色の風。〉として特集されました。また7月31日(日)には、〈ば!ば!ば!の場! 黄金のロマンを巡る!鹿折金山トレイル!〉として、金山跡の散策のほか砂金採り体験もできるワークショップも開催されています。2012年に資料館が整備されたことで観光スポットしても価値も増したようです。市民の方も一度おとずれてみる価値が大いにあると思いました。場所などは、下記の市のサイトをご覧ください。

気仙沼市サイト「鹿折金山資料館」

『目で見る気仙沼の歴史』にも、鹿折金山の写真が掲載されているのですが、これは来週にでも。今週はこれにて。

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目黒区のさんま祭

9月4日(日)のテレビで、〈目黒のさんま祭〉のニュースをご覧になった方も多いでしょう。これを見て、目黒のさんま祭は終わってしまったと勘違いされる人もいらっしゃるのではないでしょうか。ご心配なく、目黒区のさんま祭は9月18日(日)に開催されます。

さんま祭

〈目黒のさんま祭〉がふたつあるわけで、ほんとわかりにくい。これは、JR「目黒」駅の西口側は目黒区、東側は品川区であるため。そして毎年はじめに行われるのが品川区側の〈さんま祭り〉。テレビでも季節の話題ということで各局が紹介するわけですが、2週間後にまた〈さんま祭〉のニュースを見て〈あれっ〉となってしまう。細かいことをいえば、目黒は〈祭〉、品川は〈祭り〉と、表記が少し違います。

ふたつの〈さんま祭〉の概要を紹介しておきましょう。

◎目黒区のさんま祭

「目黒区民まつり」(別称「目黒のSUNまつり」)のメインイベントが「目黒のさんま祭」です。気仙沼からのさんま5000尾の炭火焼きが無料でふるまわれます。区民まつりとしてはほかに「ふるさと物産展」「おまつり広場」「子ども広場」などのイベントも開催。

日時:9月18日(日)
会場:目黒区田道広場公園
主催:目黒区民まつり実行委員会
目黒区公式イベントサイト

◎品川区のさんま祭り

こちらは、目黒駅東口の品川区側。いつもは岩手県宮古港からのさんまが提供されるのですが、今年は不漁のために北海道のさんまを宮古がとりよせて提供という形になりました。

日時:9月4日(日)すでに終了
会場:JR・地下鉄目黒駅東口「目黒駅前商店街」
主催:目黒駅前商店街振興組合青年部

18日の〈目黒のさんま祭〉には、気仙沼からも〈さんま焼き隊〉やすり身汁ほかの提供などの大勢のお手伝いの方々が上京します。スタッフの方々は3000円の参加費を自分ではらってのお手伝いです。本当にありがたい。

例年は、気仙沼物産ブースで〈あさひ鮨〉の佐々木徹君も〈さんま姿寿し〉の販売をするのですが、今年ははずせない所用があり不参加とのこと。残念ですが、9月24日は気仙沼での同年会がありますから、そこで会うことができるでしょう。

9月18日の目黒のさんま祭。是非おでかけください。

そういえば、明日9月8日(木)は、〈志の輔らくご in 気仙沼〉の開催日ですね。沢山の方が集まっての楽しい会になることでしょう。

2015年9月21日ブログ「目黒さんま祭報告」(2015)

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海を望める高さに

9月3日(土)の三陸新報が、気仙沼の内湾地区の防潮堤の高さ引き下げに関する記事を掲載していました。県が地盤隆起分を低くすることを検討しているというのです。

9月3日内湾防潮堤
三陸新報9月3日記事

南町・魚町地区の防潮堤の高さは当初、海抜6.2mで計画されましたが、その後の住民要望などもあり5.1mに引き下げられました。そしてその内の余裕高1m分は起立式のフラップゲートが採用されますので、平時の高さは4.1mとなります。また、市が背後地を2.3mまでかさあげするため、見た目の高さは1.3mとなるというのがこれまでの計画です。

今回の設計見直し検討は、これまでの計画からさらに地盤隆起分だけ低くしようというもの。詳細は検討中ということですが、確認されている隆起分は25cmといいます。菅原市長は「内湾にとっては仮に25cm下がるだけでも、見た目には非常に大きい。子供でも海を望める高さになるだろう」と歓迎しているとのことです。

わかりにくいのは〈地盤隆起〉についてです。震災前からよく言われてきたのは、気仙沼は〈地盤沈下〉の影響で、大潮などのときには陸上への浸水があるということ。これに対して最近いわれているのは〈地盤隆起〉です。どうなっているのだろう。

この疑問は、9月3日の河北新報の配信記事で解決しました。震災後の県内の防潮堤建設計画は、国土地理院が2011年10月に改訂した水準点に基づき進められているのだそうです。そして今年2月時点では20cm前後隆起していると。つまり、震災前までは沈下傾向だったが、その後は隆起しているということでしょう。

しかしなあ、この地盤隆起があって新しい防潮堤がこれまでよりも高くなり漁業関係の仕事がしにくくなったという指摘は以前からなされていたはず。沈下と隆起についての問題は市議会でもとりあげられました。今回の内湾防潮堤は県の事業ですが、市が主導する防潮堤計画においてこの問題がどうなっているのか。ちょっと気になるところです。

と、いろいろありますが、内湾の防潮堤が菅原市長のいう〈子供でも海を望める高さ〉になるというのは良いニュースと思いご紹介しました。

河北新報9月3日配信記事

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空から 郷土一望

8月31日に三陸新報から新しい写真集が出版されました。書名は「郷土一望」。

9月1日空撮
三陸新報9月1日広告

表紙と思われる写真にうつるのは被災した内ノ脇地区ですね。広告には〈懐かし過ぎる町並み、そして未来に向かいつつある地域の今を空から記録〉とありますので、被災前の写真も収録されているのだと思います。

