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2016年さんま祭

11月16日放送のNHK「ブラタモリ」セレクションは、2016年12月17日「東京・目黒」の再放送でした。7年前、タモリさんと一緒にぶらぶら歩くのは近江友里恵アナウンサー。4代目のアシスタントです。3代目は桑子アナ。

7年前のブラタモリをなぜ紹介したかといえば、「目黒のさんま祭」映像が紹介されていたからです。


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2画像とも11月16日放送画面より


これは放送年2016年のさんま祭でしょうね。このブログではどのように紹介したかなあ。調べてみて驚いた。開会式にタモリさんが来てくださった年だったのです。その記事を以下に再掲します。


2016年9月20日ブログ再掲

目黒さんま祭報告

本日は、おととい9月18日(日)に行われた〈目黒のさんま祭〉の報告です。今回は、〈あさひ鮨〉の佐々木徹君が上京せずということで、私たちも時間を決めての参集はせずにそれぞれにということにいたしました。私は9時半の開会式からお昼すぎまでを会場で過ごしました。祭の様子を写真とともに紹介します。

開会式には気仙沼から菅原市長と熊谷市議会議長、さんま祭気仙沼実行委員会からは松井会長が出席。市長の脇に座っている人は誰かなと思ったらタモリさんでした。座っているときのイメージは、目黒区在住の森田一義さん(71)といった感じ。今回は6月に就任した「めぐろ観光まちづくり協会」名誉会長としての出席です。

1 3人 2 タモリ

座っているときには地味なフツーの感じでしたが、挨拶に立つとやはりさすがでした。まずは例の中国語(風)で話を始めます。これは先に挨拶にたった区立中学の生徒ふたりが後半の話を英語で行ったことを受けたもの。話の詳細は略しますが、さんま祭の行列について、〈サンマ1匹のために、いったい何人の人が集まるんだろう。戦後は、まだ終わってないなと思いました〉との言葉にはみんな大笑い。これはフジテレビのニュースでも紹介されたようです。5分ほどの話だったと思いますが、引き受けた役割を期待通りにきちんと果たすという姿勢に感心いたしました。

来賓の方々の(ちょっと長い)話の後は、殿様に扮した目黒区青木区長がさんまを食し〈さんまは気仙沼にあがったものを目黒で食べるにかぎるのう〉みたいなことを言う献上式で開会式は終了。それを受けて気仙沼の〈どや節〉が披露され、さんま焼きが開始となりました。当初は5000尾予定だったと思いますが、当日のNHKやTBSのニュースによれば7000尾が提供されたとのことです。少し小ぶりなので量を増やしたか(笑)。

3 どや節 4 さんま焼き

この日の午前中は小雨が降ったりあがったりという天気でした。そのため、さんまを食べるテント脇でのイベントも空模様をながめながらの進行になりました。それでも、私が楽しみにしていた〈馬篭(まごめ)ばやし〉と〈明戸(あけと)虎舞〉を見ることができました。

まずは馬篭小学校の児童による〈馬篭ばやし〉です。菅原市長は開会式の挨拶のなかで、馬篭小学校は来年4月に津谷小学校に統合されるが、うちばやしなどの伝承はしっかりとやっていきたいと語っていました。東京の人たちにどれだけ伝わったかは別として、この紹介はとてもよかったと思う。

5 馬篭小学校 6 男子

馬篭ばやしの後半には虎舞が登場。2匹目の虎の中に入っていたのも馬篭小の生徒だったようです。馬篭小としての最後の演技ということもあってか、私の隣に立っていた菅原市長もさかんに拍手をおくっていました。

7 虎入場 8 虎2匹

9 握手 10 虎記念

空模様をながめながらのしばしの休憩のあと、今度は岩井崎の明戸(あけと)虎舞です。一昨年のさんま祭にも来てくれました。そのときに知り合ったご年輩(2枚目の写真の後方の方)のお話では、震災の津波で沢山の太鼓が流されてしまったが、様々な支援を得てこうして太鼓をたたけるようになったとのことでした。

11 明戸 12明戸男

13明戸虎 14後から

以上が気仙沼のふたつの伝統芸能の披露。天気がよければ2度の演技を予定したようですが、雨模様のために1度のみ。太鼓の皮に雨があたると大変です。

こうした演技の一方、会場には気仙沼をはじめ各地の物産販売ブースがならび、どれも沢山の人でにぎわっていました。そのブース前に会場の外まで続く行列は気仙沼のさんまつみれ汁を待つ人達。一杯100円。いつも大人気です。

今年も同級生の荒木容子さん(3年10組)がお手伝いに来ていました。人混みの様子をながめながら、少し手があいたときに声をかけました。写真の右側は、松井会長の奥様えみこさん。毎年、本当にご苦労さまです。そして、さんま焼きの入口あたりに行ってみると、大勢の皆さんがさんまの焼き上がりを待っていました。

15荒木さん 16行列入口

気仙沼物産ブース前に、カネダイの佐藤俊輔さんがいたので声をかけました。彼が一所懸命にPRしていたのが〈気仙沼ホヤ醤油〉。kesemo(ケセモ)ブランドを展開する気仙沼水産資源活用研究会が、「気仙沼ホヤソース」の姉妹商品として開発しました。菅原市長の開会式挨拶の中でも、本日発売で食事スペースにも置いてあるので是非ご賞味をと紹介していました。

お昼を過ぎ、そろそろ引き上げようかと思い、イベントスペースのほうに行くと、さきほど話をした明戸の年配の方が煙草を吸っていました。ご苦労さまでしたと声をかけ、〈岩井崎のあたりは津波でずいぶんやられてしまいましたね。被害はどうでしたか〉と聞くと、〈かあちゃんと孫をひとり亡ぐしたもの〉と。〈愛するかあちゃんを〉と少しおどけながら。余計なことを聞いて申し訳なかったなと思いながら〈それは大変でしたね〉というと、〈息子には考えすぎんなよと、かだってんだけんと〉と、母親と子供を失った息子さんをきづかいます。

私は〈どうぞ気をつけて気仙沼に帰ってください〉と伝えるのが精一杯。帰りの電車のなかで、〈皆さんのおかげで太鼓をたたけるようになった〉という言葉を思い出しました。どんな気持ちで太鼓をたたいていたのだろうかと。

ちょっと長くなりましたが、震災後6度目となった目黒のさんま祭の報告でした。


再掲内容は以上です。


岩井崎の明戸(あけと)虎舞で太鼓をたたいていた男性は元気にしているかな。今から7年前のさんま祭。サンマ焼きの煙や匂いだけでなく、〈震災復興支援〉の機運が会場にただよっていたように思います。

本日はブラタモリのまねをして〈気中20セレクション〉ということで。どうぞよろしく。
 
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大船渡線乾杯列車

昨日のブログで、JR大船渡線の赤字について紹介しました。本日はその続きです。11月29日の三陸新報1面トップ記事の見出しは、「年明けに首長会議開始」。大船渡線の沿線4市の市長が利用促進策などを協議するとのこと。


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三陸新報11月29日記事の一部イメージ


沿線4市とは、一関市、気仙沼市、そしてBRT区間の陸前高田市、大船渡市です。気仙沼市をのぞく3市は岩手県。

記事によれば、国は利用者が少ない地方鉄道の赤字路線を対象に、存廃を含めて在り方を見直すよう求めているそうですが、この首長会議はあくまで「利用促進がテーマ」(気仙沼市交通政策課)とのこと。

気仙沼市の菅原市長は、11月27日に開かれた条南地区市政懇談会で、一ノ関―気仙沼間は鉄路維持を基本として会議に臨む考えを示したそうです。そして、大船渡線は他の赤字路線に比べ、国やJRと協議する優先順位は低く、「状況は逼迫していない」と指摘。課題の利用客獲得に向けては、外国人観光客が多く訪れている沿線の猊鼻渓/げいびけい(一関市東山町)から気仙沼への誘客の必要性を強調し、「鉄路を使った気仙沼への観光のテーマとして取り組んでいく」と語ったそうです。

この三陸新報の記事にも、昨日のブログで紹介した大船渡線(一ノ関―気仙沼間)の赤字額14億2700万円が記されていました。前年度から8300万円改善、つまり赤字額が減少しているそうです。

◎大船渡線乾杯列車

11月23日には、三陸鉄道車両(36-700形式)が大船渡線をはじめて運行しました。菅原市長がつぎのように紹介しています。


これは、JR東日本の一ノ関統括センターが企画した「三鉄車両で行く!大船渡線乾杯列車~地酒、地ビール、旨い肴~酒発(しゅっぱつ)進行!」。

本企画のプレスリリースによれば、11:03に一ノ関駅を出発し気仙沼駅には12:55着。内湾地区でのフリータイム90分を楽しみ、気仙沼駅15:50発、一ノ関駅17:12着という行程でした。定員80名をのせて大人1名19800円です。


岩手めんこいテレビのニュース映像を紹介します。




気仙沼からは、男山本店、角星、BLACK TIDE BREWINGの日本酒やビールが提供されたそうです。プレスリリースによれば、角星さんの日本酒は、運行日当日朝の絞りたて新酒とのこと。

プレスリリースには、〈大船渡線の北上川(きたかみがわ)橋梁では減速運転し、車窓からの景色を眺めながらお酒を堪能いただきます〉とありました。北上川のあの風景ですね。私も大好きです。

大船渡線赤字額の大きさにはいつも驚かされますが、こうして関係各社の皆さんがいろいろと努力されていることをとてもうれしく思いました。ありがとうございます。そのことをお伝えしたく。

11月29日ブログ「ローカル線の赤字」

 

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ローカル線の赤字

JR東日本は11月21日に、乗客が少ないローカル線の昨年度(2022年度)の収支を公開しました。それによると、宮城県内では4つの路線が赤字になっているとのことです。ミヤギテレビと東北放送の配信ニュースを紹介します。

まずは11月21日のミヤギテレビ配信ニュース。


つぎに11月23日の東北放送配信ニュースです。


ふたつのニュースから、大船渡線と気仙沼線の赤字額を記しておきます。

大船渡線(一ノ関~気仙沼)14億2700万円
気仙沼線(前谷地~柳津)2億1800万円
石巻線(小牛田~女川)11億1600万円
陸羽東線(古川~鳴子温泉)11億500万円
同線(鳴子温泉~最上)4億900万円

東北放送ニュースによれば大船渡線の平均通過人員は1日572人とのこと。「平均通過人員」の定義がわかりませんが、黒字とするにはとても足りない数字であることは間違いありません。

(11/29追記:11月29日の三陸新報によれば、この「平均通過人員」は「1Km当たりの1日平均乗客数(輸送密度)」のようです。以前の評価指標と同じですね。)

JR東日本が、利用者の少ないローカル線の区間別収支をはじめて発表したのは昨年2022年7月のことでした。発表されたのは2019年度の収支です。つぎのブログで紹介しております。

2022年8月11日ブログ 大船渡線の「赤字」

道路が整備されて自動車利用が便利になればなるほど、鉄道利用数が減少するというのは大きな流れであるのでしょう。

どうしたらよいのか。私にはよくわかりません。本日は、ミヤギテレビと東北放送のニュース紹介にとどめておきます。

なお、本日11月29日の三陸新報に大船渡線関連の記事が掲載されていました。同線の利用促進策などを協議するために、気仙沼など沿線4市による初の首長会議が年明けに開催されるそうです。これについてはまたあらためて。
 

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内湾のレインボウ

先週の金曜日11月24日お昼過ぎ、気仙沼の内湾にきれいな虹がかかったそうです。翌日、気仙沼ニッティングさんがX(旧Twitter)に動画を投稿してくれました。


左端は、気仙沼市復興住宅「魚町入沢住宅」のあたり、そして右端は五十鈴神社/お神明さん下の浮見堂付近ですね。すばらしい。

気仙沼ニッティングさんの投稿には、〈なにかいいことありますように〉とありました。虹のてっぺん方向に、気仙沼市復興記念公園の〈祈りの帆(セイル)〉もちらっと見えました。時計でいうと13時方向、魚町坂口に実家跡が見えるというか、家がないことも味わいを深くしています。

ミュージカル映画「オズの魔法使」でジュディ・ガーランドが歌った「Over the Rainbow(虹のかなたに)」。その歌詞中に、Somewhere over the rainbow Bluebirds fly とあります。 〈虹のかなたのどこかに、青い鳥が飛ぶ場所がある〉。

内湾にかかったレインボウの向こうのブルーバードが飛ぶ場所。私の計算では、鹿折(ししおり)地区ではないかと。虹のかなたのどこかに、カモシカがとびはねる場所がある。間違ってはいないような気もする(笑)。

気仙沼ニッティングさん、故郷気仙沼に出現したすばらしい虹の映像、ありがとうございました。
 

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開校150周年広告

今年2023年は、津谷小学校や鹿折小学校、そして階上小学校が開校や創立150周年を迎えました。各校の特集記事と祝賀広告が三陸新報に掲載されていました。それらを見るたび、わが母校「気仙沼小学校」も開校150周年なのになあと、ちょっともやもやした気持ちを感じていたのです。

しかし、11月24日の三陸新報に掲載された広告を目にしてすっきりしました。


広告

三陸新報11月24日掲載広告より



12月7日に広告掲載が計画されており、その申込を受付中とのこと。この12月7日前後に、なにか上記の3校と同じく記念式典のような催しもあるのでしょうか。なお、同じ広告が11月26日にも掲載されていました。

12月7日の三陸新報で詳しく紹介されると思いますが、気仙沼小学校は、明治6(1873)年1月26日に、鼎浦小学校として創設されています。校名の「鼎浦」は「ていほ」と読むようです。12月7日の記事では、このあたりの明確な記述があるといいですね。

なお、明治6年1月には鼎浦小学校だけでなく、「粧坂(しょうはん)小学校」も開校しています。「気仙沼文化史年表」では、「観音寺に化粧坂小学校開校 本町・内ノ脇・九条の学童を通学させる」と記しています。

3月24日ブログ「粧坂小学校の歴史」

12月7日の三陸新報の気仙沼小学校開校150周年特集記事を楽しみにしております。
 

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気仙沼「ほしの玉」

宮城県の東日本放送ニュースが、気仙沼の正月飾り「ほしの玉」を紹介してくれました。11月21日に配信されています。

ニュースではつぎのような説明が。「ほしの玉は、主に宮城県や岩手県の三陸沿岸に伝わる正月飾りで、願いをかなえてくれる宝珠の玉が由来とされる縁起物です。気仙沼市の佐々木和男さん(83)は20年前からほしの玉を作っていて、長寿を願うエビや燃えるような赤い玉、松竹梅などの縁起の良い絵柄を描いています」。

佐々木和男さんのコメントも紹介されていました。ニュースサイトのテキストでは「1枚1枚、願いをかなえさせて下さいと、ずっと同じことを考えて描いている」と、標準語にしていますが、実際に音声を聞いてみるとこんな感じ。

「1枚1枚に願いをかなえらせてけろよ、というごどをね、ずぅーーーとおなずごど考えでかいでます」という感じ。佐々木さんの気持ちが伝わってきます。気仙沼弁ローカルニュースということで、ご参考まで。

◎日日是好日「ほしの玉」

三陸新報の気仙沼弁連載「日日是好日」で、私の妻まゆみが「ほしの玉」を描いたことがあったなと思い調べてみたら、本年5月19日掲載の第70回「ごっつお」(ご馳走)でした。

文章は鼎女(加藤美貴子さん)が書いた正月のご馳走に関する話。コミマル(小田まゆみ)が正月の料理に神棚かざりを加えてイラストとしたのです。


70ごっつお

三陸新報5月19日付け連載掲載イラスト(絵:コミマル)


5枚の「ほしの玉」、うしろには3枚の御神像も。絵のシチュエーションは、現在の南町「マンボ」さんに向かって右方向にあった妻の実家の神棚です。震災の津波で2階まで浸水し全壊状態に。すでに解体し今は跡形もなし。

イラストに描かれた御神像は右から、大年神(おおとしのかみ)、大国主神(おおくにぬしのかみ)、事代主神(ことしろぬしのかみ)です。五穀豊穣を加えて4枚が基本との話もありますが、私の魚町の実家では2枚だったような気もする。神棚の大きさなどもありますから、各家での変形パターンがあったのではないかと。

実家の台所にちょっと小さな「竈神様(かまがみさま)」を貼られていた時期もありました。興津彦神・興津姫神。おきつひこのかみ・おきつひめのかみ。竈/釜の絵が印象に残っています。宮城県地方では、これら五柱の御神像は「お正月様」と呼ばれるとのことです。

いずれも、私が気仙沼で暮らしていた時代には、五十鈴神社の神山真浦宮司が各戸を回ってのお祓いのとき、幣束(へいそく)と共に持参されたのではないかと。

◎東京・銀座のほしの玉

2012年の正月、東京・銀座にも「ほしの玉」が飾られました。気仙沼産品を扱う応援ショップ、数寄屋橋のTSビル「銀座いきなり市場」の初売りです。

ほしの玉

これを紹介した2012年1月5日ブログ「銀座の初売り」では、つぎのように記しました。

〈正面に五枚貼られた、寿の文字や海老、松竹梅などが描かれた「星の玉」がいいですね。気仙沼の正月の神棚を思い出します。それと「さっぱ舟」や、風車・はじき猿などが束ねられた唐桑・御崎神社の縁起物も飾られています。この縁起物は数量限定で販売とのこと。
この写真は、妻が昨年末に年始店頭飾り付け時に撮影したもの。Facebookでつながった「銀座いきなり市場」などを支援するボランティアグループ「気仙沼concierge(コンシェルジュ)」のお手伝いでした。〉(引用は以上)

気仙沼コンシェルジュは、当時東京の出版社に勤務し、現在は気仙沼市の職員として活躍する齋藤岳大(たけひろ)さんをリーダー役としての集まりでした。齋藤さんは気中46回生。

数寄屋橋のTSビルも今はなく、東急銀座プラザとなっています。あの場所に飾られた「ほしの玉」。いま見ても、なかなかなものですね。

震災後はじめての正月を迎えるにあたって、気仙沼復興の願いをこめた縁起物ということだったのかもしれません。
 

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山本重也さんの絵

きのうに続いて絵の話。本日紹介するのは山本重也(しげや)さんです。山本さんはプロのイラストレーターとして活動しながら、2003年から自分が暮らす街の風景を「日常茶飯絵(にちじょうさはんえ)」として日々描くことをライフワークとしているそうです。

長く大阪で活動してきましたが2001年に東京、2017年に仙台へと活動拠点を移してきました。そして今年2023年5月に奥さまの朋子さんと共に気仙沼へ移住したのです。

本年7月、三陸新報が山本さんを紹介する記事を掲載していました。


山本さん

三陸新報7月14日記事の一部イメージ


記事によれば、〈作品は毎日、目に留まった風景を写真に収め、1日1枚、はがき大の紙に水彩画で表現する〉そうです。

X(旧Twitter)のほかInstagramでも山本さんの絵を拝見していますが、どれもすばらしい。本日はXに投稿された2点の絵を紹介します。いずれも気仙沼市内の神社です。

◎魚町 五十鈴神社

まずは魚町の五十鈴神社です。お神明(しんめい)さん。私が小さなころの一番の遊び場でしたからよく知っているわけですが、山本さんの絵には、私の知らない階段が描かれていました。


左の鳥居は国道に面していて、右にちょっと歩いて左折し石段をのぼっていくのが参拝の通常ルート。知らない階段は絵の下部、Shigeya Yamamotoの透かしネームがはいっているところです。

私が小さなころ、ここには製氷工場などがありました。東日本大震災があり、この一帯は区画整理事業の対象に。その結果、現在は「1号公園」として整備されたのです。

2022年6月22日ブログ「魚町1号公園整備」

◎弁天町 一景嶋神社

つぎは弁天町の一景嶋神社です。


案内板が2つ描かれていますが、左側は「『皆鶴姫』漂着の地」に関するもの。右側は一景嶋神社の来歴などについてでしょうか。埋め立てられる前は「一景嶋」という島に祀られた神社でした。

左側の案内板の内容は、つぎのブログで紹介しております。

2022年5月20日ブログ「気仙沼の義経伝説」

以上、絵の〈背景〉ということで。

話を戻します。ネットで山本さんのイラストレーターとしての仕事も拝見しましたが、その仕事が高く評価されての活躍ぶりがうかがわれます。詳細はつぎのサイトにて。

山本重也氏サイト

山本さん、気仙沼の風景を描いた毎日の絵をとても楽しみにしております。知っているつもりの風景も多いのですが、なにか新しい美しさ、新しい視点をそこに感じることがあります。どうぞこれからも描き続けて、山本さんが当面の目標にしているという気仙沼での展覧会実現を心から願っております。
 

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tag : 山本重也

お願い、にげないで

リアス・アーク美術館で「リアス・ジュニア絵画コンクール展」が開催されています。12月24日(日)まで。


ジュニコン

リアス・アーク美術館サイトより


第7回 リアス・ジュニア絵画コンクール展
11月18日(土)〜12月24日(日)
開館時間 9:30~17:00(入館は16:30まで)
観覧料無料

展覧会紹介サイト

この絵画コンクールは圏域内、つまり気仙沼市と南三陸町で暮らす小学生を対象とした絵画公募展です。出品作品が全て展示されています。今回で7回目。11月21日の三陸新報によれば今回は19校から292作品の応募があったとのこと。

今回の募集テーマは、「あんなこと、こんなことしたよ」でした。そして大賞を受賞したのは冒頭の画像にもある「お願い、にげないで!」。松岩小学校3年生の中田悠月さんの作品です。ホント素晴らしい。岩井崎で遊んだときのことでしょうか。

入賞作品が掲載された特製カレンダーが応募者はもちろん、来場者にも贈呈とのこと。先着順でなくなり次第終了です。
2018年のブログで第3回コンクール展の入賞作品を紹介したことがあります。私は佳作「仏像と目があって」がとても気にいりました。

2018年12月20日ブログ「仏像と目があって」

今回の展覧会も力作ぞろいのようです。どうぞお出かけください。
 

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tag : りアス・アーク美術館

第28回荒磯まつり

けせんぬま岩井崎「荒磯まつり」が11月23日に開催されます。


荒磯まつり


開催日/令和5年11月23日(木・祝日)
時間/9:00~13:00(商品がなくなり次第終了)
会場/JFみやぎわかめ流通センターとなり特設会場
   宮城県気仙沼市波路上瀬向(はじかみせむかい)75-91

この「荒磯まつり」が9年ぶりに復活開催されたのは2019年11月23日のことでした。それから毎年開催されて今回が28回目となります。2019年の荒磯まつりについてはつぎのブログで紹介しました。

2019年11月19日ブログ「荒磯まつりの復活」

今年の荒磯まつりでは、焼き牡蠣の無料試食やマグロ解体ショーに加え、今回は祝いもちまきが復活とのことです。「階上生産組合」のもち米を使用した「たかはし製菓」特注のもちとのこと。