空撮写真は、通常の視点ではとらえきれない風景を私たちに見せてくれます。そして震災前の内湾の空撮写真は、今になってみれば失われた風景の写真なのです。昨年6月のブログにも書きました。

2015年6月19日ブログ「失われた風景写真」

このほか本ブログでは、三陸新報に掲載された空撮写真を紹介してきました。下記に主要な記事のリンクをはりましたのでご覧ください。

3月18日ブログ「復興状況空撮写真」
1月5日ブログ「南気仙沼空撮写真」
2015年2月27日ブログ「内湾地区空撮写真」
2015年1月16日ブログ「鹿折地区かさ上げ」
2015年1月7日ブログ「空から見る気仙沼」

「郷土一望」。どうぞ気仙沼市内書店でお求めください。市外の方のためにアマゾンのリンクを貼っておきます。


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熊谷達也先生の話

先日の土曜日9月3日は、気仙沼サポートビューロー(KSB)主催のKSB復興フォーラム。気仙沼中学校での教師経験をお持ちの直木賞作家・熊谷達也さん(というか熊谷先生というほうが自然な感じ)をお招きしての会でした。

貸し切りの会場は、定員30名を越える人で満席状態。午後6時からの会は、気仙沼をモデルにした「仙河海(せんがうみ)」シリーズ誕生の背景についての熊谷先生の話から始まりました。こんな感じです。ご本人に事前許可を得て撮影いたしました。

熊谷先生

震災直後、先生が気仙沼を訪れたのは4月1日のこと。そして〈言葉を失う〉というのはこういうことだったのかというほどの衝撃を受けたといいます。それからしばらくは、文字をあつかう作家であるにもかかわらず、小説はもちろん新聞も読めなかったそうです。

「仙河海」シリーズの最初の作品は、『小説宝石』2012年11月号から連載が始まり翌年12月に単行本が刊行された『リアスの子』です。そして、熊谷さんが気仙沼をモデルにしたその小説を構想したきっかけは、佐藤泰志(やすし)さんの小説『海炭市叙景』に触れたこと。この作品は、函館市とおぼしき架空の街「海炭市」を舞台にした短編集ですが、こうした方法もあるなと思い始めたというのです。このほか、シリーズの各作品について、その登場人物のモデルなどのエピソードや興味深い話が続くのですが、詳細は略します。

1時間ほどの先生の話の後は、会場のセッティングを変えてお酒やつまみなどをいただきながらの懇親会。参加者の中には気仙沼中学時代の教え子などもいますし、実に和気藹々というかリラックスした雰囲気でした。後半は参加者の自己紹介や熊谷先生への質問などが続き、6時に始まった会の終了は10時を回っていたように思います。

いろいろとご紹介したい言葉が沢山あるのですが、会のおわりに一言と求められて熊谷先生がおっしゃった言葉だけを記しておきます。強く印象に残りました。

〈書くことがあるというのは、もの書きとして幸せなことかもしれない。いまは、生かされているんだなという感覚がある。死者の魂に対して恥ずかしくないものを書いていきたいと思っている。〉

熊谷達也先生、貴重なお話を本当にありがとうございました。また、熊谷先生が〈これまでで一番あったかい空間〉と語っていたほどの素晴らしい会を企画・運営してくださった、齋藤岳大さんはじめ気仙沼サポートビューローの皆様にお礼を申し上げます。

(追記)KSBのオヤマさんのブログ「オヤマ日記飴」でも当日の様子が紹介されています。どうぞご覧ください。

オヤマ日記飴 9月3日記事

「仙河海」シリーズ既刊6冊のアマゾンリンクを下に貼っておきます。先生お勧めの読書順は、あえていえば『リアスの子』『希望の星』あとはお好きな順にとのことでした。


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スロー村途中経過

8月25日の三陸新報にちょっと気になる記事がありました。気仙沼市の内湾地区に計画されている新商業エリア「(仮称)内湾スロー村」のテナント出店意向が募集の半分以下にとどまっているというのです。

8 月25日スロー村
三陸新報8月25日記事より

8月23日の〈内湾地区復興まちづくり協議会〉における菅原昭彦会長の説明内容など、記事の一部を以下に引用します。

新商業施設は、南町の区画整理事業区域内に飲食・物販、屋台村など3つのエリアに分かれている。報告によると、募集する計31区画のテナントのうち、現在までに12区画で地元業者を中心に出店に前向きな意向を示していることを明らかにした。

全体事業費約12億円の財源については、国の津波立地補助金に加え、県の補助メニューなどを組合せることも検討しながら、資金確保に努めていく。

被災事業者を中心に、テナント料や再建時期などが合わないなどの理由で慎重に検討している事業者も多いものとみられる。気仙沼地域開発の社長も務める菅原会長は「場合によっては家賃を下げることや施設規模、建設コストの見直しも検討したい」と話している。(引用は以上)

31区画のうち、まだ19区画の見通しがたっていないというのは心配ですね。それと、私が気になっているのは、気仙沼市が内湾地区を対象に策定中の「まちなか再生計画」です。その後どのようになっているのかの報道があまりないのですが、これが国に認定されれば、商業施設整備に国の補助金を活用できることとなります。しかし、この補助も構成店舗の事前確定や各店舗の収支計画など様々な条件があるはずなので、簡単な話ではありません。

なお、三陸新報の記事の冒頭で、〈民間会社が内湾エリアに計画している新商業施設〉との記述がありましたが、気仙沼地域開発(株)は、気仙沼市も出資するいわゆる第3セクターです。資本金1000万円のうちの市の出資比率はわかりませんが、あえて〈民間会社〉と書く必要はないと思いました。

この新聞記事を読んで、この施設計画に関わっている方々の苦労は並大抵のものではないなと感じています。各種補助金の内容が定まらなければテナント出店を決断できないし、テナント内容が定まらないと補助の申請もできないといった、どっちが先なのかという話。

菅原昭彦会長/社長も施設規模の見直しに触れていましたが、今後の状況によっては、よりコンパクトな計画に修正することも求められるのかもしれません。

当初の計画がなんの問題もなく実現するようなことはそうあることではありません。今回のテナント募集への反応も、計画に対する貴重なリサーチ結果と受け止め、今後の実施計画に反映して欲しいと思っています。内湾を見て育った魚町出身者として、より良い商業施設となることを願っています。

7月1日ブログ「内湾の未来計画図」

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藤田さんの「蒼空」

きょうから9月ですね。本日も催事関係のご案内などをふたつ。どちらも9月3日、今度の土曜日です。

1:蒼空〜空どこまでも蒼く     

まずは、気仙沼出身の舞台俳優 藤田信宏さんが主宰する演劇集団「インディゴ・プランツ」の「蒼空(そうくう)〜空どこまでも蒼(あお)く」。三陸新報の復刊70周年記念公演として開催されます。

青空
三陸新報8月23日広告より(クリックで拡大)

(紹介文より)終戦間際……。神風特別攻撃隊。片道の燃料と爆弾だけを積み、敵艦船へ体当たり攻撃を加える。明日の未来と決別し、命を散らせていく大勢の若者たち。しかし彼らは、いま目の前にある生をまぶしいくらいに輝かせていた。蒼い空に生命と希望をかけた、秀逸な人間ドラマです。

◎日時:9月3日(土)
◎会場:気仙沼市民会館
開場 12:30
本編 13:30〜15:55
演舞 16:10〜16:30
◎入場無料

この公演、事前のハガキでの申込みが必要となっていますが、8月31日時点では若干の残席があるようです。当日の会場にて残席がある場合は入場可能とのことですので、ご覧になりたい方は開場前に市民会館にお出かけください。

藤田信宏さんの実家は港町の藤田製函店さん。震災前はたしか弁天町でしたでしょうか。「蒼空」は、東京、鹿児島、宮崎の3県5都市の公演を大好評のうちに終えて、大千秋楽を藤田さんの故郷 気仙沼で迎えることになります。沢山の観客を前に、よりよい舞台となりますように。

2:ドローン撮影エキストラ     

つぎはお手伝い、気仙沼でいうところの〈おでってぇ〉募集。同級生の故 小山隆市君(3年6組)の三男晃宏さんからのお知らせです。

晃宏さんの勤務する人材系の総合代理店インビジョン株式会社(本社:東京・中目黒)の新卒内定式を彼の企画により気仙沼で行います。つぎのようなことらしい。

9月2日(金)夜に気仙沼に入り、その日は「唐桑御殿つなかん」で一泊。翌朝、気仙沼魚市場を見学し、魚市場の岸壁に来港する漁船をドローンで撮影。そのまま唐桑で漁に挑戦。内定書贈呈式はもちろん船上。上空にはドローン。そして、この漁の後に唐桑半造広場で気仙沼とインビジョンのプロモーション撮影を予定しているとのこと。

その際に、〈空中に飛んでいるドローンに向かって傘を開くとか、ドローンに手を振るなど、老若男女問わず、たくさん、いっぱい、人が映ってほしい〉と。要するにエキストラということでしょう。

◎9月3日(土)13時〜15時
◎気仙沼市唐桑・半造広場

そういうことなら手伝ってやろうという方は是非、下記までメールを。詳細をお伝えするとのことです。

a.oyama0529@gmail.com

本件についての晃宏さんのブログ

なんか、9月3日は忙しい一日になりそうですが、どうぞ、よろしく。

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ふたつの催事紹介

きのうの台風10号は、今日になって東北や北海道の被害が明らかになってきました。気仙沼での被害もこれから伝わってくるでしょう。心配しています。

きょうは9月に開催される2つの催事を紹介します。いずれも本ブログで既にお知らせしているものですが、日が迫ってまいりましたので念のため。

1:第5回 KSB復興フォーラム    

まず9月3日(土)は、気仙沼サポートビューロー(KSB)主催の第5回KSB復興フォーラム。今回は、気仙沼中学校で教師を3年間勤められた経歴がある直木賞作家・熊谷達也さんを囲んでのフォーラムです。

◎第5回 KSB復興フォーラム
 仙河海のものがたり
〜直木賞作家・熊谷達也が紡ぐ気仙沼叙景

熊谷達也著書
KSBサイトから(クリックでサイトにジャンプ)

◎開催日時
 平成28年9月3日(土)
 18:00〜21:30(開場17:30)
◎会場
 赤坂ダイニング ままや
 東京都港区赤坂2丁目13−23 トミヤビル2F
 電話03-3584-8822
◎会費 5,000円(食事・飲み物込み)
◎定員 30名(応募者多数の場合は抽選)
◎お申込み
下記のKSBサイト内の申込フォームにて、あるいは、お名前・ふりがな・メールアドレス・熊谷達也先生へのメッセージ(ひと言)を記載のうえ、下記のアドレスにメールにてお申し込みください。(引用は以上)

KSBサイト メール宛先:forum@ksn-b.com

8月11日ブログ「仙河海ものがたり」


2:志の輔らくご in 気仙沼       

2012年からこれまで3回おこなわれてきた〈気仙沼さんま寄席〉は、ひとまずお休みとなり、今年は〈志の輔らくご in 気仙沼〉が9月8日に開催されます。

志の輔らくご
ほぼ日/志の輔らくご in 気仙沼 公式サイトより(クリックでジャンプ)

◎志の輔らくご in 気仙沼
◎2016年9月8日(木) 開演18:30
◎会場:気仙沼市民会館 大ホール
◎出演:立川志の輔 ゲスト:糸井重里
◎全席指定 3,500円(税込)
◎主催:TBC東北放送/気仙沼さんま寄席実行委員会