今回も、マグロを解体するのは前回同様に藤田商店、(株)さんりくみらいの藤田純一さんでしょう。いつもご苦労さまです。

2021年2月26日ブログ「藤田純一の仕事論」


◎大島カキまつり

荒磯まつりは11月23日ですが、26日の日曜日には、気仙沼大島ウェルカム・ターミナルで「大島カキまつり」が開催されます。


大島カキまつり


殻付き牡蠣つめ放題やむき牡蠣、牡蠣汁、牡蠣いなり弁当の販売などがあるとのことです。こちらにも是非おでかけください。

大島に車でおいでの際には、気仙沼高校同級生の熊谷雅裕君が経営する宮古屋SSでの給油もどうぞよろしく。
 

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tag : 荒磯まつり

ふるさと納税好調

11月16日の三陸新報1面トップ記事はふるさと納税について。気仙沼市の本年度ふるさと納税の寄付額が過去最高の50億円を突破したのこと。

ふるさと納税

三陸新報11月16日記事の一部イメージ


記事によれば、昨年同時期の2倍を超えるペースで、例年寄付が集中する年末の上積みを考慮すると、市は本年度末時点で70億円に達すると見込んでいるそうです。昨年度(2022年度)実績は49億3900万円です。

返礼品については、人気のカニや牛タンに加え、今年3月から新たに加わった銀ザケの切り身なども全体の寄付額を大きく押し上げているとのこと。記事の見出しにある「サイト増効果」というのは、返礼品を紹介するポータルサイト数を昨年度の18から20に増やしたことを指しています。

11月22日の市議会臨時会に、返礼品送付などにかかる経費の増額分と、寄付金から経費を差し引いた分を学校給食費の無償化や人口減対策などに充てる基金への積み立てとして20億円を増額する一般会計補正予算などを上程するそうです。

なんかこうしたふるさと納税の寄付金額が好調という報道をみるたびに、これが当たり前になってしまい、ふるさと納税頼みというようなゆがんだ財政にならないかちょっと心配にもなってきます。8月のブログでも書きましたが、ふるさと納税に対して見直しの声があがってきており、そのブームに対する逆風も感じられるのです。

気仙沼市でふるさと納税や人口減少対策などを担当しているのは、震災復興・企画部震災復興・企画課けせんぬま創生戦略室です。室長は総務省から出向している臼倉拓志さんです。本年7月に着任しました。

ふるさと納税寄付額の好調ぶりも、返礼品提供企業の皆さんはもちろんのこと、臼倉室長はじめ行政関係者による努力の賜物でもあるでしょう。

◎2013年度実績は4700万円

ふるさと納税について、このブログではじめて紹介したのはいつのことだったか。調べてみると、2016年10月10日ブログ「新・ふるさと納税」でした。

そこで紹介した気仙沼市のふるさと納税(気仙沼まちづくり応援寄付金)の実績は2013年度が4700万円、2014年度が5750万円、2015年が1億3400万円でした。そして、2016年度の目標として1億8千万円を掲げ、規模拡大に対応するために業務をJTB西日本に委託したのです。2016年度の返礼品は、従来の60品から208品になったと。

それが今やポータルサイト数は20、返礼品は1000品をこえているとのこと。2016年度で関連業務を外部に委託することになったとき、委託料もそれなりにかかるということで疑問の声があったことを思い出します。さまざまなハードルを越えて今があるということでしょう。

逆風もあれば追い風もある。風がやむこともあるでしょう。そんな風向きを読みつつ。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

8月22日ブログ「東北一ふるさと納税」

 

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tag : ふるさと納税

宏幹先生と気仙沼

11月3日のブログで、気仙沼出身の佐々木宏幹さんの著書『仏教人類学の諸相』について書きました。このブログでは、荒木英夫さんの三陸新報への投稿文を紹介する形で同書の概要を記しています。

11月3日ブログ「仏教人類学の諸相」

荒木さんの投稿文にも同書が気仙沼に寄贈されたとの記述がありましたが、著者である佐々木宏幹さんから、この『仏教人類学の諸相』100冊が気仙沼市に寄贈されています。これを受けて気仙沼図書館・唐桑分館・本吉図書館にて、来館した希望者おひとりにつき1冊まで無償で差し上げていると11月15日の気仙沼図書館Facebookでのお知らせがありました。各図書館とも残る冊数わずかとのことです。佐々木先生、著書のご寄贈ありがとうございました。気仙沼の多くの人が読んでくださることでしょう。





本日は、本書の記述内容から佐々木宏幹さんと気仙沼との関わりについて紹介しようと思います。まずは前回ブログ同様に著書に記された著者紹介文を引用します。なお、以下の引用にあたっては適宜、漢数字を洋数字に変換しております。

佐々木宏幹(ささき・こうかん)
1930年宮城県生まれ。駒澤大学文学部卒業。東京都立大学大学院博士課程修了(宗教人類学)。駒澤大学教授などを経て、駒澤大学名誉教授。文学博士。シャーマニズム研究の第一人者で仏教理論や寺院の実態にもよく通じ、日本仏教文化の諸相に関する論考も数多い。(引用は以上)

◎少林寺で生まれ、宝鏡寺で育つ

佐々木さんは自らの出生と両親のことをつぎのように記しています。

「気仙沼市の禅寺(曹洞宗)で生まれた私は、父母が早逝したため、母方の祖父母の手で育てられた。」

このことは何度か記されているのですが、〈2歳のときに父を、3歳のときに母を失った〉という記述がありました。両親ともに肺結核をわずらっていたとのことです。

お父様は気仙沼市三日町の指月山少林寺(少林寺)の住職。そして母方の祖父は金仙山寶鏡寺(宝鏡寺)の住職でした。つまり、佐々木さんは少林寺で生まれ、宝鏡寺で育ったのです。いずれも曹洞宗寺院。

著書に少林寺の石塔の写真が掲載されており、つぎの説明文がありました。

「石塔には、19世悟山秀幸大和尚 37歳 昭和7年2月16日示寂(著者父)とあり、続いて高孝菴信月貞容大姉 26歳 俗名佐々木タカ 昭和8年4月23日亡(著者母)とある。」

三日町の通りから少林寺に向かう参道口の右角には、小山鼎浦(東助)の実家がありました。屋号のように「寺路(てらみち)」と呼ばれていました。そんなことですから、幼少の頃とはいえ、佐々木さんは郷土が生んだ哲人政治家小山鼎浦を親しく感じていると思います。

少林寺のご縁ということでいえば、私が通った陣山の第二保育所(通称「田谷の保育所」)は少林寺さんによる運営でした。保育室の壁面扉を開くと小さな仏像が置かれており、朝は〈ののさん、おはようございます〉と。「南無帰依仏 南無帰依法 南無帰依僧」と「三帰依文」(さんきえもん)も唱えていたような気もするのですが、ちょっとあやしい記憶です。卒園の記念写真を見てみると、仏像の上部にあたるところに「和合尊」と揮毫された書が掲げられていました。

佐々木さんが育った宝鏡寺は気仙沼のなかでも古く由緒のある曹洞宗のお寺、いわゆる古刹(こさつ)です。

『気仙沼文化史年表』(荒木英夫著)によれば、元中6年(1389年)虎渓良乳が気仙郡矢作弥陀ケ原に小庵を結び金仙山宝鏡寺と号する[典拠:月立風土記]とのこと。そして、天文6年(1537年)宝鏡寺が新城村河原崎(現在地)に移る[宝鏡寺参拝のしおり]と記しています。

当時の宝鏡寺には多くの人が働いており、みな佐々木さんを可愛がってくれたようです。父母を失ったことを知っているが故の配慮があったのかもと。寺が所有する田を借りて耕作する小作の人たちも多かったそうです。

◎小学校入学

1937(昭和12)年の春、佐々木さんは小学校に入学します。そして〈この年の7月7日に日中戦争の発端となった盧溝橋事件が勃発した〉と記しています。

小学校の校舎についてはつぎのように。

「私が学んだ木造2階建ての校舎は、真中に先生たちが出入りする白塗りのおしゃれな玄関があり、左右には生徒用の入口があった。廊下は放課後に高学年の生徒たちが雑巾掛けをするのでてかてかに光っていた。」

この小学校がどこなのか、学校名は記されていないのですが、気仙沼小学校ではなく新城小学校ではないかと思います。そう推測するのは、宝鏡寺と新城小学校との深い関係があるからです。『気仙沼文化史年表』にはつぎの記載がありました。

明治7年(1874)年3月15日
新城村宝鏡寺に新城月立小学校開校 上八瀬・下八瀬・落合に出張所を置き鍋島一郎が教師(校長)となる[新城小学校百年]

新城月立小学校は宝鏡寺で開校していたのです。境内内ということでしょう。

◎旧制気仙沼中学に入学

小学校を卒業後、佐々木さんは宮城県立気仙沼中学校に入学します。旧制気仙沼中学、現在の気仙沼高校です。〈1942〜3(昭和17〜8)年頃中学校に入学する子はとても少なかった〉ということです。そしてつぎのように語ります。

「齢80を過ぎると先がないせいか、自分に限って言うと、しきりに「過去のこと」が脳裏に浮かんでは消え去ることが少なくない。「過去のこと」と言っても、私の場合は物心が付いた昭和10年頃から20年頃のことがとりわけ懐かしく思い出される。小学校に入学したのが1937(昭和12)年で、1945(昭和20)には旧制中学校の3年生であった。言うまでもなく昭和20年は太平洋戦争敗戦の年である。この年に日本の運命が激変したことは周知のとおりである。」

旧制中学3年生の8月に太平洋戦争の終戦を迎えます。

「1945(昭和20)年8月15日に太平洋戦争は終結した。その日は暑い晴れた日であり、中学3年生の私は気仙沼市(当時は町)に移設されていた日本造船の工場でベニヤ板製の舟艇造りの作業をしていた。」

この造船所のことについてはつぎのようにも。

「8月15日の終戦の日は、69年経った今でもはっきり覚えている。その日旧制中学の3年生であった私は、気仙沼市の海岸にあった造船所にいた。横浜にあった造船所が空襲を避けて、気仙沼に工場を移設していたのである。そこで作られていたのはベニヤ板を貼りつけただけの10メートル足らずの船で、たしか特殊舟艇とか呼ばれていたように思う。船の舳先に500キロの爆薬を装填して、操縦者は舟艇を猛スピードで操縦し、敵艦のどてっ腹に体当たりするというものである。自爆テロまがいの行動だが、当時はしごく当たりまえのことと納得されていた。」

佐々木さんは、旧制気仙沼中学に入学したわけですが、新制の気仙沼高校を第1回生として卒業するということになりました。手元の気仙沼高校同窓会名簿には、第1回生(昭和24年3月10日卒)との記述がありました。

◎駒澤大学へ

気高卒業後、佐々木さんは大学に進みます。

「仏教(曹洞宗)系大学の学部で宗教文学を、その後宗門の研究機関で仏教を学ぶ。」

大学は駒澤大学です。吉川弘文館の著者情報によれば1955年に卒業。その後の「宗門の研究機関」について本書中に情報はありません。曹洞宗関連の研究機関でしょう。佐々木さんの多くの著書を刊行している春秋社の著者紹介に「曹洞宗総合研究センター客員研究員」とありましたので、ここのことかもしれません。

◎東京都立大学博士課程に

佐々木さんは大学院に進みます。「大学院では文化人類学(社会人類学)の一分野である宗教人類学を専攻することになった」と。東京都立大学(現 首都大学東京)大学院の博士課程終了は上記情報によれば1966年です。

その後、「不肖私は小学校の先生を2年間、大学の先生を40年間務めた」とのこと。駒澤大学卒業後は小学校の教職についたのかもしれません。その後に大学院に進んだのではないかと。

40年間つとめた大学とは、母校でもある駒澤大学。教授などを経て現在は名誉教授です。

以上が佐々木宏幹さんの主に気仙沼との関わりをまとめた経歴です。ちょっと長くなってしまいました。すみません。

◎佐々木先生の「ふるさと」

私は、『仏教人類学の諸相』の随所に佐々木さんの気仙沼に対する望郷の念を感じます。たとえば、「手長山」(てながさん)について、つぎのように記しています。

私が出た高校の校歌はこうであった。
「遠くは雲居の室根山 高さを学べと聳えたり 近くは蒼波の鼎浦 清さを習えと 湛えたり」。室根山は海抜895メートルで、ふるさとのどこからでも見えた。私が学んだ小学校からは手長山(540メートル)が仰がれた。遠足の多くはこの山であり、「ふるさと」の象徴と言ってもいい存在であった。(引用は以上)

この記述にある校歌の歌詞については、佐々木さんの教え子のひとりで本書の編集をお手伝いされていた高見寛孝さんから問い合わせをいただきました。つぎのブログでそのことを紹介しています。

5月18日ブログ「旧制気仙沼中校歌」

佐々木さんは手長山について、つぎのようにも。

「ふるさと」と言えば想いだすのが手長山である。この山の裏手に「二十一(にじゅういち)」という地域があり、歌人熊谷武雄(くまがいたけお)の故郷である。武雄は1907(明治40)年に歌人前田夕暮(ゆうぐれ)の白日社同人となり、1915(大正4)年短歌『野火』を出版、日本歌壇にとって大きな存在となった方である。氏の歌に「手長野に樹々(木々)あれどもたらちねの 柞(ははそ)のかげは拠るにしたしき」がある。氏は考古資料を収集保存するなどして「ふるさと」文化に貢献した。(引用は以上)

熊谷武雄の考古資料収集については、11月16日ブログにも記しました。

この後に佐々木さんは、五木ひろしさんの「ふるさと」歌詞の一部を引用しています。

そしてつぎのように結びます。

「平成時代」も30年で閉じた。新しい時代の「ふるさと」はどうなるのであろうか。老い先短い私には、「無常」の風が日増しに強くなってきている。

◎島薗進先生の序文

気仙沼関連の話ばかりで、宗教人類学やシャーマニズムに関することを紹介できませんでした。その代わりといってはなんですが最後に、東京大学名誉教授島薗進(しまぞのすすむ)先生の序文「『生きられる仏教』を身近に」の一部を引用させていただきます。

 佐々木先生は同僚や後学の者に導きとなる光を照らしただけではなく、「救い」をもたらす存在のように慕われていた。その一端は、仏教人類学者佐々木の向こう側に信仰者佐々木が居たところにあるのではないか。かねてよりそのような思いをもっていたが、今回、本書の稿を拝読してその思いを強くした。その信仰者は曹洞宗寺院から出て、シャーマンたちに学びながら、学者でもある「いま良寛さま」のような存在となった。
 本書には、佐々木宏幹先生の生涯の歩みに根差した懐かしい思い出と、それにまつわる知恵の数々が描かれている。そしてまた、仏教人類学と宗教学の核心的な問題が心にしみ入るように書き込まれてもいる。佐々木先生の学問的な著作に慣れた読者であれば、そうした著作の背後にある佐々木先生の人間性と宗教性に心打たれるだろう。多くの方々に熟読玩味していただきたい書物である。(引用は以上)


ほかにもいろいろと書きたいことがあるのです。たとえば44年前、私が27歳のときに旅したインド・ニューデリーで、それまでには知らなかった(本書でも随所に引用されている)「ダンマパダ」(法句経)を英文のペリカンブックスで読んだ、というか入手したこと。そしてブッダガヤの印度山日本寺に宿泊したとき、本堂脇の書架にあった曹洞宗大本山永平寺の機関誌「傘松」の中に、「得度まで」と題する私の父の寄稿文を見つけたときのおどろきについてなど。

そんなこんなはまたあらためて。今週はこれにて。よい週末をお迎えください。合掌
 

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縄文時代の気仙沼

リアス・アーク美術館のエントランスホールで11月15日から19日まで、気仙沼市の縄文時代展が開催されているそうです。同館の山内館長の投稿を紹介します。


投稿画像をみると、波怒棄館(はぬきだて)遺跡、台の下(だいのした)貝塚の2か所の遺跡に関する展示です。いずれも唐桑町内の遺跡。

「気仙沼市史」では、縄文時代のことをどのように記載しているのか。「『気仙沼市史』補遺編 考古・古文書等資料」(1998年3月刊)を見てみました。残念ながら、第2巻「先史編」は持っていないのです。

いろいろと出土品が紹介されていましたが、私がおどろいたのは熊谷武雄に関する記述があったこと。引用します。

・熊谷武雄コレクション

  田園歌人として知られる新月・廿一(にいつき・にじゅういち)の熊谷武雄は、一方気仙沼の考古学の先駆的存在であり、新月村及び隣の岩手県室根村周辺から多くの土器や石器を採集している。
 その成果は、自ら『詩歌』(昭和11年1月号)に「新月村を中心としての石器時代」として発表している。そのなかには、石神(折壁村・新月駅西側)、澄川(折壁村・新月駅東側)、金成沢、田柄、平立(館)などの遺跡と出土品の内容が記載してある。
 昭和初期を中心に採集された縄文時代や平安時代の遺物が、現在も生家(熊谷博之)に保存されている。
 そのうち、代表的な縄文時代の土器、土製品、石器、それに平安時代の土器を紹介する。(引用は以上。掲載写真は省略)

山内館長の投稿をきっかけに、熊谷武雄と考古学との関係を知ることができました。ありがとうございます。

なお、市史によれば1995年/平成7年には、リアス・アーク美術館で「縄文の美ー田柄貝塚」が開催されたとのことです。この田柄貝塚は新城田柄地区の貝塚です。

今回の展示で、縄文時代の気仙沼に思いをはせるのも一興かと。どうぞよろしく。

11月7日ブログ「萬有流転 熊谷武雄」

 

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tag : リアス・アーク美術館

14th元気にする会

第14回「気仙沼を元気にする会」がオンラインで11月26日におこなわれます。


画像クリックで同会サイトにジャンプ


第14回気仙沼を元気にする会
日 時:11月26日(日)AM10:00〜11:15
会 場:Zoom(オンライン)
参加費:無料
ゲストスピーカー:
一般社団法人まるオフィス千葉可奈子氏
〈君は気仙沼「まるオフィス」を知っているか?〉

facebook、YouTubeでもライブ配信予定とのことです。

同会サイトから実行委員長の熊田利英子さんの挨拶文を一部引用します。

おかげさまで当会も2011年から13回開催し、そろそろ対面でとのお声を頂戴しております。また気仙沼の復興は道半ばとはいえ、ハード面での事業はほぼ終わったといえましょう。そんな中、当会の趣旨を「復興」から「挑戦」に軸足を移し、引き続き気仙沼の皆様との関係を深めていきたいと考えています。そこで年1回の対面と3回程度のオンラインでの開催を予定しています。(引用は以上)

オンライン開催は2020年6月の12回目からですね。新型コロナ対応だったと思います。2021年は開催なし、2022年もオンラインで10月8日開催でした。

今回は「まるオフィス」さんが紹介されるようです。一般社団法人まるオフィスの代表理事である加藤拓馬さんがこの元気にする会にゲストとして招かれたのは、2014年6月の第6回のことです。この回は2013年10月に開催される予定だったのですが、台風27号の接近による影響を考慮して中止に。そして翌年2014年6月にあらためて開催されたのです。そんなこともあったなあと思い出す方もいるでしょう。

第6回時の加藤拓馬さんは、町づくりサークル「からくわ丸」事務局長としてでしたね。懇親会で加藤さんと、ハンセン病の元患者で、同病回復者の社会復帰に尽力した唐桑町鮪立生まれの鈴木重雄さんについて話したことを覚えています。

あれからもう9年。まるオフィスのメンバーがその活動について詳しく話してくれることでしょう。

なお、ほぼ日刊イトイ新聞(ほぼ日)さんの「続 気仙沼に暮らす、若者たち。」の3人目/通算第6部は加藤拓馬さんです。昨日11月14日が1回目、本日は第2回目が掲載されています。こちらもご覧ください。

ほぼ日「続 気仙沼に暮らす、若者たち。」
第6部 加藤拓馬さん


◎第1回目は2011年10月22日

「気仙沼を元気にする会」の第1回目は2011年10月22日に「銀座ライオン」恵比寿ガーデンプレイス店でおこなわれました。当初の定員250名を超える300名以上が参加しました。つぎのブログで、同級生らの写真とともに紹介しております。

2011年10月24日ブログ「22日恵比寿報告」

12年前、〈気仙沼復興〉という言葉がまだ熱をおびていたときでしたね。思い出話にしてはいけないのでしょうが、ちょっとなつかしい。私はまだ59歳でした。

第14回気仙沼を元気にする会、どうぞご参加ください。
 

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友好アンバサダー

11月6日、インドネシア共和国大使館から気仙沼市の菅原市長に、「インドネシア―日本 友好アンバサダー賞」が贈られました。翌日7日に菅原市長はつぎのように投稿していました。2枚目と3枚目の写真がそのセレモニーの様子です。



この受賞については、11月11日の三陸新報も伝えてくれました。三陸新報オンラインでもこの記事が配信されています。

インドネシア

三陸新報11月11日記事の一部イメージ


記事によればこの賞は、日本との国交65周年を記念してインドネシア大使館とインドネシア銀行が共催した「インドネシアナイト」の席上で贈られたそうです。気仙沼市長のほか、インドネシアとの友好関係構築に貢献した15個人・団体が受賞したそうです。

菅原市長は「市民を中心に行われていた友好的な交流活動が評価されたもの。市民の代表として受賞したと考えており、今後も、市民と共に友好交流を継続、拡大させたい」とコメントしています。

なお、「アンバサダー」は大使とか使節のこと。たとえば「みなと気仙沼大使」は、「みなと気仙沼アンバサダー」という感じでしょうかね。

◎2003年の「バリパレード」から

気仙沼とインドネシアは、2003年の気仙沼みなとまつりでの「バリパレード」をきっかけに交流が始まったと記事にありました。

2021年9月には市民有志による一般社団法人「気仙沼インドネシア友好協会」が設立されました。つぎのブログでも紹介しました。

2021年10月18日ブログ「インドネシアと交流」

市長のコメントにもありましたが、このたびの「インドネシア―日本 友好アンバサダー賞」は、こうした市民や関係者有志の皆さまと行政との努力に対して贈られたものでしょう。

関係者の皆さまにお祝いと御礼を申し上げます。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
 

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皆鶴姫伝説の巻物

11月1日の三陸新報に、気仙沼の「皆鶴姫(みなづるひめ)伝説」に関する話が紹介されていました。市内本郷の印刷会社、愛隣オフセット印刷社さんが、「皆鶴姫伝説」の巻物を制作するとともに、1977年に制作された同伝説の絵本を増刷したとのことです。


皆鶴姫
三陸新報11月1日記事の一部イメージ


この企画と制作は、愛隣オフセット印刷社の前社長である阿部勝衛さんによるもの。阿部さんは1977年の絵本をつくった気仙沼民俗資料館建設運動促進委員会(小野寺次徳会長)の一員でもあったそうです。

なお、この記事は三陸新報オンラインでも配信されています。巻物のイメージがカラーで確認できます。

三陸新報オンライン記事


◎気仙沼「皆鶴姫伝説」

1977年に発刊された絵本「皆鶴姫」の絵は画家の相澤一夫さんが、文と編集は宮本人生(故人・本名は藤田賢治)さんが担当しました。2006年に復刊されたことがあります。