ほぼ日/志の輔らくごin気仙沼 公式サイト

下記の市内プレイガイド分は予定よりも多く販売されるとのことですので、未手配のかたは是非こちらまで。

◎気仙沼市内の特設プレイガイド
ラ・ペ・マツイ/アンカーコーヒー&バル田中前店/アンカーコーヒーマザーポート店/御誂京染たかはし/斉吉商店/横田屋本店/気仙沼プラザホテル/武山米店/畠良薬局/気仙沼観光コンベンション協会/気仙沼市民会館/気仙沼のほぼ日 ほか

なお、ローソンチケット/チケットぴあ/イープラス/TBCホームページなどの各種プレイガイドでもお求めいただけます。

7月4日ブログ「志の輔さん落語会」


いずれの催しも、なかなか得難いチャンス。あとで後悔することのないよう、早目のご手配を。

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昌子さんのえん旅

台風10号ですが、本日30日午前11時現在の予報図を見ると、夕方には東北地方太平洋岸というよりも気仙沼直撃という感じがします。記録的大雨のおそれもあるとのこと。夕方の満潮と重なる時間帯では高潮も心配です。大事にならないよう、台風襲来への備えを十分になさってください。

本日はテレビ番組の紹介です。8月31日(水)のNHK BSプレミアム「きらり!えん旅」で、森昌子さんが気仙沼をたずねます。ミニ・コンサートは7月28日に〈はまなすホール〉で収録されました。コンサートにさきだって、鮨の〈大政〉や製缶店、製氷工場なども訪問します。

えん旅
番組サイトから(クリックでジャンプ)

◎NHK BSプレミアム「きらり!えん旅」
◎8月31日(水) 午後7:30〜7:59
◎森昌子 宮城・気仙沼市へ
番組サイト

(紹介文より) 歌手の森昌子さんが2012年9月以来およそ4年ぶりに宮城県気仙沼市を訪ねました。 気仙沼市は全国屈指の水揚げを誇るカツオやサンマ、メカジキなどの他、高級食材のふかひれの産地としても知られています。関連死を含め死者・行方不明者が1500人をこえた気仙沼市。森さんは、復興が進む街をまわり、前回「フカヒレずし」をいただいたすし屋では、懐かしい味に出会い、思い出話に花を咲かせました。旅の締めくくりに開いたコンサートでは元気な歌声と楽しいトークで皆さんに元気を届けました。(引用は以上)

番組サイトをのぞいてみましたが、訪れた寿司店は〈大政〉さん。そのほか、発泡スチロール箱をうず高く積み上げてみせる函(はこ)屋さんは藤田製函店、氷を扱っているのは岡本製氷さんだと思います。アサヤの廣野一誠さんもうつっていますから、〈港町の仕事場ちょいのぞき〉の〈観光チーム気仙沼〉の皆さんでしょう。

森昌子さんは、4年ぶり2度目の気仙沼訪問です。前回のきらりえん旅については、下記のブログで紹介しました。

2012年10月3日ブログ「4日は森昌子さん」

そういえば森昌子さんはその後に離婚されましたが、森進一さんとご夫婦でした。昌子さんと進一さん、気仙沼はふたりの森さんにいろいろとお世話になっているのですね。ありがとうございます。

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大人の休日倶楽部

明日30日は、台風10号が東北に上陸するかもしれないとのこと。東京も含め、風雨への備えを今のうちにしておきましょう。今夏の各地の被害を見ていると油断できません。

さて本日の話はここからですが、JR東日本〈大人の休日倶楽部〉会員誌9月号の巻頭記事「大人の肖像」に渡辺謙さんのインタビューが4頁にわたって掲載されていました。3〜4頁目の見開きはこんな感じ。

謙さん1

記事中には「趣味は気仙沼 気負わず、気長に」の見出しも

謙さん2

気仙沼関連の部分を以下に引用します。

〈 仕事以外では、東日本大震災の被災地との関わりもライフワークと言っていいかもしれません。地震から約1カ月後、避難所を22カ所回らせていただき、これは1年や2年でなんとかなるものではないと感じました。そこで、気仙沼に「K-port(ケーポート)」というカフェをつくったのです。自分の拠点があれば、ずっと関わり続けることができるので。

「K-port」には、なるべく毎日FAXを送るようにしています。内容は僕の日記みたいなものですが、1日に1回、気仙沼の景色や人々に思いをはせることに意味がある。そう考えているからです。

7月には、熊本地震に対して何ができるかを話し合うトークイベントを行いました。ネットワークをつくることで、何か起きた際、支え合えるのではないか。行政ではできないことを僕ら民間でできないか、知恵を出し合っています。(中略)

ただし長く続けるためには、精神的に負担になり過ぎないことも大事。「こうせねば」と気負わず、「趣味は気仙沼」という感覚で、月に1度くらいのペースで行くようにしています。

ただ5年たち、被災地の皆さんに目に見えない疲労感がたまっているのも感じます。人間、頑張り続けるのには限度がある。だから、ガス抜きや楽しみの場をつくる方向でお手伝いできればいいな、と。〉(引用は以上)

「趣味は気仙沼」というのは、渡辺謙さんがよく口にする言葉です。ありがたい。どうぞ、気負わず、気長によろしくお願いいたします。

なお、この記事の写真撮影は若木信吾さんでした。若木さんは、2011年と2012年に気仙沼でワークショップや撮影会を行っています。以前つぎのブログで紹介しました。

2012年2月15日ブログ「斉藤道有さん」
2012年5月23日ブログ「BRUTUSさん」

気仙沼にそうした縁をもつ謙さんと若木さんのおふたりです。撮影の合間に気仙沼のことも話に出たのではないでしょうか。なんだれかんだれと(笑)