気仙沼の「皆鶴姫伝説」や絵本については、何度かこのブログで紹介してきました。皆鶴姫伝説のクライマックスは、源義経が恋人である皆鶴姫が流れ着いた夢を見て気仙沼に駆けつけるというところ。つまり「皆鶴姫伝説」は「義経伝説」の一部でもあるのです。

詳しくはつぎのブログをご覧いただければと。

6月27日ブログ 絵本「皆鶴姫」原画

私が敬服するのは、阿部勝衛さんをはじめ、気仙沼の「皆鶴姫伝説」を次世代に伝えていこうと活動している皆さんの熱意です。いろいろとありがとうございます。

この「皆鶴姫伝説」巻物は和紙を使って長さ2.6m。10巻分あり1巻8800円で予約を受け付けるとのこと。10巻分というのは、10巻限定ということでしょうか。11月1日時点では、同社の「おちゃっこCafeあいりん」で展示中とのことでした。問い合わせは、愛隣オフセット印刷社(電話0226-22-0796)まで。どうぞよろしく。

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太田地区「風土記」

10月27日のブログで、三陸新報10月7日論説「太田地区の再生に思うこと」を紹介しました。そこには、気仙沼の太田飲食街の歴史が記されていました。

10月27日ブログ 「太田」地区の歴史

本日紹介するのも太田の〈かつてのにぎわい〉についてです。

NHK-BSプレミアム「新日本風土記」の2022年6月10日放送回は「気仙沼」でした。本年3月11日に再放送もありました。

この放送のなかで、太田飲食街もとりあげられています。録画が残っていたので、その放送内容を紹介しましょう。

◎始まりは「港町ブルース」

太田紹介は「港町ブルース」をバックに、つぎのナレーション(NA)で始まりました。「三陸沖の豊かな魚を追って、気仙沼には日本各地から漁師がやってきました。海の男と港の女のせつない恋を歌ったヒット曲があります」

(流す涙で割る酒は〜だました男の味がする〜)
(テロップ:港町ブルース 1969年)

(NA)「夜になるといつも街の一角でこの歌が響いていました。港から坂をのぼった太田飲食街。当時は三陸きってのにぎわいでした」




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このナレーションの後に絶妙のタイミングで港町ブルースのきめどころ「けせん〜ぬま〜」が入ります。そして場面は変わって、太田の坂。

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坂をのぼるのは、サンマ船(第81豊清丸)船頭の中舘捷夫(なかだて・かつお)さんと、元新聞記者(三陸新報)の三浦博光さんです。

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(中舘さん)「ここへ来てね。みんなしてね、一緒に仲間同士で飲んだり食ったりしてね、夜をあかしたもんだよな」

坂の先にあるのは「王将マーケット」です。

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ナレーションは、昭和40年代の太田飲食街の盛況をつぎのように。

(NA)「昭和40年代には、80をこえる店が軒をつらね、なかには一晩の売上が1千万円をこえるキャバレーもあったとか」

(中舘さん)「今日があって、明日がないという感覚がとにかく自然に身についているもんだから、陸(おか)に来たら、もう、また助かってきたな、命あるなと思って飲み食いして、また出てってね、がんばって。そのくりかえしだった」

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(NA)「しかしその後、気仙沼にも水産資源の減少や後継者不足の波が襲います。
太田でも4年前、最後の1軒が閉店しました」

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太田紹介は、かつての伝説の店の話に移ります。村上ハツミさんのお店「アミーゴ」です。

(NA)「遠ざかるにぎわいの記憶。かつてこの路地にあった伝説の店の物語」

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(NA)その名は「アミーゴ」。友達。

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アミーゴの手前、右側のコインランドリーは「亀の湯」さんだと思います。アミーゴの奥には「ゴールド」のネオンも。

ここからはアミーゴのママ、村上ハツミさんやご主人秋夫さんの話が始まりますが、略します。

◎太田「飲食旅館街」ゲート

私がなつかしく思ったのは、冒頭に紹介した太田「飲食旅館街」のゲートサインです。左右に、ふとんなどを扱っていた小田繊維さんの広告表示もありますね。小田さんの雅秋さんはひとつ上、その弟の善紀さんはひとつ下。私と同姓ですが親戚ではありません。右上には「倉元」さんの名も。多くのお店に酒類を届けていたことでしょう。

ゲート

中学や高校のころ、夕方にはこの太田のゲートを左に見ながら帰宅していました。右の角は山友薬局、左の角は食料品店の宝屋さんだったかな。そのまた左は加幸さん。中井殖君(3年8組)のお母さんの実家です。

太田入口近くにあった銭湯「亀の湯」さんは、2017年5月1日の読売新聞夕刊によれば1886年(明治19年)開業とのこと。その記事には、〈水揚げを終えた漁師たちが盛り場に行く前に汗を流していった〉とも。しかし、2017年5月6日の営業を最後に廃業しました。131年の歴史に幕を閉じたのです。

2017年5月4日ブログ「亀の湯 5/6に廃業」


私が太田で飲み歩いていたわけではないのですが、なんかいろんなことを思い出します。気仙沼の漁業を中心に景気がよい時代の記憶がよみがえるせいでしょうか。

太田地区飲食街の盛衰。いま私の脳内にながれている歌は、「港町ブルース」です。

今週はこれにて。
 

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今泉直喜さん受章

11月3日の三陸新報に、気仙沼・本吉地区の秋の叙勲受章者5名が紹介されていました。そのなかに今泉直喜さんの名がありました。気仙沼小・中・高校で2学年下だったのでよく知っています。


直喜さん

三陸新報11月3日記事より


直喜さんは、調停委員功労で瑞宝双光章を受章しました。記事の冒頭に〈自営業の傍ら(かたわら)〉とあるのは、気仙沼建築設計事務所のことですね。

私は記事中の〈弁護士をしていた叔父がいたのも(調停委員を)引き受ける大きなきっかけ〉というところが印象に残りました。この叔父さんは田中仙吉さんです。東京・四谷に弁護士事務所をかまえ、気仙沼高校関東同窓会の会長をつとめたこともありました。

仙吉さんは、気仙沼図書館の館長だった菅野青顔さんの実子/長男。田中康一氏(千葉大名誉教授・ドイツ文学専攻)の養子となり田中姓に。直喜さんのお母さま節子さんは青顔さんの長女でした。

三陸新報の受章記事を見て、直喜さんにLINEでお祝いを。すぐに返信がありました。仙吉叔父さんが直喜さんの調停委員就任を大変よろこび、自分が監修した法律関係の参考書籍を何冊か送ってきたことなどが返信に記されていました。

ただ、その年1998年に仙吉さんは65歳で亡くなりました。直喜さんは〈母が悲しんでいたこともあり、慰めにもなるかもと思い、調停委員を続けてきました〉と。


田中仙吉さんの命日は1998年11月11日です。もうすぐ25年。つぎのブログでも記しております。

2021年1月12日ブログ「田中仙吉さんの話」

なお、三陸新報の記事の末尾に、「本人の希望により写真は掲載しませんと」ありました。直喜さんによれば、調停委員の任期中なので遠慮したとのこと。

今泉直喜さん、瑞宝双光章受章、おめでとうございます。こうして25年にわたって調停委員をつとめていることを仙吉さんもお母様も喜んでいることでしょう。
 

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tag : 今泉直喜田中仙吉

BTB丹治和也さん

昨年2022年11月に、ほぼ日刊イトイ新聞(ほぼ日)さんで連載された「気仙沼に暮らす、若者たち。」をおぼえている方も多いことでしょう。ほぼ日の羽佐田(ハサダ)さんが、気仙沼に移住した若者に話を聞くシリーズ。山﨑風雅さん、伊藤誠さん、玉川千春さんの3人/3部構成でした。

その2023年版が「続 気仙沼に暮らす、若者たち。」として11月1日に始まりました。1人目/(通算)第4部は鈴木麻莉夏さんでした。そして2人目/第5部が昨日11月7日から。はクラフトビール「BLACK TIDE BREWING」(ブラックタイドブリューイング/BTB)の丹治和也(たんじ・かずや)さんです。


丹治さんは東日本大震災のときに大学院生/修士1年。2011の夏には釜石、大船渡、陸前高田、気仙沼と南下しながらボランティア活動をおこなったそうです。

気仙沼に移住したのは2019年9月。BTBがビールの醸造を開始したのが2020年春のことです。詳しい話は連載を読んでいただくことにいたしましょう。2019年当時のビール醸造所計画についてはつぎのブログで紹介しました。

2019年3月5日ブログ「気仙沼内湾醸造所」

◎丹治さんの出身地

私は丹治さんの出身地に関心をもっていました。BTBを紹介する多くの記事では新潟県出身と紹介されていたのですが、ずいぶん前に一度だけ「新潟県新発田市出身」と書かれたものを目にしたことがあるのです。おお、新発田かと。そして今回のほぼ日さんの記事にも、しっかりと新発田出身であることが記されていました。

新発田は父の故郷です。父が2008年に亡くなるまでは菩提寺も墓も新発田にあったのです。幼いころ、お盆などで近所のみんながお墓参りにいくのに、なんで自分ちにはお墓がないのかと不思議に思っていました。

本籍地も同じく。新発田城跡の北なので城北町。不便なので移そうとしても、父の新発田へのこだわりが強く、それを許さず。父が亡くなってから、母と兄と相談して墓は仙台に移しました。私は本籍地を東京に。

そんなことで新発田との縁はうすくなったものの、丹治さんの出身が同地として知ってなんかうれしい思いがしたのです。丹治さんの出身高校はどこでしょうかね。父は旧制新発田中学(現 新発田高校)でした。

ちょっと話が細かくなってきたのでこの辺にしておきましょう。いまでいう「移住組」のひとりだった父の話はまたの機会に。

◎ほぼ日の気仙沼の日

前回も今回も「気仙沼に暮らす、若者たち」は、11月1日「ほぼ日の気仙沼の日」に掲載が開始されています。

11月1日がなぜ「ほぼ日の気仙沼の日」なのか。まあ、説明不要とは思うものの念のために記しておくと、「気仙沼のほぼ日」ができた日が2012年11月1日。そして、その〈お開き〉の日が2019年11月1日だったのです。4年前のお開きについては次のブログにて。

2019年11月1日ブログ 今日は「出船送り」

「ほぼ日」さん、いつもいつも、ありがとうございます。「気仙沼のほぼ日」開設から11年。あらためて、その〈有り難さ〉を感じております。
 

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萬有流転 熊谷武雄

10月31日の三陸新報1面コラム「萬有流転」に「田園歌人」とも称された熊谷武雄のことが記されていました。熊谷武雄は明治16年11月2日に手長山の麓、旧新月(にいつき)村に生まれ、今年で生誕140年になるとのこと。


萬有流転

三陸新報10月31日記事の一部イメージ


記事の冒頭を引用します。

〈 自然豊かな手長山(てながやま)(気仙沼市久保)の麓で、生を受けた田園歌人が今年、生誕140年の節目を迎えた▼前田夕暮、北原白秋はじめ、数多くの著名歌人と交流し、中央歌壇でもその実力が高く評価された、熊谷武雄のことである▼大政奉還から16年後の1883(明治16)年11月2日生まれ。20歳半ばで旧派の和歌から、新派の短歌に転換し、夕暮が主宰する「白日社」の同人として作品を発表した 〉(引用は以上)

熊谷武雄は、1936年8月21日に52歳で没したとのことです。当時の平均寿命などはわかりませんが、52歳と聞くと若くしてなくなったのだなあと感じます。(萬有流転の文中に〈帰依した8月21日は「熊谷武雄忌」であり〉とありました。「帰依(きえ)」に「死去」という意味があるのでしょうか)