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早稲谷鹿踊の伝承

8月2日の三陸新報に、気仙沼市早稲谷(わせや)の鹿踊(ししおどり)の記事が掲載されていました。

三陸8,2早稲谷3
三陸新報8月2日記事の一部イメージ

記事の一部を引用します。

「気仙沼市早稲谷地区の甘酒地蔵尊祭典が(7月)31日、現地で行われた。県指定無形民俗文化財の早稲谷鹿踊が奉納され、地域の繁栄を願って厄災、疫病をはらうとともに、祖先の霊を供養した。地蔵尊は、飢饉や疫病などで亡くなった幼子を供養するために建立された。早稲谷鹿踊が伝わってからは毎年、旧暦6月24日の前後に奉納されている。」(引用は以上)

宮城県の指定文化財のウェブサイトにはつぎの説明がありました。

「早稲谷地区に伝わる8頭の鹿踊りである。記録には文政10年(1827)、岩手県大原山口の喜左衛門より月立八瀬の林蔵に伝承されたものという。毎年旧暦6月24日に地区内にある「甘酒地蔵尊」の祭典に奉納し、災厄や疫病をはらう魔除けの踊りといわれるが、本来は祖先の霊を供養するものである。背中に竹を削って結束した3m以上のササラを立て、腰太鼓をさげ、唄いながら踊り跳ねる。政宗から「仰山なり」と賞詞されたといういい伝えにちなみ「仰山(ぎょうざん)流」と称する。」

また、甘酒地蔵尊は、天明の大飢饉(約230年前)で亡くなった乳児や幼児を供養するために建立されたそうです。甘酒は母乳に見立てたものといいます。源義経の一行が平泉に向かう途中、猿がお地蔵様に姿を変え、甘酒で迎えたとの言い伝えもあるようです。

私が驚いたのは、気仙沼ニッティングさんのフェイスブック7月31日の記事でこの鹿踊りがつぎのように紹介されていたこと。代表の御手洗さんによるものでしょう。

〈昨日は、気仙沼の山の方の、早稲谷という集落で「鹿踊り」がありました。この1年にこの集落で亡くなった方々のために、お地蔵さまの前で鹿たちが祈りを捧げるのだそうです。気仙沼でもほとんど告知されないため、気仙沼在住でも見たことがある人は少ないかもしれません。この集落の人たちが、静かに行うお祭りです。空と山を背景にした舞台で、鹿たちが角に見立てた長い「ささら」を振り回して踊る様子は圧巻でした。この踊りのあとは、新しいお位牌の前で鹿たちがお祈りをします。亡くなったあと、こうして村のみんなに祈ってもらえるというのは、なんとあたたかな文化だろうと思います。続いていきますように。〉

17分間の動画も紹介されているのですが、これを見ると〈本物の奉納の踊り〉の雰囲気が伝わってきます。私は〈宮澤賢治〉や〈遠野物語〉を連想しました。早稲谷の鹿踊も岩手県一関を経由して伝えられたもののようですので、さほどずれた印象ではないと思います。

御手洗さんの〈圧巻〉の印象は、気仙沼の人があまり気づいていない地域文化の価値を外の人に教えてもらうという、よくあるパターンのひとつかもしれません。

2014年の目黒のさんま祭では、気仙沼市落合地区の廿一(二十一)田植踊りが披露されました。廿一の現場ではなく、あくまで東京のイベント会場での演舞ではあったものの、その素晴らしさに驚きました。気仙沼市で県の無形民俗文化財指定は3件あるのですが、早稲谷鹿踊とならんでこれもそのひとつ。残る一つは〈新城の田植踊〉です。

50年以上前の気仙沼みなとまつり。魚町坂口の実家前で鹿折(ししおり)方面から連なって進む祭の行列を見ていました。鹿踊りや田植踊り、そしていろんな地区の太鼓もあったように思います。それを〈いつものだしもの〉としか見ていませんでした。またかよ、と。それから半世紀。そのひとつが、地域の人によってしっかりとひっそりと伝承されていることを知り、うれしく思ったのです。また、長くなってしまいました。今週はこれにて。

気仙沼ニッティング/facebook映像(約17分)

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春日利春君の随想

きのう8月24日(水)の三陸新報〈リレー随想〉の筆者は、同級生の春日利春君(3年9組)でした。タイトルは〈新しいコミュニティづくりに まつりの活用と参加を〉。

春日利春君
三陸新報8月24日記事より

春日君は、気仙沼高校を卒業して商工会議所に就職したのですが、その年のみなとまつりの事を書いていました。1970年(昭和45)のこと。その部分を引用します。

「さて、私が就職した年の気仙沼みなとまつりは、ちょうど20回目の記念でした。8月4日前夜祭、5日が本まつりで、この年の特徴は車両を一時通行止めにして開催した仲町大通り、大堀銀座、仲山通りの七夕まつりでした。これは「商店街フェスティバル」の名称で、商工会議所と警察が強力にバックアップして実施され、「歩行者天国気仙沼版」として大変喜ばれました。

振商会通りの「チビッコ天国夏まつり」も好評でした。花火は祈念大会のためにひと回り大きくし、5業者による1300発の打ち上げで、「東北一の海の花火」として3万人の観衆を集めました。(気仙沼商工会議所発行 商工二十年のあゆみ より)」(引用は以上)


この年わたしは、気高を卒業して仙台で浪人していましたから、夏には気仙沼に帰り、みなとまつりも見ているはずです。仲町や八日町の仲山通りの七夕もなんとなく覚えています。私が知る華やかだったころのみなとまつりの記憶です。

春日君は、2004年に気仙沼商工会議所の専務理事に就任し、2014年7月に退任しています。現在は、気仙沼市体育協会副会長、気仙沼市陸上競技協会副会長をつとめているということです。