筆者が〈特に武雄の魅力を感じている〉というのがつぎの歌。

手長野に 木々はあれど たらちねの 柞の影は 拠るにしたしき

柞は「ははそ」、拠るは「よる」と読みます。筆者は、この歌について、〈手長山には木々が群生し、柞(コナラやクヌギなどの落葉樹)のそばに行くと、まるで母と一緒にいるよう〉と記しています。「たらちね」は母の枕言葉。

(11/16追記:上記の歌中、「木々はあれど」について、ネット上では「木々はあれども」、「柞の影」は「柞のかげ」とする紹介例が多いようです。1次資料がないので確認できませんが、ここでは注意事項として記しておきます。標準的な表記例として、畠山重篤さんの著書における引用を以下に。
手長野に木々はあれどもたらちねの柞のかげは拠るにしたしき )

以前に熊谷武雄のことを書いたことがあります。2014年のつぎのブログです。

2014年12月12日ブログ「田園歌人熊谷武雄」

このなかで次のように記しています。

熊谷武雄は、気仙沼市久保(旧 新月村)の手長山の麓に生まれた歌人です。市の広報誌によれば、手長山の麓には廿一(二十一/にじゅういち)川が流れ、廿一の集落を形成していました。明治の中頃まで近郷きってのにぎわいを見せていたとのこと。

熊谷武雄は生涯をこの地で過ごしながら、前田夕暮(ゆうぐれ)が主宰する「白日社」同人となり、その歌誌「詩歌」に作品を発表します。そして大正4年に第一歌集『野火』を発行し、田園歌人として全国にその名を知られるようになりました。大正10年には、推されて新月村の村会議員にもなりました。昭和11年に52歳で亡くなっています。そして、武雄の孫 熊谷龍子さんは、前田夕暮の長男で「詩歌」を引き継いだ歌人 前田透に師事しています。(自ブログ引用は以上)

熊谷龍子さんの歌「森は海を海は森を恋いながら悠久よりの愛紡ぎゆく」という歌から、「森は海の恋人」という言葉が生まれたことも紹介しております。

「萬有流転」はつぎのように結んでいます。「古里の素晴らしさを改めて教えてくれる武雄の歌が、永遠に受け継がれていくことを願う。」

同感。その意味からも、地元紙で折に触れ「熊谷武雄」の名が記されることも意義のあることでしょう。ありがとうございました。

なお、「手長野に 木々はあれど」の歌碑が気仙沼の宝鏡寺の境内にあるとのことです。宝鏡寺。そうです。11月3日のブログで紹介した佐々木宏幹さんが育った曹洞宗の古刹です。

宝鏡寺は、熊谷武雄/熊谷家の菩提寺だったと思います。

こうしてつながるのもなにかの縁。仏縁というべきかもしれませんね。
 

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涼美枝さんの受賞

宮城県の「文化の日表彰」の受賞者が発表されました。11月4日の三陸新報に受賞者が紹介されていたのですが、そのなかに気中同級生が。熊谷(林)涼美枝さん(3年9組)です。


文化の日表彰

三陸新報11月4日記事の一部イメージ


宮城県「文化の日表彰」は、地方自治、産業、教育、民生、その他県下の各分野において、多年にわたり県勢の進展、県民福祉の増進,芸術文化の向上等に寄与された方(団体)で,功績顕著及び他の模範となる方(団体)に対して年1回おこなわれるもの。

涼美枝さんは25年にわたって民生・児童委員をつとめており、「民生安定功労」での受賞です。表彰式は11月1日に仙台市の東京エレクトロンホールでおこなわれたそうです。

記事には「1988年に民生・児童委員に着任して以来、25年にわたって地域住民の身近な相談役、地域福祉活動の担い手として役割を果たしている」とありました。涼美枝さんは「人とのつながりができることを楽しんで活動してきただけで、思ってもみないこと。驚いている」と語っています。

中学のころは滝の入に住んでいましたが、いまは松崎面瀬(まつざきおもせ)とのこと。今ではすっかり地域になじんで面瀬の人となっているのでしょう。

民生・児童委員は、厚生労働大臣から委嘱された非常勤の地方公務員ですが、無報酬でボランティアとしての活動なのだそうです。

涼美枝さん、長年の民生委員・児童委員のお仕事、本当にご苦労さまです。いろいろと大変なことも多いことでしょう。ありがとうございます。

心からの御礼とお祝いを申し上げたく。このたびの「文化の日表彰」受賞、おめでとうございます。


なお、2020年には同表彰で、臼井真人(まこと)君(3年2組)が地方自治功労で受賞しています。つぎのブログで紹介しました。

2020年11月5日ブログ 県の「文化の日表彰」

 

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仏教人類学の諸相

10月28日の三陸新報に、荒木英夫さんの投稿「佐々木宏幹『仏教人類学の諸相』」が掲載されていました。荒木さんは元気仙沼市図書館長です。「気仙沼文化史年表」の著者でもあります。


投稿

三陸新報10月28日掲載記事の一部イメージ


『仏教人類学の諸相』の著者である佐々木宏幹さんは気仙沼出身です。投稿にも略歴が記されていましたが、同書末尾に記載された著者紹介を引用しておきます。

佐々木宏幹(ささき・こうかん)
1930年宮城県生まれ。駒澤大学文学部卒業。東京都立大学大学院博士課程修了(宗教人類学)。駒澤大学教授などを経て、駒澤大学名誉教授。文学博士。シャーマニズム研究の第一人者で仏教理論や寺院の実態にもよく通じ、日本仏教文化の諸相に関する論考も数多い。(引用は以上)

佐々木さんは、2001年から2012年まで「みなと気仙沼大使」を委嘱されていました。2012年以降は高齢を理由に辞退されたと投稿文にありました。

『仏教人類学の諸相』は、佐々木宏幹さんが「仏教企画通信」(仏教企画刊)に連載した37篇の文章から構成されていますが、冒頭には、「仏教人類学とは」という文章が加えられています。これは、「説かれる仏教と生きられる仏教のあいだ—仏教人類学的アプローチ—」というタイトルで2010年に発表されたもの。荒木さんの投稿文では、この文章の要旨が簡潔にまとめられています。

荒木さんは37篇の文章について、〈著者の生涯に根ざした思い出や時代の変化、現代社会に対する宗教観を土台とした〉との印象を記しています。また、〈特に気仙沼に関わる正月、やんどやーはい、カワガンジョウなど宗教、民俗行事、高校時代のことなど多く出てきて、身近なものを感ずる〉とも。

◎本書とのご縁

上述の著者略歴のところで、同書末尾の著者紹介を引用と書きましたが、私の手元にこの『仏教人類学の諸相』があるのです。

以前に本書の刊行準備をお手伝いしている関係者/高見先生の教え子にあたる方から、この気中20ブログの記事に関する問い合わせメールをいただきました。旧制気仙沼中学と新制気仙沼高校の校歌歌詞についてでした。

私が知る範囲での情報をお伝えするとともに、つぎのブログでも旧制気仙沼中学校(現気仙沼高校)の歌詞を紹介しました。

5月18日ブログ「旧制気仙沼中校歌」

以上のようなことがあったために、『仏教人類学の諸相』刊行直後に、同書をご恵贈いただいたのです。

このブログでも同書のことを書こうと思いながら、興味深いことが数多く記されていることなどもあって紹介が遅れておりました。そんななかで荒木さんの投稿を目にすることになりました。

なお、佐々木宏幹さんは旧制気仙沼中学に入学しましたが、在学中に学制が変わり同校は新制の気仙沼高校になりました。そのために卒業は昭和24年3月10日、気仙沼高校第1回生として。荒木英夫さんは、気高4回生ですから佐々木さんの3学年後輩となります。私は気高22回生なので、お二人とも大先輩です。

佐々木宏幹さんは、気仙沼市三日町の少林寺で生まれました。しかし、ご両親が早逝したために、母方の祖父母の手で育てられたといいます。お祖父さまは、気仙沼市川原崎の寶鏡寺(宝鏡寺)のご住職でした。

といったようなことを書き出すとまた長くなります。本日はここまでとし、回をあらためて佐々木宏幹さんと気仙沼との関わりなどを紹介しようと思います。

荒木さん、三陸新報への投稿、ありがとうございました。

なお、『仏教人類学の諸相』は気仙沼市に寄贈されたと投稿にありました。問い合わせは、気仙沼市震災復興・企画課までとのこと。

曹洞禅グラフ」サイトの新刊本紹介の画像に入手方法などが記されていました。ご参考まで。

『仏教人類学の諸相』
2023年9月刊行
本体2300円+税(送料別途)
仏教企画(電話042-703-8642 Eメール fujiki@water.ocn.ne.jp )
 

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故郷気仙沼ツアー

気仙沼高校仙台同窓会が企画した故郷気仙沼ツアーが10月28日に催されました。10月29日の三陸新報がつぎのように伝えてくれました。


故郷ツアー

三陸新報10月29日記事の一部イメージ


記事によれば、このツアーには西村会長をはじめ、90代の同窓生2人を含む15人が参加したとのことです。

この気仙沼ツアーについては、9月17日におこなわれた仙台同窓会の様子を伝える菅原市長の投稿でも紹介されていました。つぎのブログで紹介しております。

9月19日ブログ「気高の仙台同窓会」

9月のブログにも記しましたが、仙台同窓会の会長をつとめる西村明男君は気仙沼高校の理科系クラス3年6組の同級生でした。

こうしたイベントの企画と実施はいろいろと大変ですよね。明男君、ご苦労さまでした。

なお、市長投稿にあったツアー参加者募集案内に、問い合わせ・申込先として仙台同窓会幹事長として我妻さんのお名前がありました。気高26回生のようです。我妻さん、お世話ありがとうございました。
 

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階上小学校の前身

気仙沼市立階上(はしかみ)小学校が創立150年を迎え、10月28日記念式典が開催されました。

10月27日の三陸新報では、つぎのように紹介しています。


階上小学校

三陸新報10月27日記事の一部イメージ


リードではつぎのように。

気仙沼市立階上小学校が創立150周年を迎えた。1873(明治6)年に設置された波路上(はじかみ)、長磯、岩月の3小学校が前身で、3校を合併して現在地に移ったのは1984(明治17)年。(引用は以上)


掲載されていた「150年のあゆみ」から主要事項を抜粋して紹介します。

1873年8月
第7大学区22中学区に属し、波路上・長磯・岩月の3カ所に小学校を設置(下記に訂正あり)
1884年3校を合併し、現在地に小学校を設置
1886年11月
階上尋常小学校と改称
1901年7月
高等科を設置、階上尋常高等小学校と改称
1924年8月
校舎を移転し、校庭を拡張
1941年4月
学制改革により、階上国民学校と改称
1955年4月
気仙沼市に合併、気仙沼市立階上小学校と改称


こうした紹介をなんの違和感もなく読んでいたのですが、翌日10月28日の三陸新報には、つぎの訂正記事が掲載されていました。


訂正

三陸新報10月28日記事より


1873(明治6)年に設置されたのは3小学校ではなく、波路上、長磯、最知(さいち)、岩月の4小学校だったというのです。
 
10月29日の同紙記事では以上の訂正を受けて、「階上小は、1873(明治6)年に設置され波路上、長磯、最知、岩月の4校が前身。1955(昭和30)年気仙沼に合併し、気仙沼市立階上小に改称した」と記しています。それまでは階上村立でした。

以前この気中20ブログで気仙沼の各市立小学校の創立について紹介したなと思い確認。階上地区については、『気仙沼市史』と『気仙沼文化史年表』の2種類の情報を紹介していました。

3月30日ブログ「明治期の小学校」

まず、『気仙沼市史』第6巻 教育・文化編(p34)では、明治9年刊行の『文部省第四年報』によるものとして、階上村の小学校は明治6年創立の岩月、長磯、波路上の3校が表として記されています。

しかし、今回あらためて市史の本文を確認してみると、「市内小学校の沿革誌から開校記事を紹介する」として、階上小学校についてつぎの記載がありました(p36)。

階上小学校
明治6年に第7学区第22中学区第14番岩月小学校、第15番最知小学校、第16番長磯小学校、第17番波路上小学校それぞれ開校。(引用は以上)

詳しく4校の校名が記されています。これが正しい情報に思えます。

◎気仙沼文化史年表

『気仙沼文化史年表』(荒木英夫著)では、『階上小百年』を典拠として、「明治6年8月5日 波路上・長磯・最知・岩月の4小学校開校」としています。市史での各校の沿革誌のひとつが、『階上小学校百年』だったのでしょう。

なお、階上小学校の公式サイトの見てみたのですが、沿革など同校の歴史に関する記載はありませんでした。ちょっと残念ですね。

◎階上小学校の校章

10月27日の三陸新報には、階上小学校の校章が紹介されていました。

校章

説明には「中央の丸は朝に昇る太陽(旭)を、丸から放射状の四つの太い線は、昔の大字(おおあざ)である波路上、長磯、最知、岩月を表し、放射線をつなぐひし形は、各地区の連帯を示す」とありました。

「階上4地区の連帯」ということからも、「最知」が抜けているよという指摘が三陸新報社に寄せられたことが想像されます。

それはそれとして、なぜ階上小学校の前身を3校としたのか、記述のベースとした資料、史料など、そのいきさつを知りたいと思います。

◎階上小学校の校歌

階上小学校の校歌は、作詞が気仙沼大島出身の水上不二(みずかみふじ)さん、作曲が磯部俶(いそべとし)さんです。これは、2019年4月に松岩小学校と統合した水梨小学校の校歌と同じです。つぎのブログでその話を紹介しました。お手すきのときにでも。

2019年8月9日ブログ「階上小学校の校歌」

階上小学校の前身ということとは別に、大きな地域名称としての「階上」(はしかみ)と、それを構成する4地区のひとつ「波路上」(はじかみ)の関係が理解できました。私にはこれが結構わかりにくかった。地元の人からするとまたいろいろとあることでしょうが、まずはとりあえずということで。

150年前1873(明治6)年の気仙沼地域は、「水沢県」に属していました。歴史史料が限られるなかで、当時の各地小学校に関する正確な歴史を語るのはなかなか難しいところがありますね。そんなことを思いつつ。気仙沼市立階上小学校150周年、おめでとうございます。
 

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阪急メンズの映像

大阪梅田の「阪急メンズ大阪」4階で、気仙沼をテーマにしたイベントが10月25日から開催されています。KESENNUMA PRIDE × Hankyu MENS OSAKA。

気仙沼プライド


このイベントのために制作、公開された映像を紹介します。「LOCAL PRIDE -KESENNUMA 気仙沼- 2023」と題された約12分間の映像です。




「阪急メンズ」公式サイト

公式サイトから紹介文を引用します。

〈阪急メンズ大阪のバイヤーが訪れた宮城県気仙沼。地域の自然環境や伝統文化を守り育む「スローシティ」に認定されたこの地に暮らしながら、モノづくりに情熱を注いでチャレンジをし続ける人々をご紹介。

現地の方々と直接触れ合い、目で見て、手で触れてバイヤー自身が感じた気仙沼をファッションで盛り上げます。〉(引用は以上)

そしてYouTubeでは、映像のあとにつぎの文章がありました。

〈リアスの海と緑豊かな山や川の恵みを享受し、命の源である自然を大切に守る。地域ならではの食文化と生活を育む取り組みを継続して続けています。

一方で、幾度となく津波に襲われながらも、気仙沼の人々は海とともに生きてきました。
新しいものを受け入れ、多様性を尊重すること。自然を敬い、ともに生きること。このまちの自然との向き合い方は、モノづくりに表れています。〉(引用は以上)


映像の冒頭、大船渡線で気仙沼に向かう阪急メンズバイヤー岸田さんがうつるシーンもいいですね。岸田さんは約1年ぶりの気仙沼再訪とのことです。

この映像で紹介されるのは、つぎの4名の方々です。

◎気仙沼ニッティング
御手洗瑞子(みたらい・たまこ)さん
◎シャークス
熊谷牧子さん
◎インディゴ気仙沼
藤村さやかさん
◎高前田乾隆窯
斎藤乾一(さいとう・けんいち)さん
◎MAST HANP
宍戸正利さん
◎BLACK TIDE BREWING
丹治和也さん

気中20/気仙沼中学20回生の同級生に関連する方がお二人。まずは、シャークス/熊谷牧子さんは3年5組渡辺まさ子さんの妹さん。そして、インディゴ気仙沼さんが活動拠点としている平野本店は、3年3組平野秀明君の実家です。あの懐かしい店舗建物に向かって右側にある住宅棟(主屋)で平野君は育ちました。つぎのブログでも紹介しております。

2018年11月21日ブログ文化財「平野本店」

◎KESENNUMA PRIDEとは

阪急メンズのオンラインサイトでのキャンペーン名は「KESENNUMA PRIDE × Hankyu MENS OSAKA」です。気仙沼の山や海を背景に「KESENNUMA PRIDE」のロゴが印象的に配された画像が使われていました。このブログ冒頭に紹介した画像です。

つまり、阪急メンズ大阪と「KESENNUMA PRIDE」のコラボレーションというイメージなのですが、「KESENNUMA PRIDE」とは何か。

「KESENNUMA PRIDE」のロゴは、2021年10月29日に公開されたWEBサイト「KESENNUMA PRIDE」で初めて使用されたと思います。公開当時は、〈おかえりモネの舞台・宮城県気仙沼市に住む人々の誇りを伝えるwebサイト〉だと。つぎのブログで紹介しております。

2021年11月5日ブログ 気仙沼の「PRIDE」

このブログで私は、「KESENNUMA PRIDE」の映像制作主体、情報出所が明確になされればさらによかったのにという印象を記しました。当時の気仙沼市記者発表資料によれば、「連続テレビ小説『おかえりモネ』気仙沼プロジェクト実行委員会」によるシティプロモーションということなのですが、「おかえりモネ」というドラマ名の扱いなどで難しいところがあるのかもしれませんね。

最後になりましたが阪急メンズさんに御礼を。「KESENNUMA PRIDE」のコンセプトに共鳴いただいたことを、気仙沼出身者としてとてもうれしく思っております。素敵な映像もありがとうございました。バイヤーの岸田さんにも感謝を。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
 

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CHOPPERの皆さま

8月20日に、気仙沼市波路上(はじかみ)のJFみやぎわかめ流通センター脇を会場として、WANTED BIKER TOURING in宮城が催されました。チャリティーツーリング&ライブ 東北ウォンテッドバイカーツーリング #12。

8月22日の三陸新報がつぎのように伝えていました。全国各地からハーレーダビッドソンなどの大型バイク約400台が集結。音楽ライブもおこなわれたと。


チョッパー

三陸新報8月22日記事の一部イメージ


ロックバンド「COOLS」の佐藤秀光さんを中心に、2012年から宮城、岩手、福島でおこなっているツーリングと音楽ライブをあわせたイベントとのこと。チケット収益の一部や会場での募金を開催自治体に寄付してきたそうです。気仙沼では2020年に予定したいたそうですが、新型コロナの関係で延期されていました。

「COOLS」というと、結成メンバーの舘ひろしさんの名がうかびますね。佐藤秀光さんはドラム。8月のライブにはシャネルズやラッツ&スターのメンバーだった田代まさしさんも出演していたそうです。その活躍がなによりです。

そして10月27日には、菅原市長がつぎの投稿を。


主催団体であるCHOPPER東北の荒井供実代表が、気仙沼市役所を訪れて、寄付金を贈ってくださいました。市長の右側が荒井さんでしょう。
YouTubeで当日のツーリング映像をみることができましたが、なかなかの迫力ですね。3輪バイクを「トライク」と呼ぶことをはじめて知りました。BI(2)ではなくTRI(3)ということですね。

WANTED BIKER TOURING関係者の皆さま、ありがとうございました。また気仙沼にいらっしゃってください。どうぞよろしく。
 

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tag : CHOPPER東北COOLS

「太田」地区の歴史

10月24日ブログ「太田再興をめざす」の続きです。「太田地区の再生に思うこと」と題する10月7日の三陸新報「論説」を、とても興味深く読みました。


論説

三陸新報10月7日記事の一部イメージ


本日はこの論説に記された「太田」地区の歴史についてです。

まずは冒頭の文章を引用します。

〈往時を知る人は「花街」と呼ぶ。飲食店の数は多い時で200軒にも及び、気仙沼湾奥に係留する漁船員の憩いの場となっていた。安全航海と大漁を見守る安波山の麓の太田(おおた)地区である。〉

気仙沼の太田地区は私が育った魚町と隣接していますからよく知っています。何人もの同級生の顔がうかびます。

昔は田んぼが広がっていたそうです。「安波山の豊かな水を恵みとする棚田が営みの場だった」と。そして、国鉄(現JR)大船渡線の敷設を機に宅地が進み、踏切から海岸方面の一帯は飲食店が立ち並ぶようになったと。田んぼが多かったので「太田」という地名になったという話を聞いたこともあります。

太田に大船渡線の線路が敷設されたのはいつだろう。Wikipediaにはつぎのように。

1932年(昭和7年)3月19日
気仙沼駅 - 上鹿折駅間 (7.5 km) を延伸開業。鹿折駅、上鹿折駅を新設。

1932年以降に宅地化が進んだということなのですね。飲食店が立ち並ぶようになった時期がいつ頃だったのかはわかりません。

◎東北一のダンスホール

踏切から鹿折(ししおり)地区に向かう三坂(さんさか)の頂(いただき)には、東北一とうたわれたダンスホールがあったそうです。「花街」に箔をつけたとも。このダンスホールの名を知りたいですね。いつ頃なのだろうか。

「ダンスホールからは、トンネルから出てくる白煙の列車が見えた。ある銀行のテレビCMに採用されたこともある」というのですが、これはダンスホールとは関係なく、付近にあったトンネルからの列車映像ということでしょうか。

◎保健所や交番

小高い場所にあった保健所での〈その筋の〉検査日には、〈「花街」で働く女性の長蛇の列ができたと〉いいます。かなり踏み込んだ記述です。

そして「昭和40年代後半、華やかなキャバレーに押されるように、小さな飲食店は淘汰され、空き家や空き店舗が目立つようになった」。

これはわかるなあ。なんか、派手なサインの「ミニキャバレー」的な店が増えてきて、同窓会だったかなにかの3次会でいった記憶があります。

「花街」の入り口から、100m入った左手の道路沿いに交番があったといいます。そういえばあったような気がする。ただし、「13人の署員が交代で勤務に就くほど、エネルギーに溢れていた」というような大きな交番だったかどうか。

◎「気仙沼市史」での記述

たしか気仙沼市史で、太田地区に関する記述があったなと思い調べてみました。『気仙沼市史』第4巻 近代・現代編のつぎの記述が見つかりましたので引用します。


昭和32年(1957年)4月
売春防止法公布。太田花街の灯が消えることとなる。昭和6年秋に丙種料理店、7年10月、特殊飲食店として認可されたが戦後ふえ、サンマ・ラッシュに湧いた24−5年頃には20軒ほどとなり、全盛期には300余の女性が従事する歓楽街となった。(引用は以上)