春日君というか敏春君とは、2011年に銀座TSビルにできた気仙沼のアンテナショップ〈銀座いきなり市場〉で会いました。商工会議所の専務理事として、いろいろと尽力していたのだと思います。ご苦労さまでした。来月9月24日に気仙沼で開かれる同年会でまた会うことができるでしょう。


(追記)
8月19日のブログ「気仙沼」の由来 で7月7日の読売新聞の紙面画像を紹介しましたが、これは菊田裕美君提供の埼玉県内版です。同時期に気仙沼を含む宮城県内版でも掲載されました。都内版になぜ掲載されないのか不思議に思っておりましたら、きのう8月24日朝刊にやっと掲載されました。奇妙に感じたかたがいらっしゃるかもしれないので念のため。

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シン・ゴジラ危険

先週の水曜日、7月29日の公開直後から大評判の映画「シン・ゴジラ」を見てきました。総監督・脚本は「新世紀エヴァンゲリオン」などでも知られる庵野秀明(あんの ひであき)さんです。

「シン・ゴジラ」は、フルCGによるゴジラ映画。巨大不明生物の襲来にあたっての政府や官僚などの対応を描いた映画とだけ説明しておきましょう。詳しくは公式サイトにて。いくつかある予告編のひとつだけを紹介しておきます。1分32秒。



この映画は評判にたがわずとても面白かった。庵野さんや「エヴァンゲリオン」が大好きな人はさらにマニアックな批評や楽しみ方をしているようです。しかし本日お伝えしたいのはそのことではありません。気仙沼の人など、震災や津波の襲来を経験した人がこの映画をみるにあたっては注意が必要だということ。

直接に震災の津波を経験していない私でも、映画の前半で登場する街が破壊される様子や混乱しながら避難する人々のシーンではグッときました。その暴力性がリアルなのです。

そうしたシーンがあることへの注意喚起は、公開直後のネットではあまりなかったように思うのですが、先週あたりはいくつか目にしました。NHK在職中は〈NHK_PR1号〉としてツイッターを担当していた @aso_kamo (あそうかも/麻生鴨)さんの8月19日の投稿もそのひとつ。

「好きな人には怒られるかも知れないけれど「シン・ゴジラ」について、あえて1つだけ書いておきます。ニュースなどで津波や震災の映像を見ると気分が悪くなったり、息が苦しくなったりするような人、まだPTSDが治っていない人は、劇場では見ないほうがいいです。たぶん純粋には楽しめません。」

このほか、大阪大学教授で〈ニセ科学〉に詳しく、原発の放射能問題などでも積極的な発言している菊池誠さんも8月19日のツイートで〈シン・ゴジラは震災と原発事故のメタファーだから、見るのが辛い人たちもいると思うよ。それは事前に注意してもよかったような気がするな〉と書いています。

いま気仙沼に映画館はなく、たやすく〈シン・ゴジラ〉を見られる環境ではありません。しかし、出張のついでにひょいと入った映画館で不意をつかれといったことがないよう、一言ご注意を申し上げました。

私が見たのは、通常の2D版。しかしIMAX/4DXでなくてよかったよ。危ないところでした(笑)。

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南町浮桟橋の復旧

8月21日(日)の三陸新報に、気仙沼の内湾エースポートにあった浮桟橋が姿を現したという記事が掲載されていました。

浮き桟橋

三陸新報ニュースサイトより

紙面での記事の一部を以下に引用します。

気仙沼市の内湾で復旧工事が進む「南町浮桟橋」が姿を現し、通行人らが足を止めて眺めては、懐かしさに浸っている。本年度中を予定している護岸工事の完了まで渡ることはできないが、内湾にシンボルが一つ帰ってきた。

フェリーや消防艇などが発着し、人が行き交う港町らしい光景を形成していた浮桟橋は、東日本大震災の津波で全壊。現在は護岸工事と合わせて、整備が進められている。

浮桟橋は湾内に到着したものの、接岸岸壁の護岸工事の完了まで係留されている状態。工事が完了する本年度中に供用が開始される見込み。(以下略)

震災の津波で被災した桟橋は、長い間その残骸が岸壁付近にさらされたままになっていました。なぜ撤去しないのだろうと疑問だったのですが、ずいぶん前にその撤去費用が相当な金額になるということを知って、後回しもしかたないかと思っておりました。

浮桟橋と聞いて思い出すのは、お神明さん(五十鈴神社)の浮見堂近くにあった貸しボート屋さんです。中学のころは結構のりました。まだ内湾には牡蠣の養殖いかだが沢山うかんでいました。その間をぬって造船工場などがある対岸に〈上陸〉するとそれなりの冒険気分を味わうことができたのです。

あの貸しボート屋さんは、いつまであったのでしょう。牡蠣いかだの樽を使った簡素な桟橋をなつかしく思い出します。

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来年のカレンダー

きょうは8月22日。お盆休み気分は先週までで今週からの仕事は通常運転と思っていたのですが、台風9号が接近中。正午現在の東京は、雨と風がかなり強まっています。関東に上陸のあとは東北に向かうとのこと。大きな被害がないようにと思っています。

さて、気仙沼では8月19日のサンマ船13隻の出港にあたって恒例の〈出船送り〉が行われました。この出船(でふね)送りは、2010年に市内の女性グループ〈気仙沼つばき会〉が、一斉出漁を見送る催しとして企画したもの。以来、気仙沼の恒例行事として定着しています。

そして、つばき会が企画しているもうひとつのものが、〈漁師カレンダー〉。3回目の発行となる2017年版の予約がすでに始まっています。


気仙沼漁師カレンダー専用サイトより(画像クリックでジャンプ)