わずかな文章量ですが、貴重な情報であると思います。

気になったことがあります。「丙種料理店」とありますが、「乙種料理店」のことであるように思います。甲乙丙丁(こうおつへいてい)の乙。甲種料理店はいわゆる料亭とのことです。また、昭和32年4月に売春防止法公布としていますが、これは施行です。公布は前年の昭和31年(1956年)5月。

◎気仙沼文化史年表の記述

荒木英夫さんの「気仙沼文化史年表」にはつぎの記述がありました。

昭和32年4月1日「売春防止法施行 太田花街の灯消える」

たぶん市史の記述を典拠としているでしょう。公布ではなく正しく施行としています。なお、荒木英夫さんは太田在住ですから、この地域の歴史にも相当詳しいはずです。

◎大杉神社、金比羅神社、夢幻洞なども

論説の後半には、安波山中腹の大杉神社や太田地区にあった酒造工場の話も。酒造工場は角星さんの工場ですね。旧白山小学校の元校舎に移転しました。

また、金比羅神社境内の句碑や、気仙沼図書館の館長をつとめた菅野青顔さんの自宅の話なども。青顔さんは自宅を「夢幻洞」(むげんどう)と称していましたが、論説では「夢幻堂」となっていました。誤記でしょう。

◎論説の筆者は

この10月7日の「論説」筆者はどなたなのでしょう。三陸新報社の現役記者や幹部の方か。太田地区の歴史に詳しいことからみて年配の方と思うのですが。

私が三陸新報で太田に詳しい方として連想するのは、同社で編集局長もつとめた三浦博光さんです。三浦さんは太田在住のはず。ただし、すでに同社を退職しています。

三浦さんが以前に三陸新報で連載した「野球交友録」は、とても面白く読ませてもらいました。この連載は同社から「余談あり…スポーツ記者の野球交友録」として発刊されました。


長くなりました。話を戻して、三陸新報「論説」の結びを引用します。

「まちなかエリア」のにぎわいを取り戻す。その周辺部への着想と実行力が頼もしい。若い視点はさらに新しい魅力を発見していくことだろう。(引用は以上)

三陸新報さんでの、さらなる太田地区歴史話を期待しております。どうぞよろしく。


10月24日ブログ「太田再興をめざす」

 

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漁師暦の「最終章」

気仙沼つばき会による「気仙沼漁師カレンダー」2024年版が大安吉日の9月7日に発売されたことはすでに紹介しております。2024年版の写真は瀧本幹也さん。その瀧本さんが10月24日につぎの投稿を。


瀧本さんは9月7日の発売日にも制作会社BambooCutの竹内順平さんの投稿を紹介するかたちで〈ぜひご覧ください〉と記していました。


そして10月25日の三陸新報でも。見出しは、惜しまれつつ「最終章」。


三陸新報

三陸新報10月25日記事の一部イメージ


記事では〈このほど完成〉としています。三陸新報での同カレンダー2024年版紹介がまだだったのですね。これをきっかけにしての販促活動をあらたにといったところでしょうか。カレンダーを手にしているのは、気仙沼つばき会の事務局長をつとめる小柳朋子さんです。

実をいうと私は、この2024年版をまだ購入しておりません。2022年版も2023年版も、都内のトークイベント時に購入し、それぞれ市橋織江さん、公文健太郎さんのサインをいただきました。今回2024年版も藤井さんのイベントがあればなあと期待しているのですが。どうなんだろう。

漁師カレンダー公式サイト

なお、9月の発売直後、つぎのブログで2024年版や瀧本幹也さんの話を紹介しております。お手すきのときにでも。

9月12日ブログ「2024年は瀧本さん」
9月13日ブログ「漁師カレンダー序章」
 

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10/16の河北春秋

河北新報が、千葉周作の気仙沼市生誕説を紹介してくれました。河北新報のコラム「河北春秋」です。同紙オンラインで10月16日に配信されました。


河北春秋

画像クリックで河北オンラインにジャンプ


記事冒頭の「セキレイの尾のごとく切っ先を動かして攻めの機会をうかがう」というのは、剣豪千葉周作が創始した剣術「北辰一刀流」の極意とのこと。そして〈漫画『赤胴鈴之助』で主人公の師匠として描かれたことを覚えている方もいよう〉とも記しています。

記事では、著名な割に千葉周作の詳しい生誕地は判然とせず、長く論争が続いてきたといいます。そして、これまで生誕地として可能性が高いとされた3地域を紹介。栗原市花山、大崎市古川荒谷、陸前高田市気仙町です。

1991年にはそれぞれの信憑性を検証した郷土史家が陸前高田説に軍配を上げる本が出版されたそうです。記事はつぎのように続きます。

〈論争も幕かと思いきや、さにあらず。現在は新たに気仙沼市を生誕地とする説が浮かんでいる。周作の弟定吉が1853年に鳥取藩に提出した身上書に、「生国 陸奥気仙郡気仙沼村」とある。気仙沼村は当時の「本吉郡気仙沼本郷」、現在の気仙沼市中心部に当たるという〉

このあとに、千葉富夫さんが9月21日に松岩公民館でおこなった講演が紹介されます。講演では気仙沼市を生誕地とする論拠を示したと。そして気仙沼市では改めて千葉周作との縁を探る市民グループの活動も始まったとも。

記事の筆者が4地域のどこが生誕地として有力と考えているかは記されていません。その結びの文章を引用させてもらいます。

〈坂本龍馬らそうそうたる顔触れが門弟に名を連ねた。どこが生誕地だろうと東北の誇りであることに変わりはない。地域間の綱引きではなく、共に手を携えて歴史ロマンを盛り上げたい。〉

ハッピーエンド。東北6県のブロック紙「河北新報」としては穏当(おんとう)な結びです。気仙沼出身者の一人としては、気仙沼が生誕地であって欲しいと思っているのですが、ほかの4地域の人々も同じ気持ちでしょう。私も〈共に手を携えて歴史ロマンを盛り上げたい〉と思うことにいたします。どうぞよろしく。

最後になりましたが、河北新報さん、ありがとうございました。また千葉周作生誕地についての話を是非に。

10月12日ブログ 「気仙沼説」の解説
9月14日ブログ「千葉周作の生誕地」
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 千葉周作

太田再興をめざす

10月6日の三陸新報に、「太田に再びにぎわいを」という見出しがありました。リードには〈かつて歓楽街として栄えた気仙沼市太田(おおた)地区の再興を目ざす取り組みが始まっている〉と。


太田地区

三陸新報10月6日記事の一部イメージ


この記事は、オンラインでも配信されています。

三陸新報オンライン10月6日配信記事

記事によるとこの取り組みは、市役所庁舎移転後の跡地周辺や内湾エリアの将来計画「気仙沼まちなかエリアビジョン」の一環とのこと。

官民連携組織「まちなかエリアプラットフォーム」内にエリアリノベーションの部会を設け、空き家再生の専門家などを招いて一昨年から検討を重ねているそうです。

リードでは〈市内の若手有志やまちづくり組織が遊休不動産を活用し、再びにぎわいを取り戻そうーと汗を流している〉とも。

対象の空き家はいまのところ市道沿いの7軒ですが、部会リーダーでデザイナーとして活動する志田淳さんが、その再生第1弾となるプロジェクトに着手したそうです。

志田さんはスナックとして使われていた2階建ての建物を取得し、オフィスやギャラリーにするため改装します。記事では、〈これから1年ほどかけて完成させ、プロジェクトの先導役を担う〉と。

◎志田淳さんの投稿

志田さんは、この〈太田の物件〉について、9月21日と25日に次のようにX(旧Twitter)投稿していました。まずは9月21日ポスト。


そして9月25日には前日24日のお披露目について。


志田さんがいう〈気仙沼が気仙沼たる文化を作った太田エリア〉。なんかわかるようなわからないような。その微妙な感じはわかります。

太田地区については、ちょっと説明が必要かもしれません。私たち世代にとっては不要なのですが。

三陸新報の記事リードでは〈かつて歓楽街として栄えた〉と。そして本文では、〈太田地区はかつて、飲食店や商店などが林立していた。東北沿岸の港町で有数の繁華街として知られたが、現在は閑散としている。高齢化も進んでおり、空き家問題は長年の課題だ〉としています。

こうした課題への新たな取り組みを、かげながら応援したいと思います。

◎三陸新報10月7日「論説」

10月6日の記事を受けてのことだと思うのですが、10月7日の同紙「論説」のタイトルは「太田地区の再生に思うこと」。とても興味深く読みました。

これについてはちょっと長くなるので、回をあらためて記すことにいたします。
  

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 太田地区志田淳

朝日のサンマ記事

10月20日の朝、東京近辺の気仙沼出身同年会「けせもい会」のLINEで、佐々木(金野)真紀さん(気中3年6組)が、「昨日の朝日新聞夕刊に、目黒のさんま祭と千葉憲二君(3年4組)の話がのっていました」と教えてくれました。見出しは「やっぱりサンマは気仙沼に限る」。


朝日新聞
朝日新聞10月19日記事の一部イメージ


◎目黒のさんま祭

はじめは、10月8日におこなわれた「目黒のさんま祭」の話です。9月末から気仙沼漁港へのサンマ水揚げが止まっており、実行委員会は冷凍サンマを出すことも検討したといいます。冷凍ものは過去1回、2017年に使っただけだったそうです。

悲劇的な見方が広がるなか、漁師の意地を見せたのが、大型サンマ船第81豊清丸で漁労長を長年務める中舘捷夫(なかだて・かつお)さんでした。

中舘さんは北海道沖の近海で10月4日夜に小さな魚群を見つけます。漁獲量は約3トン。燃料費に見合わない少量で「赤字覚悟」でしたが、「祭りなのに、水揚げできていないのが気になって。目黒と気仙沼のつながりのためよ」と中舘さん。そのサンマが目黒に運ばれました。

◎気仙沼「かもめ食堂」

続いて、千葉憲二君の話。

〈同じ8日、新横浜ラーメン博物館では、気仙沼から期間限定で出店中の「かもめ食堂」に列ができていた。店主の千葉憲二さん(72)は気仙沼出身。名物の塩ラーメンの味を引き立てているのが、地元産のサンマを使った自家製の香油だ〉

記事では、憲二君の少年時代の旧魚市場前にあった「かもめ食堂」が紹介されます。同店は後継者難で2006年に閉店。そして〈千葉さんは復興のともしびにと店の再興を企画したが、被災地直後で用地がない。手を差し伸べたのが同博物館だった。震災1年後から約3年間、博物館内に店を構えた〉と。

私たち世代には懐かしいサンマの季節の風景も紹介されていました。

〈サンマ香油の原点には少年時代の記憶がある。魚市場からの凸凹道。車の荷台から少しばかりサンマが落ちても、大量だから運ぶ方は気にしない。それが千葉さん宅の食卓に並んだ。〉

少しばかりとは限りませんね。未舗装の道で結構な量がばらまかれることもありました。

この記事の見出しを目にしたときには、かもめ食堂とサンマがどのようにつながるだろうと思ったのですが、サンマの香油でしたね。うまくつなげてくれました。なかなかに香ばしい。

このふたつの気仙沼関連記事の筆者は朝日新聞の山浦正敬さん。今年5月から気仙沼勤務となっています。

山浦さん、ありがとうございます。最近は気仙沼発の朝日新聞記事が多く、うれしく思っておりました。今後ともどうぞよろしくお願いたします。

なお、この記事は10月19日に朝日新聞デジタルで配信されました(有料記事)。

9月29日ブログ「かもめ食堂の帰郷」

 

テーマ : 気仙沼
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tag : 千葉憲二中舘捷夫さんま祭

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気中20/小田

Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/71~72歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

Twitter: @kechu20

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