◎気仙沼漁師カレンダー2017

販売価格:1,500円(税抜)
税込1,620円、送料は全国一律180円
企画/発行:気仙沼つばき会
ご注文は下記の専用サイトのご注文フォームをご利用ください。

気仙沼漁師カレンダー専用サイト

漁師カレンダーは、日本印刷産業連合会主催〈全国カレンダー展〉において2014年版が経済産業大臣賞(金賞)を、2016年版がフジサンケイビジネスアイ賞(銀賞)をそれぞれ受賞するなど高く評価されてきました。

撮影を担当された写真家の方々は、2014年版が藤井保さん、2016年版が浅田政志さん。藤井さんが瀧本幹也さんのお師匠さんだったことや、浅田さんが2008年度に(日本写真界の芥川賞といわれる)木村伊兵衛写真賞を受賞していることなどは、8月8日のブログにも書きました。

そして今度の2017年版の撮影もすごい。川島小鳥(かわしま・ことり)さんです。川島さんは1980年生まれの男性(笑)。写真集「未来ちゃん」で、2011年度 講談社出版文化賞/写真賞を、そして木村伊兵衛写真賞を浅田さん受賞の2年前となる2014年度に写真集「明星」で受賞しています。。

川島小鳥さんの名をおぼえていらっしゃる人も多いでしょう。このブログで昨年9月に紹介した〈ほぼ日手帳2016〉のスペシャルムービー「This is My LIFE.」は川島小鳥さんの撮影。気仙沼の人と風景にあふれた素晴らしい映像でした。未見の方がいらっしゃれば下記のブログで是非に。

2015年9月4日ブログ「This is My LIFE.」

なお、〈ほぼ日手帳2017〉のスペシャルムービー「This is My LIFE.」が8月18日に公開されました。写真や映像を担当したのは、梅佳代(うめ・かよ)さん。2007年に写真集『うめめ』で2006年度の木村伊兵衛写真賞を受賞しています。

こうして、来年の手帳やカレンダーの話が始まっているのですね。たしかに来週は9月になるし、その翌月は10月。来年のことを考えはじめてもおかしくない季節を迎えつつあるようです。

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「気仙沼」の由来

時事的なことを紹介していると、どうしても後回しになってしまう話題があります。そんな話が結構たまっているのですが、本日はその中からひとつ。

7月7日の読売新聞朝刊の「地名の知」がとりあげたのは〈気仙沼〉。見出しは、〈復興へ 豊かな海と歩む〉です。〈計仙麻〉とか〈けせもい〉とか、これまで聞いたことのある地名の由来がコンパクトにまとめられていましたのでご紹介。

地名の知
読売新聞7月7日朝刊より

地名に関する記述を抜粋して以下に引用します。

 かつて気仙沼は「計仙麻(けせま)」と記された。気仙沼市史によると、901年完成の「日本三代実録」が初出で、神の名前として「計仙麻神」や「計仙麻大嶋神」が登場する。計仙麻の名前が付く神社は桃生(ものう)・牡鹿地域(現・石巻市)にもあり、沿岸一帯を指していたようだ。後に「気仙沼」となるが、理由や時期ははっきりしない。計仙麻の由来は、先住のアイヌ民族の言葉で末端を意味する「ケセ」、湾を表す「モイ」とされる。

 今も仙台市や盛岡市から車で約2時間半もかかり、「陸の孤島」とも言われる。「都からは離れているが、海のネットワークを通じて各地の文化が伝わってきた」。川島秀一・東北大教授(民俗学)は語る。例えば、生きたイワシを餌にするカツオ一本釣り漁。1675年、地域の有力者・鈴木勘右衛門が紀州(和歌山県)から漁師ら約70人を招いて教えを請うた。

「なんぼ」(いくら)、「おめはん」(あなた)、「すま」(隅)。地域の方言に、関西弁に似た響きがあるのは、江戸時代に盛んだった交易によるものではないか――。郷土史家・荒木英夫さん(85)の見方だ。地名の由来は諸説ある。市史にはアイヌ語という点では同じだが、「ケセ」は大きい海、「マ」は中心区域を意味すると解釈する説も示されている。

 「気仙郡」説も知られている。気仙郡は岩手県南東部に今も存在する。「日本後紀」には「弘仁2年(811年)気仙郡に渡嶋の夷狄(いてき)が来着」とあり、一帯を気仙と呼んだ。その間にあるため「気仙間」となり、やがて池や沼のように波静かであるという連想から気仙沼になったとする説だ。市西部にある手長山(てながやま)は「袈裟(けさ)山」とも呼ばれ、それが転じたとの説もある。(引用は以上)

記事の最後には、街おこし団体「気楽会」の代表として〈コヤマ菓子店〉小山裕隆さんのコメントが写真付きで紹介されていました。その一部を以下に。

〈被災地は「悲しみ」のイメージを持たれがちですが、参加者には「勇気づけられた」との感想をもらいます。遠洋漁業で栄え、各地から人が集まる港町だったためか、親切な市民が多く、最大の観光資源は「人」です。ぜひ多くの人に出会ってほしいと思います。〉

この記事の筆者は東北総局の安田龍郎さんです。その文章はつぎのように結ばれています。〈苦難を受けてもなお、海と生きる港町なのである〉。

気仙沼がそう呼ばれるにふさわしい街、港町として復興して欲しい。そう思わずにはいられません。

(追記)
上記の読売新聞の紙面画像は菊田裕美君提供の埼玉県内版です。同時期に気仙沼を含む宮城県内版でも掲載されました。都内版になぜ掲載されないのか不思議に思っておりましたら、8月24日の夕刊にやっと掲載されました。奇妙に感じたかたがいらっしゃるかもしれないので念のため。

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リアスのつながり

本日はちょっと前の話題になるのですが、三陸新報のふたつの記事を紹介します。

まずは7月8日の三陸新報。リアス・アーク美術館が、「アート・ドキュメンテーション学会」の第10回「アート・ドキュメンテーション推進賞」を受賞しました。

7月8日リアスアーク
三陸新報7月8日記事の一部イメージ

「アート・ドキュメンテーション」という言葉はあまりなじみがありませんでしたが、美術館や美術系教育機関などにおける資料の収集・整理や情報提供などのことだそうです。

推進賞は、〈アート・ドキュメンテーション関係業務の現場において、効果的かつオリジナリティを発揮した者、あるいは機関〉に対して贈られるもので、今回はリアス・アーク美術館の「東日本大震災の被災生活者の観点にたつ調査記録作業とその展示活動」が受賞。同学会のサイトでみた授賞理由のなかには、〈その「博物館=生活者」の理念と実践、そして成果は特筆に値する〉との記述がありました。授賞発表は6月11日でした。


もうひとつは、かなり前になりますが三陸新報3月30日のつぎの記事。

安さんのカツオ漁

三陸新報3月30日記事の一部イメージ


気仙沼中学21回生で東北大学災害科学国際研究所教授の川島秀一さんの著書『安さんのカツオ漁』が、高知市文化振興事業団の第26回「高知出版学術賞」を受賞したとのこと。

記事によれば同書は、カツオ漁が盛んな高知県中土佐(なかとさ)町久礼(くれ)所属の第18順洋丸の元船頭で現在は船主の青井安良さんとの交流を通して、気仙沼と高知との密接な関わりや、カツオ漁に伴う全国各地の風習、東日本大震災を踏まえた防災意識の大切などをつづったもの。今回は、減少しつつある土佐の一本釣り漁の生きた民俗史にもなるとの高い評価を得たとのことです。表彰式は3月29日におこなわれました。

川島秀一さんは2005年4月から2012年3月までの7年間、リアス・アーク美術館に勤務し、副館長もつとめました。上述した同館の大震災記録や資料収集にあたっては山内宏泰学芸員らと共に尽力しています。

つまり、これらふたつの記事は〈リアス・アークつながり〉ということでのご紹介となりました。川島秀一さん、そしてリアス・アーク美術館関係者の皆さん、遅ればせながらお祝いを申し上げます。おめでとうございました。

2月2日ブログ「震災の記憶と記録」

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鹿折の復興MAP

8月9日のブログで、市発行の「けせんぬま復興ニュース」第97号に掲載された、魚町・南町地区のまちづくりマップを紹介しました。本日紹介するのは、同ニュース第94号に第1弾として掲載された鹿折(ししおり)地区のまちづくりマップです。

鹿折復興マップ
「けせんぬま復興ニュース」第94号(本年6月15日発行)より

ニュースに掲載されている概要説明を引用します。

鹿折地区の土地区画整理事業地内では、北側に住宅ゾーン、南側に工業ゾーン、県道沿いに商業ゾーンか整備されます。住宅ゾーンには、災害公営住宅、(仮称)市民福祉センター、コミュニティセンター(公民館) などの公共施設、商業ゾーンには、金融機関、スーパー、コンビニ、ガソリンスタンドなどの商業施設、また、南側の工業ゾーンの隣接地には、水産加工施設等集積地が整備され、多くの水産関連施設が立地、または立地予定となっています。なお、土地区画整理事業地および水産加工施設等集積地の周辺においても、小・中学校、郵便局、ホームセンター、スーパー、病院などが立地、または立地予定となっています。(引用は以上)

中央部に位置する災害公営住宅は全8棟ですが、そのうち、4階建て1棟と5階建て2棟の計110戸が完成し、その入居が7月29日に始まっています。そして鹿折地区では8月11日、水産加工団地や災害公営住宅などが完成したことをうけての〈まちびらき式〉がおこなわれました。そしてこれに連続するかたちで開催されたのが〈鹿折復興盆踊り大会〜鹿折復幸マートさよならフェスティバル〉。打囃太鼓や浪板虎舞、そしてLIGHT UP NIPPONによる花火も打ち上げられ、多くの人が盆踊りを楽しんだようです。

復幸マートは2014年10月にオープンしましたが、今年8月末で営業を終了し、解体されます。8月12日配信の河北新報記事によれば、入居店舗19軒のうち、4軒は同地区内に新設される「かもめ通り商店街」に移るものの、再建が未定の店舗も多いとのことです。

〈まちびらき〉と〈さよなら〉というふたつの言葉が交錯する、様々な思いに満ちた盆踊りになったようです。

8月9日ブログ「内湾の復興MAP」

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気仙沼のお寺さん

きょうは8月16日、送り盆。お盆もあけますね。

盆の入りに先だって8月12日の三陸新報には、気仙沼の各寺の広告が掲載されていました。16寺院。これで全てということではないでしょうが、主要なお寺さんの名であると思いご紹介。

寺院
三陸新報8月12日掲載広告(クリックで拡大)

私の家は、新潟県新発田市に菩提寺(ぼだいじ)がありました。父は生前に墓を移したがらず、私が気仙沼にいたころは市内の墓所に墓参りという習慣がなかったのです。お盆などには、曹洞宗だったので八日町の青龍寺さんに読経などをお願いしておりました。先代のご住職とは大変親しくさせていただき、8年前の父の通夜や葬儀も同寺でおこなうことができました。妻の実家の菩提寺も墓も青龍寺さんです。

新発田の墓は震災後、母と兄がくらす仙台へ。先日はお盆の墓参りの写真が兄から届きました。次男の私がいないのが残念ですが、母も曾孫も一緒です。父もきっと喜んでいることでしょう。

これら気仙沼の寺の名をながめながら、同じような思いと風景がそれぞれのお寺や墓所に満ちていたことだろうと想像しています。

気仙沼市内の神社については、つぎのブログにて。
2015年12月24日ブログ「気仙沼の氏神さま」

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プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/64~65歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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